6009.9/19/2008
創り出す会の足音...No.67
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と
「日本では学習指導要領という全国統一の内容基準があるのですが、ミネソタではそういうものはないのですか。」
●とても基礎的なものはありますが、それをどのように解釈し、どのような教え方(method of teaching)をするかは、それぞれの学校に任されていました。
わたしのもとに集まった生徒たちは、学校に行かなくなったり、地域で札付きのワルだったりと、教育委員会や既存の学校が手をやく生徒が大半を占めていました。この生徒たちと確認したのは、なにを学ぶかということよりも、どうやって学ぶかという方法を考えていくことでした。その過程で生徒たちが興味のあることや継続的に意欲を持てそうなことを、オリジナルカリキュラムとして築いていったのです。
アメリカには全国統一の教育内容基準はありません。そんななか、わたしたちは子どもの学び方を重視したオリジナルカリキュラムを1992年までには完成させていたのです。じつはミネソタ州は1996年に公立学校の内容基準となるカリキュラムを作成するのですが、それは学び方ではなく結果ばかりを重視するものでした。わたしたちはミネソタ州のカリキュラム以前に独自のものを作成していたので、その後も現在にいたるまでミネソタ州のカリキュラムに拘束されることはありません。
「1992年の開校から現在まで、シティ・アカデミーは特別な認可を何回か更新していると思うのですが、そのことについて教えてください。」
●ご存じのようにチャータースクールは何年かおきに特別な認可(charter)を更新しなければなりません。シティ・アカデミーの最初の認可者(sponsor)は学区教育委員会です。最初の更新を終え、2度目の認可者も同じでした。2度目の更新が近づいた頃、教育委員会から何の連絡もないので、わたしたちは焦りました。なぜなら、法律では期限までに更新をしないと、シティ・アカデミーは閉校になってしまうからです。
心配になって電話をしたところ「忙しくて忘れていた」という返事。それから期限までのわずかな時間で、わたしたちは必要な報告書を作成しなければならなくなりました。
「その「忙しくて忘れていた」という言い訳は本当のことだったのですか。」
●おそらく本当でしょう。教育委員会は多くの公立学校に関する仕事もしているので、それらの仕事(regular)が山ほどあったことと思います。しかし、わたしたちも必死です。そのうちに教育委員会は法律違反(illegal things)を要求してきたのです。つまり、授業を見せろとか、子どもたちの家庭的背景・人種・宗教などを教えろということです。
6008.9/17/2008
創り出す会の足音...No.66
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と
わたしは、イベントが行われる5月5日の前日に、単独インタビューすることができた。
ミネソタ州在住なので、アメリカンフットボールのバイキングスの話題を皮切りにしたら、目を輝かせていた。アメリカのプロスポーツは地元色が強く、マイロさんもミネソタ人として、バイキングスにだいぶ入れ込んでいるようだった。
サドベリーバレースクールのミムジーさんが来日したときに、好きなアメリカンフットボールチームはありますかと質問したら
「興味ない」
と即答された。彼女はボストン人なので、身近にフットボールがないのかもしれない。
5月4日夕刻、東京の国際文化会館に足を運んだ。翌日に開催されるマイロさんが講演者になるイベントの前日にもかかわらず、女史は笑顔でわたしを迎えてくれた。
この機会は、鵜浦さん(NPOフォーラムしながわ)の仲介により、実現することができた。
かねてより、全米で初めてチャータースクールを開校したマイロさんには直接にお会いしたいと願っていたこともあり、インタビュアーの話を聞いたとき、即座にお受けした。3日に来日したマイロさんは9日の帰国までとてもハードな日程を送ることになる。4日はそんな彼女にとってウォーミングアップの東京見物をした後で、夕方6時からお話をうかがった。当初、1時間の予定だったが、質問にていねいに答えてくださるうちに2時間ものインタビューになった。そのときの記録を残してある。
「きょうは、お疲れのところ、インタビューに応じてくださり、ありがとうございます。マイロさんは1992年に全米で初めてチャータースクールを開校した人として、たくさんのすばらしい経験を積み重ねてきたことと思います。日本国内にもマイロさんのように新しい公立学校を作りたいと願っている人たちがいます。わたしも含め、そういった人たちが、シティ・アカデミーから学ぶことはたくさんあると思います。
そこで、最初の質問です。1991年以前、マイロさんはシティ・アカデミー開校のためにどのような準備をしていたのかを教えてください。」
●わたしは1989年からミネソタの契約学校(contract school)制度を使い、公立高校を運営していました。
契約学校は学区教育委員会と公立学校がカリキュラムや学校運営に関して、既存の公立学校(regular school)とは異なる内容を実施できるものです。そこで、校長と歴史の教師をしていました。しかし、契約学校は教育委員会からの制約がとても多く、また生徒の個人情報など、成績以外の細かいなかみまで教育委員会に知らせなければならず、かなり自由が束縛されるものでした。
そこで、1990年頃から、少数の教師と生徒たちと約1年半をかけて、自分たちにとってもっとも必要な高校についての話し合いを継続的に行いました。そこで話し合われたのは、独自のカリキュラム、学習方法、指導方法などです。
ちょうどその頃、ミネソタでは教師や一般の人たちが公立学校を創ることができるチャータースクールが法的に認められようとしていました。契約学校ではなく、チャータースクールとして開校するために、わたしたちがとくに話し合いで確認したのは、オリジナルカリキュラムを作ることでした。
6007.9/16/2008
深海のイール(Yrr) 上・中・下(早川書房)
深海のイール(Yrr)上・中・下(早川書房)を読んだ。原題は、「Der Schwarm」。著者はドイツ人のフランク・シェッツィングさん。北川 和代(訳)。
ドイツで『ダ・ヴィンチ・コード』からベストセラー第1位の座を奪った驚異の小説というキャッチコピーに思わず手が伸びた。
おそらくこの物語は、現実とは違う創作物だろう。しかし、読み進むと物語の内容が本当のことのように錯覚してしまう。それほどに構想が明確で、脈絡がわかりやすい。
人類が地球上に現れる頃よりも、もっと昔から深海は存在した。現在の技術を駆使しても人類は水圧と暗黒の壁の前に深海の真実を明確にはつかんでいない。だから、そこに人類と同じか、それ以上の高等生物が存在していたとしても不思議ではないというコンセプトによって、物語が構成されている。
「ノルウェー海で発見された無数の異様な生物。海洋生物学者ヨハンソンの努力で、その生物が海底で新燃料メタンハイドレートの層を掘り続けていることが判明した。カナダ西岸ではタグボートやホエールウォッチングの船をクジラやオルカの群れが襲い、生物学者アナワクが調査を始める。さらに世界各地で猛毒のクラゲが出現、海難事故が続発し、フランスではロブスターに潜む病原体が猛威を振るう。母なる海に何が起きたのか? 」(インターネット上の書籍紹介より)
文庫本で3冊もあるので、読むには相当な労力が必要だ。また、著者の特徴なのだろうが、人物も場所もそれぞれに緻密な設定があり、その説明がとても細かい。物語の進行にあまり関係ないのではないかと思う部分もていねいに書き込まれている。そういうもどかしさを感じてしまうと、なかなか先に読み進めない。
だから、興味のあるひとはまず上巻を買って、それでも興味が持続するひとは中巻へと時間を置いて購入してみてはどうだろうか。
著者はドイツ人だが、物語の重要な部分は「アメリカ」を中心として展開する。アメリカ海軍、大統領、CIAなどおなじみの設定が、全体の中盤以降、物語をぐいぐい引っ張っていく。エイリアンが地球を戦略しにやってきて、ひとりのアメリカ空軍パイロットが人類の危機を救う「インディペンデンス・デイ」や、地球に衝突する小惑星を海上石油基地で働く、アメリカ人労働者が単身で爆破し、同様に地球の破壊を防いだ「アルマゲドン」のように、どこかアメリカ賛美な香りをかいでしまう。それはそれでいいのだが、物語は後半になって一気に、そういったアメリカを中心とした問題解決を大破壊してしまう。著者は、渡米できなくなるのではないかと危惧してしまった。
「風の谷のナウシカ」で宮崎駿が、死の七日間戦争によって壊滅した地球の姿を描写したのはだいぶ昔だ。にもかかわらず、人類の生み出した科学や文明が、多くの地球上の生物を滅ぼし、自然環境に影響を与えていることをテーマにした物語は後を絶たない。
ホエールウォッチングは、環境保護ではなく、かたちを変えた動物虐待だという冒頭の物語展開が、強烈にわたしの脳裏にはしみこんだ。
多くの登場人物がとても無残な死を遂げていく話なので、生理的にそういう話は苦手という人にはおすすめできない。
6006.9/15/2008
おくりびと
映画「おくりびと」(配給:松竹)を観た。監督は、。
東京でオーケストラのチェロ奏者をしていた小林(本木雅弘)が、突然のオーケストラ解散で故郷の山形県酒田市に帰る。
仕事を探して新聞広告を見つける。「旅のお手伝い」というキャッチコピーを見て、旅行代理店と勘違いし、面接に行く。社長(山崎努)は広告を見てあっさり言う。
「これ、誤植。正しくは、安らかな旅立ちのお手伝い」
そこは、死体を棺おけに詰める納棺を専門にする会社だった。社員は事務員(余貴美子)しかいない。
「あなた、ここができて最初の従業員」
そう言われて戸惑う小林。妻(広末涼子)に、就職先を言えない日々が続く。
もともと納棺は葬儀屋の仕事だが、死体に化粧を施し、納棺までの一部始終を専門にする納棺師という職業があり、葬儀屋は分業制度とともに納棺を依頼する。専門だけあって、死体の扱いは慣れている。生きていたときの美しい、あるいは元気な姿に戻して、死装束をまとわせる。その手さばきには熟練の技が必要だ。
この映画の発案は主演の本木自身だったという。納棺師という職業があることを知り、映画化を思いついた。それだけあって、本木の納棺師としての手さばきには無駄がない。かなりの資料収集と観察をしたと想像できた。
脚本は、小山薫堂。わたしは土曜日のFMヨコハマのパーソナリティとしてしか知らなかった。しかし、フジテレビでヒットした「料理の鉄人」などのプロデューサーをして、もともとメディアの世界では実力ある人物だった。初めての映画脚本だというが、台詞やストーリーに「さすが」と思わせる光が多く散りばめられていた。
小林は、妻にも旧友にも「もっとまともな仕事をしろ」と罵られ、退社を決意する。それを社長に告げに行く。社長は、自室で囲炉裏を前に食事をしていた。炭焼きの網には河豚の白子が乗っている。囲炉裏の縁に置いてある食器やぐい飲みも、ただの磁器ではない。軽くあぶり、塩をふる。
「お前も食え」
「はぁ」
社長は、白子の皮を破り、なかをちゅうちゅう吸う。ほくほく言いながら、味をかみしめる。
「おいしいんですか」
不安げに尋ねる小林に、社長はさりげなく言う。
「困ったもんでな」
勇気を出して、小林も同じやり方で食う。
「どうだ、うまいだろ」
「困ったものです」
照れながら、白子の味を堪能する。退社を告げに来たはずの小林は、社長との白子食事で退社を断念する。
音楽は、久石譲。小林がチェロ奏者だったということを前提に、全編にわたってチェロの演奏が冴える。山形の雄大な自然をバックに、宮沢賢治の世界に吸い込まれそうになった。
一人暮らしの老人の死。性同一性障害の若者の自殺。こどもの病死。家庭を顧みない夫の妻の死。何世代ものひとびとに送られる長者の死。ぐれてバイクの二人乗りでの事故死。世話になった風呂屋の女将の死。遺族と納棺師との微妙な関係が、そのつど丹念に少ない台詞で描かれていた。
圧巻は、小林の父の死。これについてはこれから映画を観てほしいので詳しくは触れない。
特撮も、暴力も、濡れ場も、何もない。淡々と物語りは進んでいく。続編を期待したい映画だった。
6005.9/11/2008
教育予算の割合
OECD経済協力開発機構が発表した図表で見る教育2008年版で、日本の2005年の教育予算の対国内総生産比が3.4%で加盟国30ヶ国のうち、データが比較可能な28ヶ国のうち最下位だったことがわかった。なお2004年はワースト二位、2003年は最下位と低迷が続く。
平均は5.0%。今回の3.4%は1988年の調査開始以来、日本としては最低を記録した。ちなみに一位はアイスランド7.2%、二位はデンマーク6.8%、三位はスウェーデン6.2%の順。
教育予算に占める学費などの家庭負担分は私費負担分と呼ばれ、日本は31.4%と高い。しかし教職員の人件費など公費負担分を合わせるとOECD平均の5.8%を下回る4.9%だった。
つまり日本政府は国家予算を配分するときに、学校教育にかかわる費用の割合がとても低いという意味だ。財務省の担当者はほかの国に比べてこどもの数が少ないから、割合が少ないからといって単純に金額も少ないというわけではないと釈明した。しかし、学力テストの国際比較結果が悪ければ、やれゆとり廃止だ!やれ教員の免許更新だ!と叫ぶ政治家や学者が多いのに、なぜ予算割合が最下位だと、もっと割合を上げてせめて10位ぐらいを目指そうという声が聞こえてこないのだろう。要するに、金をかけずに結果を出せというけちな考えが根底にあるのだろう。
どんな民間企業も研究開発費用や人件費を削ったら、商品の質が下がり、優秀な人材が転職していく。すでに公立学校では一部の行政が肩入れした学校を除き、質の低下と人材の流出は始まっている。ことしから始まった教員免許更新制度によって、採用段階から優秀な人材の確保が難しくなった。10年ごとに期限切れを迎える免許と心中するわけにはいかない。しかも更新対象者は自腹で2年もかけて大学に行き、講義を受け試験に合格して単位を取得しなければならない。退職までにそんなことを3回もしなきゃいけない仕事を志すひとは少ないだろう。
日本の公教育は、こどもにも教職員にも息苦しいだけの世界になりそうだ。
6004.9/10/2008
震度0
震度0を読んだ。朝日文庫。横山秀夫さんの本だ。警察モノの短編が多い横山さんには珍しく、警察モノの長編だ。
阪神淡路大震災が発生した1月17日から物語が始まる。刻々と伝わる被災情報に警察幹部が驚愕しながら、それとは無関係の物語が展開する。2008年4月発行。横山さん作品では新しい。その手法は、日航ジャンボ機墜落事故と地元新聞社の内紛を描いたクライマーズ・ハイに似ていた。
阪神淡路大震災が発生した日、N県警の警務課長が失踪した。現職警察官の失踪。本部長以下、警察幹部は、事実を公表すれば警察の信頼が損なわれるとして、内密に行方を捜す。
本部長の暗い過去、キャリアとして本庁から派遣されてきた警務部長の孤立、地元叩き上げの刑事部長の意地、地震対応で情報を上げながら失踪事件で反目しあう幹部たちへの疑念を抱く警備部長。幹部でありながら立場の弱い生活安全部長と交通安全部長。それぞれに部下がいて、自身の将来を考えながら反目しあう。
さらに幹部が住む官舎で、幹部たちの妻が表面は明るく、内面でけなしあう関係を築く。
すべての章に場所と時刻がタイトルとして使われていた。どんでん返しのない時系列物語を印象づける。海堂尊さんの作品に似ている。
横山さんの作品は、これまで明確な主人公がいた。現実を受け入れながら、腐敗や圧力に憤る。体制に流される生き方を肯定しながら、そのなかで苦しみ、もがく。スーパーヒーロー、グレートヒロインは登場しないが、物語を通して成長し変化していく姿が丹念に描かれていた。しかし、震度0は複数の警察幹部と妻たちが対等に描かれた群像劇だった。それだけに物語の構想作成にはかなりの時間がかかったと思う。
横山さんの作品は、本屋でなかなか見つからない「ルパンの消息」以外はすべて読んだ。どれも読み始めると途中でしおりをはさむのを忘れるほど読者を世界に引き込ませる。シリーズモノはあまり読んで来なかったが、横山さんの作品で、すっかり次が楽しくなった。
6003.9/9/2008
創り出す会の足音...No.65
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と
1997年9月に一本のドキュメンタリーを観た。
アメリカの荒廃する公教育改革のひとつとして紹介されたチャータースクールに関する番組だった。湘南に新しい公立学校を創り出す会の活動は、スタートラインに逆走すると、必ずこの番組に行き着く。そういっても過言ではないほど、チャータースクールから受けた衝撃は大きかった。
アメリカの公教育を荒廃するという表現でくくるなら、当時の日本の公教育は不透明で不気味な闇の到来という表現があてはまった。バブル経済の崩壊から一向に回復しないひとびとの生活。そのなかで弱者であるこどもがじわじわと受けた影響が、学齢に達した段階で噴出し始めていた。いじめ、物隠し、仲間はずれ、授業妨害、校内暴力、学級崩壊。まだ殺傷や殺人が目立った時代ではなかったが、やがてはそこまで辿りつくだろう不安な予想は心中にあった。いまではモンスターペアレントという肥大化した自我をそのまま社会生活にあてはめようと主張する親まで登場している。
それまでの公教育のやり方ではとっくに社会に通用する個人を育成することは困難なのに、教育行政を司るひとも、現場の教育関係者も、だれもそのことに気づいてはいなかった。想像力を捨てて、目の前のノルマをこなすだけの仕事が、公教育だと信じていた。難しいことは上が決めると判断力まで手放していた。
なぜいじめが起こるのか、どうして物隠しをしたくなるのか。そういう現場での具体的な対応を百万回繰り返しでも、それらは世代を超えてなくならない。いじめや物隠しをこどもたちがしてしまう社会的な背景を探らないと、本質的なものは見えてこない。いくら応急処置をしても、けがをする要因がなくならない限り、応急処置は終わらないのだ。
ミネソタ州で始まったチャータースクールという新しい教育制度は画期的な発案だった。学校教育の成果を出す見返りに、税金を使う。学校設立者と教育行政が契約を交わす。成果が出なかったら税金はストップする。活動を始めた頃、わたしたちの考えに否定的なひとたちは口々にチャータースクールを批判した。
「契約という概念は日本社会にはなじまない」
それでは民間企業はどうなるのか。
「仮に閉校になったらこどもたちが路頭に迷うではないか」
すでに路頭に迷っているこどもたちはたくさんいるではないか。
論理で批判するひとたちは、現実を見ようとはしていなかった。
番組の中で一つのチャータースクールが紹介された。ミネソタ州で最初にチャータースクールを設立したシティ・アカデミー。高校を退学したこどもたちを対象にしたいわゆる底辺のチャータースクールだった。その校長がマイロ・カッター女史だ。
いつか会いたいと思っていた。そのマイロさんが、チャータースクール推進センターが企画した国際教育シンポジウムの招きで来日した。
6002.9/7/2008
創り出す会の足音...No.64
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と
2002年は3月に入っていた。
東京に「東京チャータースクール研究会」が発足した。東京を中心にした大学関係者が中心になって、日本国内にチャータースクールを設立する可能性を模索する試みが始まる。
4日には「湘南小学校、現る」が脱稿した。創り出す会のメンバーのほかにも、多くの方々に執筆を引き受けていただいた。
9日は、月に一度ずつ土曜日に開校してきた湘南小学校の最終日だった。1999年のテストマッチから数えて32日目の開校だった。翌月から、新たに湘南小学校2002を開校する準備に追われていた。湘南小学校2002は、それまでにない新しい試みで、毎週土曜日に開校する計画だった。開校日数がそれまでのテストスクールに比べて、飛躍的に多くなる。スクールを支える運営的な能力が試された。
19日に第56回の定例会を藤沢市民会館で行った。この定例会を最後に、創り出す会の定例会の場所は、藤沢駅北口の市民活動推進センターに変更した。NPOを始めとする市民活動団体向けの施設として充実した環境がある推進センターが、その後の創り出す会のオープンな話し合いの舞台になった。およそ4年間にわたり使用した市民会館の会議室やホールを懐かしく思いながら、ドアを閉めた。
地元のタブロイド誌に湘南小学校の宣伝を掲載した。
リビング湘南 2002/3/23より……
「[学年も時間割もない、自主性を重んじる新しい公立学校を湘南に]
学習指導要領にとらわれない、全く新しい学校をつくろうという動きが活発に。NPO法人「湘南に新しい公立学校を創り出す会」は、日本型チャータースクール(特別認可公立学校)の設立に向けて活動を続けています。
同会が考える学校は・。学年は設けず、カリキュラムや時間割はありません。何をやるかは子供たち一人ひとりが自分で決め、必要な材料や道具も自分で調達します。学びの場は学校だけに限りません。大人は相談役や進行役です。
同会は97年に誕生、これまでにシンポジウムや試験的な開校をし、4月から毎週土曜日に藤沢市民会館を会場にして、「湘南小学校2002」(テストスクール)を開校します。参加費は月3000円、税込み。ただし、今回の募集は終了し、40人募集のところに50人が応募し、全員入校。
「時間、道具、場所という学びのスタイルは一人ひとり違うもの。今の学校ではそれらが決められ、合わない子はダメな子と。私たちは一人ひとりの学びのスタイルを保証したいのです。子供は教えないと学べない存在ではなく、好奇心をエネルギーにして自ら学んでいくもの」と、同会代表理事のSさん。
例えば、釣りをする、ビーズ手芸をする、ひたすらバスに乗ると子供は思い思いのことを。遊んでるだけ(?)と思ってはいけないそうで、「やりたいことをやっているから遊びの方が得るものが多く、そこで学んだものがやがて生きる力となっていく」とSさん。
湘南小学校が公立学校として成立するには、法制化が必要。日本各地に同様の活動があり、法制化を衆議院に働きかけたり、文科省や政党もチャータースクールの研究を行うなど、日本型チャータースクール誕生への機運は高まっています」
6001.9/6/2008
創り出す会の足音...No.63
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と
2002年に入り、湘南に新しい公立学校を創り出す会の活動は5年目を迎えようとしていた。
毎月の定例会も2月の定例会で55回を数えるほどになっていた。
「55th 2.22.2002 藤沢市民会館・第二会議室・pm6:00-9:00
■経過報告
○JCSPC関東ワイガヤトーク(1.26)
○湘南小学校31(2.9)
○湘南小学校2002説明会(2.9)
○「湘南小学校、現る」見積もり(2.12)
○「学校を創ろう2」売りきれ(2.14)
■湘南小学校
2002 開校準備事務として
○2月28日で新規の募集はいったん終了する。
○2月28日以降は、欠員者が出て、在籍数が定員を割ったら募集再開。
○最終的な入学者と入学者数の確定(担当・学籍)。
○入学者に対して発送する手紙についての内容確認と役割分担。
3月9日の学校説明会
○その場で新年度会員になってくれた人には入学金を割り引く。
○年度途中で会員になった場合は、会員割引をその時点から適用。
○説明会で使う資料のうち、その後スタッフ学習会で使うものもあるので、基本印刷枚数は90枚とする。
○3月9日、12:00から、隣りの図書館会議室で、準備資料を封筒詰めする。
学習の流れ
○子どもたちが学びを展開していく道筋について(担当・プロ管)。
○年間スケジュールについて。
○当日のスタッフの役割について。
○プロ管に、もうひとり担当者がほしいという要望あり。
■2002事務所契約
2002年度も、現在の事務所を継続して使用することを、オーナーとの間で更新することにリました。新年度も、現在の事務所を継続して使用します。ただし、2003年度は、新しい事務所を探すことになりましたので、1年間をかけて、各自がリサーチしておきましょう。
■サポートセンター
藤沢市が推進する、NPO活動推進センターに登録してきた報告がありました。事務所の近くのきれいなビルディングが推進センターです。部屋は予約が必要ですが、とても広いロビーは無料で自由に使えます。ちゃせんも同時に登録し、個別のロッカー使用も始まっています。印刷機、コピー機、紙折り機を自由に使うことができます(有料)。
今後は、定例会をいままでの藤沢市民会館ではなく、推進センターで行うことを事務局としては考えていきたいとのことでした。
■湘南小学校現る
当会の独自刊行本としては3冊目になる「湘南小学校、現る」。
印刷業者「湘南グッド」との打合せで、なんとか303765円で折り合いがつきました。当初の25万円という予算をオーバーしてしまったことで、どうするかという検討をしました。
財政の残金を考えると、オーバーしている分は十分に補えるという判断から、303765円を今年度の予算から全額支出することになりました。」(定例会の記録より)
チャータースクールに関する部分を切り離したとは言え、ほかにもたくさんの仕事が同時進行で行われていた。
6000.9/4/2008
創り出す会の足音...No.62
2002年5月4日 国際文化会館にてカッター女史と
サドベリー学習会の記録より……
「(個人的な感想)
このほかにも、情報化時代とサドベリーの認知度アップとか、マサチューセッツ州におけるチャータースクールの情報など、興味深い話もあった。しかし、それらは、わたしが今回の学習会でミムジーさんから知りたかったこととは直接関係していないので、まったくメモしていない。
1997年にETV特集で、「サドベリーバレースクール」を取り上げたとき、その番組のディレクターだったのが、今回司会を担当したHさんだ。わたしたちは映像から、それまでの学校像を破壊させるにじゅうぶんな感動を受け、その年の秋に当会を発足した。1999年に初めて子どもたちを集めたテストマッチを開いたとき、スタッフとして子どもとレスリングに汗を流したのが、今回同時通訳を担当したAさんだ。彼女はその後アメリカに渡り、わたしたちにワシントンDCのチャータースクール申請の手引きを購入してきてくれた。
学習会の翌日、11月14日に放送のETV2001の収録のため、わたしは渋谷のNHK放送センターに行った。45分の番組すべてが、当会の試みと日本におけるチャータースクールの可能性という、いままでにない取材協力だった。その番組の司会は、1997年のETV特集のときと同じアナウンサーだった。「あれから4年になるんですねぇ」ととても感慨深げに彼は語っていた。
ミムジーさんを国内でコーディネートした、旅の学校や地球学校の主宰者であるKさんと、学習会では初めて会う。その日の宿に拙宅を提供した。午前2時ごろまで彼と語る。ミムジーさんが語らなかったサドベリーの裏話がたくさん聞けた。わたしは彼と初めて会ったのに、昔から知っていたような錯覚がした。彼も開口一番同じことを口にする。
「きょう会った人たちとはずっと前から知り合いだった気がします。わたしは、こういうことをやっていれば、きっと似たようなことを目指す素敵な人たちと必ず会えると信じているんです。いままで実際に、そうやってたくさんの人たちに会ってきました」
サドベリー学習会は、2001年11月4日という、時間的には点での開催だった。しかし、ここにいたるまでのたくさんの時間のなかで、ひとつひとつが点だったことが、確実に結びつき、線になってきていることを強く感じる。ミムジーさんやKさんとの出会いが、今後、きっとふたたび線としてつながることがあるのだろうと、いまから楽しみにしている。」