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過去のウエイ

6269.10/6/2009
日食フィーバー story 1

 46年ぶり。そう聞いていやなものを感じた。もうすぐ47歳になるわたしは、前回の皆既日食のときに生まれたのだ。前回も今回も見たいとテレビカメラの前で語る日食ファン。その方は、わたしの生きた時間と同じ時間を、ひたすら日食を見たくて待ちわびてきたのだろうか。
 今回の日食は、太陽の光を月がすっぽり隠してしまう皆既日食と呼ばれるもの。地上に光が届かなくなる。昼間なのに、あたりは闇に包まれるのだ。
 月の400倍も大きい太陽。それなのに、地球からの見た目では同じ大きさに見えてしまう。それは、太陽と月の距離がちょうど地球から400倍の違いがあるからだそうだ。宇宙の偶然はよくできたものだ。
 2009年7月22日。日本時間では午前9時過ぎからお昼ぐらいまで各地で日食が観測された。残念ながら、トカラ列島の悪石島では大雨の影響で観測できなかった。今回の日食がなければ、わたしはアクセキジマを知らなかった。もしも知ったとしても、その名前から無人島だと想像しただろう。悪石島は、地上では6分以上も皆既日食が継続すると予想されていた。地上でそんなに長い時間観測できるのは珍しいことだそうだ。全国から天文ファン、日食ファンが悪石島に集まった。だれがどこから用意したのか、小学校の校庭みたいなところに同じ規格のテントが並んでいた。
「いやー、暑くてたまんないね」
何日も前から悪石島のテントで日食の瞬間を待ちわびていた男性が、取材に応じていた。九州と沖縄の間だ。そりゃ、この時期は暑いだろう。蒸しているだろう。テントにエアコンはないだろう。
 悪石島では、人口の10倍近いひとたちが集まり、みやげ物屋が登場した。夏祭りの踊りの披露もあった。わたしは、単純にあのひとたちのトイレを心配した。排泄物の処理はどうしたのだろうか。仮設トイレは、かなり頻繁に交換しないとたちまち汚物で満杯になり使用不能になる。産業処理業者が常駐したのかもしれない。
 7月21日。自民党の麻生総裁は、衆議院を解散した。昨年秋の就任以来、何度も「いつ辞めるのか」が話題になった総裁は、ついに任期ぎりぎりまで勤め上げた。それなのに、今回の衆議院選挙では負けることが必至のようにメディアに叩かれている。選挙に必ずはありえない。何があるかわからないのが選挙だ。メディアの一方的な報道には首を傾けたくなる。スポーツ新聞のなかには、大きな活字で議席数の予想まで出しているものもある。大はずれだったら、だれかが責任を取るのだろうか。
 しかし、この重大事を忘れてしまうほど、日食祭りは全国を駆け巡った。
 正直言って、わたしはどうでもよかった。空を見上げて太陽が欠けることを確認できればラッキー。でも、直接見てはいけないと新聞もニュースも訴えている。ならば、見ないという選択肢があった。なのに、その日が近づくと、新聞もテレビも日食一色になってしまった。
 そんなに日本人って自然科学に敏感だったっけ。

6268.10/5/2009
坂の下の関所 8章 story 135

 ニコニコしながら、中田さんがスーツケースを床に置く。
「俺のでよかったら、酒がありますけど」
「ありがとう、いただこうかな」
わたしは、若女将からコップを受け取り、中田さんに渡す。
「山猿っていう山口県のお酒。珍しいんですよ」
一杯、口に含み、味わいながら中田さんは、山猿を飲み込んだ。
「米と麹の味が、口のなかで広がっていくね」
さすが、中田さんは通だ。
「どれ、わいにも寄こせ」
黒木さんが、空になったビールの容器を突き出す。
 きみは、日本酒は飲まないんじゃなかったのかな。
 わたしは、仕方なく、山猿を注ぐ。ビールの泡と混ざって、やや白濁した。
「中田さんは、フィットネスから平塚に移ってもう長いんですよね」
「うん、そう」
「また、そろそろJR関係の別会社に異動するんですか」
 営業職の意地で、自分のからだを犠牲にしている黒木さんに聞こえろー。
「フィットネスの時代は、JRからの出向だったんだけど、いまは、もう平塚のルミネビルの正式な社員なんだよ。だから、ほかに行くことはないんだ」
 中田さんは、分割民営化以前の国鉄時代から国鉄で働いていた。
 ずっと事務職で、切符の売り上げ計算を中心に本社での仕事を長く経験した。
 分割民営化とともに、いくつかの子会社へ会計事務の責任者として派遣された。最後は、多摩の方にあったフィットネスクラブの会計をしていると聞いた。家に帰る時間が遅くなって大変だと嘆いていた。
 数年前に平塚に移ったんだと、喜んでいた。東海道線一本で通勤できる距離、ラッシュとは反対方向の通勤、どちらもからだにはよかったのだろう。
「じゃ、JRは退職したことになるんですね」
「ま、そういうこと」
 長年、勤務してきた会社を辞めるというのは、どういう気持ちだろう。まだ働き盛りの中田さんのような専門職を、退職させる会社に未来はあるのか。給料の安い若い人材ばかりを集め、専門的な技術が必要な部分は出向社員や派遣社員に任せる。コスト削減が至上命題の日本株式会社。
 すでに、沈没していることを、みんなで認めていきましょう。
 アメリカは4兆円。日本は11兆円。まだ食べられるのに捨てている食品の総額だそうだ。2008年度一年間での金額だ。日本の人口はアメリカの約半分なのに。
 見栄とはったりと無駄の社会。
 わたしは、壁の時計を見上げる。
 8時を過ぎた長針は、6の数字に近づこうとしている。
 リュックを背負う。
「お先に」
「なんやねん、もう帰るんか」
だって、もうずっとここにいるんだから。
「いま、来たばかりなのに」
そうそう、中田さんはね。
「ごゆっくり」
 わたしは、若女将に手を挙げる。背中に、黒木さんと中田さん。ふたりは、いつもの関所のメンバーではない。でも、そういうひとでも地元に生きて、地元で暮らしている。単身赴任で、たまに帰ってきたときでもいい。仕事帰りに、知り合いを見つけたときでもいい。それぞれに、その気になったとき、気軽に立ち寄り、少しのアルコールで、コミュニケーションをはかる。
 わたしが、最後までふたりに付き合ったら、きっとふたりは今後もわたしがいないと関所には入らないだろう。それでは、意味がない。わたしは、ふたりを関所に引き寄せた。その役目を果たせただけで十分だ。そこから先は、それぞれの気持ちで動けばいい。
 ひとがひとの生き方をしにくい日本株式会社。
 自殺者は、年々増加し続ける。生きにくいよのなかから、生きられないよのなかへ。
 一部の金持ちと、一部の資産家と、一部の御曹司にばかり、富が集中する社会。
 ため息をつくことは簡単だが、これらを変えていくことは容易ではない。
 どの街にも、関所が増えるといい。ひととひとが、一日の決まった時間に顔を合わせ、意味のあることからないことまで、会話を交わす。酒屋でもいい。碁会所でもいい。公園でもいい。花屋でもいい。八百屋でもいい。喫茶店でもいい。
 考え方の違うひとどうしが、よのなかを支えていることを、日々、感じ取ることができる場所が、わたしにとっての関所なのだ。

8章・終わり

6267.10/3/2009
坂の下の関所 8章 story 134

 わたしは、山口県の日本酒「山猿」が入ったコップ。黒木さんは生ビールが入ったプラスティック容器。ふたつをあわせて乾杯をする。
「浜松に行ったのって、いつ頃だっけ」
黒木さんは、静岡の前は浜松勤務だった。
「ちょうど、去年のいまごろ」
 割れたせんべいを集めた吾作をあげる。
「じゃ、一年も経たないうちに異動になったの」
「浜松は閉鎖。静岡は新規」
 たしか、黒木さんは浜松に新しく作る営業所の所長として単身赴任したのだ。
「じゃ、世界的な不景気の影響を受けて、浜松での営業は難しかったんだ」
「あー、もう秋には閉鎖の話を本社から言われてた」
 はや。
 企業とはそういうものか。
「浜松に比べたら、少し静岡ならこっちに近くなったね」
 週末に地元の少年野球のコーチをしている黒木さんは、そのたびに鎌倉に戻ってくる。少しでも近い方が便利だろう。
「本社からは、もう東京へ戻って来いって話やったんだわ」
「そりゃいいじゃん。なんで、静岡なのよ」
 黒木さんは、ひじでわたしの肩を小突く。
「俺にも、意地ってものが、あるわけよ」
「だって、浜松でうまくいかなかったのは、黒木さんの責任ではないでしょ。世界的にどうにもならない流れだったんだから」
「そんなことはわかっとるがな。そやけど、つぶれた営業所の整理をして本社に戻ってみ。同期や後輩にどう思われる。負け犬や、それしかない」
「いいじゃん、それでも」
「センセーは企業の恐ろしさを知らないから、そんな甘いことが言えるんだなぁ」
「いいだろ、恐ろしさなんて知らないほうが、身のためだもん」
「あかん、話にならん」
 黒木さんの本心はわかっていた。でも、企業で営業職として働く責任感の前に、自分の生活や健康をつぶしてほしくないのだ。わたしは、彼が東京勤務だったとき、何度も早朝6時半頃に、大船からふらふら帰宅する姿を見ている。接待で遅くまで飲み歩き、早朝の電車で帰宅。わずかな時間だけ休んで、ふたたび出勤。そんな生活ではからだが悲鳴を上げる。
「あ、中田さんだ」
 痩身の中田さんが、スーツケースを手にして関所の前を通り過ぎる。わたしと黒木さんに気づいて、関所に入った。
「久しぶり」
中田さんも、黒木さんと同様に、ソフトボールをいっしょにやった仲間だ。わたしや黒木さんよりも年上だ。

6266.10/1/2009
坂の下の関所 8章 story 133

 梅雨が明けた。
 少なくとも関東地方は明けた。
 気象庁が発表した。すると、急にしとしとじめじめ雨降りの天気が続く。7月後半は、気象庁泣かせの気圧配置なのだろう。ニュースでは1993年の夏も「明確な梅雨明けは確認できなかった」と気象庁が認めたそうだ。梅雨からそのまま秋に移行した。当然、夏は記録的な冷夏になる。農作物が受けた被害は甚大だった。
 ことしも冷夏なのだろうか。
 7月23日。関所のひとびとは、翌日の仕事に備えてすでに帰った。
 わたしは、仕事はあるのだが、夏休みに入っていたので、こどもたちがいない。こどもたちがいない学校は、やろうと思うことを、いつやってもいい自由がある。
 こどもたちがいると、授業時間が決まっているので、授業の準備やプリントの作成、教材の用意などは、こどもたちが帰った後にならないとできない。放課後は、いつも暇なわけではない。職員会議、学年会議、研究会など話し合いが入ることが多い。だから、用事のない時間を見つけて、自分の仕事をする。
 しかし、夏休みはこどもがいない。会議もない。だから、出勤してから退庁するまでの時間を自分でコントロールできるのだ。この自由度は、気持ちを楽にする。
 何しろ、ふだんは服務上、職務専念義務という規定があって、教員は学校の敷地から勝手に出てはいけないのだ。こどもたちを連れて近くの公園に行こうと思ったら、数日前から申請書を出して許可を必要とする。しかし、夏休み中は「ちょっとそこまで」と挨拶をして、近くの100円ショップや本屋に行くことも自由だ。
 そろそろ、俺も帰ろうかな。
 そう思ったとき、自動ドアの向こうを懐かしい知り合いが通過した。
「よ」
わたしは、片手を上げて合図を送る。自動ドアが開き、知り合いが関所に入る。
「また、きょうも飲んどるのか」
こどもが小学生や中学生だったとき、保護者のソフトボールチームでいっしょにプレーをした黒木さんだ。営業の仕事をしていて、いまは静岡市に単身赴任している。
「きょうはまだ週の中日なのに、戻ってきたの」
「東京で会議があった」
「そっか、そんで自宅に帰って、あした静岡へ」
「あしたもおる。東京でまた会議がある」
 博多出身の黒木さんは、どこに行っても博多言葉が出てくる。これで営業職がつとまるのだろうか。
 会うのはとても久しぶりだ。でも、ソフトボールチームのメンバーとして何試合もゲームをした経験は、時間が経過しても、互いの関係を変わらないものにしている。
「なに、のんどる」
黒木さんが、わたしのコップを覗き込む。
「日本酒だよ、飲む」
「いや、日本酒はあしたがつらくなる。生ビールをください」
 ちゃんと標準語も喋れるじゃん。

6265.9/30/2009
坂の下の関所 8章 story 132

 わたしの母は、独身のときから、結婚後も、自宅で革製品の仕立てをしていた。
 多くは牛革を使っていたが、品物によってはワニやイタチなど、珍しい皮も扱っていた。すでになめされた革が届くのだが、それでも生き物独特の臭いが家の中にこもっていたことを思い出す。
 母は、おもに輸入革製品を扱う銀座や築地のお店に完成品を送っていた。イブサンローランやシャルルジョーダン、ルイビトンやシャネルなど外国のブランドから、作り方を書いた書類と革、革にブランドロゴマークが印刷されたものが送られてくる。それを使って、革専用の工具とミシンで作り上げるのだ。それで、メイドインフランスなのだから、いんちきだと、こどもながらに思った。
「メイドインオーフナじゃ、お客さんが買わないでしょ」
悪びれることもなく母は弁解した。オーフナってことはないだろう。
 だから、革製品が高額なのはこどもの頃から知っている。たとえ国内のメーカーでも、同じことがいえる。
「キタムラのバックって、Kマークだよね」
「そうそう、だから、わたしはずっと亀甲萬だと思っていたのよ」
 プッ。
 いくら、酒屋だからって、醤油メーカーとバックメーカーが同じだなんて。
「キッコーマンも、ずいぶん、しゃれた商品を作るのねって、長いこと、思っていたんだ」
 醤油作りを軽蔑するつもりはない。
 大豆から作り出す醤油には、いくつもの工程があって、時間や手間がとてもかかることを知っている。完成した醤油の一滴は、日本酒にひけを取らない価値がある。
 その同じ蔵の別室で、革のなめし職人がいて、日夜、牛の皮をなめして、のばし、カットして着色する仕事をしている。
 そういう絵は想像できない。そこを、いともかんたんに飛躍していく若女将の自由な発想はすばらしい。
「あー、佐藤さん、はやーい」
神輿をかついだ疲れを背負って、横浜から佐藤さんが帰ってきた。
「お疲れ様です」
わたしは、佐藤さんが通りやすいように通路を開ける。
「そういえば、また8月に築地に行く予定なんですけど、佐藤さんは注文がありますか」
荷物を床に置き、上体を起こしながら、佐藤さんは顔を上に傾けて考えた。
「そうだ、またジャコをお願いします」
「前回、500グラムも買ったけど、もうなくなっちゃったの」
「前は、わたしがお弁当に使う程度だったんだけど、こないだのジャコあたりから、こどもたちがごはんにかけたり、弁当に入れたりするようになって、減り方が激しくなってしまったんです」
 築地でジャコやちりめんを専門に扱う日本丸大の親父が聞いたら喜ぶだろう。高級料亭ではなく、育ち盛りの若者たちに好まれているジャコ。いい品物を卸して売っていると自信をもつだろう。

6264.9/29/2009
坂の下の関所 8章 story 131

 関所周辺はいくつかの町内会から構成されている。
 いまでは町内会という言い方をするが、昔は部落と呼んでいた。その後、部落という言い方は、被差別部落をさす差別用語となり、文章やテレビ、ラジオの世界からは消えた。しかし、日常生活では、古くからのひとはいまでも部落をふつうに使っている。
「こないだ、部落の会合でさぁ」
この辺でもっとも大きい山崎町内会で役職にある東さんはよく言う。
 町内会組織はきっと全国的なものだろう。
 古くからの地域の町内会は伝統があるので、きっと江戸時代以前から続くひとの集まりの単位なのではないかと想像する。
 新しくできた住宅地やマンションにも町内会ができる。しかし、新しくできた町内会は、ひとのつながりが希薄なので、組織はあっても機能はしない。せいぜい冠婚葬祭の回覧板がまわる程度か。
 関所周辺には、山崎、戸ヶ崎、富士見町、末広、台などの大きな町内会がある。そのなかで、現在も神輿を使った夏祭りをしているのは、山崎と富士見町だ。
 ことしの山崎の夏祭りは7月19日だった。
 大将や佐藤さんなど、多くの担ぎ手によって、神輿は北鎌倉方面まで練り歩いた。夕刻には、関所の前で神輿をもんだそうだ。
「佐藤先生って、声をかけたんだけど、向こう側にいて、聞こえなかったみたい」
若女将が、祭りの翌日に佐藤さんに言う。
「ここに来たときには、もう自分でもどこで何をしているのか、わからない状態でした」
麻酔科の佐藤ドクターは、神輿をかつぎながら、自身の脳内物質で酔っていたのだろう。
「ママさん、暑いなぁ、クーラー入れてよ」
奥から、シンロートの相田さんが注文する。
 そうだ、そうだと、わたしはリュックから新作のショルダーバックを取り出す。
「いかがでしょうか」
洋裁の腕がある若女将に、手芸作品を作ると見てもらう。
「あら、また作ったの。今度は、マチがしっかりしていて、すごい。模様もあわせていて結構結構」
どんなことでも、ほめられるのは、嬉しいものだ。
「もう、ずいぶん、作品が増えたんじゃないの」
仕事上、刺繍やバック、巾着を作り始めた。そのうちにおもしろくなり、時間ができると構想を練り、作品を作っては、生活に使っている。
「うん、かなりね。お店ができそう」
「そういうの、ブランドっていうんでしょ。すごいじゃないの」
 巾着やショルダー、布巾にブランドがあるのかどうかわからない。
「わたし、ブランドものって、全然知らないの。以前、キタムラのボストンバックをいただいたことがあって」
キタムラのバックといえば、丈夫で長持ち、いい革を使っている。そして、値段が高い。ボストンバックのように大きなバックなら、かなりの高額だ。

6263.9/26/2009
坂の下の関所 8章 story 130

 一杯の山猿で済ませるためにホッピーを飲んでいる。
 しかし、カンちゃんの話題につきあうには、もう一杯の山猿が必要になった。
「自閉的傾向を直すことは難しい。だから、なるべく小さいときから家庭と学校、病院などの専門機関が協力して、よのなかとつきあう方法を何度も何度も繰り返し教えていく必要があるんだ。でも、勉強ができるケースでは、友だちが少なくても、ときどきわがままなことを言っても、親や教員は大目に見て、何も矯正指導をしないまま成長させてしまうことが多いんだ。そういうこどもが、いざ就職となったとき、勉強だけでは通用しないことに気づき、挫折しちゃう。だから、30歳に近いのに、自閉的傾向を直す指導を受けてこなかったというのは、今後、社会的生活を送るのには、かなりの困難を覚悟する必要があると思うよ」
「そっかー」
カンちゃんはため息をつく。
「でも、だからといって、何もしないでいると、状況はいまよりも悪くなる」
 カンちゃんの話。本当に知り合いから相談を受けた話なのかは、わからない。
 障害に関する相談は、いままでいくつも受けてきた。
 自分や自分のこどもが、自分の家族が障害者なんです、と率直に相談するひとはあまりいない。自分のこととして考えたくないので、知り合いや友だち、同僚など他人からの相談というかたちをとることが多いのだ。だから、あまり単刀直入なアドバイスをすると、かえって相談しに来た本人がへこんでしまう。
 カンちゃんのため息をどう読むか。
 知り合いを例に出したけど、じつは自分が関係していることなのか。
 知り合いにこのことを伝えるのは、気がめいるのか。
「コミュニケーションがうまく取れないというのは、結果的にひとづきあいが悪くなる。だから、気持ちを整理させるトレーニングと、整理した気持ちを言葉や文字にするトレーニングが必要なんだ。幸い学力が高いみたいだから、そういう事情を説明すれば、意欲的に取り組んでくれるかもしれないね。それから、社会性が低いというのは、結果的に組織からはみ出さざるを得なくなる。日常的に、上司や同僚、関連する部署などとのひとたちとの付き合い方や言葉の使い方などのトレーニングを積む必要があるよ」
「どうして、仕事が長続きしないんだろうっていう質問への答えは」
「そんなのいらない。そんな答えがわかったところで、状況はなにも変わらないのだから」
「じゃぁ、こうすればいいというアドバイスが必要なんだね」
「その通り。ただ、さっきも言ったけど、そのトレーニングには時間がかかるから、30歳に近いという年齢は、いまからすぐに効果が現れるとかんたんに考えない方がいいよ」
「もし、そういうトレーニングを拒否したら」
「きっとよのなかに対する漠然とした不満がふくらんでいくだろうね。そして、あるときその不満が爆発する。それは、自分に向かうかもしれないし、周囲へ向かうかもしれない。手首を傷つけるかもしれないし、爆弾を用意するかもしれないってこと」
「えー、そうなっちゃうの」
「あるいは、家族が手におえなくなって、長期滞在型の病院に入院させるかね」
 発達障害に対して、きちんとした指導と支援をしなかったツケは、最終的にだれが負うのか。いまのお粗末な日本の精神医療体制では、明確な位置づけがされていない。

6262.9/23/2009
坂の下の関所 8章 story 129

 吾作の袋に青いマジックで名前を書く。全部を一度に食べきることはできないので、キープしておくから、名前が必要だ。
「わたしの知り合いに相談されたんだけど」
カンちゃんは、生ビールがなみなみ入った大きなプラスティック容器を片手にこっちに来る。
「知り合いの知人が、どうもふつうとは違うみたいなのよ」
ビールをぐいっ。わたしが棚に置いた吾作の袋に手を伸ばし、慣れた手つきでゴマせんべいを抜き取る。お前か、ひとのせんべいを勝手に少しずつ食べていたのは。
「そのひとは、30歳に近いのにいつもお母さんといっしょなんだって。そして、人生とか仕事とかの相談にのってほしいって来たらしいの」
カンちゃんの知り合いは、カウンセラーか。それとも、占い師か。占い師が客のことで知人に相談する姿は想像しにくい。
「いまのよのなか、30歳だろうと40歳だろうと、親と切れないひとは珍しくないよ」
「それがね、頭はめちゃくちゃいいらしいの。高校や大学は進学校を卒業しているし」
そもそもいい頭とは、どういう頭をさすのか。そこらあたりのことは、一般のひとたちはあまり気にしないのだろう。学校の勉強ができて、進学校を卒業していると、すばらしい脳の持ち主と認められる。そういうことに疑いを持たない。
「でもね、仕事が長続きしないらしいんだ。どんな仕事に就いてもひとづきあいができない。だから、職場で浮いてしまう。孤立するんだね。そのうち、退職しちゃう」
「それって、辞職なの、解雇なの」
「たいがい、自分で仕事に行かなくなって、それが何日も続いて、辞めてしまうみたい」
 胸のポケットに辞表を忍ばせて、課長の机に叩きつけるという方法ではないらしい。
「俺は、カンちゃんの知り合いとその知人がどういう関係かを知らないので、一方的なことしか言えないよ。つまり、そのお母さんと切れないひとの言い分はなしで、知り合い側の言い分に沿って判断するってこと。そこから判断すると、そのひとはおそらく発達障害だね」
「障害っていっても、受験をして大学も卒業しているんだよ」
「発達障害のうち、自閉症スペクトラムと言われる脳をもつひとは、大脳に問題がないケースが7割なんだ」
「むずかしー。なんかセンセーみたいな言い方」
しょうがねぇだろ、職業なんだから。
「ま、言葉はどうでもいい。自閉的傾向とでも思っていてよ。この場合は、ひとづきあいがうまくいかないということだから、コミュニケーション不全が大きいね。もしも、退職の流れがなんとなくいつの間にか辞めているのなら、社会性不全も含まれるなぁ」
 自閉的傾向の三大要素。コミュニケーション不全、社会性不全、イマジネーション不全のうち、二つも特徴が見られるというのは、かなり重症だ。
「知り合いは、そのひとにどんなアドバイスをすればいいのかな」
「まず、病院に行って、正しい診断をしてもらうことだね」
「病院って、科目は」
「そりゃ、精神科でしょ。いまはメンタルクリニックとか、ハートクリニックなんて、おしゃれなネーミングの精神病院が増えているから抵抗感は少ないと思うよ」
「それでもなぁ、いきなりそんなことを言ったら、怒り出してしまうんじゃないのかな」
「怒らせればいいじゃん」
 そんなことで怒るのであれば、大した問題ではない。

6261.9/21/2009
坂の下の関所 8章 story 128

 7月16日。関東地方は梅雨明けをした。
 梅雨明けと言われる以前から、湘南地方は猛烈な夏の日差しが連日降り注いでいた。
 ふだん日本酒を飲んでから、ホッピーでアルコール調整をしているわたし。さすがに、関所にたどりついたとき、喉の渇きをうるおすために、まずホッピーを買うことが多くなった。
「はい、140円ね」
若女将に百円玉を二枚渡す。関所で140円と言ったら、ずばりホッピーだ。若女将は迷うことなく、おつりの60円をくれる。
 クーラーのなかで、きょうもきちんと整列しているホッピー連隊。最前列の一本を手に取る。栓を抜く。コップに、トトトトトと注ぐ。上部3割ぐらいが泡になる。わたしは、それを一気に喉に流し込む。ぐいぐいぐいぐい。
 麦とホップの香りが喉の奥から鼻をつく。炭酸が喉から、声帯、気管支、食道を刺激しながら通り抜ける。アルコールがないので、コクやうまみはない。ビールの味がする炭酸刺激飲料だ。
 日本酒以外で酔う必要のないわたしには、こんなに適した飲み物はない。
「うまっ」
わたしは、二杯目をコップに注ぐ。赤坂さんが珍しいものでも見る目で、こちらを眺めても気にならない。
「あーあー、カンちゃん来ないかしら。センセー、メール来てないの」
なんで、わたしの携帯にカンちゃんがわざわざメールを入れるんだ。会いたいのなら、女性同士、若女将の携帯にメールが入るだろう。
「いま、何をしているか、呼び出してみればいいじゃん」
「ま、いいわ。今週は早いって言っていたから」
 なんだ、わたしの知らないときにカンちゃんは店に来て、若女将とスケジュールについて打ち合わせをしているではないか。
 わたしは、空になったホッピーのビンを床に置く。クーラーから山猿の一升瓶を取り出す。割れたせんべいばかりを集めた吾作が少なくなっている。山猿を棚に置き、吾作のかごを調べる。たくさんゴマが入っているのはどれだろう。
「あー、カンちゃん、来たぁ」
自動ドアの外を眺めていた若女将が歓声を上げる。いつもカンちゃんが登場する時間にしては早すぎる。いくら仕事が早く終わっても、東京から戻るのに、こんなに早くは帰って来れないだろう。
「おっす」
カジュアルな服装でカンちゃんが来た。きょうは、仕事が休みだったのかな。
「また、ちょっと、太ったんじゃないの」
うるさい、うるさい。この体格ハラスメントめ。
「これ、ちょうだい」
体重攻撃を無視して、わたしはせんべいの袋を若女将に渡す。お金を払って、焼酎コーナーに引っ込む。
「わたしさぁ、センセーに聞きたいことがあったんだよね」
ぎょ。そろそろ帰ろうと思っていたのだが。

6260.9/18/2009
坂の下の関所 8章 story 127

 数分後、佐藤さんから携帯に電話が入る。
「用事を済ませてから、そちらに向かいます。また電話をします」
 生ビールを飲み終えた。手作り豆腐を食べた。海老のシンジョウをつまんだ。次は日本酒にしようと思った頃、佐藤さんから電話が入った。
「なんていうお店ですか」
「し・ん・か・い」
「どこにありますか」
「うーんとね、地下」
 酔いがまわった頭では、何かを説明するのは難しい。わたしは携帯を若女将に渡す。どうやら、待ち合わせ場所を決めたらしい。若女将はいったん店を出て行った。
 大将、若女将、佐藤さん、わたし。七夕の宴会が始まった。
 新海は、鳥恵からの常連客がついているらしく、客足が途絶えることがなかった。わたしは、日本酒がうまくて嬉しかった。
「ま、ここにすわんなよ」
注文を取りに来たお姉さんをくどく。
「マスターの奥さんですかって、聞かれるんですけど、違うんですよ」
そうなのかそうなのか。
 新海さんは俺よりも2つ下だ。だから、40台前半になる。
「新海さんよりも、ずっと年下なんでしょ」
「えー、10才以上も」
ということは、30台前半か。やだやだ親父はすぐにこういう計算をしてしまう。
「お店で働く前は」
「栄養士をしていました」
「栄養士って、管理栄養士かな」
「えー、そうです」
 わたしは、仕事柄、管理栄養士のひとたちとはつながりがある。
「いつか、自分でお店を開きたいんです。そのためには、調理師の資格も必要かなと思って、ここで働いているんです」
 飲食店を開くには、衛生管理士の資格は必要だが、厳密に言うと、調理師の資格は必要ない。もちろん調理師の資格をもっていて損をすることはない。
「センセーもね、いつか自分でお店を開こうとしているの。いいじゃない。そのときに調理をしてもらったら」
若女将の話はかなり飛躍している。
「えー、そうなんですか」
 運命なんて、どうなるかわからない。この先、何かの縁でつながることがあるかもしれないし、永遠に重ならない人生を歩くことになるかもしれない。しかし、若い女性が自分の夢を実現するために、飲食の仕事を選択した清清しさが嬉しかった。管理栄養士の仕事だけを続けていれば、調理のひとたちの苦労は見えにくかったかもしれない。栄養と調理の両方を習得したマダムの店が大船にできるとしたら、わたしにとっては強敵現るだ。
 この出会いは、七夕だからかなぁ。