6259.9/17/2009
坂の下の関所 8章 story
126
大船仲通。
代々木ゼミナールへ続く道が交わる。道路幅の広いその道は通称「代ゼミ通り」と呼ばれている。代ゼミ通りを歩くと、右手にリリアンという手芸専門店がある。わたしは、いまの仕事に就くまで手芸にはまったく興味がなかった。しかし、仕事上、刺繍や縫い物を教えなければならなくなってから、すっかりはまってしまった。リリアンにはよく通う。
そのリリアンを通り越して最初の交差点。右の角にビルがある。地下に下りる階段。景気がよかったときには、この地下には数軒の飲食店が入っていたが、いまでは、たった一軒しか入っていない。新しく開店した新海だけだ。
階段を下りて、暖簾をかきわけ、店内に入る。
「いーらっしゃいませー」
異常に大きい声で迎えてくれる。
店長の新海さんは、わたしの中学校のときの野球部の後輩だ。実家は、大船では有名な鶏肉専門店「鳥恵」。高校卒業後、ずっとそこで働いてきた新海さんは、やっと自分の店を持つという夢をかなえたのだ。
板場のなかに新海さんを見つける。こんちは。目で合図を送る。
「わぁ、センパイ。また来てくれたんっすんか」
探すまでもなく、大将と若女将は入り口に近いテーブルに陣取っていた。
わたしは、ふたりを挟むお誕生席に座る。若いお姉さんが冷たいおしぼりを運ぶ。手を拭いて、おでこから顔を拭く。冷たさがしみる。
「お飲み物は」
瞳がくっきりしたお姉さんは、髪の毛を後ろで束ねている。新海さんの奥さんか。大船でお店を張るには、家族総出じゃないときついのかな。
「生チューをお願いします」
「あら、珍しい」
すでにジョッキの半分までビールが減っている若女将。
「きょうは七夕でしょ。なんかいいことあるかなって思いながら帰っていたんだ」
「いいこと、あっただろ」
ビールが終わり、焼酎を飲もうとメニューを見る大将。
「ねぇねぇ、佐藤さんにも連絡をして」
いつもレジで働く若女将、注文の品物を運ぶ大将。休みの日のリラックスした気持ちが表情に出ている。
「あのひと、携帯見ないんだよね」
わたしもそうだが、佐藤さんも携帯にメールをすると、返事が来ない。数日後に「見ました」という返事だけということもある。一応、電話をした。緊急の手術が入っていたら、つながるはずがない。
「はい」
「あ、俺です」これじゃ、大将と同じだ。
「いま、電車のなかです」
「申し訳ない。用件だけ伝えます。大船で大将と若女将と飲んでいるので、大船に着いたら電話をください」
6258.9/16/2009
坂の下の関所 8章 story
125
わたしは、夕方の富士見町を歩いていた。火曜日は関所が休みだ。
七夕だった。
このまま帰るか、鳥藤に寄って行くか。とても重要な決断をしなければならない。鳥藤に寄るなら、帰宅しての夕飯は、なしにする。人間ドックが近いというのに、喰いすぎは厳禁だ。夕飯を食べないなら、早めに自宅に連絡する必要がある。妻が夕飯の支度をしている。「もっと早く知らせてくれれば、一食減らせたのに」と小言を言われないように。
7月の風は熱く、湿気を含んで重い。だいぶ太陽が傾いたとはいえ、日差しは遠慮なく、腕や足、肩や首を直撃する。
早く帰ってお風呂で汗を流す。
鳥藤のギンギンに冷えた生ビールで生き返る。
究極の選択に身もだえをする。
そんなときだった。ポケットの携帯電話が揺れた。
大将からだ。
「もしもし」わたしは、相手を確認するまで自分の名前を言わない。
「あー、俺」これじゃ、確認のしようがない。
「なに」用件を聞く。
「いま、どこ」
「帰り道だよ」
「だから、どこ」
「えー、富士見町の小川さんのところ」
小川商店は、地元の農家の野菜をたくさん並べる貴重な八百屋だ。
「俺たち、いま新海」
「はぁ」
「だから、新海だよ、し・ん・か・い」
そんなのわかっているって、まさか夫婦で深海に潜っているわけではないだろう。
「あー、こないだ教えたとこ、行ったんだ」
わたしは、数日前に大将と若女将に新海を教えた。
ふたりは、火曜日にゆっくりできる飲食店を探している。その情報をわたしはときどき教えている。新海は、そのなかの一つだった。7月から開店した新しいお店だ。旬の魚を珍しい日本酒を売りにした和風居酒屋だ。
「来てもいいぞ」
「はぁ」なんだそれ。
「だから、これから新海に来てもいいって、言ってるわけ」
「それって、なんか俺が行ってもいいかなって、お願いしているみたいじゃん」
「何でもいいからさ」そういうことなんだ。
わたしは、歩く方角を反対に変えた。いま来た道を戻る。携帯をメール作成にして、妻にメールを送った。
>大将が急に電話をしてきて、どうしてもいっしょに飲みたいっていうから、つきあってきます。夕飯はいりません。急な連絡で申し訳ない。
ま、当たらずとも遠からずってとこでしょ。
6257.9/14/2009
坂の下の関所 8章 story
124
ミッキーが来た。
飼い主の中島さんがミッキーの後ろから、関所に入る。
「こんにちは」
大型犬のミッキーはこころがやさしくて、大きな話し声を嫌う。
大将がクーラーボックスから八分の一にカットしたチーズを出す。それが何を意味しているのかがわかるミッキーが、尻尾を振る。
「こないだのセンセーのCD。大船のライブハウスのオーナーに渡しましたよ」
ぎょー、そんな。
夜の街、大船のライブハウスで演じるにはもっとも遠い世界の曲調だと思うのだが。
「それから、会社のひとに関所の話を読ませているんです」
えー、どんな会社なんだろう。こないだも言っていた気がする。
ねぇ、きみ、ちょっと。これ読んでみないか。
何ですか、それ。
うちの近くに酒屋があってさ、そこの物語なんだよ。
酒屋さんに物語になるような出来事があるのかな。
まぁ、読めばわかるからさ。
そうして彼女は彼から原稿を渡されたのだった。
いや、どうして勝手に中島さんが紹介したひとを女性にしているのだろう。そもそも原稿は関所の若女将にだけ縦書きに直して渡しているので、プリント原稿が持ち出されているわけがない。
「関所の話は印刷してないよ」
「パソコンで見ているんです」
あーそうかそうかそうねぇ。ますます、どんな会社なんだろう。こないだもインターネットって言っていた気がしてきた。
ねぇ、きみ、ちょっと。これ見てみないか。
何ですか、それ。
うちの近くに酒屋があってさ、そこの物語なんだよ。
酒屋さんに物語になるような出来事があるのかな。
まぁ、読めばわかるからさ。
そうして、彼はパソコンの画面を彼女に向けたのだった。
おっと、また彼女にしてしまった。
「そのひとがね、一度、ここに来てみたいって言ってましたよ」
「わぁ、すごい。センセー、宣伝ばっちりだね」
若女将はうきうきしている。
ミッキーは大将から細かくしたチーズをもらいご機嫌だ。
「どれ、わたしも買ってみようかな」
中島さんは、よっちゃんの酢漬けイカを手にした。関所の話に、わたしが「運を使い果たした」とその後言われ続けることになる、ことしのはじめの連続あたり事件を載せた。そのことを言っているのだろう。
「あら、あたりよ」
中島さんの目が輝いた。わたしは、あれ以来、何十連敗もしているのに。
ビギナーズラック。
勝利の女神は新人にやさしいのだ。
中島さんは二個目のよっちゃんを手にした。それもその場で開ける。
「みなさんで食べてください」
「やだ、またあたり」
若女将が、驚く。
出たぁ。脅威の連続あたり。
さすがに三個目のよっちゃんは、その場では開けなかった。中島さんの三個目のよっちゃんは、クーラーのなかに保存された。
その翌日、まだクーラーによっちゃんが保存されていた。
「あー、それね、中島さんがセンセーにどうぞって言っていたわよ」
「わぁい、嬉しいな。お金の節約になるね。それに、二度あたった後のご利益よっちゃん。またあたったりして」
わたしは、クーラーから中島と青のマジックで書かれたよっちゃんを出す。若女将がはさみであたりくじの部分を切り取る。
「やったぁ。はずれ。いつもどおり」
どうして、そんなに嬉しそうなの。
6256.9/12/2009
坂の下の関所 8章 story
123
わたしは、東海道線のホームで声をかけなくてよかったと思った。
何気なく互いに気づいたとしても、本人に内緒で、バラ男と呼び合っていた連中となんか話したくないだろう。
「足元さんは、センセーと赤坂さんの名前は知っていたわよ」
え、どういうことだろう。わたしは、名乗ったことがない。それなのに、足元さんがわたしのことを知っているのは不思議だ。
山猿を口に含んで、べろの上で味を確かめながら考える。すると、ある仮説が浮かぶ。
わたしがいないときに足元さんが買い物に来る。そこにいた赤坂さんや烏さん、もしかすると永田さんも含めて、だれかがわたしのことを足元さんに伝える。
「いつものセンセーがさぁ、あんたの名前を知りたがっているもんで」
これぐらいの売り方はかんたんにするひとたちだ。
運命は不思議だ。
ちょうどそのとき、足元さんが関所に買い物に来た。
赤い買い物籠を持つ。店内を歩く。だいたいのコースが決まっている。まず日本酒コーナーで鑑賞する。気に入ったのがあるとぐいっと一升瓶を手にする。高清水が多かったが、最近は山猿を買うこともある。次に奥のビールクーラーへ。数本を買う。最後にわたしがいる焼酎コーナーへ。ビンの焼酎を買う。
この瞬間を逃す手はない。わたしは、近くに来たときに声をかけた。
「こんにちは」
意外な表情で足元さんが笑った。それでもかまわない。
「いつも藤沢駅を利用しているんですか」
刑事でもあるまいに、こんな聞き方はないだろう。われながら、いかんいかん。
「えー、何度か、お見かけしました」
足元さんが言ったのだ。わたしが言おうとしたことを、反対に彼が先に言ったのだ。
「やだ、気づかなかった。俺も、何度か、見かけたんですよ」
話してみると、足元さんは気さくな感じだった。いつもたくさんのアルコールを買う。よほど好きなのだろう。
「ホッピーなんていかがですか」
ホッピー販路拡大部長のわたしは、ここでも商売をする。
「ホッピーですか。何だろう」
知らない世代ではないだろう。それとも、若いときから裕福でホッピーで焼酎を割る必要がない飲み方をしていたのだろうか。
「ビールの味がしてアルコールが入ってないんです。麦芽とホップだけ。とても健康的ですよ」
永田さんが奥から声を上げる。
「兄さん、ふつうは焼酎で割るんだよ。センセーみたいに、そのままぐいぐい飲むひとなんて、見たことない」
「じゃ、一本だけ」
足元さんは、きっとやさしいひとなのだろう。こげ茶色のビンに入った自分が知らない飲み物を買ってくれたのだ。
それとも、このややこしい会話に巻き込まれるのを防ぐために、早々に退散しようと思ったのだろうか。
6255.9/10/2009
坂の下の関所 8章 story
122
7月に入って数日が過ぎた。
仕事を終えて、東海道線藤沢駅の3番線を歩く。かなり辻堂方面に歩く。ホームにペイントしてある3番乗車口まで歩く。
ここから上りの東海道線に乗ると、大船駅でちょうど階段の上り口で降りることができる。
途中に小田急線からの乗り換え階段がある。ホームが狭くなる。そこにも乗車口がある。
「あれ」
思わず、声に出すところだった。
わたしは、4月に関所で見かけたバラ男さんを見つけた。結婚記念日に真っ赤なバラの花束を買って帰る。ロマンティストな方だ。
そっか。ここから電車に乗るのか。わたしは横目で近くを通り過ぎる。バラ男さんは、手帳を出して、ぶつぶつ言っていた。手帳のメモを朗読しているのか、メモを読んで感想を述べているのか、なんとなく独り言モードなのかはわからない。
いつもの3番乗車口に行ってから、バラ男さんがいたあたりを振り返る。そこは遠すぎて、ほかの乗客が間に入り、どこに彼がいたのかはわからなかった。
そうなると、翌日も気になる。そして、予想通り、彼は同じ場所でまた手帳を読んでいた。いまだけ、フッと顔を上げてくれればわたしと目が合うのに。そうしたら、なんて言おう。
「やぁ」じゃ、気軽過ぎる。
「こんにちは」が、無難かな。
「きょうも関所に行きますか」は、よけいなお世話だろう。
そもそも、彼がわたしを覚えているかどうか疑問だ。関所で彼が買い物に来るのは、何度か見ているが、そんなに親しい関係ではない。まだ正式に会話をしたこともない。
その翌日も気になった。しかし、三日目はいなかった。どうしたんだろう。気になる。
病気かな。残業かな。きのうまでの二日間がたまたま早かっただけかな。
心配しながら、関所に寄った。
「きょうは、ホームにバラ男さんはいなかったよ」
「あの方ねぇ。足元さんって言うんだって」
若女将が教えてくれた。
「え、名前を聞いたの」
「だって、こないだ買い物に来たとき、赤坂さんが、バラ男さんって言っちゃうんだもん」
あちゃー。
わたしは、紙パックの日本酒をコップに注いでいる赤坂さんをにらむ。
「いつまでも、バラ男さんじゃ、悪いと思ってな」
そうじゃないでしょ。バラ男さんというのは、本人には言わないから通用していた呼び名じゃん。
「赤坂さんがね、いつもバラ男さんじゃ申し訳ないから名前を教えてくださいって、聞いたのよ」
ありゃー。
それじゃ、関所の立ち飲み連中がいつも彼のことをバラ男って呼んでいたってばらしたようなものじゃない。そんなことを教えられたら、おもしろくないよ。
「バラ男さんて、だぁれだぁ」
奥から、ウイスキーのウーロン茶割りを手にした烏さんが戻ってきた。いいのいいの、ややこしくなるから。
6254.9/8/2009
坂の下の関所 8章 story
121
横浜の中華街に永楽製麺所というお店がある。
中華街の大きな通りから外れた中華街パーキングの並びにある。とても大きなお店だ。
一階が店舗になっていて、おそらく二階以上が工場なのではないか。
わたしは、ここの麺を食べて以来、ほかの麺が食えなくなっている。それほど、わたしにはうまい。また、店員もキャラクターが濃くておもしろい。
石田さん。アメリカ人が日本人を描かせたら間違いなく彼になるほど、細目で目尻がつり上がり、眼鏡をかけている容姿は、アジア人そのものだ。いつもわたしが買い物に行くと、服や靴を見ては冷やかしてくる。わたしも、新しい商品を見つけては「これは詐欺だ」とか「このスープはいらない」と強いことを言い返す。
寺田さん。若いお兄さんだ。人間がやさしくできているのだろう。石田さんの押しに圧倒されながら仕事をしている。やや哀れに感じてしまう。しかし、最近では石田さんが工場に行っていないときなど、かなりフランクに話しかけてくる。
久保さん。元町に住んでいるお母さん。人当たりがよくて、癖のある石田さんを上手にコントロールしている。ポイントカードをいつもサービスしてくれる。
青木さん。肝っ玉母さん。噂話や世間話が大好きなタイプ。こちらが黙っていると、こどもはいるの、どこから来たの、仕事は何なのなど、プライベート情報を何でも聞き出そうとする。
わたしは、かつてここで蒸し焼き蕎麦ばかりを買った。だいたい一袋で3回ぐらい調理できた。野菜や魚介類を使って麺といっしょに蒸し焼きにする。特製ソースをあえて出来上がり。麺がうまいから、ソースが辛くなくていい。しかし、一生分の蒸し焼き蕎麦を食べた気がしてからは、ほとんど買わなくなった。
おじいさんの髭のように細い老髭麺(ロウソウメン)や、ゆでると透き通って光り輝くタンメンなど、片っ端から麺を食べた。それほどに太さや作り方の違う麺がたくさん置いてある。
わたしは、そのなかで蒸し焼き蕎麦を買っていた昔から変わらずに買う麺がある。イーフー麺だ。昔の中国で、伊さん一族が作り出した麺と言われている。伊府と書く。「イーさんのうち」みたいな意味だ。
小麦粉をたまごでこねて麺にしたのがイーフー麺だ。だから、水やかんすいでつないだ麺に比べて、歯ごたえが違う。細い麺であるにもかかわらず、一本一本が自分を主張している。麺がうますぎるので、あまり具はいらない。
スープは40種類ぐらい売っている。醤油、塩、味噌、豚骨はもちろんのこと、ゴマ、あご、マグロ、かぼすなど独特なスープもある。自分好みのスープを買って、一袋に3つから5つ入っている麺を異なる味で食べ分けるおもしろさがある。
永楽の麺は、横浜のそごうや大船のルミネでも売っているが、種類が少ない。興味があるひとは、ぜひ中華街の本店に行ってほしい。どこにあるかわからないひと。中華街にとりあえず行く。どのお店のひとに聞いても、永楽を教えてくれるだろう。お店への卸をしていないので、永楽にはお店のひとが直接買いに来ているのだ。
久しぶりに永楽に行ったとき、わたしは、関所の家族のみなさんにタンメンとスープを買ってきた。
6253.9/5/2009
坂の下の関所 8章 story
120
わたしも、あのチャーシューはほしいと思った。しかし、味付けしてある商品は、はずれだったときに悲しい。だから、赤坂さんの分だけを買った。もしかしたら、おすそ分けがあるかもしれないという計算があったのだ。
しかし、赤坂さんはこちらの意図を見透かしたのか、チャーシューを持って帰り、自分の胃袋に入れてしまった。
「ご飯といっしょだと合うでしょ」
あつあつご飯に、切ったチャーシューが乗っている光景が目に浮かぶ。
「いや、ご飯を炊くのはめんどくさい」
赤坂さんは、顔の前で手を振る。
「じゃ、ラーメンに乗せたんですか」
チャーシューといえば、ラーメンが定番だ。
「お湯をわかすのがめんどくさい」
赤坂さんにとって、ラーメンとはカップめんのことなのか。
「じゃ、どうやって、チャーシューを食べたんですか」
「包丁で切って、そのまま食べた」
「野菜とか、ほかに何もなしで」
「いや、ウイスキー飲みながら」
そうか、酒の肴になったのか。やや濃い味がするかもしれないと思っていた。ウイスキーにはちょうどいい刺激になったのだろう。しかし、あのかたまりを、ひとりで全部食べてしまったとは驚いた。
「センセー、次に築地に行くのはいつだよ」
もう、注文かな。
「たぶん、8月の後半だと思うけど」
「そんときに、買ってきてほしいもんがあるんだ」
また、チャーシューかな。
「何ですか」
「明太子」
「明太子って、博多のですか」
「まぁな、あまり北海道産のってのは聞いたことない。築地ならうまいのがあるかなと思ってさ」
楽しみにしてくれるひとがいるというのは、嬉しいものだ。
何を注文しようがいいではないか。
そのひとにとって、待ちわびるモノがあるということが大切だ。
「任せてください」
赤坂さんは、前回のように「ここのみんなに分けてやろうと思ってさ」とは言わなかった。
ウイスキーを傾けながら、チャーシューを食べた。そのときに、次は明太子がいいと思ったのだろう。その願いをかなえてあげたい。ただ、アルコールと明太子のように塩分が多い食品だけでなく、何か繊維質や炭水化物系をいっしょに摂ってほしい。彼にそれを要求するのではなく、こちらが作戦を立て、そうせざるを得ない状況を作り出そう。
6252.9/3/2009
坂の下の関所 8章 story
119
ある日、わたしは若女将にホッピーのことで降参する。
「飲んでも飲んでもホッピーが減らないから、賞味期限までに飲み干すのは無理だよ」
若女将は、笑い飛ばす。
「センセー、マジ?もう何回も注文をしているのよ」
「え、そんなにほかのひとも飲んでいるわけ」
「やっぱり、懐かしいらしくて、買い物だけのお客さんもホッピーを見つけると、思わず買ってくれるわけ」
それならそうと、教えてくれればいいのに。
「気づいてなかったの」
「うん、わからなかった」
「あー、やだやだ。これだって決めたら、ほかが見えなくなるんだから。ラーメン屋って言ったら、いまも大船のことぶきなんでしょ」
その通りですが、ここでは、ことぶきの話題はつながらないでしょ。
改めて関所を見回すと、メンバーの手元にホッピーのビンがあった。なぁんだ、みんな買っているじゃん。お、山ちゃんなんて、二本いっぺんに買って、焼酎で割っているよ。あれ、佐藤先生も宝焼酎を買って、割っている。
わたしは、ホッピーをグラスに注いで、喉で飲む。炭酸が苦手だったはずなのに、最近ではホッピーのおかげで、喉をシュワシュワする刺激がたまらないと感じるようになった。
「でもね」
若女将が付け足す。
「ホッピーだけで飲んでいるひとは、たぶんセンセーだけ」
ぷっ。炭酸が鼻に戻る。目の付け根、涙腺の部分が刺激を受けた。
「なんでかなぁ、かなり、うまいのに」
「だって、みんな、酔いたいから、ここに来るのに、わざわざアルコールを減らそうとしているひとなんて珍しいに決まってるでしょ」
若女将は、解説をする。
それでも一ヶ月以上ホッピーだけを飲み続ければ、関所のメンバーは違和感を持たなくなった。ときどき永田さんが
「センセー、きょうもホッピーだけかよ」
と、帰り際に言うぐらいだ。
わたしは、7月のカレンダーに、まだNマークがついていないことを確認する。そりゃそうだ、7月になったばかりなのに、もうNマークがついていたら、また7月も4つというNマークの目標を達成できないかもしれない。ホッピーを飲みながら、すっかり体調がよくなった赤坂さんに尋ねる。
「築地のチャーシューはいかがでしたか」
チャーシューを肴にホッピーというのも、うまいだろうなぁ。
「あー、センセー、ありがとう。ひとりで全部、食べちゃったよ」
「え、あれ、けっこう量があったと思うんだけど」
タコ糸でグルグル縛ってあったチャーシューを2つ買ってきたのだ。それを、2つとも自分だけで食べたのか。
6251.9/2/2009
坂の下の関所 8章 story
118
わたしは、カレンダーを見ていた。
「どうした。また、飲みすぎたと反省してんのか」
外から戻ってきた大将がわたしの背中で冷やかす。
「もう7月になったんだなぁと思ってさ」
「うっそ、そんなロマンチックなことを考える脳があるわけ、ないじゃん」
本当は、6月のカレンダーを見ていた。そのなかのNマークの数を数えていた。目標は一ヶ月に4本だ。なのに、6月は5個のNマークがついている。日々の量を減らしているのに、なかなか4本の大台に乗れない。なぜだろう。そんなことを考えていた。
だから、大将の冷やかしは、ずばりだった。でも、そうなんですよ、ボリボリと頭をかくほど、わたしも素直ではない。
「はい、140円」
大将と並んで立つ若女将に、わたしはお金を渡す。そして、クーラーボックスを開ける。最上階に整列しているこげ茶のリターナルビン軍団。最前列の一本を手にする。容量は360ミリリットル。その名は、ホッピー。麦芽とホップだけの炭酸飲料だ。
25年以上も昔の大学時代。日本酒やビールが高くて買えなかった。その頃、安い焼酎とホッピーは学生だけではなく、仕事帰りの会社員も含めた、国民的飲み物だった。コップに焼酎を入れて、ホッピーを注ぐ。炭酸がコップ上方に泡を作る。ホッピーの色はビールそっくり。ビールよりも安い値段で、擬似ビールが完成する。しかも、焼酎を注ぎ足せば、ホッピー一本で三杯ぐらいの擬似ビールを飲むことができた。
わたしは、日本酒が大好きだが、飲みすぎてしまう傾向がある。
自覚しているアル中だ。だから、何とか毎日の量を減らしたいと願っている。
そのために、カレンダーにNマークをつけてきた。しかし、いくらカレンダーとにらめっこをしても、なかなか量が減ることはなかった。むしろ、自分の飲むペースが客観的に把握でき、やはり毎日二合ぐらいは飲んでいると確信した。お茶やコーラを買ったことがある。しかし、何だか違う。麦焼酎やビールを買ったこともある。これは確かに山猿の量を減らすことには貢献したが、多くの関所のメンバーに「意味がない」と冷笑された。その通り。
そのときに、かつてのノンアルコール飲料(実際にはほんのわずかだがアルコールは入っている)の代表格、ホッピーを思い出したのだ。しかし、関所にはホッピーはなかった。
「調べたら、30本で一ケースなの。そんなに入れて、みんな飲んでくれるかしら」
ぜひ、ホッピーを入れてくださいとお願いした。賞味期限は3ヶ月だという。毎日、わたしが一本ずつ飲めば、一ヶ月ちょっとで頼んだ分は消費できる。
「たとえ、みんなが飲まなくても、俺だけで飲むから大丈夫だよ」
数日後、クーラーボックスの最上階に、6本横並びで5本ずつ縦並びに整列したこげ茶色のホッピー軍団を発見した。迷惑をかけてはいけないと思い、わたしは来る日も来る日も、一本ずつホッピーを飲んだ。少しずつ、ホッピー軍団は減っていく。これは調子がいいぞ。ところがあるときを境に、わたしがいくらホッピー軍団をやっつけても、敵は数が減らなくなった。まるで、こちらをあざ笑うかのように前日と同じ、6本横並びで5本ずつ縦並びで整列しているのだ。
勘弁してよ。これじゃ、3ヶ月先に全部飲み干すことなんてできないじゃん。
6250.9/1/2009
坂の下の関所 8章 story
117
水曜日。
湘南地方独特の湿度の高い日が始まる。温度はあまり上がらなくても、梅雨から夏にかけて、相模湾の水分をたっぷり含んだ風が陸地に吹き付けるので、湘南の空気は肌に触れると重たく感じる。天然のミストサウナにいるようなものだ。
15年近く前に亡くなったわたしの祖母は長野市の出身だった。祖父と結婚して、満州、盛岡、八戸を転々として、最後に鎌倉で病死した。その祖母が、鎌倉の夏を毎年嫌っていた。
「暑いのはいいのよ。扇風機でもうちわでも使えば何とかなるから。いやなのは、湿気。せっかく扇風機やうちわで風を作っても、その風が気持ち悪いんだから。この土地のひとたちが、夏のあいだに表で生活するのは信じられない」
早朝や夕方の涼しい時間帯しか外出しようとしなかった祖母を思い出す。
きっと、寒い地方で生まれ育ったので、からだから汗が出る構造がわたしのように生まれたときから湘南地方の人間とは違うのだろう。汗はもともと体温を下げるはたらきがある。だから、風邪で高熱を発したときに、汗をかくのは自然なからだのはたらきなのだ。汗とともに水分が蒸発してしまうので、こまめに水分を補給しないと脱水になってしまう。風邪で弱っているときは、飲みたいとか飲みたくないとか判断する前に、水分を補給しなければならない。ちなみにアルコールでは水分の補給にならないそうだ。
反対に寒い地方で生まれたひとは、汗をかきやすいからだの構造ではまずい。体温が下がってしまって、保温できない。汗を出す部分の穴が小さいとか、出す部分そのものの数が少ないとか、自然環境に応じたからだの違いがあるのではないか。
しかし、そういう体質のひとが湘南地方で暮らすのは、苦労するだろうと同情する。
そして、そういうひとは、わたしの周囲では決まって夏に風邪を引く。
仙台で生まれ育った赤坂さんもそのひとり。
わたしは、風邪は寒い時期に鼻水を流しながら咳をして引くものだと思っていた。しかし、夏風邪を引くひとは、暑い時期でも鼻水をティッシュでかんでいる。瞳がくぼんで、頬がこける。声が枯れて、食欲が減退する。発熱のため、体温と気温の差が感じられなくなり、暑さを意識できなくなる。とても暑い日でも、長袖や長ズボンを着ている。
「ただいま」
関所に入る。きょうも、正面の赤坂さんの定位置にはだれもいない。
「まだ、調子が悪いの」
わたしは、指を赤坂さんがいつもいるあたりに向けながら、若女将に聞く。
「さっき、来て、すぐ帰ったわ。センセーのチャーシューを渡したからね」
「じゃ、とりあえず、仕事はしたんだ」
「うん、でも、かなりきつそうだったよ」
「鯨のベーコンがなくて、申し訳なかったなぁ」
「そんなことないよ、チャーシューを渡したら、喜んでいたもん」
持って帰ったのか。赤坂さんは、鯨のベーコンを注文したときは、関所のみんなに分けるからと言っていた。しかし、チャーシューになったら分ける気持ちに変化が生じたのか。
鯨はあまり好きではないけど珍しいからみんなに振舞おう。チャーシューはもともと好物だから、自分だけで食べよう。そんな計算が働いたのか。
いずれにせよ、赤坂さんの支払いで買ったものだから、彼がやりたいようにすればいいのだ。