6169.5/1/2009
坂の下の関所 六章
61
若女将が奥で皿に相田さんが差し入れてくれたお新香を盛り付けてきた。
「あっちとこっちで、どうぞ」
「いただきます」
わたしは、割り箸を配りながら、相田さんに礼を言う。
興味があって、最初につまんだのは、やはりサービス品のブロッコリーの漬物だった。
「うわぁ、しょっぱー」
口に含んだとたん、塩のしょっぱさが広がった。舌や歯茎が漬物になりそうだ。思わず、山猿を口に含む。これでは、肴ではなく、塩分を洗い流すために酒を飲んでしまいそうだ。
「こんちわっす」
若いころ、国体の水泳選手で活躍した山中さんが登場した。
「山中さん、相田さん差し入れの漬物があるよ」
わたしは、皿の端で、固まっているブロッコリーの漬物を指差す。
「これ、珍しいよ。ブロッコリーの芯なんだって」
「いやぁ、本当だ」
生ビールを口に含んだ山中さんは、箸でブロッコリーの漬物をはさんで口に運ぶ。次の瞬間、唇が梅干を含んだように皺を寄せた。
「しょっぺーなぁ」
相田さんに聞こえると悪いので、わたしにだけ聞こえる声で、山中さんは感想を教えた。
相田さんは、わたしは山中さんとは反対側のコーナーでチューハイをあおる。
「姉ちゃんのいるところに行くと、こういうお新香ってやつはないんだよな。ポッキーとかポテチとか、その辺の菓子が出てきて、めっちゃ高い」
そんなことを言いながら、ブロッコリーを口に入れているから、あまりしょっぱさが気にならないらしい。
「相田さんは、クラブとかバーとかでは何を飲むの」
若女将がレジから、やや大きな声で質問をする。
「だいたいボクはお新香さえあれば、いくらでも飲めるのに。あのポッキーとかポテチはやめてほしいんだよな、あはは」
近くで焼酎をちびちび飲んでいる永田さんに話している。
「聞いてないんだから」
若女将は、いつものことというふうに、それ以上の質問を中止した。
わたしは、皿の反対側の白菜やきゅうりの漬物の味を確かめる。ブロッコリーに比べれば、塩分は少ないが、一般的にはそれでもかなりしょっぱい。ここで、よっちゃんの酢漬けイカを買ったら、相田さんに悪いなぁ。
「そういえば、山中さんはきょうは水泳ですか」
「うん、これから行く」
お新香に箸をつけるのをやめた山中さんは、生ビールでうがいをしている。お酒を飲みながら泳いで大丈夫なのだろうか。
6168.4/30/2009
坂の下の関所 六章
60
相田さんが遅くまでいる。
週末の金曜日にしてはめずらしい。
蛍光塗料メーカー「シンロート」の相田さんは、関所に入って左側の洋酒棚を背にして、いつもウイスキーや焼酎を飲んでいる。声が大きい。
だいたい金曜日は、チンザノというわたしの知らない洋酒を持って、お姉ちゃんのいる店に行く。土曜日が休みなので、金曜日はとことん飲むのだろう。
お姉ちゃんとは、相田さんがいう言葉だ。酔いがまわってくると、「お」の字が消えて、姉ちゃんになってしまう。まさか、血のつながった姉の店に行くわけではない。相田さんがお気に入りのホステスが待つクラブがあるのだろう。その方は、よほどチンザノが好きらしい。相田さんはクリスマス、ホワイトデーなどのイベントデーにはもちろん、ふだんの週末でも、チンザノを関所で買う。店に置いてなければ、何日も前から注文を出している。
その相田さんがきょうはいる。いつも手にしているチンザノはない。
あちゃー、春は終わったのか。
関所では、よほどのことがない限りメンバー同士で互いのプライベートなことは聞かない、言わない、話さない。まして、失恋のことなんて聞けない。わたしが勝手に決め付けているだけで、実際は違うかもしれない。
「ママさん、そこでお新香を買ってくるから、みんなで分けてよ」
相田さんが、レザーの財布を開いて、若女将に合図を送る。
「いいよいいよ、浅漬けでよかったら、うちのがあるから、それを出そうか」
個人的には、わたしは浅漬けがいい。
「大丈夫、いつも世話になっているから、これぐらいはしないとな」
大柄の相田さんは、のっしのっしと自動ドアの向こうに消えた。
どういう風の吹き回しだ。チンザノを買わないばかりでなく、関所のメンバーに差し入れを振る舞おうとは。何か魂胆があるかもしれない。「うまいうまい」とがばがば食わないように気をつけよう。そんなことをしたら、後日「センセー、ひとりで食いやがって」と言われかねない。
関所の向かいに八百屋がある。相田さんの声が、通りをはさんで関所まで聞こえてくる。
「ただいまぁ」
相田さんの手にはレジ袋。なかには3種類ぐらいのお新香が入っていた。
「あら、こんなにたくさん、いいの」
若女将がお新香を受け取る。
「ひとつ、ブロッコリーの芯の漬物をサービスでくれたよ。もう3日も漬けちゃってるから、あげるって」
「へー、ブロッコリーの漬物。珍しいねぇ」
ほかのメンバーが驚く。
わたしは、珍しい漬物にではなく、3日も漬けちゃってるという時間の長さをこころにとめた。
6167.4/29/2009
坂の下の関所 六章
59
新年度が始まって半月が過ぎた。
4月中旬の鎌倉は、春を通り越して、初夏の陽気だ。
ふだん、ビールを飲まないわたしでさえも、関所の奥のクーラールームを眺めて、エビス缶に手を伸ばしてしまう。
このまま半そでと七部丈ズボンの季節になるのかな。
タンスの奥から、夏物を出そうか。
そう考えていたら、急に気温が下がり、雲が空を覆い、風雨が強い日が訪れる。春の終わりって例年こんなもんだったっけ。年齢を重ね、これまでの記憶がかなりあいまいになってきてしまったのかもしれない。
期待をこめて、こうあってほしい。
実際には、こうだった。
その違いを記憶していたはずが、時間とともに違いが薄れる。実際にあったことを忘れてしまい、期待ばかりが思い出される。そうなると、期待だったはずが「昔はよかった」と、実際にあったことと入れ替わってしまう。脳はうまくできている。
高齢になり、過去のいまわしい記憶を自動的に消去し、楽しかった記憶や夢や願いを、あたかも過去の出来事のように、思い出させてくれるのだ。
関所の面々の会話を聞いていると、この分類に該当するひとがとても多い。
「昔はさぁ、ビールも酒も安くて、日に一升や二升はふつうにひとりで空けていたよ」
いくら安くても、そんなにたくさんの酒を一日に飲んでいたら、いまごろ肝臓が悲鳴をあげていますよ。
「俺たちがガキだった頃は、センセーもいい加減でさぁ。昼飯のときに、バックから、ウイスキーかなんか出しちゃって、ちびちびやっていたもんだぜ」
かなり無法地帯で育ったらしい。いまの学校は、親からも教育委員会からも管理が強化されているので、勤務中に飲酒するひとはいないだろう。かつての学校は、そこまで管理が厳しくなかったとはいえ、こどもの前で酒を飲んでたとは考えにくい。それに、そのセンセーは、いい加減ではなく、立派なアル中です。
「昔は、テレビって言ったら、野球中継しかやってなかった。それがいまはなによ。どこもやってないじゃん」
こういう誇張された会話は気をつけなければいけない。なぜかというと、発言のすべてが嘘や想像ではないからだ。以前に比べて、テレビで放映するプロ野球中継は減った。しかし、野球中継しかやってなかった時代があったとは思えない。
まぁ、関所のメンバーは、こういうどこまでが本当で、どこからが想像なのか、よくわからない話を、毎日毎日飽きることなく繰り返しているのです。
6166.4/28/2009
夢を見た..3
なぜ棺おけだったのだろう。
棺おけは、やはり死をイメージしていたのだろうか。
4月に入って、通勤途中で人身事故が多かった。早朝はそんなになかった。帰りが多かった。5時過ぎに藤沢駅に着くと、インフォメーションに電車の遅延や運行停止という情報を見たのは、一週間に2度から3度もあった。ちょうど、新聞に自殺に関する記事が載っていた。日本では1999年以降、年間の自殺者が3万人を越えて、2万人台に戻ることはないのだそうだ。一日に全国のどこかで100人近いひとたちが平均すると自殺している。10年間で30万人以上ものひとが自殺した。わたしが勤務する藤沢市の人口に等しい。10年間で、藤沢市のひとがみんな自殺してしまったと考えたら、事態が異常だということが見えてくる。
新聞記事では学者が「もはや日本社会は、生きにくい社会ではなく、生きられない社会という段階に移行している」と自説を述べていた。
経済力が、富めるものと貧しいものとのフタコブラクダ状態になって久しい。比例して、こどもたちの学力分布も、中間層が減り、学力の高いこどもと低いこどもへと二極化してしまった。貧しさと低学力のひとたちが増えている。
なのに、社会からは仕事がどんどん減り続けている。低学力では、給料の高い仕事にはありつけない。
帰り際、ホームに止まったまま動かない電車のなかで、いまこの先のレール上で人生を終えたひとたいたと思うといたたまれなくなる。決して他人事ではない。そんな思いが無意識のなかにたまり、夢となって再現したのだろうか。
マッサージが出てきたのは、よくわかる。
肩や腰がこっているからだ。
夢のなかでも、こりをほぐしてくれるところを求めているのだ。
昔の友人が出てきたのは、なんとなくわかる。
毎年、これからの時期、わたしは地域のソフトボールチームのメンバーとして、秋までのリーグ戦に参加する。そのメンバーのなかに昔からの野球仲間がいるからだ。もうすぐそのシーズンが近づいてきたことを、夢が教えてくれた。
今回の夢で気がかりだったのは、ラストシーンだ。
自分が帰るところはどこだろう。その答えがすぐに出てこなかった部分だ。
これは、先行きが不透明ないまの仕事と、自分の生活を、強く意識したものだと思う。
6165.4/26/2009
夢を見た..2
飯塚マッサージでからだが楽になった。
わたしは、外に出る。
飯塚マッサージの二階にスナックがあった。
「おなかも空いたし、酒も飲みたい」
ためらうことなく、スナックの扉を開けた。
店内は薄暗く、カウンターしかない。カウンターにはウイスキーグラスが等間隔に5個ぐらい並ぶ。そのなかに、太くて短いろうそくが揺れている。薄暗いわけだ。照明は、そのろうそくの灯りだけだった。
カウンターに若いスーツ姿の男性が座っている。
わたしは、隣りに座る。
「あれ、ここで何をしてるんですか」
彼が、タバコの煙をわたしにふきかけながら驚く。彼は、人気アイドルグループのひとりだった。テレビでしか見たことのないわたしも驚く。
「あんたこそ、ここで何をしてるの」
「さっき、あなたの通夜に行ってきたんですよ。その帰りです。なんだか寂しくなって、一杯引っかけて行こうかと」
えー、人気アイドルグループの超有名人が、わたしの葬式に来たの。ありえない。
ありえないから、夢なんでした。
初対面のはずなのに、ふたりで仕事や将来のことを飲みながら話した。
最後は、お互いに苦労の多い人生だよねと肩をたたき、店を出た。
少しずつ空が明るくなってきた。
彼が誘う。
「朝から飲める店を知っているので、これからそこに行きましょう」
「いや、きょうはやめとくよ。また今度ね」
「わかりました。それじゃまた」
次の機会なんて、あるわけないだろ。さめた頭で、自覚した。
さて、そろそろ帰ろうか。
そう思ったとき、深く悩んだ。帰るって、いったい、どこに帰ればいいんだ。また、あの葬儀屋に行き、自分の棺おけに入るのか。きのうが通夜ってことは、きょうは告別式。最後の別れに、故人が消えていたら、みんな驚く。でも、告別式の後は火葬場に行くから、灰になってしまう。
ま、それもいっか。
でも、死んだつもりになって、やり残したことをやるってのもいいな。
なんだか、新しい自分が、いま誕生した気がする。よしっ。
気合を入れたら、目が覚めた。夢だったことに気づく。ちょっと残念な気持ちになった。
わたしは、ふだんほとんど夢を見ない。たとえ見たとしても、起きた後に覚えていることはめったにない。
だから、今回の「棺おけ夢」は、インパクトが強かった。(つづく)
6164.4/25/2009
夢を見た..1
わたしは狭い箱の中で目を覚ました。箱には蓋がしてある。わたしのからだのまわりには、切花が敷き詰められていた。
「これって、もしかして、棺おけ」
両手で蓋を持ち上げる。意外にあっさり、蓋は開いた。そこは、想像通り、葬儀屋の一室だった。線香の臭いが部屋中に充満する。
あわてて、棺おけから抜け出した。
「さて、どこに行こう」
死装束は着ていない。普段着だ。ポケットには財布も入っている。そういう非現実的なところは、夢の得意技だ。
その部屋を出て行くときに、振り返って、わたしの遺影を見ようかと思った。でも、そうするとまたあの棺おけのなかに連れ戻される気がして、振り返らずに、部屋を出た。
外は夜だった。星のきれいな空だった。
モノレールの線路が見える。その下に、行列のできる店があった。興味を持って近づく。
「飯塚マッサージ」
看板に書いてある。わたしは首を回す。腕を回す。狭い棺おけに閉じ込められていたため、回すたびに、首や腕がコキコキと音を発した。
「まずはマッサージだ」
行列の最後尾に着く。並んでいるひとは、高齢のひとが多い。
「ここの若先生は、腕がいい」
「わたしゃ、マッサージで癌が治った」
「俺なんて、切断した足が生えてきた」
ありえないと思いながら、並んでいるひとたちの立ち話を聞く。
そんなに、腕がいいなら、わたしは何を治してもらおうか。最近気になり始めたおなか周辺の脂肉、細くなってきた髪の毛、なかなかやっかいなショウセキのう胞症。
想像をめぐらせているうちに、わたしの順番になる。
「次の方、どうぞ」
どこかで聞いたことのあるだみ声だ。
「あれ、お前」
若先生は、わたしの小学校からの同級生。飯塚くんだった。
「何してんの」
お互いに、指をさして、同時に言った。飯塚くんは、驚きながら続ける。
「俺、さっき、お前の通夜に行ったんだぜ」
「そりゃ、どうも。俺はさっき、その通夜の棺おけから抜け出して来たんだぜ」
「なぁんだ、生きているなら、香典返せ」
「やだよ。その香典代を返すかわりに、俺のマッサージをしてくれ」
「あー、それでもいいや」
きっと、彼は損をした。(つづく)
6163.4/23/2009
坂の下の関所 五章
58
残業がなくなり「派遣の次は下請けだ」と心配していた赤坂さんが、遅くに登場した。
「あれ、きょうは遅いですね」
「あー、残業が戻ってきたんだ」
景気がよかったときは、残業が続いてからだがきついとこぼしていた。
いざ、仕事がなくなると、そんな残業がありがたいことに気づくようだ。
手には、桜の小枝を持っている。
ソメイヨシノ。淡いピンク色の花びらが、小枝の左右で5つの手を思い切り開いていた。
2009年の鎌倉は、4月に入ってから桜が開き始めた。とくに4日と5日の土日は気温が上昇し、青空が広がったので、一気に開花が進んだ。
「お前さんとこの桜は桃か」
大将が変な日本語を使う。桃という名の桜はない。
「あれは、桜だよ」
「それにしちゃ、色が濃いなぁ」
「雅(みやび)桜っていう種類なんだ。ふだんなら3月中に咲くんだけど、ことしは遅れて、ソメイヨシノといっしょになったね」
大将の横で若女将がうきうきしている。
「今度のお休みはね。パパと鎌倉に桜を見に行こうと思ってるんだ」
「いいなぁ。ちょうど見ごろだよ。来週になっちゃうともう葉桜になってるかもしれない」
「八幡様のところから、大きな道があるでしょ」
若宮大路といいます。
「あそこの真ん中に歩道があって」
段葛(だんかずら)といいます。
「桜のトンネルみたいになってるところを歩くの」
関所の休みは火曜日だ。天気予報では火曜日も好天だと言っていた。
「どっか、食事ができるとこ、ないかしら」
観光客目当ての飲食店はたくさんある。
わたしは、若宮大路沿いの知っているお店をいくつか紹介した。このふたりは食事と言っても、ご飯は食べない。酒と肴があれば、窓から桜吹雪を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごすことができるだろう。
少しずつ日々の最高気温が上昇してきた。
春は出会いと別れの季節。関所のメンバーは、同じ顔ぶれだ。
みんな顔には出さないけど、昨年までとは違う生活環境を抱えての春の始まりかもしれない。それまでとは違う仕事を任されたひともいるだろう。肩書きが変わったひともいるだろう。不安と緊張と不慣れな状況でのストレスが重なって、憂鬱な昼間を過ごしているひとがいるかもしれない。
でも、関所に来れば、ホッと一息。自分のなかのゆったりとしたペースを思い出しながら、物思いにふけるのだ。
5章・了
6162.4/22/2009
坂の下の関所 五章
57
4月に入った。
仕事帰りに関所に行く。
「なぁんだ、センセー、遅いじゃないか」
奥の通路から、永田さんが顔を出す。
「仕事、仕事」
わたしは、上着を脱いで丸める。
「あれ、佐藤さん、早い」
わたしと同じレジ横のコーナーで、佐藤さんが高清水を飲んでいた。
「きょうは、出先にいて、早く終わったもんで」
佐藤さんは、よっちゃんの酢漬けイカを手にした。
「もう当たらないわよ」
若女将が鋏で開封する。
「ほら、外れ」
「そんなに、外れで喜ばなくてもいいのに」
佐藤さんは、イカを口に運んで高清水のグラスを持つ。
「カンちゃん、遅いなぁ。早く来ないかなぁ」
若女将がドアの外に目を向ける。
「東京じゃ、この時間には無理でしょ」
「みんながそろったほうが楽しいじゃない」
わたしは、田吾作と書かれた煎餅の袋を手にした。
「やっぱ、こっち」
手にした袋を箱に戻し、ほかの袋を手にした。
田吾作は、割れた煎餅を集めた商品だ。20欠片(かけら)ぐらい入って250円とお徳だ。割れた煎餅だから、よく透明な袋を観察すると種類の違う煎餅が入っている。醤油煎餅、胡麻煎餅、薄い醤油煎餅の三種類を、わたしは確認している。
なかには、ちっとも割れていない煎餅が入っているときもある。これは、きっと田吾作のやさしさなのだろうと感謝している。
わたしは胡麻煎餅が好きだ。だから、商品選びのポイントは、胡麻煎餅が多く、割れていない胡麻煎餅があるかどうかだ。「割れせん」とうたっているので、割れていない煎餅がなくても仕方がない。だから、胡麻煎餅の割合が高いことを優先する。
「この頃、センセー、これはまってるね」
若女将が笑う。
「これなら、量があるから、何日ももつもんね。それにおいしいし」
バリバリ言わせながら、山猿を飲む。
6161.4/21/2009
坂の下の関所 五章
56
父の額に大粒の汗が浮き出た。
生ビールをうまそうに飲む。
洗いタオルで額の汗を拭く。小銭入れを出し、わたしに渡す。
「なんか肴はないかな」
これだ。これだ。見渡せばたくさんあるのに、自分で買わない、選ばない。ひとを使えば実現できる。戦前生まれは、これだから困る。
わたしは105円のサキイカを選んだ。
ビールはググッと一気に飲むとおいしいのに、ちびちび飲んでいる。これではなかなか帰らない。まさか、おかわりなんて言わないだろうな。
「いまも昔も横浜でお勤めなんですか」
大将の言葉遣いは、あくまでも丁寧だ。
「そうねぇ、30年から40年前ぐらいにいました」
父は、30歳から40歳ぐらいの頃、桜木町で働いていた。
「駅の近くですか」
「いや、桜木町です」
サクラギチョウという発音を聞いた大将の瞳は、数倍に輝いた。
「じゃぁ、仕事帰りには野毛に寄ったり」
「野毛は、毎晩だったなぁ」
なに。あの頃、帰りが遅かったのは仕事ではなく、野毛で飲んでいたからなのか。知らなかったぞ。親子で似たようなもんだ。
「野毛って言ったら、川向こうまで」
大将の顔がほころぶ。比例して、父の顔もほころぶ。なんだ、このふたりのシンクロは。
川って、何川なの。わたしはふたりの話を聞きながら、山猿を飲む。
なんだか、ふたりの表情がいやらしい。
川向こうには、ネオン街が広がっていたのか。
わたしは計算をする。いまの大将が30年前を過ごしたのは、まだ鎌倉のはずだ。しかし、その後、高校が横浜だったので、父が働いていた面影を残す横浜で青春時代を送ったことになる。ふたりは、5年ぐらいの時間差をおいて、ともに横浜、とりわけ下町の野毛界隈で多くの時間を送ってのだろう。
「川べりのホルモン屋」
「あー、あれ、よく行った」
すでにただの酔っ払いの会話になっている。
「大きな樽のなかにホルモンというより、内臓がたくさんぶっこんであった」
「でも、安かったなぁ」
きっとふたりにとって、東急東横線が撤退したいまの野毛は、とても寂しい町なのだろう。
6160.4/20/2009
坂の下の関所 五章
55
どういうこと。
「わぁ、お父さん、いらっしゃい」
どういうこと。
「そこで片づけをしていたら、通りかかって、声をかけただけだよ」
憮然とするわたしに、大将が言い訳をしている。
若女将は、父の注文などおかまいなしで、生ビールを注ぐ。
「はい、これ、サービス」
なんで、こんなに待遇がいいんだ。あまりいい思いをさせると、つけあがって、また来てしまうぞ。
「なに、飲んでんだ」
父は、わたしのグラスを覗き込む。
「これ」
山猿の一升瓶を見せる。
「嬉しいなぁ。やっとお父さんが来てくれた。いままでも買い物には来てくれたけど、立ち飲みはきょうが初めて」
若女将は舞い上がっている。立ち飲みは初めてって言うけど、わたしの観察によると、父は注文をしていないぞ。入店していきなり生ビールサービスだったはず。
「どこかのお帰りかしら」
「お風呂屋さんで、汗をちょっとね」
そうだ、父は内風呂があるのに、土曜日になると関所近くの銭湯に行く。これは、母が生きていたときにはなかった習慣だから、わたしと妹は内心では喜んでいた。引きこもると思っていたので、裸を衆人にさらす銭湯デビューなど想像できなかったのだ。
「よく銭湯には行くんですか」
大将の言葉遣いが丁寧だ。20歳近く年上だから仕方ないか。
「手足を伸ばせる風呂が気持ちよくてね」
大将も若女将もなるほどという顔をする。しかし、それが答えのすべてではないことを、わたしと妹は知っている。
父は、風呂掃除がきらいなのだ。だから、ふだんはシャワーで済ますことが多い。どうして嫌いか聞いたら、垢や石鹸の痕がカビになると掃除が大変だからだと白状した。だから、銭湯に行くと、大量の石鹸をポンピングしてタオルにつけ、体中を泡だらけにするらしい。あれは快感だとも、白状した。
夫婦ふたりで暮らしていたときは、そのすべてを母に任せていた。自分ひとりになったら、都合よく生き方を変更した父の柔軟性をほめるべきなのか。あの世から、母にガツンとやってもらうべきなのか。