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過去のウエイ

6149.4/7/2009
 また、わたしがこどものときから愛読している毎日新聞では、連載小説を載せている。
 どの新聞にも連載小説はあるだろう。
 わたしが愛読した連載小説は、毎日の連載ではない。
 日曜日にだけ、特別に別刷りの紙面が入る。そのなかに一面全部を使った連載小説が通年で載るのだ。だいたいは4月から翌年の3月までの一年間だ。
 わたしは、本を買うと徹夜をしてでも読んでしまうタイプなので、日曜日が来るたびに少しずつ読み進める小説に抵抗が強かった。
「こんな読み物じゃ、来週には内容を忘れているよ。そのうち、読まなくなっちゃうからね」
勝手に思い込んでいた。
 しかし、連続ドラマにはまるひとの心境がわかった気がする。
 土曜日になると、翌日の日曜版が楽しみなのだ。内容を忘れるなんてことは、めったになかった。
 わたしが勝手に「日曜小説」とネーミングしたコーナーには、秀作が多かった。
 ぴったり一年間という区切りに物語を終わらせるのは難しい。結末が尻切れトンボのようなときもないわけではない。しかし、毎週の内容は楽しいものが多かった。
 直木賞を受賞し、いまやドラマや映画の原作としても使われている東野圭吾さんの「手紙」は、日曜小説だった。切なく、はかなく、悲しい物語を、日曜日が来るたびにわたしはトイレの便座に座って読んだ。
 先月末で、石田衣良(いら)さんの「チッチと子」が終了した。本屋では見かける著者だったが、読んだことはなかった。一年間、石田さんの文章に触れて、ほかの本も読みたいなぁと、わたしのなかの自閉的傾向が呼びかけた。
 昨年、関所の若女将から借りたパトリシア・コーンウェルさんの「検屍官シリーズ」は、寝ても覚めても読んでいる。正確には読んでいた。
 借りていたシリーズは全部読んでしまった。その後の検屍官シリーズは、自分で買ってしまった。
 アメリカ・バージニア州検屍局長のドクター・ケイ・スカーペッタを主人公とした検屍官シリーズ。あまりにも長いシリーズもので、わたし個人として、どんな内容だったのかが整理されなくなってきた。少し、これから自分で買ったシリーズを読む復習として思い出す。
 もしも、これから検屍官シリーズを読もうと思っているひとは、ここから先は読まないでください。

6148.4/6/2009
 わたしはこどものときから、一つのことに興味をもつととことん究めようとしてしまう。
 その結果、あるときを境にして、それまでの興味が嘘のように関心がなくなる。
 やりつくしてしまうからだと考えている。興味あるうちは、わからないことや知らないことが多いので没頭する。しかし、何もかも知り尽くすと、興味の風船がしぼんでしまうのだ。
 この傾向は、とても自閉的だと自己判断している。
 わたしの父にも、似た傾向がある。
 ちりめんジャコをお土産であげた。
「おれはうまい」
感激した父は、淡路島の生産者に電話をした。小売で買うのではなく、キロ単位で直接注文したのだ。半年ぐらい繰り返した。いつも冷蔵庫のなかには、ビニル袋に小分けされたジャコが入っていた。朝食も夕食も、ご飯にはジャコをふりかけた。
 ある日、父はジャコの入ったビニル袋をいくつも持ってやってきた。
「もう見るのもいやになった。食ってくれ」
そりゃ、昼も夜も、ご飯にもラーメンにも、ジャコばかりふりかけていたら、飽きるだろうな。
 常日頃から、少しずつ多くのことに興味のアンテナを広げて生きる。
 そういう気持ちが世界を広げる。懐石料理的生き方だ。
 しかし、わたしにはいまもそれが難しい。むしろ、50歳が近づいてきて、難しいどころか、自閉的傾向は強化されているように思う。脳が変化に対応しにくくなっているのかもしれない。
 自らも最近痛感するのが、読書の傾向だ。
 多くのジャンル、多くの作者の書籍を、交互に読む。
 なんてことを、ほとんどしなくなった。
 ひとりの作者に決めたら、内容に関係なくそのひとの著作を片っ端から読んでしまう。
 お金がないので、単行本は買わない。海堂尊作品のみ例外だが。
 単行本を買わないのは、お金がないからだけではない。読み終えた後に、次の作品までの時間が長すぎるのだ。
 その点、文庫本はいい。過去の作品だが、同じ作者の本を次々に読むことができる。幸い、書籍はわたしが一生をかけても読みきれないほどの量がある。興味が尽きることはないのだ。
 中学校時代は、太宰治。高校時代は、新田二郎。大学時代は、筒井康隆と司馬遼太郎。学校時代の区分で、きっちり作者を読み分けていた。そんな自分が、いまでは少しいやになる。
 就職してからは、少し、読書の傾向が変化した。意識して、いろんな書物を読むようにした。それは、ひとからの勧めのおかげだ。
「あんたは、一つにはまりすぎる。今度はこれを読め」
ありがたくも、そういって、若いわたしに必要な本を貸してくれる先輩が近くにいたのだ。

6147.4/5/2009
 一つの物事に興味や関心をもち、それ以外が見えなくなる傾向はだれにでもある。
 その傾向の強弱は、ひとによって、さまざまだ。
 こどものうちは
「ご飯ができたから、遊び道具を片づけなさい」
と、親に言われても、すぐには切り替えられず、遊びに夢中になる傾向が強い。
 そんなときに、素直に「はい」とうなずいて、どんなに集中していたことでも、さっさと見切りをつけられるこどもは、逆に精神状態を疑ったほうがいい。親からの精神的な支配が強すぎる環境に育っている可能性がある。
 また、心理状態も疑ったほうがいい。
「うちのこどもは、とても素直なのよ」
親がほかの親に自慢する姿を見たくて、従順になっている可能性がある。いわゆるアダルトチルドレンだ。アダルトチルドレンが成人して、どうなるかは、すでに多くの検証が行われている。
「いい加減にしなさい。先に食べちゃうわよ」
親子のバトルを経験しながら、こどもは気持ちの切り替えが生活には必要なんだということを学んでいく。
 あくまでも、親は親として威厳をもってしつけたほうがいいのか、こどもの目線に立っていっしょに遊び道具を片づけたほうがいいのか。接し方、子育ての仕方には正解はない。ただし、どちらにしても暴力や無視は、こどものこころに傷をつけるだけだ。
 一つの物事からほかの行動や物事に気持ちを切り替えにくい傾向が強いと、生きていくのに不便だ。生きていくのに不便な状態を「障害がある」という。
 これは、人間だけでなく、多くの動物一般にいえる。
 だから、その生き物が生きている環境によって、障害があるのかないのかは、区別される。
 文字の必要がない生き物にとって、文字が読めないことや書けないことは、障害にはならない。数キロ先の嗅覚を習得していないと生死にかかわる生き物にとって、鼻炎は障害だ。
 ひとの世界。
 一つの物事に強い興味を示し、変化を嫌い、場面の切り替えが極端に苦手な脳をもつひとを自閉症と総称している。○○症と呼ぶと、病気みたいなので、自閉的傾向とか自閉的特徴と言い換えることもある。いずれもなかみは同じだ。
 わたしは、自閉的傾向と呼ぶことが多いので、この言い方を使う。
 漆塗り職人、機織職人など、こつこつと自分の技を品物に変えていく職人には、自閉的傾向が強いタイプが向いている。仕事をしながら、いつも注意散漫では、伝統は受け継がれないだろう。こういう世界では、自閉的傾向は「障害」ではないのだ。
 同じ教室で、みんなと同じ行動や同じ姿勢が求められる学校では、自閉的傾向をもつひとは、とても生きにくい。「個性ある教育」「ひとりひとりを大切に」というスローガンはあっても、個別教育の仕組みがない公教育では、個人が全体と違うことをするのは許されない。自閉的傾向が「障害」になってしまうのだ。

6146.4/4/2009
 ことしの春は長い。
 3月下旬に5月の連休並みの気温になった。一気にサクラのつぼみがふくらんだ。
 しかし、4月になってから寒い日が続き、つぼみのままちらほらサクラが開花した。その後も寒い日が続き、サクラの開花がのんびりだった。
 ワールドベースボールで、日本チームが優勝した。この大会をきっかけにして、野球が好きになったファンが多いようだ。野球が好きになったひとの多くは、きっと目当ての選手が好きになったのだろう。野球のルールは、ほかのスポーツに比べてとても複雑だ。
「どういうルールかわからない」
みんなが悲鳴をあげるアメリカンフットボールよりも、ずっと難しいとわたしは感じている。
 4月から給料が下がった。
 神奈川県下の教育公務員、消防関係者、警察関係者の基本給料が一律に減額された。
 基本給料が下がるのは、痛い。基本給料は、ボーナスや退職金の算定基準になるからだ。基本給料が下がるということは、ほかのものも全部下がることを意味している。
「それでも仕事があるだけ、ましだと思え」
給料引き下げを実行した首長は、内心でそう吼えているかもしれない。
 いまの県知事になってから、公立学校は政治の影響を強く受けるようになった。
 これは、歴史的にとらえると、とても危険な兆候だ。
 近代日本の歴史を振り返ると、学校が政治の影響を受け、こどもたちに軍国主義を教えた時代があった。軍国主義をたたきこまれたこどもたちは、兵隊になり、敵を殺した。なかには、自爆攻撃の弾薬代わりになった。
 そしてグローバルな動き。
 世界経済が2008年秋のサブプライムローンの破綻の影響を受けて、未曾有の恐慌を迎えた。完全失業率が4パーセント半ばに達している。
 100人のうち4人から5人が、仕事をしていない。
 仮に小学校でひとつの学年の人数が100人のところがあるとする。そのうち4つから5つの家庭で、親が無職という状態が発生しているのだ。失業率は就労人口に占める割合だから、単純にこどもの世帯数で比較するのは正確ではない。としても、一クラス(いまの法律では40人)に1人から2人は、家庭の収入がない状態だというのは、そんなに突飛な仮説ではないだろう。
 周辺諸国の軍事的な動き。朝鮮半島で、大陸間弾道弾の打上実験が行われようとしている。
 人工衛星の打上と伝えられてきているが、ロケット部分が日本の領土に落下する危険性があるという。その危険に対処するために、政府はもしも危険が迫れば迎撃する方針だ。
 打ち上げる国の政府は、そんなことをしたら、あらゆる手段で報復すると宣言している。
 あらゆる手段のなかには、もちろん軍事的な手段も含まれているのだろう。
 第三次世界大戦は、アジアから始まるというのか。

6145.4/3/2009
坂の下の関所 四章

47
 二月の後半に春のような陽気になった。
「もう春かなぁ」
関所の常連が季節を先読みする。
 しかし、三月に入って、ふたたび真冬並みの寒い日が訪れた。
「冷えちゃって、鼻の頭が赤くなっちゃった」
若女将が、肩をすぼめる。
 わたしは、「そうだ」と思い出し、荷物のなかから一冊の本を取り出す。
「これ、今度、佐藤さんが来たら、渡しておいてね」
横山秀夫さんの書いた「出口のない海」という本だ。
 以前に、若女将に貸した。それを佐藤さんが続けて読んだ。そして、わたしの手元に戻っていた。こないだ、佐藤さんが奥さんに話したら「読みたい」と興味を示していたと聞いたので、リュックに入れておいたのだ。
「あー、奥さんが読みたいって言っていたのね」
若女将は情報が早い。
 わたしは、自分が読んだ本を何冊もひとに貸してしまう。
 また、ひとが読んだ本も、遠慮なく借りて読んでしまう。
 若女将からは、パトリシア・コーンウェルさんの本を10冊以上借りている。そのうちの5冊は、さらにわたしの知人の手元に渡っている。
 わたしの本も、何冊かは若女将の手元に渡っている。さらに、そこから佐藤さんにも届けられている。遠方に出張のあるときは、時間つぶしのために本を買わなくて済むようになったと、佐藤さんは喜んでいた。
「こんばんは」
ちょうど、そこに佐藤さんが登場した。
「よかった。これ、センセーから」
若女将が、「出口のない海」を佐藤さんに渡す。佐藤さんはバックを開けて、別の本を取り出す。
「これ、読み終わりました」
それは、佐々木譲さんの「カストロの冒険」という本だった。この本も、わたしの手元を離れて、知っているだけで5人のひとに読まれて、いまふる里帰りを果たした。
「こないだ、おもしろい話を聞いたんだよ」
佐藤さんは、クーラーから高清水を取り出した。
「いっしょに、谷戸の会で活動しているひとがいるんです。そのひとが、いきなり、わたしに山猿って酒を知ってるかって聞いたの」
 山猿は、この辺では、この関所でしか扱っていないはずだ。
「そのひとは、山猿を飲んだの」
わたしは、その山猿をコップに満たして、ぐいっと口に含む。
「奥さんが、関所で買ってきて、それを飲んだんだって」
「それって、もしかして」
わたしと佐藤さんは、記憶の一点で合流した。
「そう、あのときのひとが、その方の奥さんだったんですよ」
「たしか、ご主人の誕生日だからって、日本酒を探しに来たんですよね。あまり日本酒を知らないっていうから、俺と佐藤さんで、これがお勧めっていって、山猿を紹介した」
「そうそう。まさか、あのひとと谷戸の会のひとが夫婦とは知らなかったから」
 レジの奥で、大将と若女将が満面の笑みをたたえる。わたしたちの会話が筒抜けのようだ。
「客が客に酒を勧める。一番、味を知っているひとどうしのつながりがいいんだよなぁ」
大将の一日の終わりの疲れが、少し和らいだみたいだ。
「ここを、そういうお店にしたいって、ずっと願ってきたんだ」
若女将の瞳が、清流のように澄んでいた。

四章・了

6144.4/2/2009
坂の下の関所 四章

46
「ほら、いつまで飲んでんだ」
風呂上りの大将が、奥から登場した。シャンプーの香りが漂う。
「そうだ、大将も鮑さんも、てっちゃんだよね。ここで電車の当てっこをしよう」
わたしは、カレンダーを肴にしたゲームを提案した。
 カレンダーにはひと月ごとに風景と車両が撮影されている。JR東日本管内の路線ばかりだ。
「じゃぁ、一月からいくよ。せーの。これ路線はどこで、車両は何でしょうか」
雪原を行く気動車が映っている。やや遠方からの写真で、車両の見極めが難しい。にもかかわらず、鮑さんは余裕の表情だ。
「あー、これは○○線。車両は、○○系」
即座にあてる。
 わたしと大将は唖然とする。
「すごーい、鮑さん。すぐわかっちゃうんだね。じゃぁ、二月にするよ。これ、なーんだ」
こんなことを、十二月まで繰り返した。鮑さんは、十月を除いて、どれも瞬間的に路線と車両を正解した。十月は、紅葉が広がる大地のすみっこに、ちょびっとだけ電車が走っている風景写真だった。
「これは、たぶん、あれかな」
この写真だけ、鮑さんは自信がなさそうだった。
 ゲームを終了し、どうして十月だけは悩んだのかを、鮑さんに聞いた。
「あの写真だけ、どこのスポットから撮影したかがわからなかったんです」
「ということは、ほかの写真は、撮影した場所までわかっていたの」
「えー、鉄道写真って、案外、撮影に適したところって限られているので、てっちゃんたちは同じ場所でカメラを構えることが多いんです。だから、このカレンダーの写真は、どれも有名な撮影スポットを使っていました」
「すんげえなぁ。鮑さん」
大将も感嘆の声を上げている。
 本当の趣味人とはこういうひとをさすのだろう。これだけの写真撮影をするために、いままでどれだけの時間と手間をかけてきたのかを想像する。ほとんど休日のたびに、早朝から家をあけて、外出していたのではないだろうか。
「撮影したい電車があったら、日本全国、どこへでも行ってしまうの」
わたしは素朴な質問をする。
「そうですね。朝一番の便で羽田を発って、その日のうちに帰ってくるってことも、若いときはしていました」
「奥さんに文句を言われなかったの」
「そりゃ、言われましたよ。でも、結婚する前から知っていたので、文句というよりも、呆れられたって感じかな」
 いまは、三月のダイヤ改正で消えてしまう九州行きのブルートレインの撮影に、大船周辺の撮影スポットに出勤前に通っているそうだ。

6143.4/1/2009
坂の下の関所 四章

45
 週末の金曜日。
 あしたは休みだと思うと、かなり嬉しい。
 大船駅の改札を出ると、ほかの日よりも待ち人が多い。金曜夜の大船で、楽しい時間を過ごすひとたち。約束の時間が迫っているのだろう。
 わたしは、いつもと同じ。もう金曜だからといって、だれかと居酒屋に行くことは少なくなった。なんだか、それだけで疲れてしまうのだ。それより、関所でいつもよりもちょっとだけ多い酒を飲めれば幸せだ。
「はい、どうも」
関所の自動ドアが開く。自宅の出先に帰ってきたようだ。
 仕事がなかなか片付かなかったので、きょうはやや遅く関所に着いた。そのためか、若女将は大女将と交替して夕食を食べている。
「悪いね、ばあさんで」
わたしは、何も言ってないのに、大女将がぼやく。
「いや、いつまでもお元気で何よりです」
わたしは、レジ横に荷物とジャンバーを置く。
「センセー、カレンダーなんかいらない」
業者がたくさんくれるらしい。
「鉄道のカレンダーもあるよ」
それは嬉しい。
「どれですか」
くれる前から、カレンダーが丸めて立てかけてある箱を、わたしは物色する。
 そこには、鉄道会社の名前が印刷されたカレンダーが入っていた。
「センセーも、電車が好きだっていってたものね」
「ありがとうございます」
いただいたカレンダーを、リュックに入れようとしたとき自動ドアが開いた。
「あれ、センセー、久しぶり」
「あら、こんばんは」
首都リーブスの鮑さんが登場した。
 鮑さんはわたしよりも若く、こどもも小さい。医者の指導を守って、週末以外は禁酒を実行している。だから、金曜日は堂々と飲めるらしい。
 そういえば、鮑さんは電車の写真を撮影する趣味があった。
「あら、来てたのね」
奥の引き戸が開き、若女将が登場する。
「ありがとうございました」
退場していく大女将に、わたしは礼を言う。
「なんか、もらったんですか」
鮑さんが言うので、カレンダーを見せた。鉄道写真のカレンダーと瞬時にわかった鮑さんのメガネの奥の瞳が光った。

6142.3/31/2009
坂の下の関所 四章

44
 その記事は、知っているひとが読めば、この関所のことだとわかる記事だった。
 常連のひとりが、自分の町にはホッとできるステーションとしての酒屋があることを紹介していた。わたしには、だれが投稿したのかわからなかった。しかし、かなり文学的な表現が多かったので、少なくともそれがピカちゃんではないと推測できた。
「へー、すごーい。紹介されたんですね」
 ピカちゃんは、まだわからないのかと言わんばかりに投稿の後半を指差す。
「ここに、マダムって書いてあるだろ。若いマダムって」
確かに、若いマダムがあなたをお待ちしていますみたいなことが書かれている。
 そこだけを読んだら、酒屋の記事だとは思えない。
「いいか、ここはマダムの店なんだ。だから、あまり品にないことはしちゃいけねぇ。上品に振る舞うんだぞ」
 それが言いたかったのですか。
 そのために、わたしに「新聞、何」と聞いたのですか。
 ピカちゃんの思考は、かなり回りくどい。
「俺、来月、誕生日」
二杯目の山猿も空になっていたので、三杯目を注ぐ。これは誕生祝のつもりです。
「誕生日ですか。おめでとうございます」
ピカちゃんは、長い人差し指をアメリカ人みたいに立てて鼻の前で左右に振った。
「誕生日っていうのは、一生に一度しかない。生まれた日のことだろ。毎年、誕生日があったら、ひとはいつまでも年を取らない。二回目以降は、誕生記念日って言わなきゃ。センセーは、とくに言葉の使い方は正しくな」
確かにおっしゃるとおりです。それにしても、こういう深いことを意識している御仁とは知らなかった。
 関所には何人かの常連がいる。しかし、挨拶や短い会話はするけど、長話をすることはめったにない。もともとそれぞれが他人からの干渉をあまり受けたくなくて、ひとりで関所のドアをくぐっている。そこで静かに一日の疲れや、自分自身と向かい合い、アルコールで元気を取り戻す。気分が乗れば、近くのひとと世間話をする。
 だから、わたしのようにだれかれともなく会話をしてしまう種族は異端なのかもしれない。わたしは、コミュニケーションによって元気を取り戻すタイプなのだ。
 数日後に関所に寄ったら、ピカちゃんからの差し入れとして、山猿の四合瓶が入っていた。
「えー、そういう意味ではなかったのに」
三杯はご馳走したけど、四合瓶をいただいたら、わたしが得をしてしまう。
「いいのよ、ピカちゃんは。あー見えて繊細なひとなんだから」
若女将は、ひとの機微やこころの彩りを大事にしている。

6141.3/29/2009
坂の下の関所 四章

43
 ピカちゃんは関所の掛け時計を見た。
「まだ、この時間じゃ、飯はねぇな。しょうがねぇ、一杯やってくか」
「あら、珍しい」
若女将は、ワンカップ大関をピカちゃんに渡す。
 ピカちゃんは体格がいい。きっと190センチぐらいはあるのではないか。骨格も太い。体重があるようには見えないが、骨格の太さとスキンヘッド、喋り方の豪快さが、人間を大きく見せている。
 ワンカップ大関も、ちびちびやらずにごくごく飲む。あっという間に空になる。
「センセーよ。なに飲んでんだ。うまそうだなぁ」
わたしは、すかさず山猿を空になったワンカップの入れ物に注ぐ。ピカちゃんは、酒の臭いをかいだ。ごくっと一杯やってから、遠くを見つめる。
「センセーのうちは新聞、何」
「うちは毎日ですけど」
ピカちゃんは、また遠くを見つめる。また山猿をごくっと飲む。もう残りが少ない。
「それじゃ、話が終わっちまうんだよな」
あれ、そういうことなの。
「こないだ、読売に変えました」
ピカちゃんは、ふんと横を向く。残りの山猿を飲み干した。わたしは、空になったワンカップにふたたび山猿を注ぐ。
「その後、朝日に変えました」
ピカちゃんの目が輝く。
「そうだろ、そうだろ。そうこなくっちゃ。そんで、去年の秋の朝日を覚えているか」
そりゃ無理だ。たとえ、朝日新聞を取っていたとしても、半年も前の記事は覚えていないだろう。それに、文脈上、わたしが毎日新聞を読んでいることは、ピカちゃんにもわかっているはずなのに。
「なにか、目新しい記事が載っていたんですか」
「載ってはいない」
はぁ。霞をつかむコミュニケーションだ。
「でも、挟まっていた」
あー、折込のことね。だとしたら、朝日新聞ではなくてもありそうだ。
「何か、広告のことですか」
「違うよ、お嬢、あれ見せて」
ピカちゃんにとっては、若女将はお嬢さんなのだ。
「はいはい、これね」
若女将はスクラップブックから、鎌倉市の広報を引き抜いた。その最後のページを開く。読者からの投稿ページだ。いくつかの投稿のなかに、ペンで囲った投稿があった。

6140.3/27/2009
坂の下の関所 四章

42
 その翌日。
 赤坂さんは腰をかがめていた。
「どうしたんですか」
「いやぁ、きのうカラスと飲み過ぎて」
だろうと思いました。
「あいつも、いつもよりかなり飲んだ」
それも、だろうと思いました。
「しょうがねぇからタクシーでうちまで送ったのよ。その後、うちの近くでタクシーを降りて坂道を歩いていたら、ずっこけた」
 以前にも赤坂さんはそうやってけがをしている。前歯を折ったり、額から出血したり。でも今回は見た目には傷はない。
「またですか」
「今度のは新しいバージョン」
バージョンなんて、言葉を知っているのか。
「坂道を登っていたら、後ろにこけた」
「あーぶない」
わたしは、思わず大きな声を出した。打ち所が悪かったら、大怪我になるところだ。
「けつをドカーンと打って、しばらく息ができなかった。立ち上がろうとしても、立てない。だれかに助けを求めたけど、だれも通らない。うちまで、這ってけぇった」
「そんできょうは病院に行ったんですか」
行くわけがないとわかっていても、聞いてしまう。
 赤坂さんは、手を振る。
「湿布を貼った」
「それでも痛いんでしょ」
「佐藤さんが来たら、相談しようと思う」
佐藤さんは専門外だと思うんだけど。ま、赤坂さんが決めたことだから、わたしが軌道修正する必要はない。早く、このけが人に愛の手を差し伸べるべく、佐藤さんが来ないかな。
 しかし、わたしの願いは虚しく、次に登場したのはスキンヘッドのピカちゃんだった。
「もう、これでやめよう。きょうがラスト」
毎回、そういってタバコを一箱買っていく。どんなに寒い日でも、パジャマに裸足のサンダル。仕事から帰って入浴してから買い物に来る。以前、わたしは同い年と騙された。確かに干支は同じだったが、一回り上の同い年だった。
「あれ、番頭さん、しゃきっとしなきゃ。腰が曲がってるよ」
「だめだよ、痛いんだよ。こけちまってさ」
赤坂さんは、泣き笑いしながら、ピカちゃんに言い訳をした。