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過去のウエイ

6129.3/12/2009
 野地さんは、2006年の秋から、わたしが勤務する特学で学生ボランティアとして協力してくれている。4年生の大学を卒業してから、教員免許が取れる通信制の大学に入りなおし、アルバイトをしていた。
 わたしたちが出会った頃は、まだ通信制の大学に入り始めたばかりの時期だった。
 大学時代は剣道一筋だったそうだ。ご両親とも沖縄のひとで、目鼻立ちがはっきりした顔は、シマンチュの流れを汲むものだろうと予測できた。
 週に2日間、朝からこどもたちが帰る午後2時半までびっちりの支援介助をやり続けてくれた。三年目になった今年度は、もう特学の動きをだれよりも把握していた。わたしたちが「いま、ここが手薄だ」と感じるところを先回りして、何度もカバーしてくれた。
 野地さんは、きっと通常級の担任を目指しているのだと思う。
 しかし、通常級の担任になったとき、特学でのボランティア経験は、どんな座学よりも役立つはずだ。
 去年の秋は4週間、わたしが勤務する小学校で教育実習をした。中学年のクラスに入り、授業経験を積んだ。実習のなかに、特別支援教育の参観があった。当然、特学に来た。
「これだけ長くやってんだから、参観なんかしてないで、資源でいいだろ」
「自分もそのつもりで、来ました。でも、終わったら、いくつか聞きたいことがあるので、よろしくお願いします」
 資源とは、支援教育の世界の言葉だ。こどもを支援するおとな全般をさす。教員、介助員、ボランティア、参観に来た保護者、一般の見物人、新採用研修の参観者。手がかかるこどもたちが多いので、支援の手はいくつあっても足りないということはない。いいおとなが、ただ参観に来て、ボーっと突っ立ったままだったら
「いるだけなら、邪魔だから、帰ってくれ」
きっと、追い出されてしまうだろう。
 その日の放課後、いつもは「お疲れ様でした」と帰る野地さんは、実習中なので帰らない。そのまま特学の教室に残る。こどもたちを帰した後、わたしたちがどんな事務仕事をしているのかを、ノートに書き写していた。
「そうだ、なんか聞きたいことがあるって、言ってなかったっけ」
「はい、いまお時間、よろしいですか」
 わたしは、熱い日本茶を用意した。野地さんが聞きたかったことは、普通学級の教育と、支援学級の教育の違いだった。
 こどもがいて、教育活動が行われている。それは両者に共通している。しかし、根本的な何かが違うと感じていたらしい。
「普通学級では、大勢のこどもに同じことを教える。そして、どれだけ覚えているかとか、じょうずに本を読めるかとか、こどもの能力を評価する。能力の低いこどもがいても、それは本人の問題として終わってしまう。ここまでわかるかな」
「はい。自分も苦手な教科がありました」
 野地さんは体育系の部活動が長かったのか、一人称を「自分」ということが多い。
「支援教育では、指導と評価は一体なんだ。ひとりひとり異なる学習計画を用意する。だから、指導した結果、評価すべき成長が見られなかったときは、計画に無理があったかとか、指導方法が間違っていたかとかが問われるんだ。つまり、こどもの問題性が問われることはない。というか、そこに責任をかぶせてしまったら、そもそも支援教育は成立しないんだよ」
「あーなんだか、すっきりしました。何か根本的なところが違うと感じていたのですが、それに気づくことができました」
 2009年3月をもって、野地さんはボランティアを引退する。卒業生を送り出す気持ちと同じ感慨が胸を埋め尽くす。
 いつの日か、同業者として働きたい若者のひとりだ。

6128.3/11/2009
 もうすぐ年度末が近づく。
 学校で仕事をして、24年目が終わる。毎年、この時期は、過ぎた一年を振り返り、後悔が高波になって後頭部から押し寄せる。
「もっと手間隙をかければよかった」
「あのとき、もう少していねいに対応していればよかった」
「教材の作成に、工夫が足りなかった」
 決してさぼっていたわけではないが、時間との追いかけっこのなかで、やり残したことが、うず高くそそり立ってしまうのだ。
 ことしも、また似たような気持ちになるのだろうか。
 特別支援教育の世界は、あまり一般のひとたちには知られていない。
 かつては、障害児教育と呼ばれ、どこかマイナスのイメージがつきまとっていた。一般社会との接点も少なく、普通教育と障害児教育の間には、深い溝があった。いまでも、全国学力テストでは、小学校では6年生が受けることになっているが、特別支援学級や特別支援学校の6年生は対象から外されている。そのことを誰も問題視しないし、どこからも批判が聞こえてこない。
 特別支援学級は、普通学校のなかに併設されている。省略して、トクガク(特学)と呼ぶ。神奈川県では、いまも特別指導学級という呼び方をするので、省略したトクガクは同じ音になっている。特別支援学級は、こどもの特徴に応じて学級が編成される。もちろんこどもがひとりでもいれば、教師はひとり配置される。異なる特徴のこどもが、同じ特別支援学級に在籍することはない。
 たとえば、いまのわたしが勤務するところには、知的障害児学級と情緒障害児学級の2種類の特別支援学級がある。ともに、こども8人に対して、教師が1人配置される。現在は、知的学級が一つ、情緒学級が二つの合計三学級編成だ。教師は3人配置されている。さらに、神奈川県では、こどもたちに手厚い指導と支援の必要性があるということで、知的学級では7人から、情緒学級では5人から、もう一人追加の教員を配置している。特別任用加配、省略して特任加配、もっと縮めて加配と呼んでいる。情緒学級がともに5人を越えているので、加配は2人ついている。つまり5人の教員が今年度は担当した。
 今年度は15人のこどもが在籍し、教師が5人だった。1人の教師が3人のこどもの担当になった。しかし、排泄や緊急事態、保護者との連絡など、こども一人に対して教師一人が必要な場面では、残された教師のウエイトがぐんと上がる。
 あるときなど、排泄支援(ひとりでトイレができないケースで、ともにトイレに入り支援する)、切り替え未消化(休み時間などでの遊びから学習へと切り替えがきかない)、連絡なく欠席したこどもの保護者との電話対応で、同時に3人の教師が、こどもたち全体の前から消えたことがあった。残された教師は2人。こどもは10人以上。こうなると、何があってもおかしくない状況になってしまう。
 だから、15人のこどもに5人の教師という割り当ては、決して多いわけではない。
 その危険な状況を回避するために、藤沢市は介助員を雇っている。民間のアルバイトに比べてもかなり劣ってしまうほどの、低賃金だが、意欲と熱意ある方々は、決して少なくはない。
 さらに、藤沢市は大学生で教員を目指しているひとたちをスクールボランティアとして、学校に派遣している。交通費も給食費も自腹という過酷な条件だ。それでも教師になりたいという気持ちが強い学生は、後を絶たない。
 年度末が近づき、わたしは趣味の刺し子でブックカバーをたくさん作った。トクガクスタッフの慰労会で、ボランティアと介助員の方々に、ささやかなプレゼントとして渡す予定だ。
 日本の義務教育における特別支援教育は、潤沢からは程遠い予算で、無心で善良なひとたちによって支えられているのだ。

6127.3/10/2009
坂の下の関所..三章
35

 佐藤さんは暮れに雑誌の取材を受けていた。
 働くひとの弁当を特集しているページに掲載されるという。クーネルという雑誌だった。先日、雑誌は見せてもらった。ご飯にいわし、玉子焼きに青菜というシンプルなメニューの弁当だった。記事のなかに、佐藤さんがおかずにこだわる過去の話が載っていた。ページを丸々使ったカラー記事だった。わきに、手術衣姿で弁当箱を手にする佐藤さんが丸がこみ写真になっていたのは、笑ってしまった。
「さすがに、こんな恰好ではふだん食べてはいないよ」
佐藤さんも照れ笑いをしていた。
 その取材協力費が9000円だった。そのお金を使って、みんなで焼肉を食べに行こうと約束していた。でも、どう考えても9000円を受け取り、それを使う権利は佐藤さんにある。その話に乗っかって焼肉を食べてしまおうというわたしたちは、たかりに過ぎない。
 なんのためらいもなく、焼肉のオーナーを引き受ける佐藤さんの懐の深さを思う。きっと、記事のなかに登場したお母さんの考えが、しっかりと受け継がれているのだろう。
 カレンダーを見て、焼肉の日を決めた。場所は、新羅亭。関所が休みの日にした。
 大将と若女将は6時に行って食べているという。仕事のあるカンちゃん、佐藤さん、わたしは7時に合流することにした。
「急いで来ないでいいからな。みんなが来るまでに、9000円分は胃袋に入れておくから」
冗談に聞こえない大将の笑顔。新羅亭は、とてもうまいがやや高級なので、本当に9000円はあっという間かもしれない。
 わたしも、佐藤さんと同じように思い出した。
「そうだ、そうだ。これを渡すのを忘れていた」
わたしは、リュックから音楽CDを取り出した。数枚、用意していたので、関所とほかの二人にも渡した。
「お年賀です」
30歳の頃に、仲間と作った音楽CDだ。たくさん作りすぎて余っている。それを年賀として配るのだから、大したものではない。一応、音楽会社がプロデュースして、流通にも乗った商品だ。ジャケットや装丁は市販のものと変わりはない。いわゆる自費出版ではない。
「わぁ、すごい。何でもやるんだね」
カンちゃんが、しげしげとジャケットを見る。
「でも、この写真、だいぶ若い」
 やりたいことをやっている。歌に自信があるとか、演奏に自信があるとか、相手を意識したものではない。ただ、自分が好きなことをかたちに残したいだけだ。それは、仕事の世界でも、趣味の世界でも同じということを、関所から自分が発信できたような気がして、少し嬉しくなった。

三章・了

6126.3/9/2009
坂の下の関所..三章
34

 わたしは、口に含んだ山猿をプッとふき出しそうになった。
「もともと教員をやって、自信もって、教員になるやつなんか、いないよ。ねぇ、佐藤さん」
「うん、医者だって、資格もないのに医療行為をやって、自信をつけてから、医者になるひとはいない。みんな、最初は未熟で、仕事をやりながらいろいろ覚えていくんだよ」
資格なく、教員や医者をやったら、いまの日本では逮捕されてしまう。
「じゃぁ、そもそも資格や免許ってなによ」
そういう深いところに行ってしまうのか。
「なんだろうねぇ」
そういう浅いところにかわしてしまう佐藤さんと、わたしは同じ岸辺に立つ。
「それとさぁ、もう一つ考えていて。臨床心理士もいいかなって」
確かに、カンちゃんの話の流れから想像すると、カウンセリング関係の方向も見えてくるだろう。内面に苦しさをかかえるおとなに出会い、相談に乗り、アドバイスをする。現状を少しでもいまよりも展望の開けた方向に導く。その舵取りをしたいという気持ちは理解できる。わたしは、仕事柄、心理士や福祉士のひとたちとつきあいが多い。だから、現状を教える。
「臨床の世界は、これから需要が多くなるとは思う。だけど、仕事に見合った給料という点で、まだまだ日本では十分なお金は入ってこないよ。学校にもカウンセラーさんが配属されたけど、給料はとても安いんだ」
「なんでなの。必要とされているのに」
「日本社会が精神医学を低く見ているから。正確に言うと、行政が教育や福祉をあまり重要視していない。そのなかでひとの内面や脳の発達を専門にする領域など、さらに軽視しているということ」
「わかんないなぁ」
「大多数のひとたちに支持されにくいって思ってるんだよ。それから、政治家は選挙のときの集票に直結しないともね。大多数のひとたちが傷んだ道路の修復や公共工事、失業者の減少を求めているときに、教育や福祉みたいに生産性の低いところに金を出したら、反発を食うんだろうね」
「病院だって同じでね。大都市ばかり、生き残って、地域の病院がどんどん閉鎖に追い込まれているんだよ」
佐藤さんが教えてくれた。
「なんか、やだね。そういう話って。元気が出ない」
じゃぁ、夢をあきらめるのか。
「そんな現実のなかで、俺も佐藤さんも頑張っているんだよ」
「だから、毎日、ここに来て酒を飲んで憂さ晴らししてるの」
そうじゃない。全然違う。わたしは、ゆっくり丁寧に言う。
「自分がやりたいことがある。それを実現する道筋もある。実際に、その夢を実現したら、そこから先には、もっと大変なことが待ち受けているってことを忘れてはいけないってこと。だから、自分が何をやりたいかって気持ちが一番大事なんだよ」
 若女将が、生ビールを飲むペースが早い。
「あー、3人で難しい話をしてつまんない。わたしばかり、のけ者にして」
佐藤さんが、ここぞとばかりに、手を打つ。
「お金が入りました。みんなで焼肉に行きましょう」

6125.3/8/2009
坂の下の関所..三章
33

 若女将がカンちゃんに生ビールを差し出す。
「あのこと、聞いちゃえば」
わたしに聞きたいことがあると言っていた。レジで若女将と正対していたカンちゃんが、レジ横のわたしの定位置にビールのコップを手にしてやってきた。
「センセー、また太ったんじゃないの」
おい、聞きたいことってそれかよ。
「あのさぁ、教員って、わたしでもなれるわけ」
「そりゃ、なれるよ。免許、持ってるの」
「ない」
「じゃぁ、これから免許を取って、試験に受かれば採用だよ。小学校、中学校、高校。どれ。ちなみに大学の場合は免許はいらないよ」
「へぇ、そうなんだ。でも、年齢制限とかってないの」
「以前はあったけど、いまは神奈川は撤廃したと思う」
今度正確に調べて教えてあげよう。
「小学校の免許を取るとして、どうすればいいの」
「教員免許で一番、単位が多いのが小学校だから、一番大変だけどいいの」
「そっかぁ。でもやっぱ小学校だなぁ、やるとしたら」
「仕事を辞めて大学に通うの。仕事を続けながら資格を取るの」
「いまの仕事は辞めないで、免許を取りたい」
「じゃぁ、通信制がいいよ」
わたしは、通信制で小学校の免許が取れる大学をいくつか紹介した。
「あら、また勢ぞろい。佐藤さんが来た」
若女将が教えてくれた。
 病院の仕事を終え、佐藤さんが登場する。わたしの横に荷物を置いた。
「カンちゃんがね、教員になりたいんだって」
クーラーボックスから高清水を取り出す佐藤さんに伝える。カンちゃんは、プライベートなことをべらべらしゃべるなって顔で、上目遣いにわたしを見る。
「へー、いいんじゃないの」
ひとの生死にかかわる仕事をしている佐藤さんは、こういうことでは動揺しない。
「まぁ、あんまり教育の力を過信しないほうがいいとは思うけど」
わたしは、熱血で意欲満々でつぶれていった若い同僚を思い出す。
「せっかく、ひとがやる気になっているのに、水をささないでよ。たださぁ、教員なんてやったことないし、自信ないんだよね」

6124.3/7/2009
坂の下の関所..三章
32

 わたしは、コップの山猿を二口ぐらい飲んだ。わずかな時間だ。
 なのに、若者2人はもう空のカップを捨てに来た。
「はぇー、もう食ったの」
シンロートの仕事は、よほどハードなのか。ちゃんと噛んだか。わたしも、親父みたいな心配をする。
 相田さんの部下が、缶をすてるところにカップを入れた。
「そこは、違う。プラはこっちだよ」
自称、分別係のわたしは、若者を指導する。それを聞いたうーさんの部下が、縮こまっている。見ると、カップのなかにスープを残している。偉い偉い、塩分の取りすぎに注意しているのか。それとも、飲み方が足りなくて、からだがまだナトリウムを要求していないのか。赤坂さんが、うーさんの部下に教える。
「外に出て下水に流す」
あ、はいと返事をして、うーさんの部下は外に出て行った。
 そこに、ニコニコしながら、山ちゃんが登場した。ややO脚の山ちゃんは、外でスープを捨てている若者や、相田さんの隣りで焼酎をごちそうになっている若者を交互に見た。
「お、新人が登場だね」
若者は、相田さんやうーさんに対してとっていた距離感よりも、やや緊張した間合いを山ちゃんにとった。きっと、会社では山ちゃんはかなり上の立場のひとなのだろう。関所では、相田さんもうーさんもそういう上下関係をまったく出さないから、平板に感じてしまう。
 奥の商品棚の陰から永田さんが顔を出す。
「若者は食いっぷりも飲みっぷりもいいなぁ」
まったくです。
 しばらく談笑していたシンロートの5人は、その後も乾き物を食べ続ける若者を気遣い、大船に出てきっちり食おうということになった。
「そんじゃ」
相田さんが手を挙げる。にぎやかな一団が去った。静寂が戻る。
 よっちゃんの酢漬けイカが終わり、わたしもきょうは早く帰ろうか。そう思ったときにカンちゃんが登場した。関所は、みんな打合せをしているわけではないのに、役者が交互に入れ替わる。まるで、自動ドアの向こうで次々と出番を待っているようだ。
「あれ、センセー、もう帰るの。まさかねぇ」
帰り支度のわたしを見て、行動を読む。まさかねぇの後に続く、言葉を想像すると恐ろしい。
「じゃぁ、もう一杯だけ」
わたしは、優柔不断だ。ベビースターラーメンを手にして、30円を支払った。
 出会いと別れがかさなりあう関所。ことしも、去年と同じように始動した。

6123.3/6/2009
坂の下の関所..三章
31

 その日は、関所到着10メートルぐらい前から、にぎやかな声が通りに響いていた。
 もしかしたら、あのローリーたちが復活したのか。仕事帰りの疲れた足に、元気が充填された。
「こんばんは」
いつも、シンロートの相田さんたちがいる場所に見知らぬ若者が2人いた。さらに、相田さんとうーさんが上機嫌で若者をはさんでいる。
 わたしは、番頭の赤坂さんに目で合図を送る。赤坂さんは小さな声で教えてくれた。
「相田さんたちの会社の若いひと」
 これまでにも来たことがあるのかもしれない。でも、わたしは初めて見た。わたしに気づいた相田さんが、若者に言う。
「あのひとが、センセー。いつも酒ばっか飲んでいる」
自分だって同じだろう。そう思いながら、若者に会釈する。
「会社のひとですか」
わたしは、相田さんに尋ねた。
「そ、こっちが俺の部下」
それを聞いて、関所にいた常連たちが合唱した。
「かわいそー」
「なんだよ、それ。そんなことないよなぁ」
相田さんの部下は、照れ笑いをしながら、ポテトチップスを食う。
「そんでもって、こっちがうーさんの部下」
それを聞いて、関所にいた常連たちがふたたび合唱した。
「そりゃ、よかったー」
「ね、みんな、どういうこと。なぁ、うーさん」
相田さんに振られたうーさんは、困惑しながらも、笑顔で応じた。
 うーさんの部下は、関所のひとたちが、相田さんとうーさんをどうとらえているのかを瞬時に察した表情をした。
「カップ麺もあるから。お湯を入れてあげるよ」
若女将が若者に声をかける。その声色は、日々、わがままな酔客に向けるものではなく、優秀な息子さんや娘さんにかける母のやさしい響きになっていた。若者たちは、遠慮しながらカップ麺を選び、開封して、湯を受け取りに来た。
「若者は、よく食うなぁ」
わたしは、赤坂さんと顔を合わせた。
「どんなに食っても、ここは原価だから。遠慮なく食ったらいいぞ。先輩がおごってくれるから」
番頭の赤坂さんは、支払いのことまで決めてしまう。

6122.3/5/2009
坂の下の関所..三章
30

 1月も中旬に差し掛かると、関所のメンバーは口には出さないけど、同じ気持ちがこころに漂っているのがわかった。
 ついこないだまで、ここで顔を合わせていたメンバーが、いまはもういない。
 派遣労働者の契約打ち切りで、ローリーを始めとする陽気なペルー人たちは、仕事を追われた。
「派遣がこれだろ」
赤坂さんは、自分の首に手を当てる。
「次は、俺たち、下請けだよ。もう毎日、びくびくしてる」
 だれがこんな国にしてしまったのだろう。
 だれがこんな経済にしてしまったのだろう。
「こんばんは」
「よぉ」
 東田さんが、疲れた足を引きずって関所に来た。東田さんは、みんなに東さんと呼ばれている。運送関係の仕事をしている。一般の荷物ではなく、工業製品専門のドライバーだ。運転の仕事に携わっているが、根っからのビール好きだ。すでに年金をもらえる年齢にもかかわらず、現役でハンドルを握っている。実家は、この地域一帯の有名な地主だ。
 東さんは、いつも入口近くのアイスクリームを入れている冷凍容器の近くで缶ビールを飲む。きょうも、奥の大きなクーラーボックスから缶ビールを手にした。
「はい、コップ」
若女将がプラスティックコップを差し出す。缶ビールを飲むけど、直接、口をつけて飲むのが苦手らしい。東さんとは何度かバス停の前の小さな窓こと「鳥藤」で飲んだことがある。ビールが好きなのに、あまり生ビールは飲まない。
「同じビールなのに、どうして生ビールは飲まないんですか」と聞いたら
「あの管の中をビールが通るだろ。だから、ビールに管の臭いがつくんだよ」
とてもデリケートなひとなのだ。
 関所でも、あまり肴を口にしないで、黙々とビールを飲み続ける。帰るときには、4本ぐらいの空の缶を抱えて清算している。
「先生は、あれかい。色鉛筆って知ってるか」
そりゃ、もちろん。でも、それは多くのひとが知っていると思うのだが。
「はい」
「今度、病院のばあさんに持って行こうと思っているんだ」
東さんのお母さんは、長いこと入院を続けている。仕事帰りに病院に寄って関所に来ることが多い。わたしも数年前に母を亡くしたが、仕事と看病の日々は忙しかった記憶がある。
「そりゃいい。うちはもう、言葉もうまく出ない」
話を聞いていた赤坂さんが、東さんに賛同する。赤坂さんも高齢で入院しているお母さんを気にかけながらの毎日だ。
 わたしは、いちいち芯を削らなくていいように、芯だけでできたクーピーペンシルを教えた。いまどきはそんなものがあるのかと、東さんはメモしながら驚いていた。

6121.3/4/2009
坂の下の関所..三章
29

 わたしは、連続で当たったよっちゃんの酢漬けイカで、3つ目のイカをクーラーボックスに入れておいた。
 その日は、いつものメンバーが新年会や用事でいなかった。
 代わりに、いつもは遅い時間に来る医師の佐藤さんが早く来た。
「センセーね。去年は一回も当たらなかったのに、年が明けたら連続で当たったのよ」
ショルダーを床に置いて、佐藤さんが目を丸くする。
「それは、すごい」
わたしは、クーラーボックスから2度目の当たりでもらった3個目のイカを取り出した。
「これ、佐藤さんにあげるよ」
「そんなぁ、いいですよ」
手を振って、遠慮をする。
「まぁ、お年賀だと思って」
「そうですか、じゃ、遠慮なく」
遠慮に見えたのは、何だったんだろう。
 若女将がイカを受け取って鋏でくじを切った。
「やだぁ、また当たりだよ」
 3回も連続した。当たりが3回も連続した。そんなことってあるんだ。一年の運を全部使ってしまったみたいで気味が悪くなる。
 レジの奥で新聞を読んでいた大将が、本当かよって顔で当たりを確かめる。
「おいおい、うちの商売、上がったりだぜ」
 わたしは、自分がつまむイカを買う。
「これも当たるかな」
「さすがに、それはもうないよ」
気のせいか、若女将の握る鋏の取っ手が震えている。
「信じられない。まただ」
当たりが続きすぎ。よっちゃんは、今回の納品に当たりばかりを入れてきたのではないか。
「こんばんは。どうしたの、みんな」
カンちゃんが自動ドアをくぐった。若女将が事情を説明する。
「えー、不思議なこともあるもんだね。これ、わたしも買ってみようかな」
カンちゃんの選んだイカのくじを、若女将が鋏で切って開けた。
「なんか変、また当たり」
当たりの連続ヒット。これでは、確かに商売にはならないだろう。
 10円玉を握り締めて夕方に駄菓子を買いに来るこどもが当てたのなら、素直におめでとうが言えるかもしれない。しかし、立ち飲み客がこんなに連続で当たりを引いたら、おもしろくもかわいくもない。
 こうして、クーラーボックスには、わたしと佐藤さんとカンちゃんが当たりで引いたよっちゃんの酢漬けイカが3つ仲よく並ぶことになった。

6120.3/3/2009
坂の下の関所..三章
28

 正月明けの関所に、きょうから集まったみなさん。
 わたしは、こっそりそれ以前に来て飲んでいました。だから、ここに当たりのよっちゃんの酢漬けイカがあったんです。ごめんなさい。
 そう謝ろうと思っていたのに、だれもわたしの連続当たりには興味を示さない。きょう、買おうとしたイカが当たったと勘違いしたのかもしれない。それならそれでいいや。
 そのとき、奥で永田さんと話していた烏丸さんが、空になったペットボトルとサキイカの袋を抱えてレジにやってきた。それを高くかざして、若女将にお勘定を計算してもらっている。合計を出して、若女将が尋ねる。
「つけとくの」
え、烏丸さんは、立ち飲み代金をつけているのか。ひとには、難儀難儀と言っておきながら、なかなか図太いな。
「ちゃんと払うよ。明朗会計が一番」
わけが、わからん。
「カラス、もうちっと、待てよ」
赤坂さんが、帰ろうとする烏丸さんに言う。
 2人は、家が同じ方面なので、途中まではいっしょに歩いて帰るのだ。
「ま、ちょっと飲め」
パックの日本酒を、烏丸さんの紙コップに注ぐ。烏丸さんは、あまり日本酒は好まない。あんなに注がれたら、飲み干すのにしばらくかかるだろう。
 有無を言わさない赤坂さんのお酌にも、烏丸さんは泰然自若としている。しかし、わたしを振り返り、にやっと笑って言った。
「センセー、難儀だなぁ」
いや、この場合、難儀なのはあなたですよ。せっかく帰ろうとしていたのに、あまり飲まない日本酒を注がれてしまって。去年の花見の会と暑気払いで幹事をしたわたしは、出されたものを最後の一粒、最後の一滴まで残さないあなたを知っているので、さぞやいまの気分はブルーだろうとお察しいたします。
 烏丸さんの携帯電話が鳴る。
「うん、うん、わかってるよ。いま、すぐ、けぇっから」
独身のはずの烏丸さんを待っているひとからだろう。
「待っているひとがいるなら、早く帰ったほうがいいんじゃないですか」v 「そうだよな。きょうはソーメンだって。もうゆでっちゃったって」
「お酒ぐらい、残しても、ばちは当たりませんよ」
「さすけ、ねぇ」
烏丸さんは、急ぐ様子もなく、ちびちびと日本酒をなめている。
「俺はずるいのよ。待っているひとがいるって、わかってっから、待たせちゃうんだな。甘えてるんだな」
「怒っちゃうんじゃないですか」
「だから、電話が鳴る」
 赤坂さんが自分のコップの日本酒を飲み干した。
「あれ、カラス、まだ飲んでんのか。しょうがねぇ、俺もあとちょっとだけ付き合うか」
手酌で自分のコップに注ぎ足す。これでは、この2人はいつまでも帰れない。ソーメンは干からびて、箸でつまめなくなってしまう。