6189.5/26/2009
強敵ウイルス2
わずか一週間で日帰り温泉業界(だけではないだろう)を営業の危機に追いやる新型インフルエンザ。これは恐ろしい。
そこで、ウイルスについて調べた。
みなさん、風邪を引き起こす細菌とウイルスの違いをご存知だろうか。偉そうに申し訳ない。わたしも詳しくは知らなかった。
細菌は抗生物質によってやっつけることができる。やっつけられないものもいるが、もともとは抗生物質には弱かった。
ウイルスには抗生物質はきかない。
細菌は、生き物に取り付いて、そこから栄養を吸い取り増殖する。だから、栄養などの条件がそろえば、相手が生きていないものでも増殖する。つまり、ご飯さえあればいい。
ウイルスは、自分の力で増殖することができない。だから、生きている細胞にしか感染しない。つまり、生き物を求め続けているのだ。
なんと、ウイルスには細胞壁もない。たんぱく質も作らない。エネルギーも生産しない。そんなものを生き物と呼べるのかとも思う。気味の悪いやつだ。
細胞は、自分の遺伝子を作り増えていく。
そこにウイルスが登場する。
ウイルスは、細胞のなかに、自分のコピーを作る設計図と道具を送り込む。細胞は、だまされる。その設計図が自分の作るべき遺伝子の設計図だと思って、ウイルスがくれた道具(酵素やたんぱく質)を使って、せっせとウイルスの遺伝子を作ってしまう。おいおい、頼むよ、細胞さん。そんなものにだまされないでおくれ。
働き者の細胞は、にせの設計図をもとにたくさんのウイルスを生産する。生産されたウイルスは細胞を飛び出し、ほかの細胞で同じように自分のコピーを作らせる。感染が繰り返されていくのだ。
こうして、細胞はウイルスが子孫を残すお手伝いをせっせを懸命にこなしてしまう。
6188.5/25/2009
強敵ウイルス1
最近、全世界的に感染が広がっている新型インフルエンザは、感染しても、たいした毒性がないから、安心していいというムードが広がっている。
本当にそうなのだろうか。
わたしには、そうは思えない。
むしろ、感染を食い止めるための措置を取ると、都市機能が麻痺してしまうことを、行政のひとたちが恐れ、気にしなくていいという根拠の薄い宣伝を流しているように感じてしまう。
2009年5月9日は土曜日だった。
わたしは、いつものように日帰り温泉に行く。
一週間の激務を温泉の効能によってゆっくりいやす。お気に入りの文庫本を持って、たっぷり一時間は入る。ときどき寝ぼけて、本を湯船に落としそうになる。温泉は、わたしと同じように疲れたひとたちが多く集まる。ぜいたくを言えば、空いているお風呂で手足を伸ばして、ゆったりとしたい。しかし、みなさん、同じ気持ちなのだろう。
だから、この日、ロッカー室に入って「おやっ」と思った。
ひとがいないのだ。いつもなら、これから着替えるひとや、すでに出てきて涼んでいるひとでにぎわっているのに。
その日、ニュースでは、メキシコで発生したと言われる新型インフルエンザに日本人が初めて感染していたと報じた。成田空港に到着した旅行客のなかから、感染者が見つかったのだ。
2009年5月16日も土曜日だった。
先週は連休があったから、激務の疲れといっても、大したことはなかった。おまけに温泉に来てみたら、客がまばら。両手両足を大の字に広げて、青空にわたしの仰向けヌードを披露した。今週は、家庭訪問で西から東、山坂を歩き回り、下半身の筋肉が張っている。今週の温泉こそ、激務の疲れをとるのにふさわしい。
だから、この日も、ロッカー室に入って「おやっ」と思った。
また、ひとがいないのだ。これはラッキー。今週も露天風呂で両手両足を広げて、ゆったりできると確信した。
その日、ニュースでは、メキシコで発生したと言われる新型インフルエンザに、海外への渡航歴のない日本人が初めて感染したと報じた。ついに、海外から持ち込まれたウイルスが、ひとからひとへの感染を始めたのだ。
6187.5/24/2009
坂の下の関所 六章
79
蕎麦屋でランチを済まし、わたしは関所に立ち寄る。
「さっき、カンちゃんが来て、センセーがいる店をパパに聞いたって言ってたよ」
若女将が教えてくれた。
「うん、お店に来たよ。これから海までサイクリングに行くって言っていた」
鴨せいろを食べ終わる頃、カンちゃんが店に来た。何も頼まないのは悪いと思い、イカ刺を頼んだ。中央公園の祭りでおこげを食べたカンちゃんは、お腹がいっぱいだと言い、あまりイカ刺を食べなかったので、ほとんどわたしが食べてしまった。
ゴールデンウィークは、始まったばかり。
ことしのゴールデンウィークは、全国的に車で遠出をするひとが多いという。高速道路料金が値下げになったので、電車や飛行機の旅よりも、車を使うひとが多くなると予測していた。いくら高速道路料金が安くなったといっても、車は燃料代がかかる。また、遠出をすれば食費や宿泊費もかかる。
そして何よりも多くの車が、全国一斉に動き出せば、道路は大渋滞になるだろう。
休みが続くから、ふだんできないことをやろうという考え方。それも一つの生き方だ。
問題は、ふだんできないことのなかみだ。
わたしは、ふだんなら仕事をしている時間に、地元でゆったりとした時間を過ごし、ひとと語ることを大事にしたい。
「おぅ、こんちは」
作業着にリュックという姿で、永田さんが登場した。
午前中はレストラン、午後は病院の清掃をしている永田さんには、休みはない。
「連休中も仕事ですか」
「あたぼうよ。お客や患者がいる限り、俺の仕事はなくならない」
関所には、いつものメンバーが集まらなくなっていた。ふたたびにぎやかな声が響くのは、まだ数日先のことだろう。
しかし、よのなかには連休とは関係なく仕事を続けるひともいる。
そうだ、永田さんだけではない。この関所だって、定休日の火曜日以外はゴールデンウィーク中も通常営業だった。
自分では、スローな時間の過ごし方を満喫したいと願う。それを可能にしてくれる基地として、関所の存在はありがたい。多くの工場や会社が、10日間以上の休みを計画していた。にもかかわらず、毎日仕事がある永田さんにとっても、仕事帰りにホッと一息できる関所が開いてくれているのは、ありがたいことだろう。
わたしは、ゴールデンウィークが終わった後に予定されている仕事を思い出した。家庭訪問、教科書研究会、遠足付添、市からの委嘱事業、研究会の計画、職員会議。考えただけでもぞっとする。迫り来る多くの仕事に、元気に立ち向かうためにも、数日間の休みをのんびりと過ごそう。
まだ、一升瓶のなかに山猿が半分以上残っているのを確認した。これらをちびちびやって、充実した時間を送るのだ。
六章・完
6186.5/23/2009
坂の下の関所 六章
78
わたしもかつて北海道を何度も旅した。直線の線路が景色の果てから延びてきて、ふたたび反対側の景色の果てまで延びてゆく。その途中には人家も駅も何もない。そういう風景を思い出す。
「彼の友人は、携帯で親に電話をしました。向こうじゃ、車内で携帯禁止っていう必要はないんですね。でも、電話はつながらない様子でした。そうこうするうちに、汽車が次の駅に着きました。ワンマンカーなので、運転士が運転席から出てきて定期を見たり切符をもらったりするんです。そのとき、高校生の会話を聞いていたのは、ボクだけじゃないと気づきました」
電車ではなく、旧式のディーゼルカーの場合、運転席と客席とを区切る仕切りはあっても、間にガラスや板がないこともある。きっと彼の乗車した汽車は、運転席と客席の間に、ステンレスの棒が横に3本ぐらい渡してあるだけだったのだろう。だから、客席の話し声が運転席にも聞こえたのだと思う。
「運転士が言うんです。『この汽車は、網走まで行ったら、すぐに折り返し運転をするから、あんた、このまま乗っていけば、帰れるよ。どうする』って。そうしたら、その高校生は運転士に頭を下げて、そのまま乗り続けることにしました。なんか、旅をしていて、グーっときたんですよね」
蕎麦屋の女将が、わたしの注文を聞いて、料理を出す順番を気づかってくれた。
彼が教えてくれた北海道の汽車の運転士が、降りる駅を乗り過ごした高校生を気づかった。
身近なところに、ひとのこころのあたたかさがある街で生きていきたい。決して、便利でなくていい。ものが豊富でなくていい。多くの場合、便利でものが豊富な街からは、ひとのこころからあたたかさが消えている。
「はい、お待ちどうさま」
女将が、鴨せいろを運んできた。
わたしは、うどんと蕎麦の両方とも好きだが、どちらかを選べと言われると、蕎麦を選ぶ。それも、つゆにひたったあたたかい蕎麦ではなく、つゆをつけて食べる冷たい蕎麦が好きだ。
蕎麦は、つなぎや削り方によって、味が異なる。つなぎを何にするかによって、食感さえ変わってしまう。
テーブルに運ばれたせいろから、二本の蕎麦を箸ですくい、何もつけないで、そのまま食べる。わたしが審査員になって、ひとり蕎麦コンテスト開催だ。
ゆで方よし。歯ごたえよし。噛んで、咀嚼して、喉に流し込む。舌に残る味わい。更科蕎麦独特の上品な蕎麦粉の風味を感じた。
合格。ポンっとこころでスタンプを押した。
たいがいの場合、蕎麦屋のつゆは出汁が濃い。そういう出汁が好きな客が圧倒的に多いのだから仕方がない。その蕎麦屋も出しは濃かった。わたしは、箸でそばをつかみ、下2センチぐらいにつゆをつけ、一気に口に運ぶ。
6185.5/20/2009
坂の下の関所 六章
77
板わさを肴にビールを飲んでいた。
メールが入る。カンちゃんからだ。
>いま、どこ
そういえば、佐藤さんに中央公園で会えたのだろうか。
「関所で紹介してもらった蕎麦屋でランチしています」
返信を送る。
>わたしは、いま中央公園でおこげを食べてる。すごい、おいしいよ。
すぐにまた返信が来る。
あー、佐藤さんが俺にも勧めてくれたおこげね。鍋の底にこびりついたおこげ、きっとおいしいだろうな。ちょっと醤油をかけたら、なおのこと。
スポーツ新聞を読みながら、板わさをつまみ、ビールを飲んだ。
「そろそろ、鴨せいろをお作りしましょうか」
女将が頃合を見計らって尋ねる。心遣いが嬉しい。
「お願いします」
そういえば、先日、久しぶりに関所で会った鎌倉の旧市内に住む友人が言っていた。
「4月に一週間ばかり、北海道に行ってきたんっすよ。正月からまともに休みを取らないできたから、このへんでドカンと休んじゃおうっと。そういうことできるのも、いまのうちかなと思って」
彼は、独身だ。詳しい仕事内容は知らないが、小さな会社に勤め、かなり小回りがきく仕事をしているらしい。いまのうちって言っても、年齢は30代半ばを過ぎている。
「今回は道東に行ったんです。ドウトウ、わかりますか。北海道の東だから、ドウトウね」
飲みながら話した。彼は、飲むと、やや喋り方がくどくなる。
「そんとき、汽車に乗っていたんです。青春18切符使って行ったので、特急ではなく、普通車。それも車掌がいない一両編成。いわゆるワンマンカーっていうやつ」
青春18切符を使って行ったということは、鎌倉から普通電車を乗り継いで北海道まで行ったのか。途中、フェリーに乗ったとしても、かなりのんびりとした旅だ。
「もうすぐ網走ってとき、それまでボックス席の向かいに座っていた2人の高校生の会話を何となく寝たふりをして聞いていたんです。そうしたら、急にひとりが、『いま、降りる駅だったのに、乗り過ごしてしまった』と大声を出し、ややパニックに。もうすぐ網走っていっても、まだ網走までは駅が2つか3つあったと思います。
パニックを起こしている方が、もう一人に、頼んでいるんです。『お前、次の駅で降りるだろ。そうしたら、親に頼んで車で送ってもらえないかな』って。
次の駅っていっても、こっちの感覚とはずいぶん違うんですよ。ひとつの駅と駅の間隔が、汽車で10分ぐらいはあるから、乗り過ごしたら、歩いて戻るのは大変なんですね」
6184.5/19/2009
坂の下の関所 六章
76
わたしが、いつ、ことぶきでラーメンを食べたのかを、若女将は知っていた。客のたばこの銘柄専門の記憶力ではない。プロの商売人だ。
「少しは、世界を広げなきゃ。それにわざわざ大船まで行かなくても、この周辺にもおいしいお店はあるのよ」
「じゃぁ、紹介してよ」
「和食、洋食」
「さっぱりと和食がいいな」
わたしは、関所から歩いて5分ぐらいの蕎麦屋を紹介してもらった。以前から、気になっていた店だった。でも、店の暖簾をくぐったことはなかった。
わたしは、蕎麦、うどん、ラーメンなどの麺類が大好きだ。
これらは、店によって、質が全然違う。だから、わたしの好みと違う店に入ると、食べながら悲しくなる。貧乏性なので、残すことはないが。
だから、気になっていたけど、入れなかった。
しかし、今回は、若女将からの紹介という大義名分がある。
「こんにちは」
暖簾をくぐった。
「いらっしゃい」
高齢の女将が迎えてくれた。
「連休はひとがいなくてね。どこでも好きなところに座ってください」
わたしは、店内を見回した。表通りから見るよりも店内は、奥行きが広かった。4人がけのテーブルが10脚はあった。テーブルも椅子もメニューも壁の色も、使い古した感じがして、気持ちが落ち着く。きのうやきょう開店しましたという店にはない深みを感じる。
お品書きと書かれたメニューを見るか、壁に貼ってある短冊形のメニューを見るか、迷った。最近、眼鏡なしでは食堂のメニューは見えにくくなっている。壁の短冊を見ながら、考えた。
「えーと、生ビールの小と板わさ、それに鴨せいろをお願いします」
「はい、鴨せいろは、もうお作りしていいですか。後にしますか」
「後にしてください」
「わかりました。じゃぁ、食べるときになったら教えてください」
きっと、この店が長くここで続いている理由のひとつに、こういう客の心理を読んだコミュニケーションがあると感じた。
わたしはふだんビールを飲まない。昔からあまり炭酸が好きではないのだ。炭酸飲料を飲むと、胃袋が膨らんで、口からはゲップ、下からは屁ばかりが出てしまう。関所のメンバーにはビール専門のひとがいる。よくあんなにたくさん飲んで胃腸が炭酸ガスを吸収すると驚いてしまう。
でも、その日は散歩がてら、鎌倉の野山を歩いたので、喉が渇いていた。小さい生ビールは250円と書いてあったので、それぐらいなら大丈夫だろうと考えた。
「お待ちどうさま」
女将がお盆にビールと板わさを乗せて運んできた。
わたしが知る限り、そのビールグラスは、決して小さなコップではなく、350ミリリットルの缶ビールが一本は丸々入る立派なグラスだった。
6183.5/18/2009
坂の下の関所 六章
75
佐藤さんは、残念そうに引き止める。わたしのおなかで、グーっと胃袋が収縮する音が聞こえる。
「そういえば、ここに来るときにカンちゃんからメールが来ていて、カンちゃんもここに来るって言っていたよ」
「へー、まだ見かけないなぁ」
わたしは、佐藤さんに別れを告げて、関所に向かおうとした。
「おこげならたくさんありますよ。それにもう少ししたら、わたしたちも休憩になるから、おにぎりが用意してあるから、それだったら大丈夫なんだけど」
「いやいや、いいよ。気を使わなくて」
佐藤さんはとてもいいひとだから、気を使ってくれたのだろう。しかし、早朝から祭りの準備をして、ここまで多くの参加者に楽しんでもらっている谷戸の会のスタッフのことを思う。たとえ、メンバーの知り合いだからといって、ちょっとやってきて、スタッフ用のおにぎりを頬張る輩がいたら、あまり内心おもしろくないだろう。
それに、さっきソフトボールをいっしょにやっているメンバーを見つけた。
「センセーはどこにでも顔を出して、いっつも自分の場のようになじんで、おいしいところを持っていく」
そんなふうに思われたくなかった。
「山猿が呼んでいるので、関所に行くね」
祭りから離れた。
おだやかな初夏の日差しが、山崎の谷戸を包む。お金と時間をかけないで、のんびりリフレッシュするホリデーも、なかなかいいものだ。
「ただいま」
「あら、お帰りなさい」
関所で、若女将が迎えてくれた。
「さっき、カンちゃんが来て、これから祭りに行くって言っていたよ」
「うん、佐藤さんにも会った。でも、カンちゃんには会わなかった」
わたしは、クーラーから山猿を取り出し、コップに注ぐ。
「祭りで、何か食べられたの」
「もう売り切れでね。だから、別でお昼にしようと思ったんだ」
「きっと、ことぶきに行くつもりでしょ」
プッ、山猿が気管に入った。
「当たり」
「だめ、ついこないだも行ったばかりじゃない」
数日前の週末に、確かにことぶきでラーメンを食べていた。
6182.5/17/2009
坂の下の関所 六章
74
お昼ごはんをお祭りで調達しようと思っていた。
簡易テントにセロテープで「おにぎり」「おこわ」「なべ」という紙がぶら下がっていた。どれも、中央公園の田んぼや周辺の山で収穫した材料で作った自然食品だ。
おこわとなべは長蛇の列だった。なぜか、おにぎりにはひとがいない。これはラッキーと思って、わたしは、おにぎりがケースにたくさん並んでいる場所で、受付をしている女性に声をかけた。
「ひとつ、おいくらですか」
「えーと、2個ずつなんですけど200円です」
よくわからん。1個100円で売ればいいのに。
「じゃぁ、2個お願いします」
「食券が必要なので、ここでは現金は受け取らないんです。あそこのテントで食券を買ってください」
女性は、少し離れたところの簡易テントを指差した。
けっこう、手順があるんだな。
指示されたテントに向かう。どう見ても、食券を販売している気配がない。どういうことだろう。
周囲を見渡したら、佐藤さんがいた。
キャンプに行く姿をしている。シャツもパンツも布が丈夫そうだ。つばのある帽子から、足先まで、土気色に染まっていた。わたしは手を振る。佐藤さんはお辞儀した。釜には薪がくべられ、鍋が湯を沸かす。その蒸気を使って、大きなセイロがもち米を蒸している。3つ並んだ釜の向こうから、佐藤さんが近づく。近くには出番を待つ臼と杵のセットが3組。
「どうも。こんにちは」
「いま来たんですか」
病院で患者の手術に立ち向かう姿とはかけ離れた世界がここにある。
「あそこでおにぎりを買おうと思ったら、食券を別のテントで買ってきてって言われたんです」
「もう食券は売り切れかも」
佐藤さんは、わたしがおにぎりを買おうと思ったテントに行き、販売している女性に尋ねてくれた。佐藤さんといっしょに活動しているひとたちを眺めたら、ソフトボールでいっしょにやっているひとがいた。
「もうおにぎりは売り切れだそうです」
申し訳なさそうに佐藤さんが言う。
「残念、でもしょうがないや。じゃぁ別のところでお昼にします」
「え、もう帰っちゃうんですか」
6181.5/16/2009
坂の下の関所 六章
73
ゴールデンウィーク。
ことしは世界的に、豚からヒトに感染した新型ウイルスが広がり、連日、ニュースで被害や感染情報が流れている。
また、高速道路の使用料金が、1000円になった区間があり、多くのひとがマイカーで遠路へ旅に出た。そのため、各地で例年の数倍規模の渋滞が発生した。じつは、これ、あまり知らされていないが、宅配業者などの運送用トラックは除外されているそうだ。業界は、どうして怒りのデモ行進をしないのか。
わたしは、これまでも、きっとこれからも、あまりゴールデンウィークだからといって、特別な企画は考えない。
学校という職場は、4月がとても忙しい。年度が替わり、こどももクラスも教室も同僚も替わる。その変化に、こころを対応させるのにひと月はかかる。遠足や授業参観、健康診断などの行事も多く、仕事も増える。肉体の疲れがピークを迎えるのが連休の頃なのだ。
だから、ことしも地元でのんびり過ごした。
いつもの大船散策から、少し足を伸ばして、北鎌倉方面を歩く。
車の通りから一本外れた住宅街は、家々が連なり、勾配が急で、車は通れないほど道が狭い。谷をはさんで、向こう側に高野台の山肌。円覚寺の庵が点在する。
リュックを背負う背中にじっとりと汗を感じる。小袋谷交差点から、山崎の谷戸に入る。
きょうは、佐藤さんが中央公園でお祭りがあると言っていた。
それを思い出し、谷戸の切通しを抜けて、公園に向かう。
地面はアスファルトだが、その脇を小川が流れる。ずいぶん奥まで家が建ったものだ。かつて、この谷戸は人家がまばらだった。一面の水田が広がり、梅雨から夏にかけては夕刻に蛍が乱舞していた。いまも、夏に観察会が開かれているが、全盛期の1割程度に減ってしまった。アスファルトが土の地面だった頃、小学校から帰ったわたしは自転車に乗って、山崎から梶原、山内の山道を走り回っていた。マウンテンバイクなんてない時代。父の自転車を失敬していたのだ。何度も山道ではずっこけた。擦り傷や切り傷も耐えなかった。せせらぎで傷を洗い、消毒代わりのよもぎの葉を薬にした。中央公園に続く小川には、当時、天然もののたにし、かわにな、しじみが生息していた。夕飯の味噌汁の具に、しじみをポケットに詰め込んで帰った。
過去が鮮明によみがえる。年齢を重ねた自分に気づき、少しいやになる。
中央公園の奥の広場には、この地域にこんなにひとがいたのかと思うほど、たくさんのひとがいた。列を作って並んでいるひと。竹とんぼの作り方を教わっているひと。シートを持参して座り込み、おにぎりを頬張っているひと。せいろからあがったもち米を臼でつくひと。
広場の正面には「特定非営利活動法人 谷戸の会」の手製の看板がぶらさがっていた。
たしか、去年、佐藤さんはこの法人の中心的な仕事を任されていたと思う。
6180.5/14/2009
坂の下の関所 六章
72
これらの刺し子を使った小物作品は、どんなに大きなものでも小さなものでも作り方に変化はない。小さいほうが早くできると思われがちだが、経験からいうと、あまり時間差もない。
必要な布を裁ちばさみで大雑把に切る。一晩水洗いをして干す。これによって、布の縦糸と横糸のよじれが修正される。布は縦糸と横糸が垂直に交わって縫い合わさっている。しかし、引っ張り加減で微妙に垂直が崩れていく。これを修正するのだ。この地味な作業を省くと、完成した後に、洗濯や乾燥で、作品が型崩れを起こしてしまう。
乾燥した布の四辺の端から、中途半端に切り落とされている糸を抜く。端から端まで糸が通るまで抜く。抜いた糸は捨てる。かなりたくさんのゴミになる。
型紙をあて、チャコペンで印をつけ、裁ちばさみで切り抜く。あまりぴったりに切ると、縫い合わせのときに調節ができなくなるので、やや大きめに切り抜く。
刺し子の型紙を使って、刺繍をする部分にチャコペンで模様を描く。ずれないように気をつける。刺し子模様を刺す。布の色と模様の糸の色の組み合わせを考える。無難な色は紺だ。
部品として切り分けた布を合わせて、仮縫いをする。マチ針でとめる方法もあるが、わたしは、苦手だ。マチ針でとめると、なぜか最後がずれてしまうのだ。だから、面倒でも、すべてについて仮縫いをする。本縫いをする線のわずかとなりを色の違う糸で縫うのだ。仮縫いが終わったら、丈夫で細い綿糸で本縫いをする。
ミシンを使う手もあるが、わたしはこれも苦手だ。いままで何度か「便利で早いよ」と先輩に勧められトライした。しかし、多くは糸がこんがらがって、それを片づけるのに膨大な時間を費やした。
だから、地味で時間がかかるけど、縫いはすべて手縫いにしている。
縫い終わったら、表と裏を返して、口をかがる。
巾着の場合は、これに紐を二本作る。この紐作りがとても手間と時間がかかる。目立たない部分なのに、なければ困る。かなり丈夫に縫わないと、使っているうちに、紐としての機能が落ちる。
すべてができあがり、水洗いをして、チャコペンの後を消す。一晩、干す。翌日、アイロンをかけて完成だ。
わたしは、こういう手縫いの手芸小物の価値を知らなかった。しかし、自分で作るようになってから、手芸店やデパートの特産コーナーで手縫い作品を見かけると、思わず手に取って作り方を調べてしまうようになった。そして、値札を見て驚く。
小さな巾着でも3000円とか5000円という高額な値段なのだ。
わたしがふだん作るサイズは10000円ぐらいの値段がついている。
いつか、職にあぶれ、生活に困るときがきたら、手芸小物で生計を立てるときが来るかもしれない。
関所のおふたりは、あの巾着を使っているだろうか。
芸術品ではないので、どんどん生活の中で使いこなし、使い古して、手になじむ小物にしてほしい。