6109.2/17/2009
坂の下の関所..二章
18
わたしは、いきなり山中さんに、宇宙や生命について詳しいのかと聞かれ、どう返事をすればいいのか迷う。ここで、多少は知っていると応じると、きっと質問攻めに遭う。その結果、大して知らないことが発覚し、なぁんだという落ちに着く。反対に、あまり知らないと応じると、きっと山中さんの講釈攻めに遭う。どこかで何らかの情報を得てきたから、こういう質問になったのだろう。自分が得た情報を伝えたくて仕方がないのだろう。しかし、その情報を正確に伝えきる自信があまりないので、どうしようかと迷っているのかもしれない。
コップを、日本酒が置いてある棚の開いたスペースに置く。
「まぁ、小学校の理科程度のことなら、何とか」
本職なんだから、この言葉に嘘はない。
「そっか、じゃ、一つ教えてほしいんだけど」
あれ、単純な疑問から質問しているのかな。
「月っていうのは、太陽の光が当たって光って見えるんだろ」
わたしは、うなずく。そのうなずきを見て、山中さんは、自分でもうなずく。
「じゃぁ、ほかの星も、あーんなにたくさんあるほかの星も、みーんな太陽の光が当たって光って見えるわけ」
あちゃー。そんなことになったら、太陽は超巨大な燃える天体でないと間に合わない。地球なんてとっくに融けている。
「もしそうなら、太陽ってすごいよね」
すごいというレベルを通り越し、恐ろしい天体になるだろう。
「何か、そういうことを知りたいと思ったきっかけがあるんですか」
この話の出所を知らないと、どう答えていいかがわからない。
「きのう、テレビを見ていたらさ。いや、途中からなんで、よくわからなかったんだよな。最初から見ても、わからなかったかもしれないんだけど」
やけに、謙遜している。確かに、情報番組を途中から見ると、文脈がわからないから、何のことだかわからないことはあるだろう。
「そこでさ、太陽はもうすぐ燃え尽きるって言ってたのよ。これは大変だぞって思ったわけ」
それは大変だ。恒星が燃え尽きるとき、最後の瞬間に膨張し、超新星になって周囲の星は、巻き添えを食う。
「いつ頃、燃え尽きるって言ってました」
「そこなんだよ」山中さんは、パチンと両手を打つ。「その大事な部分を聴こうと思ったらコマーシャルになっちまってさ」
最近のテレビ番組は、やたらにコマーシャルを入れたがる。
「その間にトイレに行ったのよ。そうしたら、トイレに行っているうちに、コマーシャルが終わって、いつ太陽が燃え尽きるのかの説明をやっちゃったんだな。だから、俺がトイレから戻ってきたら、もう違う話になっていた」
土曜日の夕闇が迫っていた。わたしは、関所で臨時定時制小学校を開校することになった。
6108.2/15/2009
坂の下の関所..二章
17
きのうは、カンちゃんや佐藤さんと飲みすぎた。
いや正確には、きのうも、というところだ。
週末の土曜日は、近くの工場が休みなので、関所は静かになる。わたしは、大船で買い物をした帰りに関所による。いつものように暗い時間ではなく、まだ夕刻前の明るい時間だ。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
若女将が元気に迎える。
「きのうは、飲みすぎたでしょ」
「うん、帰ったら、バタンキューで、風呂には今朝入ったよ」
「わたしも、付き合って、飲みすぎた。夜なんか足元がフラフラだった」
「そういえば、年末の立ち飲みはいつまでだっけ」
「えーっと」
カレンダーを眺めて、曜日と日付を確認する。
いつ頃からかは知らないが、年末は立ち飲みが禁止になった。わたしが、関所に来る以前に決まったルールらしい。年末は、一般のお客さんに加えて、歳暮や進物などを求めてくる特別なお客さんが登場する。そういうひとたちにとって、店内で品物を選ぶときに、ビールや日本酒を片手にした呑み助がたくさんいると、気分を害してしまうかもしれない。
関所じたいは、大晦日まで営業している。工場関連の立ち飲み仲間はもう少し前で年末の休業が始まる。それよりも早い時期に、立ち飲みは禁止になる。だから、それ以降、仕事納めまでの数日間は、みんな夕方をどうやって過ごすかと頭を悩ませる。まっすぐ帰宅すればいいものを、だれの頭にもその答えは浮かばないらしい。
「どうも、こんにちは」
自動ドアが開く。颯爽とスポーツウエアを着こなした山中さんが登場した。
すでに現役を引退した年齢だけど、若いときに国体に出場した水泳で鍛え上げた肉体は、いまも健在だ。近くの市立温水プールでの水泳を欠かさない。山中さんは、料理も得意で、マグロと生姜の煮物やイカの塩辛など、関所への差し入れのご相伴にわたしはあずかっている。
上気した肌で、生ビールを一気に飲み干す。炭酸が苦手なわたしには、まねができない芸当だ。
山中さんを見ていると、わたしも定年になったら、このひとみたいに元気でいたいとこころから思う。元気でいれば、趣味を生かした楽しいことに挑戦できる。仲間と会って酒を飲める。
「先生は、そのぅ、宇宙とか生命とかって、詳しいの」
プッ。飲みかけた山猿を吐きそうになる。山中さんは、前触れなしに、核心に迫る。
6107.2/14/2009
大将が、関所の外にある商品を店内にしまい始める。そろそろ閉店の時間か。自動ドアを手動にして、閉じた。いつもよりも早い店じまいだ。
「はい、もうきょうはおしまい」
何だか、いつもより早いな。佐藤さんが呟く。
閉まった自動ドアの向こうで、これから関所に入ろうとする、ひとりの女性がいた。
カンちゃんこと、神崎さんだ。
カンちゃんは、閉まったドアを開けようとせず、透明なガラスに両手と自分の頬をあて、無言で「入れろ」と訴える。押しつけた頬が、ガラスで左右に伸び、つぶれた大福のようになっている。
「こっちのほうがいい顔してんな」
大将が茶化す。
なるほど。閉店はフェイクで、カンちゃんが帰ってくるのが見えて、ドアを閉めたのか。
「こんばんは」
わたしと佐藤さんが、カンちゃんに挨拶をする。
「また、ふたりで飲んでるの。男どうしで、気持ちわりい」
おい、挨拶に応じろ。
カンちゃんは、わたしと同い年だ。でも、それを認めない。早生まれのわたしは、4月以降に生まれているカンちゃんにとっては、学年がひとつ上だから、年上扱いなのだ。いいおとなになって、学年を持ち出されるとは思わなかった。
カンちゃんも、佐藤さんに劣らず、東京で、世のためひとのために日夜働いている。勤務先が遠いから、どうしても関所到着は遅くなる。きょうだって、佐藤さんが来なければ、わたしはたぶん帰っていたから、会わなかっただろう。最近、カンちゃんに関所で会うことが多くなった。それは、関所にいる時間が長くなったことの証明だ。飲みすぎに注意しなければいけない。
「俺はいつものように飲んでいた。佐藤さんも仕事を終えて、ここに来た。別に約束をして飲んでいたわけじゃないよ」
うんうん。佐藤さんは頷く。
「あれ、センセー、少し太ったんじゃない」
おい、説明に反応しろ。
「生でいいよね」
若女将がプラスティックコップを出して、サーバーから生ビールを注ぐ。それを受け取り、ごくんとカンちゃんは、喉ごしを楽しむ。
「きょうも、変なやつがいてさぁ」
レジに両肘をついて、立っているのがやっとですと言いたげに、全身の疲れを放出する。世のためひとのために働いていると、どんな仕事でも、変なやつや嫌なやつに出会うものだ。そういう愚痴を、吐き出させてくれる関所の役割は、どんなメンタルヘルスよりも大きい。
6106.2/13/2009
坂の下の関所..二章
15
すべての医師がというわけではないのかもしれない。
医療行政がずさんになって、病院の倒産や医師不足が深刻になっている。地方の中核病院でも、大きな手術に必要な医師が確保できないでいるという。
佐藤さんは、毎週末になると研修の権利を使って、地方の病院にアルバイトに行く。栃木や長野、三浦に行く。新潟に行くこともある。日帰りできないときは、木曜に勤務を終えてから新幹線で行き、宿泊をして、地方の病院の求めに応じている。
佐藤さんが登場して、やや奥へ場所をずらした烏丸さんが、またにやっと笑う。
「病院も難儀だなぁ」
うん、その難儀という言葉の使い方は正しい。わたしはこころのなかで烏丸さんに、赤ペンで○をあげる。
「まぁ、いまの時代は、病院だけではなく、どこも大変だと思いますよ。ただ、最近は、夕方が近づくと、ここに寄るために何時に仕事を終えて、片づけをして、着替えて、何時の電車に乗ればいいかと、頭のなかで計算している自分がいるんで、ちょっと困っているぐらいですよ」
「それ、常識」
わたしは、胸を張る。
わたしも、勤務時間の終了が近づくと、急な仕事が入らないことを願う。お宅の生徒が万引きをしたので引き取りに来てほしいというスーパーからの通報。こどもがまだ帰ってこないので探しているという親からの相談。締め切りが過ぎている原稿がまだ届かないという教育委員会からの催促。
およそ、授業とは無縁のことで、実際の学校は振り回されているのだ。そいういうひとたちに、教職員の勤務時間という意識はない。熱血教師がドラマで活躍する番組を見て、教職員は24時間休みなしと勘違いしているのだろう。ちなみに、教職員には超過勤務手当てはない。勤務時間を過ぎてからの仕事は、全部ただ働きなのだ。
「え、先生もそうなの」
ちょっと意外そうな顔で、佐藤さんがこちらを覗く。
「だって、求めに応じて、何もかも対応していたら、からだもこころも持たないって」
「まじめなひとは、それを無理してやるから、ある日、ぷつんときちゃうんだろうなぁ」
佐藤さんは、遠い目で呟く。病院にいると精神疾患の教員と出会うことがあるのだろう。
ふたりで、杯を交わしているうちに、時計は7時をまわり、関所の住人たちは次々と帰っていく。
「そうそう、ここにのんびり来ると、みなさん、もう帰っているんだよね。だれもいないと、それは寂しい」
佐藤さんが、さっきまでにぎやかだった店内を見回す。
「やはり、職種は違っても、俺も佐藤さんも、ひとのために何かをしたいという気持ちが根っこにあって、いまの仕事をしているから、ひとのなかにいることが好きなんだよね」
わたしの言葉に、二度三度と佐藤さんは頷いた。
6105.2/12/2009
坂の下の関所..二章
14
大女将が「ごゆっくり」と奥へ消えて行く。
わたしも、リュックを背負って帰ろうと自動ドアへ向かおうとした。
「あ、先生、来たよ」
相田さんが大声を出す。
「いま、佐藤さんの話題をしていたところ」
赤坂さんも、笑顔で佐藤さんを迎える。そんな話題は聞こえなかったぞ。
「あら、どちら様。しばらく見ないから、名前を忘れちゃったわ」
すねる若女将。
自動ドアがゆっくり開いて、佐藤さんが関所に入るまでに、怒涛の攻撃が彼を襲った。
佐藤さんは、目を丸く見開いて、何事かと立ちすくむ。わたしは、帰ろうとしていた動作を中断した。
わたしは、佐藤さんとは、出会ってから1年も経たない。しかし、出会いは遅くても、旧知の友のように感じている。佐藤さんがどう思っているかはわからない。
「早いじゃん」
わたしは、リュックを下ろし、ジャンバーを脱いで、再び関所の住人に早替わりする。佐藤さんは、レジの隣り、わたしの定位置の奥に荷物を下ろす。引き戸が開いて、夕飯を済ませてきた大将が顔を出す。
「お、きょうは何人、あの世に送ってきたんだ」
佐藤さんは、横浜の総合病院に勤務する医師だ。
「えーと、何人だっけ」
指折り数えて、大将の突っ込みに即座にボケる。
わたしは、クーラーボックスから、佐藤さんがキープしている秋田の銘酒「高清水」と専用コップを取り出して渡す。
「あ、どうも」
佐藤さんは、自分で栓を開け、コップに並々と日本酒を注ぐ。わたしも、しまったはずの「山猿」を取り出し、マイコップに日本酒を注ぎ、乾杯をする。
「きょうは、そんなに大きな手術が入っていなかったから」
わたしは、佐藤さんと知り合って、医療従事者がものすごい激務をこなしていることを痛感した。プライベートな時間でも、病院から呼び出しがあれば即座に対応しなければならない。これまでに、飲み会の約束をして、実際に約束が果たされた試しがない。いつも、別件が入りキャンセルになってしまうのだ。
「すっかり、佐藤さんも、ここの住人になっちまったな」
赤坂さんが、やや呂律がまわらない口調で冷やかす。
「おかしいなぁ。こんなはずじゃなかったんだけど」
ぼそぼそと呟く。
「あら、それ、どういう意味。ここがいやってことかしら」
まだ若女将は、すね続ける。
6104.2/11/2009
坂の下の関所..二章
13
イカの塩辛をつまみながら、山口県の日本酒「山猿」を飲んでいる。
気がつくと、シンロートの相田さんコーナーには、いつものように山ちゃんやうーさんがいて、会社の話題で盛り上がっている。3人ともその話題を本当にしたいのか、だれかが話題の中心にいて、そのリードにお付き合いしているのかはわからない。
赤坂さんの周囲にも首都リーブスのメンバーが集まり、
「ぷはぁー、うんめぇ」
牛の鳴き声に似た感嘆の声を上げて、生ビールをごくりと喉に流し込む。
みんな、きょうの肴は関所からの差し入れの塩辛だ。
残念なことに、きょうは永井さんは別の用事があるらしい。6時半を過ぎて来ないときは、ほかの場所で飲んだくれているのだろう。
近くに、なんだかいやな予感がして、そちらに目をやる。
にやっ。烏丸さんが
「イカの塩辛はうめえなぁ」
そう言いながら、お得意の焼酎のウーロン茶割を飲んでいた。
いつものように、難儀だなぁとさすけねぇを連発する烏丸さんに、適当に相槌を打ちながら、わたしはこれまでの差し入れを思い出していた。
関所自前の差し入れは
「おいしいと言わなきゃいけないの」
という脅迫を、若女将から受けながら食べる。しかし、脅迫なんてしなくてもどれもとても美味い。とくに煮込み料理は、まだ味がしみていないというときでも、わたしには十分な味とやわらかさだ。具は大根、ぶり、牛筋、鶏皮など多彩だ。もしも白米があったら、十分に夕飯になってしまう。
関所メンバーが、自分で作ったり、どこかに行ったお土産を持参したりすることもある。川崎大師の葛餅、成田山の鉄砲漬け。マグロのブツを、刻み生姜で煮込んだ手製料理を食べる幸運にあたることもある。
もちろんだが、差し入れは毎日のことではない。たまに行って、差し入れの日ばかりに当たるほど偶然は続かない。また定期的なものでもない。期待してはいけないのだ。偶然のなかに、輝く好意が待っている。
差し入れをいただく日は、酒をキープしていると、財布から金を出さないで帰るときもある。一円も払わないで2時間ぐらい、飲んで食って話して笑える関所が、よのなかにあるのだ。経験したひと以外は、だれも信じないかもしれないが。
わたしは小鉢の底に残った最後の塩辛を楊枝に差した。時計は7時少し前。これを喰ったら帰ろう。コップの酒を計算する。うん、一口で飲める量だ。
塩辛を口にして、山猿を流し込む。穀良都の芳醇な味わいが塩辛と混ざって、口の中に別世界を創造する。ジャンバーを着よう。床に置いたジャンバーを取ろうとかがんだ。
「あら、もう帰っちゃうの」
引き戸が開いて、若女将が再登場した。夕飯の支度が終わったのだろう。
……
6103.2/9/2009
坂の下の関所..二章
12
用を足して、店内に戻る。ちょうどそのとき外の仕事を終えて大将が自動ドアをくぐる。トイレから出来てきてハンカチで手を拭いているわたしをじろっと睨む。
「用もねぇのに、ひとんちのトイレばっかり使いやがって。今度からは一回につき20円の使用料を払ったらどうだ」
用があるからトイレを使う。
用もないのにトイレにこもって、何もしないで出てきたら、俺はかなり深刻なこころの問題を抱え始めている証拠だろう。
でも、確かに「ひとんちのトイレ」であることには変わりない。昔、ひとんちのトイレを使えなかった記憶がよみがえる。掃除やトイレットペーパーの補充などを思えば、一回につきチップ程度の使用料を置いていくのは、いいアイデアかもしれない。うーん、それ以上に日本酒やよっちゃんの酢漬けイカ、ベビースターラーメンなどを買っていることを思うと、そこまですることはないか。
トイレの心配をしないでよくなってから、わたしが関所に滞在する時間が確実に長くなっていることだけは確かだ。
「おばんでガス」
奥座敷から、引き戸を開けて、大女将が登場した。
「よ、小泉」
元総理大臣のように右手をあげて歩く姿から、赤坂さんはいつもそう呼びかけている。
「やあねぇ。もう古いわよ。いまは、違うんだから」
確かに、あの総理大臣以降、もう何人も総理大臣が交代した。
「ちょっと先生、これ、運んで」
わたしは、大女将がレジに向かう道を作り、端によけていた。見ると、大女将の手には小鉢があり、イカの塩辛が盛られている。
「えーと、きょうは何人かしら」
大女将は店内を見回し、立ち飲み客の人数を数える。わたしに小鉢を渡すと、再び引き戸のなかに隠れ、両手に小鉢を持って再登場した。わたしや赤坂さんが手分けして、関所メンバーに塩辛を届ける。
「ごちそうさまです」
「いつも、すみません」
関所のあちこちから、お礼の言葉が飛んでくる。
目の前で大きく手を振って、大女将は謙遜する。
「そんなに大したもんじゃないんだけどね。もらいもんだから」
わたしのように日本酒をちびちびやっていると、塩辛は最高の肴になる。焼酎やビールのひとも喜んで口に運んでいるから、塩辛はいろんなお酒にあうのかもしれない。
「そんじゃ、行ってくるね」
大女将と入れ代わりに、若女将と大将は引き戸の奥に消える。夕飯時間の到来だ。
引き戸を閉めがてら、大将がチラッとこちらを振り返る。
「どうせ、俺は婿だから」
肩をつぼめ、威勢のよさはどこへやら。そんなことはないはずだ。大将は、大女将の息子さんなのだから。
6102.2/8/2009
坂の下の関所..二章
11
冬至を過ぎた夕方、鎌倉の山並みは漆黒に包まれる。林道が整備されておらず、街灯がまばらなので、日が暮れると、木々の色合いは闇に溶け込む。
モノレール線路が走るバス通りだけは、沿道に商店や病院が並び、ネオンがまぶしいが、一歩平行する裏道に入ると、5時半ごろでも自分の足元が見えなくなる。
「うわぁ、寒いねぇ。こんばんは」
わたしは、両手をこすりあわせながら、関所の自動ドアをくぐる。
「あ、お帰りなさい」
雑貨を買いに来た客におつりを渡しながら、若女将が応じてくれる。
「はい、どうも」
関所に入って真正面の一番目立つ位置で、首都リーブスの赤坂さんが後ろ手に立ち、お辞儀で迎えてくれる。
「あれ、センセー、遅いじゃん」
左側の商品棚の奥から、シンロートの相田さんの声がする。
「お仕事、お仕事」
わたしは、会釈を返しながら、いつものポジション、店内右手のレジ横に荷物を置く。モノレールに乗る前から尿意をこらえてきたのだ。
「すみませーん、トイレ、借ります」
返事も聞かずに、奥の扉を開き、トイレへと向かう。
長い間、わたしは関所にトイレがあることを知らなかった。居酒屋ではなく、酒屋だから、客のためのトイレなどないと決め付けていたのだ。だから、飲んでいてトイレに行きたくなるのを避けるために、モノレールに乗る前に駅のトイレに必ず寄るようにしていた。しかし、そのために何度かモノレールに乗れないことがあった。
あるとき、立ち飲み仲間が「トイレ借ります」と言うではないか。
な、な、なに。ここにはトイレがあるのか。
お店部分を除けば、もちろん残りは一般の住居だから、もちろんトイレはあるだろう。トイレを借りるというのは、その一般の住居部分のトイレを使うということか。それは、商売とは無関係の個人的な生活空間を邪魔することであり、わたしにはできないことだった。
しかし、「トイレを借ります」仲間の行き先を観察すると、扉を開けて、どうやらすぐのところにトイレがあるらしい。扉の向こうにいきなり関所のみなさんの生活空間が広がっているわけではなさそうだ。
初めてトイレを借りたとき、そのことを言い出すのに勇気が必要だった。思えば、昔から友だちの家に行ったとき、トイレを使いたいことを言い出せずによく腹痛を起こしたものだ。
扉を開ける。柱に電灯のスイッチがある。上下式のわかりやすい黒いスイッチだ。それを点け、丸いノブの扉を開ける。ライトブルーの洋式便座がきれいに掃除されて鎮座していた。
あー、これは家族だけでなく、間違いなく客が使うことを想定していると理解した。
6101.2/7/2009
創り出す会の足音...No.118
フリースクール運営の舞台裏
2005年度から2006年度に替わろうとしていた。
第102回定例会(2006.3.25)で、収支報告がされている。
総収入は、\3,766,391。総支出は、\2,811,663。繰越金は、\954,728。
収入と支出のほとんどが、フリースクール「湘南憧学校」に関わるものだった。
300万円近い支出見通しに対して、繰越金が100万円足らず。入学者が減ったり、増えない状況では、やがて湘南憧学校事業が財政的に破綻する危険性が具体的な数字になって現れた。多くの切りつめを検討し、ホームページの維持管理を見直す方向が確認された。
また、8月に予定している2泊3日のキャンプ学校「夢キャン2006」について、今回は参加者を新聞などを通じてオープンに募集する予定にした。これは、明確に事業収入を増やすことを目的にした。ランニングコストを減らし、イベント収入をねらう。火の車の台所事情を綱渡りの財政運営で乗り切ろうとした。
2006年4月1日。
法人としての創り出す会が運営するフリースクール「湘南憧学校」。開校してから3年目の春の開校日を迎えた。
結果的に、この日が、湘南憧学校にとって最後の開校日となった。
第103回定例会(2006.4.22)で、4月のこどもたちの様子が報告された。
……(定例会の記録より)
■こどもたちの様子
今年度から火曜日に新しい仲間が加わりました。いままでも土曜公開日に出席していたこどもです。入学できて嬉しい気持ちいっぱいに落ちついた時間を過ごしています。
職業体験教育の一環として、遊行通りのレストラン「グーテ」で皿洗いのボランティアに参加した子どものレポートがありました。日ごろ、慣れない立ち仕事に、途中から足が棒になり、店長に「少し座って休んでいていいよ」と声をかけられたそうです。よほど疲れたのか終了後、まかないのしょうが焼き定食をご飯てんこ盛りで頬張りました。
■通学定期
いままでフリースクールにも通学定期を発行していた小田急電鉄が、これまでと方針を変更し、学籍のある学校と小田急が個別に協定を結び、その上で在学証明書や定期の申込書を提出するようになりました。これでは、多くのこどもが歩いて通っている公立学校を不登校のこどもたちの保護者は、小田急を使ってフリースクールに通う場合、わざわざ学籍のある学校に個別に小田急との協定を頼みに行かなければなりません。
なぜこのような方針転換があったのか、事務局で調査を開始します。
■学生ボランティア
多摩大学で学校経営を学ぶ学生が定期的に湘南憧学校の支援ボランティアをしたいとの申し入れがありました。昨年、取材に来た方です。すでに支援スタッフや事務局と面接し、来月からボランティアとして協力してもらう予定です。
■ハーモニータイム
今年度から、方法を体系化したハーモニータイム。
まずは「八景島シーパラダイスに行こう」とメインテーマにした学習が始まっています。いくらかかるのか?・お金の歴史・お金を稼ぐにはどうしたらいいのか?・商品のPRについて・働いているひとの話など、メインテーマから連なる興味や関心の広がりをこどもとスタッフで学びあっています。
……
6100.2/6/2009
創り出す会の足音...No.117
フリースクール運営の舞台裏
第100回定例会(2006.1.28)では、財政担当者から、湘南憧学校の入学者を増やそうという提案があった。
……(定例会の記録より)
■新年度へ向けて
現在の子どもに新入生が1人加わると法人の財政は収支±0になり、2人増えると支援者への給与に反映させることができそうなので、新入生が増えるように努力することが財政運営担当から報告されました。
■体験入学
1月は3人の体験入学者がありました。
子どもたちも「きょうは来ないの?」と体験入学で来た子どものことを聞くようになりました。小さな集団が人数が増えることにより、少しダイナミックな雰囲気をもったと支援者からの報告がありました。
……
当時、わたしはコモンズという出版社から「市民が創る公立学校」という本を出版していた。それらは、一般の本屋にも並ぶ。
その本が出版社から700冊も創る会に送られてきた。在庫管理が大変になったので、創る会で預かることにしたのだ。ちょうど、湘南憧学校の財政が厳しさを増している時期だったので、その本の販売によって得られた利益を湘南憧学校運営のための資金にするつもりだった。
また、神奈川県教育委員会が主催した神奈川県フリースクール等連絡協議会があり、出席者から報告があった。県内の10の教育事務所ごとに、今後教育行政とフリースクールが連携を深めていく活動が始まったのだ。いままで、フリースクールの動きと教育委員会はリンクすることがなかったので、初めてのこころみと言えた。
3月8日には、神奈川県青少年活動課主催のシンポジウムにメンバーが参加した。県内の不登校対策に取り組むNPO団体と神奈川県とが長年にわたって推進してきた教育相談事業の紹介があった。青少年活動課は県民部に所属し、福祉の観点から不登校や引きこもり対策をしているところだ。教育委員会との違いは、学校を離れたこどもをふたたび学校に戻すという目的ではなく、それぞれのこどもにあった居場所を確保することを目的にしているところだ。教育委員会が管轄する適応指導教室には、県内の不登校のこどもの1割から2割が在籍している報告があったそうだ。そのほかのこどもは、フリースクールか自宅にいるそうで、なんと不登校のこどもたちの多くは、行政によって支援されていないことが明確になった。