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6389.4/20/2010
坂の下の関所・11章 ..story 171

 一枚の写真がある。
 ひとが5人写っている。写したのは、山中さんだ。
 山中さんは、きれいにそり上げた頭をしている。すでに水道工事の仕事を定年退職し、いまはかつてのつながりで急な仕事があるときに手伝っている。
 昔から水泳の選手だった。国体やインターハイにも出場したらしい。60歳を過ぎて、胸板が厚く、上半身が逆三角形をしている。もちろん、タバコは吸わないが、酒は飲みすぎる。
 腰が軽い。よく各地に出かけて行っては、お土産を関所に差し入れしてくれる。
 料理も好きだ。鶏皮揚げや、マグロの血合い煮など、酒の肴になる品物を大量に持ってくる。
 金曜日は、愛用のサックスフォンを背中にかついで、川崎の教室までレッスンに行っている。当然、いまもスイミングは継続している。
 その山中さんが、撮影してくれた写真が手元にある。
 撮影場所は、関所店内。
 前列に女性が3人、後列に男性が2人、並んでいる。
 前列の3人は、向かって左から若女将、中央が美鈴さん、左が美鈴ママ。
 後列の2人は、向かって左がわたし、右が相田さん。
 若女将は右手でピース、左手を美鈴さんの肩にまわして上機嫌だ。
 美鈴さんは、中学校の制服を着て、右手はピースをして微笑んでいる。
 美鈴ママは、卒業式を終えたわが子を横に、ホッとした表情だ。
 わたしは、目が漢字の一になるほど細めて、笑っている。
 相田さんは、緑のトレーナーを着て、微笑みながら両手を挙げている。手のひらを天井に向けているので、この写真を最初に見たときは、ガマガエルがひっくり返っているのかと思った。相田さんは恰幅がいい。
 もう一枚の写真がある。
 同じく5人が写っている。写したのは、若女将だ。
 今度は、ガマさんこと相田さんは前列に移動。わたしの前で両手をピース。わたしの頬の前でピースをしているので、人差し指がわたしを刺しているように見える。
 わたしのとなりでは、ベースボールキャップをかぶった山中さんが老眼鏡を首にかけている。
 美鈴さんと美鈴ママは、最初と同じように微笑んでいる。
「中学の卒業祝に、みんなで写真を撮ろう」
 若女将の提案で撮影会になった。ドアの外は暗いから、たぶん3月下旬の午後7時過ぎぐらいか。こころのなかでは、おそらくこのメンバーで、こうして再会することは、もうないかもしれないという気持ちがあったのだろう。

6388.4/17/2010
学校の引越し ..story 12

 午後になり、特学のスタッフは全員そろった。さすがに、4人もそろうと、わたしが一人でやっていたのとは違うペースでダンボールが開いていった。
 大きさの異なる様々な紙。画用紙。原稿用紙。半紙。再生紙。専用の棚に収納する。紙の扱いは気を張る。紙は、鋭利な刃物と同じ危険性があるのだ。わたしは多くの紙に触れるときは、必ず軍手をする。やりにくくなるが、紙の端で指や手のひらをすーっと切ってしまうことはない。
 粘土、粘土べら、粘土板などは、ばらばらに収納するわけにはいかない。使うときに、いちいちそれぞれの道具を探さなければならなくなる。大きめのスチールロッカーを使うことにした。
「なんで、こんなもの、入れたんだろうね」
「それって、どう考えてもただのごみだよ」
 ダンボールを開けると、くしゃくしゃになった新聞紙や、何かの部品と思われる金属製の品物など、プレハブ校舎ですぐに使うとは思えないものが出てきた。だから、わたしたちは、必要なものを収納しながら、不必要なものを別の場所に山積みにした。
 窓からオレンジ色の西日が差し込んできた。
 午後4時を過ぎて、最後のダンボールを開封した。ロッカーや棚へは、とりあえず収納したものが多い。4月5日の始業までに、もう一度、使い勝手を考えて、移動する必要がありそうだ。それは、あしたの月曜日から少しずつやるしかない。
 特学スタッフの月曜日からの役割分担をする。それぞれに都合があるので、必ずしも全員が顔をあわせる必要はない。本当に忙しくなるのは、こどもたちが登校を始める5日以降なのだ。それまでに、こころもからだも休めておく必要がある。交代で休みを取りながら、効率よく残りの仕事ができるように、始業までの作業を分担した。
 プレハブ校舎で驚いたのは、どの部屋にも強力なエアコンがあったことだ。それも、スイッチを入れたら、短時間で効果を発揮する。湘南の暑い夏にも、たちまち涼しい風を送り届けてほしい。
(おわり)

6387.4/13/2010
学校の引越し ..story 11

 日曜日のプレハブ校舎。早朝から業者のひとが来て、まだ仕事をしている。こんなことで、4月5日の開校に間に合うのか心配になる。でも、その責任はわたしにはないので、遅れたら遅れたで、誰かが何とかするのだろうと、わたしは楽天的だった。
「おはようございます。日曜日もご苦労様です。休みなしで大変ですね」
 教頭が、顔をあわせて苦労をねぎらう。
「だれかに頼る仕事ではないので、自分たちでやらないといけないから、仕方がないです」
 特学の荷物は、通常級の荷物と違い、扱いが異なる。だから、どこに何を置くのか。どのように教室の壁を整備するのか。そういう環境的な配慮も必要になる。
 通常級の教室は、どちらかというと、担任の個性が反映された環境になる。船舶が好きな教員なら、帆船のカレンダーがぶら下がる。登山好きな教員なら、ご来光の写真が壁を彩る。
 特学は、こどもの目線や思考の流れを重視する。教員の人間性や個性など二の次だ。
 こどもの特徴にあわせて、掲示物も、メッセージも配慮する。そこには、教員個人の個性は反映されない。専門的な見地から、掲示物が伝えたい内容をこどもがキャッチしやすい文字の大きさになっているか、読める文字を使っているか、ペンの太さは適当か、目移りするようなよけいな情報(イラストやハートマークなど)は使っていないかなどをチェックする。メッセージも、何を伝えたいのかがはっきりしているのかが重要になる。レイアウトや文言よりも、内容が重要なのだ。伝えたいことがはっきりすれば、レイアウトや文言は後からついてくる。
 午前9時。わたしは特学の教室に行き、天井まで積みあがっているダンボールを前に、大きく深呼吸をした。きょうは、これから特学のスタッフが出勤するはずだ。まさか、夕方まで自分ひとりでこのダンボールと格闘するということはないだろう。それでも、いつ出勤するのかわからないので、それまでに一つでも多くの荷物を収納しておこう。
 サッカーのゴールキーパーがつけるような、ぼつぼつのついた軍手をはめる。手近なダンボールを引き寄せて、ガムテープをはがす。ガムテープとダンボールは収納場所が違うので、別々にしなければならない。
 ふたをあけて、なかを覗く。なんだこれと思うものもあれば、自分が入れた記憶があるものもある。それらを箱から出し、3つの教室のそれぞれの棚やロッカーに収納していく。最悪なのは、絵本や紙芝居、図鑑や物語などの書籍類のダンボールをあけたときだ。書籍はとても思い。特学の書籍は、こどもの特徴から丈夫な紙を使っていて、サイズも大きい。一冊一冊がずっしりくる。それを何冊も抱えて、本棚に運ぶ。何回か上げ下げを繰り返したら、背筋から腰にかけて、筋肉がぴりぴりと痙攣を起こした。
「おはようございます」
 11時ごろになって、スタッフのひとりが登場した。わたしよりも特学が長く、とても頼りになる存在だ。
「きのうのうちに運びいれが終わっているって、さっき教頭に聞いたばっかりで、きょうなのかと思っていたから、申し訳なかったね」
 ちゃんと、わかるひとにはわかるのだ。特学のスタッフは、あと2人いる。いつ出勤するつもりだろう。

6386.4/12/2010
学校の引越し ..story 10

 3月28日。7時30分。スターバックスコーヒー。
 学校の引越しは、個人住宅の引越しと違い、一日では終わらない。運び出す荷物が桁違いに多いので、何日もにわたって行われる。引越しの間も、学校の仕事はあるので、わたしたち職員は、どこで仕事をすればいいのかが問題になる。
 職員室の機能が完全に引越しによってプレハブに移動したのは、26日だった。だから、27日以降は旧校舎の職員室に行っても、自分の机がない。ガラーンとした空間に、埃と砂が散らかっている。よくこんな汚い場所で仕事していたものだと呆れてしまう。
 管理職は、27日以降の執務はプレハブで行うように指示を出していた。
 ここで問題になってくるのは、校舎開閉の管理だ。最初に出勤したひとが校舎を開く。最後に帰るひとが校舎を閉じる。いまの学校は、セキュリティ会社と契約しているので、アラームをかける。ドアには、ナンバー式の専用キーが取り付けられた。
 27日以降は、プレハブで執務をしろと言われても、わたしたち職員には、アラーム解除やアラーム設定の方法を知らされていない。専用キーのナンバーも知らない。
「しばらくの間は、開閉は自分たちでするので、みなさんはその間に出勤と退庁をしてください」
 教頭から説明があった。つまり、管理職よりも遅く出勤し、管理職よりも早く帰ってくれということだ。
 わたしは以前の学校でもそうだったが、朝はだれよりも早く出勤する。だれもいない校舎のアラームを解除し、鍵を開け、照明を灯し、コピー機やパソコンの電源を入れる。理由は様々だが、もっとも大きな理由は、電車で満員の時間帯を避けたいというのがある。学生や会社員で身動きが取れない電車は、わたしの精神には悪い影響しか与えない。だから、それよりも少しだけ早い時間にしていた。そのうちに、一本早く、さらにもう一本早く。そんなことしているうちに、学校には7時前に出勤するようになってしまった。
 管理職は、8時には出勤しているという。
 いつものわたしの出勤時刻よりも1時間も遅い。校長も教頭も自家用車を使って出勤している。わたしのように電車を使う人間の苦労を知らない。8時ごろに出勤すると、ものすごいラッシュとぶつかってしまうのだ。
 何もわかってないなぁ。
 こころでつぶやきながら、わたしは駅ビルのなかにあるスターバックスコーヒーで時間を潰すことにした。早朝の読書タイムとして、かなり優雅な時間だ。
 東野圭吾著「天空の蜂」の文庫本を読みながら、チャイをすする。早朝のスタバには、ほとんど客がいない。いつもはこんなはずはないのに、どうしてだろう。ふと考えて気づいた。
 そうだ、きょうは日曜日だった。
 「天空の蜂」を閉じる。めがねを外す。ソファの背中にからだを押し付けて、天井を見上げる。きょうじゅうに仕事のめどをつけて、あしたは絶対に休むぞ。こころにかたく誓った。

6385.4/11/2010
学校の引越し ..story 9

 3月27日。太陽が西の空に傾く。まだ完成していないプレハブ校舎にオレンジ色の斜めの光がさした。校舎に平行している小田急線。各駅停車や急行電車が通過しているのだろうが、一日をバタバタ過ごしたわたしには、電車の通過音の記憶がなかった。
「一応、これで特学の荷物は運んだと思います。あした残りを点検して、もしまだ残っていれば、あした運びます」
 引越し業者のボスが、わたしに確認をする。
「ありがとうございました」
 わたしは、頭を下げる。たとえ、わずかでも旧校舎に残っているものがあろうと、それらは捨ててもらっていい。空っぽだった教室に詰め込まれた棚、ロッカー、教材、段ボール、机といすを目の前にして、わたしはこころからそう思った。
 あしたは、朝早くから、しなければいけないことがたくさんありそうだ。
 ふだんつかわないからだの筋肉を使ったので、背伸びをしたら、あちこちから、ポキポキと音がする。まだ、更衣室さえ使えないので、男子トイレに着替えを持ち込み、作業着を脱ぐ。「飲めません」と貼り紙がしてある流しで、手と顔を洗う。
 土曜日なので、そもそも勤務時間など決まっていない。それなのに、午後5時を基準にした行動をしてしまう。骨の髄まで公務員になっていしまった自分に苦笑する。
「お先に」
 電話業者と相談をしている教頭に声をかけ、プレハブをあとにする。
 プレハブから正門までの間に、旧校舎がある。旧校舎といっても、数日前までわたしたちが使っていた校舎だ。わたしが本田小学校に勤務して5年間、ずっと過ごした校舎だ。廊下の窓越しになかを覗く。職員室も保健室も、もうほとんど何も残っていない。綿埃と紙くずが散らかり、何かのケーブルが天井からだらんとぶら下がる。おそらく、あした運び出すだろう昇降口の靴箱が、運び出しやすいようにドアの近くに寄せられていた。
 いつも本田小学校から藤沢駅までの15分ぐらいの道のりは、夕方の買い物や学校帰りの学生でにぎわう。しかし、きょうはいつもと人種が違う。なぜだろう。少し考えてわかった。少し考えなければわからなかった。
「きょうは、土曜日なんだ」
 今週は月曜日が春分の日の振替で休みだった。火曜日からずっと勤務していることになる。あしたの出勤するから、連続6日間だ。来週になったら休みを取ろう。若くないからだには、いつもと違う日常が予想以上にこたえているようだ。
 プレハブで作業をするようになって、熱がないのに喉が痛い。シックハウス症候群というやつかな。もともと花粉や埃にはアレルギー体質だから、マスクをしていても、喉が反応しているのかな。
 家族連れや恋人どうしでにぎわう藤沢のまちを歩きながら、疲労と喉の痛みをかかえ、とてもわびしい気持ちで帰路に着いた。

6384.4/10/2010
学校の引越し ..story 8

 机といすの運び出しと、その受け入れには大きな問題があった。
 旧校舎には特学の教室が3つあった。こどものいすと机は、そのうちの2つの教室に別々に置いてあった。全部で17人のこどものいすと机が2つの教室に別々に置いてあるのだ。自分の机、自分のいすに執着するこどもが多いので、机といすには、ひらがなで名前のシールが貼ってある。こどもは、そのシールを見て、自分のものか、他人のものかを判断する。
 だから、引越しのときには、トラックに机といすを載せるときに、担当者がいて、それぞれ異なる部屋の机といすを混ぜないようにしなければならない。2つの部屋に、ひとりのこどもの机といすがそれぞれあるので、こどもひとりについて2組の机といすが用意されているのだ。
 プレハブ校舎の搬入口にバックで停止したトラックの荷台。わたしの懸念を裏付けるように、そこには何の区分もなく、ただ机といすが積み上げられていた。2つの部屋の机といすを機械的に荷台に積み上げたとしか思えなかった。
 わたしは、業者のボスを探した。
「申し訳ありません。この机といすは、どこに入れてもいいというわけではないんです」
「どういうことですか」
 通常級の机といすを移動する感覚では、特学の引越しはできない。そのあたりを、仲介している管理職は業者には伝えてくれていない気がした。特学を経験していない管理職とは、そんなものかもしれない。
「それぞれの机といすには、こどもの名前が貼ってあります。それが2組ずつあるんです。入れてほしい部屋は、ここと向こうの部屋です。2組あるので、同じ名前の机といすが重ならないように別々に分けて入れてください」
「それなら、運び出しのときに、言ってくれれば、区別できたんですが」
「申し訳ないです」
 なぜ、わたしが頭を下げなきゃいけないんだ。
 しかし、とりあえず、運んでくれたのだから、相手のペースに合わせなければいけない。
 業者のボスは、荷物を運ぶひとたちに指示を出す。担ぎ手のひとたちは、ボスの指示を聞いて、さほど不平を言うでもなく、のん気にしていた。
「どこに名前が書いてあるんだ」
「違うよ、シールだってよ」
「漢字だと読めないかもしんねぇなぁ」
「ラッキー、ひらがなばかりだぜ」
 わたしは、2つの教室を往復しながら、同じ名前の机やいすがないかをチェックした。
「なるほど、正面に名前のシールが貼ってあると、黒板側から見たときに、ひと目でだれの机かがわかりますね」
 長身の若いひとが、名前をチェックしながら感心していた。

6383.4/7/2010
学校の引越し ..story 7

 一通りの棚やロッカーが運ばれた。もともと壁に固定されていた棚も引き剥がしてきたので、棚によっては後ろ側から見ると壁の一部が残る無残な姿だった。
「トラックが到着します」
 業者のひとが、校舎と外を区切る場所で待機している。次の引越し場所の荷物が届いたらしい。
「先生、この段ボールも特学ですか」
「え、段ボールはあしたって聞いたんだけど」
「一応、確認してください」
 わたしは、トラックの荷台を見て唖然とした。そこには、わたしも含めて特学の教員たちが悪戦苦闘した段ボールが詰めてあった。
「そうです」
 まさか、もう一度特学に戻してくださいとは言えない。ともかく運んでもらうことにした。
「どこに置けばいいですか」
 そう言われても、段ボールだけは開けてみないとなかに何が入っているかがわからない。いちいちこの場で一つずつ開けるわけにはいかない。
「一番奥の部屋にどんどん積んでください」
 仕方がない。ともかく運んでもらって、こちらで一つ一つ開封するしかなさそうだ。引越し業者のひとたちは、専用の道具を使って、みるみるうちに段ボールの山を築いた。
「それにしても、特学っていうのは荷物が多いね」
 年配の業者のひとがため息をついた。
「いままで学校の引越しはたくさんやってきたけど、ここの特学っていうのはおもしろい荷物が多いな。運動で使うマットやボールがたくさんあるだろう。かと思うと、おもちゃみたいな木琴や鉄琴もある。電子ピアノやギターも。絵の具やペンキ、たくさんの紙もあったな。これじゃ、まるで、ここだけが、ちっちゃな学校みたいだ」
 そのひとの指摘はずばりそのものだ。特学は、毎年、学校予算とは異なる予算がついている。法律で決まっているのだ。
 通常級のこどもたちが使うような楽器や運動器具では、学習できないことが多い。だから、特別に作られた楽器や運動器具を使う。おもちゃみたいと言われたが、見た目にはおもちゃでも、作りはしっかりしているし、何よりも値段が高い。何万円もする品物が多いのだ。
「そうですね。ここだけ、学校からは独立しているみたいなものですから、ほぼどこの学校にでもあるものが、少しずつはそろっています」
 わたしと年配の方の会話を聞いていたほかの若い業者のひとたちが、へーっという感想を漏らす。
「トラックが到着します」
 はーい。業者のひとたちが、搬入口に集まる。段ボールはすべて届いたはずだ。
「先生、机と椅子が届きました」
 ぎょ、それは聞いてない。
「ちょっと、待ってください。本当に特学のですか」
「机やいすにひらがなでこどもの名前が貼ってあります」
 トラックの荷台にいるひとが教えてくれた。
「それじゃ、それは特学のです」
 旧校舎で、特学の荷物をせっせと運び出しているひとたちは、根こそぎ運び出すことに決めたらしい。

6382.4/6/2010
学校の引越し ..story 6

 予定では28日の日曜日に、特学の荷物は引越しされるはずだった。
 しかし、引越し業者のひとが、あまりにも多い特学の荷物を見て、予定を前倒しした。
 考えてみれば、そのことはありがたいことだ。業者にしてみれば、期限内に終わらせるために最善の方法を選んだのだ。問題は、わたしたち学校職員がそういう臨機応変な変更を予期していなかったことだ。
 とりあえず、荷物を入れてもらうことにして、わたしは職員室に急いだ。教頭をつかまえる。
「いま、業者のひとが、もうきょうのうちに引越しをするって言ってるんですけど」
「そうなのよ、わたしも、いま聞いたところ」
 本当かよと疑いながらも、仕方がない。
「で、やってもらっていいんですか」
「大丈夫、さっきお願いしたから」
 お願いした?わたしは、そのことをだれからも聞いてないぞ。予定変更を許可したのなら、せめて特学の新しい教室で仕事をしているわたしに伝えるべきだろう。
 もともと、特学の教室は3部屋あった。教材を収納する部屋も入れると4部屋だ。特学は、ともかく荷物が多い。その荷物を、新しい校舎に移動するときは、どこに収納するかを相談していた。そのために、あしたの引越しではだれがどこにいて、業者のひとに指示を出すのかを決めていたのだ。
 もちろん、わたしも担当した場所がある。
 しかし、きょうはまだ引越しをするとは聞いてなかったから、わたししか特学の教員は出勤していない。土曜日だから給料は出ない。出勤と呼べない奉仕作業だ。わたしは、自分が担当した以外の場所に、何をどう配置して行くのかを知らない。それは、引越し全体を担当するスタッフの仕事だった。
 でも、いまさらそんなことを言ってられない。わたしは、その担当教員の机に、引越し図面を見つけると、それをつかんで、業者のところに急いだ。
 最初に、ものを入れる棚やロッカーを運んであった。3つある部屋のどこに入れればいいのかわからなかったので、とりあえず一つの部屋に積んである。
「申し訳ありません。この棚は一つ一つは一個の棚のように見えますが、じつは3段に積み上げて、それを横に5個つなぐ大きな棚なんです。そして、置いてほしい場所はここではなく、廊下をはさんで向こうの部屋です」
 引越し業者のひとは、少なくともわたしにはいやな顔を一つも見せなかった。さすがはプロだと思った。教員のように世間知らずの集まりは、こういうほんのちょっとのボタンの掛け違いでも、いきなり切れてしまうタイプが少しはいる。
 このようにして、旧校舎の棚やロッカーはほとんどプレハブ校舎に運ばれてきた。驚いたのは、もともと壁にくくりつけだと思われていた棚が、どういう方法で引き剥がしたのかわからないが、プレハブ校舎に届いていた。反対に、あれはどうしたのだろう?と思う棚は、旧校舎に放置されていた。
「あれは、シールが貼っていなかったので」
 業者のひとの説明は明確だ。シールが貼ってないものは運ばない。このルールを、管理職がわたしたちにもっとしっかり教えてくれていれば、わたしはわざわざ多くの不用品を、曜日ごとに捨てる手間を省くことができた。どうせ壊すのだから、不用品は放置でいいのではないかと、会議では何度も質問したが、それはまずいと言われて実現しなかった。たまたまシールを貼り忘れた荷物が、不用品扱いになっていたのだ。それのどこがまずいのだ。

6381.4/5/2010
学校の引越し ..story 5

 27日の土曜日。
 わたしは朝から出勤した。特学の荷物を業者が運ぶのは、28日の日曜日の予定だった。だから、あしたになったら、たくさんのダンボールと棚や教材で教室がいっぱいになる。まだ空間の多いうちに、環境整備をしておこうと思った。
 通勤する道すがら、何かいつもと違うと思った。いつも駅のホームで会うひとがいない。電車がとても空いている。
「そうだ、きょうは休みなんだ」
 なんだか、とてもがっくりしながら、プレハブの玄関で靴を脱ぐ。まだ下駄箱が来ていないので、玄関になる場所にはコンクリートしか打っていない。そのひんやりした空間で靴を脱ぎ、すみっこにポツンと置いた。
 特学のスタッフ(教員たち)には、土曜日は休みの日だから出勤は無理をしないでいいと伝えてある。そのかわり、日曜日は引越しなので出勤してくれと頼んでいる。だから、27日は自分しかいない。
 わたしは、ロッカーで作業着に着替えた後、教室に向かう。
 壁のフックに名札をつけようと思っていた。教室は全部で3つある。ひとつの部屋にフックがこどもたち2回り分もあった。
 18人在籍しているので、一つの部屋で36個の名札をつけられる。それを3部屋につけるので、108個の名札をつける。こどもの名前をパソコンで打ち出してある。それをはさみで切る。フックが打ち付けてある板に糊を貼る。そこに名札を貼る。その上からセロテープで固定する。この作業を108回すれば、全員の名札取り付けが終了する。午前中に終わればいいと思っていた。
 学校の仕事はこういう単純な仕事が多い。いすと机につける名札も似たようなものだ。しかし、これはまだ旧校舎に残してあるので土曜日にはできない。フックの名札をつけたら、午後は自分が担当するこどもの教材を用意しようと思っていた。
「この棚は、どの部屋だ」
「わかんねぇなぁ」
「その辺に入れとけばいいだろ」
「そうだな」
 まだ20個ぐらいの名札しか貼っていなかった。廊下で引越し業者のひとたちが、大きな棚を抱えて右往左往している。窓ガラスを通して、廊下を見た。すると、どこかで見たことのある棚を、業者のひとが複数で抱えている。
「あれ、それ、あしたじゃなかったっけ」
 わたしは、思わず作業を中止して廊下に出た。業者のボスのようなひとを見つける。
「これって、特学の荷物ですか」
「えー、そうなんです」
「特学の引越しって、あしたって聞いていたんですけど」
「そうだったんですが、きょう調べてみたら、あまりにも多いので、あしただけでは終わらないと思って、きょうから始めることにしました」
 わたしは、唖然とする。

6380.4/4/2010
学校の引越し ..story 4

 わたしは、3月上旬から、個人的に引越しは下旬の週末とにらんでいた。だから、特学の荷物に関しては、授業に使うものも含めて、こどもたちには不便を与えたが、どんどん段ボールに収納していた。
「休み時間にレゴブロックで遊びたい」
「ごめん、もうレゴブロックは段ボールに入れちゃった。ほかの遊びにしてね」
 こどもたちには、かなりかわいそうな思いをさせた。
 しかし、25日に修了、27日から引越しという具体的な情報を得たときには、もうほとんどの荷物を段ボールに入れていたので、ちっとも焦る必要はなかった。
 25日の修了以降は、段ボールに入らなかった荷物に、ペタペタとシールを貼りまくった。
 そして、26日の帰りまでにすべての荷物の引越し準備を終えた。いつもなら、学年末は学校の大晦日だ。過ぎた一年間を思い出し、感傷にひたりたい。しかし、今回はそんな余裕はなかった。バタバタとすべきことをこなした。気づいたら、一日が終わっていた。
 とくに26日は、私物や大きな荷物を自分たちでプレハブ校舎の特学教室に運んだ。4人の教員で手分けをした。わたしは、旧校舎の教室からリヤカーに乗せて運べそうなものを運んでいく。プレハブ校舎の入口で、2人の教員がリヤカーの荷物を受け取る。それを台車に乗せて、プレハブ校舎の特学教室まで運んで台車から下ろす。残りの一人が、それらを3つある教室のどこの荷物かを判断して選別していく。こういう一連の作業をしているときでも、まだプレハブ校舎には、壁を作る業者、水周りの確認をする業者、電話機の設置をする業者がひっきりなしに出入りする。完成していない建物に引越しをするというのは、とても危険なことだと思うのだが、管理職も教育委員会も、気にしていないらしい。
 わたしは、リヤカーに荷物を乗せ、運ぶ。運んだ荷物を下ろす。この作業を50回近くやっただろうか。リヤカーに乗せたものを、ふたたびリヤカーから下ろすとき、中腰になる。足がのびきった状態で上体を前に折って荷物を抱える。抱えながら持ち上げる。腰が悲鳴をあげているのがよくわかった。それでもやらねばならない。
「もう、ここまでにしよう。これ以上やると、だれかがからだを壊すよ」
 わたしは、特学の教員に切り上げを伝える。各自の表情には疲労がにじみ出ていた。
 いつも仕事帰りに立ち寄る酒屋。
「なんだ、先生。もう休みじゃねぇのか」
 事情を知らない立ち飲みメンバーは、こっちの忙しさも知らないで暢気なことを言う。それに対して、いちいち細かく説明するのでさえ疲れて面倒になっていた。
「まぁ、そんなもんですよ」
 肩をたたくと、カチンカチンに固まっていた。かつて肉離れを起こした右腿の裏側は、いつでももう一度肉離れを起こしてもいいほどに、突っ張っていた。