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6279.10/20/2009
湘南に抱かれて-1985年春- story 2章-2

 バス停から、しばらく歩くと、小高い山に続く上り道へと折れる。自動車用の道路もあるが、上っても行き止まりで、そこには長田小学校があるだけだ。
 この山の上には、町立長田小学校しかない。つまり、もともとは何もなかった小高い山のてっぺんを切り崩して平らにし、そこに小学校を建設したのだ。自動車用の上り道の脇に、もっと直線的に頂上を目指す階段がある。100段以上の階段だ。階段の中央には手すりがあって、頂上までに何ヶ所か踊り場もあった。
 登校するのに、とても体力が必要な学校だ。100段以上の階段は、校歌にも触れられていて、だから長田のこどもは足腰が強いという落ちへと続く。たしかに、毎日これだけの階段の上り下りをしていれば体力がつくだろう。
 4月当初は、どんな屈強なこどもたちなのだろうと秀夫は想像した。しかし、一ヶ月を過ごしてわかったことは、こどもたちはこの階段のせいで、2時間目ぐらいまでの体力をかなり消耗している。限りある体力を登校でかなり使ってしまうので、屈強とは程遠く、朝から机にうつ伏せになって、姿勢の保持さえもできないこどもが多かった。

 ワンダーフォーゲルで全国の山を歩いたとはいえ、引退してから、本格的なトレーニングをしていない秀夫は、勤務するようになった4月、階段を登り切るたびに息が切れそうになった。体力の衰えではなく、運動不足を痛感した。
 それでも一ヶ月間、毎朝、階段の昇り降りをしていたら、からだは慣れて、息が切れることはなくなった。
 きょうは、連休明けで、久しぶりに階段を登る。腿の筋肉が張ってきて、膝を上げるのが窮屈になった。階段の手すりにつかまりながら、最後の一段を登り、校門をくぐった。

 学校には職員用の駐車場があり、多くの車を駐車できるようになっている。
 軽トラックが一台、早い時間から駐車していた。用務員の加山さんの車だ。
 秀夫は、開錠している職員玄関から校舎内に入った。職員玄関の脇に事務室がある。まだ誰も来ていない。一階の第一校舎は管理棟になっている。職員玄関のとなりにこどもたちの昇降口がある。校舎の中央部分が玄関になっていて、一階の教室はそこから左右に配置されている。玄関に一番近いところに保健室があり、そこから右側に向かって、職員室、校長室、湯沸室、職員トイレ、職員ロッカー、用務員室。反対に左側に向かって、印刷室、PTA会議室、教材室があった。いわゆるこどもの教室がないので、管理棟と呼ばれていた。
 秀夫は、職員室に入る。だれもいなかったが、蛍光灯がついていた。きっと加山がつけたのだろう。
 職員室は、普通教室2つ分の広さで、長方形をしていた。長い辺の壁は廊下と接していて、反対側は窓がある。校庭の景色がよく見えた。短い辺の壁は教頭と校長が座る机と行事用の黒板がある。反対側にはレンジ台と流しと校長室に続く扉があった。
 4年を担任している秀夫の机は、一番校長の机に近いところにあった。小学校の職員室は、学年ごとに机が寄せられている。秀夫は4年の担任たちと机を接しながら、小さなシマを作っていた。机上には、連休前にやった算数テストが文鎮で押さえてあった。まだ採点していない。  行事黒板の上にある時計は、7時半を指していた。

6278.10/20/2009
湘南に抱かれて-1985年春- story 2章-1

 バスは、逗子と葉山の境の「桜トンネル」を抜けて、一気に葉山町に入る。
 そこは、海が目前に迫っているとは思えないほど、山深く、緑が濃い。道路は狭く、排気ガスがこもる谷あいだ。
 逗子駅からバスで5分ぐらいのところに、長田交差点があり、そのバス停で秀夫は降りた。わずか5分なのだが、歩くと20分ぐらいかかる。都会と違って、湘南でも田舎の平日は車の通りが少なくて、バスがアクセルを踏み込んで5分も走ると、かなりの距離を進むのだ。

 3月の後半に、教育委員会の指示で赴任することになった町立長田小学校に行った。
 そのとき、委員会のひとは電話の向こうで
「なーに、逗子から歩いても10分ぐらいですよ。バスもいいけど、若いんだから歩いてみたらどうでしょう」
明るい声で教えてくれた。
 大学時代にワンダーフォーゲル部に所属し、歩くことには慣れていた秀夫は、10分という時間を聞いて、乗り物に乗るまでもないと思った。
 逗子駅から指示された方角に向けてひたすら歩いた。すると、10分経っても小学校の気配はなかった。地元のひととおぼしき老人に聞くと、あそこのトンネルを抜けたらすぐだと教えてくれた。
 いまから思えば、そこはまだ逗子市内で、桜トンネルまでも到っていなかったのだ。いつの頃から、俺の足は象のようにのっそり歩くようになったのかと不安になりながらトンネルに入った。
 すると、そこは古いトンネル。排気設備はなく、しかも暗く狭い。通り抜ける車の排気ガスを、全身で浴びる結果となった。電話の向こうで明るい声をしていた委員会の担当者をひっ捕まえて、首を絞めてやりたくなった。トンネルを出る頃には、排気ガス中毒にでもなった気分で、頭がくらくらした。
 結局、小学校までは30分近くかかってしまった。校長と約束していた時間に少し遅刻した。遅れたわびをして、頭を下げると、校長は笑顔で言った。
「逗子から歩けって言われたんでしょう」
「そんなに強く命令されたわけではありませんが、若いんだから歩いてみてはどうかと」
 校長は、さらに笑いを隠さない。
「こっちの時間の流れは、鎌倉や藤沢の流れよりもゆっくりだから、気をつけなさい。もしも、歩いて10分と言われたら、だいたい3倍して考えると常識と一致してくる。すぐと言われても、瞬時には動かない。よっこらしょが必要だから、5分ぐらいかかる。期限付きの提出物があるときは、2日前とか3日前に配ったら、まず当日には集まらない。そんな間近に配ったほうが悪いと親から怒られますよ」
 同じ湘南地域で、こんなところがあったのかと、秀夫は驚いた。

6277.10/18/2009
無意味な制度の一掃を story 4

 これから教員になるひとたちは、退職まで教員を続けるとしたら、少なくとも3回の教員免許更新が必要だった。大学への交通費や講座の受講料など必要経費はすべて自分で支払わなければならない。免許の更新だけで合計で何万円もの支出が必要になった。
 政府と文部科学省は、教員の給与を引き下げ、労働時間を増やし、授業時間を増加させ、さらに免許更新の名目で金まで奪おうとした。
 かわいそうに、すでに更新制度の対象になってしまったひとたちがいる。おもに8月を使って、大学に通っていた。このひとたちが払ったお金は戻ってこないだろう。
 更新の対象になったひとによると、大学での講座の受講はまったく無意味でもなかったらしい。しかし、それは、免許更新制度がなくても個人的に可能なことだ。これまでも、長期休暇期間を使っての専門研修は、個々の教員が自主的に計画してきた。
 法律に触れる行為をする教員がいる。
 学習指導能力が不足している教員がいる。
 生活指導能力が不足している教員がいる。
 わいせつな行為でこどもの心身を傷つける教員がいる。
 暴力行為で裁判になっている教員がいる。
 これらは、すべて事実だ。しかし、全国に200万人はいると言われている教員のほんの一部であることを知ってほしい。
 多くの教員は、日々、授業指導能力の向上と生活指導の改善に向けて研究や研修を重ねている。こどもや保護者との信頼関係の構築へ向けて、緊密な連絡をこころがけているのだ。
 一方的な考え方で、学校にクレームを持ち込む一部の親への対応に、悩み、傷つき、こころが折れる教員が増えた。そんな時代に、専門職としての証である教員免許を10年しか効力がないと決めつけた制度は、一日も早く廃止してほしい。
 ちなみに、この教員免許の更新制度は、主任クラス以上の管理職待遇者には適用されない。こどもに接する現場の教員にだけ適用される制度だ。学校職員を政治の力で分断する意図が背景に見え隠れするのは、わたしだけだろうか。
 新しい政権は、この制度にかわって教員養成課程を6年間に延長するという。長い期間、専門職としてのトレーニングを積めば、優秀な教員が育つと考えているようだ。
 わたしは、残念ながら、教員養成課程を6年間にしたら、逆に優秀な人材は別の仕事を選択し、親元で経済的な心配がいらない一部のひとしか教員を目指さなくなると心配している。 また、教員としてのセンスは日々の指導実践のなかでこそ磨かれるので、学生期間よりも教員になってからのほうが重要だ。いきなり担任にするのではなく、副担任制度を設けて、中学校のように小学校も複数の教員がクラスを担任する。すると担任が副担任を指導する場面が増える。ろくでもない担任にあたった副担任は悲劇なので、その窮状を受け付ける管理職の能力も必要になる。
 学校現場の声に政治家が耳を傾ければ、教育改革の具体的な道筋はいくらでも発見される。少しは、官僚の声から離れ、全国の学校に目を向けてもいいのではないか。

6276.10/17/2009
無意味な制度の一掃を story 3

 教員免許は、大学や短大、専門学校の教職課程がある学校で必要な単位数を取得すれば発行される。医師と違い、大学卒業後に、国家試験を受ける必要はない。
 教員免許を発行するのは、そのひとが通っている学校を管轄する教育委員会だ。
 たとえば、わたしのように東京の大学に通っていたらどうなるか。
 大学で小学校の教員になるのに必要な学科をすべて受講し、それぞれの試験に合格したことを、大学が東京都教育委員会に連絡してくれる。その連絡を受けて、東京都教育委員会から大学を通じて、わたしの手元に小学校教員免許状が届く。教員免許状は、どこの教育委員会が発行しても、効力は全国に及ぶので、どこの都道府県で教員をやってもよい。
 また、一度、発行された教員免許は退職まで有効だった。
 わたしが教員免許を取得した時代は、同じ小学校の免許でも一級免許と二級免許に分かれていた。一級のほうが、教員になったときの給料が高かった。しかし、一級を取得するには、たくさんの学科を受講する必要があり、定時制や通信制の大学で教員免許を取得するひとは、二級を取得して教員になった。実際に教員になってから、夏休みなどを使って大学に通い、不足している学科を受講して、二級から一級に切り替えるひともいた。また、二級でも現役教員を数年間勤めれば、一級に自動更新する制度もあった。
 教員免許を取得しても、教員にはなれない。個人で学校を開校することもできない。
 だから、教員免許は持っているだけではなんの意味もない免許なのだ。
 実際に、学校で仕事をするには、都道府県教育委員会(政令指定都市は除く)の教員採用試験に合格する必要がある。その試験を受けるのに必要な資格が、教員免許状なのだ。
 教員採用試験は、こどもの数が多いときには倍率が低く、こどもの数が少ないときには倍率が高くなった。需要と供給の関係だから、仕方がないことだ。
 倍率が低いときの採用者と、倍率が高いときの採用者に、教員としての質や能力の差異がどれだけあるのかを比較することは難しい。しかし、少なくとも、両者の教員免許に違いがないことだけは確かだ。
 いつの時代も教員免許は、高等教育機関で必要な学科を受講することによって発行されてきた。倍率が低くて、教員のなり手がいなかった時代には、無免許で試験に合格させ、採用してから公費で大学に通わせた時代もあった。団塊の世代と呼ばれるひとたちだ。
 その教員免許状が3年前から、10年ごとに更新する制度が始まったのだ。
 この新たな法律には、問題点が山積していたのに、メディアは無視した。
 一番大きな問題は、法律制定時以前に取得されていた教員免許も、新しい法律の対象にしたことだ。これは法治国家として常軌を逸した判断だ。過去の事例にさかのぼる法律を作ってしまうと、権力者はかんたんに歴史を書き換えることが可能になる。無罪だった者を有罪に、有罪だった者を無罪に。退職まで有効だったから取得したのに、時代が変わったら反故にするのでは、教員免許状に象徴される教員養成課程制度そのものの信頼が揺らぐ。

6275.10/15/2009
無意味な制度の一掃を story 2

 先日、運動会の練習があった。全校600人ぐらいのこどもたちが開会式の前の入場行進の練習をした。中心になって指導したのは、ことし6年目の男性教師だ。
 わたしはあまり気にならなかったが、彼には行進最中のこどものおしゃべりが気になったようだ。行進が終わったあと、ふたたび行進の練習をやり直させた。やり直しの行進をしても、わたしにはあまりおしゃべりのボリュームが低くなったとは思えなかった。しかし、彼は3度目のやり直しは命じなかった。
 放課後に、わたしは彼をつかまえた。
「朝の練習で、きみはこどもが行進のときにおしゃべりをしないような事前指導をどれだけやったんだ。その結果、静かにならなかったとき、自分の指導が悪かったとどれだけ反省しているのかを、教えてくれ」
「いや、とくに事前指導はしていません。歩かせた後で注意をしただけです」
「俺たちの仕事は、命令をして従順になるこどもを育てることではないんだよ。こどもに何らかの働きかけをして、その働きかけによって、こどもが育っていくことを導くのが仕事なんだ。何もしないで、うるさかったからといって、怒るなら、教師ではなくてもできるはず。次の全校練習のとき、きみがどんな働きかけをするのかを注目しているよ」
 彼は複雑な表情をして、わたしに背中を向けた。
 教員の研修制度ほど無意味で費用も人材も無駄なものはない。しかし、初任者から5年目までは研修の漬物ができてしまうのではないかと思うほど、行政は経験の若い教員たちを研修に参加させる。どうせ、たくさんやるなら、現場で役立つ内容を考案してほしい。
 わたしは教員になって3年目に、彼と同じように運動会の進行を担当した。同じように全校練習のときに、こどもにわたしの指示がうまく伝わらなくて悩んだ。職員室で先輩教師に相談したら、即答された。
「お前の指示が下手なんだよ」
 自分の思い通りにならないとき、それをこどものせいにしないでよかったと思う。だからこそ、先輩教師の言葉はすーっとこころに落ちた。
 教師の仕事が多くなり、若い教師が研修名目で放課後に出張に出かける。経験豊富な教師が若い教師の相談に乗る機会がなくなる。みんな自分のことで精一杯で、協力しあえなくなる。人事評価制度の導入以降、とくに加速した。結果がボーナスに反映される。自分の経験をひとに教えて、自分が埋没するかもしれない。そんなばかなことをする教師はいないだろう。こっそりして、困った教師がいても、見ないふりをするのだ。
 研修や人事評価制度以上に、無意味な制度が教員免許状の更新制度だ。
 これに反対できなかった日教組は、本当に組織率が落ちてパワーがなくなったんだなぁと痛感したものだ。
 教員免許状の更新制度は、一般のひとにはあまり知られていない悪くてひどい制度だ。

6274.10/14/2009
無意味な制度の一掃を story 1

 2009年8月30日の衆議院議員選挙で、日本の国会史上、初めて完璧に与野党が逆転する政権交代が実現した。それ以前の自民党と公明党による連立政権は、長期にわたり政権を担い、高度経済成長期からバブル崩壊を経て、現在に至る日本の経済を推進してきた。しかし、3年前の郵政民営化以降、政治の方向性が有権者の目指すものと離れていってしまったような感じがしていた。
 とくに学校の内側で仕事をしていると、教育に関する総理大臣の諮問機関が検討するなかみが、こどもや保護者の目線を離れ、権力者の思いを上から押し付けるものに変化していった。小泉、安倍、福田、麻生。それぞれの首相が4年間に在任した。世界から見たら、なんとリーダーが不在の国に映ったことだろうか。ころころリーダーが変わるわりには、教育政策は一貫して押し付けがましいものに針を振ったので、わたしはここ数年の教育政策の変化は政治家が仕掛けたものではなく、文部科学省の官僚が主導したものではないかと推測している。
 今回の衆議院選挙の結果を知っていたかのように、ここ数年の保守的で中央集権的な文部科学行政の中心にいた官僚たちは、続々と国の関係機関や法人に天下りをした。そのなかでもトップの事務次官だった官僚は、現在、国立博物館の館長におさまっている。しばらくは、国立博物館に行くのを控えようと思う。入館料の何割かが、その方がわずかに勤務し、膨大に受け取る退職金の一部になると思うと、とても自分の財布からお金を出す気持ちにはならない。
 駆け込み的に郵政民営化以降、学校現場に新たに導入された制度のほとんどは、意味がない。現場の職人たちのほぼすべてのひとが、こころのなかでため息をつき、悪態をつき、勧奨退職に応じようかなと考えたほど、意味がなく、無駄な仕事を増やした。
 特定の政党が長期にわたり政権の座にあると、政治家も官僚も、こどもや有権者の気持ちを知ろうとか、感じようとか考えなくなる悪態の証明だ。
 世界で統一した内容のテストをしてみたら、日本のこどもの成績が下位だった。
 やる気がないこどもが多いのだから、結果が悪いのは当然だ。しかし、官僚はその原因分析を誤った。結果が悪いのは、指導者が悪い。もしくは、授業時間数が短いのがいけない。いかにも、学生時代から学習成績が上位だったひとたちが考えそうなことだ。そういうひとたちは、多くのこどもから学習への意欲が低下していることを想像もできないのだろう。
 なぜ、学習意欲が低下しているのか。これだけ価値が多様化し、職業選択の幅が広がった時代に、基本的には50年前と変わらない方法で学校教育が行われているからだ。こどもたちは、教師の教えを信じることから始めなければならない。自らの頭で考えることや、興味あるなかみを選択することは許されない。
 それは、OECD加盟国のなかで飛びぬけて国家予算に占める教育費の割合が低い日本ならではの事情がある。
 金がないから、ひとを雇えない。ものをそろえられない。こどもに意欲をもたせる学習の構築などできるわけがない。

6273.10/13/2009
政権交代 story 3

 2009年8月30日。衆議院議員選挙で、自民党と公明党の連立政権は大敗した。
 選挙前勢力が7割も落選するという大敗北だ。
 麻生総裁は責任をとって辞職の意向。しかし、あまりにも小規模になった自民党では総裁候補すら見えてこない。秋の臨時国会で首班指名選挙が行われる。そのときには白票を投じる動きがあるそうだ。かつて麻生総裁を選んだのは自分たちのはずなのに、選挙で敗北すれば手のひらを返す。
 以前から自民党は政策集団ではなく、利益集団だと感じていた。考え方でつながっているのではなく、共通の利益でつながっている。利益がなくなれば、簡単に関係を遮断できるのだ。
 ただし、選挙で大勝した民主党の顔ぶれを見ると、以前は自民党だった議員がとても多いことに気づく。自民党の何が不満で離党し、現在の民主党に結集したのかわからない。利益が得られないと判断して離党したのなら、民主党でも同じことを繰り返すだろう。

 現在の選挙制度になって、これだけはっきりとした政権交代の結果が出た選挙は初めてだろう。一票を投じた有権者自身がここまで与野党が逆転するとは想像していなかったかもしれない。
 小選挙区は昔からのしがらみで、比例区は本音を。
 わたしの周囲にはそんな考えのひとが多かった。だから、結果はもっと差がつかないと思っていたのではないか。
 しかし、実際にはひとびとの生活苦はとても厳しくなっていたのだ。自分に与えられた投票権を行使して、あしたの生活がいまよりもよくなることを願った。投票率がとても高かったのだ。
 だから、民主党の議員や連立を組むといわれる社民党や国民新党の議員は、勘違いしてはいけない。多くの有権者は、自民党と公明党の連立政権にお灸をすえようとしたのだ。こんなにひどい生活になっちまったけど、何もしてくれなかったな。今回の選挙はその仕返しだ。下野して反省し出直してくれ。本音は、こんなものだ。
 民主党、社民党、国民新党のマニュフェストが、自分たちに投票したすべての有権者に信頼されて支持を得たと受け止めたら危険だ。それぞれの政党の支持者が急速に短期間で増大したわけではないのだ。
 政権交代が珍しくないアメリカやヨーロッパの国々と違い、日本では自民党の派閥間対立が政治の色を決めてきた。だから、自民党以外の政党が、本格的に衆参両院で多数を占める船出は、だれも航路を決めていない未知の旅路になる。
 未知の旅路は、決して順風満帆ではないことだけはわかっている。
 社会保険庁の年金問題。郵政民営化のツケ。拡大解釈による自衛隊の軍隊化。消費税頼みの経済対策。官僚を中心とした国家戦略の枠組み。
 いままでの政権が解決できなかった諸問題が、そのまま山積しているのだ。
 新しい政権は、それらと取り組みながら、これまでとは違う自分たちの公約を実行していかなければならない。舵取りは緻密に、エネルギーは莫大に。
 だから、わたしたち有権者は、簡単に「何もかわんないじゃん」と答えを出すべきではない。本当に何も変わらないのであれば怒るべきだが、何かが変わろうとしているかどうかを見据える力を育てておこう。

 それにしても多くの自民党と公明党のかつての衆議院議員が落選するなか、長老と呼ばれるひとや一族が政治家のこどもたちは、激戦を乗り越え当選した。その事実を、わたしはどう受け止めればいいのかわからない。これまでのように大勝するか、選挙全体を象徴するように大敗するかのどちらかだと思っていた。
 選挙があっても投票しないひとが多い。その習慣が長かった。これは、支持基盤がしっかりしている政党や議員には、自分への得票が読めるのでありがたいことだ。
 選挙に関心のあるひとが増えれば、もっともっと日本の政治は政権交代が当たり前のようになるだろう。

6272.10/11/2009
政権交代 story 2

 あまり知られていない総理大臣の給料について調べた。
 総理大臣は国家公務員特別職の扱いを受ける。すべての国家公務員のなかで給料は最高額だ。金額は、最高裁判所長官と同額である。
 年収ラボというホームページ(http://nensyu-labo.com/koumu_kokka_naikakusouri.htm)によると、2007年(平成19年)の推定年収がわかる。
 総理大臣の年収は、5141万円。公務員として、とんでもないほど高額だ。月収は約335万円。日割りすると10万円を超える。ボーナスは春と夏の2回あり、合計で1122万円。
 国会議員の年収は、2896万円。総理大臣は、両方の給料を受け取っているのかどうかは知らない。国会議員は、かなり高額の給料をもらい、さらに政党には助成金が億単位で支給されている。議員会館の使用料は無料だ。
 しかし、仕事のない日も10万円以上の給料が支給される総理大臣には、きっと路上生活者や、派遣労働者の悲哀は実感できないだろう。
 さらに国会議員(もちろん総理大臣を含む)は、JRの乗り物や一部の私鉄バスに無料で乗車できるパスを持っている。国鉄時代は、費用を国鉄が負担した。民営化されてからは、国会が利用実態を把握しないどんぶり勘定でJRに費用を負担している。私鉄はそれぞれの会社が費用を負担しているので、昨今は制度の打ち切りを模索している。
 給料は高額で、乗り物に不自由しない。選挙が近づくと政党の幹部は東奔西走するが、それは費用の心配をしないで済むという利点をいかしている。
 さらに、憲法は国会議員に3つの特権を与えている。
 国会の会期中は逮捕されない(不逮捕特権)。
 国会での発言や表決で責任を問われない(免責特権)。
 給料、退職金、通信費は国が支給する(歳費特権)。
 どれも、民間人は一生経験できない特権ばかりだ。
 そして、地元に戻れば「先生」「先生」と崇められ、公共工事の受注で利益を得た会社や団体から寄付や一族の就職斡旋などの特典を受ける。もちろん、全部の国会議員がそういうわけではないと思うが。いや、思いたいが。
 今回の選挙の争点にはならなかったが、代々一族で政治家になる世襲と呼ばれる制度。政治家のこどもが親の地盤を引き継ぐ。そのこどもがさらに引き継ぐ。戦国時代か、江戸時代の領主を思い出させる。たとえば、祖父から孫までの三代で政治家になる。すると、その一族では乗り物に乗るときにお金を払うという感覚が育たなくなると予想できる。手紙に切手を貼る習慣が育たない。切手を使ったとしても、費用は後日戻ってくるという感覚が定着する。毎年、大手企業の幹部クラスの給料が支給されるので、景気がどんなに悪くなろうが実感はわかない。
 わたしは、職業選択には自由があっていいと考える。だから、親や祖父母が政治家だからといって、当人が政治家を志してはいけないと制限をつける必要はない。しかし、日本の制度のように、一般人が立候補しにくい制度は早晩変革したほうがいい。立候補しても、当選しないかもしれないのに、日本の制度では兼職が禁止されている。それまでの仕事を辞して立候補する必要があるのだ。代々政治家の家系では、当選しなかった場合の選択肢というか、生き方が想定できるのだろう。しかし、選挙に無縁な家系のひとには、仕事を辞して、選挙に落ちたら、残るものは何もなくなってしまう。だから、世襲以外のひとが立候補する可能性が少なくなる。タレントやアスリートのように顔が知れたひとばかりが引退後の職業として選択するようになる。もちろん、そんなひとばかりではないと思いたい。

6271.10/10/2009
政権交代 story 1

 2008年9月。内閣総理大臣が辞職した。その前年、2007年9月にも別の内閣総理大臣が辞職した。
 2年間続けて、同じ時期に、日本の政府の長が辞職した。2人とも同じ政党の総裁も兼ねていた。
 2人も続けて、総理大臣が辞職した自民党は2008年9月総裁選挙を実施し、麻生政権が誕生した。
「麻生政権は選挙対応内閣だろう」
多くの有権者が確信した。
 政府の長が、2年も続けてたった1年の任期で辞職する。その責任を、国民に問う時期が到来したと判断したのだ。
 しかし、多くの有権者の確信を裏切り、麻生政権は延命する。政権を補佐するひとたちは、「経済政策を投げ出して選挙を行う必要はない」と公言した。だれも、経済政策を投げ出してほしいとは思っていない。だが、選挙をしないで、これ以上、いまの政権や与党に任せていて大丈夫だろうかという不安は増大した。
 わたしは、この時期の判断が、翌年の総選挙の敗北に大きくつながったと考える。
 そして、秋以降、アメリカ発のサブプライムローンの破綻に始まる世界恐慌。
 経済は一流、政治は二流と世界から揶揄される日本。その経済にまで影響が現れた。当然ながら、落ち込んだ経済を立て直す力は政治には乏しかった。年末から年明けにかけての、期間労働者や派遣労働者の大量解雇は、わたしたちの身近に経済不況が迫っていることを実感させた。
 わたしの知り合いも、多くが失職し、仕事が減り、給料が減った。
 おそらく、これまでそのひとたちは自分の生活と政治を結びつけて考えることは少なかったと思う。
 そのひとたちが、今回の総選挙で投票活動を行った。
 自分の一票で、苦しい生活を変えようと考えた。
 これこそ、民主主義の基本だ。
 選挙によって当選したひとたちが生活を変えるのではない。
 当選するひとたちを支えるひとたちが、自分や地域の生活に責任をもつのが民主主義だ。

6270.10/8/2009
日食フィーバー story 2

 硫黄島沖合い。日食見学のためのクルーズ船が航行していた。
 どこの観光業者の企画だろうか。
 日食を見るために客を集め、ほぼ大きなクルーズ船を貸し切り状態にしたツアーを企画できるのだから、大手だろう。
 年配の方もいる。若い夫婦もいる。こどもを連れた家族連れも多い。明らかに専門家と思われるひとたちよりも、一般のひとたちが多い。
 昨年の秋、アメリカで始まった世界同時不況。年末には国内でも多くの契約労働者や外国人労働者が解雇された。ことしに入ってからも、生産工場は稼動しない日が続いている。給料が減り、仕事がない。
 そんな最悪の社会状況のはずだ。
 なのに、日食を追いかけるひとたちの裕福ぶりは何だろう。なぜだろう。とても日本語が上手なアジアのどこかの国の金持ち観光客か。そんなことはなさそうだ。
 やはり不景気は人工的に作られたものだったのか。
 よのなかに出回っているお金の総量は変わっていない。不景気だからといって、お金の量が減っているわけではない。だから、給料を下げるというのはおかしいのだ。そんなことをしたら、一部の金持ちや資本家にお金が集中するだけなのだ。
 そうか、あの日食ハンターならぬ日食ファンは、裕福なひとたちの代表なのだ。だって、仕事がない時代、何とかくびにならずに仕事を続けているひとたちが、
「日食を見るので休暇をお願いします」
と上司に休暇願いを出すのは難しい。ましてや、日食は平日だったのだ。
 お金があって、仕事に困っていないひとしか、日食を追いかけられない現実を、メディアは伝えない。
 もちろん、なかにはすべてを日食にかけている純粋なファンがいる。だから、すべてのファンがそうだとは言わない。しかし、生活を切り詰めて全世界を冒険する野心家や、大海を乗り切るヨットマンのような緊張と経験のしわを感じるひとは少なかった。
 日本人は国民性として熱しやすくさめやすいと言われている。
 わたしは、これは嘘だと思う。もともと国民性という考え方がおかしい。一億人もいて、同じ傾向を抽出すことなど意味がない。
 それでもあえて、一つのことに集中し、喉元を過ぎるとパーっと忘れてしまう傾向が強いとしたら、それはメディアにだまされているのだ。新聞、テレビ、ラジオ、最近ではインターネットの情報も含めて、わたしたちが目や耳にする情報は一方的なものが多い。事実か嘘かを調べるのは難しい。基本的にはみんな信じているのだ。だから嘘ばっか流されて情報をコントロールされたら、たちまち多くのひとはだまされてしまう。
 こういう情報コントロールを、日本のメディアは封建時代も明治以降の近代化時代も得意としていた。
 日食という自然現象をこれだけ取り上げるのなら、ひとびとの生活に直結する地震や竜巻、台風や日照りをもっともっと取り上げてもいいのではないだろうか。ひとびとの生活に直結し、いのちの危険と向き合うようなことでも、珍しいことではないと、メディアは取り上げないのか。
 ちなみに、この見学ツアーには後に失踪騒ぎを起こす有名女性タレントが、自称プロサーファーの夫と子連れで参加していたことがわかっている。旅行中に覚せい剤を打っていたので、旅行の目的が日食だったのか、覚せい剤だったのかはわからないが。