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5979.8/2/2008
創り出す会の足音...No.50
2001年8月1日 夢キャン2001開校

 考えてみると、夢キャン2001はそれまでのテストスクールと大きな違いがあった。
 創り出す会は何も変わっていないのだが、テレビや雑誌、新聞にお取り上げられたことで、大げさに言うと全国区になってしまっていたのだ。テストマッチや夢キャン2000の頃は、口コミや関心のあるひとしか創り出す会を知らなかった。しかし、夢キャン2001のスタッフに応募してきたひとは、メディアを通じて協力を申し出てくれたひとたちが多かったのだ。必然的に、湘南小学校の考え方が深く浸透しているとは思いがたい部分があったことは否めない。
 「夢キャン2001for staff」というパンフレットを用意し、全スタッフに、夢キャンでの支援のあり方を説明した。毎日、はじめて参加したスタッフにも個別に説明した。
 支援チーフから「スタッフのみなさんへ」「本日のメモ」「スタッフニュース」がスタッフに配られた。
 こども向けに、フォルダが用意され、プログラム用紙、写真、活動上の記録となるものなどをはさみこんだ。
 4日まで、終了後約1時間かけて、スタッフミーティングを行った。
 支援のあり方として、どのような方法がよいのかという質問を、事前に受けていたので、考え方を示したパンフレットを用意したのは、今回がはじめてだった。支援の方向性を硬質なものにはしたくなかったが、これまでの経験から見えてきたものを伝えていく段階になったのではないかと思う。
 スタッフミーティングの様子を、翌日に印刷物として確認することができたのも、今回から導入された。参加するスタッフは、その日がはじめてという人も多く、スタッフニュースを読んで、疑問や質問、不安な部分などを、自分なりに消化していたようだ。
 こども向けのフォルダは、最終日のプレゼンテーションへ向けて、着実にボリュームを増し、プレゼンテーションの準備・本番では、まさにポートフォリオとして使われていた。
 運営委員会が用意した「for staff」、支援チーフが用意した「フォルダ・ニュース」、記録班が考えた「写真の提供」など、それぞれのポジションで考えたことが複合的に効果を発揮したのではないかと思う。事前にこれらを統一して協議することなく、実践の場で、かたちになったのは、運営委員の力量が、これまでの経験でレベルアップしたことの証ではないかと思う。
 スタッフミーティングでは、夢キャンよりも、湘南小学校につながる課題が多く出された。これは、ひとつひとつの内容よりも、集まった支援スタッフの意識の高まりと、力量の向上が、結集したものだった。今後、湘南小学校では大切だが、夢キャンでは解決困難な部分との遭遇は増えていくと感じた。
 テストマッチのプレゼンテーションも、夢キャン2000のプレゼンテーションも、発表会という印象が強く、学んだことを、自分の言葉で伝える場としては、ふさわしくないのではないかという反省が多かった。
 今回は、これらの反省をふまえ、希望する子どもを除いて、全体の前での発表はなくし、個人が個人に伝えるというブース方式を全面的に採用した。
 「なにをしたかな」プリントには、1日目から4日目までの簡単な表が書かれているだけだった。しかし、こどもはフォルダ内のプログラム用紙や写真を見ながら、自分の過ごした4日間を振りかえり、「なにをしたかな」プリントに、まなびの歴史を記入していた。
全員のプレゼンテーション内容……
『ベイブレード勝負・携帯電話・写真を貼って・ビーズお絵描き冬の星座表・ザ恐竜・4日間の記録・恐竜クラフト・カメラ分解・ガンダム・コロコロクリリン・多色版画・バス旅の記録・段ボール戦車・鉛筆たて・紙粘土皿・スポンジアート・ポシェット・ソーラー扇風機・ボーリング・小型電動自動車』
 プログラムのなかに、4日間をかけて取り組むものが多く見られ、湘南小学校のまなびにつながる傾向が現れてきた。
 プレゼンテーションの方法を工夫することで、こどもは育ちに気づく経験を実感することができるのではないかと感じた。
 夏の4日間のプレゼンテーションと湘南小学校のプレゼンテーションと、どこまで想像力を飛躍させていいかという課題は、つねに残る。やはり、これは、開校してみないとわからないということだろう。

5978.8/1/2008
創り出す会の足音...No.49
2001年8月1日 夢キャン2001開校

 登録したスタッフは、現役教員13人、一般13人、学生24人の合計50人だった。
 登録したスタッフの48%が学生(中学生・高校生・大学生・専門学校生・大学院生)だったのは、いままでにない傾向である。
 連日、こどもひとりあたり平均して1人以上のスタッフが実際に参加したことも、いままでにない傾向である。
 スタッフの参加体制については、湘南小学校につながる「連絡」「調整」「スケジュール管理」のノウハウが蓄積されたのではないかと思う。それだけのことが行われたからこそ、連日、これだけの人たちがスタッフとして協力してくれたと思う。
 ただし、実際の湘南小学校では、このような恵まれた人数を連日確保できるとは考えにくい。
 ミーティングで、スタッフのあり方について意見が多く出された。
・ これまでのフリースクールやサマースクールに何回か参加していても、夢キャンのことを理解しているのかどうか不安に思うスタッフがいた。(計画通りにやらない子どもに、無関係な遊びをしていた。知り合いどうしで支援とは無関係の私語に没頭していた。知り合いどうしの関係性で子どもの支援先を決めていた)
・ 個人でスタッフ協力を申し込んできた意識ある人たちに、湘南小学校での教育方法について具体的なアドバイスをしながら、スタッフ育成のプロセスを起動する段階になった。このことにより、これまで無条件に協力してくれるスタッフを受け入れてきたやり方から、一定の選別をしていやり方へ変えていくきだと思う。
・ スタッフ認定のために、最初は経験スタッフと必ずセットにして「見習期間」を設けてみてはどうか。
・「こんな学校、できるわけない」といいながら、子どもの計画を無視し、べつの遊びに誘導していたスタッフを見て、「わたしはいやだ」と真剣に考えているスタッフが、会場での支援を避ける(会場にいると、先述のスタッフといっしょになる)場面があった。
・たくさんの人がいるのは助かるけれど、そろそろ湘南小学校の開校に近い適性人員を確保していくことに努める段階になったかもしれない。
・5日間で3000円払えば、映画にもカラオケにもボーリングにも連れていってくれるスタッフの存在は、本当に湘南小学校でも実現するのかどうか疑問だった。
・自分も見たい映画を子どもが計画したから、それにつきあうスタッフのあり方は、支援という意味があったのだろうか。
・映画やカラオケ、ボーリングなど、経費がかかる行動は、会場までつきあって、そこから先は子どもだけに任せるという選択もあるのではないか。あるいは、その分の金銭的負担は、一部を保護者に依存することも考えられる。しかし、このことは、今後も夢キャンをやり続ける場合、考えなければいけないことであり、湘南小学校では実現させられることとは思えない。
 財政面では、こどもひとり3000円という参加費で実施した。30人の参加だったので、収入合計は90000円だった。
 カラオケ、映画、ボーリングという、今回はじめてのプランに、スタッフ経費が突出した。
 学生の多い、今回の夢キャンでは、活動時間帯の経費の保証は不可欠になってくる。そのため、今回のようなシステムの導入は必要だったと思う。
 実際には、1日あたりこども500円の参加費に対して、800円の支出という状態だった。もしも、4000円の参加費だったら収支は0になる計算だった。
 カラオケや映画などのプランに対して、スタッフがいっしょにいることが必要なのかどうかを考えてみる必要がある。
 ミーティングで、経費ついて意見が出された。
・ お金のかかる活動に、複数のスタッフがかかわりすぎて経費が突出した。
・総予算のうち、つねに残金を示していくことも必要だ。
・とても経費のかかる活動をした子どもと、そうでない子どもとの経費負担比率の違いはどうとらえていけばいいのだろう。
・子どもの安全が確保できれば、そこから先の活動は、スタッフの意志と、自己負担でつきあうという方法も考えてみてはどうか。

5977.7/31/2008
創り出す会の足音...No.48
2001年8月1日 夢キャン2001開校

4/7(土) 夢キャン2001素案検討
4/14(土) 無認可湘南小学校/参加者からの参加意思確認
4/22(日) 夢キャン2000参加者からの参加意思確認開始
4/27(金) 夢キャン2001計画案検討
5/25(金) 運営委員会構想提案
6/2(土) 夢キャン2001運営委員会発足
6/9(土) 参加者確定開始/第1回スタッフミーティング
6/30(土) 運営委員会
7/14(土) 参加者の家族への説明会/第2回スタッフミーティング
7/28(土) 運営委員会/最終準備
8/1-5(水−日) 夢キャン2001
8/11(土) 運営委員会/反省
8/24(金) 運営委員会/解散
9/1(土) 会員向けに報告書発送
 一口にテストスクールをすると言っても膨大な準備と時間がかかる。上記は、夢キャン2001のおもなスケジュールだ。当然、ここには網羅できない事務的な仕事は日常的に山積した。
 準備にあてた会合は、どれも週末に集中している。それぞれが仕事や家庭をもっている立場で、このようなイベントを企画立案していく以上、メンバーが集まることができる日は限定された。
 テストマッチや夢キャン2000は、個人が担当し、創り出す会全体として動いていたが、今回は運営委員会が担当することにした。そのことにより、担当していた個人の負担が、責任をわかちあうかたちで明確に分担された。
 メンバーの都合があわず全員が顔をそろえる機会はなかなか用意できない。またスタッフの確定が、どうしても直前までわからないなど、不確定な要素があった。夢キャンを続ける以上、これらは避けられない課題かもしれない。
 参加者は、まず無認可湘南小学校に通っているこどもを優先にした。つづいて、夢キャン2000の参加者という順番で、声かけをした。これにより、定員30人のうち29人が決定した。夢キャンも無認可も経験していないこどもはひとりだった。
 参加したこどもは、地元の藤沢が多いとはいえ、過半数は占めていなかった。横浜からの参加者が例年以上に増えた。
 湘南三浦地域という視点でとらえると、66%の参加者がいた。地元に理解を広げていくことが、少しずつでも確実に、湘南小学校への賛同者を増やしていくことにつながるのではないかと思った。
 連日、1時間以上をかけて、藤沢市民会館と自宅を往復していた参加者が半数をこえる現実は、経済的にも、肉体的にも、参加者や保護者の負担を今後どうしていくかという課題になった。

5976.7/30/2008
創り出す会の足音...No.47
2001年8月1日 夢キャン2001開校
 8月1日。藤沢は朝から暑かった。
 テストマッチから数えて、4回目になるテストスクール「夢キャン2001」を藤沢市民会館で開校した。
 初日、わたしは雑誌の取材で、教育評論家の尾木直樹さんのインタビューを受けた。尾木さんは愛知で中学校の教員をしていた。退職してから、教育評論家になった。
「教育委員会や、学校に対して、自分の考えを言うというのは、先生をやりながらではつらいでしょう」
「はい、でも学校から離れてしまったら、その瞬間からこどもと距離ができてしまうと思うんです」
「偉いですね。創り出す会の先生たちは。ボクは、とても教員をやりながらでは、いまのような活動はできなかったと思います」
 テレビでしか見たことのない尾木さんは、とても物腰のていねいなひとだった。その後も何度かシンポジウムや取材でお世話になった。

 夢キャン2001の「評価」では、自分の育ちに本人が気づくことをねらいとした。夢キャン2001の目的に対して、二日目に気づきの聞き取りを全スタッフがこどもひとりひとりに対して実施した。
 学びのなかみをこどもが決める湘南小学校において、その育ちに、こども本人がどのように気づいていくのかということが課題だった。聞き取りが可能だった28人のこどものうち、75%が自分の学びをだれかに伝えたいと思っていることがわかった。
 そのうち、57%のこどもが、伝えたい相手として、家族と応えている。自分の学びを伝えたい気持ちをもつこどもが多く、その相手として家族を望むこどもが多いことから、こどもの育ちに「気づく」対象として、家族が重要なことが見えてきた。
・自分でやったことを人に理解してほしい。
・あんまりやったことのない体験をやったから。
・楽しかったから。
・とっても楽しかったから。
・せっかく作ったから。
・いい思い出だから教えてあげたい。
・むずかしいこと(ハンダづけ)をやったから。
・できたから。
 どうして家族に教えたいのかという質問に対する答えだ。ここからは、自分の育ちをわかってほしいというこどもの気持ちが伝わってくる。こんなにできた、理解した、楽しかったという切実な思いを、おとなが受け止め、相互に、質問や感想という情報の往復をすることが「育ちへの気づき」を、創り出していくのかもしれない。
 圧倒的に家族へ伝えたいというこどもが多かった現実は、これを受け止める家族の力量を問うことになる。湘南小学校として、どのようにこどもの声を受け止めてほしいのかという願いを、具体的な言葉として、家族の人に説明していかなければならないだろう。
 学びの主人公をこどもにするという考え方を、根本で支えるのは、家族の励ましや共感であるという大事なことを、わたしたちはこどもたちから教えられた。

5975.7/29/2008
■教員採用試験汚職__No.17■

 逮捕されたN被告いがいの審議官も、口利きの疑惑が持たれた。
 もっと上層部からの指示があったと逮捕された被告たちは供述している。審議官以上の立場といえば、教育長しかいない。
 大分県教育委員会を頂点とした、金を介在する不正は、市町村教育委員会を巻き込み、何年にもわたって繰り返されてきたのだろう。それを容認した行政的風土そのものが一掃されない限り、数年後に同じことが繰り返される。
 文部科学省の調査で、ほかの自治体でも口利きや採用試験結果の事前通知が行われていたことが判明した。一部のひとたちにのみ、特権や情報、権益や利権、お金やモノが集中する仕組みは、果たして教育行政だけのものなのだろうか。
 大分県の教員採用試験をめぐる不正をテーマにしたウエイを書き始めてから一ヶ月が過ぎた。
 No.16でレポートをした教員になったばかりで退職したY被告の長女。その後の調べで、長女は受験科目のうちひとつを受けていなかったことが判明した。体育の実技にかかわる試験だったという。配点は30点。体調が悪かったのかもしれない。医師の診断書を提出したそうだ。しかし、受けていないので得点は0点。にもかかわらず、試験結果では20点が加算された。厳密にいうと、きちんと試験を受けたひとの20点がまわされたのだ。これまでわたしは、口利きをしたひとではなく、受験したひとたちは不正の実態を知らないのではないかと考えていた。しかし、ひとつの教科を受験しなかったのに合格したことを、退職した長女はどう感じていたのだろう。もしかしたら、親から何らかの背景について、多少の説明を受けていたのかもしれない。
 あくまでも推測の域を出ないので、よけいなコメントはしません。
 今回の特集は、もっと早くまとめられると思っていた。
 しかし、警察の捜査が始まってから、次々と新事実が明らかになり、それまでの疑問の束がひとつずつ解決していった。そのため、原稿用紙で40枚近い内容のレポートになってしまった。
 まだまだ新事実は明らかになるかもしれない。もっと深い不正が隠されているのかもしれない。
 最終的に検察は、だれをどんな罪で起訴するのだろう。きっと、地方の検察庁には口利きの事実をもみ消したい勢力から強い圧力がかかっているだろう。教育行政に携わるひとたちのなかには、いつ自分の過去の不正が明るみに出るのか、戦々恐々としているひとが少なからずいるかもしれない。
 拘置所で檻の中にいる、教頭だったひと、校長だったひと、指導主事だったひと、教育長だったひと。みんな、だれかのために働いた。しかし、いまそのだれかはだれも援けに来ない。何のために罪をかぶるのか。昔からだれもがやってきたことではないか。自分だけが悪いわけではない。そういう開き直りの心境なのだろうか。それとも、自分が教員を志したころの気持ちを思い出し、こどもたちと過ごした楽しい時間をすべて犠牲にしてしまったことを悔やんでいるのだろうか。
 わたしは教員を志すひとに、悪人はいないと信じていたい。こういう事件が起こっても、信じ続けていたい。それは、悪人ではこどもにあっという間にこころを見透かされてしまい、指導が通らなくなるからだ。
 残念ながら、教員になってから、顔つきがどんどん悪人に変化していくひとはたくさんいる。そういうひとたちが、割合として教頭や校長、教育委員会のひとたちのなかに多くなると、大分県のように、不正の温床と関係性が、事件が明るみに出るまで膨張するのかもしれない。
(教員採用試験汚職・完)

5974.7/28/2008
■教員採用試験汚職__No.16■

 大分県教育委員会は、今回の事件に絡んで最初の処分を7月11日に発表した。
「大分県の教員採用汚職事件で、県教委の教育長らは11日、記者会見し「参事や元審議監が逮捕されており、属人的な問題では済まされず、組織的と言われても反論できない」と改めて謝罪した。
 教育長は自らの関与について「(不正の)うわさも聞いたことはない」と否定しつつ、自身の責任について「誰よりも一番責任が大きいと思う」と述べた。子どもたちについては「今回の事件をどう説明するか、つらいものがあると思う。教育する立場の者がこういう事態になり、なんと説明すればいいか分からない」と述べた。
 また「順法精神を教えるべき教育公務員にあるまじき行為をした」として、贈賄罪で起訴された佐伯市立小学校長、A被告の懲戒免職処分を発表した。事件での処分は初。(毎日新聞2008年7月12日)」

 わたしがこの事件を知り、資料を収集し始めたのは2008年7月上旬だった。調べていて、この事件はすでに6月の段階で地方紙では報道されていたことを知る。
 その後、全国紙で扱うようになったのが7月上旬だった。
 いかにわたしが日ごろ、新聞を読んでいないか。恥ずかしい限りだ。
 7月上旬に全国紙で報道されたときも、扱いはそんなに大きくはなかった。
 しかし、その後のメディアの扱いはどこもトップニュースなみになる。テレビニュースは、7月下旬になっても連日捜査の様子を放送している。NHKがトップで扱ったのは1日や2日ではすまない。
 宮城で大きな地震が起こった。秋葉原で無差別殺人が発生した。岩手で大きな地震が起こった。洞爺湖サミットが開催された。八王子で無差別殺人が発生した。事件や災害は、その間にも繰り返された。にもかかわらず、この問題は終局せずに、メディアで長く扱われている。
 なぜか。
 次から次と、新しい事実が判明してきたからだろう。ニュースとしての価値が、そのたびに更新されていく。とくに教員採用にからんだ事件だと思っていたら、教育委員会の体質として、昇進人事にまで及ぶ組織的犯罪だったことがわかったことが、扱いを大きくしていると感じる。
 去年採用されたY被告の長女は、7月下旬に辞職したという。事件が明らかになってから、一日も気の休まる思いはしなかったことだろう。精神的にきつい日々を送ったと思う。しかし、まだ若いのだから、これからの人生でいくらでも取り返しはつく。だれかの命を奪った犯罪ではないので、不正はあったとしても、直接の恨みを買うようなことはなかったはずだ。
 親子の関係は永遠に続く。時間の経過とともに、少しずつ互いの関係を修復してほしいと願う。

5973.7/27/2008
■教員採用試験汚職__No.15■

 夫婦で贈賄罪に問われ、逮捕されたY容疑者。
 毎日新聞(2008年7月11日 西部夕刊)によると。
「大分県の教員採用試験を巡る汚職事件で、県教委幹部が昨年末と3月の計2回、当時佐伯市内の離島の小中学校長だった県教委参事、Y容疑者=贈賄容疑で再逮捕=を、県教委参事へ昇格させる打診を市教委にしていたことが分かった。佐伯市の教育長が11日の定例会見で明らかにした。この幹部は、県教委ナンバー2のT教育審議監(またまた新しい黒幕登場)とみられ、T審議監は毎日新聞の取材に対し、Y容疑者から昇進に際し、今年3月、金券20万円を受け取ったことを認めている。
 教育長の説明などによると、1回目の時にT審議監は参事級のポストが空くことを告げ「校長経験者で、指導力のある人」という条件を提示し、当時市内の小中学校長だったY容疑者の名前をあげて打診したという。この際、教育長は「Y容疑者は校長を1年しかやっておらず、他にもふさわしい人がいるのではないか」と伝えたという。ただ、市内には校長級で、指導主事の経験のある人物はY容疑者を含め3人しかおらず、結局、打診を了承したという。
 県教委の審議監が出向いてまで参事ポストの人事を打診したことについて「不審に思った」という。
 Y容疑者は自分の長女を小学校教員採用試験に合格させるよう便宜を図ってもらうため、元教育審議監、N容疑者=収賄容疑で逮捕=に金券100万円を渡した贈賄容疑で再逮捕された。弁護人などによると、Y容疑者は審議監について、教員採用だけでなく、昇進など人事でも便宜を図れるポストという認識があったという」

 Y容疑者が、県教委ナンバー2のT教育審議監に金券20万円を渡したのは、昇進が確定した御礼だったと考えられる。
 たった1年の校長経験で教育委員会の高いポストに昇進する例は、わたしの周囲でも実際にある。
 そして、ついにコネ採用を認める発言が飛び出す。
 10年前の県教委幹部が口を開いた。(2008年7月11日毎日新聞)
「「コネがまかり通っていたことは事実。合否を判断する時に口利きがあるかどうかというのは考えの中にあった」と証言した。コネ採用が長年横行していた実態が初めて浮かび上がった。
 元幹部は取材に対し、仲介者や保護者らから合格後、謝礼として中元や歳暮名目で洋服の仕立券や商品券を受け取っていたことも明らかにした。
 証言したのは、十数年前から県教委内で小・中学校を担当する教職員第1課(現・義務教育課)で数年間、採用試験などの人事を担当した元幹部。
 元幹部によると、当時、県議や有力者から名前と受験番号を告げられ、何度も合格の依頼を受けていたという。合否判定の会議の際、その受験生がボーダーライン上にいると、「これは頼まれているから」と合格させることがあったという。
 現金授受は「なかった」としているが、謝礼として中元などの名目で1万〜3万円分のシャツ仕立券などを受け取っていたという。「もらっていいのかという良心の呵責(かしゃく)はあったが、次第に受け取るようになってしまった。感覚がマヒしていた」という。
 また現職当時、試験前に「受験生2人を100万円で通してくれないか」などと依頼されたこともあったが、これは断ったという」

5972.7/25/2008
■教員採用試験汚職__No.14■

 これまで大分県教員採用事件では、小学校と中学校で不正が行われていた。しかし、7月11日にわかった情報によると、なんと県立高校の教員採用でも不正が行われていた。
 高校は義務教育ではないので、E容疑者の課が担当ではない。警察は他の課でも同様の不正が行われていたとして捜査を続けている。
 すごいぞすごいぞ、大分県。小学校から高校まですべての教員採用で口利きや贈収賄が繰り返されていた。
 同日の毎日新聞によると。
「ある高校教員の男性は「高校教員は小、中より採用が少なく競争率が高い。(採用試験に際して)コネやカネ、商品券を贈るのは当たり前。同僚教員が約20人集まった会で、不正採用で入ったことを明かした教員がうち半数もいたほどだ」と話した」
 開き直りも甚だしい。
 さらに、大分県教育委員会は証拠隠滅ともとれる文書管理をしていた。
 小学校教員採用試験の答案用紙や面接結果は、本来は10年間保存という文書管理規定があるにもかかわらず、これを無視。試験翌年の3月末に廃棄していた。10年間保管しなければいけないものをわずか半年で捨てていたのだ。
 義務教育課長は、試験に関する文書を半年程度で破棄していたことについて
「保管スペースが足りなかった。規定違反と分かっていたが、用済みと判断し捨てた。上司の指示ではない」
と釈明している。
 そんなの理由にならない。証拠隠しだろう。
 事件では07、08年度の小学校教員採用試験を巡って計5人が逮捕され、このうち県教委参事のE容疑者は両年度で30人以上を合格させるよう口利きを受けていた。E容疑者はこのうち15人を合格させる一方、本来合格だった10人を不合格としたことも分かったが、評定票などが破棄されたため、不正に不合格とされた受験者の救済は困難になっている。
 だれが受験し、だれが合格したのかという証拠を、試験を実施した教育委員会がそそくさと捨てていた。不正が発覚したときに、
「不合格だったけど、本当は合格していたのではないか」
という問合せに対応するためだったとしか思えない。応対する職員は冷たく言い放つ。
「あなたが受験したという記録は残っていないんだよ」
「そんなぁ。受験票の控えだってあるし、当日の切符だって記念に保管してあるんですよ」
「受験票なんていくらでも偽造できるでしょう。切符なんてあてにならない。不勉強で落ちたのに、こちらに問題があるような口ぶりでは、何度受験しても無駄だな」
「黙ってりゃいい気になりやがって。こんなところで教員なんかやってられっかよ。さっさと他県に引っ越します」

5971.7/24/2008
■教員採用試験汚職__No.13■

 今回の一番の被害者は、採用試験で合格点を取りながら、勝手に減点され、不合格になったひとたちだろう。何を信じて試験を受ければいいのか、わからなくなる。大分を離れて、ほかの地域に行きたくなってもおかしくない。
 そのひとたちの点数を減点した張本人のE容疑者は、とても都合のいいことを言う。
「前年に(不正によって)落とした受験生が次の年に合格圏内に入ったら、心底うれしかった」
 そりゃないだろう。新聞は良心の呵責にゆれると受け止めているが、それは言葉の使い方が間違っている。
 E容疑者は、過去の改ざんによって不合格になった受験者の名前をメモで残していた。その受験者が翌年の試験で合格圏内にいる場合、減点操作の対象から外すなどして意図的に合格させていたという。あたかも減点操作の対象から外すことが、こころに少しだけ残った良心のように思えなくもないが、それはむしろ自分の犯した過ちを勝手に帳消しにしていただけだ。自分で罪を犯し、自分で罪を帳消しにする。教育委員会とは、すごい治外法権がまかり通るところなのだ。
 ただし、7月11日付の毎日新聞によると。
「E容疑者は別府市出身。大分、別府両市の教諭などを経て、03年から逮捕されるまでの間は人事班に所属。07年は小・中学校の教員採用試験結果の集計や最終合格者リストの起案をする立場になった。出世コースでもあったが、人事班配属になった際に「(口利きによる不正採用は)うわさに聞いていたが、本当にあるんだ」とがく然としたという。07年度の採用試験にあたり、元県教委審議監、N容疑者=収賄容疑で逮捕=に受験者成績一覧表を示すと、口利きがあった受験者に印が付けられ「最後まで通すように」と指示されたという。
 県教委の佐伯教育事務所在任中(98年から2年間)に、県教委参事、Y容疑者=贈賄容疑で再逮捕=と知り合った。E容疑者は人事班に入って以降、口利きによる不正の多さについて「もううんざりだ。こんなことやってられない」と、Y容疑者に愚痴をこぼしていたという。
 E容疑者に合格依頼の口利きが集中していたが、「何の見返りもないことが多く、大半を汚れ役に徹していた」と言われる。
 こうした事情を知ったY容疑者は小学校校長、A被告=贈賄罪で起訴=に「今度(A被告の長男長女の合格依頼の際)は直接、本人にお礼をしよう」と告げ、贈賄工作を持ちかけていたという。  08年度採用試験の際にA被告から現金と金券計400万円を受け取った江藤容疑者。ところが発覚を恐れ「Yさんの時(07年度採用試験の贈収賄事件)だけでやめておきたかった」と周辺に打ち明けたという。だが、08年3月、佐伯市内の校長、教頭の3人から昇進の謝礼として計110万円の金券を受け取っていた疑いも浮上した。金まみれの職員採用、内部昇進……。関係者からは「次第に感覚がマヒしたのだろう」との指摘も上がっている」

5970.7/23/2008
■教員採用試験汚職__No.12■

 どうも大分県教育委員会の義務教育課人事班というポストは、各方面から教員人事に関して圧力やお願いが集中するところだったらしい。
 警察は家宅捜索で、今回のN教育審議監以外にも、E容疑者に口利きをした者たちのリストを押収したと見られる。
 警察の取調べに、N容疑者が自分が提示したリスト以外のものを見せられ「見たことがない」と正直に応じていることから、N容疑者以外にも口利きを依頼した者の存在がいたと思われる。
 毎日新聞(2008年7月10日)によると。
「E容疑者は03年4月から県教委教職員第1課(現義務教育課)人事係に配属され、翌年以降、主幹や総括課長補佐として入試や教員採用の実務を担当。当時「うわさでは聞いたが、入ったら本当に(口利きが)あった。当たり前のように上司は頼んできた」と話していたという。こうした証言から、不正採用のシステムは03年以前からあったとみられる。」
 なんと、わかっているだけでいまから5年以上も前からの不正が判明した。
 過去5年にさかのぼって、採用された教員や昇進した教頭や校長があやしいということになる。
 また、贈賄罪で逮捕され起訴されたA被告(市立蒲江小校長7月10日現在)は、佐伯市の教育長と接見した。A被告は、「申し訳ない」と涙ながらに頭を下げ、こどもや同僚の教職員のことを心配し、とぎれとぎれに話したという。佐伯市教育委員会は、県教育委員会に被告の行政処分の内申を提出した。
 さらに、E容疑者に昇進に伴って金券を渡した3人の管理職(女性校長・女性教頭・男性教頭)は、警察で事情聴取を受けたあと、ため息ばかりをついていたという。いったい、何のため息なのか。みんなやってきたことなのに、どうして自分たちだけが悪者扱いされるんだという反省とは思えないため息のように感じる。
 由布市の教育長として逮捕されたN容疑者は、教育委員会に辞表を提出した。「事件で迷惑をかけた」と説明しているという。市教委は懲戒免職処分などを検討している。今回のことが明るみに出なければ、私腹を肥やし続けながら、2010年11月まで教育長を続ける予定だった。N容疑者は、県教育委員会在任中に不正をしていたので、当時にさかのぼって退職金の返還要求が行われてもおかしくない。
 そして、7月11日。NHKは夜7時の全国ニュースで、この事件をトップ扱いにした。洞爺湖サミットが終わって間もない時期だというのに、この事件をトップにもってきた。それだけ、地方教育行政界の腐敗がインパクトを与えると判断したのだろう。