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過去のウエイ

6199.6/10/2009
坂の下の関所 七章

85

 大女将が、若女将に夕飯のメニューについての事務連絡をする。
「おかあさん、すぐに戻るからね」
「いいよいいよ、ゆっくりしておいで。困ったときには、センセーに頼むから」
 何でもしますよ。
 お任せください。
 午後6時半から7時にかけて。関所の立ち飲みメンバーはすっかり出来上がっている。その時間帯は、一般の買い物客も多い。
「センセー、わりい、これ、いくらか調べて」
ビールの銘柄を確かめて、クーラールームの値札を確かめる。
「これに、ロング缶を5つお願い」
いつも同じ銘柄を買うお客さんのために、レジ袋に500ミリのビール缶を5つ入れる。
「あの上のタバコを3つ、取って」
タバコはケースに収納されている。上の棚のタバコは、大女将の身長では手が届かない。
 あるときは、気を利かせて、清涼飲料水を買いに来たお客さんのために、倉庫まで行き、6本入りのケースを運んだ。そうしたら、それは配達の注文だったので、ふたたび倉庫に戻しに行ったこともある。
 大女将には、個人経営の哲学やノウハウをいつも伝授される。
「自分でお店を始めるっていうのは、とっても大変なこと。だから、わたしは、近くで新装開店したところがあると、必ず買いに行くの。何があるかなんて調べないで。開店の最初の時期って、とてもお金がかかるのよ」
 かつて、大きな苦労をしてきた。その経験が、同じ苦労をするひとたちを励ましていこうという姿勢につながる。
 午後7時を過ぎると、山ちゃんや永田さんたちは帰っていく。赤坂さんも帰り支度をしている。
「食店さんとのつきあいでね」
飲食店のことを、業界では食店と呼ぶらしい。
「お酒やビールを入れるでしょ。うちはいまではほとんど現金にしているの。ツケ払いは、しない。こないだ、そこの新しい飲み屋さんのママがいらして、お酒を入れてほしいって言うから、うちはその場で現金扱いにしているけど、いいですかって確かめたの。そうしたら、ツケにしてほしいっていうから、申し訳ないけどって断ったわ。昔、大きくツケを貯められて、回収できなかったことがあったんだもの」
 商売は、信用第一というが、信用を崩す商売相手もいるらしい。
 甘いものが大好きな大女将。卒業式のときに父がプレゼントした紅白の饅頭を、いつの間にかひとりでぺろりと食べていたそうだ。わたしの家は、祖母も母もすでに他界している。反対に祖父や父が長く生きた。おっと父はまだ健在だ。
 だから、年配の女性との話は、何年も忘れていた感覚を思い出させてくれる。

6198.6/9/2009
坂の下の関所 七章

84

 山ちゃんは焼酎のいいちこをビールで割ったわたしのコップを持つ。
「これが、いけるんだなぁ」
そう言いながら、コップをわたしに渡す。
「見た目は、ビールみたいだね。いただきます」
さっきまで透明だったいいちこ。それが、すっかり麦の黄金色に変わり、炭酸の泡がコップの内側についている。口に含む。味わいはビールと同じだ。
「うわぁ、これは飲みやすい。がんがんいけそう」
 関所の自動ドアが開く。配達を終えた大将が戻ってきた。わたしの手元を見て、にやっと笑う。
「珍しいもん、飲んでんじゃん」
語尾に、「じゃん」をつけるのは、湘南地方の言葉です。深い意味はない。
 やるじゃん、いけるじゃん、そうじゃん、違うじゃん、何でも通用する。
 もちろん、コチジャンや豆板醤とは、使い方が異なる。
「でも、これって、焼酎とビールだから、アルコール度数が高いよね」
山ちゃんは、出っ張ったおなかをポンと叩く。
「そ、だから気をつけなきゃ。ビールに赤玉ポートワインほどじゃないけどね」
 あれはひどかった、ぐでんぐでんになった。関所のあちこちから声が聞こえる。わたしの知らないときに、ビールに赤玉ポートワインを割るというブームがあったらしい。
「25度の焼酎に、7度のビールとして、32度のチューハイになるのかな」
わたしは、繰り上がりのある足し算を指を使って計算する。
「バカ言ってんじゃねえ」
レジの奥で聞き耳を立てていた大将が忠告する。
「じゃ、なにか。25度の焼酎、4つの銘柄をコップに入れたら、25×4で100度のアルコールになるわけ」
「そりゃないか」
「当然だろ」
 わたしは、コップを手にして、定位置に戻る。
 奥の扉が開く。
「お晩でがす」
大女将が、右手を軽く上げて登場する。
「こんばんは」
関所のメンバーが挨拶を送る。大女将は、上げた右手を声のする方角に向けながら、レジに入る。
「じゃ、食べてくるね」
入れ替わりに、大将と若女将が奥に消える。夕飯の時間なのだ。

6197.6/8/2009
坂の下の関所 七章

83

 プラスティックのコップにビールを注ぎながら、東さんがにこにこしている。
「センセーは、焼酎は飲まないの」
わたしは、昔は何かを入れて飲んだが、いまは日本酒一辺倒だ。
「いまは、ほとんど飲まないなぁ」
「ビールもあまり飲まないんでしょ」
「炭酸が苦手なんですよ。だから、ビールを飲みすぎると、おならとげっぷがひどくなる」
「へー、喉にしゅわしゅわっていうのが気持ちいいんだけどな」
「センセーは、庶民の飲み物は飲まないってことか」
山猿を分けてもらえないから、永田さんは少しひねくれている。
「最近、日本酒の量が多くなったので、ほかに飲み物を用意しようと思っているんです。焼酎って、ぐいぐい飲まなくても、酔えますよね」
「ちょっと飲んで酔おうと思ったら、焼酎がいいよ」
東さんが教えてくれる。隣で永田さんもうなずく。
 わたしは、いくつかある銘柄のなかから「いいちこ」を手に取る。以前、いまほど日本酒を飲まなかったときに、いいちこを買って飲んだことがある。
「これ、お願い」
わたしは、若女将にいいちこを渡す。
「あら、珍しい。でも、センセーには焼酎は合わないと思うんだけどな」
「少し、日本酒の量を減らそうと思って」
「お酒を減らしても、その後で焼酎を飲んでいたら、アルコール量は変わらないんじゃないの」
おっしゃる通りです。
「このカレンダーのNマークを一ヶ月に4個以下にしたいんだよ。そうしないと飲みすぎだし、お金が持たないし」
「じゃぁ、今度は焼酎を買った日には、Sマークをつけとこうか」
 カレンダーにNだのSだののマークが入り乱れたら、出費を減らすことにはつながらないだろう。
「まぁ、何事も挑戦だから」
 自分でもよくわからなくなっていた。
「お、センセー珍しい」
わたしと反対側の洋酒コーナーで、相田さんと会社の話で盛り上がっていた山ちゃんが、わたしの買ったいいちこに気づいた。
「それだけで飲むと味気がないから、ビールを入れるといいよ。ほら、貸してみ」
山ちゃんは、わたしがいいちこを半分注いだコップを持って行き、自分が飲んでいるビールをコップに半分ぐらい注ぎ足してくれた。

6196.6/7/2009
坂の下の関所 七章

82

 わたしは、山猿をコップに注ぐ。軽く口をつけ、喉をうるおす。
「前は、主任っていうのがいて、ひらと教頭の中間管理職だったのね。それがあまり機能しないんで、県が独自に作った階級だね。これは給料表を新しくしちゃったから、中間管理職じゃなくて、立派な管理職扱いになっちゃったわけ。ことしなんか、笑っちゃうけど、5人も総括がいるんだよ。そのうち、管理職ばっかになるかも」
「いや、そいつはねぇな。センセーだけは任命されないもん」
どうもどうも。
「そんなこと言ってる相田さんだって、ここに来るほかのひとたちが昇格しても、現職にとどまっているじゃん」
わたしも反撃を開始する。
「俺は偉くなりたくないの。時間が来たら、はいさようならがいいわけ。班長とか、主任とかになると、残業代もつかないし、若い連中に仕事を教えなきゃならないから、やなの」
 夕方からのプライベートな時間をこよなく愛する生き方。
 欧米では当たり前の生き方が、日本社会ではなかなか理解されていない。仕事一筋でやがて家庭崩壊、離婚、過労死という生き方が賛美される傾向は、まだまだ根強い。趣味は仕事と豪語する職業人が称えられる。
「俺も、相田さんと同じ。かんぱーい」
「そうなのかなぁ。なんか、センセーにうまくやり込められている気がすんだけど」
 そんなことはない。わたしは、そう言いながら手を振り、相田さんの場所を離れた。シンロートの山ちゃんたちが、風呂上りの上気した顔でやってきたのだ。
 いつものコーナーに行く。カレンダーを見た。
 先月は、カレンダーの新しい一升瓶のNマークを減らすことに、努力したけど、五つも並んだ。今月は、連休で関所に来ない日があることも含め、何とか四つにしたい。
 そのとき、カレンダーの裏の焼酎コーナーで、永田さんと東さんがにやにやしている。
「センセー、あれだな。たまには俺の飲んでいる高清水とセンセーの山猿を交換っちゅうのはどうだね」
永田さんが言う。
 永田さんはふだんは焼酎を飲んでいる。なぜか高清水を買ってしまった。ついでに山猿の味も知りたくなったのか。
「また、そういうこと、言うの。永田さん、その話、前にも、その前にも聞いたよ。俺は、山猿を飲む前はずっと高清水を飲んできたの。だから、高清水の味は知っているわけ。いまさら交換して飲まなくていいから、交換しない」
この返事も、いつもと同じだ。
「そっか、前に飲んでいたのか」
お願いだから、忘れないでください。単価にしたら山猿のほうが高いんだから、同じ量を交換したら、あなたが得をして、わたしは損をするのです。

6195.6/6/2009
坂の下の関所 七章

81

 どうも。カチンと二人でコップを合わせる。
「わざわざ大学まで行くの。それって、交通費は出るわけ」
相田さんは、いつもは自分の話題で盛り上がるのに、きょうは畑の違う仕事に興味を持ち続ける。きっと、新しい彼女が教員志望なのだ。
「交通費も受講費も、全部自腹だよ」
「えーっ。そりゃひどい。運転免許みたいに、その日にパッパと手続きして更新なら、自腹でもいいけど」
「一日で終わらないんだよ。だいたい二年間も行かなきゃならないの」
「そんなに学校に行かなくてもいいわけ。大学生をまた経験できるのか」
やっぱり、相田さんは、ひとの話を聞いていない。
「あのね。10年ごとに二年間ずつ大学に入りなおす制度なんか作ったら、だれも教員にならないよ。金も手間もかかりすぎ。必要な単位数を取得するのに、こどもが登校しない時期を使うから、二年間は必要になるってこと」
「なんか、わかんねぇなぁ」
「俺だって、こんなあほな制度はなくしてほしいよ」
 焼酎にどぼどぼとウーロン茶を注ぎながら、相田さんは煙草を吸う。
「なんで、そんな無駄なことをするわけ」
 一般のひとには、ちゃんと無駄な制度だと理解できるのだ。
 それなのに、国の偉いひとたちには、必要な制度だと思っているひとがたくさんいる。
「俺だって、もし大学のときにこのことを知っていたら、絶対に教員なんかにはならなかったよ。10年ごとに失業の可能性と闘うんだぜ。たぶん、政府の偉いひとたちは、不真面目な教員とか、管理職の言うことを聞かない教員とかを、辞めさせたいのよ。そういう連中を、堂々と辞めさせる制度が作りたかったんだと思うよ」
「じゃぁ、センセーなんか、真っ先にクビじゃん」
ありがとよ。
「その証拠に、教頭や校長、総括なんかは、更新の対象じゃないんだぜ」
 なぜ一般の教員には免許の更新が必要で、管理職には更新が必要ではないのかというまともな説明を、教育委員会や文部科学省は拒否している。法律で教員免許は10年間しか有効ではないと決めたのに、それを過ぎても有効な特例措置を管理職に与える説明責任から逃げている。
 「管理職になる人間は、真面目で上の言うことに黙って従うから、更新の必要はない」と言えばいいだけなのに。
「総括って、なんだ」
 相田さんには聞きなれない言葉なのだろう。

6194.6/4/2009
坂の下の関所 七章

80

 あっという間のゴールデンウィークだった。
 突入前の予想通り、全国各地で高速道路は大渋滞になった。
 わたしは、休みを趣味の陶芸などでのんびり過ごした。おかげで、休み明けからすっきりした気分で職場に戻った。
「こんにちは」
「あー、いらっしゃい」
「おっす」
「久しぶり」
 関所に、いつものメンバーが戻っていた。
 わたしは、ガラスのコップに山猿を注ぐ。つまみは、250円の田吾作というせんべいだ。作っている途中で割れてしまったせんべいばかりを集めて大きな袋に入れて売っている。割れてしまったといっても、粉々になっているわけではない。せいぜい3つに割れた程度で、半分というのもある。運がいいと、割れていないせんべいもある。なぜ、このせんべいが袋に入っているのかはわからない。
 わたしは、ごまのついたせんべいが好きなので、田吾作の袋のなかから、ごませんべいの割合が多いのを探す。ときには、半分以上がごませんべいという幸運に恵まれることもあるのだ。
 せんべいをバリッと割る。口の中に頬張る。山猿を飲む。せんべいと日本酒が好きなわたしには、一日の終わり、疲れをいやす至福の一瞬だ。
「センセーってさ。教員の免許を更新しなきゃいけなくなったんでしょ」
シンロートの相田さんが、関所店内の端から端に届く声で質問をする。
 常連のみなさんの耳に、彼の大きな声が降り注ぐ。
「更新っていうか、10年間しか通用しない免許になったから、もう一度取り直すっていうのが正しい言い方だよ」
わたしも負けじと、みなさんの耳に大きな声を降り注ぐ。
「やっぱ、こういう普通のときに出張とか行って、パッパと講習を受ければいいんでしょ」
 いつもクラブやバーの彼女に、プレゼントをこまめに用意する相田さんが、そもそも何でこんな話題に興味をもったのか。アルバイトのホステスさんが、教員志望なのだろうか。
「それならいいんだけどね。8月とかこどもたちが休みのときに、まとめて大学に行くひとが多いと思うよ」
 ほかのお客さんには興味も関心もない話題だと思い、わたしはコップを持って相田さんの近くに行く。

6193.6/2/2009
強敵ウイルス6

 すでに、関西では、渡航歴のない人から人への感染が証明された。
 この情報をサイトにアップした5月17日から時間が経過した。
 いま執筆しているのは、5月23日だ。約一週間の間に、国内の感染は関東地方でも確認された。
 スペイン風邪やアジア風邪が流行した時代。いまのように庶民が使う交通機関は発達していなかった。にもかかわらず、多くの人たちが死んだ。自分のからだの細胞が、ウイルスの大量生産工場になり、一つ一つの細胞が死滅するという悲劇的な死に方で。

 日々、社会活動が停滞することは許されない。
 物流が停止することも許されない。
 教育や保育が休止することも許されない。
 だから、政治の中心にいるひとたちが、大鉈をふるう勇気をもてないのは仕方がない。
 そうあきらめてしまっていいのか。

 わたしたちは、今回の新型インフルエンザが弱毒性だという触れ込みに、安心していないだろうか。弱毒性という表現に、ホッとしてはいないだろうか。
 毒が弱いという表現とは裏腹に、世界ではすでに死者が発生しているのだ。
 多くのひとが感染しても、免疫力や治療によって回復する。そう信じて、安心してはいないだろうか。
 からだの弱いひとや、すでに病気のひと、免疫力が低下しているひと、乳幼児など、感染が生命に危険を及ぼすと思われるひとはたくさんいる。元気なひとが、ウイルスの運び屋になってしまう社会環境に警鐘を鳴らし、しばらくの社会活動の停止という大鉈をふるえる権限がもつのは、政治の世界に身を置くひとだけなのに。

 政治家や官僚のなかから、だれか新型インフルエンザの感染者が出ないと、現在の状態の深刻さを想像できないよのなかだとは、思いたくない。

 また残念なことに、関西ではインターネットを通じて、このウイルスに感染した個人を誹謗中傷する内容の記事が出回っている。日本社会の底の浅さを露呈している。
 インフルエンザウイルスは、ほかの感染しにくいウイルスとは違い、だれだって感染する可能性があるのだ。渡航しているとかしていないとか、感染者のいる地域に行ったとか行かないとか、そういう単純な話ではないのだ。もっと複雑な経路をたどって、ウイルスは全世界的に広がっている。
 たまたま感染したひとは、不運としかいいようがない。その不運なひとたちの苦しみや不安を想像し、静かに見守り、体調が回復するのを願っていきたい。
(完)

6192.5/31/2009
強敵ウイルス5

 調べてみたら、ヒトに感染し、死に至らしめるウイルスはとてもたくさんあることがわかった。全然聞いたこともないものが多い。
 そのなかで、わたしの記憶の引き出しに残っているものと一致したものだけでも羅列する。
 ヘルペスウイルス、水痘・帯状疱疹ウイルス、ヒトアデノウイルス、エイズウイルス、ロタウイルス、エボラウイルス、麻疹ウイルス、狂犬病ウイルス、インフルエンザウイルス、ラッサ熱ウイルス、ポリオウイルス、肝炎ウイルス、ノロウイルス、ヒトコロナウイルス、SARSコロナウイルス、日本脳炎ウイルス、黄熱ウイルス、デング熱ウイルス、脳炎ウイルス、風疹ウイルス、プリオン。

 そんななかわが厚生労働省は、今回の(ブタに由来するA型H1N1)インフルエンザウイルスへの対処として、ホームページで以下の解説や対処法を載せている。
…………………………………………………………………………………
【飛沫感染】
感染した人の咳、くしゃみ、つばなどとともに放出されたウイルスを健康な人が吸い込むと感染することがあります。

【接触感染】
感染した人がくしゃみや咳を手で押さえた後や鼻水を手でぬぐった後に他のもの(机、ドアノブ、つり革、スイッチなど)に触ると、ウイルスが付着することがあります。

 その付着したウイルスに健康な人が触れた後に目、鼻、口に再び触れると、粘膜・結膜などを通じて感染することがあります。

【症状】
・咳や鼻水が出る
・突然の高熱、全身のだるさ、頭痛、筋肉痛等がある 。
・インフルエンザの症状は、新しいウイルスによって変わる可能性があるため、そのつど変更される可能性があります。

【対策】
・必要のない外出は控えてください(特に人が集まる場所)。
・外出したらうがい、手洗いを行って下さい。

【咳エチケット】
・周囲の人から1m以上離れてください。
咳やくしゃみのしぶき(飛沫)は約2m飛びます。
・ティッシュで口を覆い、顔をそらせて下さい。
マスクがない場合は、ティッシュなどで口と鼻を覆い、他の人から顔をそらして、1m以上離れます。

・外出したらうがい、手洗いを行って下さい。 手洗いは石鹸を使って最低15秒以上行い、洗った後は清潔なタオルやペーパータオル等で水を十分に拭き取りましょう。
・口を覆ったティッシュはゴミ箱へ。
・咳やくしゃみを抑えた手はただちに洗ってください。
咳やくしゃみを手で覆ったら、手を石鹸で丁寧に洗いましょう。
・マスクを着用してください。
咳、くしゃみが出たらマスクを着用しましょう。また、家庭や職場でマスクをせずに咳をしている人がいたら、マスクの着用をすすめましょう。

【通常のインフルエンザとの違い】
新型のインフルエンザは誰も免疫をもっていないため、通常のインフルエンザに比べると、感染が拡大しやすく、多くの人がインフルエンザになることが考えられます。そのため、感染の拡大を防ぐために十分な施策が必要となります。

【治療方法は?】
・主な治療法は抗インフルエンザウイルス薬(タミフル・リレンザ)の投与です。
・現在、我が国のタミフルの備蓄は約3,380万人分程度です。

【情報収集が大切です】
・新型インフルエンザの情報は国や地方自治体から発生状況を随時公表しています。それらの情報収集に努めることが必要です。
・信ぴょう性が低い情報や噂に惑わされることなく、正確な情報を収集し、パニックに陥らないよう、冷静に対応しましょう。
・新型インフルエンザは誰でもかかる可能性がありますので、患者さんに対して偏見や差別を持たないようにしましょう。

インフルエンザの流行により、以下のようなことが求められることもあります。

・患者やその同居者等の外出自粛
・地域の人と人との接触機会を減らすための外出自粛
・学校などの臨時休業
・企業の業務の縮小・停止
・集会、イベント、コンサートなどの中止、延期
・流行地からの帰国、および渡航の制限
【外務省からの危険情報の発信】
外務省は、感染発生国・地域については、WHOが宣言する各フェーズに応じ、以下のパターンで「感染症危険情報」を発出することを想定しています(ただし、感染拡大の速度によっては、必ずしも以下のパターンで順を追って発出するとは限りません。なお、感染未発生国・地域についても、世界的な感染拡大の状 況や現地の医療事情等を勘案した上で、感染症危険情報等による情報提供を行っていきます)。

新型インフルエンザの発生時期や流行規模、感染拡大の速度を正確に予測することは困難であり、予想以上の速度で感染拡大が進む可能性もあります。海外に渡航される方は、日頃から渡航・滞在国(地域)における最新の新型インフルエンザ関連情報に注意し、場合によっては、感染症危険情報の発出を待たずとも自己の判断で現地事情に即した迅速な対応ができるよう心掛けてください。
…………………………………
 この情報は2009年5月17日のものだ。
 その後、更新されることを期待したい。
 だって、これを読む限り、まだウイルスは外国から持ち込まれるものという考えがはっきりとしているのだから。

6191.5/30/2009
強敵ウイルス4

 少し時代をさかのぼる。
 インフルエンザがいかに強敵かという事実。

 スペイン風邪。
 大正 7(1918)年の春から翌年にかけ、世界中で猛威をふるったインフルエンザ。発生はフランスのマルセイユ。当時、ヨーロッパでは第一次世界大戦の最中であり、西部戦線でにらみあっていた両陣営で爆発的に拡がり、まもなくフランス全土を覆い、やがてスペインへと拡がった。
 また、ほぼ同時に中国・インド・日本でも発生、スペイン風邪は短期間で世界中に蔓延した。当時世界人口は約12億人でしたが、なんと2500万人がスペイン風邪で死亡した(一説には4000万人)。日本でも2500万人が感染し、38万人が死亡した。インフルエンザウィルスに対する知識がなく、効果的な治療法もなかったため起きた悲劇。

 アジアかぜ。
 中国南西部で発生したとされているAH2N2型インフルエンザ。死者はスペインかぜの約1/10であったが、抗生物質の普及以降としては重大級の流行であった。
 1957年4月頃香港で流行が始まる。 東南アジア各地、日本、オーストラリアなどへ広がる。後に北米、ヨーロッパなど世界各地へ広まった。
 日本では、1957年5月から始まり、およそ300万人が罹患し、死者5,700人。

 香港かぜ。
 H3N2が引き起こしたカテゴリ2に価するパンデミックである。H3N2とH2N2の抗原不連続変異が新型ウィルスとして一連の流布を引き起こした。 香港かぜでは1968年から1969年にかけて少なくともおおよそ50万人が亡くなったと考えられる。また、アメリカでも500万人の罹患者が出ており、33000人が亡くなった。

 ウイルスに感染した細胞は、やがてどうなるか。
 どうやら二つの未来が待っているらしい。
 通常、感染細胞はしだいに変化し、最後には死滅する。
 もう一つは、腫瘍(しゅよう)ウイルスなどが感染する場合、宿主細胞が異常に増殖をおこす。この感染細胞は無限に増殖を続ける、不死化とよばれている。
 どっちもいやです。

6190.5/28/2009
強敵ウイルス3

 ウイルスは一般的に球体をしている。
 そのボールのような表面から二種類のとげが生えている。その二種類のとげは頭文字をとってHAとNAと呼ばれている。
 学校の理科室にある光学顕微鏡では見えないほど小さなウイルス。よくもそんなに小さなものの表面にとげが生えていることがわかるものだ。
 さらに球体のなかには、三種類のたんぱく質がある。これをA型、B型、C型と呼ぶ。
 現在、HAの亜型が15種類、NAの亜型が9種類知られており、それぞれ1〜15、1〜9というように番号をつけ、HAとNAの型の組み合わせによりその頭文字のHとNをとってH4N5型、H7N7型というようにウイルスの型を決定している。
  たとえば、よく耳にするAソ連型はH1N1型、A香港型はH3N2型。A型ウイルスは自然界に広く分布しており、ヒト以外にもブタ、ウマ、アザラシなどのほ乳類や、ニワトリ、カモ、アヒルなどの鳥類からも分離されている。
 このうちヒトに感染するのは、現在のところH1N1型(Aソ連型)、H2N2型(Aアジア型)、H3N2型(A香港型)の3種類。B型とC型には亜型はない。
 ちょっと話が難しくなってきた。うーん。

 1997年に中国で鳥インフルエンザが発生した。
 そのときの記憶があるひとは少なくはないだろう。
 いまわかっている情報では、カモ→アヒル→ブタ→ヒトのルートにより発生したそうだ。カモからヒトに直接感染したのではない。
 ウイルスに汚染された沼や川。そこに一羽のカモが舞い降りる。なんとカモは口からではなく、直腸(つまりお尻です)から水分を吸収する。プカプカ水面に浮きながら、からだに必要な水分を吸収しているのだ。
 腸内に入ったウイルス。カモはなんとこのウイルスには感染しない特徴がある。ただの運び屋になった。あちこちにウイルスつきの糞尿を撒き散らす。それがアヒルに感染した。
 ブタは、アヒルのウイルスとヒトのウイルスのどちらも感染してしまうタイプ。たまたまアヒルからのウイルスに感染し弱っていた一匹のブタ。近くに面倒をみるヒトがいたのだろう。悲しいことにそのヒトは人間にしか感染しないウイルスでくしゃみをして、ブタにウイルスを渡す。ブタの体内では、アヒルのウイルスとヒトのウイルスが出会い、遺伝子の交雑が起こり、ヒトには感染しないはずのトリのウイルスがヒトに感染できるようになってしまったのだそうだ。
 5月に肺炎で死亡した3歳男児からインフルエンザウイルスA(H5N1)型が分離されたのが発端で、その後11月〜12月にかけて新たに17人が感染し、計18人の感染者と6人の死者を出した、致死率実に33.3%という、大変な事件だった。香港当局によって徹底的に撲滅作戦が行われた結果、その後新たな感染者も発生せず、1998年の2月に終息宣言が出されました。
 その頃、香港当局が行った対策を、いまの日本政府が参考にする必要があると思うのは、わたしだけか。