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6099.2/2/2009
 2009年のスーパーボウルが終わった。
 ことしは、前評判の高かったピッツバーグ・スティーラーズと、だれも予想をしていなかったアリゾナ・カーディナルズの決勝戦になった。
 結果は、試合終了5秒前まで決着がわからない大接戦になり、27対23でピッツバーグ・スティーラーズが3年ぶり6回目のスーパーボウルチャンピオンになった。
 スーパーボウルは、アメリカンフットボールのプロリーグの最高峰NFLのチャンピオンシップだ。NFLには、32チームが加盟している。16チームずつ2つのカンファレンスに分かれ、それぞれ9月から12月までレギュラーシーズンを行う。1チームの試合数は17試合。レギュラーシーズンを終えて、両カンファレンスの上位6チームずつが1月になってから、トーナメント形式のプレイオフを行う。そのプレイオフに勝ち抜いた2チームが行う決勝戦が、スーパーボウルだ。
 いつもスーパーボウルは、アメリカでは2月の最初の日曜日と決まっている。日本でのテレビ中継は、時差の関係で2月最初の月曜日午前中になってしまう。だいたい午前8時ごろから、いつもNHK衛星放送が生中継をしている。
 わたしは、仕事があるので、生中継を見ることはできない。だから、いつも夕方からの録画放送でスーパーボウルを観戦している。スーパーボウルのある日は、仕事から帰るまで、駅の売店のスポーツ新聞や、どこかのラジオから聞こえてくるスポーツニュースで、結果を知らせているかもしれないので、細心の注意を払う。
 きょうも、帰ってから、夕刊を見ないようにしていた。
 かつて、自転車で通勤していたとき、ヘッドフォン型のラジオを耳にしながら運転しての帰り道、FMラジオのニュースで結果を聞いてしまってがっかりしたことがあるのだ。
 ピッツバーグ・スティーラーズは、レギュラーシーズンの成績では守備がリーグトップの成績をおさめた。
 逆に、アリゾナ・カーディナルズは、レギュラーシーズンの成績では攻撃がリーグトップクラスの成績をおさめた。
 守備の強いチームと攻撃の強いチーム。対照的なチームカラーの両チームが激突したので、試合前からわたしのなかの興奮レベルはとても高かった。
 アメリカンフットボールは、身長190センチで体重が120キロぐらいの大男たちが全力でぶつかり続ける。みんながみんな、とても大きいので中継を見ていると、その大きさが実感できないが、ときどき中継に映る審判と比較すると、まさに巨人たちの集まりだとわかる。NFLレベルになると、大男たちの突進を「冷蔵庫が走ってくる」とたとえるそうだ。常人ならば、一度のタックルで気絶してしまうだろう。
 NFLは、世界共通のアメリカンフットボールのルールとはやや異なる独自のルールを採用している。共通ルールよりも、より厳しいルールが適用されている。運動能力の高い選手たちの集まりなので、厳しいルールにしないと、けが人が続出してしまうのだ。これまでに何度もルールが変更されている。そのきっかけは、選手たちの大怪我が影響している。半身不随などの障害が残る怪我をする選手が、これまでに何人もいる世界だ。
 アメリカンフットボールは、ルールがわからないからつまらない。
 アメリカンフットボールは、すぐにプレイが止まるから迫力がない。
 あまり、アメリカンフットボールに興味がないひとは、だいたいこの二つの理由で好きではないらしい。
 わたしは、好きではないひとを好きになってもらおうとは思っていないので、そういうひとがいてもいいと思う。だから、あえてそういうひとに、アメリカンフットボールのおもしろさをわかってもらえるように説明はしない。時間の無駄だ。
 試合終了2分前で、アリゾナ・カーディナルズが23対20と逆転し、優位になった。残り時間を考えると、このままアリゾナ・カーディナルズの初優勝かとだれもが想像したことだろう。しかし、残り時間わずかななかで、ピッツバーグ・スティーラーズのクォーターバック・ロスリスバーガーがロングパスを決め、一気に敵陣深く攻め込むことができた。タッチダウンで6点、その後のトライフォーポイントで1点。7点をとれば逆転できる。パスを投げてタッチダウンをねらうか、ランナーにボールを持たせて走らすか。ヘッドコーチの選択は、パスだった。ロスリスバーガーがふわっと浮かせたパスは、エンドゾーン右隅に放物線を描く。レシーバーのホルムズがジャンプしてボールをつかみ、そのままエンドゾーン内に倒れこんだ。キャッチをしても、外に出てしまってはタッチダウンにはならない。
 ことしも9月から、何度かレギュラーシーズンの試合をテレビ観戦した。大男たちが一個のボールをめぐって、真正面からぶつかりあう姿は、圧巻だ。八百長やショービジネスが入り込む余地を感じさせない真剣勝負がある。きょうのスーパーボウルでシーズンは終了した。ことしの9月までゲーム観戦をできないと思うと、かなり寂しい。

6098.2/1/2009
創り出す会の足音...No.116
フリースクール運営の舞台裏

 第99回定例会(2005.12.17)では、不登校をめぐる行政の動きについて報告があった。
……(定例会の記録より)
■近隣情報
鎌倉市では、近々、市の教育センターが中心になって公設の子どもの居場所を開設するそうです。
現在実施しているメンタルフレンドの延長上に位置づけられています。不登校の子どもたちがメンタルフレンド活動によって、自宅以外での学習の場を求めるようになったときの受け皿にするそうです。
湘南憧学校の情報をその場でも提供できればと思います。

■神奈川県情報
神奈川県全体でフリースペースやフリースクールを実施している団体が連絡協議会を結成する動きがあります。神奈川県が中心になって結成するそうです。
……
 湘南憧学校は、不登校のこどもを対象にしてはいなかった。
 しかし、実際に開校したら、入学を希望した多くのこどもが不登校だった。
 平日の昼間に開校するフリースクールに通える条件が整っていたのは、当時としては不登校のこどもに限られたのだろう。
 そんななかで、不登校ではないこどもも2人参加した。週のうち何日かは学区の公立小学校に通い、残りは湘南憧学校に通うという選択登校を実施した。おそらくこういった判断をした保護者は、全国的にもとても珍しいのではないかと思う。
 それでも、多くのこどもは不登校を経験していたので、鎌倉市や神奈川県の不登校対策とは無縁ではいられなかった。明らかに不登校のこどもたちを対象にしているフリースクールやフリースペースの関係者とも、横のつながりを築くことになった。

6097.1/30/2009
 インフルエンザが流行している。
 わたしの勤務している市では、ことしは珍しく小学校よりも中学校のほうが、インフルエンザによる学級閉鎖や学年閉鎖が多い。県内でも、多くの小学校や中学校がインフルエンザによって授業を中止している。
 テレビで東京のある小学校がインフルエンザで学級閉鎖になっている様子を放送していた。インタビューに校長が答えていた。
「学級閉鎖になると、授業時間数が不足してしまうので困る」
こどもたちが高熱や吐き気で苦しんでいるのに、この校長は自分のことしか考えていないんだなぁと感じた。授業時間数の減少は、学級閉鎖の場合は仕方がないことだ。少なくなった時間で、やらなければいけない学習内容を詰め込む。しかし、実際には公立小学校や公立中学校では、年間の授業時間数を法定の時間数よりも多く設定しているので、学級閉鎖のような事態は織り込み済みのはずなのだ。
 学校が教育委員会や知事、市長などの政治的な圧力に影響を受け始めてきたことを考えると、学級閉鎖と授業時間数の減少を結びつけて真っ先に考える校長が登場してもおかしくないのかもしれない。授業時間数は、毎年年度末に教育委員会に報告される。そのときに、周辺の学校よりも少ないと、教育長や教育委員会の課長らから、校長は小言を言われるのかもしれない。そんな立場になるのがいやで、ついポロッと本音が漏れたのだろう。
 インフルエンザウイルスは、空気中を漂い、鼻の粘膜や口から感染することが多い。感染しているひとが、クラスや身近にいたら、その周囲の空気にはウイルスが放出されていると考えていい。喋る、咳き込む、くしゃみをする。これらで一気に、ウイルスは飛び出す。
 わたしが勤務する特別支援学級では、さらによだれも気をつける必要がある。こどものなかには、口のなかの機能や、ものを飲む機能に不全があり、意識しないと、口からよだれが出てしまうこどもがいる。こういったこどもがインフルエンザに感染していると、よだれが垂れたところや、それを拭き取ったものにウイルスがつく。そこに触ったひとの手や口を介して、さらに感染が広がっていく。本当はビニル手袋をして仕事をしたいところだが。
 これまで、通常級でインフルエンザが流行しても、特別支援学級ではインフルエンザが流行することはめったになかった。
 まず、特別支援学級のこどもたちは、生活の多くを親の管理下で過ごしているので、親がインフルエンザに感染していない限り、本人が感染する危険性が少ない。そして、通常級のこどもたちよりも手洗いやうがいのような衛生指導を、完全に指導者がついて個別に対応するので、手抜かりが少ない。通常級のように担任が「やっておこう」と声かけをして、実際にやっているかどうかの確認をしないことはありえない。そして、全般的に免疫力が高い。よく寝て、よく食べ、よく動く日常を送っているので、肉体的にはとても元気な状態を保っている。
 だから、インフルエンザに感染しても、発病しないことが多かった。
 しかし、ことしは最初にひとりのこどもが発病してから、一週間以内に3人のこどもが発病した。こどもどうしでの感染ではなく、それぞれに感染経路は異なるのではないかと想像している。
 特別支援学級のこどもたちは、放課後、まっすぐ帰宅しないで、夕方まで福祉関係のデイサービスで過ごすケースが増えてきた。そこにはほかの学校に通うこどもたちも集まる。インフルエンザが流行している学校のこどももいるだろう。デイサービスでどんなに気をつけても、外から持ち込まれるウイルスを完全にシャットアウトすることは難しい。それだけ、何から何まで親が面倒を見なくていい時代になってきた象徴ととらえることもできる。
 ウイルスはマスクをしていても簡単に繊維の間をすり抜けるほど小さい。だから、マスクは気休めだというひともいる。しかし、咳やくしゃみの飛まつを直接浴びる危険は少ない。それでも、わたしは一日に何度もうがいと手洗いのために、流しの前に立っている。

6096.1/29/2009
坂の下の関所..10

 わたしは、リュックを背負い、関所のメンバーに手を上げる。
「じゃぁお先に」
「センセー、早いじゃん」
相田さんが、ウイスキーのコップ片手に呼び止める。
「ちっとも早くないよ。また、明日」
 レジの奥から、大将の「お達者で」が聞こえるのを耳にして、関所を出る。
 あたりは、すっかり暗い。
 自宅までの上り坂には、所々しか街灯がついていない。足元を確かめながら、ゆっくり歩く。かつて、この坂道で酔っ払って、道の脇から落ちてしまい、足の甲を傷めたことがある。
 ことしも冬が来る。天気予報では11月まではあたたかい日が続くと言っていた。でも、年末が近づけば、吐く息が白くなるだろう。
 その頃には、いまよりも日本酒がからだの疲れと寒さをやわらげてくれる。もしかしたら、おでんや牛筋煮込みのサービスが、若女将からあるかも。
 そんなささやかなことが嬉しい。こういうささやかな嬉しさを持続したい。大きな変化や、びっくりするほどの感激はいらない。
 だれもが年を取り老いていく。きのうと変わらないきょうなどありえない。少しずつ確実に老いていく自分をいたわりながら、出会うひとたちとの一瞬一瞬を楽しみたい。
 職場を出ての帰り道で、仕事が違うひとたちや地域に生きるひとたちとわずかな時間をともに関所で過ごす。思いがけない出会いがある。教科書には載っていない昔話がある。歯痛や腰痛で苦しむひとがいれば、互いに自然に心配しあう。
 電車で大船まで帰るとき、たびたび人身事故で電車が遅れる。そんなことが多い時代になった。生きていくのがつらいほどの悲しみや苦しみが、どんなものかはわからない。だから、軽々しいことは言えない。でも、悲しみや苦しみが襲ってくるものだとしたら、関所で味わうひとのぬくもりやつながりは、求めなければ得られないものだということははっきりしている。だれかが、ある日、玄関の前にプレゼントしてくれるものではない。
 自分から、関所をくぐり、そこに集うひとたちのなかで、互いの気持ちを量りあい、絶妙の関係を築いていく。かなり気を使うことかもしれないが、ひとがひとのなかで生きていくには、気を使わなくなったらおしまいだ。
 気を使いながらも自分の気持ちを言葉に乗せ、関所の空気に酔い、わずかな時間を楽しむことが、ささくれて荒涼としたいまを、軽やかに乗り切っていく、わたしの自然体の生き方なのだ。
 あなたの街にも、あなたの関所があることを願って。

一章・了

6095.1/28/2009
坂の下の関所..9

 「おっ、大将。きょうもお仕事、ご苦労さんです」
赤坂さんが、店の主人である大将が戻ってきたのを見つけて挨拶をする。
「どいつもこいつも、苦労知らずって顔して、よくも酒ばっか、飲んでられんなぁ」
大将は、腰をもみながら自動ドアから入り、レジの奥に移動する。わたしの横を通り過ぎるとき、じろっと睨む。
 レジの奥で、若女将と大将が小さな声でやり取りをする。注文についての打合せなのか、在庫の確認なのかはわからない。
 大将の指は、ビールケースや酒のケースの運びすぎで第二関節から曲がっている。重たい荷物を運ぶ毎日を繰り返しているので、腰痛や肩こりも抱えている。
「また、政治家が馬鹿なことをやっている」
ニュースを耳にして、新聞を広げ、ため息をつく。大将はレジの奥の回転椅子に納まって社会の出来事をチェックする。小説雑誌がいつも傍らにあり、なかなかの文化人だ。もしかしたら、わたしも含めた、立ち飲み客のボケまくりの会話にも、あきれることがあるかもしれない。
「鳥藤さんに、佐藤さんがいたぜ」
わたしと目が合った大将が教えてくれた。
 きっと鳥藤に注文を聞きに行ったときに、カウンターでぼそぼそと喋りながら、ちびちびと酒を飲む佐藤さんを発見したのだろう。
「あら、佐藤さんったら、こっちに寄らずに直接向こうに行ったのね。今度来たら、パンチ」
若女将が拳骨を突き出す。
「俺は行かないよ」
わたしは、上着の前を閉じて、帰り支度を始める。
「簡単なことじゃん。ここを出たら、左に行かないで右に行けばいいだけのこと」
そりゃそうだ。
 鳥藤は、焼き鳥屋だ。関所は火曜日が定休日なので、立ち飲みメンバーは火曜日になると鳥藤に集まる。いつも立っているメンバーが椅子に座っている姿は、なんだか落ち着かない。最近ではコンスタントに常連客がついたようで、火曜日に行くと、空いている席がないこともあるが、かつてはほかの日はかなり空いていたそうだ。だから、火曜日に一気に客が増えて「関所軍団に乗っ取られる」とママが冗談に近い悲鳴をあげていた。
 佐藤さんはもともと鳥藤の常連だった。何回か、わたしもそこで顔を合わせるうちに、逆に関所に寄るようになってくれたのだ。
「この時間から、佐藤さんと飲み始めたら、帰るのが何時になるかわかんないもん」
 そうなのだ。平日から、佐藤さんと意気投合し、遅くまで飲み続け、翌日の勤務がつらかった日が何度あることか。

6094.1/27/2009
坂の下の関所..8

 時計を見る。6時半を過ぎ始めている。そろそろ帰ろうかと思う。
 そのとき、革ジャンで決めた山ちゃんこと山田さんが関所の門をくぐる。
「こんばんは」
 体格のいい山ちゃんは、モノレールの駅に近いシンロートの社員だ。わたしよりも10歳ぐらい年上だと思う。横浜からさらに電車を乗り換えて帰る。いつも動きが颯爽としている。同僚の相田さんの近くにバックを置き、尻のポケットから札入れを出す。千円札を抜いて、魚肉ソーセージを二本つまんでレジに行く。
「生」
よけいなことは言わない。お釣りをもらうとさっさと相田さんのところに行き、乾杯をした。
「山ちゃん、早くレースを当てて、みんなに寿司をおごってよ」
二杯目に入り、ほろ酔い加減の赤坂さんがからみつく。
「そんなに大当たりすることはないの。みんなが簡単に当たったら、中央競馬会はつぶれちゃうでしょ」
 山ちゃんは、平日は給料を稼ぎ、土曜と日曜に競馬でそれを使う。「土日が俺の本当の仕事だ」と豪語する。わたしは、競馬のことは無知だが、何回か会話をするうちに、三連単とかワイドという馬券の買い方を教わるようになった。
「一度、センセーもやってみ」
何度か誘われたが、きっとはまってしまう自分が想像できるので「俺はいい」と断っている。
 山ちゃんの話だと、野毛に場外馬券売り場があって、その近くの飲み屋に行くそうだ。そこでレースの予想をして、馬券を買いに行く。店に戻ってきて、レースを競馬仲間とテレビで観戦する。一回のレースでたくさんは買わない。
「ふつう、飲み屋でも食べ物屋でも、客が金を払わないで店を出たら追っかけてくるんじゃないの。だって、そのまま逃げられたらお店としては困るんじゃないかな」
わたしの質問に、山ちゃんは笑う。
「そんなことを考えるやつは、仲間からはじかれる。でも、ひとりでぶらっと来て馬券を買うやつには、店主はそのつど清算をしているけど」
つまり、かなり信用されているということだ。
 自動ドアが開く。わたしよりも少し年上のうーさんこと内田さんが背の高いからだを前かがみにして関所の面々に顔を合わせる。うーさんも山ちゃんや相田さんと同じシンロートの社員だ。うーさんは、一滴も酒を飲まない。でも、かなりの呑兵衛のふたりにいつも付き合っている。クーラーからカロリーオフのコカコーラを出し、煎餅の袋を持ってレジに向かう。
「お湯を持って来ようか」
若女将が気を利かせる。関所に寄るたびに、ソース焼きそばを食べていた時期があるのだ。でも最近ではあまり買わない。もう一生分のソース焼きそばを食べてしまったのかもしれない。

6093.1/27/2009
坂の下の関所..7

 ほどなくして、赤坂さんと同じ首都リーブスの烏丸さんが来店した。
 烏丸さんは、わたしを見ると口元でにやっと笑う。その笑いが何を意味しているのか、以前もいまもちっともわからない。
 奥のペットボトルや缶ビールが入っている大型のクーラーボックスからお気に入りのウイスキーのウーロン割を引っ張り出す。烏丸さんは、永田さんよりも背が小さい。きっと150センチもないだろう。検査の仕事をしている。
 わたしは、よっちゃんの酢漬けイカを口に運ぶ。烏丸さんはわたしと赤坂さんの間に陣取る。会社で気があわないひとが来ない限り、そこが烏丸さんの定位置だ。店の奥でちびちびやっているときは、だれか気のあわないひとがいることがわかってしまう。
「いやぁ、センセーは難儀だね」
山形県出身の彼は、独特のイントネーションで「難儀」を連発する。
「そんなことはないですよ。みなさんの方がよっぽど大変でしょう」
「あーそれも言えるね。でも難儀だなぁ」
 わたしは、一般的な難儀の意味は理解しているつもりだが、どうも烏丸さんの言う難儀はほかの意味があるらしいと感じるようになっていた。いきなり、難儀という言葉を使われると、主語がわからない。何が難儀なのか。どういう状態が難儀なのか。それを察してくれと言わんばかりに、難儀は連発される。適当に相槌を打つが、それでもよくわからない。
「ま、でもさすけねぇ」
会話の落ちは、だいたいそこにたどり着く。さすけねぇは、さすけないが正しい言い方だろう。さすけは、佐助なのかなんなのかはわからない。
 自分で問題を振って、自分で納得して、ふんふんと頷く烏丸さんの心中やいかに。
「俺がガキの頃は、鳩を飼っていたんだ」
いきなり思い出話に突入するのも、烏丸さんの定番だ。これが始まると長い。鳩の話は以前にも聞いたことがあると思うが、初めて聞いた顔を通す。
「その鳩を食うんですか」
「いや」
口を尖らして、顔の前で手を振る。食うために鳩を飼っていたのではないのだろう。
「じゃぁ、鳩をどうするんですか」
「世話が大変でな。糞の始末や鳩小屋の掃除、餌や水をやらなきゃならねぇ」
質問には答えてくれない。
「そいつを空におっぱなすのよ。しばらくして戻ってくる。そのなかにほかの鳩が混ざっているんだ。それを売る」
「売るってだれに」
烏丸さんは、また口だけにやっと笑い、自分の頬を人差し指で切る真似をする。どうやら裏の世界のひとに売っていたらしい。
「じゃぁ、その買ったひとは鳩をどうするんですか」
「もっと別のひとに高く売るわけだ」
「その別のひとは、その鳩をどうするんですか」
「そんなことたぁ、知らねぇ。難儀だな」
 きっと数日後にこの会話はまた繰り返されるのだろう。

6092.1/24/2009
坂の下の関所..6

 相撲中継が終わりラジオから6時のニュースが流れた。
 6時5分。ぴったりに、赤坂さんが登場した。
「よっ」
首都リーブスで働く職人だ。
 会社の正社員ではなく、下請け会社の社員として、工場で働いている。ガスと電気の溶接技術をもつ。いつもは、鋳物のバリ取りを専門にしている。一日に6000個ものバリ取りをしているそうだ。東北地方の出身で、各地の工事現場をまわり、最近10年以上は湘南の地で働き続けている。
 60歳を過ぎても現役で働き続ける顔には、いくつもの皺が刻まれている。皺のなかに時々すり傷を発見する。飲み過ぎて転び、電柱やアスファルトと格闘した証拠だ。
 赤坂さんは、奥の相田さん、正面の永田さん、そしてレジ横のわたしに手刀を切る。挨拶のかわりだ。赤坂さんは関所の番頭を自称するだけあって、わたしの知らない多くのお客さんと顔なじみだ。しかし、彼はほとんどのお客さんの名前を知らない。「そんなこたぁ、どうでもいい」そうだ。名前を知らなくても、既知の友がごとく、親しげに会話をする。人間があったかいのだろう。
 わたしが関所に通うようになった頃、最初に声をかけてくれたのも赤坂さんだった。いつも日本酒を買って帰るだけだったが、ある夏の暑い日にうまそうに生ビールを飲んでいる赤坂さんを見て、
「お店で飲んでもいいんですか」
思わず聞いてしまったのが、デビューだった。
 その後、わたしは飲んでいいのはビールだけだと思っていたので、しばらくはビールを飲んだ。しかし、本当はあまりビールはふだんは飲まない。できれば酒がいいなぁと思っていたら、なんと赤坂さんは紙パックの日本酒をキープして、紙コップに注いでいたのだ。
「あれ、お酒もありですか」
それ以来、わたしは一升瓶で日本酒をキープしている。
「センセーも、すっかりここの常連になっちまったな」
コップに酒を注ぎながら、赤坂さんが言う。
「いやぁ、それほどでも」
わたしは、頭をかく。赤坂さんと出会っていなければ、違った道を歩いていただろう。
「ここに集まるひとは、みんないいひとばっかだから、心配するこたぁねぇ」
別に何も心配はしていないけど、どうか飲み過ぎでからだを悪くしないようにしてほしいと願う。
 わたしは関所に通う以前、近くの居酒屋の常連だった。いまは閉店してしまったので、関所が宿木になっている。その居酒屋にも、同じ常連でいいひとたちが集まっていた。何回か店内にギターを持ち込み、リクエストに応じて伴奏をしたことがある。しかし、そのうちの何人かは、飲み過ぎでからだを壊し、三途の川を渡ってしまった。だから、お酒が好きなひとに会うと、心底から、からだを大事にしてほしいと願ってしまうのだ。

6091.1/23/2009
坂の下の関所..5

 永田さんと相田さんからの、公務員うらめし攻撃からさりげなく逃げるために、わたしは商品コーナーに向かい、よっちゃんの酢漬けイカを手にする。30円といっしょに若女将に渡す。
「きょうは、当たるかな」
若女将が鋏で開封してくれる。よっちゃんイカにはくじがついている。当たるともう一つおまけにもらうことができる。でも、わたしはこれまで当たったためしがない。
「あー残念。外れ」
いつものことなので、わたしはあまり気にしない。
「これ、本当に当たるの。当たりなんか入ってないんじゃないの」
永田さんには気になるようだ。
「ちゃんと納品のときに、当たりの分だけ多いんだから、当たりはあるのよ」
細かい納品事情を明かしてくれる。なるほど、そうだとしたら、ほぼ毎日買っているのに、ちっとも当たらないというのは、先祖代々のくじ運の悪さの証明かもしれない。でも、きっと年が明ければ、立て続けに当たったりして。
 「こんばんは」
 一般客がレジにタバコを買いに来る。自動販売機が専用のカードを使わないと買えなくなって以来、店内に来てタバコを買うひとが増えたなぁと痛感する。それだけ、対面販売が促進されたことになる。
「えーと、これね」
客が、タバコの銘柄を言わないのに、若女将は買うタバコをすっと差し出すのだ。
 わたしは、この能力を尊敬している。これまでの観察の結果、50人以上の客の好みを若女将は完全に記憶していることが判明した。
 車で乗り付けた客に、店内からタバコを持参して、助手席の窓からタバコを渡していることもある。まさにタバコのドライブするーだ。本家本元のマクドナルドでも、車を乗り入れただけで、注文を先読みするサービスはまだ始めていないだろう。これは、車種とタバコの銘柄をセットにして記憶する特殊能力が使われている。
 すごいとしか言いようがない。
 もちろん、記憶しているのはタバコだけではない。ビールや日本酒、焼酎に到るまで、だいたいの客が目的にしているものを、瞬時に思い出せるのだ。コンビニや安売りのお店には、絶対に真似ができないだろう。
「きょうは佐藤さんは来るのかな」
若女将が、尋ねる。
「どうかな。こないだは何も言ってなかったけど」
佐藤さんは、若女将のお気に入りなのだ。

6090.1/22/2009
坂の下の関所..4

 相田さんは、レジとは反対側のコーナーに陣取る。この後、シンロートの常連が来たとき、いつもそのコーナーはシンロート席になる。
「ママさん、ラジオ、相撲に替えてよ」
さっき、「いつもそんな恰好で」と発言したことは、もう忘却の彼方のようだ。
 はいはいと言いながら、若女将はラジオのチューニングをジャズから大相撲に替える。冬の関所は、一気に土俵音楽に。
 店の奥で、ちびちび独り酒を楽しんでいた永田さんが、にこにこしながらこちらに近づく。
「学校の先生っていうのは、あれか。夏休みとか冬休みとか休みがいっぱいあんのか」
首に巻いたタオルから汗の臭いが漂ってくる。
 永田さんは、長い間、製造の現場で働き、いまは定年を過ぎて、鎌倉の腰越海岸では有名なレストランの清掃を担当している。
「そんなこたぁ、ないよ。こどもは休みでも、俺たちは出勤だよ」
わたしは、江戸切子のガラスコップに、山口県の純米酒「山猿」をなみなみと注ぎながら答える。
「へー、そうなのか。でも、どうせ学校に行ったって、すっこたぁ、ねえんだろ」
 実はそうなんです、とは言えず、何をしているかを思い出す。
「床を掃いて、机や窓を拭きます」
永田さんはにこにこ顔で、口を尖らす。
「そんなこと、一日で終わっちまうじゃねぇか」
 実際には、こどもの学習で使うものを作るという大事な仕事があるのだが、そういう業界的なことを、わたしには関所に持ち込みたくない。
「はい。だから、翌日からは、読書して昼寝してまた読書。夏ならシャワーかな」
すっとぼける。
「いいなぁ。センセーはだから、苦労知らずのお殿様みないな感じなんだな」
店の反対側で、相撲中継を聴いていたはずの相田さんからも援護射撃が飛んでくる。
「お殿様ねぇ」
わたしは、クーラーケースに反射する自分の顔をまじまじと眺める。本当にお殿様だったら、どんなに楽だろうとため息をつきたくなる。
「ふたりとも、あんまりセンセーをいじめないでよ」
若女将がグッドタイミングで、こちらの援護射撃と和解策を提案する。
 山猿をぐっと口に含む。純米酒独特の飲みやすさが口腔内を満たす。続いて舌の味覚野に、米と麹の芳醇さを伝える。山猿は、穀良都(こくりょうみやこ)というまぼろしの酒米を復活させて造られた珍しい酒だ。わたしが知る限り、居酒屋でも酒屋でも、この酒は関所にしか置いていない。日本酒をあまり好まないひとは、味の違いに気づかない。わたしは、通ではないが、この酒は一口飲んだときに、ずっと昔から追い求めていた味に出会ったような衝撃を受けたのだ。