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6119.3/2/2009
坂の下の関所..三章
27

 正月明け一週間が過ぎた。
 役所も学校も工場も通常業務がスタートした。
 仕事を終えて、6時前に関所に入る。
「こんばんは」
 正面の目立つところで、赤坂さんが腕を背中に回して腰を伸ばしている。昨年の暮れに痛めた腰がまだ完治していないらしい。
「や、センセー、あけましておめでとう」
えびぞり姿勢を元に戻しながら、新年の挨拶。
 向かって左側、商品棚の横では、シンロートの相田さんが携帯電話をいじっている。きょうは新年会の予定があるのだろうか。
「センセー、どうも。なんか、年初めのサービスがあるみたいだよ」
 なんのことやらと思っていたら、ことし最初のお客さんには生ビール一杯のサービスがあるとのことだった。
 そうだ、そうだ。こうやって、みんなが集まるのはきょうがことし初めてなのだ。わたしは、クーラーボックスに入っているこないだ当たったよっちゃんの酢漬けイカに視線を向ける。やばい、あれをどうやって説明しようか。
「先生は、ふだん、生ビールを飲まないけど、一杯ぐらい、いいでしょ」
すでに、若女将はわたしの返事を聞かないで、コップに生ビールを注いでいた。
「どうも、ありがとうございます。いただきます」
コップを受け取って、わたしはレジ横の定位置に向かう。荷物を床に置く。
 正面の商品棚の向こう。通路で永田さんと烏丸さんが、すでにおでこを紅くしていた。
「こんばんは。ことしもよろしく」
わたしは、生ビールの入ったコップを掲げて、乾杯のジェスチャーをする。
 永田さんは、焼酎のロックを、烏丸さんは、ウイスキーのウーロン茶割を、それぞれに手にして、応対してくれた。2人とも、すでに生ビールサービスの時間は過去のことのようだ。
「こんばんは」
自動ドアが開く。シンロートの山ちゃんとうーさんが並んで登場した。
「若女将から、サービスがあります」
赤坂さんが2人を誘導して、レジに案内する。
「こんなんじゃ、毎日、年初めがいいな」
生ビールを受け取って、山ちゃんは嬉しそうだ。
「うーさんは、飲まないんだよね。なんでも、好きなのを一本取っていいよ」
ノンアルコール専門のうーさんに、若女将が気配りをする。うーさんは、恐縮しながらカロリーオフのコーラを選んだ。
 わたしは、さりげなくクーラーボックスから、当たりを引いて確保しておいたよっちゃんの酢漬けイカを取り出した。それを若女将に渡す。
「また、当たったりして」
「それは、ないでしょ」
はさみでくじを切り取った若女将の目が点になった。
「あらやだ、また当たったよ」

6118.3/1/2009
坂の下の関所..三章
26

 去年は一度も当たらなかったよっちゃんの酢漬けイカが、正月早々の一番買いで当たったのだ。
「やったぁ、ことしは最初から縁起がいいなぁ」
 一個30円の酢漬けイカ。当たるともう一つサービスでもらえる。わたしは、新しいイカを棚から取り出し、クーラーボックスに入れておいた。この次、来たときには、当たったことを忘れているかもしれない。最近、そういうことが増えてきた。
 縁起のいいイカを手に、ことし最初の山猿を口に含む。
 この味がいい。口のなかに広がる米と麹の旨みと香り。喉を過ぎるときの心地よさ。細胞の一つ一つに染み渡っていくようだ。
「そういえば、佐藤さんはもう取材料をもらったのかな」
「そうそう、それを知りたくて来たんだ」
「確か、9000円って言ってたよね」
「うん、カンちゃんといっしょに新羅亭でごちになろうと約束した。まだ、佐藤さんは何も言ってないの」
「聞いてないなぁ」
 佐藤さんが雑誌に出たら、みんなで新羅亭に行って焼肉を食べようと言っていたのだ。
 表現は悪いが、わたしたちは「たかり」だ。にもかかわらず、佐藤さんはその話を決めたとき、嫌な顔を一つも見せずににこにこしていた。
 奥へ続く引き戸から大将が登場した。
「あけましておめでとうございます」
ジロッ。
「もう飲んでやがる」
 大将に続いて、お手伝いに来ていたひとたちが登場した。
 まだ関所は閉店ではないが、一足先に新羅亭で盛り上がるつもりだろう。新羅亭はふだんでも予約でいっぱいだから、正月はなおさらのことだ。店としても「予約」の札を出したまま空席にしておくのは、後から来た客を断るのに気が引ける。予約客には早く来てほしい。
「いいなぁ、新羅亭か」
わたしが、うらやましそうにつぶやく。
「そうだなぁ、カルビかロースがいいなぁ」
「すみっこの方、たっぷり焼いて炭になったのを持ってきてやろうか。一枚が高いよ」
お土産というのは、プレゼントにしてください。
 一団が新羅亭に向かった。
「じゃぁ、早く店を閉めなきゃね」
わたしは帰り支度をした。
「そんなに、気を使わなくてもいいのに。来週からは、この辺も工場も始まるから、またにぎやかになるわね。そういえば、休みの間に、何度かカンちゃんが来て、そのときにセンセーに聞きたいことがあるって言ってたわよ」
若女将は、みんなの伝言役でもあるのだ。

6117.2/28/2009
「おくりびと」の受賞

 わたしは2008年の秋に、映画「おくりびと」が公開されたときに、映画館で観た。
 そのときに、これはとても奥の深い映画だなぁと感じた。
 しかし、ひとの死を扱ったテーマだったので、興行的にはあまりヒットしないのではないかと予想した。当時の邦画は、もっと娯楽性の高い作品が目白押しだった。洋画も多く、ともに高額な宣伝費をかけて、テレビで宣伝を流していた。
 そのときの感想をウエイで取り上げている。
 やや長くなるがそのまま転載する。

6006.9/15/2008
おくりびと

 映画「おくりびと」(配給:松竹)を観た。監督は、滝田さん。
 東京でオーケストラのチェロ奏者をしていた小林(本木雅弘)が、突然のオーケストラ解散で故郷の山形県酒田市に帰る。
 仕事を探して新聞広告を見つける。「旅のお手伝い」というキャッチコピーを見て、旅行代理店と勘違いし、面接に行く。社長(山崎努)は広告を見てあっさり言う。
「これ、誤植。正しくは、安らかな旅立ちのお手伝い」
 そこは、死体を棺おけに詰める納棺を専門にする会社だった。社員は事務員(余貴美子)しかいない。
「あなた、ここができて最初の従業員」
 そう言われて戸惑う小林。妻(広末涼子)に、就職先を言えない日々が続く。
 もともと納棺は葬儀屋の仕事だが、死体に化粧を施し、納棺までの一部始終を専門にする納棺師という職業があり、葬儀屋は分業制度とともに納棺を依頼する。専門だけあって、死体の扱いは慣れている。生きていたときの美しい、あるいは元気な姿に戻して、死装束をまとわせる。その手さばきには熟練の技が必要だ。
 この映画の発案は主演の本木自身だったという。納棺師という職業があることを知り、映画化を思いついた。それだけあって、本木の納棺師としての手さばきには無駄がない。かなりの資料収集と観察をしたと想像できた。
 脚本は、小山薫堂。わたしは土曜日のFMヨコハマのパーソナリティとしてしか知らなかった。しかし、フジテレビでヒットした「料理の鉄人」などのプロデューサーをして、もともとメディアの世界では実力ある人物だった。初めての映画脚本だというが、台詞やストーリーに「さすが」と思わせる光が多く散りばめられていた。
 小林は、妻にも旧友にも「もっとまともな仕事をしろ」と罵られ、退社を決意する。それを社長に告げに行く。社長は、自室で囲炉裏を前に食事をしていた。炭焼きの網には河豚の白子が乗っている。囲炉裏の縁に置いてある食器やぐい飲みも、ただの磁器ではない。軽くあぶり、塩をふる。
「お前も食え」
「はぁ」
社長は、白子の皮を破り、なかをちゅうちゅう吸う。ほくほく言いながら、味をかみしめる。
「おいしいんですか」
不安げに尋ねる小林に、社長はさりげなく言う。
「困ったもんでな」
勇気を出して、小林も同じやり方で食う。
「どうだ、うまいだろ」
「困ったものです」
照れながら、白子の味を堪能する。退社を告げに来たはずの小林は、社長との白子食事で退社を断念する。 
 音楽は、久石譲。小林がチェロ奏者だったということを前提に、全編にわたってチェロの演奏が冴える。山形の雄大な自然をバックに、宮沢賢治の世界に吸い込まれそうになった。
 一人暮らしの老人の死。性同一性障害の若者の自殺。こどもの病死。家庭を顧みない夫の妻の死。何世代ものひとびとに送られる長者の死。ぐれてバイクの二人乗りでの事故死。世話になった風呂屋の女将の死。遺族と納棺師との微妙な関係が、そのつど丹念に少ない台詞で描かれていた。
 圧巻は、小林の父の死。これについてはこれから映画を観てほしいので詳しくは触れない。
 特撮も、暴力も、濡れ場も、何もない。淡々と物語りは進んでいく。続編を期待したい映画だった。

 とまぁ、書いた。
 2009年2月、映画「おくりびと」は、アメリカのアカデミー賞「外国映画部門」で賞を得た。そのことが、後日、新聞やテレビをにぎわせている。
 わたしは、映画そのものは評価されて当然の作品だと思っていたので、ヒットはしなくても、受賞の報せを聞いて「やっぱりなぁ」と感じた。
 むしろ、違和感をもったのは、その後の報道ぶりやひとびとの関心の高さだった。
 映画が公開された半年前には、いまほどの過熱した報道はなく、観客動員数も映画館が連日満員ということはなかった。それが、アカデミー賞となったら、ひとびとやメディアの態度がコロッと変わってしまった。まるで、公開したときから、これはものすごく評価の高い映画だと信じていましたと、言わんばかりだ。
 日本人って、こんなに受賞とか栄誉に左右されやすかったっけ。
 たしか、わたしは2008年秋の公開初日に近いときに観た。そのとき観客席を埋めたのは、あきらかにふだんは映画を観には来ないと思われるほど高齢の方々だった。おそらくは、冠婚葬祭関係者か、その関連企業、もしくはファミリー会員優待チケットをゲットしたひとたちだったのではないか。要するに、割引か全額補助を受けて、動員されたひとたちだったように思っている。
 誤解しないでほしい。
 わたしは、映画「おくりびと」を批判しているわけではない。繰り返すが、アカデミー賞の受賞は当然な作品だったと感じている。もっとほかの映画賞を受賞してもおかしくはないだろう。
 ただ、2008年秋の公開前に、この映画はモントリオール国際映画祭で受賞していた。国際的には、公開のときに評価が高かったのだ。にもかかわらず、国内の公開時点では、今回のアカデミー賞受賞のような扱いは受けていなかった。
 メディアが作り上げる作品の評判に、受け手のひとたちが何も疑いを抱かないで、「そんなにすごいんだ。知らなかった。そんなら観に行こう」という考えをもつ。その順序に違和感をもつのだ。まずは、映画を観て「こりゃすごい。もっと多くのひとが観てほしい」と思うひとたちが増え、メディアが取り上げるという順序が自然だ。
 くわえて、アカデミー賞に象徴される「アメリカ的なもの」に、文化の面でも弱いんだなぁ。

「坂の下の関所」は休載しました。

6116.2/26/2009
坂の下の関所..三章
25

 「あけましておめでとうございます」
 関所の自動ドアをくぐる。
 ことしの関所は、正月3日からの営業開始だった。
「きのう、新羅亭に行ってきたのよ」
若女将が、笑顔で教えてくれた。
「うわ、いいなぁ」
「だって、センセーだって、暮れに行ったって言ってたわよ」
そうだった。職場の忘年会で利用したのだ。
 新羅亭は高級焼肉屋だ。大船から歩くと15分ぐらいかかる。商店の密集した場所にはない。それでも、駐車場には神奈川県内各地から家族連れや仲間うちでのお客が絶えない。
 店に入ると、真っ先にホワイトボードが目に入る。そこにはその日使っている牛の番号が書かれている。安心の証を客に見えるようにしているのだろう。
 以前、新羅亭で働いていたひとに聞いた。
「あそこでは、普通の焼肉屋の上が、普通のメニューです。だから、あそこで上と名のつくものを頼んだら、普通の焼肉屋では食べられない肉が出てくると思ってください」
確かにその通りなのだ。だから、頼むときに、メニューの端に書いてある値段を見ながら頼まないと、帰る時に財布がすっからかんになる。
 わたしは、家族や友人と行くよりも、何とか職場の宴会で利用したかった。職場の宴会は毎月ごとに積み立てをしているので、当日現金払いをする必要がない。積み立てているのだから、結局は自分の金を使っている。だったら、おいしいお店に行きたい。どのお店を利用するかは、幹事が決める。ことしの幹事が忘年会は、たまには大船でやりたいと言っていたので、わたしは候補として新羅亭を推薦した。結果的に、忘年会は新羅亭に決まった。
 わたしは、来年はもう肉を食わなくてもいいぐらい、後悔しなくていいぐらい、その忘年会で焼肉を食べまくった。みんながナムルやキムチ、ご飯を食べ、スープを飲んでいても、ひとりおかまいなしにタン、カルビ、ロース、ホルモンを食べまくった。
 その思い出がよみがえった。
 山猿をコップに注ぎ、よっちゃんの酢漬けイカを買う。ことしは当たるかな。
「きょうも、行くんだ」
え、2日間連続。うらやましー。それにしても、胃袋、タフだな。
 わたしは、忘年会の翌日は一日中何も食えなかったのに。
「こういう商売をしていると、年末年始が忙しいから、みんな手伝いに来てくれるのよ。きょうはそういう手伝いに来てくれたひとたちへのお礼」 なるほど。感謝の宴か。さぞや肉も酒もうまいことだろう。
 あ、若女将が声を上げた。
「当たったよ、当たったよ」

6115.2/25/2009
坂の下の関所..三章
24

 2009年は快晴で年を明けた。
 昨年は、秋以降、世のなかは不景気一色になった。
 豪邸に住む総理大臣が、どんなに「国民の生活を最優先に」と言ったところで、生活者の困窮は変わらなかった。大量の失業者が先の見えない不安を抱えて、2009年を迎えたのだ。
 大きな会社の経営者は、雇用調整という、ひとをひととも思わない表現を使って、労働者を解雇した。生産や加工に従事するひとたちがいなくなれば、将来的に会社の機能そのものが低下することを想像できないらしい。
 巷にあふれた失業者のなかにも、「どんな仕事でもいいからお金を稼ぎたい」というひとばかりではなく、働く意欲があるのかないのかわからないひともいるらしい。そんなひとほど、「あれはやだ、これはやだ」と注文をつけるそうだ。
 日本社会は、1990年のバブル崩壊以降、経済だけの破綻ではなく、ひとの暮らしやものの考え方まで崩壊させたのかもしれない。社会学者の宮台真司さんが予言した、社会の島宇宙化やまぼろしの郊外が、いよいよ現実の姿を見せ始めた。
 わたしは、1997年に同僚らと「このままでは、こどもの学力の二極化が進み、平均的学力の意味が崩壊する。いまこそ、記憶中心の指導を改め、思考中心の指導に転換しないと、将来的に自分でものを考えられなくなるおとなが増える」と宣言し、新しい学校の設立運動を始めた。振り返れば、当時小学校6年生だった12才のこどもたちは、あれから12年が経過し、24歳を迎えている。働けない若者たち世代の真っ只中で、仕事のない社会を恨みながら生きているのだろうか。
 大船の街を歩いた。商店街は昔ほど正月だからといってシャッターを閉めていはいない。
 それでも、個人経営のお店は4日以降、もしくは7日以降よりという貼り紙が多い。活気ある大船では、それだけ休んでもまだ仕事を続けていけるということだろう。大手資本が経営するドラッグストアやパチンコ屋は、仕事がなく行き場のない正月休みのひとたちを大量に吸収していた。
 元日の朝に、ちょうど佐々木譲さんの「駿女」を読み終えていた。冬休みに入ってから読もうと思っていた本だ。文庫本でも分厚かったが、著者の筆力で、わたしはぐんぐん物語世界に引き込まれ、あっという間に読んでしまった。文庫本の買い溜めがなくなり、次はどうしようと思った。そのとき、関所の若女将から借りていたパトリシア・コーンウェルさんの検屍官シリーズがまだ残っていたことを思い出した。スカーペッタ検屍官が宿命の敵である連続殺人鬼ゴールトといよいよ対決する「私刑」を手に、正月の大船を歩いていた。いつも行く喫茶店やラーメン屋がやっていないので、駅ビルのスターバックスに入る。チャイを注文して、窓際のテーブルに着く。私刑を開き、コーンウェルの世界に没頭した。
 小一時間ぐらい読書をして、思い出した。そういえば、佐藤さんが載った男の弁当とかいう雑誌(正確には「クーネル」です)は、もう出版されたのかな。関所に行って確かめよう。

6114.2/23/2009
坂の下の関所..二章
23

 冬休みに入った。
 わたしは、年休の残りを消化するために学校には行かないで休暇を取る。
 大船で本屋をチェックし、「ことぶき」でラーメンを食い、「大船珈琲館」で読書をした。優雅な時間を過ごし、午後の明るい時間に関所に足を運ぶ。
「こんにちは」
「あら、きょうは早いわね」
「まったく、仕事もしないで、給料ばかりもらいやがって」
若女将と大将がレジでくつろいでいた。
「きょうは、リーブスのひとも、シンロートのひとも忘年会とか言っていたね」
静かな店内で、わたしはクーラーからいつもの山猿を取り出す。
 よっちゃんの酢漬けイカを30円で買う。
 若女将がはさみで当たりくじを開く。
「また、外れ」
「ことしは、一回も当たらなかったなぁ」
 レジ横の定位置でよっちゃんを肴に、山猿を口に含む。
 お客さんが次々とタバコや進物を買いに来る。関所は宅配便も扱っているので、進物を注文して、送り状をつけて行くひとも多い。
 シンロートの相田さんや山ちゃんは、今夜は最終前の電車に乗れるのかな。酒を飲まないうーちゃんも忘年会には参加するのだろうか。
 首都リーブスの赤坂さんは、年明けには仕事が半分以下になると言っていた。派遣の次は、下請けが切られると心配顔だった。今夜は自棄酒になるのだろうか。
 清掃業の永田さんは、この時間も病院内でごみの分別をしているのかな。
 医師の佐藤さんは、年末の手術の準備があると言っていた。「基本的に医療に年末年始は関係ないからね」。休むことよりも、働くことで元気になれるひとだ。
 忘年会をみんなでやろうよと言っていた神ちゃんは、きっとこの時間も東京で、世のためひとのために働いているのだろう。そういえば、わたしに相談したいことがあると言っていたけど、その話は年越しになりそうだ。
 宇宙の話で盛り上がった山中さんは、スイミングで肉体を鍛え、溌剌としているかな。今度は人類の誕生について知りたいと言っていた。少し、参考書を探して予習しておこうか。
 わたしの腹をなで「センセーさん、もっと鍛えて、ムチムチにならなきゃ。女のひと、寄ってこないよ」と笑ったローリーは鶴見で仕事を探しているだろうか。
 「難儀だなぁ。来月は病院からお呼び出し」とつぶやいていた烏丸さん。病院に行く前に憂いなくウイスキーのウーロン茶割を飲んでいるかな。
 関所の仲間がいなくても、わたしにはそこにひとりひとりの顔が見える。声が聞こえる。いまは一年の終わり。きっと年が明ければ、また思い出に浸る余裕などないほど、にぎやかな関所が復活することだろう。

二章・了

6113.2/22/2009
坂の下の関所..二章
22

 しかし、ローリー本人は暗くない。
「奥さん、働いているよ」
「え、奥さんが働いているの。共稼ぎかぁ」
「奥さんも、仕事がなくなるってことはないの」
「大丈夫。日本人だし、社員だし」
 おや、ローリーは日本人と結婚しているのか。奥さんの話題になったら、ローリーの目は輝いた。
「それに、ピッチピチだし、綺麗だし」
なんか、話の流れが違う方向に行きそうだ。
「ローリーは、いつ結婚したんだい」
仕事柄、ついついプライベートなことに立ち入ってしまう。プロファイリングを開始する。
「40歳のとき。工場で班長をしていた。お前あっち、お前こっち。そこ何してる。これはこうやる。日本人に仕事を教えていた。そこに彼女がいた。ひゅー、お姉さん、きれいね。髪の毛は帽子の中に入れて。大変な仕事はボクがやるから、休んでいていいよ。そして、結婚した」
話をするローリーの目は宙を舞い、輝かしい記憶が脳裏に鮮明に映っているのがわかる。嘘をついている顔ではない。夢のような思い出に酔っている顔だ。夫婦の出会いを思い出すたびに、こんなに純情に盛り上がることができるなんて、うらやましい。
「彼女は30歳だった」
「ちょっと待て、ローリーが40歳で、奥さんになるひとは30歳だったの」
ローリーは、なかなかのプレイボーイだ。
「そして、こどもができたんだ」
「ノン、最初からこどもがいた。2人いた。女の子と男の子」
彼女にはこどもがいたのだ。それを承知で、ローリーは結婚したんだ。離婚したのかもしれない。未婚のまま、母になったのかもしれない。
「もう、こども、大きい。大学生と高校生。でも、かわいいよ」
 いまの日本で、大学生と高校生を同時に抱えると、とても親としてお金がかかることは、わたしが痛感している。大丈夫か、ローリーファミリー。
「ローリーは、奥さんとの間に、自分のこどもは作らないの」
 ローリーは、静かにうなずく。「どうして」と目で聞く。
「もしも、自分のこどもができたら、いまの2人のお父さんではいられなくなる。自分のこども、かわいい。いまの2人のこどもよりも、かわいくなってしまうから」
 わたしは、目頭が熱くなった。
 ローリーは、本物のプレイボーイだ。
 きみのようなひとを窮地に追いやる日本政府。その日本政府に税金を納めるひとりとして、わたしは深々と頭を下げ陳謝する。
 元気でいてください。ローリーの目に、こころで話しかけた。

6112.2/21/2009
坂の下の関所..二章
21

 わたしが計算してあげよう。彼の現在の年齢から30を引けばいいだけだ。
「うわぁ、もう19年にもなるんだね」
「そう、長いよ」
「ペルーの言葉は、何語だっけ」
 南米は、スペイン語かポルトガル語のどちらかだった記憶がある。
「言葉、エスパニョールね」
「エスパニョール、なんだそれ。スペイン語かい」
「スペインは、エスパニョールよ」
 よくわからない。エスパニョール、キンチョール、エルニーニョ。似たような音の言葉が頭を通り過ぎるけど、関連性が見えない。
 まぁ、いいや。
「日本語が上手だね」
「わたし、こっちに来て、なるべくペルー人とは喋らない。日本人がいると、日本人と喋るようにした。そして、言葉、覚えた。でも英語はだめ」
 よ、ペルー人、ローリー。さすが。
 こういう外国人労働者によって、日本の生産業や加工業は支えられてきたのだ。不景気になったからといって、真っ先に使い捨てのように派遣労働者を解雇する経営者には、彼のような地道な努力は永遠にできないだろう。
 お金をかけないで、日々の生活の中に学びを見つけていく。言葉の習得とは、本来、そういうものだろう。塾や家庭教師から英語を教わっているお坊ちゃんやお嬢さん、英語を知りたければ、英語を話す国に行って、汗水流して労働をしてごらんなさい。もっとも、世界中でもっとも多くのひとが喋っている言葉は中国語だからね。どこに行っても英語が通じると思ったら大間違い。ローリーはペルー語と日本語が達者だけど、英語は知らないでしょ。
「こっちで稼いだ金を、故郷の家族に送っているの」
 ローリーは、缶ビールを持たない手を顔の前で振る。
「お父さん、お母さん、もう死んだ。お兄さん、ペルーでお医者さん。お金ガッポガッポ」
 日本でもペルーでも医者は儲かるのか。
「わたし、奥さんとこどもにお金を渡すよ」
「結婚しているんだね。渡すっていうことは、家族で日本で暮らしているの」
「そう、鶴見。知ってる、鶴見。電車に乗るよ」
 鶴見の小さなアパートで、ペルー人夫婦がささやかな幸せを育んでいる姿が目に浮かぶ。その幸せを日本経済という魔物は、雇用調整などというひとを機械の部品と同じような扱いにして、就労機会を奪っていく。
「来月から仕事がなくなるんでしょ。どうするの」
 そんなことをわたしに言われても、ローリーはどうしようもないことはわかっている。

6111.2/19/2009
坂の下の関所..二章
20

 わたしはローリーの肌理(きめ)や皺を観察した。若い肌をしている。やや目じりと額の皺が目立つ。苦労の多い人生を歩いてきた証拠だ。
「35歳かな」
「センセーさん、嬉しいね」
ローリーはわたしの名前を、センセーという音だと勘違いしている。
「もっと上なの」
ローリーは、親指を立てて、下から上にこぶしを上下させる。わたしは、少しずつ年齢を上げて答えたが、どれも外れだった。結局、たどり着いたのはわたしよりも4歳も上の年齢だった。
「信じられない。全然、そんなふうに見えないよ」
お世辞ではなく、こころからわたしは驚く。ローリーは、にやっと笑って、ニットの帽子を脱いだ。そこには、ふさふさの髪の毛の代わりに、やや地肌が見え隠れした少な目の髪の毛が乗っかっていた。肉体は若く見えても、髪の毛はごまかせないでしょ。ローリーは、そのことを言いたかったのかもしれない。
 ローリーは、帽子をかぶりなおす。ズボンのポケットから定期入れを取り出し、カードを見せてくれた。「外国人登録証」と書かれたカードには、ローリーの顔写真が貼ってある。
「こりゃまた、ずいぶん、若いなぁ」
「こりゃまた、こりゃまた」
わたしの反応が意味不明らしい。その顔写真は、おそらくローリーが来日したときの写真のままだろう。髪の毛がふさふさしている。登録証を返却した。
 わたしは、山猿をコップに注ぎ、ローリーと乾杯した。ローリーは缶ビールを飲んでいる。
「故郷(くに)は、どこ」
わたしは、日本にいる外国人と話すときは、なるべく日本語を使うようにしている。欧米人のなかには、ところかまわず母国語で喋り捲り、相手がわからなくてもおかまいなしのひとがいる。ここには、郷に入らば郷に従えということわざがあるのだよ。この考えを貫き通すとしたら、わたしが外国に行ったら、その国の言葉を使わないと矛盾する。だから、わたしは、極力、外国には行かない。もちろんパスポートも持っていない。日本語でさえ不十分なのに、これ以上の言語を覚えるには脳が年を取りすぎた。
「ペルー。知ってる、ペルー」
語尾を上げて、ローリーが言う。ペルーぐらい知ってるわい。でも、南米のどこかと言われると、かなりあやしい。太平洋に面している細長い国はチリだったよな。大西洋に面した大きな国はブラジルだったよな。あれー、どの辺だろ。
 確か、南米のひとたちの祖先はアジアやアラスカ、シベリアと遺伝子レベルで近い存在だったはずだ。どうりで、ローリーは日本人には見えないが、肌の色や骨格がアジア系を思わせる。
「いつごろ、こっちに来たの」
「いつごろ、知らない。30歳のとき、こっちに来たよ」

6110.2/18/2009
坂の下の関所..二章
19

 2008年が暮れていく。
 一年を振り返ると、仕事場と家庭の次に、関所にいる時間がとても多かった。酒を飲んでいる場所としては、自宅よりも関所のほうが時間的に多かったかもしれない。晩酌が減って健康にいいのか悪いのか。関所で飲んでいるのだから。
 もうすぐそれぞれの仕事の最終日が近づく。
 その日の関所は、近づく前からにぎやかな声が道路まで響いていた。最近では、どの仕事も不景気で、関所に名前も顔も知らないひとはあまり来なくなった。でも、きょうは年末が近づき、大船で忘年会をする予定のひとが多いのかな。それまでの時間を、関所で軽く飲んで過ごそうとしているのかな。想像が頭をめぐる。
「こんばんは」
 果たして、関所は大勢の呑み助で占領されていた。かろうじて、わたしの定位置、レジ横の通路が空いている。
 赤坂さんも、相田さんも、うーさんも、永田さんも、山ちゃんも、烏丸さんも、顔を真っ赤にして、出来上がっていた。きょうの関所がいつもと違うのは、さらに大勢の呑み助の一団が入口近くで盛り上がっていたことだ。この一団の声が、道路に響いていたのだ。
 よく見ると、その一団は南米のひとたち特有の表情をしている。赤坂さんに、目で合図を送る。赤坂さんは、わたしの視線に気づいて、一団のことと気づき、うんとうなずく。
「うちの会社の仲間」
赤坂さんが手招きをして、一団のなかのひとりを呼んだ。
 大声で缶ビールを片手に、英語ではない外国語で盛り上がっていた一団のなかから、リーダー格の男性が、わたしと赤坂さんのところにやって来た。
「こいつは、派遣社員なんだよ。だから、きょうで仕事が終わり。来月はもういないんだ」
赤坂さんが、その男性の肩を叩きながら教えてくれた。
 日本経済が、どん底の不況に陥っていた。政治無策の影響で、企業は派遣社員や期間社員を一方的に解雇し、失業者を増大させていた。テレビや新聞の向こうで語られる情報が、わたしの目の前で現実化した。
「ローリー、このひとは先生。うまくやれ」
赤坂さんはそういってローリーをわたしに紹介すると、少し離れたところに行ってしまった。うまくやれって、だれに言ったの。しかし、ここは国際協調。無下にはできない。
「ローリーって言うんですか」
「そうです」
流暢な日本語だ。よく見ると、ローリーはわたしと身長はあまり変わらないのに、胸板がボディビルダーのように厚く、腕も筋肉がびっちり張り付いていた。小さな毛糸の帽子がかわいい。
「わたし、いくつに見えますか」
「いくつって、年齢ってこと」
「そうです」