6319.12/27/2009
大船を歩く cap.
4
店長がわたしと彼の会話を料理を作りながら聞いていた。
手があいたときに、ふたりの前に立つ。わたしと会って、なぜか興奮している彼に言う。
「俺たちは中学や高校の野球の思い出をいまでも忘れていないけど、この先輩はなーんにも覚えていないから、あまり突っ込まないほうがいいよ」
店長と彼は、野球を通じて、その後も長くつきあいがあったらしい。
彼は、野球をやった者が、社会人になり、もうすぐ中年の後半にさしかかろうとするときに、若いころの野球の記憶を忘れていることが信じられないらしい。目を丸くして、ため息をつき、焼酎のお湯割を飲んだ。少し、慰めないと。
「たしかに、いっしょにやっていた連中は覚えていないけど、試合のことなら覚えているよ」
店長がわたしの言葉を聞いて、こっそり首を振った。やめとけ、と聞こえた。
「そうですよね、そう。ひとの名前は忘れても、試合のことは忘れるわけがないですよね」
彼の首が持ち上がり、内側からエネルギーがみなぎった。
え、なに、この心配。
「わたしは、当時もいまも試合をするときにスコアをつけ、試合の後は記録を整理しているんです」
どんなスポーツも記録を残す。野球はスコアブックに、ピッチャーの投げた球、その判定、バッター全員の打ち方と走塁の記録を残す。とても専門的な記号を多用するので、わたしはまったく興味がなかった。それを、彼はずっとつけているという。
「先輩、覚えていますか。あれは先輩が3年になったばかりの春の大会。うちと地区予選で当たったときです」
覚えているわけがないだろう。
わたしは、ただボールが来たから打つ。ボールを捕ったから投げる。それを繰り返してきたのだ。もちろん勝敗は気にしたが、得点さえもはっきり記憶していなかったことさえある。店長が、少し顔をしかめて、ご愁傷様と言いたげに、ほかの客の注文を受けに行く。
「夏の大会はすごかったですね。あのまま甲子園に行ってしまうかとどきどきしました」
ほかの高校の結果に、どうしてどきどきできるのか。
わたしは、高校3年生の夏の大会で一生分の運を味方につけ、5回戦進出を果たした。あのとき、運を使い果たしたので、その後、宝くじなどはいっさい当たらないのかもしれない。でも、最近は関所でよっちゃんの酢漬けイカが時々当たる。新しい運が育ってきたか。
彼は、わたしたちが戦った5試合全部の結果と得点を知っていた。何も見ないで、すらすらプレゼンテーションした。
「うちの高校ときたら、開会式直後の第一試合で負けちゃって、長い夏休みでした」
まるで、きのうのことのように残念がる姿。
あなたは、それからいままでを野球以外と過ごさなかったのかな。
起立。どうやら帰るらしい。自分の言葉で口惜しさがよみがえり、長く苦しい野球漬けの夏休みを思い出し、足取りが重い。
「それじゃ、先輩。お先に失礼します」
こころなしか、目頭が赤くなっていた。
彼が帰った後に、わたしは店長から彼がきょう来た理由を教えてもらった。暮れの忘年会の予約をしに来たのだという。電話でも済むが、お店の様子を知りたいから、直接来たらしい。
「そうしたら、先輩がたまたまいたから、きっとものすごく彼は盛り上がっていますよ」
「でも、帰る時に高校時代の試合に負けたことを思い出し、へこんでいたみたいだよ」
「いいひとなんです」
そういうことじゃ、ないって。
6318.12/25/2009
大船を歩く cap.
3
その男性は、かしこまって、わたしはこういう者ですと、名刺をくれた。しかし、名刺の名前を見ても、わたしの知人リストには入っていない。向こうが覚えていて、こちらが忘れているというのは失礼だ。
適当に相槌をうとうかと思った。
しかし、適当な相槌はいつか破綻する。
50年近く生きていると、関係は単純なほうがいいという悟りに達する。
知らないものは知らないのだ。店長に助け舟を出してもらおうと思ったら、ほかの客の相手をしている。間が悪い。
「申し訳ない。俺はあなたのことを知らないんだ。どうして、俺のことを知っているんですか」
彼に向き直って頭を下げた。
「こちらこそ、いきなりお名前を出して申し訳ありませんでした」
見たところ、小柄な彼はわたしと同い年ぐらいだ。運動をしているか、外回りの仕事なのか、肌はつやつやと日焼けしている。
「わたしは、先輩の中学のとなりの中学で野球をしていました」
その中学の名前は覚えている。よくあの頃に練習試合をした。
「学年は一つ下です」
ということは、わたしと店長の間の学年だ。
「練習試合ではなかなか勝てなくて、くやしい思いをしました」
そうなのか。残念ながら、わたしは当時の記憶がほとんどない。老化かいな。
「先輩が卒業して、わたしたちの時代になっても、ここの店長の代が強くて、なかなか勝てなかったんですよ」
しかし、この方は、よく30年以上も昔のことを覚えているな。
「先輩は、たしか高校は」
彼は、わたしが進学した高校の名前をあげる。だんだん気味が悪くなってきた。
「わたしの高校は」
彼が進学した高校は、当時、わたしが進学した高校に校舎を間借りしていた高校だった。形式的には高校を開校し、入学試験を行っていながら、まだ校舎が完成していなかったのだ。だから、既存の高校の校舎を借りていた。神奈川県教育委員会は、そういうことをしてきた。
「ということは、高校でも野球をやったんだね」
わたしは、すっかり年長者言葉になっている。
「はい、だから、先輩とは中学時代も高校時代も敵同士として対戦しているんです。あの当時の方々とはいまもお付き合いがあるんですか」
驚いたことに、彼はわたしのチームメートの名前を5人以上すらすら出した。わたしは、質問に応じるというよりも、彼の記憶力に感服した。
6317.12/23/2009
大船を歩く cap.
2
席に座り、振り返って店内を見回す。
どのテーブルにもお客さんがいる。女性だけの客もいる。
「すごいなぁ。にぎわっているね」
「おかげさまです」
シャキシャキ元気な声が返る。
「もう、藤沢でやってきたから、お勧めの一品と一献をお願い」
老眼が進んでメニューの小さな字は、メガネを出さないと見えない。酔った席でメガネを出すと、折りたたみ傘以上に忘れ物になる。だから、メニューという視覚情報に頼らないで、ほしいものを声に出して言う。
不自由なものの見え方が、逆にコミュニケーションをうながす。
「ありがとうございます。きょうはヒラメのいいのがあります。お酒は、開運でいかがでしょう」
静岡の酒、開運の味を思い出す。すーっと喉を通る開運は、いまの状態にあっている。
「それにします」
わたしは、ひとりで飲食店に入るのが嫌いではない。とくに苦手でもない。人間観察が好きだから、だれとも喋らなくても飽きないのだ。また、勝手に自分を刑事に仕立て上げ、客のだれかをターゲットにして張り込みをしている気分にもなれる。食べているものや食べ方を観察して、その人物の性格や生い立ちを想像する。
箸使いが悪い。こどもの頃、親のかかわりが薄かったな。
一つの皿を片づけないと次の皿に移れない。こだわりの強さがあるなぁ。
マンガを読みながら、片手間に食事をする。エサじゃないんだよ、食事は。
だから、そんなわたしを気遣う必要はないのだが、店長は仕事をしながら、声をかける。
「みなさんとは、いまでもお会いするんですか」
みなさんとは、中学校時代の野球部仲間だ。
「いやぁ、いまでもやっているソフトボールの関係だけだね」
わたしと同期の連中も、この店に来るらしい。懐かしい名前が彼の口からいくつも出た。わたしよりも彼のほうが連中の動向を知っている。
中学校や高校時代の話を断続的にしながら、ヒラメをつつき、開運をなめる。
彼は高校は私立の野球が強い高校に入った。
わたしは、県立の新設高校で野球をした。
中学や高校の運動部で、1年生と3年生という関係はとても開きがある上下関係だ。まともに1年生が3年生に話をすることはない。それは県立でも私立でも同じだ。
「あのぅ、もしかして、あなたは」
わたしの隣りに座っていた男性が、こちらを向いて、わたしの名前を言った。
「えーっ、なんで知ってんの」
6316.12/20/2009
大船を歩く cap.
1
ひとと会うことを楽しむと、思いもかけない新しい出会いが訪れる。
わたしは、もうすぐ50歳だ。
生まれ育った大船の町でずっと過ごしている。わずかな期間、となりの藤沢市に住んだことがある。しかし、数年の後に実家のある大船に戻った。
大船は鉄道の駅がある。大船駅だ。東海道線、横須賀線、京浜東北線が乗り入れている。こんなにたくさんの路線が乗り入れているわりには、駅周辺は栄えていない。駅を作ってから町を作ったのではない。もともと町があったところに駅を作ったので、駅周辺を土地開発することは難しいのだろう。
だから、古くからの町並みが残っている。
それでも、わたしが子どもの頃、松竹撮影所に向かう映画関係者が駅から撮影所までの道を颯爽と歩いていた風景はもう残っていないが。
大船は、行政区分では鎌倉市だ。
しかし、町の東寄りは横浜市になっている。大船駅の下を流れる小さな川が市境だ。だから、大船の商店街で買い物をすると、鎌倉市の店と横浜市の店が隣り合わせているのがわかる。大船は単位面積あたりでは、新宿の歌舞伎町を抜き、日本で一番飲食店の多い町なんだそうだ。南口の仲通商店街には、軒を争うように飲食店が連なる。あまり幅の広くない商店街の道路は、いつもひとであふれている。決して歩行者天国ではないのだが、自動車で通行するにはかなりの勇気が必要だ。一ヶ月の家賃は100万円を下らないという。
2008年秋の不景気突入以降、飲食店にかわって、パチンコ屋とドラッグストアが目立つようになった。それでも、一本路地に入れば、焼き鳥、たこ焼き、バー、ジンギスカンなど、小さな飲食店があふれている。
2009年の6月だったか、一つの小さな和食店が開店した。
旬の魚にこだわる。醤油は特注。禁煙。コンセプトをしっかりもったお店だ。
わたしは、店長が中学校時代の野球部の後輩だということを知り、励ましのつもりで開店した頃に顔を出した。30年近く鶏肉料理のお店で働き、いよいよ自立したのだ。
ビルの地下にあるその店は、はじめカウンターが4席ぐらいしかない居ぬきの店だった。夏に改修工事をして、カウンター席を増やした。
秋。藤沢で飲んだ帰りに立ち寄った。
以前は、どこかで飲むと、とことん食べ、語り、飲んでいた。だから、最終電車に間に合わず、タクシーを使うことも珍しくなかった。しかし、財布のなかにタクシー代が準備できない時代になり、大船以外で飲んだときは、一次会でさっさと帰るようになった。
「あ、先輩。いらっしゃーい」
威勢のいい店長の声がする。もう中学を卒業して何年も経つのに、先輩とは恥ずかしい。
わたしは、カウンターの端の席に座る。長くいるつもりはないから、軽く飲んで帰るつもりだった。
6315.12/19/2009
堂場瞬一と鳴沢了 cap.
5
「血烙」
鳴沢はニューヨークにいた。愛するユミとユウキのもとで警視庁から研修目的でニューヨーク市警察に派遣されていた。ドラマ出演で有名になったユウキが何者かに誘拐される。誘拐事件の影に、ユミの兄ナナミが追う中国マフィアのトミー・ワンがいた。細かい糸をたどって、鳴沢はニューヨークからアトランタへ。アトランタからマイアミへ。アメリカを縦断する。ユウキが誘拐されても、犯人からは何も要求が来ない。犯人の意図は何か。自分ひとりで何もかも片づけてきた鳴沢が、アメリカで友人たちの支えに気づく。
ニューヨーク、アトランタ、マイアミ。鳴沢がトミーたちを追ってアメリカを走る。
「被匿」
アメリカの研修を終了前に切り上げさせられた鳴沢。だれもやる気のない西八王子署に飛ばされた。着任前日に代議士が橋から落ちて死んだ。所轄の西八王子署は事故死扱いにした。鳴沢に東京地検の野崎検事から事故死洗い直しの特命が下る。今回の相棒は警視庁捜査一課の藤田刑事。鳴沢の仕事を評価し、互いに磨きあう。東日新聞の長瀬が書いた小説「烈火」が事実をもとにした話だったことを突き止めた鳴沢は、ひとの縁と罪をはかりにかけながら、真実を求める。そしてクライマックスは、燃え盛る炎の中に鳴沢は突入していく。
藤田とは、その後も長くかかわりを持つことになる。
「疑装」
日系ブラジル人のこどもが殺された。殺される直前に少年を病院に搬送した鳴沢は、病院から消えた少年を追っていた。少年の父親は群馬県でひき逃げ事故を起こしていた。その後、ブラジルに出国。代理処罰の原則で、日本の法律で少年の父親を裁くことはできない。鳴沢は群馬県を訪れ、ひき逃げ事故の真相に迫る。そこには、ひとつの社会に日本人と日系ブラジル人がともに生きていくことの難しさが漂い、捜査を阻んだ。探偵である冴と偶然にも同じ事件を追いかけることを知った鳴沢は、互いの職務の違いから情報を交換しない。その意地が、結果として少年の死を早めてしまう。児童虐待がキーワード。
「久遠」
鳴沢が殺人容疑で調べられる。被害者は岩隈。情報を売って生きる。殺害の前夜にふたりは食事をした。岩隈は重大な情報をちらつかせた。鳴沢は、どうせガセネタだろうと無視した。その夜に岩隈は殺された。自分を嵌めようとする存在がいる。その確信を得るために、公安部の山口に相談した。その山口も殺された。鳴沢の鉄アレイが犯行現場で見つかる。自宅待機を命じられた鳴沢は、ひとりで犯人探しの捜査を始めた。そのさなか、鳴沢自身のいのちが狙われた。これまで自分がかかわった事件で、有罪になった者たちや、その仲間たちが、密かに鳴沢を陥れようと画策する。その鳴沢をこれまでの仲間たち、小野寺・今・藤田・大西らがチームを組んで援護する。シリーズの最終章を宣言する意味か、文末に「了」と記された。後日、別冊として完成する「神の領域」の主人公、検事・城戸南も登場する。
6314.12/17/2009
堂場瞬一と鳴沢了 cap.
4
「帰郷」
父親の葬儀のために新潟に帰郷した鳴沢。同じ日に殺人事件が時効を迎えた。それは鳴沢の父親が唯一解決できなかった事件だった。時効の翌日に被害者の息子が鳴沢を訪ね、真犯人をつかまえてほしいと依頼した。警視庁の刑事が新潟で捜査はできない。忌引き休暇を使って一般人としての真相究明に乗り出した。雪の新潟を鳴沢が走る。事件の背景にある身体的虐待が悲しく横たわる。緑川や大西が登場し、鳴沢を支える。
→鳴沢33歳。青山署刑事課。愛車「レガシィ」。
●鷹取洋通:15年前に殺害された男。
●鷹取正明:洋通の一人息子。
●羽鳥美智雄:洋通とは高校時代からの友人で、同じ大学の助教授だった。
●大西海:中署勤務。※
●緑川聡:元新潟県警刑事。定年退職し、警備会社に勤めている。※
ここから登場するレガシィは、最終章「久遠」まで乗り継がれる。
「讐雨」
幼いこどもばかり3人が誘拐され、殺された。犯人はつかまり、捜査本部は解散する。そこに犯人を釈放しろという脅迫が届く。さもないと、ダイナマイトを使った爆破事件を起こすとも。犯人の釈放などには応じない警察。予告通りに、ダイナマイトを使った爆破事件が発生した。裁判では精神鑑定により無実になるかもしれない犯人を自らの手で苦しめ抹殺しようとするのはだれだ。鳴沢が、全身傷だらけになりながら、爆破事件の核心に迫る。ひとびとを守るべき法律が、極悪非道な罪人を裁かずに野に放つ。そのとき、だれが法律のかわりに罪人を裁くのか。シリーズ衝撃の深さ。
→鳴沢34歳。東多摩課。愛車「レガシィ」。
●萩尾聡子:鳴沢の同僚。既婚者。二児の母。署内での愛称は「ママ」。
●石井敦夫:警視庁捜査一課の警部補。過去に一人娘を殺された。
●間島重:1ヶ月の間に、3人の女児を誘拐・殺害、死体損壊・遺棄の罪で逮捕された。
●高橋:脅迫者を自称する男。刑事課に電話をかけてくる。
6313.12/16/2009
堂場瞬一と鳴沢了 cap.
3
「熱欲」
警視庁多摩署から青山署の生活安全課に異動した鳴沢了は、ねずみ講被害者の訴えを受け、内偵捜査を開始する。刑事課ばかりの経験しかなかった鳴沢は、詐欺の捜査がはがゆくてやりにくい。そんなとき、大学時代のルームメートがアメリカから目の前に現れた。出資、配当、利息、借金、返済、DY、自殺、殺人。金にまつわる悪の連鎖に鳴沢は迷い込んでいく。一作目の雪虫で祖父の自殺を止めなかった。二作目の破弾で、世話になった先輩を撃ち殺した。三作目の熱欲は、二つの死を背負いこみながら、刑事を続ける意味を鳴沢自身が問い続ける。この事件で逃亡する大物詐欺師やチャイニーズ・マフィアが、その後の新しい事件とつながっていく。
→鳴沢31歳。青山署生活安全課。愛車「ヤマハ・SR」。
●横山浩輔:生活安全課の先輩刑事。※
●河村沙織:夫のDVに悩み、青山家庭相談センターに身を寄せている女性。
●内藤七海:アメリカ留学時代のルームメイト。ニューヨーク市警の刑事。※
●内藤優美:七海の妹。日系二世。※
●内藤勇樹:優美の息子。※
「孤狼」
刑事・鳴沢了シリーズの4作目。シリーズ最高の読み応えあり。今回の相棒は、100キロ越えの巨漢、今刑事。実家が寺でやがては仏門を目指す。ふたりは警視庁の理事官から特命を受け、内部調査を開始する。現職刑事らの覚せい剤横流しをあばき、失踪した刑事の監禁場所までたどり着く。冴が退職して探偵として登場する。
警視庁内部の派閥組織「十日会」。組織のためなら、殺人まで犯す。鳴沢が十日会の不正に挑み、特命の背景を暴く。
→鳴沢32歳。青山署刑事課。愛車「ヤマハ・SR」。
●今敬一郎:練馬北署の刑事。大食漢で、好きな言葉は「奢り・大盛り・お代わり」。冴とは、機捜時代の同僚で、犬猿の仲。※
●沢登:警視庁の理事官。
●堀本正彦:自殺した(と断定された)刑事。
●石動:戸田の行方を追う鳴沢に電話をかけてきた正体不明の人物。
●小野寺冴:退職して私立探偵をしている。※
●鳴沢宗治:胃癌が見つかり、療養を挟みながら仕事を続けている。
●新藤則昭:窃盗の常習犯。62歳。後に重要な証言をする。
●長瀬龍一郎:本社勤めになり、渋谷・世田谷・目黒のサツ回り担当。※
だれとも組まず、だれも信頼せず、自分の道を進む。これまでの鳴沢が、新しい相棒である今との仕事を通じて、少しずつこころを開いていく様子が全編を通じて描かれる。今の筋の通ったキャラクター設定がすばらしい。
鳴沢シリーズは、「破弾」がドラマ化されたそうだが、「孤狼」こそ映像化してほしい。
6312.12/15/2009
堂場瞬一と鳴沢了 cap.
2
1.雪虫(2004年11月25日)ゆきむし
2.破弾(2005年1月25日)はだん
3.熱欲(2005年6月25日)ねつよく
4.孤狼(2005年10月25日)ころう
5.帰郷(2006年2月25日)ききょう
6.讐雨(2006年6月25日)しゅうう
7.血烙(2007年2月25日)けつらく
8.被匿(2007年6月25日)ひとく
9.疑装(2008年2月25日)ぎそう
10.久遠(2008年6月25日)くおん
タイトルを考えるときに、二音の熟語にしようと決めているようだ。
それを、シリーズ全体を通してきっちりと守っている。やや作者の生きにくさを感じてしまう。ただし、それぞれのタイトルは、作品を熟読すると、とてもよく考えられたものだということに気づく。
発行した日付に驚く。ものすごいペースで書き上げているのだ。それぞれが文庫本で400ページから500ページの作品ばかりだから、文章を書く速度がとても速いのだろう。
これから読むひと向けに、サイトで紹介しているサマリーを補充してピックアップする。
「雪虫」
新潟県警の刑事・鳴沢了が主人公の長編小説。パトリシア・コーンウェルのスカーペッターを思い出した。事件解決だけではなく、鳴沢の人物像を深く掘り下げ、父と祖父と自分の三代に渡る刑事家族が描かれる。かつての宗教団体が犯した罪が50年の歳月を経て復讐の悪夢としてよみがえる。最後、鳴沢は祖父が絶命する瞬間に立ち会う。
→鳴沢29歳。西新潟署。愛車「ゴルフのIII型」。
●大西海:魚沼署の新米刑事。鳴沢からは海(うみ)君と呼ばれる。高校まで佐渡で過ごした。※
●鳴沢宗治:鳴沢の父親。魚沼署の署長。
●本間あさ:78歳。刺殺される。50年前に『天啓会』という新興宗教の教祖をしていた。
●長瀬龍一郎:東日新聞の新米記者。前年に著作『烈火』がベストセラーになった。※
●鳴沢浩次:鳴沢の祖父。79歳。現在も部下から慕われている元刑事。
●石川喜美恵:新潟銀行に勤めるOL。鳴沢の初恋相手。
※……シリーズ全体を通じて、キーになる人物。
「破弾」
新潟県警を辞職した鳴沢は、警視庁に就職した。多摩の警察署に赴任したが、同僚刑事たちから疎遠にされる。わざわざ新潟県警を辞職した男がなぜ東京で再び刑事を志すのか。同僚たちの理解を得られなかったのだ。そんなときホームレスが襲われ、行方不明になる事件が発生した。鳴沢と同じように刑事たちから煙たがられていた小野寺冴という女性刑事とペアで捜査を始めた。最後、鳴沢は自分の銃でひとを殺す。
→鳴沢30歳。多摩南署。愛車「ゴルフのIII型」。
●小野寺冴:30歳、鳴沢と同期。過去に犯人を射殺している。※
●山口哲:公安一課所属。別の刑事の紹介で、鳴沢に協力。※
●沢口裕生:45歳。鳴沢が大学時代所属していたラグビー部のOB。留学する友人の家を鳴沢に貸してくれた。
●片平真司:シカゴ・カブスの野球帽をかぶっていたアメリカ帰りの少年。
●沢ちゃん:傷害事件に遭ったと思われるホームレス。
●岩隈哲郎:45歳。ホームレス。自称・物書き。※
6311.12/12/2009
堂場瞬一と鳴沢了 cap.
1
堂場瞬一(どうばしゅんいち)さんは、1963年5月21日生まれ。茨城県の出身だ。本名は、山野辺一也さん。
なんとわたしよりも年下だった。
青山学院大学国際政治経済学部を卒業し、1986年に読売新聞東京本社に入社した。社会部の記者やパソコン雑誌の編集者を務め、2000年に「8年」で第13回小説すばる新人賞を受賞する。受賞後の第二作が「雪虫」だ。
堂場自身が高校時代にラグビーのキャプテンをしていた。その経験から、「雪虫」以降の刑事・鳴沢了(なるさわりょう)では、ラグビーにたとえたシーンが何度も登場する。
わたしは、いったん好みの作家にはまりこむと、ついついそのひとの作品を全部読もうとしてしまう。単行本は重いし、値段が高いので買えない。そのかわり、文庫本は一度に5000円近くも買ってしまう。本屋で買い物籠が必要な貴重な存在なのだ。
ここ数年は、アメリカの女流作家パトリシア・コーンウェルさんの検屍官シリーズにはまっていた。それと同時に、東野圭吾さんや佐々木譲さんの作品も読んだ。とうとうそれらに一区切りがつきそうになったときに、出会ったのが堂場瞬一さんの刑事・鳴沢了シリーズだった。
帯がいい。「いままで紹介しなくてごめんなさい。寝不足必至。書店員がおすすめ」。
ホンマかいな。疑いながらぱらぱらとページをめくる。一つのシリーズものが10冊も置いてある。こんなに出版しているのに、わたしは知らなかった。これから夢中になるかもしれないが、反対に自分にはむいていないと感じるかもしれない。
とりあえず、第一作の「雪虫」を買った。
以来、わたしは、あっという間に第十作の「久遠」まで読みきってしまう。
ものすごい作家だと思った。ほぼ1年に2冊のペースで、新しいシリーズを出版している。それも三作目までは文庫本だったが、四作目からは最初から文庫書き下ろしのスタイルに変えているのだ。雑誌に連載したのではなく、始めから本になることを意識して書かれた物語だったのだ。
だからかもしれない。連作なのだが、文脈の連なりがとてもていねいで細やかなのだ。
このシリーズは、順番に読まないと味わいが出ない。途中から読んだり、順番を変えて読んだりすると、主人公である刑事・鳴沢了の生き方とものの考え方が、伝わりにくい。
このサイトでもシリーズについては紹介した。初版発行年とタイトルは次の通り。
6310.12/9/2009
ひとと予算の削減を防げ cap.
4
同じ教育分野でも先端の科学技術研究の予算はこれまで金額の規模が違った。
これも仕分け対象になった。その結果、国内のノーベル賞受賞者がそろって予算削減反対の声明を行った。
「最先端技術の研究をおろそかにすると、この国の教育のかたちが崩れていく。産業構造の質が維持できない」
ずいぶん、学者は難しいことをいう。
著名な方々は、この国の教育のかたちが内実ともにすでに崩れていることをご存じないのだろう。先日発表になった昨年度の校内暴力件数は、過去最高になっている。こどもたちのストレスは、座学へ向かう余裕を奪っているのだ。そのストレスの原因がどこにあるのか。とても単純なことではないだろう。しかし、学校だけの問題ではないことは明白だ。学校教育に、こどもにこれほどまでにストレスを増大させる影響力はもうないのだ。
バブル崩壊後の15年間。教育予算は、国家規模でも都道府県規模でも市町村規模でも削られてきた。教員の給与は、給料表が作り直され、基本給が実質的に削減された。民間企業でいうところのベースダウンだ。紙を買ったり、臨時職員を雇ったりする予算は、軒並み半減に近い削減を繰り返している。学校には、ものもなければ、ひともいない状況が、長年続いているのだ。
きっと、全国の学校現場が疲弊していく一方で、最先端の科学技術を研究する現場には、潤沢な研究費が支給されていたのだろう。だから、今回の削減がショックだったのかもしれない。
こどもがいて、学びのかたちがある学校。
顕微鏡や試験管があって、テクノロジーの向上に貢献する研究所。
目的も手段も異なる両者を、同じ教育という枠組みでくくるからおかしくなるのだ。
それにしても、いつからこの国は、弱者や未熟な者へのいたわりを忘れてしまったのだろう。医療・教育・福祉への予算が大幅に削減され続けている。担い手も減少している。今年度の神奈川県教育委員会が採用した小学校教員の倍率は2倍強だったそうだ。受験生のおよそ2人に1人は合格できたのだ。それだけ、夢や希望を抱きにくい職種だと若者に気づかれ始めているのだ。