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6359.2/27/2010
湘南に抱かれて-1985年春- 3章

story 4

 秀夫は、こどもたちの自習を三種類用意していた。
 プリント自習、お気楽自習、完全自習だ。
 プリント自習は、秀夫が用意した課題をやらなければいけない自習だ。
 学習内容をこどもたちが理解しているか確認しているときに使う。新採用研修などで、朝から一日中、学校以外の場所に缶詰になるときに用意する。
 お気楽自習は、座席周辺でひとに迷惑をかけない範囲で自分で考えたことをする自習だ。折り紙や工作、本読みやおしゃべりなど、こどもたちが楽しい時間を過ごせればいい。多少の立ち歩きは認めている。
 しかし、この多少の立ち歩きが、ひとに迷惑をかけているかいないかを判断しにくいことが多く、あとでもめる原因になっていた。それでも、こどもたちは、プリント自習よりもこちらのほうが好きだった。
 完全自習は、外で遊んでもいいし、走り回ってもいい。多くの場合は、裏山に行ったときや、体育館を自由に使えるときなど、時間と場所限定で実施していた。

 4年1組の教室では、日直が1時間目の号令をかけているところだった。
 杉田は、にこやかな表情で授業を進めていく。
 秀夫は、指導案の余白に気がついたことをメモしていく。ときどき、こどもたちのノートを見て、杉田がどのようにノートを書かせているのかをチェックする。教員歴40年のベテランにはかなわないことだらけで、秀夫はどんなことでも盗めるものは盗もうと思っていた。自習のさせ方も、杉田から教わった。
 授業が半分ぐらい過ぎたころ、秀夫が担任している2組がざわめき始めた。壁をはさんでも聴こえてくるので、杉田に目で合図を送って、教室に戻る。
 教室の中央では、背の高い男子の信夫と学級委員の米子がにらみ合っている。ほかのこどもたちは、それぞれ応援団になって野次を飛ばしている。
「おいおい、どうしたんだ」
信夫と米子の間に入って、秀夫が聞く。
「だって、だ、だ、だって」
緊張すると吃音が出る信夫が口を尖らせて、米子を指差す。
「米子、何があったんだ」
努めてやさしく秀夫は米子に聞いた。
「信夫が、早葵の鉛筆を取って返さなかったから、早葵が怒って、そしたら信夫が、怒るなってぶったから、早葵が泣いたんです」
米子は正義感に燃えて目が潤んでいる。信夫には、ややひとづきあいが苦手なところがあり、緊張したり、追い詰められたりすると、冷静さを失ってしまう傾向があった。ふだんはおとなしい性格なのだが、スイッチが入ると目つきも声も変わってしまう。いまも、まさに変身しそうになっていた。
「早葵は、どうした」
見回すと、肝心の早葵の姿がない。米子がドアを指差す。
「泣いて教室を出て行きました」
授業中に教室を飛び出したこどもがいても、だれも追いかけないところが、早葵の人間性を象徴している。決して、ほかのこどもから信頼を得ているわけではないのだ。
「わかった。まずは、みんな座れ。信夫には後で事情を聞く。いまは信夫も落ち着いていいぞ。早葵のことは俺に任せろ」
 秀夫は、席を立っていたこどもたちに座るように指示を出した。早葵が泣いて、教室から脱走するのは初めてのことではない。去年、担任していた立木からも早葵の性格と複雑な家庭環境については引き継いでいた。そして、泣いて脱走したときの隠れ家も複数聞いていた。

6358.2/25/2010
湘南に抱かれて-1985年春- 3章

story 3

 打ち合わせが終わり、秀夫は荷物を抱えて、印刷室に向かった。お茶が残っている湯飲みを洗う余裕はない。
 原稿を複写機にかけ、製版する。それをドラムにつけて増刷した。秀夫が教育実習に行った去年の学校には、この便利な印刷機はまだ導入されていなかった。製版だけで20分ぐらいかかるのんびりした機械が置いてあり、印刷したいひとたちは前日までに製版を済ませておかないと印刷が間に合わなかった。葉山町は、財政的に豊かで、学校予算も多く計上しているので、最新式の印刷機が導入されていた。しかし、教員のなかには、まだ秀夫が小学生の頃に担任が使っていたガリ版を好むひともいて、印刷方法はひと様々だった。
 印刷室の時計を見ると、8時45分を過ぎている。さっきチャイムが鳴ったような気がする。1時間目は8時45分からだった。
 クラスのこどもの人数分の漢字テストを印刷し、急いで教室に向かう。4年2組の教室は、第一校舎から渡り廊下を渡って、タヌキが出没する裏山に近い第二校舎の二階だ。階段を上がるとき、後ろから田淵が声をかけた。
「あーおおきに。もうテスト印刷しはったの」
「あ、いえ」
あんたのテストをこんなに早く印刷するわけないだろ。
「連休明けで授業の準備をしていなかったから、1時間目に使わしてもらうわ」
 言うのが早いか、取るのが早いか、漢字テストはもう田淵の腕の中。秀夫は置いてきぼりを食う。
 おーい。どういうことよ。秀夫は途方にくれそうな頭をゆり戻し、とっさの判断を求められた。
 もうすぐ、1時間目の杉田の授業が始まってしまう。もう一度、漢字テストを印刷しに戻っている余裕はない。しょうがない。なるようになれ。

 やけくその気持ちで、教室に向かう。幸い、杉田はまだ廊下にかけてある出席簿を外しているところだった。きっと、これから朝の挨拶や出席確認をするので、すぐに授業にはならないだろう。
「おはよう」
 秀夫は、ややざわついていた4年2組の教室に勢いよく飛び込んだ。その姿を見て、立ち歩いていた数人のこどもが急いで着席した。見渡したところ、空いている席はない。全員出席だ。
「日直さん、朝の挨拶をよろしく」
その日の日直になっているこどもが2人連れ立って前に出てくる。秀夫は、その間に新幹線並みの速度で全員の顔色を調べる。鼻水を垂らしているのはいないか。唇が青いのはいないか。咳き込んでいるのはいないか。新幹線が最後のこどもに達したとき「おはようございます」と全員が挨拶をした。
「1時間目に漢字テストをするって言ったけど、できなくなった」
やったーという声と、えーっという声に分かれる。「せっかく、きのう覚えたのに」と塾に通って私立受験を目指しているこどもが口を尖らす。お前の家は裕福なんだから、試験の成績が少々悪くてもなんとかなるだろ、とは言わない。
「そのかわり、5時間目に漢字テストをしまーす」
さっきよりも、えーっという声が大きく感じた。
「1時間目は、杉田先生の授業を見てきます。その間、みんなは自習。連休明けでぼーっとしてるだろ。自習モードは、お気楽自習」
 秀夫は、荷物を教卓に置き、さっき杉田が渡してくれた指導案とボールペンを持って隣りの1組に行った。

6357.2/23/2010
湘南に抱かれて-1985年春- 3章

story 2

 日直の教員が、立った。
「おはようございます。5月7日火曜日の朝の打合せを始めます」
 教員は、毎日日替わりで日直をする。日直になると、朝の打ち合わせの司会と帰りの戸締りを担当する。
 ほとんどの検討事項は、月に一度の職員会議で検討するが、時間内に終わらなかった議案は、持ち越しになり、緊急性の高いものは朝の打ち合わせが使われる。例年通りで済む行事なら、朝の打ち合わせでも十分だが、新しい行事になると検討に時間を要する。
 しかし、5月7日の打ち合わせの議題には、とくに検討事項はなく、連絡事項だけが報告された。
 裏山に狸が出没しているので、校庭で体育をするときは気をつけるように。
 教科書の受給者一覧表はきょうまでに提出を。
 来週の避難訓練では消火器を実際に噴射させます。
 福利厚生会から映画鑑賞のチケット割引が来ているので先着優先にする。
 連休中にクラスの子どもが自転車に乗っていて、自動車と接触事故を起こした。
 給食のとき牛乳パックのなかにストローを入れるケースがあるので担任はストローを別回収にする指導を徹底してほしい。
 新しい体育の教材が入ったので紹介します……。
 脈絡も、文脈も、つながりもない連絡事項が次々と報告される。
 学校に赴任したばかりの秀夫は、4月は、連絡内容を聞き漏らしてはいけないと、必死になってメモをしていた。しかし、メモをするすべてのことが自分に関係があるとは限らないことがわかり、5月になってからは、内容を選んでメモするようにした。
 メモは、週案と呼ばれる帳簿にしている。
 週案は、一週間ごとの指導内容と授業時間数を記録していく帳簿で、原則的には翌週の予定を作成しておくための帳簿だ。その欄外に、必要事項をメモする。4月の週案は、メモで欄外が埋まってしまった。
 とりあえず、きょうは「校庭タヌキ出没注意。教科書書類提出」とだけ記した。ほかは忘れよう。いちいち気にしている余裕はない。
 すると、隣の席の杉田がホッチキスで留めた3枚つづりの印刷物を「これ、きょうやるから」と、秀夫に渡した。
 見ると「4年生国語科学習指導案」と書いてある。

 学習指導案は、各教科の単元に応じて作成される。単元の目標から始まり、指導計画、時間配分、こどもの実態、単元の意義、評価方法、それぞれの時間の指導案が網羅される。それらは、10時間計画の単元なら、それぞれの時間の指導案だけで10枚になるから、合計すると冊子になるほどの量で、ふつうのホッチキスでは留まらない。杉田が渡した指導案は3枚つづりだったから、指導案そのものではなく、それぞれの時間の指導案、一般に本時案と呼ばれているものだ。本時案だけで3枚も作成するのは並大抵のことではない。
 見ると、実施はきょうの1時間目になっている。参観しなければならい。
 杉田は3月で長田小学校を定年退職した。そして4月からそのまま再任用されている。退職後の就職を保障する制度を使ってふたたび教壇に立っているのだが、杉田の場合は国語指導の専門性を評価され、新採用教員の教官も任されていた。つまり、秀夫の新採用教官だった。
 すでに県では、新採用者を対象にした研修が始まっていた。
 新採用者は、年間に100時間近く学校を離れ、研修センターで、教育法規、教員の資質、児童心理、教科指導などを朝から夕方まで叩き込まれる。夏には、研修内容を公開しない目的で大型客船を使っての洋上研修まで計画されているという。しかし、幸いなのか、不幸なのか、秀夫が赴任した三浦半島地区は、労働組合の強い反対があって、新採用者を可能な限り、これまでのようにそれぞれの学校で指導する枠組みが残っていた。杉田は、その教官役だった。秀夫は、教室を離れて、こどもとの距離を作るよりも、片時もこどものそばを離れず、そこで教員としての研修を続けられるのなら、そのほうがいいと思っていたので、杉田の存在はありがたかった。
 4月は、放課後に、隣りの教室を訪ね、指導法やこどもの発言をどう受け止めればいいのかなど、その日の悩みをすぐにぶつけることができたのだ。
「はい、ありがとうございます」
指導案を受け取り、あわてて週案を見たら、きょうの欄外に、「杉田級参観」とメモしてあった。メモはしたが、そのことを忘れていたのだ。  しょうがない。漢字テストを自習課題にして、授業を見に行こう。

6356.2/21/2010
湘南に抱かれて-1985年春- 3章

story 1

 葉山町立長田小学校。
 職員室の時計は8時を指している。
 校長や教頭をはじめ、多くの教職員が出勤して、机上を整理し、座席の近い者どうしで雑談を交わしていた。
 秀夫は、湯沸かし器のある流しから、自分の湯飲みを出す。すでに一番茶を入れた急須がいくつかある。それぞれの蓋を開けて、新しい茶葉の香りが立つものを探す。すでに何度も湯が足されて、茶が出尽くしている葉は開ききって変色していた。比較的緑が濃く残り、まだ葉が開ききっていない急須にポットから湯を足して、湯飲みに入れた。こぼさないように気をつけて湯飲みを持ちながら、自分の席に向かった。
 長田小学校の職員室は、長方形の部屋だ。その端に、行事用の黒板があり、毎日の予定がチョークで記入されている。月末になると、翌月の予定を教頭が書き入れていた。行事黒板の端に、さらにその日の予定を書くスペースがあった。そこに、出張や休暇の情報が記入され、その日の会議や行事が書かれていた。
「五月七日(火) 三年生身体測定」。
 きょうは、そう書いてあった。
 秀夫たち4年生は、すでに連休前に身体測定を終わらせていた。こどもたち全員の身長、体重、座高を調べた。放課後に、養護教諭からクラスごとの一覧表を配られて、そこに転記するように教えられた。そこにはほかにも視力や聴力、歯科健診の結果を記入する場所があった。空欄は、これからの検査によって埋めていくのだろうと想像した。すべてが終わり、一覧表への転記ができたら、それをこどもひとりひとりへの健康手帳に写すようにも教えられた。すべてが手作業で、これではいったいいつになったら授業の準備ができるのだろうと、最初は戸惑った。そうでなくても、教科書受給者一覧表、給食費徴収簿、指導要録名簿、学級連絡網など、学校の春は事務作業の山だった。初任者の秀夫は、学校がこんなに事務作業が多いということに閉口していた。もっとドラマみたいにこどものなかで過ごす時間が多いものだと勘違いしていた。
 事務作業にはコツがあるはずだ。先輩教員たちの仕事振りを参考にしようと思った。しかし、先輩たちが職員室で仕事をしている時間に、教室での仕事が終わらない秀夫には、そんなコツを知ることはできなかった。それでも、何度か、多くの書類にこどものゴム印を同時に押している先輩の作業場面を見ることができた。種類の違う書類を机上に並べ、スタンプ台でインクをつけたゴム印を一気にポンポンとすべての書類にずれることなく押していた。
 これはすごいと思って、真似してみたら、押す場所を間違えた。うまくできても、最後の書類になったらインクが薄れてしまった。何気なくやっているようで、ゴム印の連続押しでさえ、技が必要なことがわかった。

 長田小学校では、職員室の座席の配置は、年齢順でも、着任順でもなく、担当している学年ごとになっていた。
 秀夫は、4年の教員たちと机を合わせていた。秀夫を含めて、4人の教員がいたので、4つの机を四角に合わせて、2人ずつ向かい合わせになっていた。
 秀夫の隣りは、1組担任の杉田ナツ。向かいは3組担任の田淵恵子。田淵の隣り、つまり杉田の向かいは、音楽専科の田辺静香だった。音楽や図工、家庭科など、専門性の高い教科は、中学校のように教科担任が教える。教科担任は複数の学年にまたがって教えるが、一応所属学年が決まっていて、音楽の田辺は、4年生付になっていた。
 秀夫は、リュックのなかから、漢字テストの原稿を出した。4月に国語の教科書で使われていた漢字の書き取り問題だ。朝の打ち合わせの後、印刷室に寄って、こどもの数だけ印刷して教室に持って行こうと思っていた。
「あら、いいもん作ってるね。うちのクラスのもよろしく」
向かいの席の田淵が、漢字テストを見つけて、挨拶代わりに仕事を増やした。
 大阪出身の田淵は、関西弁のイントネーションを残す独身の35才だ。まともに、関西出身者と接したことのない秀夫は、初めて田淵に会ったとき、とても怖い印象をもった。あけすけなくものを頼む。それも「申し訳ないけど」という低姿勢はなく、「よろしく」で済ます。大阪のひとは、みんなこうなのかと勘違いしてしまいそうだった。
 うちのもよろしくって、やりたきゃ自分で作れよなと言いたかったが、「はい、いいですよ」と明るく答えてしまった。

6355.2/20/2010
 ウォーキングは、要するに歩くということだ。
 ひとによっては、だらだら歩くのは意味がないとか、途中で休むよりも連続して歩くほうが効果があるとか、効能をそれらしく説明する。しかし、わたしはこだわらない。ともかく一日のなかで歩く時間を増やすことだけを意識している。
 それでは、歩く時間がきのうよりもきょう、きょうよりもあした、確実に増えたと自覚するにはどうしたらいいか。なんとなくという流し方をすると、きっとまた元の木阿弥になるだろう。そこで、万歩計を買った。
 かつての万歩計は、ただ一日の歩数を計測するものだった。しかし、最近の万歩計はすごい。歩数はもちろん計測する。そのほかにいくつもの機能が充実している。距離、消費カロリー、連続して歩行した歩数と距離、一週間分のデータ。これらを日々、エクセルに記録することにした。毎日の歩行データが残る。
「何でも数に残そうとするんだから」
わたしを知るひとは、苦笑するだろう。
 何でもデータが優先するとは限らない。しかし、わたしのような気弱な人間は、見てわかるものが残っていないと、すぐに楽なほうに流れてしまうのだ。日々、消費カロリーの増減を見て、それと体重や腹囲との関連を調べれば、相関していることがわかる。
「面倒でもやめてはいけない」
自覚できるわけだ。
 では、無理なく、どうやって歩く時間を増やせばいいのか。
 これはかんたんにひらめいた。酔っ払って、最終電車の時刻を通り過ぎ、藤沢から大船まで歩いて帰ったことを思い出しのだ。最近は、そういうことはしない。なぜなら藤沢で酔っ払うことが少なくなったからだ。
 酔った状態で歩けるのだから、しらふだったら問題ないだろう。
 試しに仕事帰りに歩いてみた。5時ちょうどに職場を出る。どれぐらいかかるかわかりやすいからだ。ゴールは自宅近くの酒屋「淡路屋酒店」、坂の下の関所だ。
 試しに歩いた。息切れや筋肉痛を心配した。しかし、ちょうど1時間でゴールに着いた。万歩計は15000歩以上を記録していた。冬だったので汗をかいていない。しかし、からだの内側からぽかぽか温かくなった。これなら続けられる。1時間の歩行で、メタボ予備軍から脱退できるなら、お安い御用だ。
 かれこれ一ヶ月ぐらいこの帰りのウォーキングを連続している。
 週末には、鎌倉の山並みを散歩している。こちらのほうが気分はいい。しかし、ついつい歩きすぎて神経痛になり、二日間は電車を使うはめになったが。万歩計で数値が出るので、歩数の最高記録を出したくなったのだ。その結果、25000歩を超えた翌日、右足に痺れが走り、一日中、腰から下の感覚がおかしかった。以前から神経痛は何度か経験していたので、すぐにそれだとわかった。
 しかし、ウォーキングにしろ、素朴な疑問をそのまま放置しないことにしろ、何事もともかくやってみるというのは気持ちがいい。何もしないで評論家みたいなことを言っているよりも、動いてみながら感じることを大切にしていきたい。

6354.2/18/2010
 つまり1立方センチメートル=1ミリリットルである。
 これは小学校で教える。
 しかし、1cc=1mlと書かないので、わからなかった。立方センチメートルは、cmの右肩に小さく3と書くと教えてしまうからだ。そんなことをしないで、ccと教えておけば混乱は少ないのに。
 ちなみに、体積も容積も量を表す単位なので、重さとは違うことは、みなさんもご存知のはず。
 たて・横・高さが1cmの入れ物に入れた水の重さを1gという。
 だから、水よりも重いものは、1ccでも1gよりも重くなる。反対もしかり。
 こういうことを、ちょっと時間と手間をかけて調べると、わたしは少し脳が喜んでいるように感じるのだ。いままで開かずの空ロッカーだったところに、新しい知識をボーンと詰めて、湯気の出ている新鮮さが、周辺の神経や血管を元気にするような。
 その後、わたしはついでに長さの単位についても調べた。
 メートルとヤードの違い。フィートとはどれぐらいか。ズボンを買うときに気になる、インチとは何センチか。
 こういった興味の広がりは、脳を活性化させる。運動をしていないのに、アドレナリンがびゅんびゅん放出される気になる。
 ふと気づくと、手元にあしたまでにやらねばならぬ仕事の宿題を見つける。
 あーあ、ため息をつく。やらねばならぬ仕事は、「くさい」仕事ばかりだ。

 1月の下旬から、継続して、エクササイズしていることがある。
 ウォーキング。
 目的は健康増進と、体重の軽減だ。
 去年の夏の人間ドックで、メタボリックシンドロームの予備軍と言われた。メタボリックシンドローム自体が、何かの予備軍だと思ったのだが、さらにその一歩手前ということか。
 メタボリックシンドロームといえば、先日のニュースで女性の腹囲の基準が80センチになったそうだ。これまでよりも縮められた。これによって、いままでメタボではなかったひとも、メタボになる可能性が増えた。
「なぜそんな基準の改定をしたのだろう」
 好奇心旺盛なエージェント2号が尋ねた。
 その答えはわたしには想像できた。
「きっとメタボ患者が増えれば、健康関係企業が儲かる仕組みがあるんだよ。こういうことって、結局は金でしょ」
 世界的に、メタボの基準に独立して腹囲を採用しているのは、日本だけなのだそうだ。確かに西洋のある一定以上の年齢を重ねた方々の腹囲は、わたしたちの腹囲よりもかなり上回っている。そのひとたちに同じ基準を適用したら、みなさんメタボになるだろう。

6353.2/16/2010
 自分が知らなかったことを知ったり、何となく疑問だったことの答えが見つかったりすると、少し自分の生きる世界が広がる感じがする。蓄えた知識をただ浪費するだけの脳生活では、視野や見識は永遠に広がらない。
 世界を広げるということは、考え方や生き方に柔軟な思考をもつということだ。決まりきった行動パターンや思考パターンにしばられず、臨機応変な行動パターンや思考パターンを自由自在に扱えるということなのだ。
 どんなに世界一受けたい授業でおもしろい知識を教えられても、やがて忘れる。
 授業には、自ら進んで学ぶという要素が欠けている。基本的に教師は、何を教えるかをあらかじめ決めている。それを、いかに興味深く、おもしろく、印象に残るように教えるかに苦労する。授業を受けるほうが、勝手にそれぞれの学びたいことを調べ始めたら、授業は成立しなくなる。
 だから、日本の公教育では自ら進んで学ぶ力は育たない。教科書を中心にした一斉画一型の教授法は、そんな力を求めていない。集団に適応し、黙って話を聞き、聞いたことを覚える力があればいいのだ。
 わたしは、ccとmlの違いを調べた。
 すると、それは単位の系統という世界にたどりついた。どうやら、数学や物理学などの学術的な世界では、単位について統一した規格はまだ確立していないらしい。
 どうりで、小学校の算数では、体積と容積という小難しい言葉で同じ量を区別するとわかった。同じ量を表すのに、異なる単位があるというのはこどもにはわかりにくい。そして、これまでのどの教科書にも「どうして、同じ量なのに異なる単位があるのか」という答えは明記されていない。

 それは、偉いひとたちが互いの権威や立場を主張して、自分たちの使っている単位が一番いいと信じ、話し合いのテーブルにさえつこうとしないからです。
 だから、どっちが使いやすいとかどっちが便利とか、そういう日常的なことは無視をして、とりあえずみなさんは両方の単位を覚えてください。

 こういうふうに書く教科書会社はないものかなぁ。
 たとえ書いたとしても、文部科学省の検定で「不必要につき削除」と却下されるのかなぁ。
 ccは、キュービック・センチメートルの略だった。キュービックとは、立方のこと。たてと横と高さのある世界だ。思えば、立方という日本語もだれが考えたのか、日常ではほとんど使われない死語だ。つまり、ccとは「立方センチメートル」、体積の単位だったのだ。
 これに対して、mlはミリリットル。こちらは容積の単位だ。容積というのも不思議な考え方だが、体積も容積もどちらもある空間の量を表す単位なのだから、統一すればいいのに。

6352.2/15/2010
 素朴な疑問というものを放っておくと脳はどんどん退化する。
 物忘れがひどくなるというのは、脳が自然にはたらきを鈍くするのではなく、ひとが意思の力で脳を鈍くさせてしまうのだろう。その多くが、面倒くさいという感情だ。感情も脳のはたらきの一部なので、脳が面倒くさいという気持ちを命令することで、自分自身の活性化を投げ出してしまうのだ。
 何に対して面倒くさいのか。
 思い出すのが面倒くさい。調べるのが面倒くさい。考えるのが面倒くさい。時間をかけるのが面倒くさい。
 おもにこの4つに分類される。
 だから、面倒くさい感情に流されると、ひとは思い出さなくなる。そして、物事を調べなくなる。やがて、考えなくなる。そして、短時間で物事を片づけようとしてしまう。長い期間、電気信号のやりとりでひとのこころとからだをコントロールしてきた脳が、もう疲れたからしばらく休みたいと悲鳴をあげているようだ。
 もしも、脳を若く保ちたいなら、面倒くさい攻撃に負けないことだ。
 自分のなかに、面倒くさい感情に負けない面倒がらない感情を育てるのだ。
 「くさい」のと「がらない」のと、どちらを選ぶかはひとそれぞれだ。ラクに流れたいのなら「くさい」生き方を選べばいい。苦労を楽しめるなら「がらない」生き方を選べばいい。
 わたしは、からだが衰えても脳は最期の瞬間まで達者でいてほしい。だから、脳が退化しないように「がらない」生き方を選ぶ。
 「がらない」生き方を無理なくこなす小さなコツは、疑問を疑問のままにしないことだ。そして、答えを見つけたときに、それをだれでもいいから身近なひとに伝える。この二つを忘れないでいると、面倒という気持ちは起こりにくい。
 しかし、いつでも身の回りのことに疑問の目をはりめぐらすのは容易ではない。きのうと同じきょうを繰り返していると、いつもと違うことや、日ごろから不思議に思うことが見えなくなるのだ。だから、もう一つの中くらいのコツは、好奇心旺盛な友人や家族と仲良くしておくといい。すると、このひとたちが「なぜだろう」「どうしてかな」と質問や疑問をぶつけてくれるのだ。
 先日、好奇心旺盛なエージェント1号が尋ねた。
「どうして、液体とかをはかるときに、cc(シーシー)とml(ミリリットル)の二つの呼び方があるのだろう。どちらも同じ量を表しているのに、呼び方が二つあるのはなぜだろう」
 確かに、その通りだ。わたしは、その答えを知らなかった。
 こういうときに、くさい脳は、考えまいとするために、攻撃的な対応を示す。
「そんなことどうでもいいじゃん」
「考えたこともなかった」チャンチャン。
「知らないし、知っても何にもならない」
 ここに落とし穴があるのだ。

6351.2/14/2010
坂の下の関所 10章

story 170

 大将が、父に聞く。
「どうすれば、若い女性を言葉巧みに泣かせることができるのか、教えてくれないかな」
プっと、ビールの泡を父はふく。
「あれは、そういうことじゃなくて、わたしの作品がお嬢さんのこころに何かを訴えたんだよ」
「またまた、俺なんか、作品の作り方はいいから、女性の泣かせ方を知りたいのに」
 大将と父のやりとりを耳にしながら、わたしは言葉をはさまないようにしていた。ひとしきり、二人の会話が続いた。父は生ビールを飲み干した。
「今度の日曜なんだけど」
父は、わたしに向き直り、頼みごとモードに入った。やはり、目当てはお菓子を届けることではなく、わたしだったのだ。
 日曜日は、個展の最終日だ。開催を祝して届けられた生花を持ち帰るのを手伝ってほしいとのことだった。わたしは時間の調整をつけた。
「じゃ、そういうことでよろしくな」
父は手を上げ帰って行った。
 考えてみれば、わたしたちは、同じ敷地内に住んでいるのに、用事を関所で交わす不思議な親子だ。ただし、昔から家族であっても私生活には干渉しあわなかった。だから、こうやってお互いに年を重ねたいまは、むしろ屋外で会った方が自然なのかもしれない。
「どうも」
 自動ドアが開く。横浜で病院に勤務している佐藤さんが帰ってきた。
「お帰りなさい」
「あれ、これなに」
佐藤さんは、わたしが山猿ではなくいいちこを飲んでいたのを見つけた。
「いや、山猿一ヶ月のノルマ4本を達成したので、いまは来月までのつなぎとして、いいちこにしているんです」
「アルコール的には山猿よりもいいちこの方がずっと高いよ」
おっしゃる通りです。
「今度、カレンダーに山猿のNマークだけじゃなく、焼酎の焼マークもつけなきゃね」
若女将が提案した。
「それじゃ、ずいぶんにぎやかなカレンダーになっちゃいますね」
わたしの言い方がおかしかったのだろう。佐藤さんは、宝焼酎をホッピーで割って飲みながら、軽くむせる。
「なんか、他人ごとみたいに聞こえますよ」

10章・終わり

6350.2/13/2010
坂の下の関所 10章

story 169

 縁を感じる。
 近所に住みながら、いままで何も接点のなかったひとたちが、何かの機会につながっていく。地元を大事にした生き方は、都会のような「ひとを見たら他人と思え」という殺伐とした考えを消去する。
「豊田さんは、あの案内状を見て、わざわざ親父の個展に来てくれたんだ。でも、時間を合わせていっしょに行ったんですか」
「違うわよ、向こうで偶然に会ったの」
「そういうことがあるんだぁ」
わたしは、ホッピーをグラスに入れ、いいちこで割る。
「そうなのよ、だから、びっくり。そしたらね、豊田さんの娘さんが、しきりにお父さんに版画のことを質問していたわ。お父さんは一生懸命に説明していらした」
「豊田さんの娘さんって、まだ若い方ですか」
「たぶん20代だと思うけど」
「じゃぁ、親父は鼻の下をながーくして説明していたでしょ」
「さぁ、どうだか。でも、途中で娘さんが感極まって瞳を赤くしていたの」
「え、親父が娘さんを泣かせたの」
「そういんじゃなくて、何かに感動したときの涙って感じ」
 初対面の女性をいきなり泣かせるほど、父も野暮ではないだろう。
 きっと豊田さんの娘さんには、彼女なりの琴線があり、父の話がたまたまそれに触れたと、わたしは想像した。
 そのとき、自動ドアが開き、なんと父が登場した。
「あら、お父さん。きのうはありがとうございました」
 親父が関所に自分から来ることはとても珍しい。季節限定のビールが売り出されるときに、注文を入れに来る程度だ。それが、きょうは何のためらいもなく入店した。きっと、目当てはわたしだ。
「いえいえ、こっちこそ。これ、みなさんで分けてください」
父は、お菓子の包みを若女将に渡した。
 レジの奥から、大将が顔を出す。
「ちょうどいまお父さんの噂をしていたところ」
「ちょっと待ってね、ビール一杯ぐらい飲んで行ってくださいよ」
 いやいやもう帰るからと手を振る父は、そう言いながらもじりじりとわたしの近くに寄る。帰るんじゃないのかい。
 ま、そう言わずに。そうですか、申し訳ない。
 結局、父の手には生ビールが握られていた。