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過去のウエイ

6179.5/13/2009
坂の下の関所 六章

71

 バラ男さんのプレゼントでわたしはリュックの荷物を思い出した。
「そうだ、そうだ。俺もプレゼントを持ってきたんだ」
リュックを開き、リバーシブルの巾着袋を取り出す。
「これ、大将に」
若女将は、目を丸くして、もうできたの?と驚く。
 先日の誕生日にあわせて、わたしは若女将にリバーシブルの巾着をプレゼントした。
 貢物と勘違いされたり、夫婦仲にひびが入ったりするのは、本望ではないので、大将の誕生日を聞いた。夏だという。
「じゃぁ、そのときにもおそろいのものを作るね」
そう約束していたのだ。
 しかし、考えた。布地は数ヶ月も経つと同じものがなくなってしまう。一度にたくさんの布地を買えばいいのだが、意外と値段が高い。わたしが使う麻や麻入りの綿は、メートルで1000円前後はしてしまう。
 だから、現在の布地が夏まで残っている保証はない。それまでに手持ちの布で他のものを作る可能性は十分にある。だったら、早すぎるけど、おそろいにするためには、同じ布地があるうちに作ってしまうしかない。
 表は浅黄色に近い麻と綿の布。裏は細い綿糸と使ったガーゼのような二枚布。ポケットをつけ、そこに七宝つなぎの刺し子模様を刺した。
「これ、パパにセンセーが作ってくれたんだって」
レジの奥で、からだを休めていた大将に、若女将が巾着を渡す。
「お、こういうのって、ふつうは中に札束が五つか六つ入っているもんだよな」
それって、どこの世界のふつうなの。
「そんなもん、入れる余裕があったら、絹で巾着を作っちゃうよ」
「じゃぁ、なかから鳩が出てきたりして」
あのね、手品の小道具ではないの。
 わたしは、仕事で刺繍や手芸小物を制作する。厳密には、こどもが制作するのを指導している。こどもたちは、完成品が身近にあるのとないのとでは、ものづくりに対する意欲が違う。ただの布きれが最終的にどんなかたちになるのかをイメージするのに、完成品は役立つ。だから、わたしは年中、こどもたちの見本として、布巾や巾着、ブックカバーやトートバックなどを作っている。
 以前は、スウェーデン刺繍という刺繍や、クロスステッチをメインにしていた。しかし、これらの刺繍は、特殊な布を使う。その特殊な布がとても値段が高い。そこで、さらし布で刺繍ができる刺し子を2年前の夏に始めた。以来、江戸小紋模様を使って、コースターや布巾、巾着や箸入れなどを制作してきた。

6178.5/12/2009
坂の下の関所 六章

70

 かつて、わたしも20代の頃は、学校と自宅を往復する生活を続けた。
 仕事の要領がうまくつかめなかったので、無駄に時間を費やした。
 しかし、いまはどんなに気持ちが集中できない状況でも、定時までに仕事を片づけるようにしている。残った仕事は、持ち帰るか、翌日回しだ。職員室でほとんど執務をしないのはそのためだ。職員間の情報からは疎くなるが、教室で仕事をしたほうが、よっぽど効率がいい。
 そして、定時以降の有意義な時間を関所で過ごす。だいたい1時間ぐらいは関所で過ごすだろうか。
 だから、同じ時間に、ビールや酒を買い来るスーツを着た男性に興味を抱く。このひとにも、このひとなりの時間の使い方があるのだろう。
 ふつう、のんべんだらりとした生活をしているひとや、バタバタしていて忙しい生活をしているひとは、決まったパターンの行動を取りにくい。日々、同じパターンを繰り返すことができるひとは、仕事にも生活にも余裕があるということだ。お金に余裕があるとは限らないけど。
 その日は、スーツ姿の男性は、いつもと違っていた。
 片手に真紅のバラの花束を抱えていたのだ。抱えるほどたくさんのバラが包まれていた。やや濃くて紫に近い真紅。鮮やかさが人目を引いた。
「何かのお祝いですか」
思わず、話しかけてしまった。
「結婚記念日なんです」
恥ずかしそうに、小さな声でバラ男さんは答えた。
「へー、すてきですね。きっと喜ばれますよ」
レジで財布から小銭を出しながら、彼は頭をかいていた。恥ずかしいけど、声をかけられたことには不満はなさそうだった。
 そこに、相田さんや赤坂さんの矢継ぎ早の質問が飛ぶ。
「これで、きょうのおかずは一品、増えましたね」
相田さんの発想は、食べるものに向く。
「女房が生きているときに、俺もそういうことをやっておけばよかったなぁ」
赤坂さんは、記憶をたどり、反省モードに入る。
 バラ男さんは、なんて応じればいいのかわからない。おつりを財布に入れて、微笑むような同情するような表情を浮かべて、軽く関所の連中に会釈をして帰っていった。

6177.5/11/2009
坂の下の関所 六章

69

 2009年のゴールデンウィークが近づいていた。
 シンロートの相田さんも、首都リーブスの赤坂さんも、同じ会社のひとと「ことしのメーデーは行ってみようかな」と盛り上がっている。これだけ、雇用状態が悪化し、自分たちが声をあげなれば、来年のいまごろは仕事を失っているかもしれないという危機感が、背景になるのだろうか。
「酒はあるよな」
「配達を頼んであるから大丈夫」
どうやら、労働者の祭典、メーデーは悪徳資本家と闘う前に、景気づけが必要ならしい。ほろ酔い加減を通り越し、ただの宴会にならないことを祈る。
「はい、いらっしゃい」
関所には、立ち飲みばかりではなく、一般の買い物客も多い。
 近隣に住むひとたちがタバコや酒、日常品を買いに来る。また、仕事帰りのOLやサラリーマンも多く立ち寄る。コンビニ全盛の時代に、町の酒屋が生き残っている。
 いつもグレーのスーツを着こなした仕事帰りの男性が入店した。商品を入れるかごを持って、奥のクーラーへ向かう。日本酒やビールをほぼ毎日買っていくひとだ。話したことはないが、いつも決まった時間に同じものを買っている姿を見ていれば、わたしも覚えてしまった。おそらく年齢は、わたしより上の40代後半か。スーツにネクタイという一般的なサラリーマンスタイルなので、どこかの会社に勤めているのかもしれない。
 しかし、ほぼ毎日、6時前に関所に立ち寄って、好みの酒を買って帰ることができるというのは、かなり恵まれた職種だろう。残業が多い民間企業や、仕事がなくなった工場のひとではない。もしかすると、公務員かもしれない。それも役所や警察など、わりと定時に仕事を切り上げられる条件があるひとだ。
 一瞬、わたしの同業者かとも思った。しかし、わたしの知る限り、同業者のなかに定時に帰る者はほとんどいない。残業代は一切支払われないのに、多くの学校関係者は7時とか8時まで学校にいる。なかには、店屋物を頼み、夕飯代わりにするひともいる。だから、わたしのように定時近くになると時計とにらめっこしている存在は特殊なのだ。
 なぜみんな帰るのが遅くなるのか。たいがいは学校にこどもがいたり、外部から電話がかかってきたりする時間帯は、うるさくて、仕事に集中できないのが理由だ。職員室は、保護者やこどもが出入りし、電話がガンガン鳴りまくる。
「ちはー、宅配です」
業者も何度も訪れる。
 そういううるささは、だいたい5時を過ぎると沈静化していく。そこから、書類や本がうずたかく積み上げられた仕事机に向かう。40人のこどもの日記を読むとする。読んでから簡単な返事を書くとする。ひとりに5分かければ、作業終了までに200分かかる計算になる。途中、トイレに行ったり、コーヒーを入れたりすれば、230分ぐらいかかるだろう。日記事務をするだけで、約4時間もかかるのだ。その後に、翌日の学習準備をしたり、テストの採点をしたりすれば、時計の針は9時を過ぎていく。

6176.5/10/2009
坂の下の関所 六章

68

 わたしは、3月のNマークを数える。
「えーと、一つ、二つと、全部で五つもあるよ。ぎょ、これ飲みすぎじゃん」
 配達に出ようとした大将が、わたしの横を通り過ぎる。
「うちとしては、大歓迎」
そりゃ、そうでしょ。でも、一本2500円ぐらいする山猿なので、5本も飲んでいたら、お金もからだももたないよ。よかった。Nマークをつけたから、暴飲の証拠をおさえたぞ。
 目標は、多くても一ヶ月にNマーク4つ以下だ。
 わたしは、瞬時に計算する。一ヶ月が30日とする。定休日の火曜日には飲めない。火曜日が4回あるとして、30日から4日を引くと26日。土曜日か日曜日は休肝日にしているので、さらに4日を引くと22日。22日かぁ。それぐらいは関所に寄るなぁ。
 22日で4本の山猿とすると、だいたい5日に一本のペースだ。それも、火曜日や休肝日を抜かして。だから実際には、Nマークは一週間に一つがベストということだ。
 よく考えると、こんなに難しいことを考えなくても、カレンダーを眺めていれば、すぐにわかるはずだと気づいた。
 そして、大事なのが、一日の量だ。5日に一本ということは、一日に二合まで。コップに二杯ということになる。
 最初の一杯を、いつも半分ぐらいはビールみたいに、くいーっと飲んでいた。これからは、やめよう。もったいない。最初から、ちびちび飲むぞ。
 そう考えると、関所のメンバーはみなさん飲みっぷりがとても豪快だ。よく、あんなにお金とからだがもつものだ。
「そうやって、自分にノルマを作ろうとしているでしょ」
「だって、まずいよ。飲みたいだけ飲んでいたら」
若女将には、何でもお見通しだ。
「いいのよいいのよ、なにせ、うちには売るほどあるんだから」
 ぷっ、口に含んだ山猿をふき出した。おっと、小さじ一杯、損をした。
「それにね、俺たち4月から給料減ったし、こどもには金がかかるし、ジリ貧なんだから」
「それは、どこもお互い様よ」
公務員が、あまりジリ貧というと、あとでしっぺ返しを食らうので、小さな声にしておいた。
「ちょっと、店番をお願い」
ひとり、関所に残される。若女将は奥へ消えた。
 どうすれば、Nマークをもっと減らせるか。新しいのを入れても、カレンダーに書くのを忘れたふりをする。そうすれば、次に入れるまでに、日にちを稼げる。いや、待て。誰のために日にちを稼ぐのだ。そして、誰に対して、忘れたふりをしなくちゃいけないのだ。
 自分で自分をだまして、どうする。
「おまちどおさま」
若女将の手には、わたしの大好きなセロリが入った皿があった。
「もしかして、あまりジリ貧っていうから、用意してくれたの」
「そうよ、かわいそうでしょ」
「なんだか、差し入れを催促したみたい」
「催促した、催促した」
 ありがたいなぁ。おまけに、差し入れは「おいしい」とか「うまい」と言い続ければ、後日もいただく権利を得られるのだ。

6175.5/8/2009
坂の下の関所 六章

67

 壁の時計を見ると、まだ5時前だ。
 わたしは、山猿をコップに注ぐ。いつもの仕事帰りと違い、散歩と読書の疲れは心地よい。
「こないだ、これ、埼玉の母に送ったのよ」
若女将の手には、わたしがこれまで書いた「坂の下の関所」を印刷した紙が握られていた。ネット上での公開を終えた作品を一章ごとにまとめ、縦書きに変換して、プレゼントしてきたものだ。
「えー、そんな。恥ずかしいなぁ」
「だって、実家の母は、ふだんのわたしの姿を知らないでしょ。それを知らせるには、最高のプレゼントだと思わない」
語尾を上げて同意を求める。
 なるほど。そういう使い道があったか。
 わたしは、自分の考えたことや経験したことを書き残すことが好きだ。
 でも、それらは全部、だれかのためではなく、自分のためだ。
 だから、そんな作品の一つが、自分の手を離れて、ひとの手のなかで大事にされると、ちょっといい気分になる。
「こないだ、母といっしょに住んでいる姉と電話で話したの」
お、感想か。どきどき。
「そうしたら、母ったら、とっても喜んで、これを片時も話さずに握り締めていたんだって。トイレに入っても読んでいたっていうんだもの」
まだ見ぬ若女将のご母堂。そこまで大事にしていただくなんて、お礼の言葉もありません。文章には書ききれないほど、本当は娘さんにも、大将にも、お世話になっているのです。行間からそのあたりを、お察しください。
「何度も何度も読んで、何部もコピーを作ったんだって」
おや、何度も読んでくださったのは、うれしいんだけど、複製ってどういうこと。
「いくつもコピーをとって、どうするんだろう」
若女将は胸を張る。
「あちこち配るに決まってるじゃない」
なんで、そんな当然のことを質問するのだという顔をしていた。
 いや、あの、せこいことを言うつもりはないんだけど、作者の著作権とか、知的所有権とか、そういうものは発生していないのね。ま、いっか。目を通したひとが、こころに何かを感じてくれれば。
 わたしは、すでに役目を終えて、いまは四合瓶の日本酒や焼酎を並べる棚になっている、冷蔵機械の横の壁を見る。そこには、細長い二ヶ月単位のカレンダーがぶら下がっていた。
 カレンダーには3日から5日おきに、英語のNマークが書かれている。わたしがボールペンを借りて書いた。Nはニューの頭文字。日本酒を新しく入れた日を示している。年が明けてから、どうも調子よく仕事帰りに山猿を飲んでいたら、ペースが早すぎることに気づいた。そこで、いつ開封したかがわかるように、カレンダーに印をつけるようにしたのだ。

6174.5/7/2009
坂の下の関所 六章

66

 道は台の峰から、山崎の谷戸に移る。
 天空にとんびが、ピーヒョロロと鳴きながら、旋回している。
 ライオンズマンションを右手に見ながら、鎌倉中央公園に続く小道に入る。
 奥から公園を散策してきた親子連れが戻ってくる。反対に、公園に向かう中学生が数人自転車に乗って、わたしを通り越していく。
 せせらぎを見ながら、早歩きで、公園に到着した。まずは管理棟まで、ラストウォーク。トイレを使う。
 公園と言っても、自然公園なので、ブランコや遊具があるわけではない。広い敷地には、植生と水生が調和した空間が広がっている。しかし、こどもの頃、公園ができる前の何も手の入っていないこの場所で、放課後に遊びまわったわたしには、それでもひとの手が入った印象を強く感じてしまう。草がぼうぼうで、蛍が乱舞した昔は、もうよみがえらない。
 芝生広場の周囲には、ソメイヨシノ、八重桜、ヤマザクラなどが植樹されている。いまは、八重桜が満開で、重たい花を風に揺らせていた。わたしは、その近くのベンチに座る。リュックからタオルを出し、額の汗をぬぐう。
 読みかけの本を出す。ポットのお茶で水分を補給した。
 読書が好きだが、ふだんあまり読書の時間をまとめて取れない。寝る前に読むと夢中になってしまい、翌日に寝不足の影響を引きずる。通勤列車の4分間が貴重な時間だ。だから、公園での読書タイムは、物語の世界にどっぷり浸ることができてうれしい。
 あっという間に1時間が過ぎた。
 荷物をまとめて、わたしは公園を後にする。自宅近くを通り抜け、なだらかな下り坂を早歩きする。
 関所の看板が見えてきた。
「ただいまぁ」
 リュックを下ろす。大将が店番をしていた。
「あれ、公園で佐藤さんと会わなかったの」
 佐藤さんは、公園で市民ボランティアの活動をしている。炭焼きや蛍の鑑賞会などを企画している。
「たぶん、炭焼き小屋の上の方にいたと思う。人影がちらほら見えたから。でも、仲間と仕事をしているところに顔を出しても邪魔になるだけだから」
 読書の前に、炭焼き小屋周辺を散策した記憶がよみがえる。
「けっこう、みんな、高齢のひとが多いんだってな」
「そうそう、佐藤さんなんて若いほうだって、言っていたよ」
 奥の扉が開く。
「あら、センセー、いらっしゃい」
若女将が登場した。

6173.5/6/2009
坂の下の関所 六章

65

 時計を見ると11時だ。
 チケットショップと八百屋の奥。週末のわたしのランチは、ラーメンだ。
 看板が出ていないので、店の名前がわからない。通称「ことぶき」。腰の曲がったおばあさんと、パーマに白髪が増えた息子のふたりで経営している。
 スープはあっさりした鰹だし。麺はストレートの細麺。具は、ネギとチャーシューとシナチク。具といっても、ネギは刻んだものが5つぐらい。チャーシューは親指の先ぐらいの面積のが4枚ぐらい。シナチクにいたっては、ストローみたいに細いのが一掴みしかない。
 メニューはラーメンとチャーシュー麺だけ。それぞれに大盛りがある。でも、多くの場合、チャーシュー麺は「きょうはない」と言われる。
 麺の硬さを選べる。わたしはいつも硬めだ。スープの濃さも選べる。醤油ベースの量を増やすだけだ。わたしは以前「かため」と麺のことを言ったのに、「からめ」と聞き間違えられて、濃いスープを食べたことがある。それ以来、濃いスープにはしていない。
 こってりしたスープ。ちぢれた麺。玉子やニンニクなどのトッピング。そういうものをラーメンに求めるひとは、行かないほうがいい。それらは何もない。
 わたしは、猫舌だ。
 だから、硬めのラーメンが来ると、まず箸で麺を器の底からひっくり返す。麺の間に空気を入れ、冷ます。少しのびてしまったぐらいが好きなのだ。それでも、すぐには食べない。両手で器を持ち、スープを少しずつ飲む。猫舌なので、一気に飲むと口のなかが大騒ぎになる。でも、スープだけは冷めたものよりも、熱いほうがおいしい。スープを先に飲むと、麺が水面から顔を出している量が増える。麺島の標高が高くなる。山頂部の温度はどんどん下がる。それを箸でつまんで、日本そばみたいに一気に喉で食べる。
 うまい。
 ほぼ週末の土曜日か日曜日のどちらかは、ことぶきに来てラーメンを食べる。
 だから、店内に入ると、麺を硬めと言わなくても、最近では自然に硬めの麺のラーメンが出てくる。
 スープを最後の一滴まで飲み干して、代金を支払う。
 ふたたび大船の仲通を歩く。
 やがて、少し商店街から離れた小道に入る。キリスト教の教会の脇を抜ける。その頃には、体温がぐっと上がり、脇の下や背中がうっすらと汗ばんでくる。
 児童館の横を通り、消防署を右手に見ながら、横須賀線の線路伝いに歩く。小袋谷の踏み切りを渡り、山内の住宅街に入る。ここまで来ると、大船の町中と違い、喧騒はなくなり、鳥のさえずりや風の音が耳に心地よい。
 神明神社の下を通る。上り坂にさしかかる。小さなこども広場で、サッカー少年団が練習をしていた。知っている親父たちがコーチをしているのを、ネットの外から眺める。みんなふだんは仕事で忙しいだろうに、地域貢献活動に汗を流して頭が下がる。
 坂を上り切ると、山崎小学校。校庭では少年野球が練習をしていた。ここでも知り合いの親父たちがコーチをしている。バッティングピッチャーをやっている安西さんは、さっきからボールばっかりで、ちっともバッターに打たせていない。
「おーう、練習になってないぞー」
ネットの外から、ひやかして、立ち去る。

6172.5/5/2009
坂の下の関所 六章

64

 大踏み切りの手前で左折する。角のバイク屋はまだ開店していない。
 左折してしばらく歩くと、立体交差の横須賀線の踏み切りに差し掛かる。
 上り線が盛り土の上を走る。そこにトンネルが掘られ、ひとと車が往来する。トンネルの向こうに下り線の踏み切りがある。踏み切りからは大船駅のホームが見える。電車が駅に到着する前から踏み切りはしまるので、一度遮断機が降りたら、かなり待たないと開かない。
 わたしは、車両が好きなので、駅に発着する電車を見ていれば飽きない。しかし、遮断機を手で押し上げて、渡っていくひとは少なくない。
 そんなに急いで、どこへ行くの。
 大船駅の東側は、昔からの商売地だ。
 狭い路地や一方通行が多い。商店街もにぎやかだ。
 一番大きな仲通商店街は、一年中、ひとで混みあっている。生まれたときから、ここで育っているわたしは、本当は喧騒が嫌いなのに、仲通商店街のにぎやかさは苦痛にならない。活気から元気がもらえる気がする。
 商店街の端に「運ど運や」という暖簾の下がった店がある。「運」と「運」の間に「ど」があるので「うどんや」と読む。こどもの頃はそれがわからなかった。カツオ出汁の香りが、換気扇から漏れてくる。おなかが鳴る。
 仲通に入り、左右に店を見ながら真っ直ぐ歩く。距離にしたら100メートルぐらいの商店街だろうか。呉服屋、ドラッグストア、チケットショップ、菓子屋、園芸店、パチンコ、居酒屋、ラーメン屋、八百屋、果物屋、ゲームセンター、肉屋、質屋、100円ショップ、携帯ショップ。ありとあらゆる店がある。しかし、この通りにはコンビニはない。偶然かもしれないが、理由はわからない。商店街全体がコンビニだと思えば、あえてコンビニは不要なのかもしれない。
 通りを端まで歩くと家電ショップの大きなビルがそびえる。
 エスカレーターを使わずに、階段を使う。
 目新しい製品をチェックする。同じところに立ち止まっては、ダイエットウィークの効果はないので、次から次へと売り場を移動する。
 何も買わない。買い物が目的ではない。そもそも財布にはそんなに金もない。
 コインを預けてあるゲームセンターでカードゲームをする。ゲームに勝つとコインが増えて、預けることができる。だから、ここではお金を使わなくて済む。別にゲームがしたいわけではない。休憩と、ひとの観察をする。どういうひとたちが、来るのだろうかと観察をする。意外と親子が多いのは驚く。学生も多いが、9割は男だ。女の子はほとんどいない。楽しさの質ってやつを考えさせられる。
 仲通から一本外れたり、仲通に垂直に交わる道も多い。
 そういう斜(はす)の道に入る。わたしのお気に入りは、島森という小さな本屋とリリアンという生地屋だ。島森で最新本をチェックする。大きな本屋ではないので、本当の売れ筋しか置いてない。リリアンでは、とても買いたい衝動をおさえて生地を見る。

6171.5/3/2009
坂の下の関所 六章

63

 日曜日。
 わたしは、太り気味のお腹が気になる。
 いつも夏に人間ドックを受けている。最近は必ず「肥満傾向」という注意書きが登場する。
 肥満なら肥満とはっきり明記すればいいものを、傾向という言葉がつくと、まだ一歩手前かなと油断してしまう。むしろ、「通常の限界ぎりぎり」と教えてくれたほうが、通常の限界から標準の範囲に戻そうという気持ちになるのに。
 だから、歩くことにしている。
 出勤時、以前はバスやモノレールを使って、大船駅まで行った。
 しかし、雨でない限り、大船駅まで歩くことにした。歩き方も、のんべんだらりと歩くのではなく、早歩きだ。腰を使って歩く。モンローウォークとイメージしているが、実際にはペンギンのヨチヨチ歩きみたいかもしれない。
 元マラソン選手が、ラジオで、腰を使った歩き方をすると、大腰筋(だいようきん)が鍛えられて、ウエストがしまると言っていた。大腰筋は、腿と腹をつなぐ筋肉らしい。ここが鍛えられると、その周囲の脂肪が燃やされる。結果として、腹回りが縮小する。
 いつかは、ふだん電車に乗っている大船と藤沢間も歩いてみたい。
 酔っ払って、金がなく、最終電車に乗り遅れ、タクシーをあきらめる夜。そんな夜しか、歩いたことのないコースだ。左右に揺れながら歩き、2時間ぐらいして自宅に到着している。きっと、健康的に歩いたら、もっと早く歩けるのだろう。
 だから、天気のいい日曜日。なるべく早歩きの散歩をする。
 午前中に出発する。坂の上から下る。開店したての関所では、店のなかの商品を外に並べている。
「お、きょうは休みか」
大将が顔を上げる。
「うん」
「いいなぁ、少し俺にも休みを分けてくれよ」
 そうしたいところだけど、代わりにわたしが酒屋の仕事をしたら、迷惑をかけるだけだ。
「また、あとで」
 関所を通り過ぎて、歩く。歩き始めは、へそのまわりの肉が気になる。5分ぐらい歩くと、ペースがつかめてくる。
 富士見町商店街の午前中は静かだ。鎌倉街道を市内へ向かう車が多い。各地から行楽で来たひとたちが、高すぎる駐車料金を我慢して鎌倉観光をする。正面の東海道線の踏み切りは、赤いランプが点灯し、カンカンと甲高い音をあげる。地元では大踏み切りと呼ばれている。東海道上下線、貨物上下線、車両基地からの上下線。合計で6本も線路があるので、終日、遮断機が下りている。地元のひとで、ここを生活道路にしているひとはあまりいない。

6170.5/2/2009
坂の下の関所 六章

62

 永田さんが空になった缶や菓子のビニール袋を持ってレジに来る。
 そろそろ会計をして、帰るのだろう。
 わたしは、立ち飲みでも、そのつど支払いをする。でも、関所のメンバーの多くは、缶ビールやポテトチップス、缶詰を手にしても、その場では支払いをしない。帰り間際に、空になった容器や袋を抱えて、レジで支払いをする。飲食店方式だ。
「あら、もうお帰り」
若女将が清算をしながら尋ねる。
「あと、これだけ飲んだらけぇる」
永田さんの手には、ペットボトルのウイスキー割が握られている。
 永田さんにお釣りを渡した若女将が、思い出したようにわたしに言った。
「冷凍のホタテをたくさんもらったんだけど、どうやって調理したらいいかな」
わたしは、凍っているホタテの貝柱を思い出す。
 ウイスキー割の栓を開けた永田さんが参加する。
「そりゃ、七輪で焼いて、蓋がぱかっと開いたところに、醤油と酒をたらしてさ」
「永田さん、冷凍のホタテは貝柱ばっかりで、貝殻はついてないんだよ」
わたしは、凍っている貝殻つきのホタテをもらったと勘違いしている永田さんに教える。
「なんだ、蓋はないのか」
 若女将に向き直る。
「やっぱ、フライパンに油を熱して、細かく刻んだニンニクと塩コショウで表面にこげ色がつくようにソテーするのがおいしいかな」
「そうよね。でもたくさんあるから、いろんなメニューにしたいのよ」
「さらっとゆがいて、細かく切ってサラダに混ぜるのもいいかも」
「あ、それ、おいしそう」
 永田さんは、会話を聞いていた。
「でも、やっぱり、ホタテは七輪で焼いてさ。蓋が開いたところに酒と醤油が一番だぞ」
「だからぁ、貝殻はないの」
わたしと若女将で合唱しながら、永田さんに説明をした。
 わたしもそうだが、アルコールがまわると、みなさん同じ話を、まるで初めてのように何度もしゃべる。きっとしゃべったことを、その瞬間から忘れてしまうのだろう。
「じょうずに解凍できたら、横に八分目まで切って開いて、握り寿司っていうのもいいかも」
 永田さんの目が輝く。
「俺、握り寿司には目がないんだよ」
「食べるのは永田さんじゃないの」
わたしと若女将でふたたび合唱。
 わたしもそうだが、アルコールがまわると、みなさんそれまでの文脈をきれいさっぱり忘れてしまう。興味あるフレーズを耳にしたとたん、脳みそが、そのことだけで占領されてしまうのだ。