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6019.10/8/2008
新しい公教育の創造に向けて整理すべき考察..5

 最後に。
 現在の公教育を根底から変えようとする考え方では、改革にはならないと明言する。
 現在の公教育学校で恩恵を受けている多くのひとたちを否定しては、改革の賛同者は得られない。
 これがだめだから、あれにしようという代物ではないのだ。これでいいというひとたちを尊重しながら、あれも認め合おうよというスタンスが必要だ。
 あれとはすなわち先述したフリースクールの法制化と軽度発達障害のこどものための学校設立だ。
 さらに社会福祉の観点から極端な貧困家庭のこどもたちが進学する無償の高等教育機関の設立も急務だと思うが、それは公教育本体が担うべき課題であり、オルタナティブやスペシャルのひとたちが背負いきれるほど甘くはないだろう。ただし増加する特支や特学を希望するこどもの家庭のなかに、極端な貧困家庭が増加している事実は見逃してはいけない。だから、軽度発達障害のこどものための高等教育機関の設立は、同時に社会福祉の観点からも有効だというアピールはできるだろう。
 わたしは地元で仲間と過去に数年間にわたり、公教育の問題・現状・改革プランをシンポジウムや講演会、学習会というかたちで実施した。参加者はいつも多かった。公教育に関心を抱くひとたちが地元にとても多いことを実感した。社会学者、行政学者、現役教員、教育長など、専門家を招いてパネルディスカッションも実施した。現役の校長や教頭が、こっそり会場の片隅で偵察していたこともある。
 しかし、どんなに賛同者を得ても、公教育制度を根底から変革する力には到らなかった。それはわたしたち有権者には、代議士を選ぶ権利はあっても、法律を改正したり、作ったりする権限はなかったからだ。賛同する代議士に投票しても当選するとは限らない。仮に当選しても、所属会派の考え方と共通するとは限らない。衆議院議員会館のすべての部屋を訪ねて、新しい学校改革に関する法律プランを配り歩いたこともある。議員立法で国会上程寸前までいったにもかかわらず、政党同士の駆け引きで、ほかの重要案件が優先され、葬られてしまった。
 過去の失敗に学ぶ。それが、繰り返しになるが、フリースクールの法制化と軽度発達障害のこどものための学校設立だ。
 これらが実現すれば、いまの公立学校から一定の割合のこどもが転校するだろう。就学段階から、教育委員会が指定する公立学校ではなく、これらの学校を希望する保護者が登場するだろう。それまでの公立学校は定員割れを起こし、教員削減を余儀なくされる。そうなって初めて、教育委員会や公立学校が、こどもの流出を食い止めるために、問題点を洗い出し、質の向上に励むようになるのではないだろうか。
 内なる改革なくして、改革の効果は期待できない。
 圧力による変革は、持続も浸透もしない。
 いまの公教育に携わるひとたちが、変わらざるを得ない自覚を抱くような変化を、想像し、創造し、かたちにしていくことが、オルタナティブ教育に熱意をもつひとたちが整理すべきなかみになるだろう。

6018.10/6/2008
新しい公教育の創造に向けて整理すべき考察..4

 全国的に児童や生徒の数は減少している。
 しかし、特支や特学を希望する保護者の数は増加している。そのため、特支は定員を超えるこどもを受け入れざるを得ない状況になっている。まだまだ日本社会は、障害者に対して冷酷で、まともな社会生活を共有するやさしさも制度的な保障も少ない。にもかかわらず、わが子の教育機関として特支や特学を選択する保護者が増加している。自閉症や身体障害を取り上げたテレビ番組や小説、漫画などが共感を呼び、少しずつ認知が進んできていることが影響しているかもしれない。
 わたしの地元では、特支がこれ以上、入学を希望するこどもを受け入れることは不可能になってきたので、高等部に関してはA手帳を持っているこどもに限定し始めた。この措置は全国的には遅い。ほかの自治体ではとっくに始めている。その結果、B手帳のこどもや障害の程度は重いのに保護者の判断で手帳を持っていないこどもたちが、中学を卒業したときに進学先がないという現実が浮き彫りになった。
 自閉症の特徴をもつこどものなかで、心理検査の結果がIQ70以上を認められるアスペルガー症候群のこどもたちは特学も通常級も含めて相当数いる(発現データでは100人に1人)。このこどもたちは、会話もまともだし、小学校レベルの学力は習得するので、手帳はB2止まりがせいぜいだ。申請をしても手帳を交付されないケースもあるだろう。また、多動性を有し、不注意行動の多いADHD(注意欠陥多動性症候群)のこどもたちは小学校では25人に1人という発現データが一般的で、このこどもたちは保護者が障害の有無自体に気づかないことも多い。
 近年、若年層の犯罪が報告される。残念ながら、そのなかにはアスペルガー症候群のこどもも含まれている。判例では障害は認めながらも、有罪になっている。
 アスペルガー症候群に限らず、自閉的傾向をもつこどもは中枢神経になんらかのトラブルがあると考えられている。中枢神経は、知的脳と言われる大脳とは異なる領域なので、いくらIQが高くても、どんなにテストの点数がよくても、中枢神経のトラブルがなくなるということはない。
 この特支には入学できない、かといって普通高校では対人関係でストレスを抱え、集団行動に適応しづらいアスペルガーやADHDの傾向が強いこどもたちの高等教育機関が、公教育には存在していないのだ。社会性の発達不全・コミュニケーションの発達不全・イマジネーションの発達不全という3つの特徴をもつ自閉的傾向のこどもたち。その70パーセントを占めるアスペルガー症候群のこどもたちが、中学を卒業したら行き場がないのだ。このこどもたちには小学校段階から、対人関係や社会的スキル、相手の表情から内面を読み取る、感謝や陳謝の感情をもつことなど、ひとがひとのなかで生きていく関係性の能力を専門的かつ計画的に指導する必要がある。
 わたしはオルタナティブ学校のなかに、これら特支には入学できない発達障害を専門に受け入れる学校の設立が急務だと感じている。

6017.10/2/2008
新しい公教育の創造に向けて整理すべき考察..3

 フリースクールを学校教育法上の学校に規定し、いまの学校で、そこに転校したいこどもがいた場合、転校しやすくすること。財政援助や財政負担を必須にして。いまとは違う公教育の姿が想像できる。
 学習指導要領の適用を受けない教育機関を学校と認めるわけにはいかない。
 あまり法律を知らない行政担当者は口を尖らす。
 学校教育法には、ちゃんと適用除外の項目がある。二つある。
 ひとつは、国立大学(いまは独立行政法人)の附属小学校や附属中学校。これは文部科学省の先行的な取り組みが実験的に行われるので、現行の学習指導要領にはないことをしてもいい。研究的な意味をもつ適用除外だ。
 もうひとつは、わたしが勤務する特別支援教育(業界では特支と縮める)の世界だ。目や耳、手や足などの身体的な障害は、点字本や音声本など工夫した教材で学習指導要領に準じた内容が指導されている。わたしが勤務する世界は、脳の発達不全による知的障害や情緒障害なので、見た目には身体的な障害がない。ホームで奇声を発したり、場の空気が読めなかったりして、社会生活を送りにくいこどもたちが対象だ。このこどもたちには、個人に応じた指導計画が必要であり、それらをゆっくり繰り返しながら学習させていくことで、少しずつできることを増やしていく。必要不可欠な適用除外だ。
 わたしは、フリースクールを学校として認め、学習指導要領の適用除外にする場合、後者の必要不可欠な適用除外と考えればいいと思う。
 さらに公教育改革がカバーすべきフィールドがある。それが、発達障害のこどもたちを対象とした教育機関だ。わたしの地元では、発達障害のこどもたちには行政が手帳を発行している。大きく分けて二つのランクがあり、さらにそれぞれが二つに区分されているので、実際には四つのランク分けがされている。すなわち、それはA手帳とB手帳であり、具体的にはA1手帳、A2手帳、B1手帳、B2手帳の四種類だ。もっとも障害の程度が重いのがA1手帳であり、反対に軽いのがB2手帳である。これは相対的な基準ではなく、ある一定の基準に照らした絶対的な区分である。
 特支には、A手帳。特別指導学級(業界では特学と縮める)にはB手帳。そういう決まりはない。だから、わたしが勤務する普通公立小学校の特学にはA1からB2まで、さらに手帳のないこどももいる。手帳は保護者の申請によって得られるので、保護者がこどもの障害をどう受け止めるかで障害の程度に関係なく手帳の有無が決まってしまう。一般的には、通常学級に在籍しながら、発達障害のあるこどもは手帳を持っていない。わが子には顕著な障害は見られないと判断する保護者が、わざわざ手帳(正式には療育手帳という)の申請のために行政の窓口を訪れることはない。

6016.10/1/2008
新しい公教育の創造に向けて整理すべき考察..2

 それでは不登校対策が、公教育改革の目玉かと勘違いされる。
 全然そんなつもりはない。
 フリースクールを特例ではなく、正々堂々と学校として認める。財政措置も私立学校と同様に行う。それだけで、フリースクールの高い授業料を減額され、経済的に救われる家庭は多い。財政面の危機から事業を停止するフリースクールを救う。法的な位置づけは、学習指導要領の適用を受けない学校とすればいい。学校設立の許認可は地方自治体がもつ。
 フリースクールでありながら、学習指導要領を大枠で適用する学校には公的な性格を与え、財政の援助ではなく、公立学校と同様に財政を丸ごと負担する。そのかわり、公立学校が定期的に受けている監査と同様の枠組みに取り入れる。
 そうすれば、現在の学校に通っているこどもは、フリースクールへ転校しやすくなる。自分は集団になじめない悪いやつだ、先生の言うとおりにできないはみ出し者だ、友だちとうまくやっていけない寂しいこどもだという、不登校のこどもが多く自責するなかみを払拭できる。
 集団になじみ、先生の指示に従い、だれとでもうまくやっていくことを求められてもうまくいかなかったけど、個人を尊重し、複数の指示から選び、大事な友だちをひとりでも作ればいいと求められれば、やっていけるかもしれない。そのための学校に替わっただけだと自分を納得させられるのだ。
「どこの学校に行っているの」
「何年生かな」
親戚や近所のひとに問われるたびに、学校に行っていない引け目から無口になり、ひとと会うことを避けるような気分になる。そういう心配は不要になる。
 戦後、すぐに制定された教育基本法や学校教育法の根底には、こどもは何も知らない、だからおとなが教える必要があるという考え方がある。
 文句を言うこどもがいても、ふてくされるこどもがいても
「黙ってこれをノートに書け。そして覚えろ。いつかきっとお前の役に立つ」
と教師が諭せば説得力があった。
 しかし、インターネットを通じて情報社会は急速に広がり、物価が高騰する不透明な近代成熟社会を迎えた昨今、そんな言葉を信じる気にはなれない。おとなよりも物知りなこどもはたくさんいる。塾で教科書のずっと先を学習しているこどももたくさんいる。就職しても安定した生活が続くとは思えない。いつかきっとを信じて傷つくことのほうが怖い。
 黙々といまの学校で流れに乗りながら、こころにこのままでいいのかという疑問を抱いたこどもたちが、そこからはみ出していくのは、自然な自己防衛反応だろう。

6015.9/30/2008
新しい公教育の創造に向けて整理すべき考察..1

 日本では公立学校も私立学校も学校教育法に規定され、一元的に管理されている。
 これに規定されていない教育機関は、法律上学校の扱いは受けないので、一切の公的補助の対象から排除されている。
 近年、NPO法人や株式会社が構造改革特区制度によって学校として認可された。しかし、これらは特区として認可されたので、財政負担は地元自治体が負う。地元自治体の財政状況や首長の考えいかんでは、存続があやぶまれる。
 アメリカは州ごとに議会があり、立法権がある。教育法は州ごとに制定され、連邦を統括する教育法は存在しない。だから、州ごとに変化のある公教育が実施されている。日本では国会にしか立法権がないので、都道府県ごとに教育法を制定することはできない。日本全国、どこでも同じひとつの法律によって公教育が規定されているのだ。
 しかし、学校に通わないこどもたちや、中途で辞めてしまうこどもたちは、毎年一定数いる。割合としては決して減少はしていない。人数は、100人や200人の規模ではなく、10万人を超える。
 文部科学省は不登校児童・生徒の実態調査をしていないので、学校に行かないこどもたちがどのような日常を送っているのか、正確なデータはない。学校から上がってくる数字だけを合計している。
 丸っきり、自宅にいるこどもも多いだろう。
 フリースクールと呼ばれる民間の教育機関に通うこどもも多いだろう。
 どちらも正確な数字がわからないので、推測するしかない。
 そのこどもたちは、学校教育法の外にいて、なんら公教育の恩恵を受けることができない。自ら学校を拒んだのだから、それぐらいのリスクは負えとでも言いたげに、行政の補助は皆無だ。
 それでは、制度上、いまの学校に通っているこどもたちは、自分の置かれている状況に満足しているのか。難しい勉強に悲鳴をあげ、内申点を気にしながら教師の顔色をうかがう。親はこどもが登校しているので問題意識を持たないだろうが、こどもにすればかんじんの学習への意欲を維持あるいは向上させ続けているのだろうか。
 どちらも同じこどもだ。
 しかし、公教育改革を考えるとき、両者は区別する必要がある。
 学習意欲なし、遅刻常習、成績不良でも、登校していれば学校はなんだかんだと面倒を見る。学習意欲あり、規則正しい生活、成績優秀でも、登校を拒めば学校も地域社会も行政も突き放す。法律が規定している枠組みに添えないと、とても冷たい仕打ちを受ける。
 わたしは、現在、登校しているこどもの問題にはかかわらない。それはそれぞれの学校や家庭の問題であり、第三者が介入する余地はないからだ。
 やる気や向上心はあっても、現在の学校に足を向けることができないこどもたちを、公教育がカバーするための改革が必要だと思っている。

6014.9/29/2008
創り出す会の足音...No.72
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と

 第ニ幕は、日本型チャータースクール法についてのお披露目です。
 主催者の日本型チャータースクール推進センター事務局長が、素人の身ながら、法律案を片手に国会や法制局にはたらきかけてきた歩みを語りました。何度も、内容を直しながら、少しずつ国会に提出しても大丈夫な法案に近づけてきた経緯がよくわかりました。
 説明の後、高野良一氏(法政大学教授)と、法案の原案を作成した十時さん(推進センター)を交えて、話が展開しました。
 日本型チャータースクール法の概要説明。チャータースクールが日本に成立する要件。日本型チャータースクール法に、さらに含めるべき内容が語られました。会場からも、評価や説明責任についての質問がありました。


 1日のイベントの総合司会はHさん(湘南に新しい公立学校を創り出す会)が担当しました。 とても落ちついたトーンで、盛りだくさんの内容を、とても自然に流していました。きっと、事前にかなりの打ち合わせとか、準備をしたのだろうと思いました。
 午後に入ってパネルディスカッションがあります。
 朝日新聞論説委員の川名さんをコーディネーター(このコーディネートが抜群でした)にして、上杉賢士氏(千葉大学教授)、黒崎勲氏(東京都立大学教授)、田中さつきさん(推進センター代表理事)、鵜浦裕氏(NPOフォーラムしながわ)の各パネラーが、市民が創る公立学校について意見を交換しました。

 そして、メインイベント。
 シティ・アカデミーハイスクール校長のマイロ・カッター女史による記念講演がありました。
 内容を5つにわけ、シティ・アカデミーの歴史やこれからについて熱く語ってくれました。通訳をつけずに、バックに要約を投影するという方法にしたため、ふつうならとても時間がかかる英語でのスピーチが予定よりも早く終わったような気がしました。
 マイロさんは、今回の来日にあたり、義理の娘さんであるエリザベスさんを同行しています。
 エリザベスさんは、以前、シティ・アカデミーのスタッフをしていました。それだからでしょうか、マイロさんの講演に耳を傾ける姿は真剣そのもの(背筋がピーン)で、わたしも思わず姿勢をただしてしまいました。

 イベントが終わり、エントランスで、スタッフやリレートーク参加団体の関係者が集まって記念写真を撮影しました。
 ふたたび、全国に帰っていくそれぞれが、数年の後に新しい公立学校を創り、またこのように結集する日を楽しみにしましょう。 (続く)

6013.9/25/2008
創り出す会の足音...No.71
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と

 日本型チャータースクール推進センター設立1周年記念シンポジウム:市民が創る公立学校・教育カレイドスコープ2002(マイロ・カッター女史来日記念シンポジウム)。
 このやたら長いタイトルが5月5日に開催されたイベントだ。
・日本でチャータースクールを目指す人たちのリレートーク
・日本型チャータースクール法試案
・チャータースクール基本講座
・マイロ・カッター女史講演
・共同宣言など
 9時半開場、10時開催で17時半終了だった。会場は、国立オリンピック記念青少年総合センター(センター棟4F セミナーホール)。
 主催者発表で200人が集まりました。実際にはロビーでのワークショップも同時開催したので、メディアや出品のひとを加えるとそれ以上のひとたちが集まったと思います。
 当日の個人的な記録を残してある。
「わたしは、札幌大学の鵜浦助教授の設定で、4日に、マイロさんに単独インタビューをする幸運に恵まれました。
 いまの公立学校に勤めながら、理想と現実のはざまで、教員を辞めようかと思っていた頃、遠くミネソタの地で、チャータースクール第1号を立ち上げたマイロさんの話に、どんなに感銘を受けたことでしょう。
 今回、たまたま来日した彼女を2時間も独占することができ、いままで書籍やテレビでわからなかったことを、ほとんど知ることができました。
 インタビューの内容は、ゆっくりと時間をかけてまとめていきたいと思います。

 朝から好天の東京、代々木オリンピックセンター。
 連休の真中に、はたしてどれだけの人たちが教育カレイド・スコープに来てくれるか、とても心配でした。当日のスタッフに、イベントの始まる前に進行上の諸注意をするYさん。背広姿がいたについて、こういうイベントをいままで何度もやってきた風格を感じます。
 5日は、暑い日でした。
 会場の代々木オリンピックセンター、セミナーホールはとても広い部屋です。自動的にブラインドが閉まったり、大型スクリーンにプロジェクタから映像が映し出されたりします。
 受け付けでの調べでは、北は北海道から、南は鹿児島県からの参加者がいたとか。日本型チャータースクール推進センターが、これまでの1年間で全国にネットワークを広げてきた成果を見る思いがしました。
 第一幕は、チャータースクールを目指す各団体によるリレートークです。
 21世紀教育研究所、ゴリラプロジェクト、東京シュタイナーシューレ、NPOフォーラムしながわ、TMR学習支援システム、日本ホームスクール支援協会、フリースクール全国ネットワーク、「みんなの市川」教育フォーラム、大阪に新しい学校を創る会、湘南に新しい公立学校を創り出す会。それぞれの団体の代表者が、たらちゃん(「みんなの市川」教育フォーラム)の司会で自分たちの活動を説明しました。
 わたしはコンソールで、音楽と映像の担当でした。
 数え切れないトラブルが続出しました。そんな仕事をいっしょにやったのが、べにおさんです。春から某市役所に就職し、少し体調がわるいなか、ほぼ一日中座りっぱなしの仕事を担当してくれました。映像と音楽出しは、すべて彼女が行いました。(続く)

6012.9/24/2008
創り出す会の足音...No.70
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と


「シティ・アカデミーの評価について教えてください。」
●評価を提出する機関は大きく分けて2つあります。ひとつは認可者で、もうひとつは州の教育局です。州の教育局は予算の全額を支出しているところです。教育局のなかの3つの部署にそれぞれ内容の異なる評価報告書(outcome report)を提出しなければなりません。
 認可者とは特別な認可を得る段階で提出する評価項目を明記しています。学習の効果、教育方法、親の参加など基本的なことの他に、毎年秋にテストの点数、出席率、親への意識調査結果を提出し、春にそれらについての認可者からの調査を受け入れています。このときは大学からチームが来校することになります。
「チャーター期間の最後の年ではなく、毎年やっているのですね。」
●そうです。毎年です。
 州の教育局へも毎年の報告書を提出しています。子どもに関する項目はひとりにつき32項目あります。テストの点数、基本的な読み書き能力、出席率などを毎月集積し、年度末に報告します。学校の財政についても報告しなければなりません。また、教師の能力と研修にかかった費用も報告しています。(school reporting,staff reporting,financial reporting)
 認可者への報告は子どもたちの名前はコードネームに変換しますが、州への報告は実名でしなければなりません。
「毎日の教育活動だけでなく、このような結果の集積をしていくことは、とても大変なことのように思うのですが。」
●大したことではありません。シティ・アカデミーの教師も子どもたちも、ここに自分がいたいという思いがあるから、これぐらいのことは当然のこととして受け止めています。また、公金を使っている以上、行政当局が求める報告に応じるのは当然のことです。
 日本でも、チャータースクールを開校したいと願う人たちは、ぜひ、自分がなぜそのチャータースクールで働いているのか、作ろうとしているのか、通おうとしているのかという意識を強くする必要があると思います。だれかが何かをやってくれるのがチャータースクールではありません。
「マイロさんは、校長をやりながら教師もやっていますね。日本の公立学校ではあまりないことですが、どうしてべつに校長を雇おうとしないのですか。」
●財政上の理由から、新しい校長を雇う余裕がないという理由があります。そして、わたしは校長でもありますが、同時に子どもたちに歴史を教えることが大好きなんです。だから、両方をやっています。一方的に歴史の事実を覚えさせるのではなく、子どもたちが過去をさまざまな角度から批評できるようになってほしいと願っているのです。
「きょうはお疲れのところ、長い時間をありがとうございました。いままで本やテレビでの紹介ではわからなかったことをたくさん知ることができました。」
後記
 インタビューノートを振り返ると、もう少し突っ込んで聞いてみたかった部分がたくさんある。表面的な質問でその背景にあるものが見えてこない部分があるからだ。しかし、チャータースクールと認可者の関係や、日々の成果のまとめなど、具体的な事実を知ることができたのは、とても大きな収穫だった。英語を日本語にすると、ニュアンスが変わってしまうことがある。そのため、不安な翻訳にはマイロさんが実際にしゃべった言葉をカッコ書きで付け足しておいた。
 スポンサー(sponsor)を認可者と訳している。日本ではスポンサーと言えば、テレビ番組などの資金面での提供者という意味が強い。しかし、チャータースクールの場合のスポンサーは、特別な認可を与える権限を持っている主体と思った方がいいと感じた。権限をもち、これを行使することは、大きな使命と責任があるということを、本文よりも実際にはもっと強調してマイロさんは言っていた。

6011.9/23/2008
創り出す会の足音...No.69
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と

「シティ・アカデミーに子どもを通わせている親と、マイロさんはどのような関係を築いているのですか。」
●シティ・アカデミーには、学校に行かなくなった子どもや、教育委員会から見放された子どもがたくさん通っています。だから、多くの親はまず子どもが学校に行きたがるようになるだけで、とてもハッピーになります。親とスタッフとのコミュニケーションは定期的に行っています。シティ・アカデミーの考え方をなかなか理解してくれない親もいます。それは仕方がないことですが、子どもが変わっていく事実を通して時間の経過とともに理解してくれるようになることを期待しています。
 障害をもつ子どもが通っていますが、その子どもの親とは、わたしたちにできることとできないことを明記した契約を交わしています。
「シティ・アカデミーに入学するとき、子どもの意志と親の意志と、どちらのウエイトが大きいのでしょうか。」
●シティ・アカデミーは高校なので、ほぼすべての子どもが自分の意志で入学してきます。だから、子どもは学校のことはよくわかっていても、親がわかっていないことが多いんです。
 そんな親たちにわたしは「他の子どもを見ないで、自分の子どもの育ちを大切にしなさい」と常々言っています。それを繰り返しても、他の子どもと比較する親はなかなか減りませんが。
「4番目の質問です。シティ・アカデミーで働く人について教えてください。」
●1992年に開校したとき、全部でスタッフは4人でした。翌年、そのうちの1人が学校を去りました。残った3人はいまも働いています。現在の教員はわたしを含めて12人います。年齢は27才から59才まで。そのうち5年以上勤務している人が5人います。全員、高校教師の免許を持っています。12人の他に3人の非常勤スタッフがいて、この人たちは免許を持っていません。
 すべてのスタッフをシティ・アカデミーが独自に雇っています。先日、1人の教師を雇いました。面接をして、試しに1ヶ月間働いてもらい、その後でスタッフと子どもたちによる投票で採用を決めました。
「教師の力量を維持し続けるために、どんなことをしていますか。」
●わたしたちは、そのことについてもっとも厳しく対応しています。
 高校の教師は自分の教える専門教科についての知識はありますが、その他のことにはあまり興味がありません。子どもと関係を作るとか、他の教科の指導法はどうなっているのかとか、学校全体としてどんな子どもになってほしいのかとか、勉強していないんです。1992年に開校したとき、このような高校教師の特性を打破し、どちらかというと小学校の教師のようになろうと決めました。そこで大事にしたことは、人間性(human being)です。教科は違っても、子どもたちの人間性をいかに尊重した授業ができるかを模索しました。
 高校の教師になるためには、そのような勉強はしてこないので、シティ・アカデミーでは働きながら大学でそのようなことを勉強してきてもらっています。
 またこれはとても重要なこと(very important)なのですが、すべての教師は毎年学習効果を高めるための研究プロジェクト(research project)をやっています。この成果は結果として報告する義務はないのですが、シティ・アカデミーの伝統です。授業方法や教材などの研究を年間を通じて行い、その成果を出し合って、全校規模で翌年に生かすことのできるプランをピックアップしています。研究プロジェクトはスコアにしにくいものですが、これを続けていると、確実に教師たちが子どもたちに向ける視線が変わっていきます。

6010.9/22/2008
創り出す会の足音...No.68
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と

「それらの教育委員会からの要求は、違法なのですか。」
●チャータースクールに関するミネソタ州の法律では、特別な認可の継続にそのような権限を認可者に与えていません。こちらから報告するレポートが重要なのです。
 また、学校を視察する時期は毎年秋と春と決まっています。にもかかわらず、何の調査もしてこなかったからという理由で突然に違法な要求をしてきた教育委員会を、わたしたちは疑いました。とりあえず法的に正当な報告書をすべて提出しました。そして、3度目の認可者を変更したのです。
「つまり、ミネソタのチャータースクールは認可者と審査者は同一なのですね。」
●審査者という意味がわかりませんが、評価ということでしたら後で詳しく説明します。
 わたしたちが3度目の認可者として選んだのが、ミネアポリスにある小さな私立大学(private college)でした。以前からシティ・アカデミーの卒業生が入学したり、わたしが学長を知っていたりした関係で、わたしたちからの申し出を喜んで引き受けてくれました。今期はその3年目にあたっています。
「現在の認可者である私立大学とシティ・アカデミーの関係を教えてください。」
●一言でいうととても迅速かつ丁寧です。秋と春の定期的な学校訪問のほかにも、毎月来校してくれます。来校したときはカリキュラムが適正かどうか、教師の指導方法は向上しているかを観察し、必要に応じて有効なアドバイスをしてくれます。
「ミネソタ州にいくつかある認可者は、チャータースクールにとってパートナーなのでしょうか、それとも敵対するものなのでしょうか。」
●認可者はチャーターの申請を精査して認可をする権限を持っています。だから、とても大きな使命と責任があります。少なくともチャータースクールにとっては敵対するものではありません。ただ、認可者によって、少しだけ傾向は異なります。
 学区教育委員会が認可者の場合は、チャータースクールをコントロールしよう、監視しようという傾向があります。教育委員会にとってチャータースクールは、多くの公立学校のひとつにすぎません。多くの仕事のひとつなので、効率が優先され、きめ細かな関係作りは困難になっています。
 ミネソタには何千人もの学生が通う州立大学があります。ここも認可者ですが、学校が巨大なためか仕事が官僚的で動きが鈍い傾向があります。手紙を出したら返事が来るのに一週間もかかるんですよ。
 現在、シティ・アカデミーの認可者である私立大学はとても規模が小さいのですが、動きはとても迅速です。評価者であると同時にパートナーとして、ともにチャータースクールを築き上げていく傾向があります。私立大学には地元に対して様々な活動で貢献することによって、学生を集めたいというねらいがあるので、認可したチャータースクールに対しても真剣になるのではないかと思います。