6159.4/19/2009
坂の下の関所 五章
54
2009年は3月を迎えた。
連日、4月の陽気だの、5月の陽気だのとぽかぽかの日が続いた。
卒業式には桜が散ってしまうのではないかと心配した。
しかし、3月中旬以降から、寒さが戻る。春だと勘違いをして咲いてしまった桜もあったが、つぼみのままの桜はじっと開花のタイミングを遅らせた。
無事に卒業式を終えた後の週末。リラックスして関所に行った。
「ねぇねぇ、いいもの、見せてあげる」
若女将が嬉しそうだ。
「これ、お父さんにもらっちゃったの」
手には、「卒業祝」ののしがついた饅頭が握られていた。
父は専門学校で働いている。
そういえば、こないだ卒業式があったと言っていた。
「卒業式の帰りにね、寄ってくれたの。遅い時間だったんだけど、これがあるからって、くれたんだよ」
どういう風の吹き回しだろう。
「最近は、店の前を通るときに、手まで振ってくれるんだから」
え、そういうタイプではないんだけど。
「自分から手を振るわけ」
「最初は、会釈だけだった。わたしが手を振り続けたら、お父さんも振ってくれるようになったのよ」
珍しいなぁ。
「お父さんもお店に寄ってくれるといいのにね」
そりゃやめましょうよ。父はわたしにとって、あくまでも父だし。父にとって、わたしはいまも昔も息子だし。「こいつが小さい頃は」なんて始められたらたまんない。
しかし、その日は到来した。
3月後半の関所。週末の休日にくつろいでいた。
自動ドアが開き、仕事から戻った大将がわたしを見て目を見開いている。
なに、また俺は悪いことをしたかな。
トイレはきれいに使っているぞ。
想像をめぐらせると、大将の口元がわずかに動く。
「ちち、ちち、ちち」
小さいこどもが小便をしたいとき、ちっちと言う。大将は、おどけて幼児のまねをしているのか。まさか、女性の胸を連呼しているわけではないだろう。
その数秒後、大将に続いて、わたしの父が顔を出し、関所に入ってきた。
6158.4/17/2009
坂の下の関所 五章
53
店の前に車が停まった。
バタン。トランクが開閉する。
「お待たせしました」
ベストに長靴姿の佐藤さんが大きなクーラーボックスを抱えていた。
「待ちくたびれちゃった」
ママが、佐藤さんを店内に案内する。
「いやー、想像以上に釣れちゃって。家に戻って内臓を出していたら、こんなに時間がかかったんです」
佐藤さんは、わざわざ腸だしをしてくれていたのだ。
「そんなこと、こっちでやるのに」
わたしは、築地の品物を佐藤さんに渡す。
クーラーボックスには、つやのいいイナダが10尾ぐらい入っていた。ママが2尾、わたしも2尾いただく。
「そうだ、若女将が首を長くして待っていたよ」
いまかいまかと佐藤さんの到着を待っている若女将の姿が浮かぶ。
「そうですか。じゃ、関所に向かいます」
あまりあわてた素振りを見せないのが、ドクター佐藤のいいところだ。
わたしは、氷の入ったビニルにイナダを入れて、鳥藤から関所に戻った。
すでに、関所ではイナダが若女将に渡されていた。車で来ていたので、佐藤さんはそのまま自宅に戻ったという。
わたしは、坂を上り、自宅に戻る。
その日の夕飯はイナダの刺身と半身の塩焼きにした。なにしろ、ブリに近いサイズのイナダが2尾も手に入ったのだ。冷蔵庫には入りきらない。小分けして冷凍することもできた。しかし、鮮度と味を考えたら、その日のうちに食べるのが一番おいしい。けさまで、相模湾を泳いでいたイナダなのだ。
アラで出汁をとり、吸い物にした。
二枚におろして、骨のない側を刺身にした。骨のついているほうに塩をふって、焼く。飼い猫がしきりと、キッチンのわたしの足元をうろついた。
ふだん、あまり生魚は食べない娘が、薄い桃色のイナダの肌に見とれた。試しに、一枚食べた。
「うわぁ、メロンの味がする」
そんなことあるの。
わたしも試しに食べた。
「本当だ。プリプリしているのに、メロンの味がする」
鮮度がいのち。魚貝類をおいしく食べる基本です。
6157.4/16/2009
坂の下の関所 五章
52
わたしは、マグロのサクを出す。
「今回で、マグロは終わりかもしれない」
「どうして」
「世界的にマグロの捕獲が難しくなっていて、築地で主流のマグロが入りにくくなるんだって」
これまで買出しのときに、事前に連絡をしてマグロを用意してもらった魚屋さんは、これを契機に仕事を辞めると言っていた。
本マグロやクロマグロなど大型のマグロは入ってくるが、からだが大きいので大味になりがちだ。小型のマグロこそ、肉がしまっていておいしい。それに大型のマグロは値段が高いので、買いつけた後でおなかを割ってみたら肉が悪いとき、大きな損失を負う。築地の中卸はほとんどが小さなお店だ。一回の損失で、お店そのものが傾いてしまう。小型のマグロなら、一尾20万円から30万円なので、肉が悪くても、加工次第では元を取り戻すことができる。良質の肉だったときは数倍の値段で売り抜ける。その見極めができる魚屋が、今回の捕獲禁止で仕事を辞めてしまうのだ。
全国展開のスーパーや料亭は、マグロを見ないで、注文を出す。肉の良し悪しに関係なく、一尾が100万円を超えるマグロが送られる。よく、解体ショーとして使われるマグロだ。ひとは、マグロの巨体に驚き、その場で切り売りされるトロや赤身に新鮮さを感じる。ついつい買ってしまう。
脂の差し方や、赤みのしまり具合、血あいの広がり方などには興味を示さない。本当は、これらがマグロの味を決めるのに。
一尾が100万円を超えるマグロをセリでいくつも落とせる中卸は、資本が大きなお店だ。元手がなければ買えない。必然的に、築地から小さな職人気質の中卸が消えていく。
マグロのあばら骨にスプーンをあてて、間の肉をこそぎ落とす。中落ちと呼ばれる部分だ。脂と血あいのほとんどない、良質の赤身部分だ。
いままでマグロをお願いしていた魚屋さんは、いつもたくさんの中落ちをサービスとして用意してくれていた。今回も用意してくれていたが、ほかの店では値札をつけて売っていた。
品薄になる小型マグロの中落ちは、ついに築地の中でも商品的価値がついてきたのだ。
ママに注文の品物と領収書、おつりを渡す。
「この箱のこっち半分が上木田さん、反対側が佐藤さんなんだ。これを箱ごとあずけていいかな」
「いいけど、これごと保管する冷蔵庫はないよ」
「いや、ふたりともきょうここに来るって言っていたから」
大船でビルのオーナー業を営む上木田さんは、一万円札を何枚かわたしに渡して、これでお願いしますと頼んだのだ。わたしは、築地で糸目をつけずに買い物をした。ひとのお金とはいえ、気分が良かった。特上の戻りカツオが入っている。
6156.4/15/2009
坂の下の関所 五章
51
発泡スチロールには、鳥藤と佐藤さん、上木田さんの分が残った。
「4時半に鳥藤に行くことになっているから、奥で冷やしておいていいかな」
「どうぞどうぞ」
わたしは、発泡スチロールを持って、奥の大型空冷室に運ぶ。
「じゃぁ、後ほど」
休みの日は、大船を散策する。4時半までは時間がある。大船のラーメン屋「ことぶき」で腹を満たす。本屋で最新作をチェックする。喫茶店で読書をする。
3時過ぎに関所に戻る。
「ねぇ、佐藤さんから連絡がないかな」
「俺には連絡はないけど、どうしたの」
「さっき、あと30分で行くからって電話があったのに、ちっとも来ないのよ」
佐藤さんは、朝から同僚と腰越沖から船に乗りイナダ釣りに出かけていた。釣果が上がれば、持ってくると言っていた。
「きょうは、鎌倉は車が混んでいるから、渋滞にはまっているかもね」
「もう、包丁とまな板を用意して待っているのに」
わたしは、空冷室から発泡スチロールを取り出す。
「ちょっと早いけど、鳥藤に運んでくるね」
大将が言う「バス停の前の小さな窓」。焼き鳥屋の鳥藤までは関所から歩いてすぐだ。焼き鳥屋もおいしいが、わたしはここのホルモン焼が好物だ。
シャッターが閉まっているので、奥に回る。
「買出し荷物を届けに来ました」
網戸ごしに声をかける。奥から返事があった。
「表を開けるから、そっちにまわってください」
シャッターを少しだけ開け、鳥藤のママが店内に入れてくれた。椅子が逆さまになってテーブルの上に並ぶ。照明も音楽もない。開店前の鳥藤は、穴倉のようだ。
「佐藤さんは、いつ来るのかな」
ここでも、佐藤さんを待ちわびるひとがいる。
「さっき、関所でも言われたよ」
「あと30分で行くからって電話があったの。それからもう1時間も経つんだけど」
佐藤さんは、だいぶ大漁なのかもしれない。
わたしは、鳥藤からの注文の品物を発泡スチロールから出す。
「グラム500円のお茶ね。500グラムあるよ。おいしかったら、また買ってくるね」
「お茶は大好きだから、いくらあってもかまわない。緑茶でこの値段はなかなかないのよ。助かる」
息子さんはあまりイカを食べないらしい。前回の買出しでシロイカを買った。刺身にして出したら「これはうまい」と言って全部食べたらしい。
「シロイカもあるよ」
「わぁ、喜ぶわ」
6155.4/14/2009
坂の下の関所 五章
50
額を汗がしたたる。
両腕を頭上に伸ばしているので、その汗をぬぐえない。
汗は、ざまあみろというように、容赦なく、わたしのまぶたに侵攻する。何とかまつげが食い止めている間に、関所に着かねば。
目に入った汗がしみて、視界がぼやけ、つまずいて転び、買出し荷物を路上に放出。なんてことはしたくない。
関所の自動ドアを開ける。ひんやりした冷気が気持ちいい。
「よっこらしょ」
わたしは、頭上から発砲スチロールの箱を静かに床に下ろす。
「あらぁ、大変だったでしょう」
楽ではない。でも、この大変さが楽しいのだ。
わたしは、領収書とおつりを若女将に渡す。発砲スチロールのふたを開けて、注文の品物を渡す。
「シロイカは、キロ1700円だった。一杯が300グラムぐらいだから、二キロ分買ってきたよ」
「シロイカって聞いたことがないよね。スーパーで見たけど、なかったわよ。でも暮れに頼んだのがおいしかった」
前年の暮れに頼まれたときには、もっと値段が安くて、大量に買ってきたのだ。築地のなかの魚屋さんが気前よく買うので喜んでくれたほどだ。
「スルメに比べて内臓は使い道がないけど、肉の旨みは絶品だからね。山口県から北九州沿岸にしかいないイカなんだよ。回遊しないから、こっちの海ではとれない。全部、空輸なんだよ」
築地でシロイカを買うのは、みんな銀座や赤坂の料亭ばかりだ。イカの握りが一つで500円、お造りが1000円みたいな値段をつけるところだろう。それを直接買い付け、原価で売っている。おいしいものをより安くより早く。
「これ、赤坂さんが来たらプレゼントして」
わたしは小分けしたちりめんをクーラーに入れる。
「赤坂さんからも注文があったの」
「いや、こないだ仙台からの梅干をいただいたので、そのお礼だよ」
赤坂さんの実家は仙台だ。毎年、実家から手作りの梅干を送ってくる。梅干が好物だと言ったら、その場で工場に行き、ジップロックにたっぷりの梅干を持ってきてくれたのだ。わたしは、梅干本来のすっぱいのが好きだ。その梅干はわたしの好みにぴったりだった。じゃこをぱらっとかけて、日本酒の肴にして食べるととてもおいしかった。
「これは、つくごん。食べる分だけを冷蔵庫に入れて、そうではないのは冷凍したほうがいいよ」
「うちは人数が多いから、すぐになくなっちゃうわ」
6154.4/13/2009
坂の下の関所 五章
49
大学のときに4年間、山登りをしていた。
山に入ると、食事は全部自分で作らなければならない。
そのときから、食事を作ることに、興味をもった。
なにしろ、昼間は歩き疲れることばかり。山歩きの醍醐味は、うまい食事とおいしい空気。いっときのこころにしみる風景。「もう二度と歩かない」と決心していたのに、踏破するとまた行きたくなるつれないこころ。
そのなかでも、食事のウエイトはとても高い。
ガスも水道も電気もない山のなかで、いかにうまい食事を作るのか。先人たちの工夫から学び、わたしなりに改良も試みた。
就職して、小さなアパートで独り暮らしを始めた。
そのときに、何よりも役立ったのは、自炊の経験だった。
小さなアパートは、何もない山中の生活に比べれば天国だ。屋根がある。水道がある。トイレがある。風呂まである。ガスが出る。電気が届く。
レトルトを使わずに、多くの料理を作った。
その後も、多くの生活場面で、包丁と鍋を握り、家族の誕生日やクリスマスなどの記念日にはシェフを担当する。そのなかで、とても重要なのが食材選びだと気づいた。
それまでは、何を作るのかを決めたら、食材は近くのスーパーか、商店街で調達していた。しかし、いいものをより安く、なるべく季節のものをと考えると、わたしの選択肢には、築地しかなかった。
すぐに築地に向かったわけではない。
はじめは、三浦半島先端の三崎漁港や逗子の小坪漁港など、近場でトライした。相模湾の魚貝類は新鮮で、どれも胃袋を満足させた。ただし、品揃えという点では、築地のほうが優れていた。全国から集まるので、見たことも聞いたこともない魚介類が多く、それもわたしには新鮮だった。
はじめは何気ない会話がきっかけだったと思う。
「今度、築地に行くんだ」
「あら、おいしいものを食べるの」
若女将が、目を輝かせる。
「違う、違う。買出しだよ」
わたしは、これまでに築地に行って、行列のできる寿司屋に入ったことがない。新鮮な魚介類を買っているのに、わざわざ高い値段の寿司を食べる必要を感じない。戻ってきて、魚をさばき、寿司飯を炊いて、自分で握ったほうが、はるかにうまい。
「えー、センセー。何でもするのね」
決して、よろず屋ではないが、若女将にとっては、何でもするように見えるのだろう。
「何か、入用なものがあったら、買ってくるよ」
だから、わたしの頭の上には発泡スチロールが乗っている。
6153.4/12/2009
坂の下の関所 五章
48
わたしは、夏の暑い日に坂の上から歩いていた。
頭に、1メートルぐらいの発泡スチロールの箱を乗せている。
インドのガンジス川で水汲みをするひとたちが、頭の上に大きな水甕(かめ)を乗せて、バランスよく歩くように。
発泡スチロールのなかには、魚貝類が満載だ。あまり弾みをつけて歩くと、発泡スチロールの底に、わたしの頭のかたちの穴が開きそうだった。
通り過ぎるひとたちは、顔見知りなので「こんにちは」と声をかけてくれるが、一様に怪訝そうな表情をする。わたしは、挨拶をされても、お辞儀をすることができない。
そんなことをしたら、発泡スチロールの箱のなかみが坂道に投げ出される。タコが転がる。まぐろを猫がねらう。イカをとんびがさらう。
お辞儀をせずに、口だけで「こんにちは」と返事をするしかない。
両腕は万歳のかっこうで、箱の左右を支えている。
心臓から出された血液が、両腕の先端までうまく届かないようだ。指先の感覚がなくなる。脳貧血というのは聞いたことがある。わたしはいま、腕貧血なのか。
その日は、たしか土曜日だった。
早朝5時に地元を出発して、東京の築地市場に向かった。
魚貝類、野菜、漬物、お茶などを買出しに行くためだ。
わたしは、いまの仕事の将来を悲観している。
一生涯の仕事と信じて、教職の道に進んだが、年月を経るごとに、学校を取り巻く環境は悪化の一途を突き進む。教職員がこころの病気になり、学校を離れ休職するケースは増加し続けている。
4年間もかけて単位を取得した教員免許だって、「改革」を掲げる政治家の方針で、10年ごとに更新されることになった。たった10年しか通用しない資格なら、もっと簡単に取得できるようにするべきだ。おまけに10年ごとに大学に通いなおし、更新に必要な単位を2年間にも渡って受講する。その費用は、自腹なのだ。もちろん単位が取得できなかったら、即、無免許状態になり、教員の資格を失う。路頭に迷う。
かりに新卒で教員になったひとは、60才の退職まで教職を続けるには、無駄としか思えない更新を3回も経験しなければならない。ご愁傷様。
石の上にも3年という。わたしは、学校という頑固な石の上で仕事を続けて、もうすぐ30年だ。楽しいこと、つらいこと、嬉しいこと、悲しいことをたくさん経験した。しかし、それらはすべて同僚やこどもたち、親たちとの日々の営みのなかでの出来事だった。どんなにつらいことや苦しいことがあっても、それを理由に「辞めたい」と思ったことはない。
政治が、トップダウンで学校教育に刃を向け出してきた。その勢いが止まりそうもない。かつて、泣く泣く教え子を戦場に送った教師たちのようにはなりたくない。
だから、教職を去ったときの第二の人生を計画しているのだ。
6152.4/10/2009
ちなみに検屍官シリーズはその後も続く。
紹介しておこう。
シリーズ第12弾「黒蠅」。
文庫化されたのは2003年12月。
前作の文庫化から3年が経過している。きっとコーンウェルさんがしばらく検屍官シリーズを書かなかったのではないかと推測する。
講談社のホームページから作品の紹介を抜粋する。
「スカーペッタが帰ってきた!
バージニアを離れ新天地を求めた彼女。だが悪夢は終わってはいなかった。
検屍局長辞任から数年後、フロリダに居を移したスカーペッタに、死刑囚となった<狼男>から手紙が届く。「あなたが死刑を執行してくれ。さもなければ、また何人もが命を落とす」時を同じくしてルイジアナで女性ばかり10人もの連続誘拐殺人事件が発生。彼の犯行ではないのか? 検屍官シリーズ待望の第12弾!」
シリーズ第13弾「痕跡」。
文庫化されたのは2004年12月。
講談社のホームページから作品の紹介を抜粋する。
「古巣へ戻ったスカーペッタに難事件が立ちふさがる。
1本の電話が始まりだった。法医学コンサルタントのケイ・スカーペッタは、死因不明の少女の遺体を調べるため、5年ぶりにリッチモンドの地を踏んだ。そこでは事件へのFBIの関与が明らかになる一方、かつてケイが局長として統率した検屍局が、無残にも破壊されつつあった。この町で何が起きているのか?
本書では、理性の光のあたらない人間の心の闇が、かつてないほど深く探究されている。意志の力ではコントロールできないもの、胸の奥底にうごめく不合理なものを、作者はえぐりだそうとした。あきらかに病的な人々だけではなく、死んだ少女の母親のような、一見ふつうの人の心のなかにある、非理性的な部分も描出されている。――<訳者あとがきより>」
シリーズ第14弾「神の手」。
文庫化されたのは2005年12月。
講談社のホームページから作品の紹介を抜粋する。
「検屍官スカーペッタvs.IQ150 超人的シリアル・キラー
前代未聞の衝撃作!
人はなぜ殺すのか。その答えを探すため、元FBI心理分析官ベントンは、収監中の殺人犯と対峙していた。面談のなかで未解決事件の手がかりを得た彼に、惨殺死体発見の知らせが届く。遺体にべたべたと残された赤い手形は何を意味するのか? ベントンは助言を得るべく、恋人の検屍官スカーペッタに連絡をとる。
FBIにいた20数年間に、あらゆることを経験したつもりでいた。また法心理学者として、およそ考えうるかぎりの異様なものを、これまでに見たと思っていた。ところがこの写真に写っているようなものは、かつて見たことがなかった。62番と74番の写真だ。――<本文より>」
あれ?なぜベントンが復活しているのだろう。読んでみないとわからない。
シリーズ第15弾「異邦人」。
文庫化されたのは2007年12月。
講談社のホームページから作品の紹介を抜粋する。
「検屍官スカーペッタinローマ
旅先で惨殺された女子テニスプレイヤーから検出された、忌まわしい「砂」……。
全米女子テニス界のスタープレイヤーが休暇先のローマで惨殺された。遺体はひどく傷つけられ、くり抜かれた眼窩には砂が詰め込まれていた。イタリア政府から依頼を受けた法医学コンサルタントのケイ・スカーペッタは、法心理学者のベントンと共に、事件の調査に乗り出した。検屍官シリーズ待望の第15弾。
「いったいどんな理由で、このようなサディスティックで、醜い傷を相手に負わせるのだ?ドクター・ウェズリー、他の事件でこんな例を見たことがおありかな? FBIの有名なプロファイラーとして活躍していたときにでも?」
「ないね」ベントンはそっけなくいった。
「損傷を加えた例は見たことがある。しかし、こんなのははじめてだ。とくに、目にこんなことをした例は見たことがない」――<本文より>」
6151.4/9/2009
シリーズ第7弾「死因」。
文庫化されたのは1996年12月。「遺留品」以降、毎年12月に文庫化されている。
自分の過ちで多くのひとに迷惑をかけたと苦しむルーシーは、ひと目を避けて生きて行こうと決意した。母親代わりになって彼女を育ててきたスカーペッタは、ルーシーの助けが必要だと懇願して、彼女を立ち直らせる。
狂信的宗教集団が、独裁的な亡国へプルトニウムを密輸する計画を実行した。
シリーズ第8弾「接触」。
文庫化されたのは1997年12月。
検屍官スカーペッタのもとに送られてきた犯罪現場写真。さらにその写真に写っていた切り刻まれた胴体がごみの処分場で発見される。その遺体には、すでに絶滅したはずの天然痘に似た症状が出ていた。その遺体の処理にあたったスカーペッタや関係者が、次々に感染していく。これまでのシリーズと違い、目に見えないほどの小さな病原菌が、確実に多くのひとのいのちを奪う恐怖。
シリーズ第9弾「業火」。
文庫化されたのは1998年12月。
検屍官スカーペッタは、これまで彼女が積み上げてきた幾多の実績と仲間、信頼するひとを、この物語で失う。事件は解決しても、スカーペッタのこころには空虚な思いが広がる結末になる。連続した放火事件。その事件に隠された連続殺人事件。この両方を追うスカーペッタとマリーノは、かつて刑務所に送った連続殺人事件の共犯者キャリー・グレセンの存在へとたどり着く。精神疾患を装って、服役から、診療所へと、移送されたキャリーは、診療所を脱走し、スカーペッタたちのもとへと復讐を開始する。
シリーズ第10弾「警告」。
文庫化されたのは1999年12月。
最愛のひとを失ったスカーペッタが、苦しみと悲しみから立ち上がっていく。そのプロセスは、あまりにも厳しい。傷ついたスカーペッタを追い落とそうとする警察権力がからみ、物語は縦横無尽に展開する。コンコルドでインターポール本部まで飛ぶ。ルーシー、マリーノも健在だ。フランスの検屍制度も登場する。
シリーズ第11弾「審問」。
文庫化されたのは2000年12月。
殺人鬼キャリー・グレセンの死。そこから物語は始まる。前作の警告とセットで読むと、文脈が理解しやすい。このなかでは、スカーペッタの内面が赤裸々になる。愛するひとを失った悲しみと、殺人未遂事件被害者としてのこころの傷を負ったスカーペッタが、苦しみのなかでのたうちまわる。あろうことか、被害者のはずの彼女にかかる殺人の疑い。自らが法廷に引き出されることに。作者のコーンウェルが冒頭で、実在の女性検事にこの物語を捧げると宣言していることが、謎を解く鍵になる。
この物語でスカーペッタは、知事に辞職願いを出す。
わたしはここまで読んでいる。これ以降の検屍官シリーズは借りていないのだ。
6150.4/8/2009
シリーズ第1弾「検屍官」。
これは、昔に読んだ記憶がある。文庫化されたのが1992年1月だ。
講談社ブッククラブのサイトから引用する。
「襲われた女性たちは皆、残虐な姿で辱められ、締め殺されていた。バージニア州都リッチモンドに荒れ狂った連続殺人に、全市が震え上がっていた。犯人検挙どころか、警察は振回されっ放しなのだ。最新の技術を駆使して捜査に加わっている美人検屍官ケイにも魔の手が――。MWA処女作大賞受賞の傑作長編。」
このデビュー作のヒットがなかったら、その後のシリーズ化は実現しなかっただろう。
シリーズ第2弾「証拠死体」。
文庫化されたのは1992年12月。
美人作家ベリル・マディソンが殺される。ひと目を避けて生きていた彼女が、あえて危険をおかしてリッチモンドに戻った理由はなんだろう。
検屍官スカーペッタとマリーノ刑事のコンビが事件を解決へと導く。
シリーズ第3弾「遺留品」。
文庫化されたのは1993年1月。
前作の文庫化からわずか1ヶ月。よほど読者からの要望が多かったのだろう。わたしは、読んでいないので、講談社ブッククラブのサイトから引用する。
「虐殺されてゆく恋人の血まみれの姿を眼前に見せつけられたあげく、命を奪われた少女。その母親は次期副大統領候補と見なされている政界の大物だった。2人の殺害は最近起こっている連続アベック殺人のひとつなのか?殺人訓練を受けているCIA内の変質者のしわざなのか?検屍官ケイの苦闘はつづく。」
シリーズ第4弾「遺留品」。
文庫化されたのは1993年12月。
これも読んでいないので、講談社ブッククラブのサイトから引用する。
「私を殺してもけだものは死なない。そう書き遺して黒人死刑囚ロニー・ジョー・ワデルは電気椅子に座った。果たしてその夜から起きた連続殺人事件現場からは、ワデルの指紋が発見された。被害者の13歳の少年、女性霊能者、検屍局主任を殺した真犯人は誰か。そして今、女性検屍官ケイの身辺にも陰湿な罠が!」
若女将から借りたシリーズのうち、初期の4作品では「証拠死体」しか読んでいない。
だから、スカーペッタと周辺のひとたちの人間関係がいまいち、わかりにくかった。事件を解決する物語を縦軸として、コーンウェルは登場人物の関係を緻密に作り上げる横軸も重要だと考えているようだ。
シリーズ第5弾「死体農場」。
文庫化されたのは1994年12月。
連続殺人犯ゴールトが正体を見せ始める。
FBIの心理分析官ベントンとスカーペッタとの仕事上の付き合いが始まる。姪のルーシーが、犯罪者検索システムを構築する。ゴールトの相棒キャリー・グレセンに騙されて、重要な情報を渡してしまう。最後の場面で、あやうくマリーノが殺されかけた。
シリーズ第6弾「私刑」。
文庫化されたのは1995年12月。
連続殺人犯ゴールトとスカーペッタが最終対決をする。
ゴールトの両親が住む農場に行き、彼の生い立ちを調べるスカーペッタ。地下鉄に追い詰めたゴールトが、ルーシーに襲いかかる。