6349.2/11/2010
坂の下の関所 10章
story 168
若女将が父の作品展に行った。
その翌日、わたしは藤沢から汗をかきながら歩き、関所にたどり着いた。
「センセー、聞いてよ。すごいことがあったの」
関所に入るなり、若女将が目を輝かす。
「えー、なに。正月に太った分が一気に減ったとか」
「最低、何それ。とっくに元に戻ったわよ」
「いいなぁ」
「そんなことはどうでもいいの」
わたしは、リュックを焼酎コーナーの脇に置く。クーラーからいいちこを取り出した。すでに今月の日本酒「山猿」はノルマの4本を飲んでしまった。次の山猿は2月1日まで待つ。
「お父さんの個展に行ったのよ」
「あ、ありがとうございました。わざわざ、せっかくのお休みの日に」
「いいのよ、お父さんと約束したんだから」
「アジの押し寿司をいっしょに食べることができたの」
父はとくにだれかを頼まずにひとりで個展を開催している。だから、11時から18時まで、会場を離れることができない。昼食をどうしているのだろうと心配した若女将が気を利かせて差し入れをしてくれたのだ。こないだの話では、いっしょにランチを食べてくるとのことだったが。
「さすがのわたしもそこまで図々しくないわ。それにアルコールが入ってないとシャイになっちゃって」
陽気なのは天然ではなくて、アルコールの影響だと分析しているようだ。
「なんにせよ、お弁当までいただいて申し訳ない」
「いいのよ、別に。センセーに持っていったんじゃないんだから」
そりゃ、そうだ。
「それよりね。わたしが見ていたとき、ちょうど豊田さんが娘さんといらしたのよ」
「豊田さんって」
「ほら、センセーのCDを聞いて、この音楽はいいからって差し上げたお客さんがいたでしょ」
「はいはい」
わたしは、両手を胸の前でパチンと合わせた。
「でも、どうして豊田さんが親父の個展のことを知ってんのかな」
「なに言ってるのよ。ここに案内状があるんだもの。いらしたときにあげたわよ」
わたしは、父の個展の案内状を関所のレジに置かせてもらっていた。
6348.2/9/2010
坂の下の関所 10章
story 167
亡くなった母は女子大で皮細工を専攻していた。
だから、結婚してからも自宅でバックやキーホルダー、財布などの革製品を製作していた。多くは小売をしている知り合いからの注文だった。わたしや妹が成長してからは、自宅で近所のひとを集めてレザー教室を開く。
父との二人展は、2年から3年に一度開かれていた。おもにひとが集まりやすい横浜や銀座が多かった。たしか最後の二人展は鎌倉だったと思う。小町通に程近い画廊で開催した。
父は版画と彫刻が専門だ。作品は鑑賞が目的になる。
母は工芸作品なので、どれも生活に使えるものばかりだ。専門店に行ったら、何万円もしそうなものを、母は千円単位で売る。
当然ながら、二人展では母の作品ばかりが売れていた。
「芸術は売り物ではないから、どれだけ売れるかは問題じゃないんだ」
父は、言い訳みたいに苦笑していた。
母が亡くなった年に、父は単独の個展を開いた。四角い胴体の人間。真ん中が大きくくりぬいてある。タイトルは「からっぽ人間」。妻を亡くした夫の心境を、そのまま表現した作品だった。
以来、5年間。父は個展を開かなかった。今回、久しぶりに個展を開く。それも初めて地元の大船で開催する。どういう心境の変化かはわからない。何かを吹っ切るのに、5年という時間が必要だったのだろう。
「今回のコンセプトは地元のひとに来てほしいということなんだ」
わたしが、どうして大船にしたのかを尋ねたときの答えだった。
芸術に興味がないひとでいい。生活の一部に美術的なものがないひとでいい。そういうひとが、地元の公共施設にふらっと足を運んだら、地元の人間がなんだかおもしろいものを作っているって、わかってくれたらいいのだと。
わたしは、どうしても職業柄ひとの内面を考えてしまう。
その話を父から聞いた。わたしは、父はいままでの世界を広げよう、あるいはいままでの世界から新しい世界を見ようとしているのではないかと察した。お世辞にもひとづきあいがうまいとは思えない父が、顔がばれる地元で作品展を開催する。それは、これから地元で自分のことを知るひとが増えることを覚悟したことを意味する。妻との日々を思い出し、いつもそこに戻っていた父が、ひとり暮らしのなかで、妻を忘れることなく、でも少し地元という外に目を向けようと思い始めたのではないかと感じた。
からっぽ人間を作った父は、自分の作ったからっぽ人間を見ながら、少しずつからっぽ人間から卒業していったのだろう。これではいけない。いやこれが正直な姿だ。このままではいけない。ではどうしたらいい。いつまでもからっぽのままか。この空間を埋めるものはなにか。そんなたくさんの自問自答が、5年を経た今回の作品群だったと、勝手に解釈する。
6347.2/7/2010
坂の下の関所 10章
story 166
わたしは、背負ったリュックを床に下ろす。クーラーにしまったいいちこを出す。日本酒の勢いで焼酎を飲んでいることを忘れてしまう。
「さっきさ、そこの寿司屋に行って注文してきたの」
そういえば、相田さんが関所から出て行ったのを記憶している。携帯電話の電波の具合が悪くて、路上に行ったのかと思っていた。わざわざ、寿司屋まで行っていたのか。
「かっぱ巻き、かんぴょう巻き、マグロ巻きを頼んできた。俺はかんぴょう巻きが好きなんだ。最近の寿司屋って、自分の店でかんぴょう巻きを作らなくなったんだよ。寿司屋のよしあしって、かんぴょう巻きで決まるのに」
知らなかった。そうだったのかな。よく言われるのは、中華料理屋の炒飯、ラーメン屋のチャーシュー、寿司屋の玉子焼きだと思っていた。
相田説は、どれぐらいの認知度があるのだろう。
関所の自動ドアが開く。
「お待ちどうさま」
寿司屋の女将さんが、プラスティックの容器に入れた巻物を運んできた。わざわざ配達までお願いしたのか。それじゃ、と帰っていく。すでに代金は払ってあるようだ。
「じゃ、みんなで喰って喰って。ほらセンセーも遠慮せずに」
なんか、逆な気がする。
自分の誕生日なのに、周囲にふるまっている相田さんが、とてもいいひとに思えてきた。
わたしは、遠慮なく、小皿に一つずつ巻物を置いた。一つずつ口に含む。作り立てのお寿司はうまい。シャリのかたさがちょうどいい。焼酎が進んでしまう。
夕飯の前に巻物を三つというのは、胃袋にとって「これからメインが行くよ」と教えたようなものだ。景気づけになってしまう。このままここにいると、どんどん食が進みそうで、わたしは帰り支度をした。
「相田さん、ありがとう。それから、おめでとう」
「こっちこそ、こないだのコロッケおいしかったよぉ」
まさか、コロッケのお返しとは思わないが、ひとのこころのふれあいは、相手を思いやる気持ちがあるかないかで、かわってくる。いつも大声で、職場の不平を関所でこぼすだけの相田さんは、わたしの知っている相田さんの一面に過ぎないと思えた。
「あしたは、休みだからね。お父さんの個展に行ってきまーす」
生ビールのカップを片手に若女将の威勢がいい。
「よろしく」
父は、地元の芸術館で一週間の作品展を開催していた。
中学と高校で美術の教員をしていた。もともとは美術家を志した。しかし、大学卒業と同時に就職する必要があり、同時に美術家だけで生活するには蓄えも援助も期待できなかったので、美術教員になった。美術教員には同じような動機のひとが多いらしい。
6346.2/6/2010
坂の下の関所 10章
story 165
わたしは、トイレを借りた。
手ぬぐいで首筋の汗をぬぐう。コップにいいちこを1センチ入れる。ドクドクとホッピーを勢いよく流し込む。ビールみたいに泡が立つ。一気に半分ぐらい飲み干す。
1時間歩いたからだにアルコールがしみわたる。
「うー、うまい」
シンロートの相田さんが、わたしの飲みっぷりを見ている。
「センセー、藤沢から歩いてるんだってね」
まだ何回もやっていないのに、関所ではすぐに有名になる。地元の恐ろしいところだ。
「うん、無理なくできるダイエットをしようと思って」
相田さんは、にやにや笑いながら、タバコの煙を天井にふかす。
「俺も、健康診断で医者に言われるの。相田くん、歩くか、たばこをやめるか、酒をやめるか、どれかにした方がいいって。でも、そんなことをしたら、俺は死んじゃう」
いやいや、お医者さんは相田さんの健康を考えてアドバイスをしてくれているのだ。死んでしまうようなアドバイスはしないだろう。
「やっぱり、ホッピーはストレートよりも焼酎で割って飲んだほうがおいしいね」
奥のタバコケースの裏で大将が笑う。
「あたりめぇだろ、ホッピーをストレートで飲むやつなんか、聞いたことねぇよ」
あれはあれで、うまいのだ。炭酸がキュンと効いていて、苦味が広がる。
しかし、いいちこを入れて飲んだら、麦の味にコクを感じる。やはり、ホッピー一筋の職人は、焼酎と割ると一番おいしい状態になるように、製造しているのだ。
1月も終わりに近い週末だった。わたしは、一ヶ月に4本以内と決めた日本酒の一升瓶「山猿」のノルマをこなしていた。まだ月末までに一週間ぐらいあるのに、もう山猿を注文できない。ここで、去年みたいに追加すると、せっかくのウォーキングの意味がない。
ホッピーで焼酎を割り、ほどよく喉を潤すと、わたしは帰り支度をする。その様子を見て、相田さんが焦る。
「あれ、センセー、もうかえんの。ちょっと待っていてよ。きょうは、俺の誕生日なんだよ。きのうカンちゃんに、あした誕生日だから寿司をおごるって約束したんだ」
「誕生日かぁ。おめでとうございます」
わたしは、リュックを背負う。
「だから、ちょっと待ってって」
でかい相田さんのからだが迫ってくる。
「寿司の約束は俺じゃなくて、カンちゃんにしたんでしょ」
「でも、まだ仕事で遅いみたいだし。ここにいるみんなで祝おうよ」
祝おうよって、自分の誕生日でしょ。ふつうは、知り合いや家族、恋人が祝うものじゃないのかな。
6345.2/4/2010
坂の下の関所 10章
story 164
体感温度は5度か6度。それでも、ジャンバーの下は汗をかいている。脈拍は100に近いだろう。藤沢から1時間かけて歩いて関所に到着する。
「はぁ、ただいまぁ」
「お帰りー、きょうも歩いてきたの」
若女将が尋ねる。
「はい」
「きょうは、大将がきのう言っていた市役所側を歩いてきました」
レジの奥で、回転椅子に座り、サンドイッチを頬張る大将に報告した。
「おー、あっちは多少はアップダウンがあるだろ」
「車のときは気にならないけど、歩くとあの坂道でもけっこうなアップダウンでした」
前日に、藤沢から大船までの徒歩ルートを大将に話した。そのときに別ルートを教えてもらっていたのだ。
わたしの職場は藤沢駅から小田急線で一つ目の「藤沢本町」駅が最寄りになる。夕方の5時にその近くを出発する。以前は藤沢駅から地下道を通って駅の南側に出た。しかし、きょうは地下道を使わないで、そのまま線路の北側を歩き続けた。
藤沢市役所の敷地を通る。教育委員会の建物の脇を通り過ぎる。まだ照明は消えていない。学校と違って教育委員会は藤沢市の所属だから、超過勤務手当てがつくのだろうか。
大道小学校にもまだ照明がついている。あしたの授業準備をしているのだろうか。
境川を渡る。上流では先日工場から猛毒が流出したと新聞が報じていた。
トンネルを通過する。自動車と歩行者を別々にしたトンネルだ。自転車は歩行者専用のトンネルを走行する。降りるように注意書きがあるが、守っているひとなどいない。猛スピードで歩行者の脇をすり抜ける。
村岡小学校、高谷小学校の学区に入る。わたしが葉山町で5年間勤務した後に赴任した町だ。ここで9年間働いたので、道路や店のほとんどを知っている。しかし、その後、羽鳥という町に動いてから10年以上が経ったので、商店街のなかみはだいぶ入れ替わっていた。それでも相鉄ローゼン、三浦藤沢信用金庫、農協、セブンイレブンは、あの日のままだった。
ミズノのフットサルと室内テニス場では、こどもたちが汗を流している。道路を隔てた反対側では武田薬品の研究所が建設されていた。クレーンが林立し、広大な敷地に巨大なコンクリート建造物の骨格がそびえようとしていた。仕事が終わった時間らしく、左官や鳶の恰好をしたひとたちが数多く藤沢駅方面に向かう。いつもは静かな町なのに、工事の期間はにぎやかなのだろう。
ツタヤを通り過ぎて、線路の下をくりぬいてある歩行者専用の通路をくぐる。線路の南側に出た。旧油研工業跡地と興亜硝子株式会社の間を抜けて、柏尾川沿いのバス通りに出た。
ひたすら三菱工場の敷地の脇を貫く直線だ。工場を出てバス停まで走る多くの工員がいる。藤沢から歩いてきた者としては、ここから大船までは歩いたってせいぜい10分ぐらい。それぐらい歩いたらいいよと声をかけたくなる。
山崎の町に入り、天神下のバス停、横断歩道。ここまで来ると、関所の看板が光っている。
自分の肝臓のあたりをポンポンとたたく。うーん、まだ縮まってないなぁ。関所に行ったら、まずはトイレを借りよう。
6344.2/2/2010
坂の下の関所 10章
story 163
大船駅にはルミネウイングという駅ビルがある。
以前にJRに勤務する知人に聞いた。多くの駅ビルはJRの系列会社だそうだ。でも、大船のルミネウイングは、駅周辺の再開発のときに店舗の立ち退きを迫られ、その後に駅ビルのなかに入った地主や店主が中心になった独立系の会社なのだそうだ。だから、大船駅には駅ビルがあるのに、その後、駅の構内に、いわゆる駅なかに、多くの店がオープンした。それぞれライバル店なのだ。
ルミネウイングの地下に、テーブルスパイスという食料品コーナーがある。安売りはしないが、品揃えは豊富なスーパーだ。エスカレーターで地下に降りると、目の前に特選コーナーがある。わたしは、そこで、先日のコロッケとイカフライを買った。
その後、関所で何度か東さんに会う。そのたびに、ビールで酔った頬の東さんはわたしに近づいて小声でつぶやく。
「こないだのコロッケ、おいしかったぁ。俺、歯がないじゃん、だからやわらかいものがいいの。センセー、またよろしくね」
北海道産の小麦粉とジャガイモだけを使用したコロッケだった。
しかし、当分は、東さんの期待に応じられそうもない。
というのは、わたしは帰りに大船駅を通らないルートに変更したからだ。
去年の夏に人間ドックに行った。そこで、メタボリック予備軍の烙印。以来、体重とウエストの管理をしてきたが、一向に成果がない。むしろ、どちらも増える一方だ。これは、少し根本から生活スタイルを変えるようなエクササイズが必要だと思った。
そこで、わたしは職場のある藤沢市から自宅まで歩くことにしたのだ。その結果、大船駅を通過しなくなった。
藤沢で遅くまで酒を飲み、最終電車に乗り遅れる。タクシーはお金がもったいない。仕方なく千鳥足で深夜の藤沢大船間をとぼとぼ歩いた経験はある。いつもだいたい2時間はかかった。だから、それぐらいを覚悟して、徒歩帰りを始めた。東海道線に乗ってしまえば4分の距離なのに、歩くととても時間がかかる。
しかし、最初の日、ちょうど5時に退庁して、関所に入ったとき時計を見たら、ジャスト6時だった。職場から関所までちょうど1時間の距離だった。酔って帰るときは、きっとまっすぐ歩かずに、左右に無駄の多い歩き方をしていたのだろう。情けない。
毎日、仕事帰りに1時間歩く。それが帰り道なら、フィットネスでマシーンを使う手間が省ける。費用は無料。有酸素運動でからだがしまり、ことしの夏の人間ドックでは6段に割れた腹筋をドクターにお見せすることができるかもしれない。あるいは「病気ですか」と見間違えられるほどに、頬がこけてしまうかもしれない。万歩計を買おうと思う。
そういうわけで、テーブルスパイスでコロッケを買うことはできなくなった。でも、いちいち東さんに説明するのは面倒なので「よろしくね」と言われると「えー」と相槌を打つ。雨の日の帰りにでも電車を使おうか。
6343.2/1/2010
坂の下の関所 10章
story 162
みんなが一通りコロッケをたいらげた頃、シンロートの山ちゃんが登場した。
白髪の混じったパーマ頭、黒のジャンパー、黒のスラックス。明るい色の革靴。いつも目立たないがおしゃれなひとだと思う。
「これ、よかったら、どうぞ。ゲソ揚げすきでしょ」
わたしは、山ちゃんにイカフライの入ったプラスティック容器を渡す。
「あら、どうした風の吹き回しだろ。センセー、なんかいいことでもあったのか」
「いつもお世話になっているから、恩返しだよ」
顔の前で手を振る。
「くれるって言ってんだから、もらっときゃいいの」
山ちゃんのとなりから、相田さんの突込みが入る。
「俺はそうだからね」
断言しなくてもわかってるって。
わたしは、自分のコーナーに戻る。相田さんが自分の病気について山ちゃんに説明をしている。
「医者に行ったらさぁ、これは熱がないからインフルじゃないって言うんだよ。だから、そこを何とかお願いしますよって、ねじこんだわけ。でも、あのやぶ医者、頑としてインフルって言わないの。薬が足りなくて本当は困ってたんじゃないかと思う」
決してそういうことはないでしょう。それに、正しい診察をしているのにやぶ医者呼ばわりされちゃ、その医者もかなわない。
「そんなに、インフルの方がいいの」
ちまたでは、インフルエンザは短縮されて、インフルで通用しているらしい。一文字違って「インフラ」とか「インフレ」だったら、まったく意味が変わってしまう。でも、ここのメンバーは、インフルは知っていても、インフラやインフレには興味はないかもしれない。
「そりゃ、かっこいいじゃん。なんか、やっと俺も流行の最先端みたいな」
なんと不謹慎なことを。新型インフルエンザに感染して命を落としているひとがいるというのに。
「じゃぁ、医者は何て言ったのよ」
山ちゃんが病名を尋ねる。
「なんとかって言ったなぁ。えーと、だれでも持ってるみたいな。で、調子が悪くなると俺みたいにゲボゲボ吐いちゃうんだそうだ」
そんな病原菌っているのかなぁ。第一、調子が悪くないときに常駐していて、調子が悪いと判断したら攻撃に出る病原菌なんているのだろうか。
「それって、ピロリってやつじゃないか」
山ちゃんが、あいまいな知識の風呂敷を広げる。
「そうだったっけなぁ、ピロリって言ったっけなぁ」
確かにピロリ菌をもつひとは、胃潰瘍になりやすいという。でも相田さんは嘔吐を伴う感染型の病気だったのだから、ピロリとは思えない。
「もしかして、ノロじゃないの」
わたしは、思わず、店の端から反対側の端にいる相田さんに声をかけた。
パチン。相田さんは手を打つ。
「そうそう、ノロだ。だれでもふだんから持っているそうだぜ」
そりゃ、嘘だよ。
6342.1/31/2010
坂の下の関所 10章
story 161
週末金曜日。
わたしは、大船駅ビル「ルミネウイング」の地下で買い物をしていた。お惣菜コーナーでタイムサービスをしていた。いくつかの出来立て惣菜のなかに「北海道男爵芋と北海道産小麦粉のみを使用したコロッケ」と「イカフライ」を見つけた。何のためらいもなく、それらを買い物籠の中に入れる。
「ただいまぁ」
関所のドアをくぐる。
「おー、相田さん、久しぶり。治ったの」
「あー、何とかね」
それでも、ふだんに比べるといくらか顔色が悪い。だいぶノロに痛めつけられたのだろう。
ドアをくぐって正面のイベント品コーナーにビールのロング缶を並べた東さんがいる。
イベント品コーナーに垂直に交わるように、日本酒とワインの棚がある。その棚の向こう側は、関所に入った位置からは見えにくい。たいがいの関所メンバーは、その見えにくい位置でちびちびと自分の酒をあおる。
日本酒とワインの棚の右端には乾き物、左端には生活用品がぶら下がる。わたしは、ふだんその右端の乾き物コーナーに陣取る。反対の生活用品コーナーに相田さんや山ちゃんなどのシンロート勤めのひとたちが陣取る。
見えにくい位置、その向こうの壁は前面が保冷倉庫になっていて、ジュースからビール、焼酎、日本酒までたくさんの飲み物が冷やされている。ものすごい電気代がかかっていると想像できる。そこは、首都リーブスがらみのメンバーの指定席だ。通路に顔を出す。
さすけねぇの烏さん、梅干の赤坂さんがいた。久しぶりの病院清掃の永田さんも赤い顔をしている。
わたしは、コロッケの包みを開ける。
「はい、これ、おいしそうだったから買ってきたよ。お年賀ね」
みんなにコロッケを一つずつ配る。だれか食べられないひとがいるとやばいと思った。ちょうどぴったりの人数だったから、さっさと配ってしまおう。
歯の関係で硬いものが苦手な東さん。
「コロッケだけど、大丈夫かな」
心配して渡すと、にっこり微笑む。
「昔から、コロッケは大好物。やわらかいからいまも大好物。きょうは朝から何も食ってねぇから、ありがたい」
ひとりに一個ずつ渡す。だれかがいらないと言ってくれると、わたしの分が残る。しかし、全員、コロッケを喜んで受け取った。わたしが食べる分はなくなった。そのかわり、「うまい」「おいしい」「ありがとう」の声が方々から聞こえた。
きっと、もう少ししたら山ちゃんが来る。山ちゃんはイカフライが好物だ。コロッケはなくなったけど、イカフライで満足してもらおう。
6341.1/30/2010
坂の下の関所 10章
story 160
あけまして、おめでとうございます。関所が四日から開店した。いつもの常連はまだ正月休みのようだが、公務員のわたしは、四日から仕事が始まっていた。
「お正月は、いかがお過ごしでしたか」
「それを聞かないでー」
若女将は、自分のおなかを叩く。
「三日間も休んだのは初めてだから、朝から晩まで飲んだり食べたりして太っちゃった」
あー、それはわたしも同じだった。
去年の夏に人間ドックでメタボリック症候群の一歩手前と言われ、運動や食事に気をつけながら、体重をチェックしていた。しかし、年末年始を過ぎて、体重計に乗るのが怖くなり、チェックをさぼっている。
「はい、これお年賀」
若女将が生ビールを注いでくれた。
「うわぁーありがとうございます」
酒飲みには一番嬉しいお年賀だ。
「じゃぁ、ことし始めの運試し」
わたしは、30円のヨッちゃんの酢漬けイカを手にした。去年の今頃、たしか3回続けて当たりを出したのだ。お金といっしょに酢漬けイカを若女将に渡す。
「はい、残念、三文字でした」
三文字は、あたりではなく、はずれだ。
その後、一週間に渡り、ヨッちゃんの酢漬けイカの当たりには恵まれなかった。ことし、最初の当たりは、なんと2週間後の15日だった。
成人の日を含む連休が明けた。関所にいつものメンバーが戻ってきた。
しかし、にぎやかな相田さんの姿がない。まさか、不景気風が吹きすさぶ中、リストラのターゲットになったのではないか。心配がこころをよぎる。いいやつだったのにー。
「相田さんは、休みですか」
いつも、相田さんといっしょに飲みに来るシンロートの山ちゃんに聞く。
「あいつは、風邪で休んでるよ」
よかったぁ。風邪だったのか。いつも大きな声で笑い、語り、歩くラジオみたいな相田さんがいないと、関所は静かだ。
「今週いっぱい、休むんじゃないかな。おなかに来ちゃってるらしいから」
わたしの頭には、ノロウイルスという言葉が点灯した。インフルエンザと違って高熱症状が見られないが、嘔吐や下痢を繰り返す。学校では、ノロウイルスに感染し発症したこどもがいると、その後の消毒に教職員が借り出される。インフルエンザよりも数段、眉間に皺を寄せたくなるウイルス、それがノロなのだ。
6340.1/27/2010
坂の下の関所 10章
story 159
正月二日。
箱根駅伝。
ピザ生地を作る。三日に父と妹が来て、夕飯をいっしょに食べるので、料理の準備をする。生のホタテがあった。たまたま新聞のクッキング記事にホタテ料理が紹介してあった。そのなかから、「エスカルゴソースを使ったオーブン焼き」と「味噌焼き」を作ることにした。エスカルゴソースにはパセリが必要だった。
わたしは、元日に引き続き、オリンパスのデジタルカメラ「ミュウ」を持って大船へ散歩に出た。
湘南モノレール大船駅の近くに昔から「ときわ」という食堂がある。昼は11時半からランチ定食を出している。しかし、通常は日曜日や祝日が休みだ。わたしは、三が日はてっきり休みかと思った。すると、見慣れた渋い緑ののれんがぶら下がっているではないか。
こりゃ、ラッキー。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
短い発音で、親父が迎えてくれる。テーブル席が2つ、カウンターが6つの狭い店内だ。
「狭いけど、カウンターでお願いできますか」
「はい」
わたしは、カウンターの端の席に座る。カウンターの端は、テレビが一番見えやすい位置にあるのだ。
生ビールとアジフライ定食を頼む。ここは、どんな料理もうまい。なかでも、最近のわたしのお気に入りはアジフライだ。パン粉がさくさく、あじが肉厚、食感がふっくらのフライだ。ソースをかけないで、十分においしい。
テレビでは箱根駅伝をやっていた。箱根の山道が映っている。東洋大学の柏原選手が、次々と上位選手を追い越している。とても山道を走っているとは思えないフォームだ。
「すみません、満席なんです」
わたしの後にも数人の客があった。狭い店内はあっという間に、ほぼ常連と思われるひとたちで満席になっていた。ふだんは、それぞれ干渉しあわないが、この日ばかりは、みんな箱根駅伝という共通項で結ばれていた。
「すっげーなぁ、この選手は」
「去年もすごかったらしいですよ」
名前を知らないどうしが、箱根駅伝でつながる。
「東洋大学ってどこにあるんだ」
「知らねぇなぁ、東横大学じゃねぇのか」
「東横ったら、電車だろ。大学じゃねぇや」
昼間っから、ビールや焼酎のウーロン割りに興じるひとたちに混ざり、わたしは柏原選手の力走を眺めていた。