5959.7/6/2008
■教員採用試験汚職__No.1■
「まぁ相場は二つってとこでしょう」
Y男は指を二本立てた。
相談に訪れたA女は、几帳面に自分の手帳に200という数字を記した。
「そうね。うちの長女のときもそれぐらいだったかしら」
Y男のK妻は、去年佐伯市内の公立小学校に採用された娘のことを思い出した。
「Nさんはもう県教委にはいないけど、Eならまだ影響力は絶大だと思うよ」
Y男は、不安そうなA女の顔を見つめた。
「だといいんだけど。うちの場合は、長男が二度も試験に落ちているでしょ。それで3歳離れている妹の長女と採用試験が重なっちゃって。わたしの校長という立場もあるし」
Y男のK妻は、大きく頷いた。
「わかるわ。わたしも教頭という立場でしょ。自分のこどもが何度も試験に受からないなんて人様に知られたら、親の教育はどうなってるんだって目で見られてしまうものね」
A女は大きなため息をつく。
「200か。うちは長男と長女が同時に受けるから、400ね。少ない金額ではないわ」
「親にできることって、結局こういうことなのかな。でも、昔からみんな、やってきていることだし。ここは最後の親の務めと割り切ったほうがいいよ」
EとY男とA女は同い年。Y男のK妻は2歳年下だ。
これはもちろん架空の話だ。しかし、内容は真実に近い。
この密議が行われたのは、おそらく2007年7月前後と思われる。
それぞれの本当の肩書きを紹介しよう。
Nは、前大分県教育委員会の審議監。その後、2006年11月から大分県由布市教育委員会の教育長。1969年採用。中学校教諭を経て、県教委の教職員第一課長や教育審議監などを歴任。
県教委の審議監は教育長に次ぐポストで採用や人事まで県の教育行政を総括する。
Eは、大分県教委義務教育課人事班主幹。
Y男は、大分県教委義務教育課参事。
K妻は、大分県佐伯市立重岡小学校教頭。
A女は、佐伯市立蒲江小学校校長。
この5人は、現在、教員採用試験にからむ贈収賄容疑で逮捕され、警察の取調べを受けている。
[創り出す会の足音は休載します]
5958.7/5/2008
創り出す会の足音...No.46
2001年8月1日 夢キャン2001開校
6月に入り、メンバーが大阪に行った。大阪で学校を創る会ができたので、その会合に参加するためだった。大阪に学校を創る会は、大学教授が中心になり、おもに高校教師が実務面で動いていた。そこにNPO関連のメンバーや一般市民が参加していた。独自の教育理論を持ち、私塾としての学校開設か、チャータースクールとしての学校創設かを検討していた時期だった。
同じ時期、全国的にチャータースクールの設立を目指す運動が発足していた。それらの中心になったひとたちは、かつてテストマッチや夢キャン、定例会に足を運んでくれたひとたちだった。各自が地元に帰り、自分たちにできる方法で、新しい公立学校設立へ向けた運動を始めていた。
同年1月3日付けの神戸新聞より……
『「先生、私これやりたい」
翌年のことだ。高学年で学級崩壊が生じ、佐々木は思い切った方法で臨んだ。 算数の授業で担任制をやめ、能力ごとに五グループに分けた。教師はチームで指導にあたった。どのグループで勉強するかは子どもが選ぶ。
手ごたえがあった。「案外、学校内改革で状況を変えることができるんじゃないか」。佐々木は思った。
しかし改革は一年でストップ。「担任が決まってないのはおかしい」と、一部の父母が執ように抗議した。議論の余地はなかった。学校側が押し切られた。
「同じ考えの親や教師で新しい学校をつくる。結局、これが一番の近道だよ」
そのころ、佐々木らは教師だけの集団から市民団体へと脱皮を図っていた。シンポジウム、サマーキャンプ…。
アイデアと経験が蓄積されていった。
1999年10月、構想がまとまった。コンセプトは「『センセイ、つぎ何やるの』から『わたし、これをやりたい』へ」。
日本中、どこにもない公立学校。佐々木らは「湘南小学校」と名づけた。
「湘南小学校」に学年はない。児童の能力やペースに合わせた個々のプログラム学習に基本を置く。これを公立でつくろう、というのが藤沢市の「湘南に新しい公立学校を創り出す会」のプランだ。
小学校教師で、事務局を預かる小坂弘は「今の学校に通えない不登校の子の親も納税者なんです。公立からはじき出されたらフリースクールへ、あるいは私学へ、というのはおかしいでしょう。湘南小の学区は市内全域とする。湘南小か地域の小学校か、親子で相談して自由に選択できる形にしたい」
何をどれだけ時間をかけて、どうやって学ぶのか。子どもたちが教師や親と相談しながら自分で考える。選び、決めるのも子ども自身。失敗すれば修正し、次につなげる。
当然、全体の時間割もない。「各人のプログラム学習」と、集会や外部から講師を招いての「共有の時間」があるだけ。従来の通知簿もない。“ないないづくし”の学校だ。
基礎学力は大丈夫か。そんな心配も出る。やはり小学校教師で同会会長の佐々木洋平は言う。
「今の小学校で、指導要領にあるような基礎学力をつけて卒業する子どもが半分もいるかどうか。一方的にこれをやりなさい、という形では学べない子が現実に増えているんです」
これをやりたい。そこに学習のスタートを置く。
「個々の興味を核にすれば、子どもはスポンジが水を吸うように学力をつけていく。画一的な教育では生まれない個性的なアイデアの持ち主だって出てくる。そして、自分で選び、決めるという経験が、主体的に生きていく力につながると思う」
湘南小で提供するのは三つ。道具、時間、場所。それだけである。
4年前、神奈川県藤沢市の小学校教師四人がつくった「湘南に新しい公立学校を創り出す会」。今では、会合やフリースクールなどに参加する正会員が34人、ニュースの購読会員を合わせると100人を超す。
会が開校をめざす「湘南小学校」。会長の佐々木洋平らは、まず市教委と協議を重ねた。
この4年の間、教育を取り巻く環境は大きく変わった。文部省(現文部科学省)は教育改革のポイントとして、多様な選択ができる学校制度▽現場の自主性を尊重した学校づくり―などを掲げる。新教育課程でうたうのは“生きる力”の育成だ。
昨年10月。同会のメンバーらが文部省との折衝に臨んだ。
「校舎を建てる必要はない。空き教室など既存の施設でかまわない。新しい学びが展開できたらと思うんです」。佐々木が口火を切った。
「理念はよろしいが、私どもは今の学校制度が絶望的で、取り換えねばならないとは思っていない」。担当者が言葉を選びながら答えた。
「学校を選ぶ。その幅を公立にも」との訴えに、文部省側は「新しい形より、今の学校で改革を進めることが先決」と繰り返した。「公立学校は税金を使って設置する。現段階で例外は認められない」。基本線は崩れなかった。
が、向かい風ばかりではない。追い風も吹き始めた。
湘南の運動に共鳴する動きが東京、滋賀、鳥取など各地に出てきた。兵庫県のように日本版チャータースクール開設を検討し始めた自治体もある。
2001年。同会は、学校基本法や学習指導要領などの適用除外を求める「チャータースクール法案」の作成に乗り出した。
各地のグループとつながり、公教育に風穴を開けたい。全国規模の推進センターを設立、藤沢に事務局を置く。
佐々木が言った。
「不登校児は全国で13万人に上る。しかし、今の学校はどこも責任を持って対応しない。おかしいでしょう。
私たちは、あくまでも公立にこだわる。湘南小のような新しい学校が生まれることで、従来の教育現場にも『このままでいいのか』という見直しの機運がきっと生まれますよ」』
(一部省略)
5957.7/3/2008
創り出す会の足音...No.45
2001年8月1日 夢キャン2001開校
藤沢の事務所に韓国からのお客さんが来た。
5月19日。ソウル青少年代案教育支援センターの金敬玉さんだ。代案とは、日本語では代替がもっとも意味が近い。英語でオルタナティブのことだ。既存の学校に替わるものという意味がある。アメリカのチャータースクールは、オルタナティブスクールの典型的な学校だ。ソウルでも、若者たちの学校離れが加速していた。大学とソウル市が共同で、そういう若者たちの居場所を作った。それがソウル青少年代案教育支援センターだ。後に、創り出す会のメンバーは現地を訪れることになる。そこで働く金さんは、若くて才能豊かな女性だった。日本語が堪能で驚いてしまった。
日本国内の不登校やフリースクールの取材で来日していた金さんは、インターネットを通じて湘南に新しい公立学校を創り出す会のことを知っていた。チャータースクールが日本で定着しない理由を質問された。韓国では、政治も経済も文化もどちらかというと日本の何年か後をゆくケースが多かったという。しかし、増加する不登校に対する行政や民間団体の対応は、はるかに日本よりもスピードが速かった。その背景と理由を知りたかったという。わたしは、これまでの湘南に新しい公立学校を創り出す会の活動や行政の対応を思い出しながら説明した。韓国以上に官僚的な教育行政にため息をついていらした。
同年3月25日付の日本経済新聞より……
http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/dekigoto/010325n.html
『公立民営に法の壁
生徒の自主性を尊重する米国にはそぐわないようにみえる教育理念。それがなぜ公立校で導入できるのか。独自の教育システムを公立校で実現する仕組みがあるからだ。
税金を使って民間が運営する新しいかたちの学校(チャータースクール)――。州や地区の教育委員会から認可(=チャーター)を得れば、規制に縛られず、だれでも税金で公立学校をつくれる。税金を使う代わりに、説明責任が強く求められる。チャーターは、ほぼ5年ごとの更新制。成績向上の公約を果たせなければ閉鎖される。1991年にミネソタ州が導入して以来、全米で2000校に広がった。
パシフィック・リムは、ブラスディール氏ら数人の教員が1997年に開いた。昨年の州統一テストの成績は、州やボストン地区の平均を大きく上回り、入学の順番待ちは390人にのぼる。
米国でチャータースクールが急成長する背景には、荒れる公立校への不信がある。それは日本も同じだ。
神奈川県藤沢市の小学校の佐々木洋平教諭は「湘南に新しい公立学校を創り出す会」を結成した。きっかけは学級崩壊への対応だった。
2階からはさみやチョークが降ってくる――。荒れた学年で担任制をやめ、1998年に算数で習熟度別指導を導入。その効果で騒ぎは収まった。だが同僚からは「目立ちたがり」と冷たい視線を浴び、指導は2年で打ち切られた。
「学年の輪切りでなく、子どもの進度に応じて教える学校をつくりたい」。空き教室活用による新しい学校設立を地元教委に提案したが、壁に当たった。
チャーターのルールがないのだ。日本で学校を運営できるのは国か自治体か、学校法人(私学)だけ。法律がそれ以外を想定していない。
「多様なチャータースクールづくりが既存の公立校を変える」(民間シンクタンクの「構想日本」)、「一定数の署名を集めれば地域の有志が学校をつくれるようにする」(金子郁容慶応義塾幼稚舎長)。新しい学校づくりを求める意見は強まっている。だが肝心の文部科学省の腰は重い。
企業までが公教育を担う米国との距離は大きい。
米店頭株式市場(ナスダック)に上場するエジソン・スクールズ(本社ニューヨーク)は、全米で113の公立校を運営する。1996年から運営するマサチューセッツ州のセブン・ヒルズ・チャータースクール。「学校を良くするには生徒の成績を上げるほど教員が報われる仕組みが必要」とボブ・マーティン校長は話す。
能力給とストックオプション(自社株購入権)――。エジソン急成長の秘密は教員のやる気を引き出す仕組みにある。教員の勤続経験だけでなく、生徒の成績を上げたかどうかを評価基準にする。
エジソンには「もうけ主義」という批判もあり、サンフランシスコでは契約打ち切りの紛争も起きている。だがチャータースクールが全体として学校の活力を高め、地域の既存の公立校にも刺激を与える側面は否定できない。
ブッシュ大統領が州知事時代にチャーター法を制定したテキサス州。「伝統的な公立校がチャータースクールをまねて制服着用を検討したり、教育カリキュラムを変える動きがある」(同州チャータースクール支援センター長のパッツィー・オニール氏)
公教育の停滞をどう打ち破るか。新しい担い手に学校運営をゆだねる米国の試みは、一つの答えだ。挑戦なしに改革は始まらない。』
(一部省略)
5956.7/2/2008
創り出す会の足音...No.44
2001年4月14日 「市民が創る公立学校」刊行
橋爪さんを招聘しての理論研究会特別ゼミの記録より……
画一的な学校はうちの子に合わないと思う親ほどチャータースクールに期待している。普通の公立学校で不適応、不登校の子どもたちを教育する学校は存在理由も明確。芸術面にしても、普通の学校では十分に教えてもらえないと考える家庭は、期待するだろう。学力全般を伸ばして欲しい、普通の子どものために、というニーズもあるだろう。チャータースクールはターゲットをはっきり絞った方がいい。
しかし、逆に危険な面がある。潜在的なお客さんを狭めてしまい、学区を拡大していかないと児童が集まらないことになってしまう。注意散漫児の学校など作れば片道一時間半でも親は通わせる可能性がある。でも、本当は通学時間は三十分くらいがいいだろう。
卒業後普通中学に通わせるなら、またいずれ大学など通常の教育システムとの接合性を考え、折り合いの問題がないように、しておく必要がある。まったくカスタムメイドの、自己評価・自己申告制の教育にする場合、学年進行での学習にはならない。そうしたら、手間が掛かるから、教師のニーズが増え、コストの問題が出てくるだろう。
公立ではない、月謝の掛かるフリースクールに通わせている家庭にとっては、多少コストが高くてもそういう公立学校に通わせた方がいいと考えられる。費用対効果で考えるならば、地方自治体、議会が納得し、有権者に説明できるプランであるならば、文部省もそのくらいの幅では認めてくれるだろうし、養護学校の一種と考えればカリキュラムの自由も広がるし、まあ養護学校と普通学校の二つしかないのは問題だから、作ってもいいと思うが。
誰に説明する責任があるか、というのが今のこの会でははっきり見えにくい。説明する相手は親たちではなく、藤沢市民全体であり、神奈川県民全体。
ここが最初の学校になるのか?だとすると、見学がいっぱいで教育ができないかもしれない。ここが基準になる。最初が肝心で、変な説明の方法にしてはいけないと思う。
チャータースクールはテレビでも紹介され、考え方は少しずつ広まっていっているが、具体的に国内で開校・見学され、検討される時期に来ていると思う。
今日、この会でそういう息吹を感じることができた。(引用はすべてではなく、記録の一部分をつないで掲載した)
出版から2ヶ月間、理論研究会の集大成として専門家のふたりを招聘して特別ゼミを開講した。その準備や当日の進行、終了後のお礼などを含め、雑務は多かった。同時に、出版した本をもっとほかのひとに渡すから送ってくれという依頼が事務所には多く届いた。文教部会でお世話になった方からは文部科学大臣に渡すと言われた。市民政調でお世話になった方からは党内で若手に学習させると言われた。また、創り出す会でも出版を記念した講演会を品川、藤沢、横浜で開催した。
同じ職場のひとが、偶然本屋でわたしの名前を見つけて購入した。購入してあっという間に読破して、わたしに言う。
「こんなすごいことをしていたなんて、全然知りませんでした。どうして教えてくれなかったんですか」
「俺たちは現職の教員だから、仕事中にこういうことをするなって、昔、教育委員会から言われたんだよ」
「だって、勤務中に自分が教えているスポーツ少年団のちらしを印刷しているひとや、年賀状を印刷している管理職だっているのに」
「きっとそういうことは大目に見ているんじゃないのかな」
「なんか不公平ですね」
活字というものは、それは間違いでしたと言っても消えない。だから、活字の印象は読者のなかで増幅する。著者と日ごろから職場で机を並べていたという事実に、きっとそのひとは動転していたのだろう。
5955.6/30/2008
創り出す会の足音...No.43
2001年4月14日 「市民が創る公立学校」刊行
橋爪さんを招聘しての理論研究会特別ゼミの記録より……
同じ質問をすると同時に、ユニークな教育が行われるのは矛盾するのか。自由度を学校はもっていなければならない。公立学校でも行われることをやったうえで、さらに特色を持っている、というような高い目標をもってもいい。基礎学力についても親には、半分くらいは説明した方がいい。社会の一般的な期待を反映しており、それが社会の現実。それと向き合っていってほしい。
社会がひとり一人の子どもに期待することから目を背けてはいけない。その要素を十分織り込まなければ、湘南小学校の開校は、難しいのではないか。
基礎学力をどう考えるか。この会の動機はよくわかるが、親として考えると教師からの指示、知識伝達はあってもいい、と思う。なぜ計算などを用意するのか、社会からの要請があり、教員はそれを受けている。これは、社会の一員として生きていく人権を保障していくことである。
アメリカで問題となっているのは、貧しい地域の教育費不足による低学力のままの卒業。いい就職先にありつけなくて、町がスラム化し、それらが再生産される。
読み書きができて、社会習慣が身について、ということが学校で教えられないと人権問題になる。本人の基礎学力を伸ばしてやらないと、社会で生きる力をもたせられなくなる。日本でも、近年の高校の状況を見ると、そういう問題が出てきていると思う。
子どもがその時好むと好まないとに関わらず、家庭でしかる、しつける、と同様に、学校は子どもが好むことばかりを用意すべきではない。であるからこそ、わかりやすく無理のない形で自発性を待つ、進度別の授業などを用意する必要がある。学校も社会の基礎の上に成り立っている。社会の現実性の上に立つことが必要。
社会の要請を避けて、天国になっては困る。学校の中でも形を変えて通用している必要がある。社会的不適応になる心配がある。社会の中で要求されるモラルや規範が家庭でも要求されないと困るように。最小限であるがきちんと伝わらなくてはならない、と考える。
チャーター(権限を与える)を基本としている。イギリスの法律の枠から発想していると思うが、国王が全ての権限をもともと独占していて、権利の委譲、分割が行われる。東インド会社が作られ、権利がうつされ、商売ができた。権限をもっている人がいないと、チャーターを発行する人がいなくなってしまう。州立大学が認可できたり、教育委員会だったり、州知事だったり、みんな初等教育を行いたいという者に、やらせる実態を持っている団体だと思う。
その辺がアメリカでも混乱していると思う。契約が達成されないと取り消されるのであるから、ずっとコントロールやチェックはかかっている。税金を投入している公立学校で、期限付きで目的が達成されなかったら、取り消される。
自治体は取り消されたりしない。学校の選択の自由があるので、閉校してしまったら親は別の学校、もっと良い学校に子どもを移した方がいい。閉校は悪いことではない。5-8%がクローズするのは、企業と同様に考えたらそうおかしい数字ではない。
わたしは、一般の公立学校とチャータースクールが並立するのでなく、学校がみんなチャータースクールでもいいと思っている。あまり一般とチャータースクールを分けて考える必要はない。
学区制は、視察した学校は完全学区制だったが、田舎の方はエリアは大きいが、地方税住民税と州の税金も入れて、高校を一つ、中学校を 校、小学校を十校ぐらいもっている。転入は認めない。学校を選ぶと人種とか階層で学校が分かれてしまう問題がある。完全学区制にすると、博物館に行くとタウンごとに、学校の比較資料がある。教員の平均年齢など。子どもの教育のために居住地を決める、ということになる。いろんな親が集まる人気のある地区は地価が上がり、低所得者がはじき出される。自治体としては、自己防衛の手段となる。これはアメリカの理念と反する部分がある。完全学区制を維持すると、地元と学校の結束は強くなるが、地域格差が広がる可能性がある。日本では好ましくないのではないか。スラムがあまり存在しないといういい面がある。
コミュニティは地理的でない、いくつかの学校を一つの地域でも選べて、通える方がいいと思う。(続く)
5954.6/29/2008
創り出す会の足音...No.42
2001年4月14日 「市民が創る公立学校」刊行
橋爪さんを招聘しての理論研究会特別ゼミの記録より……
アカウンタビリティは、結果責任と訳しているようだが、説明責任かな、と思う。
説明責任には、事前に説明することと事後に説明することがあり、事後が結果説明の責任。事後に説明し、納得してもらう。
説明について考えると、関係性のなかでは、説明というのは、したいときにして、したくないときにはしない。質問されても、答えなくてもいい。正確でなくてもいい。というのが一般的なとらえだ。
特別な場合にだけ、質問に対して必ず答えることと、正確さが求められる。
証拠を挙げて真実を述べる立証責任(例として、被告や疑惑の場合)は、権限の強い者たちをコントロールし、立場の弱い人たちを守るために必要なものだ。
チャータースクールに、説明責任が求められるのは、学校の権限をコントロールするため。
学校は便宜を図ってもらったり、資源を配置してもらって授業を行う。これは権力にほかならない。子どもはそこで影響を受ける。学校に対して弱い親は、子どもが満足のいく教育を受けられているか、を判断する。同時に、納税者に対して、学校がとんでもないことをしていないことを示す。市民に説明する。校長が保護者に説明するのと違う。
親は学校に、教育のパフォーマンスを期待している。わかりやすいのは、他の学校と比較したもの。既存の公立学校よりも劣っていない、やれなかったことをやっている、やっていたことをやっていたとしても特色がある、こういう学校があってもいいよね、と思わせる必要がある。既存の学校は、文部省や行政の官僚機構の一部であり、校長は決められたことを遵守する立場にあり、教育の内容について、親に対して説明する責任はない。
親が学校を選択する場合、事前にも事後にも説明が必要。相対的なパフォーマンス。データがほしい。他の学校と比較できない特色もいいが、比較可能なデータも出す必要がある。就職に差しつかえるような基礎教育に手を抜いていないか、など。納税者の理解を得るため。
事前に説明する場合、教育目標を説明する。ひとり一人に対してどんな教育を与えるか。達成度を評価する。親に説明する。親は、ひき続き学校を信任するか決める。
教育、学校の理念は、校長と教員のチームが共有しているテーマ。個人個人の教育者としての理念でなく、議論可能な理念。具体的なプランの提示。卒業までにこれができるようになる、など。それらは、親が判断できるくらい具体的である必要がある。さらに、学校から外へ持ち出せるくらい客観的で、他の学校と比較できるものがいい。ある程度共通のフォーマットがあったらとも思う。
理論会がまとめた評価の基準(やりたいことをやり続ける理由を説明できる子どもが卒業生の80%以上する)は、客観的かどうか疑わしい。具体性に乏しい。他の学校と比較しにくい。説明の練習をしてしまうかもしれない。子どものパフォーマンスを基準に掲げないと。
共通の基準をもっと開発していく必要がある。今は絶対評価とか相対評価とか、ちまちましたものはあるが、尺度がない。親にも学校にもわかりやすいもの。
さらに経理についての尺度も必要だろう。資金がどうもちいられたか。財務表のようなもの。見積もりの甘さ。人事など。
どのように教育が行われるか、というカリキュラム。どのような教育効果を収めたのか。
学校の説明責任をどのように問うか。
教育の結果は社会の中であらわれるか、そのために学校がどんな役割をもっているか、ということ。家庭ではできないことを学校が用意できる。学校の卒業生が社会で活躍することによって往復運動が起き、社会からの要請も寄せられる。卒業時は潜在的。何十年も後、社会の中で作用をもっていく。親になって子どもを教育するときにも間接的に表れてくる。影響を残すがこれを測定することは、難しい。すぐ目に見えないが、一体どうやって評価するのか、子どもが表現する力が十分にないから、大人になってから表現するかもしれない。その当時つかみ取る方法がない。そこで、とりあえずの指標として、親の満足をと考えている。とくに小学校低学年。親も偏見にとらわれるが、信頼しなければいけない。
学校がそれを測定するわけにはいかない。誰か、広い範囲でいろいろな学校に子どもを通わせている親に共通の項目で質問する。客観的な評価。統一アンケート。自主性はついたか、文字の能力はどうか。学校に行く意欲は?いじめはどうか。など。そういう質問があったとしても、湘南小学校は評価されるようにしておかなければいけない。(続く)
5953.6/28/2008
創り出す会の足音...No.41
2001年4月14日 「市民が創る公立学校」刊行
黒崎さんを招聘しての理論研究会特別ゼミの記録より……
コミュニティスクールはイギリスの学校制度を、少し勘違いして受けとめているように思う。
学校を認可する機関としてとらえるならば、アメリカでは認可できる機関を増やした。イーストハーレムの場合は、教育委員会が非常に進歩的で、自分が管理している学校を動かすためにこの仕組みを作ったが、セントラルパークイーストとベーカースクールともうひとつと3つの学校が早かった。ベーカースクールは東京シューレのような不登校のこどもたちが多かった。もうひとつの所は自由主義的、もうひとつはダンスが特色だったので、あまりに普通の学校と違い、従来の学校の教師は脅威に思わなかった。反対されないような学校から始めた。始めたら何が起こったか。そっちの学校の方がいいと思う子どもが増えたから、ちょっとカラフルな学校な学校に刺激を受けてもうちょっと従来の学校も見栄え良くしていこうという方向に変わっていった。
神奈川県教育委員会や横浜国立大学や横浜市立大学などに認可権をもってもらったらどうか。
さきの勘違いの続きだが、サッチャー型の学校改革は、学校というものを地域の住民が設置できる仕組み。イギリスでは、議会と教育団体が結びついていて、そこが労働党の大きな勢力で、そこをつぶそうと思っていた。だから、独立して学校を作って良いという仕組み。政府から直接お金をもらう学校になろうと思っていた。学校で親がそういう手続きをとろうと思ったら、できる。
コミュニティスクール構想では、設置者を増やす。親が望んだら別の学校を作ろうとすることができる。何人かの親が集まったら作れる、という仕組みが良い。1980年代にカリフォルニアでやろうとした人がいて、50人くらいの子をもつ親が請求し、住民投票で通らなかった。請求を制度化しようというものだから。
現代の教育の行き詰まりを指摘することは、文部省批判になる。文部省は学校の運営の細かいところまで指示を出している。プロセスの管理。結果責任は、やり方は自由で結果を問う。プロセスの管理をしていると結果責任を問えない(結果まで指示を出した者が問われる)ので、よくならない。
この会が文部省から良く思われないのはしょうがない。
日本の国力の展望が明るかった時代の答申で、学校選択制度について書いてある。先導的試行という計画を打ち出した(中央教育審議会46答申)。幼稚園の年長と1年生を結びつけるなど、学校の区切り方に意見があった。急にそういう改革はできない。やってみたいが実験だから、嫌な学区域の子どもはよその学校に行っても良い。学校のような安定性が必要。今まで失敗しなかったのか?安定した制度である必要はある。あえて、失敗してでもやってみようという。それで初めて学校が変わる。あのときは教育改革を表に立てて、学術的なデータを集めるためにやろうとしたが、今ある公立学校の制度を全部変えることは難しいが、一歩はどこから始めたらいいのか。日本型チャータースクールはそれでいいのではないか。(引用はすべてではなく、記録の一部分をつないで掲載した)
そして6月、橋爪大三郎氏(東京工業大学・当時)を招聘して2度目の特別ゼミを開講する。橋爪さんは「選択・責任・連帯の教育改革【完全版】」、「ヴォーゲル、日本とアジアを語る」、「幸福のつくりかた」など、著書多数。
橋爪さんは早くから公立学校の学区制について疑問を投げかけ、どこを切っても金太郎飴状態の公教育を批判してきた。わたしたちは、結果に対する責任を追う考え方について、理論研究会最後のゼミで橋爪さんと意見交換をした。
5952.6/26/2008
創り出す会の足音...No.40
2001年4月14日 「市民が創る公立学校」刊行
黒崎さんを招聘しての理論研究会特別ゼミの記録より……
学校選択は市場原理とは別のものとして実現するためには、選択と言うところが同じ。これに違う役割を果たさせる仕組み。規制された市場として、修正された資本主義という意味で受け取られる。そうじゃなくて、違ったものが生み出される仕組み。親が自由に選択するなかで、教育状況の結果が市場的なものと違った結果になる。
いくつかの中から選ぶのと、普通の学校があって、もうひとつ違った学校があって選ぶのと、その違い。品川の形だと必ず選ばなければならない。このメカニズムは全く違う。最初のタイプは学校間で競争させるが、もうひとつの形だと無理なことしないでじっとしてよう、と考えることもできる。
この学校では自分の腕を本当に発揮したいと思っている人が自分の新天地を求める意味で、そういう意識を学校の教師に生み出す。ある学校では、教師たちが理解しあって何かやろうとしている、それはいいのだが、それは不可能じゃないか。教師の腕が発揮されるならいいと言う教育学者もいる。しかし、仕組みが教師のチャンスを許さないなかで、教師が自分の腕を発揮したい、というそういう気持ちを生み出す仕組みを作ることが大事。
学校のなかにいろんな人がいて、校長のリーダーシップを高めて活性化しようというのは、うまく動いていくとは思えない。そういう無理なことはしないで、チャータースクールのような新しい学校を一つずつ作っていく方法は、本当に力のある人たちに意欲を与える。
このメカニズムの良さは、親が学校を見て、どうしてこっちではできないのか、と尋ねる。どうしてあそこでできてここでできないのか、と問われることが今まで無かった。理想的な学校の理論が固まってもそこの人たちが思っているだけではダメで、自信や使命感のあるのは大事だが、誰もやってこない学校ではだめで、選ばれて初めて正当化する。自分のなかの正しさだけで仕事をするのではだめで、正しいにも関わらず評価される、そして潔く改めたりしながら時代が変わっていったりして良くなっていく。こういう形の学校選択では選ばれたり選ばれなかったりしてそこを変えていくことができる。
いい校長のいる学校に子どもを通わせるというのはいい方法だが、品川区の校長は新学期に代わったり、学校を卒業するまでに代わってしまったりする。学校の教員が一つのチームに、と言うが、今の人事ではそうはならない。
教育の理想は様々あり得る。校長のリーダーシップでも立てとかないとまとまらない。本当のところ、親が学校を選択する前に教師が学校を選択する。こういう学校でこういうふうに働きたいと言って集まる。それを親が選択するかどうか。選ばれたとき、学校ができあがる。今まで教師にそういうチャンスがなかったのではないか。本当に学校に求められていることは、教師が主体的にその教育の場を作り上げていく、構想力だと思う。その気持ちを育む制度。その地域の一番質のいい教師が学校を作り、他の教師が親に問われていく。
みんなが本当にそれを信じて献身的にやっていても、来た人がだめだと思ったらそれは正しい。教育が選ばれるとか、自分のやっていることが理解されるとか言うことはそういうこと。
僕の考え方は徹底していて、学校の結果責任とか評価はいらない。選択されたということが評価。学校評価にも様々なやり方があるけれど、そういうやり方ではできない。100年立たないと学校は評価できない、と言って済ませられた時代は終わった。学校の現状としての評価は低いから。学校は評価できる。でも、本当に適切な形で評価されないと学校は崩れてしまうから、選択というのはそのなかに学校を評価する仕組みを含んでいると思う。選択というのは、そこで教育の評価があって、それが最も適切な評価だという観点が必要だと思う。
もうひとつ、現実的な問題としてそこにやってきている人が納税者として、という考え方は言いと思う。教育を受けたいという人と教育を与える人が良いと思っていればそれでいいのかと言う問題がある。あの仕組みを通して最終的にその地域の学校がみんな良くなる、ということが力点。ある一つの学校の成功がその学校の生徒が良い思いをするということだけでなく、藤沢市や神奈川県全体がよくなる、ということが全国的に広がるためになる。それがどういう風に近隣の学校を変えていくのかということを考えてほしい。
ここが学校選択の仕組みを変えていく一番のポイントになると思う。そうでないと私立学校を公的に支援することにとどまると思う。私立学校に対する援助、私立学校を親が作っていくときの援助として公設民営としてできあがるのも一理あるが、公立学校として存在するには、公立学校全体に影響を与えることを考えた方がいい。
セントラルパーク・イースト・スクールは、作ったとき、予定の半分くらいしか集まらなかった。小学校なので、幼稚園などに若干のチラシを作った。三ヶ月以内に行列ができて入れなくなった。セカンドという学校、リバーサイド(サード)という学校ができた。創設者のデビー・マイヤーは「統一学力テストは受けるように言われたが、そういうやり方でこの学校をはかってほしくない」と言い、いつなんどき教育委員会が学校を見に来てくることを拒まないと主張した。テストは学校評価につなげないけど受けてくれと言うことになった。
ところが実際にはテストの結果、ニューヨーク第4学区全体が、数年で30のコミュニティの最下位から12位〜18位のランクになった。この数字は外部の人に自分たちの成果を説明するには便利だった。それが重要だった。数字の力は大きい。レーガン政権に表彰された。評価は難しいが、その学校が選ばれる、志願者が絶えない、ということでいいのではないか。本当の意味で評価というのはそれでいいのではないか。(続く)
5951.6/25/2008
創り出す会の足音...No.39
2001年4月14日 「市民が創る公立学校」刊行
3月の後半になって、コモンズから本の試作が届いた。わたしはそれを持って、社長とともに県内の大きな書店をまわった。書店といっても、客が来る店頭ではなく、本社の営業部だ。そこで担当のひとに本の宣伝をして、県内各地の直営店に並べてもらう計画だった。そこでわたしは小さな出版社と大きな書店の上下関係を知った。あくまでも書店は本を置かせてやるという立場だったのだ。売れる本ではなく、いい本を出版したい出版社とは根本から考えが異なった。売れれば内容はあまり興味がないという書店の態度は、とても気になった。
3月31日。創り出す会は、4回目になるシンポジウムを産業センターで開催した。慶応大学の金子郁容さんと札幌大学の鵜浦裕さんを招いてのシンポジウムだった。金子さんは教育改革国民会議でコミュニティスクールについて構想をもっていた。鵜浦さんはアメリカ文化が専門でチャータースクールについて深い知識があった。両者とも、創り出す会のことは知っていたので、ダブルパネラーとして、日本社会におけるチャータースクールの可能性について議論していただいた。もともとコミュニティスクールはイギリスの伝統から生まれた公立学校改革だった。イギリスと日本では、地域の自治能力や質に大きな違いがあり、イギリスのやり方をそのまま日本社会で応用しようとすると無理があるのではないかとわたしたちは思っていた。そのあたりも、シンポジウムのなかで説明していただいた。
その後、全国の公立学校にコミュニティスクール構想に基づく学校評議員制度が導入された。しかし、実態は金子さんのイメージとは大きくかけはなれた。当初、わたしたちが心配していた通りの地域の名士の集まりになった。
4月12日。藤沢の事務所に本が届いた。書店には14日から並ぶ。
藤沢駅前の大きな本屋に行く。平積みで「現役教員による書き下ろし」という札がついていた。自分の本が、大きな本屋に並ぶという経験は、きっと一生に一度だろう。自分で書いた本なのに、わたしは読者を装って立ち読みをした挙句、購入してしまった。
4月21日。最後の理論研究会が開かれた。そして、5月と6月に特別ゼミを設けた。大学の教授を招聘しての学習会だ。
5月は、黒崎勲氏(東京都立大学・当時)。黒崎さんは、「学校選択と学校参加」、「教育行政学」など多数でニューヨークの教育改革について詳しかった。創り出す会の発足当時から、資料や会報を届けていた。
【黒崎氏による話題提供からの引用】
もともと学校選択に関心をもったのは、1980年代に臨時教育審議会が教育の自由化を話題にする少し前頃。教育バウチャー制度に関心をもっていた。
はじめは、否定的にとらえていた。
1960年代、アメリカに大規模な教員の労働ストライキがあった。保護者と教員の摩擦が起こるのではないか、と思っていた。住民が反発し、教員は職業的な利益を優先している、と訴えた。その地域の学校は、その地域の人が決めるべきだ。ニューヨークは800万の都市で、その後30くらいの小さなコミュニティに分かれた。地域的特色があって、その後行政区を作り、通常の教育委員会の他に、仕組みを作った。そういう実験は社会にとって意味がある。実験区で教育長を雇い、自前で教員を採用した。今までの学校で教えたことのない内容。もっと地域活動に教員が参加し、地域と密着してということで、夜の集まりにも強制的に参加させられた。労働協約に反するとしてストライキに。それで今までの教員を全員解雇し、自前で雇う。地域で教員になり損なった人や大学院生など、人件費の安い人が集まる。高いピークはたもったが、数年で収束する。
分権化の成果として、過激な部分を抜き取って収拾させた。
学校がどういうところか。長く教員をやってきた人が考える学校のあり方と住民の捉える学校像が異なる。
クリストファー・ジェンクスが、「選ばせればいい」と提唱する。そうしたら、狭い道でもハーバードまで行く子もいた。今までの学校でいいと思っている人もいるのだから、選ばせ、資金は出そうということになった。その後アメリカに行った。(続く)
5950.6/23/2008
創り出す会の足音...No.38
2001年4月14日 「市民が創る公立学校」刊行
2001年の1月は理論研究会、定例会、ワーク、無認可湘南小学校を開きながら、執筆を続けた。いま思い出してみても、仕事をしながら、よくそんな時間があったと思う。何かに向かってまっしぐらに突き進んでいるときは、ほかのことが目に入らないのかもしれない。
そして、2月4日。「市民が創る公立学校」の最後の原稿をコモンズに送った。一次原稿が送り返され、それに手直しをした最後の原稿を送ったので、いわゆる脱稿だ。ふーっと肩の荷が降りた。作家とは過酷な仕事だと痛感した。
2月の理論研究会では、こどもの評価について検討した。
それにより、こどもたちにとっての評価とは何かという根源的な課題と向き合う。そもそも自分が学びのなかみを決めるので、それについての活動を自分以外のひとが行うというのはよけいなお世話になる。その前提に立ち、それでもあえて社会的な視線に向き合うこどもを育てたいと思った。だから、評価を受けることを決めた子どもは、次の六つの事柄を決定する。
@ whatどんなことについての評価を受けるのか。
A whoだれに評価を受けるのか。
B whereどこで評価を受けるのか。
C whenいつ評価を受けるのか。
D Howどのような方法で評価を受けたいのか。
E whyどうしてこのような評価方法を決定したのか。
昨今の教育現場では、教員の評価が管理職によって行われている。それが給料に連動するものだから、自治体によっては管理職の顔色ばかりうかがう教員が増えているらしい。自分の主義主張や教育観などどうでもいいのだ。管理職による受けをよくすることが至上命題になった。学校が荒廃していくのは当然の帰結だ。
わたしたちは湘南小学校のこどもにとっての評価を考えたとき、評価を受ける主体を尊重した。評価をする側が主導権を握るのではなく、学びの主人公が評価まで責任を負うという考え方だ。
2月16日。わたしは品川区教育委員会生涯学習部学習振興課主催の社会人講座に講師として招聘された。夜の19時からという時間帯にもかかわらず、50人近い社会人が参加していた、タイトルは「チャータースクールの試み」。地元の藤沢ではとうてい考えられない企画だ。学校選択制を早くから導入していたことや、若月教育長に湘南までお越しいただいた縁もあったかもしれない。もちろん参加したひとは、全員がチャータースクールについて知っているひとではない。また賛同するひとばかりでもない。社会人講座の一環として、行政がチャータースクールを取り上げたことが画期的だった。2008年現在、湘南地域のどこの自治体を探してもチャータースクールと名のつく社会人講座を目にしたことはないのだから。
3月の理論研究会の記録には、湘南小学校の評価について触れている。
「前回と今回の二回の研究協議で、わたしたちは湘南小学校における子どもの評価について、考え方をだいぶはっきりさせることができた。
○ 湘南小学校では評価の主体は子どもである。
評価論議で問題になったのは、だれがどうやって子どもを評価するのかということだった。この前提は、子どもが自らを評価することを枠外に考えてしまう危険性があることに、わたしたちは気がついた。
自分で計画を立てた学びを実行する湘南小学校では、その学びの結果、自分がどれだけ育ったかを判断する主体は、やはり子どもであるべきだと共通に確認された。
○ スタッフの役割は、子どもの育ちを気づかせる手伝いである。
だから、スタッフは自分の一方的な価値観で、子どもの学びを評するのではなく、子どもの育ちに気づけるようなアドバイスが求められるようになる。どう考えても、すべてに視点をあてても、育ちが見えない子どもがいた場合は、「自分にはこの子どもの育ちに気づく力量がない」ということに気づき、べつのスタッフとその役割を交代すればいい。」