6249.8/26/2009
坂の下の関所 8章 story
116
午前6時。
出勤しようとしたら、いつも肩に下げているバックがないことに気づいた。
飲んだ翌日になって、携帯や財布がないことは珍しくない。また、やっちまったかと自己嫌悪に陥る。しかし、今回は携帯も財布も、ついでに家の鍵も、ちゃんとリュックに入っていた。となると、バックがないことは事実だが、そのなかに何が入っていたかを思い出せない。そんなに重要なものではないだろう。
朝の忙しい時間に、ほかのことであれこれする余裕はない。
わたしは、いつも通りに家を出た。もちろん、家族はまだだれも起きていはいない。消えてしまったバックに、老眼鏡と読みかけの本が入っていたことを思い出したのは、大船駅のホームに着いてからだった。
いつものように、電車を待っているときに本を読もうとしたら、リュックのなかに入っていないことに気づいた。そこで、バックに入れていたことを思い出しのだ。本は、パトリシア・コーンウェルさんの検屍官シリーズ。老眼鏡は、その本を読むのに必需品だ。がっくりする。
いったい、どこにバックを置いてきたのか。
関所か鳥藤のどちらかしか思いつかない。きょうは火曜日だ。火曜日は、関所が休みなので、きょうももう一度鳥藤で確かめてみよう。
午後6時。
わたしは、ふたたび鳥藤のカウンターにいた。
「あのー、じつはきのう来たときに、ショルダーバックを忘れていかなかったかな」
「ちゃんと帰りに持っていらしたわよ」
ママの確かな記憶の前に、わたしのバック探しは振り出しに戻る。
関所か鳥藤だと思っていた。時間的には先に関所にいた。後から鳥藤に行った。だから、鳥藤から出るときにバックを持っていたということは、関所に置いてきた可能性はないということだ。
さて、どこに行ってしまったのか。途方にくれながら、きのうと同じ高清水をコップに注ぐ。口に含んでも、あまり酔えない。水のようにごくんと飲み干す。
そのとき、わたしの携帯にメールが着信した。妻からだ。
>家の前の桜の木の根本に、いつものバックを見つけました。
>もしかして、きのう帰るときにそこでツヨシくんをやってなかったですか。
>バックはきちんと置かれていて、近くに読みかけの本と眼鏡が置いてあります。
>拾うのはかなり恥ずかしかったのですが、持ち帰ってきました。
あちゃー。
またやってしまった。たぶん、桜の木の根本に座り込み、自宅と勘違いをして、しばらく寝ていたのかもしれない。そのうちにバックから本を取り出して、読書でもしようと思ったのか。わたしは、妻に感謝のメールを送った。
「というわけで、バックはありました」
妻からのメールをママに見せた。となりで飲んでいた永田さんが目を細める。
「そういや、病院で働いていたときにそんなバックが見えたなぁ」
永田さんは桜の木が生えている病院で掃除の仕事をしている。
「だれのかなぁと思ったけど、へんなもんが入っていたらやだから、放っておいたんだ。なんだ、センセーのだったのか。それにしても、だれも拾わないなんて、しあわせな町だな」
確かに、盗むひとが24時間近くいなかったのは、幸せといえる。
しかし、多くのひとが気づいていただろうバックを、だれも拾得物にしなかったのは、幸せと言えるのだろうか。
6248.8/25/2009
坂の下の関所 8章 story
115
天神下と書かれたバス停。その文字がぼやけて見える。
わたしは、まっすぐ歩こうと思っていた。しかし、気持ちとは裏腹にからだが右の方に傾いていく。左足の蹴りが強いのか。関所で、中落ちと玉子焼きを肴にして、山猿を飲んだ。そのうちに、鳥藤に届けた築地の注文品を思い出した。おいしく食べてもらえただろうか。その後が知りたくなった。思い立ったら吉日。わたしは、関所を出て、鳥藤に向かっていた。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
焼き鳥を焼く炭火。ママが背中を向けたまま返事をする。わたしは、カウンターに荷物を置く。
鳥藤の店内は縦に長い。引き戸を開けて中を見る。左側にカウンターが6席。右側にテーブルが3つ。6人掛けが1脚に4人掛けが2脚だ。有線放送でジャズが流れている。演歌や相撲ではない。
わたしは入り口に一番近いカウンター席に座る。カウンターを挟んで焼き鳥を焼く台があり、そこに座ると焼き鳥を焼くママが目の前に来る。ママ目当ての客には特等席だ。
いつもの高清水の冷酒をガラスのコップに注ぐ。
「何にしましょう」
ママが注文を取る。
「ホルモンをお願いします」
「はい」
淡々としたやり取りだ。しかし、わたしはカウンターの高い椅子に座りながら上半身が左右に揺れるのを抑えきれない。
「センセー、だいぶやってきたわね」
ママが、網にホルモンを並べながら心配する。
「なんか、効いちゃったみたい」
それでも、冷酒を一口含んだら揺れがおさまった。やばい、これでは完全なアル中ではないか。
「こないだの築地のは、もう何か食べましたか」
「おかげさまで」
その日、わたしは何時ごろまで鳥藤にいたのかを覚えていない。
気づいたら帰っていて、布団のなかだった。
きのう夕飯食べたっけとか、風呂には入ったっけと、家族の者に聞けずに、翌朝早くに起きて考えた。
どんなに考えても帰宅してからの記憶がない。書斎に行くと、きのう着ていた上着や靴下が、強盗にでも遭ったかのように散乱している。この状況証拠から、わたしは昨夜、夕飯を食べず、風呂にも入らずに寝たと判断した。急いで風呂をわかす。もともと、朝食は自分で作るので問題はない。おなかが空いているのかどうかわからないほど、飲みすぎの気持ち悪さが全身を包んでいた。
6247.8/22/2009
坂の下の関所 8章 story
114
烏さんは、少し得意そうに、ウイスキーのウーロン茶割を口に含んで、ぐいっと飲み干した。
「だから、俺は新型にはかからない」
いくらなんでも、それはないと思うんだけどな。
「いま、かかっているひとたちは、あの白い消毒液で作った風呂に入ればいいんだよ」
「それが本当なら、すごいことですね」
少しは、話をあわせることも必要だ。
「さすけねぇ」
彼の故郷、山形の言葉「さすけねぇ」。大したことないという意味だろう。
いつも烏さんといっしょにいる赤坂さんがいない。
「赤坂さんは、まだ仕事ですか」
土曜に築地で買ってきた玉子焼きとチャーシューを、関所で預かってもらっている。
「きょうは休み。珍しいな。鬼の攪拌(かくはん)か」
「いや、それを言うなら、鬼のかく乱でしょ。鬼がミキサーのなかで、ぐちょぐちょになっている姿は気持ちが悪いだけですよ」
「さすが、センセーは物知りだ」
「どんなに腰が痛くても仕事を休まない赤坂さんが珍しい」
レジで若女将もうなずいている。
「だから、あの玉子焼き、うちで買い取っておいたから。日持ちしないでしょ」
「うわぁ、かえって迷惑をかけちゃったみたい」
ま、でも、赤坂さんの手に渡っていたら「これ、切って。みんなに出して」と若女将にお願いをしていただろう。それを思えば、関所の家族が食べてくれた方が、赤玉にとってはよかったかもしれない。
「いっぱい、作ったから、みんなでどうぞ」
若女将が、関所のメンバーに、築地の中落ちをふるまう。醤油とお酒のたれにつけこんである。
「うわ、ママさん。これ、うまい。すごいうまいよ」
シンロートの相田さんが感激をする。そりゃそうでしょ。この辺のスーパーでは売ってないよ。
「ねぇ、山ちゃん、うーちゃん、食べてごらんよ」
いま関所に来たばかりのふたりに、相田さんが中落ちを勧める。
「あー、すみません。ママさんいただきます」
山ちゃんは、言われるままに、中落ちを口に運ぶ。次の瞬間、目が見開かれて、口元が緩む。
「うまい」
山ちゃんは、少し相田さんの言葉を疑わないのだろうか。うまいよと言われて、うまいと応じるだけではなぁ。
「じゃぁ、これはどうかな」
若女将は、玉友の玉子焼きを切って出す。
あれ、それは家族で食べる分じゃないのかな。
「きょうは、酒が進むぞー」
関所のあちこちで、歓声が上がる。わたしも、つられてコップに山猿を継ぎ足した。
6246.8/20/2009
坂の下の関所 8章 story
113
父の日が終わった6月下旬。夏休みまでは、あと一ヶ月ほど。
わたしは、額と首の汗を手ぬぐいで拭きながら、関所に到着した。
「こんにちは」
「お帰り」
「お疲れ様」
「や、お久しぶりです」
ん、顔を上げると、正月に「手術をするからしばらく関所に来れない」と言っていた烏さんがいる。
「あらー、烏さん。久しぶりじゃないですか。もう酒を飲んでもいいんですか」
わたしは、リュックを冷酒コーナー近くに置いた。烏さんは、にんまり笑って、顔の前で手を横に振る。
「すぐ、医者にばれちゃう」
なぁんだ。まだ解禁じゃないんだ。
「だったら、やめたほうがいいよ」
いい気分で、ウイスキーのウーロン茶割りのペットボトルを口に運ぶ烏さんに、こんな言葉は野暮だった。
「センセー、難儀だなぁ」
出たぁ、久しぶりの難儀コール。烏さんは、手術台から帰還しても、難儀を忘れていなかった。
「お医者さんのいうことは守ったほうがいいと思いますよ」
「インフルエンザ」
はぁ。院内で感染してしまったというの。
烏さんは、野球帽のひさしをちょっとあげて小声になった。
「オレたちがこどもの頃は、学校に行くと、洗面器に白い消毒液が張ってあって、みんなそこに両手を入れたもんだよ」
「もしかして、最近流行している新型インフルエンザのことですか」
「それそれ。あのときの白い消毒液を学校ではやらないの」
少なくとも、わたしがこどものときにも、湘南地域ではそういう衛生指導は消滅していた。山形では存続していたのか。
「その白い液体って、何ですか」
「知るわけ、ないだろ」
どんな薬かも知らずに、烏さんはこどものとき、洗面器のなかに両手を浸していたのか。
「センコーがな。おっと、センセー前にして、こんなこと言っちゃいけねぇな。当時のセンコーがさ」
言っちゃいけないと思っても、言葉が訂正されていないのですが。
「これに手を入れれば、風邪を引かないって命令するわけ」
「石鹸みたいなものかな。それって、自分の前のひとが手を入れた後に、同じ液体に手を入れるんですか」
「そりゃそうよ。一つしかないんだから」
本当に、それは消毒につながるものだったのだろうか。
6245.8/19/2009
坂の下の関所 8章 story
112
その店長に、お母さんが質問をする。
「今回のお客さんのなかに、鯨のベーコンがほしいというひとがいるんだけど、どこか置いている店があるかな」
わたしは、若女将と赤坂さんから、鯨のベーコンを頼まれていたのだ。
「脂ばっかりの白いやつじゃなくて、身が乗っているやつね」
「白と赤(身)が混ざっているのは、あるかもしれない。でも赤だけのは、もう見ないなぁ。でも、混ざったのも、すごく高いよ。イルカやシャチのベーコンなら、あるかもしれない」
わたしは、鯨のベーコンをあきらめた。無理に値段の高いものを買って、食べてみたら脂っぽくておいしくなかったら、頼んでくれたひとに申し訳ない。お金がもったいない。
近海の魚を専門に扱う「小畑」に行く。
「こんにちは」
「や、久しぶり」
温厚な顔の店主が、出迎えてくれる。お母さんは、かつて「小畑」のとなりのマグロ専門店で働いていたので、小畑夫婦とはつながりが深い。小畑さんはご主人が店に出て、奥さんが台場で帳面をつける。職場が同じ夫婦共働きだ。
小畑さんも、魚へのこだわりは強い。料亭や魚屋のお得意さんがついているのだろう。売れ残った魚を翌日に安値にして売らない。捨ててしまう。だから、もともと仕入れが少ない。
山口県でとれる高級イカの白イカを、わたしは、以前、箱で全部買ってしまったことがあった。ひとに頼まれて買ったので、わたし個人の懐は痛くなかったのだが、その買いっぷりをご主人は覚えている。その後、お店に行くと
「きょうは、キンメがうまいよ」
「きょうのアジはたたきにしてね」
と心強いアドバイスをしてくれるようになった。
今回のわたしは、若女将にキンメダイとイサキとアジを、我が家にカマスを買った。キンメダイは、三枚におろしてもらい6つに切り分けてもらった。
場内を出て、野菜や果物を専門に扱う「やっちゃ場」に向かう。築地市場は野菜も扱っているのだ。あーちゃんが、梅干しを作るために、和歌山の梅を5キロ買った。
みんなリュックにも両手にも魚や貝、果物や野菜でいっぱいになった。それらを駐車場まで運ぶ。
最後は、場外の玉子焼き屋さんと肉屋に向かう。赤坂さんの注文だった鯨のベーコンが買えなかったので、予定を変更して、厚焼き玉子とチャーシューを買おうと思ったのだ。お母さんも肉屋でひれ肉を選ぶ。駐車場に近いところにある場外の肉屋は、間口は狭いけれど、いい肉を安く置いているのだ。
玉子焼き専門店「玉友(たまゆう)」で、赤玉厚焼き玉子を買う。肉屋で出来立てのチャーシューを二つ買う。赤坂さんは、鯨のベーコンを関所のメンバーに食わせてあげたいと言っていた。つまり、自分ではたいして食うつもりはないのだ。きっと、若女将に面倒をかけて、包丁を入れてもらうつもりなのだろう。だったら、すぐに食べられるものがいい。そう考えて、玉子焼きとチャーシューにした。
わたしは、肉屋でばら肉を500グラムずつ1キロ買った。ここのばら肉で作るスープは、濃厚で深みがある。スープをとったばら肉は、それだけでも味わいが残り、料理に使える。
すべての買い物を終えて、午前10時過ぎにわたしたちは築地市場を出発した。
6244.8/17/2009
坂の下の関所 8章 story
111
マグロはめっきり減っていた。
世界的な取り決めに、日本政府が屈したために、築地に入ってくるのは大型で値段の高いマグロが増えた。中型から小型のマグロが規制されたので、庶民の台所に届いていたキハダマグロやメバチマグロは買えなくなった。
見上げると、店の案内を載せている看板の近くに「春闘」という文字が目立つ。築地にも労働組合があるのだろう。春闘の文字に続いて「移転反対」と大書されている。今回の買出しでは、そのプラカードを場内の随所で見た。
政治家たちの思惑で、マグロの扱いを減らされ、移転の危機を突きつけられた築地。そこで働く多くのひとや、場外で築地とともに生計を立てる多くのお店のひとは、怒りをため息に変えているのかもしれない。
お母さんは、むかしからなじみのマグロ専門店に入る。店長はお母さんよりも若い。若いといっても、50歳から60歳の間だろう。
「こないだのマグロがおいしかったから、今回もあれぐらいのができるでしょ」
「いいよ、ちょうどいいのがある。お姉さんにはむかしさんざん世話になったからなぁ」
お母さんは、女性として初めてマグロのせりに参加していた当時、自分の店だけでなく、ほかの店のひとたちにも絶大な人気があった。魚を見る目はもちろんだが、それ以上に、困っているひとの話を聞き、助言や援助を惜しまなかったのだ。
わたしが若女将に頼まれたアサリを探していると「だめ」「まだ」「わりといい」「買ったら」と、貝の専門店をいくつもまわりながら、瞬時にアサリを見て判断を下す。わたしには、どのアサリも値段があまり変わらないので、同じに見える。
「じゃぁ、ブロックにして、予算はこんぐらい。大トロはいらない」
お母さんは、こんぐらいと言いながら、指で数字を宙に描く。その単位が千なのか、万なのか、わたしにはわからない。
「それから、中落ちを二つお願いね」
その専門店は、大きなマグロからうまいところだけを切り取り、おそらくお得意さんだけに出している。残りの部分は、店頭には置かないで捨てている。そうやって、お得意さんとの信頼関係を維持している。お母さんは、その捨てている部分を分けてもらうのだ。捨てているといっても、十分に町の魚屋さんではサクで2000円から3000円の値段がつく部分を残している。
だから、そのお店では、マグロのあばら骨から中落ちをスプーンでこすぎ落とすことなどやったことがなかった。それを前回の買出しでお母さんが強引に作らせたのだ。大きなビニル袋いっぱいの中落ちを取ってくれた。
「いくらにすりゃいいかな」
若い店員に、わたしが値段を聞かれた。
「予算は1000円なんだけど」
明らかに、その中落ちの量と質は3000円ぐらいの価値がある。
「じゃ、1000円でいいよ」
あっさりと交渉が成立した。その記憶があったので、今回は中落ちを倍の2000円分買うことにした。前回の中落ちを渡した鳥藤ママや佐藤さんから、強い支持を得ていたのだ。
6243.8/16/2009
坂の下の関所 8章 story
110
場外での買い物を終えると、いったん買ったものを車に積むために、駐車場に戻る。
わたしは、リュックを背負い、膝までの長靴に履き替える。
「さ、いざ、場内へ」
「どっから見ても、素人には見えないなぁ」
お姉ちゃんがカメラを構える。
わたしは、ポケットのなかのメモ用紙を確認する。関所の赤坂さん、若女将と鳥藤ママ、そして、我が家の注文を頭に叩き込む。
初めて築地に来たとき、わたしはお母さんの後ろを追いかけるので必死だった。とても早足のお母さんは、かつて築地で何十年も働いていたので、どこの大路や横筋に何のお店があるかを熟知している。ターレーが縦横無尽に荷物を運ぶ場内で、よろよろ歩いていたらけがをするだろう。だから、お母さんの歩く速度はとても速い。その後姿を見失わないように、わたしは必死に追いかけていた。
2ヶ月から3ヶ月に一度ずつ築地に連れて行ってもらう。その繰り返しは3年を超えた。いつの間にか、わたしにも場内の位置関係が少しずつわかってきた。頭で覚えたのではなく、からだが吸収した。
「まずは、ジャコ屋さんから行こう」
お母さんの宣言を聞き、日本大丸というジャコ専門店をイメージする。どこの大路だったかを思い出し、わき目もふらずに向かう。
大丸は大路の端にある大きな店構えの中卸だ。ジャコだけでなく、シラスや干し魚も多く扱っている。値札はどれも1キロ単位だ。
「こんちは」
威勢良く声をかける。中途半端にしていると店員はいつまでも注文を聞いてくれない。こちらのペースで買い物をする。以前は500グラムを買うのに「申し訳ない」と頭を下げた。1キロ単位で売っているのだから、それを計りに乗せて半分にしてもらうのは気が引けた。しかし、中卸だけではやっていけないのだろう。最近では100グラム単位で計り売りもしてくれるようになっている。
わたしは、4700円という札と5000円という札のちりめんジャコの箱の前で立ち止まる。いままで大丸で一番値段が高いジャコは4000円だった。4000円と3500円の味の違いは、わたしにはよくわからない。そういうときは、迷わずに3500円を買う。
今回は、一気に値段の最高記録を塗り替える商品が二つも並んでいた。
両方のジャコを少し手のひらに乗せる。香りをかいで、口に含む。わずか300円の違いだが、5000円のジャコは、うまみが口のなかで広がった。4700円もうまみを感じたが、同時にしょっぱさも感じた。
「これ、1.5キロよろしく。伝票は500ずつ、3つお願い」
品物を買うときは、迷いなく、必要な情報だけをはっきり伝える。今回のジャコは、我が家、関所、佐藤さんの三口の注文。それぞれ500ずつ。1キロの箱と500グラムの計り売りをもらう。1キロのジャコを半分ずつにするのは、帰ってからの作業だ。
スーパーで見かけるちりめんジャコは、せいぜい30グラムから50グラムがパックに入っている。値段は500円から600円だろうか。築地最高級の今回のジャコは1キロで5000円だ。100グラム500円。50グラムだと250円。スーパーのジャコよりも単価はずっと安いのだ。
6242.8/15/2009
坂の下の関所 8章 story
109
場内の外側に広がる雑貨や食店、材料店などの総称が、築地場外だ。
一応、場内の商品を買った小売業者の店という触れ込みだが、実際はどうかはわからない。だって、刃物や調理器具は場内では売っていないのに、場外には専門店が多い。また、新鮮で安い肉屋も多いのだ。わたしが知る限り、場内で扱う生き物は魚介類と野菜と果物だと思うのだが。
一般の観光客は、場外の名だたる握り寿司店に行列を作る。築地市場が視界に入る場所。その立地条件を考えれば、まさかシャリの上に乗っているものが、近くのスーパーで買ってきたものとは思わないだろう。しかし、本当に場内で買われたものかどうかを確かめる方法はない。そして、意外と値段が高いのだ。場内の魚介類は、小売に出る前の段階だから、当然、魚屋やスーパーの鮮魚コーナーに出るよりも安い。それが握り寿司になったとたん、その値段はないだろうと思うほど、高価な代物に変身している。
トイレを済ませて、まずは場外から目的の買い物に行く。
場外で買うものは、保存が利くものが多い。だから、早めに買っても腐ることを気にしなくていいのだ。お母さんたちは、海苔専門店で大判の海苔をいつも買う。次に、波除神社のはす向かいにある鰹節専門店で、削り節と粉節を買う。わたしは、パックに入った削り節を買う。ここの削り節は、息子も好物で、冷凍のたこ焼きを温めては削り節をてんこ盛りにする。たこ焼きよりも、削り節のほうが価値があることに、いつか気づくだろうか。どら焼きや草もちがおいしい「茂吉」の店頭で、お姉ちゃんとあーちゃんが相談をしている。茂吉の並びには、牛丼チェーン店の「吉野家」の本店(一号店)がひっそりと開店している。
「オレ、キムチを見てきます」
お母さんに告げて、漬物専門店に行く。1キロ1200円のキムチ。白菜の半分を使ったものだ。市販されている、ふたのついたプラ容器に3個分ぐらいの中身が取れる。しゃきしゃきとして甘くて辛い。我が家の冷蔵庫のレギュラーだ。
キムチをぶら下げて、待ち合わせの緑茶専門店でお母さんたちと合流した。店頭で、高価な緑茶を試飲できる。作りたての緑茶は、喉とこころを潤す。わたしは、そこでいつも鳥藤ママの注文のお茶を買う。100グラム500円の粉茶。以前は500グラムの注文だったが、今回は奮発して1キロの注文だった。500グラムの粉茶の袋を2つ持って奥の台場に行く。
緑茶が大好きな鳥藤ママは、スーパーであまりおいしくない緑茶が1000円ぐらいの値段で売っていることを日ごろから怒っている。わたしが、おいしくて500円のがあるよと教えたら、信じてくれなかった。実際に買ってきてからは、すっかりファンになり、今回は倍の注文となった。
「わざわざ、築地まで行ってお茶を買わせてしまって申し訳ない」
ママは恐縮する。
「いいんですよ。俺が買えばお店のひとも喜ぶし、ママも嬉しいでしょ。そういう手伝いができたと思うと、自分も嬉しくなるんだから」
ちょっと、気障な物言いをしてしまう。
6241.8/14/2009
坂の下の関所 8章 story
108
第一駐車場は4階まである。6時に到着しても1階が空いていたことはない。いままでの記録では2階以上だ。きょうは3階に入庫した。
まずトイレに行く。場内にもトイレはある。しかし、とても汚い。そして混んでいる。駐車場のトイレで膀胱を空にしておけば、尿意に耐えながら魚を選ぶ必要はなくなる。
生産者が品物を運び、せりを行うせりがある。以前は、一般のひとも見学に入れた。わたしはお母さんの顔で、マグロのせりを見学したことがある。
お母さんは、いまは退職した。以前は、築地場内のマグロの中卸店で働いていたのだ。完全に男社会の築地で、女性で初めてマグロのせりに立った歴史的人物なのだ。これっぽっちもそういう自慢をしないので、わたしはずっとお母さんの偉大さを知らないまま、築地に行ったときは、荷物運びの付き人のように、後ろを追い掛け回していた。
せりで値段が決まった商品は、中卸の店に運ばれる。中卸の店は、場内と呼ばれる扇形の大きな屋根に覆われた一帯に、所狭しと並ぶ。ほんの小さな区画で、権利料金が一千万円以上というから、驚きだ。
場内は、扇の骨にあたる通路を大路と呼び、大路と大路は、かすがいのような横筋の道で結ばれている。大路も横筋もいくつもある。いくらか大路が道幅は広いが、おとながふたり並べる程度だ。横筋になると、ひとひとりがやっとの道幅になり、すれ違うには注意を払う。すれ違ったはずみで店先の商品を落としたり、触ったりしたら、店主から怒鳴り声が飛ぶ。すれ違うために、少し長く店先で立ち止まると「買わねえなら、さっさと行きやがれ」と店員に脅される。
おもに場内は、プロの仲買人が買い付けに来る。魚屋の主人、料亭の女将、すし屋の板前。もっと大きなスーパーなどの鮮魚担当者というケースもある。また、中卸や卸の従業員が、自分のおかずを買うこともあるようだ。
最近は、市場の冷え込みが響き、場内はプロだけでなく、観光客や学生も増えた。デジタルカメラ片手に、新鮮な魚介類を撮影する。そのために立ち止まる。以前なら、罵声が飛んだが、ウエルカムということらしい。
「シャッターを押しましょうか」
愛想のいい店員も登場した。
しかし、英語やドイツ語、フランス語で、堂々と質問をする外国人観光客に対しては、いまもむかしも強気の返事をしている。
「日本語を覚えてきやがれ」
手の甲を手前から向こうに振って、あっちへ行けと追い払う。たいていの外国人は、両手を広げて、オーマイガッ。その威勢のよさに、わたしはこころのなかで拍手を送り、とぼとぼ帰っていく外国人の大きくて高い背中に、ざまーみろと目で語る。
これに対して、中国語や韓国語を話すひとたちはたくましい。あっちへ行けと追い払われても、意に介さない。
アンニョンハシムニダァ、ニィハォ。ワタシ、スコシ、ニホンゴ、ワカル。
嘘つけ。店主が何を言おうと、商品を手に取り、財布からお金を出そうとするのだ。そして、決まって、値引き交渉。日本では、手にしたら、商品が置いてあったところに戻してはいけないことを、出国する前に、ぜひ教わってきてほしい。
6240.8/12/2009
坂の下の関所 8章 story
107
ジープのチェロキーは、車庫でアメリカ車特有の大きなエンジン音を上げていた。
まだ外は暗い。
「おはようございます」
小声で、荷物を入れるリュックを持ってきたお母さんに挨拶をする。以前、大声で挨拶をしたら、「隣近所に怒られるからいい加減にしなさい」と指導された。
大船を午前5時に出発する。車は、神奈川県立フラワーセンターを左に見ながら、玉縄の山間を抜け、国道一号線に合流した。ここからは、首都高の銀座出口まで信号を気にしないで運転できる。助手席のお姉ちゃんが、料金所に着くたびに、小銭を用意してくれる。妹のあーちゃんは仕事が忙しいので、後部座席で二度寝をしている。
「きょうは、どこから注文が入っているの」
お母さんが、後部座席から質問をした。
「えーと。関所と佐藤さんと鳥藤とうちです」
「ずいぶん、たくさんの注文をとるようになったのね」
「あ、忘れていた。赤坂さんからもです」
「だれ、そのひと」
「関所のメンバーで、首都リーブスで働いているおじいさん」
「いつもお店の正面にいて、黒っぽい服を着ているひとかしら」
「そうそう。かなり目立つと思います」
お母さんは、犬の散歩で関所の前を通過する。そのときに、わたしの酔い加減もチェックしている。ひとのつながりの濃い地域では、壁には目や耳だけでなく、口も手も足もありそうだ。
車は横浜新道から首都高横浜羽田線へ。ランドマークタワーを右手に見ながら、羽田の地下トンネルへと突入して行く。空港を抜け、湾岸線をかすめながら、銀座出口へと向かう。
その頃には日の出を迎え、窓外はかなり明るい。
築地本願寺わきを徐行し、築地市場の交差点から場外へと入場して行く。ターレーと呼ばれる三輪車が狭い場外を荷台に発泡スチロールに入った品物を乗せて、客の待つ駐車場やお店へと走り回る。バスのハンドルよりも大きいと思われるハンドルとアクセルを上手に操りながら、ターレードライバーは、車とひとの間をすり抜けて行く。
左に波除神社を見ながら、右折する。目指す築地第一駐車場の入り口で、空車の表示を確認する。時計は6時を指していた。大船を出発してから、ちょうど1時間だ。
これまで、わたしは何度か運転を失敗し、自分でどこを走っているのかわからなくなったことがある。ひどいときは、湾岸線をひた走り、千葉まで行って戻ったこともある。到着が遅れて、場内の大渋滞のなか、駐車場が空くのを何分も待ったこともある。同乗していたお母さんたちには、そのたびに迷惑をかけた。
そんな失敗のおかげで、最近はほぼ1時間弱で確実に築地第一駐車場に入庫できるようになった。
失敗しても、責めないで、いっしょになって次の一手を考えるお母さんたちに支えられてきたからだ。