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5599.2/15/2007
皮膚科通い(5)

 三回目の皮膚科通い。毎日入浴後にくるぶしからしたの部分に水虫の薬をきちんと塗り続けた。前回は、菌の細胞壁は壊れていたものの、菌自体はまだ足の裏に滞在していた。二ヶ月も薬を使ったのだから、そろそろ全滅していていいのではないかと思った。
 いつものように靴下を脱いで、仕事帰りの足の裏をドクターの顔先に見せる。といっても、わたしが大きく足を上げているのではない。患者用の丸いすに腰掛けると、踏み台のような小さな台がある。そこに足を乗せる。裏が見えやすいように、乗せた足の裏が見えるようにかかとから曲げる。ドクターはしゃがんで、そこに顔先を近づける。このひとは、足の裏にたまらない興奮でも感じるのではないかと思うぐらい、顔を近づける。きょうも、ピンセットで組織をつまみとり、顕微鏡で観察した。
「あれー、おかしいなぁ。まだ菌がいるよ。薬があわないのかな」
少なからずショックを受ける。二ヶ月も続けてきた治療は、役立たずだったのか。
「だいたい、水虫には三種類の薬があるのね。どれが、そのひとの水虫に効くかは使ってみなきゃわからない」
本当だろうか。これだけ医学の進歩した時代に、実際に薬を使わなきゃ、効果が見えないなんて。
「だから、薬局の薬はだめなんだよ。三種類の薬があることなんて、説明していないでしょ。どれが効くかはわからないから、素人は値段とか薬のパッケージとかを基準に買ってしまう。効かないと、安いのを買ったからかなぁなんて納得しちゃう」
そういうことを聞きたいんじゃない。
「あのー。この先はどうすればいいのでしょうか」
「やっぱり、薬を変えよう。今度の新しい薬も、いままでと同じようにくるぶしから下に毎日入浴後に塗ってみてね」
あっさりとしたものだ。せっかく、続けてきた治療は意味がなかった。この落ち込みを、ドクターはわかっていない。ごめんねとか、申し訳ないという言葉はない。それに、ちょうど前回の薬を使い切ったわけではないので、まだ残っている薬はどうすればいいのだ。買い取ってくれるとでもいうのか。それに、三種類の薬があるということは、今回処方される新しい薬も、わたしの水虫には効かない可能性があるということだ。ふたつにひとつ、50パーセントの確率で、外れかもしれないのだ。入浴後に、治療をするモチベーションが下がってしまう。
 三回目の皮膚科は12月だった。なんと、秋口に初めてこの病院に来て、かんじんの掌蹠膿疱症の治療はまだ始まっていない。その前に治さなきゃいけない水虫の治療さえも、第一次治療は薬が違って失敗した。もう、この病院に通うのはやめようかとも思った。でも、ここまできて、引き下がってしまうのはくやしい。それに、自分としては、ドクターとの診察のやりとりも楽しく感じるようになっていた。
 しょうがない。年越ししながら、新しい薬での第二次治療を選択することにした。

5598.2/14/2007
皮膚科通い(4)

 毎日、入浴後に両足のくるぶしの下にたんまりと水虫薬を塗り続けて一ヶ月。効果のほどを知りたかった。靴下を脱ぐ。ドクターは先月のように、わたしの足の裏に顔を近づけて、ピンセットでいくつかのぶつぶつをつまんだ。試薬をつけて、アルコールランプであぶり、顕微鏡で調べる。その後姿を不安げに眺めた。ドクターは、顕微鏡に目を落としながら、教えてくれた。
「おー、だいぶ細胞壁が破壊されてきているよ」
「えーっ」
薬の塗りすぎで、健康な細胞を傷つけてしまったのか。
「ごめんごめん、説明不足だった」
ドクターは、顔を上げ、わたしの方を見て言う。
「水虫菌の細胞の壁が破れてきているっていうことだよ」
 これは、いい兆候だと思った。わたしは、この診察の後に、温泉に宿泊旅行に行くことになっていた。先月、水虫のプリントをもらった。そのなかに温泉の浴場は気をつけてと書いてあった。気をつけてといっても、どのように気をつければいいのかがわからない。温泉に行って、かんじんの温泉に入らないという無常な選択をしなきゃならないのか。
「あのー。今度、一泊で旅行に行くんです。温泉なんですけど、どんなことに注意すればいいですか」
 ドクターは、なぜか、にやっと笑って、待ってましたとばかりに教えてくれた。
「まず、洋服を脱ぐだろ。でも、靴下はぎりぎりまで脱がない。最後に靴下を脱いだら、すぐに浴場に入る。体重計には乗らない。あれ、みんな裸足で乗るから、とても菌が繁殖してるんだよ。逆に、出てきたら、すぐに足を拭いて、厚手の靴下を履く。下着はその後で大丈夫」
「先生、それだと、薬を塗ることができないと思うんですけど」
「そりゃ、すぐに塗ったほうがいいんだけど、風呂場の着替えているところで、足の裏を出して薬を塗っているのをほかの客が見たら、気が引けるだろ。だから、温泉に行ったときは、部屋に戻ってから靴下を脱いで塗るんだよ」
「でも、同じ部屋に宿泊するひともいるんですが」
「知り合いなら、それぐらいいいだろ」
 わたしは、水虫をカミングアウトするのはまったく抵抗がないのだが、抵抗あるひとのことを考えたとき、浴場に来た知らないひとと、いっしょに旅行に来た知り合いと、どちらに水虫を知られたくないかといったら、いっしょに旅行に来た知り合いだと思う。でも、そんな人間関係論をここでドクターに吹っかけたら、次の患者さんに申し訳ないので、「わかりました」と素直に感謝した。もちろん、実際に温泉に行ったときは、風呂から出てすぐに靴下をはかないで、バスタオルを腰に巻いて、先に薬を塗ったのは言うまでもない。

5597.2/13/2007
皮膚科通い(3)

 そんなに足全体に塗らなきゃいけないものだとは知らなかった。
「なんで、風呂の後かわかる?」
「からだが温まっていて、古い角質が落ちているからですか?」
「違うよ。たいてい、風呂には裸で入るだろ。薬を塗るために、いちいち靴下を脱ぐ必要がないからだよ。一日に一回でいいからね。よく年配のひとは、早く治そうとして一日に何回も塗るひとがいるけど、あれ、全然効果がないよ。薬が早くなくなっちゃって、もったいないだけ」
 なるほど、入浴後というのは、いちいち服や靴下を脱ぐ必要がないからいいタイミングというわけか。たしかに、からだを洗っているので、雑菌も落ちていて、薬もしみこみやすいだろう。
 わたしは、その日から毎日入浴後には、水虫用の薬と肌荒れを防ぐ薬をくるぶしから下の部分に塗った。少しずつ、皮膚の下に潜む水虫の元凶が退治されていく様子を想像しながら。
 そして、一ヵ月後にふたたび、皮膚科を訪れた。待合室には、小学校に入る前の小さなこどもを連れた母親から、仕事帰りの会社員、制服を着た高校生や私服の年配女性まで、様々なひとたちがいる。こんなに皮膚疾患で悩んでいるひとが、よのなかにはいるんだと、驚いてしまう。診察を終えて、待合室に戻ってきたひとが、前回、わたしがもらった水虫のプリントを手にしている。歩きながら読む瞳は、真剣そのものだ。自分が水虫と言われて、ショックだったのかもしれない。すぐになんとかなると思っていたのに、3ヶ月も治療を続けなければならないのかと憂鬱になっているのかもしれない。小さなこどもが診察室に入っていっても、歯医者のような断末魔は聴こえない。ひとによっては経過観察みたいなひともいるのか、1分から2分で終わる人もいる。
 わたしは、受付で診察券と保険証を提出する。ふりかえって、ざっと順番待ちの人数を数える。その人数だけ待てば、自分の順番が来ることがわかるからだ。いつになったら、自分の順番が来るのかわからないと、いらいらがつのる。ひとは、見通しがあるかないかで、精神状態が大きく違う。ときどき、自分よりも後から来て、自分よりも早く診察をするひとがいる。順番を待ち続けるのがいやで、診察券だけ出して、用事を済ませに別のところに行っているのかもしれない。その日は、そんなひとが多かった。わたしが来たときにいたひとは、自信を持ってみんな診察を終えてるのに、わたしの後から来たひとばかり呼ばれていく。さすがにこんなに連続して、早め対応のひとがいるとは思えず、観察した。確実にわたしより後に来て、診察券を出したひとがいる。しばらくしたら、案の定、そのひとが呼ばれた。頭にきて、受付に文句を言いに行く。受付のひとは、焦った様子だったが、順番を間違えていたことは認めない。案の定、文句を言いに行ったら、すぐに呼ばれた。
「いやー、ごめんね。順番を間違えていたみたい。たくさん待たせちゃったね」
ドクターは、けろりと詫びる。知らん振りをしていたら、診察料をただにしろと言いたかったが、あまりにも先手を打たれたので、「あっはい」と言って了承してしまった。

5596.2/12/2007
皮膚科通い(2)

 シャーレに取ったぶつぶつに試薬をつけて、アルコールランプで熱した。それを顕微鏡で眺める。わたしには、ドクターの後姿しか見えない。
「あらら、いるねぇ。うようよしている」
なんだか、声が上ずっている。
「はぁ?」
「カビ、菌だよ。ひらたく言えば水虫。業界用語で白鮮菌。わかる?」
「えーっ」
「これがいると、掌蹠膿疱症の治療は後回しなんだなぁ」
 デスクに戻ったドクターは、カルテに所見を書きながら教えてくれる。
「掌蹠膿疱症の薬を使うと、水虫は増えちゃうの。反対に、水虫の薬を使うと、掌蹠膿疱症は治らない。まずは、水虫を治してから、次に掌蹠膿疱症を退治しよう」
 わたしは、大学時代にワンダーフォーゲルという山登りの体育会に所属していた。その時代にも、水虫にはお世話になった。登山靴を履いて、何日も風呂にも入らずに山歩きをするものだから、どうしても水虫は増殖する。指と指の間がかゆくなり、やがて皮がむけた。就職してから、市販薬を使いながら、すっかり治ったと思っていたのだが、まだちゃっかり皮膚の下で生き続けていたのか。ドクターは、水虫に関するプリントを渡してくれた。
「水虫は、たくさんの種類があるんだ。見た目にはきれいな足の裏をしていても、皮膚の下で生き続ける。タフなやつよ。だから、それぞれの菌にあった薬を使わないといけないのに、素人は薬局で水虫薬を買っちゃうでしょ。あれ、効かないことが多いのは、自分の菌とあわないことが多いから。それに、水虫の治療には、最低3ヶ月はかけなきゃだめ。多くのひとは、見た目にきれいな状態になったら、薬を使うのをやめちゃうんだな。ちゃんと、専門家に任せてもらわなきゃ。こないだ、初老の男性に水虫ですよって言ったら、ちっとも信じてくれないの。わしゃ、そんなもん、なったことがないって。いくら説明しても不満そうだった。その後、来ないから、病院を替えたかもね。あっ、靴下を履いていいよ」
 靴下を履いて、ドクターからもらったプリントを読む。
「医者のなかにも、最低3ヶ月かけなきゃいけないことを説明しない悪いやつもいる。薬だって、何種類もあるのに、そのことを知らない不勉強なやつもいる」
 よくしゃべる。
「きょうの薬を、風呂の後にくるぶしから下、全部に塗ってね」
「くるぶしから下ですか?」
「そうだよ。靴のなかにある部分、全部ってこと。足の裏だけだと思ったら大違い。3ヶ月かけて退治しても、定期的に診察しないと、3年から4年後には、また感染しているから、気をつけてね」

5595.2/10/2007
皮膚科通い(1)

 掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という皮膚炎にかかり、昨年の秋から皮膚科通いを続けている。といっても、月に一度ずつ行くので、回数としてはそんなに多くはないのだが、生まれて初めて皮膚科のお世話になったので、通いながら発見することが多く、自分なりに楽しんでいる。歯科や耳鼻科と違って、治療に痛みを伴わないというのも通院の気苦労を軽減している。
 昨年の春頃から、手のひらに直径1ミリぐらいの水ぶくれができるようになった。放置していたら、それはやがて血豆のようになり、皮膚が硬化して、やがてぽろっと剥げ落ちる。最初はにきびかと思っていた。しかし、水ぶくれをつぶしても、なかから出てくるのはにきび特有のぬめっとした乳白色の液体ではなく、透明なさらさらとした液体なので、不思議に思っていた。そのうちに治るだろうと思っていたら、水ぶくれができる回数が増え、手のひらのあちこちにぼつぼつと水ぶくれや血豆や硬化した部分が混在するようになった。こうなると、暇なときはついつい水ぶくれをつぶしてしまう。すると水やお湯に触れたときに、つぶしたところがしみて痛い。いつの間にか、足の裏にも同じぶつぶつができていたので、たまらずに皮膚科に行くことにした。
「あー、これ、掌蹠膿疱症。原因はわからない。無菌性だから、抗生剤は意味がないよ」
わたしの手のひらを見るなり、ドクターが教えてくれた。
「ショウセキ?何ですか、それ?」
ドクターは、メモ用紙を取り、掌蹠膿疱症という難解な漢字を書いて、渡してくれた。
「なんで、こんな難しい漢字を使うのかねぇ。昔、病名を決めたお偉いひとたちは、外国語をそのまま日本語に訳してしまったんだよね。こんな字は、ワープロで変換しても出てこない。大病院の先生方は、患者のことなんて、何にも考えちゃいないいい証拠だよ」
おもしろいドクターだと思った。ひとりで形成外科もやっているので、バイクでガードレールに衝突した患者が訪れると処置(手術)が行われて、一時間以上も待たなければならない。腕は確からしい。定期的に学会に論文を発表していて、研究も熱心だという。処置が行われたときに、たまたま行く。
「いやー、きょうは3件も処置が続いた。たくさん待たせたね。運が悪かったとあきらめて」
慰めているのか、言い訳をしているのかわからない。
 手のひらだけではなく、足の裏にもできていることを告げる。
「靴下脱いで。足の裏を見せて」
両方の靴下を脱いだ。
「片方でいいよ。片足だけ皮膚炎というのはほとんどないから」
そういって、わたしの仕事帰りの右足の裏に顔を近づけたドクターは、ピンセットで3ヵ所ぐらいぶつぶつをつぶしシャーレに取った。

5594.2/8/2007
NFL2006-2007シーズン(15)

 ことしのスーパーボウルは、コンディションが悪いことが影響したのか、インターセプトは3回(コルツ2回・ベアーズ1回)、ファンブルは6回(コルツ2回・ベアーズ4回)もあった。スーパーボウルにしては珍しい荒れた試合だった。
 しかし、スタッツを見ると、両チームの優劣が数字に表れている。
 ファーストダウンは、コルツの24回に対して、ベアーズの11回。獲得ヤードは、コルツの430ヤードに対して、ベアーズの265ヤード。プレイ数も、コルツの81回に対して、ベアーズの48回。これでは、いかにベアーズでも結果を残すことはできないだろう。それだけ、前評判のよくなかったコルツのディフェンスが、大一番で踏ん張りを見せたということだ。
 21世紀最強のクォーターバックと言われながら、プレイオフでは能力を発揮できないジンクスを、コルツのペイトン・マニングが払拭し、プロ9年目にして悲願のスーパーボウルを制し、MVPにも選ばれた。しかし、コルツの勝利はマニングだけの力によるものではない。ランニングバックのローズが113ヤード、アダイが77ヤードを獲得し、攻撃を有利に運んだ。これもふたりのランニングバックだけの力ではない。ランニングバックがボールを持ったまま走りやすいように、相手守備陣に穴を開け、タックルしてくる敵を蹴散らすガードの選手たちがいたから残せた記録だ。
 試合は 3Q終了時点でコルツが 22-17とリードし、ベアーズにも逆点チャンスが十分にあったが、残り 12分でグロスマンが右サイドラインへ浮かさせたパスがインターセプトされ、逆にCBケルビン・ヘイデンに 56yリターンTDを決められて 29-17と差が拡大した。次のオフェンスもグロスマンのロングパスがCBボブ・サンダースにインターセプトされて得点できなかった。その次のオフェンスはミッドフィールド付近で 4thダウンに追い込まれ、WRデズモンド・クラークがパスを落として攻撃権を失った。 コルツは残り 5分からランを使って時間を消費し、残り 1分 49秒、ベアーズ陣 16yまで進んで攻撃権を明け渡し、勝利を決めた。
 テレビ中継では、残り時間9分ぐらいでリードされているベアーズのQBグロスマンの表情をさかんにカメラが追いかけていた。QBは攻撃の司令塔という役目だけでなく、チーム全体のモチベーションを左右する精神的な柱としての役目も追う。勝っていても負けていても、いつもベンチサイドに下がったときは、コーディネーターと連絡を取り合い、相手守備陣の写真を片手に戦略を練り、チームメンバーを叱咤激励し続けるマニングと対照的に、若きQBのグロスマンは青ざめた顔をしていた。アメフトで9分といえば、12点差を十分に跳ね返すだけの時間だ。なのに、早々と試合をあきらめたような表情が、ベアーズベンチに与えた影響は大きいだろう。かつての名QBジョー・モンタナは、サンフランシスコ49ナーズで、残り時間2分から何度も逆転劇を演出し、モンタナマジックと言われる伝説を作った。試合終了まで冷静さを失わず、勝利をあきらめない精神的な強さが、これからのグロスマンには求められていくだろう。
 NFLは、2月11日のプロボウルをもって、今シーズンの全日程を終了する。プロボウルは、正式記録とは無関係のオールスターゲームなので、お祭りみたいなものだ。選手たちもけがをしない・させないために、ハードなプレイは避ける。だから、スーパーボウルの終了で、実際には選手たちが本気でぶつかりあうNFLの試合は幕を閉じた。9月の次のシーズン開幕まで、寂しい日々が始まる。

5593.2/7/2
NFL2006-2007シーズン(14)

 2月4日、第41回スーパーボウルが、大雨と強風のマイアミ・ドルフィンスタジアムで行われた。
 アフリカ系アメリカ人監督どうしのマッチアップになった今回のスーパーボウルは、どちらが優勝しても、アフリカ系アメリカ人監督として初めての栄冠をつかむことになっている。このふたりは、かつてタンパベイ・バッカニアーズで、ヘッドコーチ(監督)とラインバーッカーコーチとして師弟の関係にあった。プライベートでは親友同士だ。
 インディアナポリス・コルツ対シカゴ・ベアーズの試合は、29対17でコルツが勝った。コルツのQBマニングは、MVPに選ばれた。
 テレビカメラにもはっきりと雨脚が素麺のように絶え間なく映っていた。両チームの旗は、そんな雨の中も力強くたなびくほどの強風だった。ゲーム中、何度も選手は雨に足を取られてスリップしていた。悪天候のゲームでは、予想もしない出来事が起こる。その予感を、最初のプレーから現実のものにしたのはベアーズだった。
 1Q14分46秒。ヴィナティエリのキックオフをキャッチしたベアーズのへスターが、そのまま92ヤード走りきり、一気にタッチダウンした(0-6)。グールドのキックも決まっていきなり0-7とリードした。野球では先頭打者がホームランを打っても1点しか入らないが、アメフトでは7点(キックも入れて)も入るところがおもしろい。6分50秒に、QBマニングがディフェンスのタックルをよけながら、ロングパスを決め、ウェインが53ヤードのタッチダウンを決めた。しかし、トライフォーポイントのとき、スナッパーのボールが悪く、ホールドできずに失敗し6対7で同点に追いつくことはできなかった。4分34秒に、ベアーズのムハメドがQBグロスマンからのパスを受け、4ヤードのタッチダウンを決めた。グールドも確実にキックを決めて6対14とリードした。
 2Q11分17秒にキックの神様の名誉挽回のために、コルツのヴィナティエリが29ヤードのフィールドゴールを決めて9対14と追い上げる。さらに6分9秒に、ゴール前1ヤードからローズがランでタッチダウンをあげ、ヴィナティエリのキックも決まり、前半終了間際に、コルツが16対14と逆転をした。
 3Qはコルツが2本、ベアーズが1本のフィールドゴールを決める。7分26秒には24ヤード、3分16秒には20ヤードのフィールドゴールをヴィナティエリが決めて、22対14とコルツが引き離す。1分14秒には負けじとベアーズのグールドが44ヤードのロングキックを決めて22対17と追い上げる。
 4点差で迎えた最終クォーター。4Q11分44秒に、コルツの守備陣のヘイデンが、ベアーズのグロスマンのパスをインターセプトして、そのままエンドゾーンまで56ヤードも走り、インターセプトタッチダウンを決め28対17とした。ヴィナティエリのトライフォーポイントも決まり、29対17として、コルツがスーパーボウルを制した。

5592.2/5/2007
NFL2006-2007シーズン(13)

 ニューイングランド・ペイトリオッツとインディアナポリス・コルツのAFC決勝は、34対38でコルツが勝った。
 1Q7分24秒にペイトリオッツのマンキンズがエンドゾーン内で、ファンブルリカバーをして先制した(6−0)。ゴストコフスキーがトライフォーポイントを決めて7対0とした。コルツは、残り48秒でキックの神様ヴィナティエリが42ヤードのフィールドゴールを決めて、7対3と追い上げる。42ヤードという距離をキックで決めるというのは驚異的な能力だ。
 2Q10分18秒にディロンが7ヤードのタッチダウンランで13対3として、 ゴストコフスキーがトライフォーポイントを決めて14対3とリードを広げる。さらに9分25秒にはサミュエルが39ヤードのインターセプトリターンタッチダウンを決め、ゴストコフスキーのトライフォーポイントと合わせて21対3と大きくリードした。コルツは前半終了間際に、ヴィナティエリが26ヤードのフィールドゴールを決めて21対6と追い上げるのが精一杯だった。
 後半に入って、3Q8分13秒にコルツが反撃する。マニングが1ヤードのタッチダウンランで21対12として、ヴィナティエリもトライフォーポイントを決めた(21−13)。さらに4分には、クレコが1ヤードのタッチダウンパスキャッチを成功させて、21対19と追い上げた。トライフォーポイントでは1点しか入らないので、コルツベンチは2ポイントコンバージョンで、ゴール前1ヤードからキックを選択せずに攻撃を選択した。その結果、マニングからハリソンへのパスが決まり、21対21の同点に追いついた。しかし、ペイトリオッツも意地を見せ、1分25秒にギャフニーが6ヤードのタッチダウンパスをブレディから受け、ゴストコフスキーのトライフォーポイントも決まり、ふたたび28対21と突き放した。
 最終4Qでゲームは決まった。13分24秒にコルツのサタデイがエンドゾーン内でファンブルリカバーに成功し、ヴィナティエリのトライフォーポイントも決まり、28対28の同点にまた追いついた。7分42秒にペイトリオッツのゴストコフスキーが28ヤードのフィールドゴールを決めて、またまた31対28とリードする。しかし、コルツは5分31秒に、ヴィナティエリが36ヤードのフィールドゴールを決めて、31対31と食らいつく。ペイトリオッツは3分49秒に、ゴストコフスキーが43ヤードという、これも記録的な距離のフィールドゴールを決めて 34対31と、ふたたび突き放した。そして、クライマックスは、残り時間1分に、コルツのアダイが3ヤードのタッチダウンランを決め、ヴィナティエリのトライフォーポイントと合わせて34対38と逆転して勝負を決めた。
 コルツは、インディアナポリス移転後、初のスーパーボウル進出を果たした。
 コルツのQBペイトン・マニングは現役最高のクォーターバックと言われながらスーパーボウルに縁がなかったが、 9年目にして悲願を達成した。2月 4日の第41回スーパーボウルではNFCを制したベアーズ対戦する。
 両チームの監督、トニー・ダンジーとロヴィー・スミスは黒人監督として初のスーパーボウル進出となった。どちらが勝っても初の黒人監督によるスーパーボウル制覇になる。
 ペイトリオッツはプレイオフで圧倒的な強さを見せ、ここ 5年間で 3回スーパーボウル制覇を達成しているが、今回はあと一歩及ばなかった。前半でCBアサンテ・サミュエルが 39ヤードインターセプトリターンTDを決めるなど、21-3とリードして優勢だったが、後半はリードを守りきれなかった。
 4Qに追いつかれたあと、残り 4分でKスティーヴン・ゴストコフスキーが 43ヤードFGを決めて 34-31と再リードしたが、続くディフェンスでマニングを止められなかった。
 マニングは厳しいパスラッシュを受けながらも気合の入ったプレイで怯まなかった。スーパーボウル進出への燃える闘志がみなぎっていた。 349ヤード投げ、3Q途中には自ら 1ヤードTDスニークを決めた。
 4Q最後の 2ミニッツオフェンスは自陣 20ヤードから開始し、左サイドでワイドオープンになったFBブライアン・フレッチャーに 32ヤードパスを決めて敵陣に攻め入った。その時にラフィッグザパサー反則ももらって一気に残り 11ヤードにまで達した。そこから 3回ランをやって最後にRBジョゼフ・アダイが 3ヤードTDを決めて逆転した。ペイトリオッツは残り 1分、自陣 21ヤードから逆転をかけて最後のオフェンスを開始したが、4プレイ目に中央へのパスをCBマーリン・ジャクソンにインターセプトされて試合終了となった。
 コルツはボルチモア時代の 1968年と 1970年にスーパーボウルに進出し、 1970年に第5回スーパーボウルを制覇している。

5591.2/3/2007
NFL2006-2007シーズン(12)

 ニューオーリンズ・セインツとシカゴ・ベアーズのNFC決勝は、14対39でベアーズが勝った。
 1Q残り41秒でグールドが19ヤードのフィールドゴールでベアーズが先制した(0-3)。さらに2Qも13分40秒と8分52秒で、グールドが立て続けにフィールドゴールを決める(0-9)。NFLの時間の表し方は、15分から開始して、0秒になったらおしまいなので、つねに残り時間表示になる。この試合、最初のタッチダウンは、2Q1分56秒でジョーンズが2ヤードのタッチダウンランを決め(0-15)、グールドのトライフォーポイントで0-16とベアーズが貫禄を見せる。セインツも、前半終了間際の46秒でコルストンがQBブリーズからの13ヤードのタッチダウンパスをキャッチし(6-16)、カーニーがトライフォーポイントを決め(7-16)と意地を見せて、後半につないだ。
 3Qにセインツにビッグプレイが生まれる。12分20秒にQBブリーズからの88ヤードのタッチダウンパスをブッシュがキャッチした(13-16)。フィールドの長さは100ヤードだから、88ヤードのパスキャッチといったら、驚異的な数字だ。キャッチしたブッシュの脚力もすごいが、それだけ正確に遠投できるブリーズの腕力もすごい。カーニーのトライフォーポイントで14対16まで追い上げた。しかし、5分27秒でセインツのQBブリーズが自陣エンドゾーン内で、インテンショナルグランディングをして、ベアーズに2点を献上してから(14-18)、流れがベアーズに傾く。インテンショナルグランディングは、QBがパスターゲットがいないのに、ボールを投げ捨てる反則だ。
 4Q14分23秒、ベアーズのベリアンがQBグロスマンからの33ヤードのタッチダウンパスをキャッチし、グールドのトライフォーポイントで14対25と突き放しにかかる。11分37秒にはベンソンが12ヤードのタッチダウンラン、さらに4分19秒にはジョーンズが、この日二度目の15ヤードタッチダウンランを決め、グールドのトライフォーポイントとともに最終的に14対39という大差をつけた。
 ベアーズのディフェンスは、セインツから4つもターンオーバーを奪い、絶好調だった。逆にオフェンスはひとつもターンオーバーを許さなかった。ジョーンズはひとりで、123ヤードも走り、グロスマンは合計144ヤードのパスを成功させた。
「今日はいい試合が出来た。パス成績はあまりよくなかったが、ミスをしなかった。もう 1勝したい。」- QBグロスマン
 ロヴィー・スミスはスーパーボウルに進出した初の黒人監督となった。
「スーパーボウルに勝った初の黒人監督になれればさらに気持ちがいい。」- スミス
 セインツは初のスーパーボウル進出を逃した。リーグトップのオフェンスはトータルで 375ヤード獲得した。QBドリュー・ブリーズは雪と冷雨の悪条件ながら 354ヤード投げ、 2TD、1インターセプト、1ファンブルロストだった。
 セインツは試合序盤から劣勢になったこともあり、あまりラン攻撃を使わなかった。ラン攻撃は、一回の攻撃で進める距離が短いので、早くタッチダウンを奪いたいときには、あまり有効ではないのだ。そのためか、RBデュース・マカリスターは 18ヤード獲得に終わった。新人RBレジー・ブッシュは 19ヤードだったが、レシーヴで活躍し、132ヤード獲得した。 3Qに左サイドでパスキャッチし、走力を生かして右に流れて 88ヤードTDを決めた。 試合はブッシュのTDによって 16-14とセインツが 2点差に追い上げ、面白くなったが、そこから追加点がなく、力尽きた。

5590.2/2/2007
NFL2006-2007シーズン(11)

 NFLはいよいよ今シーズンの大詰めになった。
 NFCとAFCの双方のカンファレンス決勝戦が1月21日に行われ、カンファレンスチャンピオンが決定した。日本のプロ野球で言えば、セリーグとパリーグの優勝チームが決まったようなものだ。
 NFC決勝はベアーズが 39-14でセインツを下し、 21年ぶりとなるスーパーボウル進出を決めた。
 AFC決勝はコルツが前半の劣勢を跳ね返し、 39-14で勝利。インディアナポリス移転後、初のスーパーボウル進出を果たした。
 これにより、シカゴ・ベアーズとインディアナぴポリス・コルツが、2月4日に年間チャンピオンの座を賭けてスーパーボウルで対戦することになった。
 アメリカンフットボールは、時間制のゲームだ。1試合60分で戦う。15分ずつクォーターに分かれている。それぞれのクォーターで陣地を交替する。1Qと2Qが前半で、3Qと4Qが後半になる。ハーフタイムは20分ぐらいだ。スーパーボウルでは、はでなハーフタイムショーがある。昨年のハーフタイムショーでは、ジャネットジャクソンがセミヌードになり、放送したテレビ局に、試合後に抗議の電話やメールが殺到した。
 インプレイのときにだけ時計が動く。ボールを持った選手がダウンしたとき。投げたボールがフィールドの外に出たとき。投げたボールをレシーバーがキャッチできなかったとき。タイムアウトをとったとき。ゴールが決まったとき。攻守交替のとき。前半と後半の終了前2分になったとき。厳密に言うと、もっとほかにもあるのだが、だいたいこれらのときに時計は止まる。だから、60分の試合時間に対して、時計が止まっている時間のほうが長く、実際には2時間から3時間のゲーム時間になる。フルマラソンよりも長いので、テレビで見ていて、最後まで寝ないで見ていることは、わたしの場合はめったにない。気がつくとゲームが終わっていて、試合結果を知らないことが多いのだ。だから、生中継よりも、時計が止まっている時間を編集でカットしている録画のほうが、スピーディーで便利だ。試合結果を知っていてゲームを観戦するのは興ざめだが、わたしは同じゲームを何度見ても飽きない。どっちが勝つかという結果に興奮するのではなく、ひとつひとつのプレイに興味があり、選手と選手がぶつかりあう姿に感動するので、どちらが勝っても負けてもかまわないのだ。

5589.2/1/2007
 1月下旬の週末に、横浜の中華街で、小学校時代の恩師を囲んで、同級生らと夕食をともにした。わたしにとって、小学校5年生と6年生の担任だったA先生は、わたしが教員を志した動機にもっとも関係のある先生だった。中学校、高校に進学しても、手紙や年賀状のやりとりを続け、教員養成系の大学に進学してからは、さらに連絡を取り合った。
 北海道が出身の先生は、わたしたちを卒業させてまもなく神奈川県から北海道へ戻り、教員を続けた。いまは、美瑛というところで中学校の校長をしている。上川支庁の校長会長をしながら、今年度、全日本中学校校長会研究会の事務局長を務め、それらを終えて、残務整理と私用で東京を訪れた。とても、船舶が好きなひとで、用事は東京なのに、宿泊先は山下公園が見えるホテルだった。すべての用事を終え、あしたは北海道に帰るという日に、時間ができた。わたしは、北海道で教員をしようと思い、大学4年のときに先生の自宅に宿泊しながら北海道教員採用試験を受けた。当時は、就職氷河期で、地元の人間ではない者が合格する確率は低く、残念ながら試験は不合格だった。面接のときに「住民票は、もう北海道に移してありますか」と聞かれ、神奈川の採用試験も受けていたので「まだです」と答えながら、これは落ちたと直感したことを覚えている。教員になって、すぐの頃に渡道して以来、20年近く先生に会うことはなかった。
 しかし、先生は横浜港に外国の大型客船が入港するたびに、飛行機でちょくちょく横浜に来ていた。そのたびに、当時の教え子で都合のつく人たちが集まって、食事会をしていた。わたしは、教員になってからは、目の前のことに追われ、何度か誘いを受けたが、どれも参加することができなかった。
 今回も昼間は用事があったが、夕方からということでどうしようか迷った。翌日も用事があり、その週は忙しかったこともあり、からだが持つかどうかを考えた。しかし、来年度で定年を迎える先生が、こっちに出てくる機会は、今後はそんなにないかもしれない。当時の同級生とも、久しぶりに親交を深めたい。悩みながらも、夕刻の中華街に足を運んだ。
 そこには、小学校卒業以来会ってなかった同級生の顔があった。すぐには顔も名前も思い出せない。でも、なぜか、連中はわたしのことを覚えていた。いまになってもこども時代の特徴を引きずっているということか。そして、なによりも先生は、ちっとも変わっていなかった。髪の毛も容姿も、話し方も考え方も。
 家庭的な台湾料理の店で夕飯にする。船内をイメージしたカクテルバーで11時まで語る。5時間近くをともにしたけど、もっともっと話したいことがたくさんあった。集まった同級生のうち、男性の多くは、本当に同い年かと思うほど、おじさんになっていた。反対に、女性の多くは、逆にもっと若く見えた。みんな同じように年齢を重ねているのに、どうしてこんなに違って見えてしまったのだろう。
「お前のお母さんは、当時としては珍しく、家庭訪問に行くと、こどものことを一言も喋らなかったから、よく覚えているよ。日本の教育行政とか、学校のあり方とか、すごい大きなテーマをぶつけられて、若かった俺には、うまく応じられなかったんだ」
母が亡くなったことを告げたら、そんなことを教えてくれた。教員採用試験を終え、そのまま大雪山に入り、9月初旬に帰ろうと思って電話をしたら「韓国の旅客機がソ連の戦闘機に撃墜されたよ。これから戦争になるかもしれないから」早く帰って来いというのかと思ったら「墜落現場を見たり、北海道のひとたちを守ったりするのよ」と言った母だ。
「きっと、俺の話題になるのが、怖かったんじゃないかな」
 きょう、北海道から、食事会のときに先生のカメラで撮影した写真と手紙が届いた。

5588.1/31/2007
給食費未納全国調査(2)

 給食費に限らず、教材費や行事関連費用が、家庭の経済的な事情から用意できない親を助ける就学援助制度は、各市区町村に整備されている。これは、年間の収入の証明書を提出し、日常的な生活が一定のレベル以下と判断されたとき、給食費などの学費にかかわる出費を補う制度だ。しかし、これは提出される収入の証明書のそのまま信用して審査するので、虚偽の証明書を提出すれば、ごまかすことができる。高級外車を乗り回し、長い休みには海外旅行を繰り返す家庭の年間総収入が200万円と記入されていれば、それを信用するしかないのだ。また、目的指定の援助金だが、家庭の口座に振り込まれるため、生活費に使われてしまうケースも少なくない。援助はあくまでも申請したひとに対して行うものなので、間に学校が入って、援助金を抜いてしまうのは法律的に引っかかるのだ。わたしは、かつて就学援助を遊興費に使っていた親のこどもを担任した。そのときに、金融機関のひとと相談して、口座に入金される日の午前0時1分に、学校の口座に送金されるように頼んだことがある。いったん入金させて、学校の口座に送金すれば法律には引っかからない。しかし、後日になってその親から「競馬で使うお金を引き出そうと思ったら、勝手に送金された」と文句を言われた。「この金は、競馬に使う金じゃない」と開き直ったら、教育委員会に文句を言いに言った。そこでも、自説を退けられて、その親は、ついには生活保護に切り替えた。生活保護は、厚生労働省の管轄なので、教育行政が管轄している就学援助よりも審査が厳しいことを知らなかったらしい。
 新年度の国会では、学校教育法の一部改正案が通過するかもしれない。
 かつての枢密院としか思えないような、教育再生会議の時代錯誤の答申が、法律として、具体的なかたちになってしまうかもしれない。阻止したくても、与党が衆参両院で過半数を占めている現状では、多数の論理の前に強行採決されてしまうのだろう。そのつけを払わされるのは、教員ではないことを、有権者は賢く学ぼう。教育にかかわるすべてのことは、最終的にはこどもたちに行き着くのだ。
 「ゆとりの時間廃止」で「授業時間数増加」すれば、こどもの学校での拘束時間は増える。土曜の過ごし方を自分で決めてきたこどもたちから、自分で考える時間を奪い、やりたくない勉強へと追い込んでいく。そんなことで、学力を向上させることができるのは、一握りのこどもたちだ。大多数は、いまよりももっとストレスをため、いじめや校内暴力、家庭内暴力に加担し、自分を崩壊させていくだろう。
 「教員の資質向上」のために「免許の更新を厳正化」すれば、管理職に受けのいい教員ばかりが残り、教育技術や感性の鋭いひとは、私立や私塾にどんどんリクルートされていくことだろう。その結果、授業がつまらない教員が増え、こどものストレスはたまり、授業崩壊、学級崩壊は再燃するかもしれない。
 そして、親たちの一部は、学校から何度も督促があっても、給食費の支出をかたくなに拒み、日々の給食はどんどん貧相になっていくのだろう。

5587.1/30/2007
給食費未納全国調査(1)

 文部科学省が、2005年度の全国の公立小学校の給食費未納調査の結果を公表した。
 総額で22億円分の給食費が未納だったという。親の規範意識の欠如が、学校現場では叫ばれているが、それを給食費の面からも裏付ける結果になった。
 給食費は、市区町村によって定められている。だいたい月に3500円前後だろう。一ヶ月に20回ぐらい給食があるので、一回の食費は、200円にも満たない。いまどき、どんなに安くても200円でおつりがくるランチセットは見かけない。それだけお得な値段なのに、払わない親がたくさんいるのだ。200円に満たない金額では、採算が取れるはずがない。当然、給食のうち、牛乳・米など主要な材料は、市区町村や国からの援助が適用されている。市区町村からの援助金額は、それぞれの議会で決めるので、これが市区町村の給食費の違いとなって現れる。よく、メニューで値段が違うとコメントするひとがテレビでいるが、ちゃんと現場を調査してからものを言ってほしい。
 給食費の徴収システムは、複雑だ。まず、基本的には一括徴収なので、昔で言う「つけ払い」なのだ。支払うことを前提にして、食べるたびに支払う通常のやり方から、まとめて支払うやり方になっている。いまでは、ほとんどが金融機関からの一括振込みになっている。決まった金額を口座に入金しておくだけで、自動的に一ヶ月の給食費が徴収される。このときに、口座に引き落とし金額が入金されていないと、未納扱いになる。金融機関からは毎月学校全体の振込み状況シートが送られてくる。係りは、それを学級ごとに分類して、各担任に知らせる。かつては、給食費名目で口座を開設するので、引き落とし手数料を要求する金融機関はなかった。地域住民が、学校からの要請で数百世帯まとまって口座を開設してくれるのだ。カモがネギ背負ってやってくる以上においしい話だ。そのなかの半分でも、その口座を生活口座に変更してくれたら、金融機関としては、貯金残高が黙っていても増えていく。だから、手数料を取らなくても、それを上回る利益が予想されたのだ。しかし、最近は、逆にどこの金融機関も手数料を要求するようになった。それが、給食費に上乗せされている。なので、かつてはだいたい月に二度の引き落としがあったのだが、手数料の関係で、ほとんど月に一度になってしまったと思う。
 たとえば4月の給食費が引き落としされる。毎月、全校の10パーセントは未納だとして、500人規模の学校で50人分の給食費が未納になる。給食のメニューを考え、業者に発注するのは学校栄養士の仕事だ。栄養士は、学校の通帳を見ながら、次の月の発注を決める。つまり、450人分の金額で、500人分の材料を発注し、それを調理して給食に出す。未納だった親のこどもは、ただ食いを認められている。
 引き落としが二回あった時代は、一回目で未納だった世帯のみ、二回目でもう一度引き落としされた。いまは、未納の家庭のみ集金袋を渡して現金で徴収するやり方が主流だ。これは、無駄な事務仕事を増やす。未納家庭はひとつの学級にかたまっているわけではない。どの学級にも満遍なくいるので、集金袋を渡しても期日に全額がまとまることはめったにない。忘れる親がいるのだ。だらだらと時間を費やす間も、すでに集まった現金を係りは保管し続ける。金融機関に一件ずつ入金しにいく手間を省くためには、なるべく全額をまとめて、入金は一度で済ませたい。
 その月の未納が月末までに全額徴収できればいいが、そんなことはめったになく、次の月の給食費徴収と合算されるケースが多い。「つけ」がふくらんでいくのだ。一回は200円未満とはいえ、たとえば3000円の給食費を3ヶ月ためたら、9000円になる。兄弟姉妹が3人もいたら27000円にもなる。
 月末までに給食費を支払った場合は、未納にはカウントされない。また、次の月に前の月の分を含めて支払った場合も、最終的には未納にはカウントされない。しかし、年度末になっても、給食費の一部か全部を支払わない親がいる。これを未納としてカウントする。年度を越えた給食費の徴収はしないので、年度末でも支払いがなかった場合は「滞納」という扱いになり、損金として計上される。また、未納のまま卒業するケースもある。これは「延滞」という扱いになり、やはり損金として計上される。この滞納と延滞を合計した金額が、全国で22億円もあったことがわかったのだ。
 このまじめなひとたちの善意で、不心得者が責任を問われないやり方を是正しない限り、これからも未納金額は増え続けるだろう。

5586.1/29/2007
NFL2006-2007シーズン(10)

 ニューオーリンズ(英:New Orleans、仏:Nouvelle-Orleans)はアメリカ合衆国ルイジアナ州南部に位置する、州最大の都市。メキシコ湾に通じる重要な港湾都市で、工業都市・観光都市としても発展した。長くフランス領ルイジアナの首府であり、今日まで独自の文化を伝えている。フランス語名ヌーベル・オルレアンは「新たなるオルレアン」の意味である。市内のフレンチ・クォーターと呼ばれる地区には今なおフランス植民地時代の雰囲気を残している。
 ニューオーリンズ・セインツ(The New Orleans Saints)は、はルイジアナ州ニューオーリンズに本拠地をおくアメリカンフットボール(NFL)のチームである。NFC南地区に所属する。 1967年に創設され、本拠地はルイジアナ・スーパードーム。2005年はハリケーン・カトリーナによるスーパードームの損傷の為、暫定的にタイガースタジアム(ルイジアナ州バトンルージュ)とアラモドーム(テキサス州サンアントニオ)を使用していた。
 スーパーボウルに出場したことはない。
 永久欠番は8番。アーチー・マニング。現在QBのペイトン・マニングの父親だ。
 今シーズンのセインツは、1試合平均391.5ヤード獲得でカンファレンス1位の攻撃力を誇る。
 カンファレンス決勝における同一カンファレンス内のオフェンス1位、ディフェンス1位の対決は過去10試合が行われており、対戦成績はオフェンス1位の7勝となっている。
 敵地での試合になるが、2005年のハリケーン「カトリーナ」によって甚大な被害を被ったニューオリンズの復興の星として大きな期待がかかるセインツが、チーム史上初のスーパーボウル出場に挑む。
 今季リーグ1位のパス4,418ヤードを投げたQBドリュー・ブリーズを擁する。
 エースRBデュース・マカリスターは、先週のイーグルス戦でプレイオフのチーム記録となるラン143ヤードをあげ、勝利の立役者となった。また、RBレジー・ブッシュはラン52ヤード、1TDを記録。パワーのマカリスター、スピードのブッシュによるコンビネーションで確実にヤードを稼ぎ、相手にランを強く意識させたところでQBブリーズのロングパスを炸裂させたい。
 今回がカンファレンス決勝初出場となるセインツだが、前年13敗以上を喫したチームがカンファレンス決勝に進んだのもリーグ史上初の出来事だ。1年で低迷したチームを建て直し、最優秀コーチ賞を獲得したヘッドコーチ、ショーン・ペイトンの手腕にも注目したい。また、RBブッシュは、もしチームが勝利すれば、大学最優秀選手(ハイズマン賞)を受賞したルーキー選手としては、史上4人目のスーパーボウルに出場となる。
 今シーズンから新たにヘッドコーチに就任したショーン・ペイトンは、新たな選手を積極的にチームに組み込み、負けることに慣れてしまっていた選手の意識改革を行うことから取り組んだ。その目玉が、QBドリュー・ブリーズの獲得だった。ブリーズは昨シーズンに負ったケガへの懸念と、フィリップ・リバースをスターターに据えたいというサンディエゴ・チャージャースの思惑からフリーエージェントとなっていた。開幕後はケガの影響は全く見せず、リーグ1位の4,418ヤード、26TD、11INTと、NFC1位のQBレーティング96.2を記録。チームをオフェンスでNFLランク1位へと導いた。そして、ドラフト1位で獲得したRBレジー・ブッシュも、ラン、リシーブ、キックリターンと期待に応える活躍を見せ、地元ファンを熱狂させた。さらにドラフト7位で獲得したWRマーケス・コルストンが、70キャッチ、1,038ヤード、8TDと、大活躍を見せた。ディフェンス陣も、パスディフェンスがNFC1位と奮起。特にチーム1位の10.5サックを記録した3年目のDEウィル・スミスはディフェンスの要となった。
 NFC決勝のテレビ放送は、日本テレビで、 02月01日(日)01:50の予定だ。

5585.1/27/2007
NFL2006-2007シーズン(9)

 NFCの決勝は、シカゴ・ベアーズVSニューオーリンズ・セインツだ。
 シカゴ(Chicago)はアメリカ合衆国イリノイ州の大都市で、ミシガン湖の南西岸に位置する。市の人口は2,896,016人(米国の2000年版国勢調査による)で、都市圏人口はおよそ960万人を数える。かつてはニューヨークに次ぐ大都市だったが、ロサンゼルスの台頭と五大湖近辺の地位低下、更に都市圏の拡大による郊外化によって最盛期と比較すると人口は96万人ほど減少している。 
 アメリカNo.2の経済、金融拠点で、五大湖工業地帯の中心でもある。鉄道、航空、また海運の拠点として発展。摩天楼がそびえ立つアメリカ型都市の発祥とも言われ、ダウンタウンは近代的なビルディングが建ち並び、シアーズ・タワーはかつて世界一の高層建築として知られた。またシカゴ商品取引所は世界有数の先物商品取引所である。マコーミック・プレイスコンプレックスは北米最大のコンベンションセンター。オヘア空港は全米有数の過密な空港として知られる。
 また、シカゴ市はその人口動静(重厚長大産業の衰退と共に減少)、人種比率動静(白人の郊外流出と有色人種の旧市街への流入、都市のスラム化)、都市・地域構造、文化、などの観点からして「アメリカの中でもっとも標準的な都市(つまり、典型的なアメリカの大都市、ということ)」と言われる。
 シカゴ市は2つのプロフェッショナル野球チーム (カブス、ホワイトソックス)、プロフェッショナルフットボール (ベアーズ)、サッカー (ファイアー)、バスケットボール (ブルズ、WNBA スカイ)、及びプロフェッショナルホッケー (ブラックホークス) を有するアメリカ合衆国内で数少ない都市の1つである。に加えて、ここはマイナーリーグホッケーチーム (ウォルベス) の本拠地である。
 ベアーズの創設は、1920年。本拠地はソルジャー・フィールド。スーパーボウルには2回出場し、そのうち一度優勝している。
 今シーズンのベアーズは、1試合平均294.1ヤード喪失でカンファレンス1位の守備力を誇る。
 レギュラーシーズン2人合計でラン1,857ヤードをあげたトーマス・ジョーンズ、セドリック・ベンソンのRBコンビで着実にヤードを獲得し、自分たちのボール保持時間を稼ぎたいところだ。
 エースQBレックス・グロスマンがレギュラーシーズン中、QBレイティング100以上の試合が7試合ある一方で、10月16日のレイティング10.2、12月3日の1.3、12月31日の0など、調子の波が激しいのが気にかかる。先週のシーホークス戦ではパス282ヤード、1TD、1インターセプト、1ファンブルとまずまずだったが、いつ大崩れをするか不安を抱えるだけにランで試合の主導権を握りたい。
 今シーズンのベアーズの快進撃は、ディフェンスとスペシャルチームに支えられた。被獲得ヤードと失点でNFC1位のディフェンスは、チームの要である7年目のLBブライアン・アーラッカーを中心に、同じくLBにランス・ブリッグス、リーグ随一の呼び声高いDLにはマーク・ハリス、アデワーレ・オグンレアイ、アレックス・ブラウン、トミー・ハリスらが形成する。このフィジカルかつスピード溢れるフロントセブンを擁し、ベアーズはリーグ1位の44個のテイクアウェイを記録。特にリーグ2位タイの16個のファンブルリカバーはハードヒットを証明している。ただし、シーズン終盤は調子を落としているのが気になるところ。今シーズンのNFLにセンセーションを巻き起こしているのが、ルーキーのキックリターナー、デビン・へスター。ヘスターはパントで3回、キックオフで2回、さらにはFGミスで1回と、NFL新記録となる6個のキックリターンTDを記録した。

5584.1/26/2007
NFL2006-2007シーズン(8)

 インディアナポリス(英:Indianapolis)は、アメリカ合衆国・インディアナ州中央部に位置する同州最大の都市である。2000年現在の国勢調査によると、インディアナ州内で最も人口が多くアメリカ合衆国内で12番目に大きな都市である、ここの人口は791,926人である。2004年7月1日アメリカ合衆国統計局はインディアナポリス市の統合都市が794,160人であると見積もっていて大都市圏 (9つの郡地域と呼ばれる塊) は2百万人に迫る人口である。インディアナポリス市はマリオン郡の郡庁所在地である。2004年現在、マリオン郡の人口は863,596人である。外資系を含めた自動車工業の成長によって、五大湖周辺の都市にしては人口増加を続けている珍しいケースの都市といえる。
 インディアナポリス・コルツは、インディアナ州インディアナポリス市に本拠を置くNational Football League (NFL) の加盟のアメリカンフットボールチームである。1953年、ボルティモア・コルツ(1947-50)を直接の前身として創設された。初代コルツは、1946年のAll-America Football Conference (AAFC) 創設時のチームのひとつで、1950年のAAFC合併時にNFLに加盟したが、そのシーズン後に解散している。
 宿敵のペイトリオッツとは、2年連続でレギュラーシーズンで勝利している。決勝の会場がジレット・スタジアム(ペイトリオッツ)ではなく、レシュラーシーズンの成績で上回ったコルツの本拠地RCAドームであることも、有利な条件である。今季は、RCAドームで9戦全勝なのだ。
 しかし、QBマニングは、プレイオフで1つのタッチダウンしかあげておらず、さらに5つもインターセプトを献上するなど精彩に欠けている。これは、オフェンスチームでマニングを守る役割の選手たちが、十分に相手選手をガードしきれていないからだ。試合を見ても、スナップからマニングがパスターゲットを探すまでの3秒ぐらいの間に、次々とガードの間から相手選手がこぼれてきて、マニングにプレッシャーを与えていた。レギュラーシーズンでは、ランに対する守備がリーグ最下位だったが、プレイオフ2試合で44ヤード・83ヤードと予想外の好成績を残している。
 スーパーボウルまで進出した1970年以降、AFC決勝に3度進出して3度とも敗退しているジンクスが、今回の決勝にどう影響するかが注目されている。
 今シーズンもコルツを支えるのは、NFL新記録となるキャリア7度目の4000ヤードを投げたQBペイトン・マニングのパス。マニングのターゲットとなるWRマービン・ハリソン、レジー・ウェインは、ともに1000ヤードを超えるレシーブを記録。マニング、ハリソンとともに”トリプレッツ”を形成したエジャリン・ジェームスに代わるRBはドミニク・ローズとドラフト1位ルーキー、ジョセフ・アダイが担い、アダイはチーム1位の1,081ヤードを獲得した。後半戦の不振の大きな原因は、1試合平均173ヤードを許しているリーグ最下位のランディフェンス。第14週のジャクソンビル・ジャガーズ戦では、ランだけで375ヤードを許している。
 コルツ、そしてマニングが悲願のスーパーボウル出場を果たすには、ランディフェンスを短期間で立て直すことが必須となる。そのためにも、レギュラーシーズン中は負傷に悩まされたSボブ・サンダースの復帰が期待される。また、ディフェンスのスペシャリストであるヘッドコーチのトニー・ダンジーの手腕も注目される。また、マニングの負担を減らすためにも、ローズとアダイのさらなる活躍は不可欠となる。そしてやはり、マニングがレギュラーシーズンどおりのプレイをできるかに、コルツの命運は託されている。
 AFC決勝のテレビ放送は、GAORAが、1月26日(金) 06:00、G+が、1月26日(金)05:00、日本テレビが、 02月04日(日)03:20の予定だ。全部、録画だが、解説がそれぞれ違うので、同じプレーでも解釈の違いを楽しむことができる。

5583.1/24/2007
NFL2006-2007シーズン(7)

 AFCの決勝は、ニューイングランド・ペイトリオッツVSインディアナポリス・コルツだ。
 ニューイングランド(New England)は、アメリカ合衆国北東部の6州を合わせた地方である。中心都市はボストン。6州とは、コネチカット州、ニューハンプシャー州、バーモント州、マサチューセッツ州、メイン州、ロードアイランド州で、アメリカ独立の歴史と深く関係した古い地方だ。
 ニューイングランド・ペイトリオッツ(The New England Patriots)はマサチューセッツ州フォックスボロー市に本拠地(ジレット・スタジアム)をおく。アメリカ北東部に位置し、天然芝のスタジアムなので、ホームゲームは冬が近づくと降雪のなかでのゲームになることが多い。南部のあたたかい地方から来たチームにとっては、ペイトリオッツ以外に寒さという強敵とも戦わなければならない。ドームスタジアムにしないで、天然芝スタジアムにこだわるのは、自然をも味方につける意味もあるのかもしれない。プレイオフに進出すると、1月のゲームになるので、ジレット・スタジアムでのゲームでは、圧倒的にペイトリオッツが有利な結果を残している。寒さに慣れたチームなのだ。マイナス10度とか20度とかという世界で、ボールを投げたり取ったりできることが、信じられない。
 過去、AFCの決勝には4回進出し3回も優勝している。その3回ともスーパーボウルを制している。
 宿敵コルツとはプレイオフで過去4年間に3度も対戦している。2003年と2004年のシーズンでは、ともにペイトリオッツが勝利している。
 しかし、ことしのプレイオフでは、攻撃の司令塔クォーターバックのブレディが、3つのインターセプトを献上していて、精彩に欠けている。伏兵として活躍しているのが、WRギャフニー。レギュラーシーズンでは11試合に出場し、11回のレシーブで142ヤードしか獲得していなかったが、プレイオフでは18回のレシーブで207ヤードを獲得し1つのタッチダウンをあげている。ヘッドコーチのベリチェックは、プレイオフでは通算13勝2敗という好成績を残している。同じくプレイオフでは12勝1敗のQBブレディとのコンビで、負けたら終わりの大一番の勝負強さが期待される。
 レギュラーシーズンは、1試合平均14.8点の失点だった。これは、リーグ2位。NFL1位タイの10個のインターセプトを記録したCBアサンテ・サミュエルをはじめ、リーグ5位タイの32個のテイクアウェイでチームの窮地を救った。昨シーズン活躍した二人のワイドレシーバーを欠きながらも地区優勝を果たしている。

5582.1/23/2007
NFL2006-2007シーズン(6)

 アメフトは、11人の選手が攻撃と守備にわかれて、楕円形のボールを自分のゴールラインよりも向こう側に運ぶ。ボールを持った選手が走りこんでもいいし、あらかじめゴールラインの向こう側にいた選手にパスが投げられて、それをキャッチしてもいい。どちらもタッチダウンという。タッチダウンが決まると6点入る。一回のゴールでこんなにたくさん得点が入るのは楽しい。野球の満塁ホームランでさえ、4点以上は入らない。
 タッチダウンが決まると、トライフォーポイントというサービスチャンスがついてくる。ゴール前1ヤードからキックのチャンスが与えられ、これに成功すると1点追加される。トライフォーポイントは100パーセント近く決まるので、タッチダウウンをすると実質的には7点入る。だから、アメフトの試合結果は7の倍数が多い。
 アメフトは、4回の攻撃チャンスで、スタート地点から10ヤード以上進むと、さらに4回の攻撃チャンスが与えられる。反対に10ヤード進めないと、攻守交替になる。ふつうは3回目の攻撃までは前進することをねらいにするが、4回目の攻撃は失敗すると相手に攻撃権が移るので、前進を目的にせず、相手の攻撃開始地点を味方に有利になるように敵陣近くキックするために使われる。野球で言えば3アウトでチェンジするのと似ている。しかし、4回の攻撃で10ヤード以上進むとさらに攻撃権が与えられるので、ずっと10ヤード以上進んでいると、相手チームはいつまでたっても守り続けなければいけない。野球で言えば、1回の表が終わったらふつうは1回の裏があるはずなのに、それがキャンセルされて2回の表になってしまうようなものだ。
 このように攻撃し続けていると、ボールを持ち続けていることになる。長時間ボールを持ち続けていると、試合を有利に運ぶことができるので、それをねらった攻撃をボールコントロールオフェンスという。
 ゴールライン近くまできたけど、4回目の攻撃では10ヤードに達しないと判断したときは、相手に攻撃権を渡すのはもったいない。そういうときのために、ゴールラインから後方17ヤードのところに二股のポールが立っている。キックでその間をボールが通過すると、3点入る。これをフィールドゴールという。4回目の攻撃で相手に渡すキックは、ボールをもってキックする。これをパントという。これに対して、フィールドゴールはボールを地面に置いてキックする。これをプレイスキックという。しかし、アメフトのボールは楕円形なので、地面に置いたらころころして安定しない。だから、フィールドゴールトライのときは、ボールを抑える役目のひとが登場する。これをホルダーという。
 タッチダウンは6点なので、フィールドゴールを二回したら同じ6点になる。だから、タッチダウンの後のおまけのトライフォーポイントの1点は価値がある。フィーるごゴールを三回成功させないと、タッチダウン一回を超えられない。それだけタッチダウンの価値は高い。

5581.1/22/2007
メディア・ディスタンス(2)

 親からの勉強しろ攻撃、学校からの集団になじめ攻撃、好きなことがゲームやネットというサイバー空間しかない寂しさ、たまるストレスの発散相手にだれかをいじめて楽しむこどもたち。巨額の税金をごまかしながらも、ぎりぎりまで嘘をつき続けた高級官僚、口に入るものを作りながら、原料に期限切れのものを使っていた洋菓子の老舗、酔って車を運転して事故を起こす警察官、生徒ほどの年齢のこどもにお金を渡してホテルに誘う教員、放火した家を消火する消防士。このようなこどもやおとなをかかえて、この社会はどこへ向かおうとしているのだろう。
 番組を信じて納豆を食べ続け、ちっとも体重が減らないと嘆くひとは、養老猛さんの「バカの壁」を歩きながら、一日20分以上読むといい。多少は脂肪が減るかもしれないし、思考を停止して番組を信じ込んだ頭を整理することができるかもしれない。多くの視聴者や納豆の生産や流通、販売にかかわるひとたちに迷惑をかけた関西テレビや番組制作会社のひとは、第二次世界大戦中の情報官制がどれだけのひとを末期的な戦争へ駆り立てたかを原稿用紙100枚ぐらいにまとめ、番組で朗読するといい。だれも見ないかもしれないが、カメラを前にして、自分が嘘をついていたことを反省するというのは、同じことを繰り返さない十字架になると思う。そして、おとなだって嘘をついたら謝るんだと、テレビ世代のこどもたちにはいい学習になる。
 あるある大事典のスポンサーが契約を打ち切ることにした。事実上、あるある大事典は番組終了になった。ひとつの捏造が、番組の終焉を導いた。しかし、情報番組に携わるひとの声を聞くと、毎週毎週視聴者があっとおどろくような日常生活のトピックなど、そうそうはないそうだ。だから、勢いとして、本来なら100というべきデータを120ぐらいにすることは日常茶飯事で、今回の問題はそれを200にしてしまったから、大問題になったとのこと。大げさな宣伝で、なかみのない番組を作ることが、関係者の間では常識になっている。クイズ番組でも、この答えが正解だったら優勝みたいなシーンで、いきなりコマーシャルに変わる構成は、見ていて腹立たしい。チャンネルはそのままにという意図がバレバレで、そんなときわたしはあえてテレビを消すか、他局にチャンネルを回す。コマーシャル明けに、すぐ続きがあるのではなく、コマーシャル前のシーンに戻って再開するから、ほかの番組に変えて、いきなりコマーシャル明けから見ても、それまで番組を見ていなくても文脈が通じるからだ。
 もっとも、最近のわたしはあまりテレビを見なくなった。ドキュメンタリーかスポーツを、時間のあるときに長くても30分も見ればいいほうだ。テレビを見ない日のほうが多いかもしれない。それは、テレビが嫌いだからではない。独り暮らしのときは、家にいるときは、寝ているとき以外はテレビをつけていた。ずっと見ていたわけではないが、そうしていないと、なんか寂しかったのだ。いまは、仕事と睡眠時間の確保で、一日の24時間のうちテレビに割ける時間が減ってしまったのだ。
 それに、インターネットを活用するようになって、自分の知りたい情報のほとんどをインターネットから得るようになったのも大きい。テレビは、番組表を見ながら、どれにしようかと考える。いつも自分の知りたい情報があるわけではない。以前は、それでも雑学も知の肥やしと思って、スイッチを入れたが、いまは知りたい情報を自分からアクセスできるので、テレビの前にいるよりも、パソコンの前にいる。インターネットの情報がすべて正しいわけではないのは、インターネットもテレビも同じだ。それが、メディアというものだ。だから、ひとつの情報を知りたいときには、複数のホームページにアクセスして情報の真偽を確かめるようにしている。しかし、テレビは基本的に一方通行の情報媒体なので、情報の真偽を確かめる術がない。
 今回の事件では、多くの抗議や質問がテレビ局に寄せられているという。抗議をするよりも、視聴して信じてしまった自分自身を相対化していくことのほうが大切だ。
「今回の納豆ブームはおかしいと思っていた。食べ物を食べて痩せるなんてありえない。そんな食べ物があったら、それは毒だ」
 ある食品衛生の専門家が、新聞でコメントしていた。もっともなことである。そんなもっともなことに気づく感覚を麻痺させられてしまうほど、テレビの魔力は大きいのだ。

5580.1/21/2007
メディア・ディスタンス(1)

 テレビや新聞、ラジオなどのメディアから流れてい来る情報を、そのまま鵜呑みにしてしまうと、ひとは自分でものを考える習慣をなくしてしまう。そして、これらの情報に偽りがあったとき、すべての責任をメディアに押し付け、なにも疑わずに信じていた自分を振り返ろうとしない。メディアとの距離は、情報化社会が進んだいまの日本社会では、個人の基本的な課題だ。
 「あるある大事典」という番組で、納豆にダイエット効果があると放送した。わたしは、この番組を見たことがない。しかし、知人が番組を見て納豆を買いに行こうと思ったら、まったく店頭に置いていなかったと教えてくれた。また、日常的に納豆が好きな知人は、べつに番組を見たから納豆を買っているわけではないのに、周囲からそんな目で見られるのがいやだと言っていた。
 ふだんわたしは納豆が嫌いなわけではないが、毎日食べることはない。せいぜい一ヶ月に数回である。高脂血症と人間ドックで診断されて、血液をさらさらにしなきゃと自分に言い聞かせて、いやいや食べているわけでもない。日常のいろんな食べ物のひとつとして、不定期だけど、バランスよく食べている。
 しかし、番組では一日に二パックの納豆を食べ続けると、ダイエット効果があると断定して放送した。専門家も肯定し、実験結果もそれを裏付けた。それを見たひとたちが、翌日からスーパーに納豆を買いに走ったという。ある男性は、家族に頼まれて、仕事帰りに5パックもまとめ買いの日々が続き、ぼやいていた。店頭からは、納豆がなくなり、お店に苦情を言うひとまで現れる始末。そんなにやせたいのなら、適度な運動をするべきなのに、食べて痩せようなどと思うひとの発想は、そうではないらしい。納豆を生産している業者は、通常の体制では生産が追いつかず、増産に次ぐ増産で、ハードな日々を送る。それでも納豆の小売価格は上がったと聞くから、このブームで、どこかのだれかが儲けたのだ。
 ところがである。肝心の「納豆にはダイエット効果がある」とした番組自体が大嘘で固められていたことが判明した。ダイエット前とダイエット後の写真は別人だった。実験結果は捏造だった。外国の研究者の発言につける日本語訳をごまかしていた。はじめから、番組を作るために納豆を使っただけだったのだ。番組を放送した関西テレビの社長は、記者会見で「内容の一部に事実との違いがあった」みたいな言い方をしていたが、記者からの糾弾に折れ「捏造していた」と、非を認めた。そもそも、この発覚は週刊誌のリークからだ。よく週刊誌の記者は、番組の裏側を取材する企画を考えたと思う。つまり、関西テレビは、週刊誌からの指摘がなければ、ずっと納豆にはダイエット効果があるという間違ったイメージを視聴者に与え続けていたことになる。それにより、疲れて仕事帰りにスーパーに寄らなければならなくなったひとや、もともと納豆が好きなのに買えなくなったひとのことなど、考えていない。
 嘘がばれたから、謝っているのだ。これは、嘘に気づいたから謝っているのとは大きく違う。往生際が悪い。

5579.1/20/2007
NFL2006-2007シーズン(5)

 アメリカンフットボールの得点は、6点・3点・1点入る。珍しいプレイで2点入ることもあるが、多くの場合は、6点・3点・1点だ。
 アメリカンフットボールはルールが複雑で、よくわからないというひとが多い。わたしは、相撲・レスリング・野球・ラグビー・陸上が合体したボールゲームだと思っている。どのスポーツの要素も取り入れているからだ。だからなのかはわからないが、7人の審判の呼び名がおもしろい。ジャッジ・アンパイア・ラインズマン・レフリーなど、ありとあらゆるスポーツの審判の名前が総動員されている。ラグビーのルールがちっともわからないわたしにとっては、アメリカンフットボールのルールは、とてもシンプルに感じる。もしかしたら、野球よりも理解しやすいかもしれない。ただ、ひんぱんに時計が止まり、選手が動いていない時間が多く感じるのが、ひとによっては退屈に感じてしまうのかもしれない。
 相撲では、土俵に上がってきた力士が、すぐに立ちあわないで、何度か見合っては仕切り直す。もしも、土俵に上がってすぐ立ちあっていたら、相撲の時間はいまよりもずっと短くなるだろう。しかし、仕切り直しの時間に、両者がどんな相撲をとるかを想像するのが楽しいのだ。立ち合い自体は、秒単位のものだと思うが、想像していたことが、わずかな時間に凝縮されるから、かえって集中することができる。アメフトも、プレイが止まってから、次のプレイまでの間に、今度はどんな作戦で行くのかを想像するのが楽しい。
 サッカーやラグビーは、絶えずボールが動き続け、選手個人の判断力がとても求められる。しかし、アメフトはプレイ選択はコーチ陣に任されていて、選手は忠実にデザインされたプレーをすることが求められる。もちろん、臨機応変な対応はゲームの中では必要だが、基本的な作戦はコーチ陣が決めている。だから、コーチ陣の能力が勝敗に大きく影響し、勝敗の責任のウエイトも大きい。野球も、コーチ陣の能力が大事だが、バッターボックスでコーチの描いた理想どおりのバッティングをすべての選手がいつも実行するのは至難の業だ。うまく行かないことを前提にしている。しかし、アメフトはうまく行くことが前提になっているので、攻撃的な側面がルールややり方で優遇されている。それも、魅力だ。
 また、日本の少年スポーツのように、選手がミスをするとコーチが非難するようなことは決してしない。試合中に選手のモメンタムを下げるようなことをしたら、コーチとして失格だからだ。どんなに点差が離れても、どんなに簡単なプレイをミスしても、コーチたちは試合終了まで選手たちを鼓舞し続ける。それが、映像となって放送される。アメフト(に限らずきっとアメリカのプロスポーツの多く)は、コーチ専門の勉強をしてきたひとたちが、アマチュア・プロを問わず、コーチになっている。だから、選手を引退してコーチになるひとは、少ない。これも日本のアマチュア・プロスポーツとは大きく違う。かつて、偉大なプレイヤーだったひとがコーチになると、選手の中には萎縮するひともいるだろう。また、自分が現役のときのプレイを選手に押し付けるひともいるだろう。選手時代に、引退しても、一生をのんびり暮らせるだけの給料をもらっているか、いないかが、両者を隔てる。
 かといって、アメフトの選手全員が破格の給料をもらっているわけではない。ポジションや経験によって、給料は大きく違う。おそらく桁数が二桁ぐらい違うと思う。どのポジションも重要な役目なのだが、肉体的なダメージは格段の違いがある。生命の危険がいつもついてまわるポジションの選手には、将来の保険の意味もあるのだろう。年間で10億円以上は常識になっている。

5578.1/18/2007
NFL2006-2007シーズン(4)

 ワイルドカードプレイオフが行われた。
 1月6日はAFCがチーフス対コルツ。NFCがカウボーイズ対シーホークス。7日はAFCがジェッツ対ペイトリオッツ。NFCがジャイアンツ対イーグルス。
 結果は、それぞれコルツ(23−8)、シーホークス(21−20)、ペイトリオッツ(37−16)、イーグルス(23−20)が勝った。どの試合も、地区優勝したチームが勝った。ワイルドカードからプレイオフに進出したチームが全部敗退した。
 シーホークス対カウボーイズの試合では、終了間際、残り1分で、カウボーイズに逆転のチャンスがあった。19ヤードのフィールドゴールトライがあった。フィールドゴールが入れば3点。21対20が21対23になり逆転できた。フィールドゴールを蹴るキッカーにとって、19ヤードという距離は、ほぼ100パーセントゴールが確実な距離だ。ロングスナッパーが股の間からボールをホルダーに放る。ホルダーはQBのロモだ。本来ならば、ホルダーがボールをキャッチして、セットし、倒れないように指で押さえ、キッカーがキックをする。しかし、ロモは安易なスナップをキャッチすることができず、相手にタックルされてしまった。
「不運だった。スナップは良かった。なぜボールを取れなかったのか分からない。」- カウボーイズ監督ビル・パーセルズ
 スナップは完璧だったが、ロモがボールをつかみ切れなかった。ボールを拾ってエンドゾーンへ向かって走ったが、後ろから来たジョーダン・バビノーにタックルされた。
「すべて自分の責任だ。勝てた試合だった。」- ロモ
 それ以来、フィールドゴールトライの場面では、ロングスナッパー、ホルダー、キッカーの名前がテレビで放送されるようになった。いままでは紹介されたことがなかったので、この失敗を通じて、3人の役割の重要性が確認された結果となった。
 翌週、ワイルドカードプレイオフで勝った4チームと、それ以上の成績でレギュラーシーズンを終えた4チームがディビジョナルプレイオフを行った。
 1月13日はAFCがコルツ対レーベンス。NFCがイーグルス対セインツ。14日はAFCがシーホークス対ベアーズ。NFCがペイトリオッツ対チャージャーズ。アメリカンフットボールは体力の消耗が激しい競技なので、圧倒的に前週に試合のなかったチームが有利だ。しかし、結果はそうとは言い切れないものだった。勝ったチームは、コルツ(15−6)、セインツ(27−24)、ベアーズ(27−24)、ペイトリオッツ(24−21)。NFCはレギュラーシーズンの成績が1位と2位のベアーズ(1位)とセインツ(2位)が勝ち上がった。AFCはワイルドカードプレイオフで勝ったペイトリオッツとコルツが勝ち上がった。
 これにより1月21日のカンファレンスチャンピオンシップは、AFCがペイトリオッツ対コルツ、NFCがベアーズ対セインツに決まった。

5577.1/17/2007
国土交通省の犯罪(5)

 長年に渡って、国土交通省が発注する公共工事の入札で、談合が受け継がれていたことは、これからの公正取引委員会の調査で明らかになるだろう。
 しかし、そこには、多くのひとたちが関わりすぎていて、真実の究明の前に、不当な妨害や攻撃が調査するひとたちに向けられてしまうかもしれない。だから、どこまで真相が明らかになるのかは不透明だ。日本のジャーナリズムが試されるときだと思う。記者たち個人も、メディアという業界の一員であり、各会社の社員でもある。個人のジャーナリスト魂の前に、優先しなければならない上司からの圧力や記事の差し替えがあるかもしれない。
 公共工事にかかわる不正は、おとなもこどもも、もっと注視すべきだと思う。
 なぜなら、そこで動くお金は、税金だからだ。近代税制は、納税者が徴収者を信頼することを前提にしている。そして、集められた税金が、よのなかのために公平に、公正に使われることが基本にある。江戸時代の年貢とは違うのだ。強制的に徴収される年貢が、一部特権階級のひとたちの生活を支えるために配分された時代は、もうとっくに終わったと信じたい。だから、税金を集めるひとたちや、集めた税金を使うひとたちは、公務員と呼ばれ、真っ先に「全体の奉仕者」というコンセプトを叩き込まれる。全体の奉仕者は、自己の利益のために行動しないから、全体の奉仕者でいられる。
 給料の明細を見るたびに、税金の多さにため息が出る。そこに書かれていない消費税や自動車税などの税金を含めると、年間に相当額が給料から税金として国や地方自治体に徴収されている。天然資源が豊富な国は、ほとんど税金がないという。近代国家だからといって、税制が当然のように機能すると思ってはいけない。いまの日本社会は、納税者の税金がなければ、公共財を作ることも維持することもできない。だから、税金が徴収される。より多くのひとたちの生活を豊かにするための貴重な財源なのに、国土交通省の犯罪のように、権力を握っている一部のひとたちのさじ加減一つで税金の使い道や使われ方が決められるのはおかしい。業者側に有利な情報を漏らしたり、談合を誘導したりすれば、利益を得た業者は証拠が残らないかたちで、官僚や元官僚に礼をするだろう。その礼がほしくて談合を支えているのだから。
 そんなに国家試験に受かって官僚になるひとたちには、甘い汁がたくさんある世界がキャリアなのだろうか。長い中国の王朝の歴史の中で、官僚(宦官)が幅を利かし、政治の実権を握り、賄賂や横暴が目立つようになると、その王朝は末路を迎え滅んでいる。
 もちろん、各省庁の事務方のトップが、そろいもそろって業界と癒着しているとは思わない。しかし、もっとも業界と近い立場にある国土交通省が、長年にわたり官製談合の温床だった事実は、ほかも似たことをしているのではないかという不信感を生むのに十分なインパクトがある。こどもたちはいじめ、こどもたちはいじめられ、互いにストレスをため、息をするのでさえ困難な時代に、一部のエリートたちは法律に違反しながら、自らの利益のために悪いことをやり続ける。おとなの説教は、空回りしていくだろう。信頼が得にくい社会では、ひととひとが分断され、互いに自分のことだけで精一杯の価値観が優先される。それを、こどもや学校、家庭にだけ問題があるような対策を考えても、なにも解決には向かわない。
 せめてもの願いは、公正取引委員会のひとたちが有形無形の圧力に屈することなく、自らの使命を全うしてほしいということだ。
 洋菓子の老舗が、賞味期限の切れた牛乳を使っていたことが明らかになった。あっちもこっちも、トップたちの不正が横行している。

5576.1/16/2007
国土交通省の犯罪(4)

 元国土交通省の権威ある地位にいたYやTの了承を得ると、業界側の世話役は各社に連絡をする。決まった会社が、入札のときにもっとも低い金額を書き込み、談合が完成する。
 技監は事務次官に次ぐポジションで、地理院長も本省局長級の高位だそうだ。それが天下り後、業界ににらみを利かせる。「各社とも受注できるよう、2人に直接会って、希望を言いたかったが、会合で偶然会う以外、面会できるのは世話役だけだった」(メーカー幹部)という。それだけ、雲の上の存在だったということだ。これらのやり方は、葉中業務に関わった歴代の技術系の幹部だけが知っている秘密だったという。国土交通省で旧地方建設局長を経験したひとは、自分に窓口が回ってこなかったのは、窓口はひとりでよかったということだと認めている。国土交通省内で、脈々と談合が受け継がれていたことが想像できる。
 2006年4月に官製談合について新聞が報じたとき、国土交通省は同年6月に職員からの聞き取り調査で、談合の事実はなかったと結論付けている。それが、今回の公正取引委員会の調査で明るみに出たということは、内部調査が不十分だったことを証明してしまったことになる。公正取引委員会は、国土交通省だけでなく、談合にかかわった業界側の20数社に対して、独占禁止法の不当な取引制限違反で排除勧告を出し、課徴金の納付を命じる方針だという。
 国土交通省が発注する工事は、2005年度の予算ベースで、5兆9023億円に上る。国の公共工事費が7兆5310億円だから、その8割が国土交通省関係の発注ということだ。それだけに、入札の実施にあたっては、ほかの省庁や自治体を主導しなければならない立場にあることはいうまでもない。
 6月の疑惑を否定する発表のとき、聴取対象が現職だったことを記者らから質問された。国土交通省の幹部は、退職者は民間人であり、公正取引委員会が調べる範囲だと逆切れともとれる返事をしている。似たような事件があった防衛施設庁が、退職者110人から事情聴取したときとは異なる対応だった。
 談合を主導した国土交通省の元課長補佐Aは、毎日新聞の取材に談合への関与を否定した。主なやり取りは次の通り。
−−複数の業者があなたを「調整の窓口だった」と証言している。
「そのようなことはない。」
−−では、なぜ業者はそう言うのか。
「こっちが聞きたいくらいだ。」
−−入札情報を業者側に流したことは。
「ない。課長補佐時代、建設機械の規格作りが主な担当だったので、入札情報は扱っていない。」
−−業者から談合の結果連絡を受けたことは。
「いいえ。」
−−そんなに否定して公正取引委員会の調査で信じてもらえるのか。
「それは分からない。」
−−40年近く在職し、談合に気付いたことは。
「ない。」
−−取材を受けること自体が心外だと?
(うなずく)

5575.1/15/2007
国土交通省の犯罪(3)

 Yから談合の仕切り役を引き継いだとされるTは、メーカー側が相談して決めた受注予定社を書いた紙を見せると、うなずいたという。業界内では、受注予定社をチャンピオンという隠語で呼んでいた。
 Yが仕切り役だった当時は、工事名、入札時期、チャンピオンを書いたメモを業界側の世話役が「これでいいですか」と見せる。Yの了解が得られないと、落札業者が決められないようになっていた。このメモが、談合を裏付ける証拠になった。01年ごろに、この役目がYからTに引き継がれた。
 「文書を見せた時の反応が大事。YやTがうなずけば、ほっとする。でも『考え直した方がいいんじゃないのか』と言われると大変。一からやり直しだから」。メーカー幹部は新聞社の取材に明かしている。
 毎日新聞は、06年11月と12月にTに対して取材している。Yは、談合について「一切知らない」とだけ言い、取材を拒否した。
−−水門設備工事の談合にかかわったのか。
「水門は二十数年前にも一度、公取(公正取引委員会)にやられているから、談合はないと信じている」
−−業界は談合があったことを認めている。
「それならやっていたのかもしれないが」
−−あなたがOBとして談合を差配していたと証言する業者もいる。
「あり得ない。それは誰が言っているんですか? ただ『ダンピングはいけないよ』と何度も言ってきたから、それが『談合をしろ』と(いう意味だと)誤解されたのかもしれない」
−−落札予定社を指名したことはないか。
「ない」
−−特定の業者から「この工事が取りたい」などと頼まれたことは。
「各社が(業界団体の)賀詞交換会の時に『あのダム、頑張りたいんですよね』と言って来るから『そうか、頑張れ。いい提案すれば取れるんじゃないか』と答えるだけ。他に言いようがないから」
 あまりにも質問内容が、直接過ぎて、談合の証拠になるようなメモや録音テープなどを示していないので、このような返事になってしまったのだろう。それにしても、業界側が具体的な供述をしているのに比べ、具体的な供述で反論できないTに対する疑惑は逆に大きくなる。

5574.1/14/2007
国土交通省の犯罪(2)

 国土交通省は、多くの公共施設の発注に関する権限を持っている。道路や港湾など国の基幹事業に関する権限が集中している。そのため、入札に関しては、利益を得たい企業を、情報を漏らして袖の下がほしい役人との間で、「おぬしも悪やのう」という関係が長く続いていたのだろう。それでも、表向きは、入札を適正に行うように、全国の自治体に指示を出す立場にある。その本丸が、真の姿をさらけ出し、公正取引委員会から改善措置を要求されたのだ。
 2001年4月から3年間、水門設備を所管する建設施工企画課の課長補佐を務めたAは、在任当時、各地方整備局発注工事の入札の際、業界側「世話役」に、直接あるいは整備局の部課長級職員を介して落札業者を指定した疑いを持たれている。世話役は石川島播磨重工業、日立造船、三菱重工業のうち1社が、2年交代で務めていたとされる。この行為を公正取引委員会は、談合と認定し、国土交通省そのものに官製談合防止法の適用を決めた。A個人に対してではなく、Aの所属する機関そのものに法律の適用を決めたのだ。省庁への官製談合防止法の適用は初めてなので、国土交通省にしてみたら、とても不名誉なことだ。
 さらに、技術系職員トップで省内ナンバー2だった旧建設省のT元技監や、Y元国土地理院長、B元関東地方建設局機械課長らOB3人が、業界に天下りした後に水門設備工事の受注調整に深く関与していたことが分かった。公正取引委員会も同様の事実を把握しており、歴代首脳による悪質な談合システムとみている模様だ。既に国交省のA元課長補佐の関与が判明しており、談合が省内で脈々と受け継がれてきた実態が浮かび上がった。これら4人は、水門設備工事の発注に携わっていたことがわかっている。水門設備工事は、河川用とダム用の二種類に大別され、T元技監とY元国土地理院長はダム分野に関与し、B元関東地方建設局機械課長とA元課長補佐は河川分野に関与していた。TとYは、石川島播磨重工業、日立造船、三菱重工業が持ち回りで務めていた業界側の「世話役」と相談し、受注予定社を決めていた。
 国土交通省でエリート官僚だった地位をいかし、業界団体に天下りした後に、各企業の営業担当幹部を取りまとめる談合の仕切り役として、影響力を持続していたのだ。Tは、62年に入省後、河川局長などを経て95〜96年技監。退職後の01〜05年ごろ談合に関与し、国交省所管の財団法人「日本建設情報総合センター」理事長や、国交省・経済産業省所管の社団法人「日本大ダム会議」会長などを歴任している(いずれも現職)。Yは、59年入省。技術審議官を経て88〜90年、旧関東地方建設局長(現・関東地方整備局長)を務め、91年国土地理院長を最後に退官した。01年ごろまで談合に関与し、現在は川崎重工業で技術面の助言をする「ストラテジックアドバイザー」を務める。
 官製談合防止法は、現職時の関与のみを対象にしているザル法なので、退職後の影響力については適用されない。談合による国の不利益に対する損害賠償請求の適用を逃れることができる。せいぜい公正取引委員会ができるのは、業界側に手渡す排除措置命令書にOBらの役割を言及する程度だ。

5573.1/13/2007
国土交通省の犯罪(1)

 官製談合という言葉に、すっかり慣れてしまっている自分を、もう一度奮い立たせる。
 国政選挙、地方選挙の投票率が伸びない。経営者や銀行、政界のトップは景気回復というが、賃金が抑制どころか下げられたわが身としては、社会経済への不信感はぬぐえない。よのなかを震撼させるような殺人事件が相次ぐ。教育の憲法と言われた教育基本法が、わざわざ愛国心を内容に含めるなど改正された。政治主導による社会の全体主義化におびえる。
 いまの日本社会で、働き、生活を営んでいく、基本的な意欲が低下していく。社会との接点を求め、社会に貢献できることがしたいと思って、教育という仕事を選んだ若い頃の気持ちが、どんどん薄れていく。貢献したいと思った社会を牛耳っているひとたちの不正がなんと多いことか。そんな社会に貢献することの必要性や意味がぼやけてきている。だから、エリート官僚たちが、企業と密着して、税金の配分を、意図的に画策し、自分たちの利益にしようとする官製談合が発覚しても、弱き者には手が出せない世界があるんだなぁとしか、感じなくなってきている。
 しかし、そのあきらめ感が、若者やこどもたちに、厭世観を育て、反社会的行動や非社会的行動に走らせているのだとしたら、いまの自分を含めて、多くのおとながため息ばかりをついているのも、そんな厭世観を育ててしまう責任の一端を担ってしまっているのだろう。
 だから、今回の国土交通省の幹部らによる談合事件を見逃さないようにしたい。
 ちなみに、2003年1月から完成談合防止法という不備の多い法律が施行されている。不備が多いとは、防止法といいながら、談合がしやすい抜け道が残されているということだ。これによると、公務員らによる(1)談合させる(2)落札業者を指名する(3)予定価格など秘密を漏らすなどの行為を禁じ、発注者に調査実施、改善措置の策定・公表、関与職員への賠償請求などを義務付けている。退職後の行為は適用できず、現職時の関与を認定しなければならない。2006年12月に罰則(懲役5年以下または250万円以下の罰金)を盛り込んだ改正法が成立したが、今回は成立前の行為が問題とされているため適用されない。退職後の行為が適用されないというのは、50代で関連企業のトップに高収入で天下りをするエリート官僚たちが、企業にうつってからの行為は罪に問われないことを意味している。高いポストと多い収入が約束された天下り官僚にとっては、都合のいい法律だ。
 発覚した談合は、水門設備に関するものだった。水門設備とは、河口に設置して海水の流入を防いだり、ダムからの放水量を調節するために建設する。主に鋼鉄製のゲート、ゲートを開閉する巻き上げ機、操作盤で構成される。ダム用は高水圧に耐える特殊技術が必要なため大手が、河川用は中小が受注するケースが多い。国土交通省、農林水産省、独立行政法人水資源機構、地方自治体などが発注する。

5572.1/11/2007
教員採用試験問題の漏洩(5)

 福岡市教育委員会の調査委員会の調べで、事件の概要が判明してきた。
 漏らしたのは、教育委員会の幹部(60)で、試験問題の作成に関わっていた。情報を入手したのは、元市立小学校で校長をしていた人物(65)だ。元校長は、退職後、教員採用試験の受験者向けに個人的に勉強会を開いていた。幹部は、試験問題検討委員会のメンバー。ふたりは関係が深かった。幹部は、教育委員会内部で理事という要職にあった。理事は教育長・教育次長に次ぐナンバー3のポストだ。元校長は、理事の話をもとに、予想問題を作り、大学の後輩の就職支援講座で配っていた。しかし、実際の試験問題と元校長が作った予想問題が酷似していたため、話を聞いただけで作れる問題かは疑問が残る。
 12月30日の聞き取りでは「最近の教育界が抱える課題をキーワード的に語っただけ」と発言している。しかし、調査委員会が大学の後輩のことを考えたのではないかという質問には「あったかもしれません」と答えている。問題を漏洩させたのではないと受け止められる発言だが、疑わしい行動をしたことは確かだ。情報を入手した元校長は「今年の2次試験とは思わなかった」と話し、その後連絡がとれなくなっている。こちらは、言い訳としか思えない。そもそも試験問題に深くかかわっている人物と、試験前にコンタクトをとっている事実が、常識を疑われてもおかしくない。後輩のために予想問題を作成して配布するような目立つ行動をとるならば、なおさらのこと、問題を作成していた関係者との接触は慎むべきだった。先述したが、元校長は、30日の聴取のあとから連絡が取れなくなっているという。
 植木とみ子教育長は「2人の認識は甘かった。社会正義上、許されることではない」と話している。 そういう問題で済むことなのだろうか。
 試験を受けたひとたちに、有利な情報が入ったひとと、入らなかったひとがいた事実を軽視してはいけない。また、調査委員会は真実を明らかにする目的があるが、そのことにより、個人にすべてを押し付けるのは筋が違う。採用試験は、個人の名において実施されているのではなく、教育委員会という機関が実施しているのだ。当然、最終的な責任は実施した教育委員会が負うべきだ。受験したすべてのひとを合格にするか、問題をさしかえて、再試験をするかのどちらかが社会正義というものだろう。そういう責任が果たされなければ、事前に有利な情報を入手できずに、不合格だったひとたちは、就職差別を受けたことによる精神的なダメージについて、教育委員会を相手に慰謝料請求の民事裁判を起こすかもしれない。

5571.1/10/2007
教員採用試験問題の漏洩(4)

 今回の事件に関して、インターネットの自由書き込みができる掲示板を見てみると、かなりのひとが「福岡だけのことではない」と思っている。高校の単位未履修事件みたいに、全国各地で行われているのではないかと疑っている。「教員のこどもが教員になる割合が多いと思ったら、やっぱり親から問題を教えてもらっているんだ」と結論づけている投稿もあった。そして、それに納得する返事を書き込むひとたちも多かった。ネットの世界では、多数の意見が主流を占めると、それが事実であるかないかはどうでもよくなり、少数意見は袋叩きにあう傾向がある。だから、わたしは、そういう掲示板を読んでも、反論はせずに、傍観者を装った。
 実際にどんな問題が漏洩したのか。
 二次試験には、集団討論という試験がある。出題側がその場で討論の題目を提示して、無作為の集団で討論を行う。その題目が流出していた。「出生率の低下による少子化の問題点とその対策について」「団塊の世代の大量退職時代を迎えるが、その社会的問題と対策について」などと箇条書きに書いてあるメモが流出し、試験では、少子化の原因やベテラン職員の大量退職に危機感を持つ企業への対策などについて討論させている。その場でいきなり題目を聞くので、題目に関する見識や知識の有無は、討論をするときに大きく受験生の立場を左右する。あらかじめ題目を知っていた受験生と知らなかった受験生とでは、有利不利がはっきりと分かれたと想像できる。ただし、この試験は、わたしも受験したときに思ったが、討論のなかみや結論に重点が置かれていない。個々の話し方や流れに即した反応などがチェックされるので、場の雰囲気を読みながら、効果的な発言をしていれば好印象を試験官に与えることができる。教員になりたいと思って受験するのだから、題目に関する見識が乏しくても、討論の場で「あまりそのことは知りません」とは言わないのが普通だ。
 もうひとつの試験である「模擬指導」でも問題が流出していた。かつては「模擬授業」という言い方もしたが、福岡市では、模擬指導というらしい。受験生が教員役になり、ほかの受験生や試験官が子ども役になり、定められた題目について制限時間で授業をするものだ。これは、事前に題目を知っているか知っていないかで、大きなメリットデメリットがあるだろう。まったく知らない題目が出題されたら、頭の中が真っ白になり、指導どころではなくなるからだ。漏洩したメモには、食物アレルギーに関する問題や、特殊学級と通常学級の生徒の交流についてなど7テーマ分が書かれていた。実際の試験では、そのうちの4つを含めた計6つのテーマが出された。
 採用試験の問題はどのように管理されていたのか。
 教育委員会教職員部の職員が問題案を作成した。その問題案は、問題検討委員会に提出される。問題検討委員会は、実際の採用試験で使う問題を決めた。そして、採用試験問題が作成された。これは8月14日にシュレッダー処理されるまで、教育委員会教職員部の会議室の段ボール箱に保管されていた。この部屋は鍵がかけられていなかったことがわかっている。しかし、この部屋の出入り口を一般のひとが通過するのは、とても目立つので、調査委員会は内部からの犯行と断定している。
 教育委員会は、1月になって採用試験を受けた464人全員に聞き取り調査を始めている。すでに合否の判定が通知されていることを考えると、たとえ事前に問題を知っていたとしても、正直にそのことを告白する合格者がどれだけいるのかが疑問になる。さらに教育委員会の幹部は、「(2次試験の)面接試験は人物本位。事前に問題が分かっても得点に大きな影響はないのではないか」と話しているそうだ。これでは、やった者勝ちではないか。

5570.1/9/2007
教員採用試験問題の漏洩(3)

 教員免許の更新は、そんな余剰教員のリストラ策の一環だろう。現在の法律では通常級で、同年齢の子どもが40人で1学級と定めている。41人になったら20人と21人にわけて、2クラスにする。1人の違いで、教員が1人から2人になる。つまり、子どもの数が1人違うだけで、年収500万円から600万円の教員をさらに雇用しなければならない。かつて、子どもの数がとても多かった時代に、たくさんの教員を雇った。しかし、いまは、子どもの数が減少して、法律的には教員のほうがあまってしまう状態になっている。それは、採用された教員に責任があるのではない。採用した側に将来への見通しがなかっただけのことなのだ。
 子どもが減少した時代に、新採用をまったくとらなかった自治体がある。将来的に教員があまることがわかっていたので、それを解消させる手立てだった。また、子どもが多い時代にわざと非常勤を多く採用した自治体もある。これも将来を見通した手立てだった。当時は、そのどちらも批判を浴びた。
 新採用をとらないと、やがて教員の平均年齢は上昇し、校内の年齢分布が高齢者ばかりの集団分布になってしまう。そこに新採用が必要になってから計画的に採用しても、中間年齢がまったくいないので、技術や考え方の伝承が途絶えてしまうのだ。
 また、非常勤ばかりを採用していると、一年間で教壇を去るひとばかりになってしまい、校内の仕事を継続的に担当するひとが減り、学校の活性化が遅れる。わずかな正採用のひとたちに仕事が集中し、労働格差が生じる。
 これらの批判は、すべて現実のものとなり、いまの学校現場に大きな影を落としている。しかし、計画的な採用人事という点では実りもあった。いま子どもの数の減少がとまり、ふたたび教員が必要な時代になって、毎年一定数の新採用が試験に合格するようになってきているのだ。なかには、「えっお前が受かったの?」と疑いたくなるような資質の者もいるぐらいだから、だいぶ競争率は下がっているのだろう。
 そんななかで福岡市は、どんな採用プランで長年教員を採用してきたのだろうか。各自治体には、国立の教員養成大学がある。20年ぐらい前までは、そこを卒業したひとたちが学校では多数派で、同窓会を作り、ほかの私立大学を卒業したひとたちとは一線を画し、人事や授業研究の情報交換を行っていた。主流派と呼ばれ、とても閉鎖的な組織だった。職員室の机には、その同窓会の会報が配られ、だれがメンバーで、だれがメンバーではないかが一目瞭然だった。親子三代に渡って同じ大学を卒業し、その同窓会で情報を交換しながら、教員採用への便宜がはかられることは、きっとあっただろうと推測できる。わたしのように、私立大学の卒業者が外から見ていても、気づくぐらいだから、内部のひとたちにとっては常識的なことだったと思う。
 その大学が福岡では、福岡教育大学だ。教育委員会から問題を漏洩させたひとと、その情報を受け取ったひとがいる。
「2人はともに福岡教育大(福岡県宗像市)の卒業生。元小学校長は試験前日の2006年8月20日、同大付属福岡小学校(福岡市)の教室で、同大同窓会「城山(じょうやま)会」の有志らと試験対策の勉強会を開き、同大出身の教員試験受験者ら約50人に試験対策の集団討論や模擬指導をした。この際に、予想問題を使ったと認めている」(asahi.com)。かなり、詳細な部分までばれてしまった。

5569.1/8/2007
教員採用試験問題の漏洩(2)

 わたしの父は、ちょうどわたしが神奈川県の教員採用試験を受験するときに、教育委員会にいて、美術の問題を作っていた。だからだと思うが、試験の数ヶ月前からホテル暮らしをして、自宅には戻らなかった。疑われたくないと思ったのだろうが、かなりの出費になっただろう。
 教育委員会幹部と、校長も教育委員会での仕事も経験して退職したひとと、密接なつながりがあるのは、周知のことだ。藤沢の居酒屋に行くと、こそこそカウンターで肩を並べる光景をよく目にする。個人の付き合いは自由だが、そこで問題が漏洩されるようなことがあったとしたら、教育行政への信頼は崩壊してしまう。情けない。
 ただ、問題情報を受け取ったとされるひとが、捜索願が出ていることが気にかかる。人前に出られないと思って隠れているのならばいいのだが、死んでお詫びをなどと考えているとしたら、もうそのような方法はやめてほしいと願う。マスコミも、自殺という結果を知っても、報道しないでほしい。
 教員採用試験の問題を受験生に知らせたのは、やってはいけないことだが、だれかを精神的にも肉体的にも傷つけたわけではない。暴力的でもないし、非人道的でもない。自分のためというよりも、母校の卒業生を気遣ってというのならばなおさらのことだ。
 その責任をとって、自殺という手段を決行したら、よのなかのいじめや虐待で苦しんでいるこどもたちに、弱い立場になったら、自分が追い詰められたら、やっぱりひとは死にたくなるんだということを学習させてしまう。そして、こどもたちに「いのちの大切さ」を教えていただろう校長経験者が、自分のいのちを大切にしないことを目の当たりにして、おとなのいうことなんて、でたらめだということも、学習させてしまう。
 そもそも、この事件で公的な場所で頭を下げるべきは、問題を漏洩させた教育委員会の幹部と呼ばれるひとのはずだ。そのひとが、どんな誘惑や利益があったとしても、問題を第三者に事前に知らせることをしなければ、事件にはならなかったのだ。そこが、まったく問われていないのがおかしい。そのことをまったく追及しないマスコミもおかしい。きっと、そんなことをしたら、福岡市役所の記者クラブから排除されてしまうのだろう。それが怖くて、ペンの刃・マイクの刃を向けることができないのだ。
 教員免許状の更新について、いまの首相は全力を傾けている。いま教員のひとたちを免許状を更新させることでふるいにかけようと思っているのだろうが、それ以前に入口段階の採用試験については、あまり世間に知られていない。この試験は正式には、教員採用候補者名簿搭載試験(神奈川の場合)という。この試験に合格したからといって、翌年の春から小学校や中学校に赴任できるとは限らない。教員として自治体雇用する候補者名簿に名前を載せることを決める試験なのだ。こどもの数は流動的で、新年度に不足する教員数を計算上は出していても、なんらかの理由でこどもの数に変動があり、必要な教員数と違いが生じる。そのため、ぎりぎりの人数を合格させてしまうと、絶対数が不足することになる。そこで、あらかじめ予定数よりも多くの人数を合格させておくのだ。そして、年度が始まってから一年間で病気退職や自己都合退職などで教員が辞めるたびに、名簿に登載されたなかから順次赴任させていく。将来的に、こどもの数が減少することがわかっている自治体では、はじめから名簿搭載者を少なくしておいて、教員の不足分は試験には合格していないけど、教員免許は持っているひとを、一年間の非常勤教員として雇用するところもある。正式に雇用してしまうと、子どもの数が減少して、教員があまってしまっても法律的には解雇できないからだ。

5568.1/6/2007
教員採用試験問題の漏洩(1)

 毎年、夏に全国の政令指定都市と都道府県で、公立学校の教員採用試験が実施される。年々、こどもの数が減少しているので、競争率が上昇する傾向にあったが、最近は応募者が減少したことと、こどもの減少がある程度横ばいになったことで、かつてのような狭き門ではなくなってきている。また、ある年数、非常勤で働いたひとには一次試験が免除されるなどの優遇措置も始まっている。わたしが受験した20年以上前は、神奈川県の試験要項に「採用定員:若干名」としか書いていなかった。後に聞いたところでは、2100人が受験して70人が合格したそうだ。いまは、全県で500人ぐらいが毎年採用されているので、新採用の割合は増えつつあるだろう。
 その採用試験だが、問題はそんなに難しくはない。専門的な知識を問うものも多いが、基本的には書店で売っている過去数年間の採用試験問題集を丸暗記すれば間違えることはない。一次試験は暗記力の勝負と言っていい。そこには、不正が入り込む余地がないように、採点は完全にコンピュータが行うようになっている。ひとが介在すると悪いことが起こると、教育委員会も認めているのだ。これは神奈川県の方法なので、ほかの自治体はどうなっているかは知らない。
 一次試験に合格すると、二次試験が待っている。二次試験以降は、教員の適正を問うものが多くなり、実技中心の試験が行われる。デッサンや模擬授業、模擬ミーティングなどは、テーマがそのときに伝えられるので、あらかじめ用意しておくことが難しい。日常的に社会問題に関心をもっておくことが必要だ。逆に、そのテーマが事前に知らされていたら、何も知らない受験生との差は歴然とする。そういうことはないという信頼のもとに、採用試験は成立していると思っていた。
 福岡県福岡市で、昨年の夏に行われた教員採用試験の問題が、事前に外部に漏れていたことが判明した。
「試験問題検討委員会の委員を務めている市教委幹部が、市教委のOB職員に問題案の内容を伝えた疑いの強いことが市教委の調査で分かった。このOB職員は市教委から事情を聴かれた直後から行方が分からなくなっている。市教委はこの幹部からさらに事情を聴き、流出経路を含めた問題の全容解明を目指す。
 複数の市幹部によると、この幹部は試験問題の作成にかかわっていた。調査委の調べに、事実関係を大筋で認めるような話をしているという。幹部とOB職員は交流が深かった。02年に退職したOB職員は福岡県内の大学出身で、福岡市内の小学校長などを務めた。母校の教職員試験の合格率が最近低下し、懸念していることを周囲に伝えることもあったという。
 試験問題検討委員会は市教委幹部ら11人で構成し、毎年行われる教員採用試験2次試験の問題案を作成している。漏えいが指摘された昨年の問題は昨年7月6日に試験問題検討委員会を開いて意見を聞き、同月中旬に問題が決定した。今回、事前に一部学生の間に出回った予想問題と実際の試験問題を照合したところ、7月6日時点の内容が漏えいしたと見られることが分かった。
 市教委は昨年末に一部報道機関から試験問題が流出したことを指摘され、植木とみ子教育長ら10人で構成する調査委を設置。これまでに試験問題検討委員会の委員や採用試験にかかわった職員計25人から事情を聴いている。
 調査委の調べは昨年末から始まったが、事情を聴かれたOB職員は直後の今月1日から行方が分からなくなった。関係者は自宅近くの駅で顔写真入りのチラシを配るなどして行方を捜し、警察にも捜索願を出している」(毎日インタラクティブ)。

5567.1/4/2007
NFL2006-2007シーズン(3)

 NFCのプレイオフ出場チーム。
 東地区は、フィラデルフィア・イーグルス。混戦のなか10勝6敗で地区優勝を果たした。ペンシルバニア州フィラデルフィアは、1776年にトーマス・ジェファーソンらによる独立宣言が行われた土地。イーグルスも1933年に創設されたNFLのなかでは古豪チーム。スーパーボウルには2回出場しているが、まだ優勝したことはない。QBは、ドノバン・ マクナブ。HCは、アンディ・リード。2人のコンビで、2001年から2004年まで毎年プレイオフ出場を果たし、NFCチャンピオンシップまで勝ち進んでいる。
 西地区は、シアトル・シーホークス。ここも今シーズンは混戦で、なんと9勝7敗で地区優勝を果たした。二桁勝利に届かないで優勝したのは、シーホークスだけだ。QBは、マット・ハセルベック。HCは、マイク・ホルムグレン。シアトルといえば、イチロー選手のシアトル・マリナーズが有名だが、アメリカンフットボールも盛んな土地だ。また、スターバックスコーヒーやマイクロソフトの発祥の地でもある。ホルムグレンは、かつての常勝チームグリーンベイ・パッカーズでわたしが大好きなQBブレット・ファーブを育てた。1999年にパッカーズからハセルベックを連れて移籍し、昨シーズンチーム史上初のスーパーボウル出場を果たした。
 南地区は、ニューオリンズ・セインツ。ここも今シーズンは混戦で、10勝6敗で地区優勝を果たした。ニョーオリンズは、アメリカ南部ルイジアナ州最大の都市だ。2005年、ニューオリンズをハリケーン「カタリーナ」が襲い、街は壊滅的被害を受けた。セインツはそのシーズン、本拠地ルイジアナ・スーパードームを離れ、復興を願う市民を勇気づけるために戦った。スーパードームは、避難住民の避難所として使われた。QBは、ドリュー・ブリーズ。HCは、ショーン・ペイトン。南地区にはNFLの強豪がひしめき、2001年以降は一度も優勝していない。スーパーボウルへの出場はない。
 北地区は、シカゴ・ベアーズ。13勝3敗の好成績で地区優勝を果たした。1920年に創設され、NFLではカーディナルスに次ぐ歴史をもつ。QBは、レックス・グロスマン。HCは、ロビー・スミス。20回(1985)のとき初めてスーパーボウルで優勝している。同地区に常勝チームのグリーンベイ・パッカーズがいるため、最近は地区優勝から遠ざかっていたが、ことしは古豪復活を印象付けた。初代HCのジョージ・ハラスは1967年の引退までのべ40年間もチームを指揮した。そのためNFCチャンピオンに贈られるトロフィーを「ジョージ・ハラス・トロフィー」と呼ぶ。
 この4チームに続く成績を残した2チームがワイルドカードとして、プレイオフに出場する。東地区2位のダラス・カウボーイズと、東地区3位のニューヨーク・ジャイアンツだ。
 プレイオフは、レギュラーシーズンと違い、全試合勝ち抜き戦だ。一回しか試合をしない。負けたら、選手をはじめチーム関係者の今シーズンは終わる。対戦する両リームの成績のいい方のホームスタジアムで行う。全米は広いので、圧倒的にホームチームが有利になる。
 まず1月6日と7日に、ワイルドカードプレイオフが行われる。地区優勝をしている4チームの中で4番目の成績のチームとワイルドカード1位のチーム。地区優勝3位のチームとワイルドカード2位のチームが対戦する。体力の消耗が大きいスポーツなので、この試合に出場するチームは、ほかのチームよりも試合数がひとつ多い。たとえ勝っても、次の対戦で勝つのは難しい。ワイルドカードプレイオフからチャンピオンになった例はほとんどない。

5566.1/3/2007
NFL2006-2007シーズン(2)

 今シーズンはたまたま12月31日が日曜日になった。NFL最終節が各地で行われた。最終節の結果で、プレーオフに出場する12チームが確定するシーズンだったので、どの試合も見逃せないものばかりだった。
 そのひとつに、デンバーとサンフランシスコの試合があった。デンバーの守備チームで2年目のコーナーバックを担当したダレン・ウイリアムズ選手の訃報には驚いた。「コロラド州デンバー──米プロフットボールNFL、デンバー・ブロンコスのCBダレン・ウィリアムズ選手(24)が1日未明、デンバー市の中心街で銃撃を受けて死亡した。警察から連絡を受けたブロンコスの広報担当者が明らかにした。 デンバーの警察によると、同日午前2時過ぎ、ウィリアムズ選手ら3人が乗った白色のリムジンが、併走していた車から銃撃を受けたという。 リムジンに乗っていた3人は、すぐに病院に運ばれたが、男性1人の死亡が確認された。この男性が、ウィリアムズ選手とみられる。残る男女についての詳細は明らかになっていない。 警察は現在、容疑者を捜索中で、目撃者からの情報を求めている。 ブロンコスは銃撃事件の前夜12月31日に、サンフランシスコ・フォーティナイナーズに23─26で敗れ、プレーオフ進出を逃していた。この試合にウィリアムズ選手も出場したが、試合後半に肩を負傷し、退いていた」(CNN http://www.cnn.co.jp/)。いまのところ、事件と試合との関係はわかっていない。
 AFCのプレイオフ進出チーム。
 東地区は、ニューイングランド・ペイトリオッツ。12勝4敗の好成績で堂々の地区優勝を果たした。数年来、安定した戦力を維持し、スーパーボウルには5回出場し、そのうち3回も優勝している。とくに、連覇は困難といわれるジンクスを破り、38回(2003)と39回(2004)で連続優勝した記憶は新しい。2003年シーズンから今シーズンまで連続してプレイオフ進出を決めている。攻撃の要であるクオーターバック(QB)は、トム・ブレディ。ヘッドコーチ(HC・監督)は、ビル・ベリチック。マサチューセッツ州ボストン郊外に本拠地を置く。湘南憧学校のモデルであるサドベリーバレースクールが近くにある。
 西地区は、サンディエゴ・チャージャーズ。14勝2敗のトップ成績で地区優勝を果たした。29回(1994)に初めてスーパーボウルに出場したが、負けている。QBは、フィリップ・リバース。HCは、マーティ・ショッテンハイマー。攻撃チームでボールを持ちながら突進するランニングバック(RB)のラデイニアン・トムリンソンは、通算1749ヤードを走り、リーグトップ。守備チームで、ボールを持った選手をタックルするラインバーッカー(LB)のショーン・メリマンは、QBをタックルするサックという成績が15.5回で、これもリーグトップだった。
 南地区は、インディアナポリス・コルツ。やはり12勝4敗の好成績で地区優勝を果たした。ペイトリオッツと並んで、数年来、安定した戦力を維持している。スーパーボウルには2回出場し、5回(1970)で優勝している。QBは、ペイトン・マニング。HCは、トニー・ダンジー。2002年から連続してプレイオフ出場を果たしている。
 北地区は、ボルティモア・レイブンズ。13勝3敗の安定した結果を残して地区優勝を果たした。スーパーボウルには1回出場し、そのときに優勝している。1996年にできた新しいチームだが、4年後の2000年にスーパーボウル制覇を達成したのは衝撃的だった。QBは、スティーブ・マクネア。HCは、ブライアン・ビリック。去年とおととしはプレイオフに出場できなかったので、3年ぶりの地区優勝である。
 この4チームに続く成績を残した2チームがワイルドカードとして、プレイオフに出場する。東地区2位のニューヨーク・ジェッツと、西地区2位のカンザスシティ・チーフスだ。

5565.1/2/2007
NFL2006-2007シーズン(1)


 アメリカンフットボールのプロリーグNFL(National Football League)がレギュラーシーズンを終えた。毎年、9月から12月までの週末を使って17週間にわたって行われる。途中、各チームには1試合の休憩が与えれている。レギュラーシーズンは16試合を行う。サッカーや野球に比べて試合数は極端に少ない。それでも、選手の年俸は高額選手になると野球やサッカー以上になる。それだけ、アメリカではファン人口が多く、かつ試合による選手の疲労度が高いスポーツなのだ。
 ふつう、世界ではフットボールといえば日本でいうサッカーのことを表す。しかし、アメリカではフットボールといえばアメリカンフットボールのことを意味する。だから、「I like a football」といったら、サッカーが好きなことをいっているのではない。地域によって言葉の意味するものは違うので、知っておかないと誤解を招く。
 NFLはアメリカンフットボールのプロリーグだ。かつて複数あったプロリーグが統一されていまはひとつのリーグになっている。リーグには32チームが加盟している。それが16チームずつに分かれて、それぞれのチャンピオンチームを決める。日本のプロ野球のセリーグとパリーグみたいなものだ。ふたつのチャンピオンが決まったら、最後にチャンピオンどうしがゲームをする。それをスーパーボウルという。
 16チームに分かれるといっても、それは統合されてきたプロリーグの歴史と関係があるので、最初から32チームあって、それを半分に分けているわけではない。いまはたまたま16チームずつになって均衡が取れている。16チームに分かれるグループをカンファレンスと呼ぶ。一般的には「会議」とか「協議会」という意味だが、いまでは「アメリカンフットボールでのリーグの下位区分」と乗せている辞書もある。それだけ一般的な言葉として定着している。アメリカンフットボールカンファレンスとナショナルフットボールカンファレンスと呼ぶ。前者をAFC、後者をNFCと表記する。
 それぞれのカンファレンスは4つの地区に分かれる。その4つの地区にちょうど4チームずつ所属する。9月から12月までのレギュラーシーズンは、その地区での優勝を目指す戦いなのだ。4チームしかないので総当たりでは1チームにつき3試合しかない。ホームアンドアウエイ方式なので2試合ずつするとしても、6試合しかない。残りの10試合は、リーグが決める。同じカンファレンス内での試合が基本だが、テレビ視聴率が取れそうなカードは違うカンファレンスどうしでも試合を組む。相撲の取り組みを相撲協会が日々の勝敗結果を見ながら決めていくのに似ている。4つの地区は、東西南北の名前がついている。たとえばAFCの東地区だったら、AFC Eastと呼ぶ。
 レギュラーシーズンを終えると、合計8つの地区でもっとも勝率の高かったチームが地区優勝チームになる。この8チームは自動的にカンファレンスの優勝チームを決めるプレイオフに進出できる。さらに、地区優勝は逃したけれど、それに続く勝率を残した4チーム(各カンファレンスで2チーム)がカンファレンス内からプレイオフに出る権利を得る。これをワイルドカードという。年間に16試合しかしないので、地区内での成績が均衡することが多い。ひとつの勝ち負けが、地区内での順位や優勝、ワイルドカード権利に向けて大きく影響を及ぼす。その緊張感が、わたしにはたまらなく魅力に感じる。
 実際、今年度はNFC Eastからは地区優勝したチームに続いて、2位と3位だったチームも勝率が高かったので、ワイルドカードに選ばれている。一つの地区には4チームが所属しているから、そのうちの3チームがプレイオフに出場するのは、とても珍しいことだが、そのような可能性も含んだ方式を取り入れているのも、応援するひとたちを魅了してやまない理由のひとつだと思う。

5564.12/3/2006
ゆくとし(7)


 一月には、防衛庁が防衛省になり、新しい教育基本法を具現化する法律の制定が始まる。地方自治の仕組みが縮小され、教育行政における中央集権体制への骨組みが作られる。指導内容に、愛国心が盛られ、教員免許の更新制度も検討される。いまの政権中枢の真のねらいは、憲法の改正だろうが、それまでにはまだ多少の時間がかかるだろう。しかし、よのなかは、確実に一九三〇年代に戻ろうとしている。近い将来、自衛隊は、日本国軍と名称を変え、徴兵制が復活するかもしれない。集会の自由は奪われ、言論統制が始まるかもしれない。そうなったら、時代の歯車を逆回転させることは難しい。
 自由な考え方、自由な思想、自由な発言、自由な生き方が認められた社会でこそ、真の民主教育は実践できる。ある偏った考え方しか認めない枠組みの中では、学校教育は政治と一体化した国威高揚の機関として使われてしまう。

 大晦日の朝刊に、教員と警察官の事件記事が載っていた。

「強制わいせつ:女性の体に触る…容疑の教頭を逮捕 埼玉
タクシー待ちをしていた女性の体を触ったとして、埼玉県警越谷署は30日、同県越谷市七左町7、同県三郷市立後谷小学校教頭、勝又春夫容疑者(57)を強制わいせつ容疑で逮捕した。

 調べでは、勝又容疑者は30日午前1時ごろ、東武伊勢崎線新越谷駅前のロータリーで、タクシーを待っていた越谷市内に住む無職の女性(43)を「一緒にホテルに行こう」と誘ったが断られたため、後ろから女性に抱きついて近くのビルまで連れていき、シャッターに押しつけて服の上から体を触った疑い。

 勝又容疑者はその後立ち去ったが、追いかけた女性が近くの路上で発見し、通行人の男性と共に取り押さえた。「スナックで一人で酒を飲んでいた。ムラムラしてやった」と供述している。【秋本裕子】

公然わいせつ:警視庁警部補を容疑で現行犯逮捕
 電車内で下半身を露出したとして、神奈川県警相模原署は30日、相模原市大野台5、警視庁調布署地域課警部補、石井慎也容疑者(50)を公然わいせつ容疑で現行犯逮捕したと発表した。石井容疑者は当時酒に酔っており、「覚えていない」と供述しているという。

 調べでは、石井容疑者は29日午後8時40分ごろ、京王相模原線南大沢−橋本駅間を走行中の下り急行電車内で、下半身を露出した疑い。【伊藤直孝】」
(毎日インタラクティブより http://www.mainichi-msn.co.jp/)

 無関係なふたりだろう。しかし、大晦日を前にした二九日の夜に酒を飲み、その帰り道で強制わいせつ・公然わいせつ行為をして、ともに現行犯逮捕された。年齢はともに五〇歳代だ。年末年始を拘置所で送りながら、取り返しのつかない行為の代償を新年早々から払うことになる。おそらくふたりとも公務員なので、依願退職になるか、諭旨免職になるかわからないが、なんらかの処分が下され、いまの仕事とは縁が切れることになるだろう。
 なぜ、どうして、まさか。時計の針を元に戻すことは誰にもできない。きのうまでの自分の生活が、あしたも同じように続くとは限らない。一瞬にして、魔が差したり、運命がいたずらしたり、宿命が芽を出したりして、わたしたちの人生は、予想外のフェーズへと展開していく。できることなら、夢のある場面展開を望みたい。

 くるとし。二〇〇七年。
 願わくば、しつけと称した未成熟なおとなによるこどもへの暴力やネグレクトが減少することを。
 願わくば、いじめから抜け出し、生きる意味や、生きる方向性を見つけることができるこどもが増加することを。
 願わくば、どんどん全体主義化する学校を、少しでもこどもと未来のために守ろうとする教職員が退職の道を選ばないことを。
 願わくば、効率や生産性ばかりを求めない企業や機関が、社会的に認められ、脚光を浴びることを。
(メモリーソルジャーは休載します)

5562.12/29/2006
ゆくとし(5)

 ことしの自殺にまで至ったいじめ事件では、これまでと違う様相が見られた。
 いままでは、学校や教育委員会は、いじめの事実があっても、それを認めようとはしなかった。仮に認めたとしても、それが自殺につながる原因だと認めることはしなかった。それが、メディアや世論の力で、文部科学省のいじめに関する定義が変更されたことにより、教育委員会や学校がいじめの事実やいじめが原因で自殺したと認めるようになった。
 これは、こどもが自らの命を絶った理由を知り、責任の所在を明確にすることを求めてきた遺族には朗報だった。しかし、法的にはいじめた相手の刑事責任を問うことは難しい。だから、いじめの再発防止や、責任の所在を明らかにすることはできても、自分のこどもを自殺にまで追いやった当事者や、その保護者が、なんら責任を問われないという納得いかない気持ちが残る。
 また、いじめについては、再発防止など困難であって、集団が存在する限り、ひとの妬みや嫉みは必ず発生し、ひとはひとをいじめる生き物なのだ。だから、再発防止に教育行政が躍起になるよりも、いじめられて苦しんでいるこどもの救済方法を確立することのほうがずっと有効である。
 文部科学省は、全国の公立学校に学校カウンセラーを配置し、その人数や担当時間数を増加すると発表している。しかし、現実にはひとつの学校に一週間に一日や二日しか来ないカウンセラーに、こどもたちの人間関係やこころの苦しみを解決させることができるのか、とても疑問だ。常駐のカウンセラーが、ほかの学校職員と同じ勤務体系で配属されない限り、こどものこころの苦しみは緩和されないだろう。
 もうひとつ、いままでと違った大きな特徴は、続々と自殺予告や遺書が残されたことだ。それも、友人や家族に宛てたものだけでなく、文部科学大臣宛に送られたものが多かった。
 自らの苦しみを、自殺という方法で解決しようと考えたこどもが、その苦しみを文章に残すことで、なにをねらったのか。そのことを考えない限り、これからも自殺予告や遺書に、残された者は振り回されてしまう。多くは、自分を苦しめた相手を告発することをねらったと考えられる。だれがどんなことをしたかを、赤裸々に綴ることで、死んで恨みを返そうとしたのではないかと思う。
 わたしが学校に勤務するようになった二十年以上前は、いじめを受けたこどもは、その事実を受け入れることができなかった。自分はひとからいじめられるような存在ではないと信じる傾向が強かった。その結果、だれにも悩みを相談できないで、ひとり苦しんだ。自分のいけないところはどこだろう。自分はどう変わっていけばいいのだろう。たくさん考えながら、自分といじめる相手との距離のとり方を工夫した。なかには、不登校になるこどももいた。あるいは仲間を集めて復讐するこどももいた。いまほどではないかもしれないが、自殺したこどももいただろう。
 しかし、ことしのいじめ事件に見られた自殺予告や遺書から感じたのは、まったく逆の発想だ。自分には悪いところはなにもない。そんな自分を苦しめる悪者たちを成敗してほしい。死んで告発するので、残ったひとたちで、悪者たちに天誅を加えてほしい。そんなニュアンスが伝わってきた。いじめた相手を特定する内容が多かった。
 なにも理由はないのに、あるいは少しほかのこどもたちと違ったことをしたり、違った特徴をもっているだけで、陰湿ないじめが起こり始めたのは、わたしの経験では一〇年ぐらい前からだと思う。「きみは、なにも悪くない。だから、自分を責める必要はない」。そう言って励ますようになった。バブル経済が崩壊して、失業率が増加し、社会全体が不景気になり、会社の倒産が相次いだ頃からだ。まるで、日常生活の不満のはけ口を、自分より弱い者に向けようとしていたのではないかと思うほどだ。
(メモリーソルジャーは休載します)

5561.12/28/2006
ゆくとし(4)


 学校は、多くの少年犯罪を、教育的配慮という理由で擁護している。
 かつあげ、窃盗、万引き、覗き、暴力、器物損壊。明らかに法律に違反する行為は、いじめとかなんとか言う前に、法律の裁きが必要なことだ。しかし、将来あるこどものために、事を大きくせず、同じ事を繰り返さない指導をするという建前で、警察への通報はほとんどしない。なかには、保護者にも伝えないものもある。
 わたしは、誤解を覚悟で言うが、これらはこどもを擁護する対象のものではないと考えている。もっと正確に言うと、法律に違反する行為をしたこどもに対して、なにもなかったことにしてしまうことが、こどものためにはならないと考えている。問題を外部に知らせるということは、当然だが校長や担任など、学校関係者も外部と接触することになる。それらが面倒なのか、事件を起こすこどもがいたということを隠さなければいけない事情があるのか、なぜか学校は法律違反をしたこどもには寛容である。
 わたしは、犯罪行為は、よのなかの仕組みを教える意味でも、法律に則った手続きを踏むことも、教育の役割だと思う。もちろん、犯罪をおかすこどもには、それなりの事情があることは知っている。生まれながらの気質だけで、暴力的な振る舞いをするこどもは、そんなにいない。
 しかし、昨今では、こういった犯罪を学校が警察に通報すると、保護者が逆切れして、学校や教師が、こどもが犯罪をおかすことを未然に防がなかったことがいけないと騒ぐケースもある。未然に防ぐ対策をしていなかった責任が、学校に問われるのだ。包丁を凶器にして殺人事件を起こした犯罪者が、包丁を作ったひとや、包丁を売った店を訴え、「わたしは包丁があったから事件を起こしてしまった。悪いのは、わたしではなく、この包丁を作ったり、売ったりしたひとたちだ」と言っているようなものだ。責任転嫁としか、思えないようなことだが、学校では、逆切れした保護者に対しても、いちいち善後策を講じようとする。だから、犯罪をおかしたこどもは、罪の意識も、反省の認識もなく、同じ事を繰り返す。
 これに対して、仲間はずれ、言葉の暴力、物を隠すなど、一般的にいじめと言われる行為は、首謀者や関係者を特定するのが難しく、因果関係の整理にも時間がかかる。また、法律違反とも言いがたく、こどもどうしのいたずらの範囲なのか、からかいなのか、明らかに排除を目的としているのかさえ、特定しにくい。
 いじめに関しては、いじめを行うこどもを矯正することは困難なケースが多い。一方的にいじめてばかりいるわけではないだろう。いじめられたり、いじめたり、いまは安定していても、将来的にいじめる側にまわったりと、こどもの未分化なこころの状態を象徴するような現象なのだ。
 だから、いじめに関しては、いじめられて苦しんでいるこどものケアに重点を置くべきだと思う。
 政府の教育再生会議では、いじめたこどもの出席停止をともなう措置を学校はするべきだと提言している。「あなたはあしたから一週間、出席停止です」と言われたこどもが、「自分も去年、いじめられていた」と言ったら、芋づる式に、たくさんのいじめ事案を調べなおし、多くのこどもを出席停止にしなければならなくなる。ああいう会議で意見を述べるひとたちは、どれぐらいの数、どれぐらいの期間をかけて、全国の学校に足を運び、現場の様子を観察し、レポートしたのだろう。犯罪者を隔離するような方法では、根本的な解決など程遠いのに。
(メモリーソルジャーは休載します)

5560.12/25/2006
ゆくとし(3)


 仲間はずれにされると不安になり、悲しい気分になる。しかし、無理してまで仲間の輪の中にいなければいけないことなど、あまりない。それが許されない環境が、学級である。学級は、一年間も固定され、その関係性から無縁になるには、三月を待たなければならない。小学校では二年間も学級を固定しているところが多くあるので、その場合は七百日間も同じ人間関係のなかに、身を置かなければならない。
 学級という集団には、社会生活上の集団とは違う特殊性がある。
 年齢が同じ。人数が固定されている。男女比が考慮されている。強制的に所属が決められる。生産性はない。目的性もない。なのに、精神的な目標が示される。リーダーは自然発生的には求められていない。教師が絶対的なイニシアティブを持っている。全員と仲良くすることが暗黙の了解になっている。小学校では、食事と掃除も、この集団を使って行われる。同年代の親友と必ずしも同じ学級になるとは限らない。
 このように、偶然性をもとに集まったメンバーで、一年間も日常生活のほとんどをともに過ごさなければいけない集団が、学級なのだ。とても形式的な集団と言える。その形式的な集団に、学校は多くの実質的な意味を持たせようとしてしまう。
 協力を学ぶ場、協調性を育む場、集団行動を学ぶ場、適応を経験する場。
 本来は、学校教育法という法律で決められた学習をする基本単位が学級だった。しかし、そこには学習だけではない付加価値が多く求められるようになり、教育行政は教科学習以外の多くの価値を指導する場に変容させてしまった。
 たしかに社会生活上のルールやマナーを、社会に出たときの擬似集団として学級を使うことで、こどもたちに教科学習以外の指導をすることは可能である。しかし、それは、社会そのものに学校で事前に扱うだけのルールやマナーが存在していることが前提条件のはずだった。いまや、日本の社会生活はこどもたちに伝えるべきルールやマナーを維持しているとは言いがたい。
 困っている人を助ける。助けようと思うおとなと、見て見ぬ振りをするおとなとどちらが多いだろう。助けようと思っても、その先に自分に災いが降りかかるかもしれない危険性があるので、見知らぬひとや物事への介入は避けようと思うおとなのほうが多いのではないか。いまや、学校でも、知らないひとにはついていかないとか、声をかけられても相手にしないという指導をしている。こどもたちに、見知らぬ人が困っていても、気づかない振りをしなさいと教えなければならなくなった。
 四月の最初に、偶然編成されて、拒否することができない学級集団も、こどもにしてみれば、もともとは、見知らぬこどもばかりの集団である。時間をかけて、互いを理解していくことを求めるのならば、知らないおとなについていかないという教えは、矛盾に満ちている。いまは、知らないおとなでも、声をかけ、関係性を深めていけば、案外、信頼できる存在になるかもしれない。それを否定しておいて、同じ学級のメンバーとはつながりを深めていくように指導しても、こどもは表面上はあわせるかもしれないが、こころの底では、そんな指導を受け止めはしないだろう。
(メモリーソルジャーは休載します)

5559.12/24/2006
ゆくとし(2)


 中小企業や大企業という企業の規模に限らず、職場内にはおとながおとなをいじめる構造が蔓延している。同じ部課内で、同期採用者間で、同じプロジェクトチームで、どの集団でいじめが発生してもおかしくない状況がある。
 もともと上官による体罰(わたしはリンチとしか思っていないが)が慣例になっている自衛隊では、旧帝国海軍や陸軍のような暴力がいまも日常化している。上官の暴力に耐えられることが、自衛官としてのステータスを向上する気運でもあるのだろうか。ナンセンスなことだ。
 役所や学校などの公的機関でも、いじめは存在する。企業のように生産性の目標があるわけではないので、官公庁のいじめは、能力のない者がターゲットになるのではなく、人間関係によるものが多くなる。これは、こどもどうしのいじめに似ている。
 集合住宅や町内会などの地域社会でもいじめは存在する。核家族家庭が増加し、新興住宅地が多くできた。昔からのひととひととのつながりが希薄なところでは、互いが疎遠になりやすい。だから、騒音や異臭など近隣に迷惑をかける者が現れたときに自浄能力が低く、いじめ騒ぎに発展しやすい。
 こどもにとって、もっとも身近なおとなは親だ。次に身近なおとなは学校の教師だろう。親や教師を信頼しているわけではなくても、もっとも身近な存在として、自分が生きていくための模倣基準にしていることは考えられる。思春期を過ぎて、ある時期からは「あんなおとなにはなりたくない」というアイデンティティの確立によって、模倣段階は終了するが、それまではとりあえず模倣基準としてキープしている。
 こどもがおとなの口真似を学習する環境は、テレビではない。家族で自家用車に乗ったときの親の会話がもっとも学習する環境だと言われている。バスや電車と違い、自家用車はプライベートな密室空間で、親にしても他人への気づかいはいらなくなる。ついつい気が緩んでこころの奥底にある本当の自分が顔を出して言葉になる。こどもにとっては、逃げられない密室空間なので、いやおうなく親の言葉は耳に入ってくる。横断歩道をゆっくり歩くひとがいたときに、「だらだらしてんじゃねえよ」と独り言を親が言えば、それは横断歩道をゆっくり歩くひとには聴こえないが、こどもの耳にはスーッと入る。そして、親がいない環境で似たような状況があったとき、「だらだらしてんじゃねえよ」を使いたくなる。
 聞き覚えたことを、有効な場面で正しく使うのは学習の成果だ。しかし、覚えたことの価値が低い場合は、誤学習といって、逆に学習しないほうがよかった結果になる。わたしは、20年以上学校でたくさんのこどもたちに出会ってきて、年々誤学習をしているこどもの割合がとても増えていると実感している。それは、こどもの責任ではない。誤学習させた親やおとなの責任だ。かつては、ナンセンス番組やギャグ番組がこどもの風紀を乱すといって攻撃されたが、いまから思うと本当にああいった番組が当時こどもだったひとたちの将来に悪い影響を与えたのだろうか。そういう番組を見ていたおとなが、自分で気分を害してしまっただけだったと思う。
 いまのこどもたちが、見たり聞いたりする親や教師をはじめとするおとなの姿は、きっと光を失ったさえない姿なんだろう。やがて、自分も年を取ってあんなふうになってしまうのかと思うこどもが多いのだろう。いつまでもこどものままでいても、なんにもいいことはない。かといって、おとなになっても未来に希望は感じない。生きているってつらいだけ。そんな刹那的な気持ちになってもおかしくない。
 こどものいじめ問題を考えるときには、教室から現象的にいじめが見えなくなることを求めてもまってく意味がない。問題の解決には向かわない。その背景にある、おとなたちのため息と不平不満に彩られたいまの日本社会を変えていかなければ、いじめ行為は消えないだろう。そんなことは不可能だと思うなら、こどもたちに「いじめはやめよう」「いじめはいけない」と訴えるのはかえって虚しいだけであり、その虚しさばかりをこどもは受け止めて、おとなをますます信頼しなくなるだろう。
(メモリーソルジャーは休載します)

5558.12/23/2006
ゆくとし(1)


 もうすぐ2006年が終わる。地球上で日本はわりと日付変更線に使い位置にあるので、ほかの地域に比べて、早く新年を迎える。ゆっくり地球が回っていくのにあわせて、世界中のあちこちで、きょうがあしたにかわっていく。
 日本社会の2006年を振り返ったとき、わたしの頭に残るのは、公教育に関するものが多い。きっと、ほかにもっと楽しいことや、大変なことがたくさんあったと思う。でも、職業柄なのか、興味や関心が向いていることだからなのか、公教育に関するものが記憶に残っている。
 いじめ、いじめによる自殺、いじめによる自殺の予告、教育再生会議の不気味さ、教育再生会議の人選への懸念、教育再生会議が提案する内容へのため息、教育再生会議を扱うメディアの姿勢、公教育における大本営発表みたいな怖さ、特別支援教育の新しい流れ、減らない虐待、親によるこども殺し、こどもによる親殺し、数に任せて改正された教育基本法、指導内容に含まれてくる愛国心、高校の単位未履修、政治家のひとことで寛大な措置がまかり通る教育行政、単位未履修を苦にした管理職の自殺、そして、これらのこととは直接のつながりはないが、湘南に新しい公立学校を創り出す会における湘南憧学校事業からの撤退。
 これら、公教育に関するものは、どれも悲観的な内容だ。希望は見えない。すぐれた実践や、感動の友情物語だって、たくさんあったと思うし、そんな情報もたくさん入手したと思うのに、2006年を終えるにあたり、思い出すのは、ため息が出そうなものばかりだ。よいことは忘れ、悪いことばかり記憶に残る。
 わたしは、こどもの世界で起こることは、おとなの世界で起こっていることの鏡だと思っている。こどもはおとなを見て育つ。よいことも悪いことも、まねをして成長していく。だから、おとながしていないことをこどもたちが先んじてやるということはめったにない。流行の最先端で、中年以上のひとたちには想像も理解もできないことを若者がしていることがある。それは、おとなをまねしているのではなく、いまの日本社会では流行の仕掛けに若者が乗っている現象だと思う。流行を若者が作っていた時代はもう来ない。シブカジ、ハマトラなどのローカル発信の若者文化は、情報化社会の成長とともにもっとグローバル化されてしまった。いまや、情報端末を持っていれば、地球規模の情報入手が瞬時にできる時代なのだ。流行は金になる。ファッション、食べ物、グッズなどを生産し流通させ販売しているひとたちが、若者受けするアイテムを日夜、研究し、開発しているのだ。ことしの流行色なんて、化粧品産業が独自に決めているではないか。
 1991年のバブル経済の崩壊以降、日本社会の経済構造はそれまでとは大きく変わった。大量失業社会を実際に経験し、10年以上を経過して、裕福なひとたちは景気は回復したと宣言する。しかし、仕事を失ったたくさんのひとたちに、それ以上の仕事の募集が復活したとは聞いていない。つまり、なにかの基準で仕事を失わずに済んだ一握りのひとたちに、わずかな富が再配分され、そのひとたちの生活レベルが向上したことをさして、景気が回復したと宣言しているような気がしてならない。仕事を失った親が家庭で荒れ、こどもが精神的にも肉体的にも被害を受けた事例を、わたしは実際に1991年以降、数件扱っている。そういった親やこどもに向かって、よのなかのどこを見れば、景気は回復したなどとのんきで無責任なことが言えるのだろうか。
 前の首相は、バブル経済崩壊からの脱却を「痛みを伴う改革」と呼んだ。当時、その痛みの内容が、ひとびとの生活を貧しくさせ、家族を崩壊させ、個人の精神状態を不安定にさせるものだと気づいていたひとたちは少なかったと思う。だれもが、自分は勝ち組に残ると信じ、効率を最優先するわかりやすいものの言い方を支持してしまった。それは、1930年代に、世界の各国でファシズムが台頭してきた頃の、権力者と大衆との関係にとても似ている。
(メモリーソルジャーは休載します)

5557.12/22/2006
小説:メモリーソルジャー (22)


3
 ハルは腕を組み、目を閉じる。イリは、言葉なく、ため息をつく。
「クライアント本人は、この経験からなにを学んだかという抽象化ははかっていないけど、この経験はその後も経験していく社会性の原初経験になっているのは確実なことなんだよね。だれかが困っているときに、見て見ぬ振りをしたときに、いつもこころのなかによみがえる後ろめたさの根源になっている長期記憶なんだ。これを消去したら、後ろめたさを感じなくならないかな」
それは困る。後ろめたさを感じなくなったら、これから先の人生で俺は多くのひとから冷たい人間だと思われてしまうではないか。それにしても、困っているときに知らん振りをしたときに、背中につーっと冷たいものが走っていたのは、この経験が長期記憶として残り、機能を果たしていたとは知らなかった。
 ため息をついたイリが顔を上げる。
「たしかに、原初経験としての価値はあるけど、似たような時期に経験している同じ種類の経験がまだ長期記憶として残してあるから、これを消去しても日常生活上の大きなダメージは少ないと判断するしかないでしょう」
ハルも、静かに同意した。
 イリはコックピットのボタンのなかで、ふたがついているボタンに指をあてる。親指ではじくようにふたを外し、一気に消去ボタンを押した。その瞬間、スクリーンに「本当に消していいですか」という文字が現れた。イリはさらにもう一度、消去ボタンを押した。次にスクリーンには「スズメバチのゴンを消去しました」と表示された。おー、記憶にはタイトルがついているのか。それにしても、スズメバチのゴンとは、わかりやすいタイトルだ。わかったぞ。俺は国語の勉強で「ごんぎつね」という物語を教わったときに、なぜか知らないけど、そこには登場しないスズメバチをとても意識していたことがある。あれは、ゴンがスズメバチに刺された記憶とセットになってこんがらがっていたんだ。これからは、もうこんがらなくなるなぁ。でも、この年になって「ごんぎつね」を読むことは二度とないか。
 長期記憶の一部が、こうやってほかのコックピットでも次々と消去されているのかと思うと、ひとが老いてゆくことが具体的にわかるような気がした。よく、ひとは呆けてしまうと、直近の記憶からなくなり、こどもの頃の記憶が鮮明になってくるという。しかし、実際はこどもの頃の記憶も含めて少しずつ消えているんだ。短期記憶はすっぽり完全に消去され、長期記憶の一部も場合によっては少しずつ消去されていくのなら、やがて長期記憶のなかのとても貴重だと思われるものだけが残る仕組みなのだ。なにが貴重な記憶かという判断を、このソルジャーたちが担っていると思うと、敬意を表したくなってきた。
 いまでは、メモリーソルジャーたちの存在をすっかり信じ始めている俺だけど、今回のことは実験してみよう。目覚めたときに、本当にスズメバチのゴンを忘れているか思い出してみるのだ。しかし、起きたときに、いまこうやって考えていることを果たして俺の意識は思い出すことができるのだろうか。

5556.12/20/2006
小説:メモリーソルジャー (21)


3
 走りながら、器用に石ころを蹴飛ばしている。それも、下校しているほかのこどもたちを狙って。石が飛んできて、逃げ回るこどもたち。その姿がおもしろくて、同じことを繰り返す。俺も含めて五人のわんぱくは、決してだれかに命令されてそんなことをしていたわけじゃない。そもそも上下関係なんてなかったからだ。いっしょにいて楽しい。いっしょにいると本音が出せる。親よりも先生よりも、だれよりも気があう仲間だった。やっていることは悪いことだらけ。だから、形式悪だけど、こどものときにしか経験できない形式悪なら、偽善を装うよりもずっと気持ちが明るくなる。
 やがて、映像は木立が茂る小高い丘に切り替わった。水道山だ。いまは住宅がたくさんできて当時の面影はまったくないが、あの頃はクヌギや松が生い茂り、道なき道を探検するのがとても楽しかった。俺を含めたわんぱく五人は、そのなかを隊列を組んで進んでいく。先頭は、からだの大きなアツ。そして、八百屋の息子のノンが続く。少し肥満気味のノンは、額にびっしょり汗をかいている。俺は三番目。後ろにコブがいて、最後にゴンがいた。
「いてぇ」
最後尾のゴンが悲鳴を上げた。前を行く四人が振り返る。
「どうした」
ゴンはうずくまり、左耳を押さえている。
「いてぇよぉ」
もう半べそになっている。直前を歩いていたコブが近くによって確かめる。
「蜂だぁ」
しゃがんでいるゴンと近寄ったコブの周囲をスズメバチが飛んでいた。
 「うわぁ」。前にいた三人は、助けに行くのではなく、反対方向に逃げ出した。きっと、コブもスズメバチの襲撃に遭っているだろう。そんなことを考えながらも、いまは自分の身がかわいい。ゴンとコブには悪いけど、ここは逃げるが勝ちだった。
 山から下りて、三人で息をはずませていたら、少し遅れてコブとゴンも下りてきた。「なんで逃げたんだよ」とは言わない。そんな友情なんて、あの頃のこどもには無関係だ。ひととひととの関係は具体的な出来事から学んでいく。困っている仲間がいたときに、自分の身の危険を顧みずに助けることなど、想像もしなかった。それがこどもだ。
 ゴンが押さえていた左耳は、押さえている掌よりも大きく腫れていた。耳のかたちをした風船のようだと思った。こどもながらに、これは大変なことになったと思った。
「ゴンを家に連れていこう」
だれかれとなく、同意し、荷物を振り分けて、ゴンが住む社宅まで歩いていった。
 スクリーンの映像は、そこで急に真っ暗になった。

5555.12/16/2006
小説:メモリーソルジャー (20)


3
 ハルは腕組みをしながら、考えているようだ。
「なぜ、ブレコンのように、生き方を左右しかねない記憶維持のための対策があるんだろう」
うんうん、俺もそれを知りたい。
「そもそも、記憶の再生をすべて一律にストップするやり方って、俺たちの仕事なんだろうか」
寂しそうな瞳をしていたイリが短期記憶が再生されているスクリーンをしまいながら、つぶやく。
「そうよね。大きな仕事のチャンスだったのに。きっとクライアントは、ひとり友だちを減らすことになるわ」
そんなことってあるのだろうか。でも、記憶整理のプロたちの考えだから、あながち間違っているとも思えない。
 カタカナでアラームと書いてあるライトが点滅した。同時に、コックピット全体に低い男性音の放送が流れる。
「ブレーカーオフコンプリートのダメージ集計終了。繰り返す。ブレーカーオフコンプリートのダメージ集計終了。これから集計結果を報告する」
イリもハルも表情がこわばった。キーボードに両手を乗せて、これから放送される集計結果の入力を待つ。やがて、静かにさっきの男性音が流れ始めた。
「血液中のアルコール除去は肝臓班の手に負えず、現在、腎臓班の協力を得ている状況。その結果、脳内のダメージは、睡眠では回復不能が判明したため、全体の集計結果は百二十パーセントに及んだ。これは、すなわち、いまから二十四時間以前の記憶を百とした短期記憶領域を二十パーセント越えるダメージである。繰り返す。これは、すなわち、いまから二十四時間以前の記憶を百とした短期記憶領域を二十パーセント越えるダメージである。長期記憶班において、各員の判断によって、二十パーセントの記憶削除を実行すべし。以上」
 ひょえーっ。酒を飲みすぎると、こんなかたちで記憶が消されていくのか。脳内のダメージって、なんだろう。あしたからは、もう飲まないぞ。なんてことはできないなぁ。
 イリとハルは顔を見合わせる。ふたりが担当している長期記憶はいったいいつの頃のことなのだろう。イリはおそらくふたりが担当している長期記憶のリストと思われるものをチェックしながら、ハルに同意を求める。
「まずはこれからにしてみようか」
「ああ」
さっき短期記憶が映っていたスクリーンが再び登場して、そこに小学校の頃の俺が映し出された。
 これは、小学校四年生のときだ。学校中の先生に最低最悪のクラスと評されるほどいたずら坊主ばかりが集まった四年二組。もちろん、俺もいたずら坊主の一員だった。どうやら下校途中らしい。いつもいっしょに帰っていたメンバーがそこにいる。ゴン、コブ、アツ、ノン。なぜかあだ名しか覚えていない。学校を出て、急な坂道を下る。歩けばいいのに、なぜかみんな走っている。いまはアスファルト舗装された坂道だが、当時はまだ土の道だった。

5554.12/15/2006
 政府のタウンミーティング調査委員会が最終報告書を提出した。
 前政権による政府・官僚・地方行政が一体となったやらせによる世論調査は、高度にメディアが発達したいまの日本社会では、とても大きな罪だと思う。また、タウンミーティングにかかった費用は、全部税金だったことを思うと、納税者の怒りはどこへ向ければいいのか。
 前政権下で行われたタウンミーティングは、全部で174回もあった。そのうち、教育改革、司法制度改革などで特定の質問内容を依頼した「やらせ質問」が15回。内容を特定しない発言依頼が105回。発言者への謝礼金支払いは25回65人。参加者の動員は71回に上った。教育基本法を改正する裏づけに、自分たちがお膳立てしたステージで、脚本どおりの国民の意見を吸い上げ、「多くのひとたちが関心をもち、期待を寄せている」と見せかけていたのだ。数の論理でいつものように、国会を乗り切ってばかりいては、有権者の支持を得にくいとでも考えたのだろうか。
 調査委員会では、(1)国民の声を聞き、閣僚と参加者が本音の対話をするTMの理念が政府部内で理解されなかった。(2)開催そのものが自己目的化したと教訓を挙げている。また、「政府の方針を浸透させるための世論誘導との疑念を払しょくできない」と指摘している。
 2001年度前期に随意契約で運営を委託した業者に支払われた経費は1回につき約2200万円。2002年度以降は一般競争入札に移行され、1回につき約700万円から1300万円。いずれにせよ、タウンミーティングが商売になったと言える。随意契約で業者を決めたのは、だれで、だれにこれだけの利益をあげさせたのだろう。
 日本では民主主義、すなわち話し合いによる物事の取り決めが成立しにくいと言われている。政治が三流と外国から揶揄される部分だ。話し合う以前に、参加者の利害関係によって結論が決まっているというのだ。つまり、話し合いそのものが形式的であり、結論を正当化するための道具になっている。
 かつて、日本社会は政府と軍部が一体となった世論誘導によって、戦争の惨禍を経験した。真実が隠され、権力者にとって都合のいい情報だけが、あたかも真実のように配信された。それを信じたひとびとの多くは、政権の表裏を見抜くことができなかった。タウンミーティングを主催し、運営した地方の役人たちは、中央から乗り込んでくる閣僚たちに気を使い、タウンミーティングの主人公になるべき、一般市民に目を向けなかった。会議自体を混乱なく、過激な意見によって閣僚たちが困惑することなく、無事終了させることだけにエネルギーを使った。言い方は悪いが、それは茶番劇そのものだ。なかには、質問も回答もあらかじめ役人が下書きをしたところもあったという。タウンミーティングはショーだったのか。そういうことをこそこそとやり通してしまうことに、なんら良心の呵責を感じなかったのだろうか。
 アカウンタビリティ。日本語では説明責任と訳す。前政権ではこの言葉がよく使われた。政府の提案に対し、一般市民の声を聞き、それに真摯に向かい合い議論を尽くしていくことは、まさにアカウンタビリティの体現と言える。しかし、174回のタウンミーティングは、およそアカウンタビリティには程遠く、不気味な形での全体主義の復活を予感させる。そういえば、前政権下でタウンミーティングを主導し、官房長官をしていた今の首相は、憲法や教育基本法を変えようとしている。これまで憲法や基本的な法律が全体主義の復活を抑制してきた。それを多数決の論理でねじ伏せようとしている。
 それでも、いまの日本社会の有権者や納税者の過半数は、選挙に行かないだろうし、たとえ行っても仕事がらみや人間関係がらみで投票し、結果的に社会を創造的に変革する原動力にはならない。共同体を律していく基準が、上下関係や主従関係の時代が長かったのが影響しているのだろうか。それとも、行き過ぎたみんな仲良し幻想によって、意見の違いを明確にしてはいけない空気を吸っているのだろうか。(メモリーソルジャーは休載)

5553.12/12/2006
小説:メモリーソルジャー (19)

3
 飛行機のコックピットのような部屋に入る。こないだの夢の時には、こんなものはなかった。
 そこには、大小さまざまな計器が並ぶ。ハルはひとつひとつの計器を確認しながら、ため息をつく。
「久しぶりのブレコンだぁ。今夜は徹夜を覚悟しなきゃ」
ブレーカーオフコンプリートのことをソルジャー業界では、ブレコンと省略して呼ぶようだ。
「そうね。記憶を維持している電源ブレーカーを完全に落としているわ」
イリも計器の確認をしながら、通称ブレコン状態を認識した。
「どんな短期記憶が残っているのか、再生するよ」
ハルは、カセットデッキの再生ボタンのようなスイッチに手をかける。
「えー、お願い」
イリは、スクリーンが上から降りてくるスイッチを押して、短期記憶が再生されるのを待つ。ピッと小さな音がして、俺が今夜行った店の風景が映った。どうやら、俺の視点で撮影されたものらしい。記憶の電源を落としても、記憶そのものは残っていて、再生することが可能だとわかった。
 さっきまで、いっしょに酒を飲んでいた友人がそこでさっきと同じ仕草で同じことを言う。
「ところでさぁ、うちの近所に大きな工務店があって、腕のいいペンキ屋を探してたぜ」
「いい話じゃん、紹介してよ」
 ハルは、欧米人が両手を広げて、手のひらを上に向け、ため息をつくポーズをとる。「こんなに大事な記憶が、クライアントには二度とよみがえって来ないとは」。イリも、寂しそうな瞳で相槌を打つ。「これで、ひとつ友だちと仕事をなくしたね」。
 どういうことだ。いまの俺はこうやって記憶の再生を見ながら、ちゃんと友人との会話を思い出し、それを意識ある日常生活で役立てようとしているのに、ふたりはまるで俺がこのことを思い出さないかのようにあきらめている。
 「前から気に入っていた喫茶店の女の子と初めてのデートで飲みに行き、翌日に映画を観る約束をしたのに、酩酊し、あのときもブレコンによって、約束を破って以来の、人生の失敗かも」
イリは、ポケットから手帳を出し、過去の記録と照合していた。そういえば、デートの時にはご機嫌だった彼女が、その後は何度連絡をとってもなしのつぶてだった理由がわからなかったことがある。俺が約束を破っていたなんて知らなかった。

5552.12/07/2006
小説:メモリーソルジャー (18)

3
 最初に俺が自分の耳に入ったときは、コツンコツンと足音がするようなコンクリート床だった。天井には蛍光灯が規則正しく並んでいた。しかし、きょうの通路はまったく違っていた。蛍光灯はあちこちで、ショートし、無機質だった壁や床は、七色の光が縦横無尽に走っている。サングラスをしていないと、瞳がおかしくなりそうだ。ときどき、壁や床に亀裂が入り、そこから「プシュー」という音ともに、蒸気が噴出す。俺の目には蒸気に見えたが、それは気化しようとしているアルコールなのかもしれない。
 通路には、短期記憶班の連中がそこかしこに寝転んだり、千鳥足でふらふらしたり、あぐらをかいて人生を説いたり、なぜかギターをもって歌ったりしている。きっと連中は、俺のアルコール臭と闘いながら、短期記憶の消去と維持という任務を遂行し、それらを終えて、酔っ払っているようだった。
 長期記憶班のハルとイリは、酔っているメンバーをたくみに避けながら奥に進む。何度か、ガスマスクをつけ、肩に白い十字のマークがついた衛生兵に見えるソルジャーが、担架で顔面蒼白状態の短期記憶班メンバーを運び出していた。
 七色の光が交差するところで、短期記憶班でもガスマスクをつけた上官が、長期記憶班の上官に仕事の引継ぎをしていた。
「今夜のミッションは、ガスマスク警報の発令が遅かったので、部隊の多くは仕事にならず、それぞれちょっと早めの忘年会状態になってしまった」
「了解。これから長期記憶の領域に入るが、これでは、通常のミッションは実現不可能ですね」
「えー、おそらく。今夜は久しぶりにブレーカーオフコンプリートにしたので」
一瞬、周囲に集まっていた長期記憶班のメンバーの表情がこわばった。そこにはハルもイリもいる。なんだろう、ブレーカーオフコンプリートって。 長期記憶班の上官は、敬礼をして、短期記憶班の上官と別れ、通信機を使って、隊員に指令を発した。
「こちら、長期記憶総括の中尉・ポンだ。今夜のクライアントの状態は酩酊がひどく、血流の影響で脳のダメージがいつまでも回復しない可能性がある。短期記憶班からの引継ぎでは、ブレーカーオフコンプリートが実行されたことを確認した。よって、当部隊は、今夜はオールメモリーステイを実行する。繰り返す。今夜はオールメモリーステイを実行する。以上」
なんだろう、オールメモリーステイって。きっとブレーカーオフと似た意味か反対の意味の作業なのだろう。文字通りなら「すべての記憶を維持する」という意味か。ということは、ブレーカーオフコンプリートはすべてのブレーカーをオフにしたことになる。なんのブレーカーだろう。

5551.12/06/2006
小説:メモリーソルジャー (17)

3
 酔っ払った俺は、酒臭さをきっと体内のあらゆるところから発しているのだろう。そこには、アルコール成分も含まれていて、ガスマスクを装着しないと、ソルジャーたちは、いっしょになって酔っ払ってしまうのかもしれないと思った。マスクをしていても、足取りがよろよろしているハルに、イリが強い調子で言う。
「なに、言ってんの。これぐらいのアルコール臭でまいっていたら、この仕事は勤まらないわ」
若く見えるが、気丈な女性だ。
「そんなことを言っても、俺は体臭トレーニングで酒だけは地獄の思いだったんだぜ」
 なかなか、メモリーソルジャーになるのも努力が必要らしい。
「わたしは、にんにくトレーニングがつらかったわ。あれだけはもう勘弁してほしいと思った」
ふたりの会話を聞いていると、臭いの元を発している自分自身が情けなくなる。
「大丈夫ですか」
急に、ハルが駆け出した。それを追ってイリも駆け出した。そこには、数名のソルジャーたちが倒れている。このソルジャーたちはガスマスクをつけていない。
「所属と名前を」
まるで、戦場の負傷兵を看護しているようだ。ハルが抱き起こしたソルジャーの胸には、ハルたちとは違う「短期記憶班」のプレートが縫いこまれていた。
「じ、じーぶんはぁ。ヘナヘナ小隊の、マッチでーす」
完全にできあがっている。その顔には見覚えがあった。俺が初めて、メモリーソルジャーに出会ったときに、部下の情報を上官のヘナ少尉に報告していたマチ軍曹だ。あのときの印象は中間管理職として、上にも下にも気を使う仕事一筋の男に見えた。しかし、いまの彼は完全に飲みすぎた忘年会の帰りのようだった。
 イリは、背中のバックから薬を出して、自分の水筒を使って、マチ軍曹に飲ませた。とろんとしていたマチの瞳が、少しまともになったような気がした。
「大丈夫ですか。階級は、えーマッチさん」
「ぐんちょうよ」
若い女性の腕のなかで、すっかりマチはいい気分だ。それを見ていた、ハルはやきもちを焼いたのか、膨れ面をしている。
「ほっとこう。時間が経てば、薬が効いて我に帰るよ」
「そうね。それじゃ、マッチぐんちょう。お大事に」
イリは、その場にマチ軍曹を静かに寝かせ、ハルとふたりで、いつもよりいびきのトーンが高い俺の鼻筋をつたって、左耳から体内に入って行った。もちろん、俺もふたりの後に続く。

5550.12/05/2006
 玄関の靴箱に目覚まし時計が置いてある。仕事に行く前に時刻を確認するために置いたものだ。いつも同じ場所に仕事に行くわけではないので、現場の距離に応じて家を出る時間は変化する。目覚まし時計は重要な役割をしている。どんなに仕事ができないことよりも、仕事現場に遅れることの方が何倍も社会的な信用をなくす。この仕事は、信用が一番だから、俺は絶対に現場には遅れないようにしている。
 その時計が午前六時をさしている。きょうは仕事がないから、きのう仕事に行くときに解除した目覚ましがそのままになっていて、目覚ましはセットされていない。きょうはずっと寝ていていい。いつもなら、これぐらいの時間には、もう朝食を済ませ、弁当をバックに詰めている時間だ。俺は、相変わらず玄関のたたきに寝ている。やや寒いのか、からだを横にして、膝を大きく曲げてからだを小さく丸めている。そんな俺の姿を、俺の意識が観察しているということは、またも、これは夢なのかもしれない。
 もう俺の気持ちのなかでは、それが夢のなかでのことでも、現実のことでも、どちらでもいいぐらい、メモリーソルジャーの存在は自然になっていた。超自然現象だし、近未来的な話だけど、きっとだれも信じないだろう。でも、だれかに信じてほしいとは思っていない。それよりも、彼ら、彼女らの行動をもっと知りたいという欲求が強くなっている。
 俺は、こんなところに寝ていても、記憶の番人であるメモリーソルジャーは仕事をしているのか、興味がわく。玄関を見渡す。下駄箱の隙間や、自転車の空気入れのホースのなかなど、視線を凝らして見るのだが、それらしき影はない。もしかしたら、俺の布団で本体のないなかで、連中は俺の帰りを待っているのか。そう思っていたら、ドアの鍵穴から、おなじみの米粒部隊が次々と侵入してきた。鍵穴から下に長くロープ、といっても実際にはとても細い糸に見えるのだが、それをつたって、レンジャー部隊のように、ソルジャーたちが地面に着地する。中には、明らかに落下傘と思われる道具を使って、ふわふわと宙を待っている者もいる。なかなか用意周到だ。
 よく見ると、隊列を組んで規律ある動きではなく、今夜のソルジャーはそれぞれがある指令を受けて、自分の行動を知っているかのように別々に動いている。そのなかに、ふたりで手を取り合い、互いにコミュニケーションをとりながら、前進するカップルがいた。もしかしてと思い、近づいたら、案の定、ふたりは俺の母親の記憶を長期記憶から消さないように整理したハルとイリだった。まてよ、ということはすでに俺の脳のなかでは、短期記憶班が仕事を終えて、これから長期記憶班と交替するところなのか。おかしい。夢を見始めたときから、夢は始まるはずだ。夢のなかで話が勝手に進行して、途中から夢に気づくということがあるのか。たとえば自分が、桃太郎になった夢を見ているのに、夢を自覚したときには鬼が島で鬼を退治してめでたしめでたしだったら、ストーリーがわからないではないか。俺はこの夢を以前にも見ていたから、ハルたちが登場する前に、短期記憶班たちが仕事をしていることを、たまたま知っていたが、初めての夢で、いきなり起承転結の結だったら、起きてから「あの夢ってなんだったの」と混乱するだろう。
 いったい、どういうことなのか。
 俺は、仕事のときぐらい、もう少し離れてプライベートと区別したほうがいいと思うハルとイリに接近した。
「きょうのクライアントは、酒くっさぁ」
よく見ると、ハルもイリもガスマスクのような防具を装着している。見渡すと、ソルジャーたちはみんな同じものをつけていた。

5549.12/01/2006
小説:メモリーソルジャー (15)

3
 俺は玄関にもたれてジャンバーのポケットからドアの鍵を探していた。
 たぶん時刻は午前零時をまわっているだろう。
 きょうは、高校時代の友人と久しぶりに会って、日本酒を四合ぐらい飲んだ。駅から自宅までの道のりを、かなりふらふら歩いてきた。やっと自宅に戻ったのはいいけど、ドアには鍵がかかっている。電灯は家の中からでないとつけることができない。最近多くなってきた、ひとが近づくと、センサーが感知して明るくなる電灯にすればよかったと思う。暗がりの中で探すものだから、レシートや洟をかんだティッシュなど、鍵とは無関係のものまで引っ張り出してしまった。
「もう、いいや」
ふてくされて、ドアに寄りかかりながらずるずると腰をおろす。気温を低く感じないのは、血液中をアルコールがめぐっているからだろう。
 完全に腰を地面につけたら、なんだかからだが安定して、そのまま睡魔が襲ってきた。いかんいかんという声が頭の中で聞こえる。寝ちゃえ寝ちゃえという声がこころの隅から聞こえる。はーくしょん。もう一度気を取り直して鍵を探す。急がば回れ。今度はゆっくりひとつひとつポケットの中で手に触れるものを外に出して確かめた。そうしたら、あっという間にキーホルダーを発見し、そのなかからドアの鍵にたどりついた。
 膝に手をあてて「よっこらしょ」とため息をつきながら立ち上がる。今度は、鍵穴に鍵がうまく入らない。これは間違いなくドアの鍵だ。反対なのか、逆さまなのか、何度かがちゃがちゃやってるうちにやっとドアを開けることができた。
 俺は、玄関のたたき部分に入り、内側からドアの鍵をかけ、その場に倒れこんだ。もうここまで来ればなにも心配はない。あしたは仕事が入っていない。風呂はあした起きてからわかそう。たぶん、ポケットには携帯も財布もあるはずだ。それにしても、あいつは同い年とは思えないほど恰幅がよくなっていた。近いうちに生活習慣病を発病してしまうのではないかと心配になる。頭皮も髪の毛の間からずいぶん見えていた。工業技術関係の難しい話をしていたが、俺には専門的なことはペンキ以外にはわからないし、興味もない。その会社でもうすぐ係長から部長補佐になるらしくて、それが自慢したかったのだろう。次々と全国の地酒を注文し
「きょうは、俺に任せろ」
なんて偉そうなことを言ったかと思ったら、ちゃっかり支払いのときに領収書をもらっていた。おいおい経費か、これが。
 俺は、組織に所属するのがこどものときから苦手だった。でも、それはこどものときから親の考えで、野球やサッカー、ボーイスカウトなどの組織に無理やり入れさせられていたからかもしれない。どれも長続きせず、辞めてしまった。だから、だれにも指示されないいまの仕事は天職だと思っている。高校をなんとなく卒業して、プラプラしていたときに、広告で見つけたペンキのバイトが、この仕事のきっかけだった。もともとプラモデル作りが好きだったから、なにもない素材に色を塗るのは得意だった。
 そんなことを考えていたら、うつらうつら意識が低下していった。

5548.11/30/2006
 新しい首相の肝いりで始まった教育再生会議は、非公開ということを多くのひとたちは知っているだろうか。
 いつ、どこで開催されるかも公開されていないという。
 なぜ、そんな秘密会にしなけらばならないのだろう。オープンにしたら、どんなデメリットがあるというのだろう。こそこそと、国の権限ばかりを強化する教育政策を相談し、いきなりトップダウンの具体策を示されても、教育委員会も学校現場も混乱する。
 いじめに関しての提言では、いじめを助長・放置した教師は処分対象になるという。そもそも、担任している学級にいじめが存在したとき、それを助長したり、放置したりすれば、以前から教師の指導力は問われてきている。いまさら、それを理由に処分をしても、それでいじめ問題が解決するとは思えない。ひとは三人以上集まれば、仲間はずれをする生き物なのだ。二対一の繰り返しは、ひんぱんに起こる。また、一方的にいつもだれかをいじめ続けているこどもはめったにいない。仲良くなったり、けんかをしたりしながら、こどもはひととひととの関係や距離感を学んでいく。どこからがいじめで、どこからが関係性のトラブルなのかという線引きは、当事者にも、その場にいるおとなにもなかなかわかりにくい。
 ここで留意すべきは、本人の努力ではどうしようもないことを理由に、悪口を言ったり、からかったり、ものを隠したり、無視したり、失笑したり、小突いたりする陰湿で執拗な攻撃は、親も教師も関係なく、許してはいけないことだ。本人にもなんらかの理由があって、それを根拠に仲間はずれにしたり、悪口を言ったりするのは、解決への糸口が見つかる。しかし、体格や気質、髪型や目の色、家庭環境や過去の失態などは、いまさらそのことを理由に集団から疎外されても、本人にはまったく責任がないことなのだ。いじめのなかに潜む、他人との異質性を根拠にした疎外圧力は、なんでもかんでも横並び集団主義の日本社会ならではのことなのかもしれない。
 それにしても、学校現場を知らないひとたちは、教職員に無理難題を押し付ける。
 自分が担任している学級で、いじめが起こってほしいと思っている教員などいるはずがない。万が一、いじめられているこどもからの相談が教員に寄せられたとき、こころのなかでは「嘘であってくれ」と願うものだ。また、教員は捜査のプロではないので、いじめの相談を持ちかけられても、相手のあることなので、双方の言い分を聞きながら、問題が解決する方向へ導く。だれが悪くて、だれが良いという線引きをするのが仕事ではないのだ。いじめているこどもにも、それなりの理由があるだろうと同情し、そこに潜む問題の解決をともに考えていくスタンスに立つ。なのに、一方的に「お前が悪いんだな」「お前が張本人なんんだな」と首謀者を探し出し、必要ならば出席停止の処罰を下すことを求められたら、善意ある教員はこころが苦しくなって、まっとうに職務を遂行できなくなるだろう。
 わたしの知る限り、仲間はずれの声かけをしたり、物を隠したり、ひとに指図してだれかを傷つけたりするこどもには、家庭的な理由が必ず潜んでいる。虐待や過保護、過干渉。受験のプレッシャーやサッカーや野球の習い事でのレギュラー争いなど、およそ学校生活とは無縁のところでのストレスが日常的に蓄積しているケースがとても多い。教員の力で、それらのストレスを解き放つことなど、とうていできるものではない。つまるところ、学校のなかで、いじめにつながる現象を食い止めようとする政策なのかなと思ってしまう。

5547.11/29/2006
小説:メモリーソルジャー (14)

2
 縁側に腰掛けて、実験を始める。
 俺は、栗羊羹に楊枝をさして、一口で食べる。食べながら、奥さんに尋ねる。
「そういえば、十時の休憩で食べた、あれ、なんでしたっけ」
「あら、もう忘れてしまったんですか。あれは、濡れ煎餅っていうんですよ」
奥さんは、覚えている。覚えていることを当然のこととして、応じた。
「そうそう、濡れ煎餅。あれは珍しいですね」
「さっきも、言ったけど、昔は珍しかったんですが、いまはけっこう多くの店で扱うようになりました」
「そうでした。そうでした」
俺のほうが物覚えが悪い役回りを演じることになってしまった。頭をかきながら、お茶をすする。
 どうやら、奥さんは完全に俺に十時の休憩で濡れ煎餅を出したことを覚えているらしい。そして、あのときに言った、いまは多くの店で濡れ煎餅を扱っているということも覚えている。それまでは、いつも濡れ煎餅を出すたびに、同じことを説明していたはずなのに。
 奥さんは午睡のときに、途中で起きなければならなかった。本来ならば記憶の番人であるメモリーソルジャーたちが、記憶のスイッチをいったんオフにする仕事をしていた。でも、その仕事をする前に、俺が起こしたのだ。だから、午睡する前の記憶がそのまま脳に残っている。そう考えればつじつまが合う。ならば、ひとはメモリーソルジャーに仕事をさせなければ、ずっと記憶のスイッチをオフにすることなく覚え続けているものなのか。忘れたくないことがあったら、眠らずに起き続けていればいいのか。ひとのからだは、そんなに単純なものなのか。
 俺は最後の羊羹を口に入れ、同時にお茶をすすり、深く考えた。
 そもそも、メモリーソルジャーという存在は、俺の夢のなかでの物語りに過ぎない。それが、現実に存在しているなんてことが本当にあるのだろうか。でも、さっき、俺は確かに午睡している奥さんの足元から、米粒ほどのソルジャーたちが、奥さんの耳から体内に入ろうとしていくのを目撃した。いま、おれが見たり聞いたりしていることは、現実なのだろうか。また、夢のなかのことなのか。頬をつねっても、深く目を閉じてまた開けても、朝が来るわけではない。どうやら、俺は起きていて、意識ある現実を生きているらしい。だとしたら、あれは幻覚だったのか。

5546.11/26/2006
小説:メモリーソルジャー (13)

2
 腕時計を見る。もうすぐ三時の休憩の時間だ。俺はある仮説を立てる。
 もしもメモリーソルジャーが夢のなかの存在ではなくて、実在するのだとしたら、さっきの奥さんのことで実験ができると。それは、奥さんはいつも十時と三時の休憩で、同じ濡れ煎餅を用意する。とても濡れ煎餅が気に入っているからではなく、奥さんの話を聞く限りでは、毎回、俺にお茶と濡れ煎餅を出しているのは、初めてのことと思っているらしい。それは、濡れ煎餅を出しながら、どこで売っているとか、やわらかくて便利だとか、いつも同じ説明をすることから、以前に同じ説明をしたことを覚えていないと考えるのが妥当だからだ。以前に説明したことを忘れているということは、以前に俺に同じ濡れ煎餅を出していることも覚えていないと想像できる。
 ひとは、それを物忘れとか、ボケとかいう。俺も、年相応にひとにはそういうことが起こると思っている。
 しかし、記憶のスイッチを担当するメモリーソルジャーの仕事のいかんによって、覚えるとか忘れるとか情報の整理や収集にかかわる能力が変わってくるのだとしたら、これは大発見だ。
 きょう、俺は午睡の最中に奥さんを起こさなければならなかった。その結果、おそらくメモリーソルジャーたちは、記憶のスイッチをオフにすることができなくて、中途半端に退散することになった。ということは、以前の記憶、つまり午前の休憩で俺に濡れ煎餅を出した記憶は、まだオフにならないでオンのままかもしれないのだ。玄関で、宅配業者から荷物を受け取った奥さんは時計を見て、もう三時の休憩の時間だからお茶菓子を出そうと思うだろう。そのお茶菓子がもしも濡れ煎餅ではなかったとき、やはりメモリーソルジャーが仕事を中途半端に終わらせたと考えられるのではないか。たまたま、奥さんの記憶の回路がつながったとも考えられる。でも、それはきょうではなくてもほかのときかもしれない。きょうの三時のお茶菓子で、記憶の回路がつながったとしたら、あまりにもメモリーソルジャーの登場とタイミングがマッチしすぎている。
 俺は、なにも知らない様子で、ペンキ道具を整理して、それとはなしに芝生の端で大きなせのびをする。背中で、縁側のガラス戸を開ける音がする。奥さんの声だ。
「そろそろお茶にしませんか」
いやな予感だ。この台詞も、いつもと同じだからだ。でも、こういうときの台詞はそんなにバリエーションがないだろう。「いっしょにお菓子はどう?」「楽にしてくださいよ」「お茶を用意しました」。あれこれ、違う台詞を用意するほうが手間がかかる。こういうときは常套句があったほうが、生活しやすい。
 俺は、自然を装って、振り返る。自然を装っているのに、視線は一点に向かう。漆塗りのお盆には、透明なガラス皿。小さな楊枝といっしょに、栗羊羹が切ってあった。
「やっぱり」
「えっ、なにが」
「いえいえ、なんとなく」
「いきなり、やっぱりだなんて。おかしなひとですね」
そういって、奥さんはえくぼの見える微笑を俺に向ける。俺はいま大発見、大実験のただなかにいるのだ。

5545.11/25/2006
 「こんにちは。宅配便です」
呼び鈴を押しても、奥さんが起きる気配がなかったので、宅配便の若い男性は庭に回ってきた。俺は、とっさに振り向いたが、彼にはどう見えただろう。庭のガラスごしに、鼻息が吹きかかる距離で、午睡の奥さんを中腰で股間を抑えながら見つめている中年男。
 彼は一瞬、引いた。俺はあわてて振り返り愛想を尽くした。
「こちらで、仕事をいただいている者です。これですよ」
犬小屋を指差し、ペンキを塗る仕草をした。彼は、引きながらも、あーなるほどという表情になり、「届け物なんですが」と困っている。
「起こしましょう」
本当は、メモリーソルジャーたちの今後が見たいのだが仕方がない。ガラス戸をトントンとノックした。
 彼は、呼び鈴を押しても出てこない奥さんを、わざわざペンキ塗りの仕事に来ていた中年男が声をかけるために、庭で午睡している奥さんを起こそうとしていたのだと理解した。要するに自分のために行動してくれようとしているのだとわかったとたん、「すいません」とお辞儀をしながら帽子を脱いだ。若いのに、律儀なやつだ。親のしつけがよかったのだろう。いや、社員教育が行き届いているのか。ただ、自分なりの理解で、こころを安定させたところは、まだ甘い。よのなか、きみが知らないことだらけ。たとえ、知ったとしても、それを理解しよう、納得しようと思わない限り、きみの世界はいまのまま。小さな、狭い世界で一生生きていくんだね。俺はこころのなかで、彼にメッセージを送りながら、午睡からやや不機嫌に起こされた奥さんの耳元や足元で、大混乱に陥っているソルジャーたちを見ていた。
 ややずれかかったメガネを直し、焦点をガラス戸の向こうにいる俺に合わせる。奥さんはなんのことだかわからない。俺は、人差し指を庭の隅で帽子をとって会釈している宅配便の若い男に向けた。あー、荷物ね。顔にそう書いていあるようなわかりやすいうなずき方をして、奥さんは椅子から立ち上がり、玄関に向かった。振り返ると、彼は俺にも会釈をした。礼のつもりだったのだろう。俺も、愛想笑いを返した。彼が玄関に消えたのを見て、俺はあわてて、奥さんがいなくなった縁側の椅子周辺を観察した。
 そこには、無数のメモリーソルジャーが大きな地震か大事故でもあったかのように、混乱して動き回っていた。あちこちで、米粒ほどの大きさのソルジャーどうしがぶつかる。倒れる。踏みつける。乗り越える。とくに、奥さんが立った拍子に床に落ちた膝がけのなかに閉じ込められたソルジャーを救出する現場の逼迫した叫び声は、ガラス戸の向こうにいる俺にも聴こえてきそうだった。

5544.11/23/2006
小説:メモリーソルジャー (11)

2
 隊列は、ガラスの向こうで、大きなガリバーに見張られていることなど気にしない様子で、どんどん、肘掛け椅子の脚に向かう。先頭集団は到着すると、すぐに脚をよじのぼり始めた。木製の脚には、ツルツルのワックスが塗ってあるのだろう。ソルジャーたちは、自分の身長も登らないうちに、滑って落ちる。何人かが集まって相談している。すぐにアイデアがわいたらしく、今度は走って椅子の脚に集合した。まず、大きめのソルジャーが土台になる。次に、その次に体格のいいソルジャーが乗る。そして、その上に、その次に体格のいいソルジャーが乗る。
 おー、一段ピラミッドだ。
 それは無理だろうと思った。一番下のソルジャーがいかに屈強とはいえ、自分の体重の何倍もの負荷に耐えるのは限界がある。あまり、連中は高い知性をもっていないなぁ。案の定、五粒目のソルジャーが、登ろうとしたとき、米粒の一段ピラミッドは右にゆっくりと傾き、やがて崩壊した。それぞれ、かなり苦痛だったらしく、しばらくソルジャーたちは動かなかった。
 先頭集団が、ちっとも突破口を開かないので、後続集団が椅子の脚にあふれてきた。こないだのことを思い出す。電車が踏み切り事故で遅れたときに、接続しているほかの会社の電車が到着するたびにホームがひとであふれたのと似ているなぁ。
 そのうちに、斥候のように先頭集団と別行動をとっていた一段が戻ってきて、なにやら大声で叫んだ。集団はいっせいに叫んでいるソルジャーの指示に従い、動き始めた。そこには、奥さんの足があった。奥さんは、綿の靴下の上に毛糸の靴下を履いていた。厚手の長いスカートの上にはひざ掛けが乗っている。確かに、ソルジャーたちがよじ登るには、ツルツルの椅子の脚よりも、こちらのほうが取っ掛かりが多いので、やりやすい。
 ソルジャーたちは、とくに命令があるわけではないらしく、各自がバラバラに奥さんの足をよじ登っている。その光景は、なにも知らないひとが見たら、気持ち悪い。一瞬、小さな虫が午睡している奥さんを襲っているのかと誤解する。ソルジャーたちは、やがて靴下を登り終えると、どんどんスカートのなかに消えていった。腿とスカートの間には隙間があるのだろうか。後から後からソルジャーがスカートのなかに消えていくが、先に入ったソルジャーが上半身からふたたび登場する気配がない。
 連中は、どこから奥さんの体内に侵入しているのだろう。もしかして、下腹部。ぎょっ、俺は中腰のまま自分の下腹部を隠してしまった。ソルジャーたちが悪戦苦闘する姿を想像していたら、奥さんの外れかかったメガネフレームにしがみついているソルジャーを見つけた。襟元から次々とソルジャーが登場する。なぁんだ、ちゃんと皮膚と衣服のすきまを探検していたのか。
 俺の夢のときと同じように、最初のソルジャーが左耳から侵入して行った。

5543.11/20/2006
小説:メモリーソルジャー (10)

2
 犬小屋から縁側までは直線にして五メートルぐらい。庭には手入れの行き届いた芝が生えている。芝のところどころに敷石が置いてあって、庭を行き来するときに、ひとが歩くコースを限定するかのように、それらは並んでいる。俺は、忍者のように足音を立てずに敷石を静かに歩いて、縁側の中央に履物を置くための直方体の段差のところで腰をかがめた。
 腰をかがめないと、俺の影が奥さんに映って、目を覚ましてしまうかもしれない。
 中腰は、姿勢としてはとてもきついが、こうするしかない。奥さんのからだは、しばらく前後や左右に揺れては、椅子から落ちそうな限界まで達すると、起き上がりこぶしのように中央に戻っていた。それでも、目を覚ます気配はない。そのうちに、ちょうど眠りには絶好の姿勢が決まったのか、からだの揺れがなくなった。
 俺は、鼻息がかかって、ガラスが曇るほど、顔をガラス戸に近づけた。十時の休憩に出した濡れ煎餅のことを、三時の休憩のときに忘れているとしか思えない奥さんの記憶の整理を、きのうの俺の夢に出てきたメモリーソルジャーたちが、午睡のときも同じようにやっているかどうかを確かめる。じっと目を凝らして、中腰で膝に手をあてて、家の中を覗き込む姿は、傍目にはあやしいだろう。そんなことをちらっと考えたが、確かめてみたい気持ちを抑えることができない。そもそも夢のなかの話が、現実の世界でありえるはずはないのに、なんでこんなことをしているのだろう。いや、夢にはこれから起こる出来事を予知する力があるという説もあるから、俺の見た夢が完全に非現実の話と言い切ることはできない。日本語には、正夢という言葉があるではないか。
 俺は、奥さんの左耳に注目した。変化はない。右耳にも注目した。変化はない。この際だから、鼻の穴にも注目した。当然だが変化はない。やっぱり、あれは夢のなかのことで、奥さんの記憶違いは年相応の物忘れなのだろう。
 そう思って、視線を奥さんの足元に落としたとき、縁側の床に無数の米粒が四列縦隊になって複数のかたまりとして、肘掛け椅子の脚に向かって行進して行くのを発見した。
「うわっ、いたぁ」
 俺は、瞬きをしている間に連中が消えてしまわないように、目を見開いて、様子を観察した。手のひらにはじとっと汗をかく。心臓の鼓動が聞こえてきそうだ。いまの俺は、昨夜の夢のように意識のかたまりではない。現実に肉体をもつかたちある存在だ。メモリーソルジャーは、いくらなんでも意識ある肉体が起きている間には姿を現さないだろう。というか、そういう決まりになっているはずだ。そうしないと、とっくに世界中のひとたちが連中の存在に気づいて、記憶のメカニズムを解明する研究に応用している。メモリーソルジャーの質によって、ひとの記憶力に違いが生じるなんて、どこの学会でも信じてもらえないだろうが、実際に数匹なのか数人なのか、メモリーソルジャーを捕獲して性格や気質を調べたら、世紀の大発見になる。

5542.11/18/2006
小説:メモリーソルジャー (9)

2
 濡れ煎餅というのを、ここに来て初めて知った。もともと煎餅はすきだったが、パリッとしていない煎餅は知らなかった。最初、手にしたとき、お茶かなんかをこぼしてふやけたのかと思った。奥さんに聞いたら、こういう種類の煎餅があって、入れ歯の身には、助かるとのことだった。慣れてくると、濡れ煎餅はお茶にとてもあうことに気づいた。ふつうの煎餅を作るやり方で、仕上げの焼きのときに、完全に焼ききらないで商品にするんだと思う。さらに、だし醤油のなかに、適度につける。焼いていないピザ生地のようだ。
 慣れてくるとというのは理由がある。十時の休憩も三時の休憩も、いつもお茶請けは濡れ煎餅なのだ。それも、ここに仕事に来て、ずっとだ。休憩は俺が勝手に取っているので、依頼主にお茶やお菓子を要求することはしない。でも、多くの場合、休憩していると、ちょっとしたお茶請けを用意してくれている。細やかな心遣いは嬉しい。夏の暑いときには氷たっぷりの麦茶を、冬の寒い日にはカップを両手で包みながら湯気にフーフー息をかけて飲むココアを、洋菓子や煎餅が引き立てる。お茶やお茶請けがなかったからといって、仕事の手を抜くことはしない。それでも、それらを用意してくれると、仕事に精を出そうという気持ちがわいてくる。この依頼主に喜んでもらえる仕事にしようと、自分を奮い立たせる。だが、ここのケースのように、お茶請けがいつも同じ濡れ煎餅とうのは、とても珍しい。まさか、たまにはほかのにしてくださいとも言えない。
 そして、決まって奥さんは、濡れ煎餅の説明をするのだ。どこで買ったか、入れ歯には好都合だ、最近はいくつかの店でも扱うようになってきて嬉しいなど。
 もしかしたら、奥さんはいつも新鮮な気持ちで濡れ煎餅を用意しているのかもしれない。つまり、前回にも濡れ煎餅を出したことを忘れていて、いつも「そうだ、これがあった」と思って用意しているのだ。だとしたら、物忘れというやつか。
 年齢とともに、物忘れが多くなるのは仕方がない。俺だって、最近はメモをしておかないと、現場に必要な道具を作業場に忘れてきてしまう。しかし、翌日になっても、前日のことを忘れるというのは、単純に物忘れという範囲内のことなのだろうか。メモリーソルジャーたちが、俺の脳裏をよぎった。この奥さんも、寝ている間に、メモリーソルジャーが耳から入って、記憶の整理をしているのだろうか。俺の部隊と違って、奥さんの部隊は、仕事をさぼるメンバーが多いのか。
「まさか」
あれは、俺の夢のなかでのことだ。本当に、米粒ほどの大きさの人間そっくりの記憶整理屋がいるわけがない。
 そういえば、奥さんは昼食の後、午睡をしている。縁側の肘掛け椅子でいつも気持ちよさそうに寝息を立てる。そのときにも、メモリーソルジャーたちがどこからともなくやってくるのだろうか。ひとが睡眠に入ると、出現しているとしたら、午睡のわずかな時間に登場してもおかしくない。
 俺は、昼食の後、犬小屋のさび止めを少し急いで仕上げた。奥さんは、いつものように、縁側の肘掛け椅子に座る。それを横目で見ながら、刷毛やバケツの片づけをする。女性雑誌に目を落とす。数分の後に、瞼をとじて、いつもの午睡になった。ひざ掛けが下半身にぬくもりを与えて、そのうちに熟睡の境地に達したようだ。俺は庭にいて、奥さんは縁側にいる。縁側といっても、引き戸のガラス戸があるので、正確には奥さんのいる場所は室内の廊下のような場所だ。だから、俺はガラス戸を通して、なかの様子を観察しなけらばならない。

5541.11/16/2006
小説:メモリーソルジャー (8)

2
 きょうの現場は寺社の多い歴史ある町の由緒ある邸宅だ。
 こういう邸宅の主は、自分でできることがとても少ないらしい。俺が依頼されたこんな仕事なんて、ふつうはどこの家でも日曜に親父たちがやるものだろう。自分でできることが少ないから、お金の力でひとに任せるようになるのかもしれない。いや、お金があるから自分でできる世界の幅が狭くなっていくのかもしれない。どちらにせよ、こちらとしてはこういう種類のひとたちがいるからこそ、仕事が舞い込んできて、収入を得ることができるのだから、それはそれで満足しているのだが。
 犬小屋のペンキ塗り。電話で注文を受けたとき、あまりあがりのない仕事だなと感じた。しかし、見積もりに行ったら、犬小屋というにはお犬様に失礼な規模の建物だった。一坪はある。基礎まで打ってある立派な建築物だ。さぞかし大きな番犬がいるのかと思ったら、小屋の大きさには不似合いなかわいい雑種が尻尾を丸めていた。きっと、血統書つきの部屋犬もいるのだろうが、番犬としての役目を果たしていない「ゴン」という名のかわいい犬が俺にはありがたかった。屈強な番犬がいたら、仕事にならない。
 俺はいつものようにペンキ道具を満載した軽トラックを邸宅の駐車場にとめた。ベンツと並んでとめると、かなり引け目を感じる。仕方がない。これが業務用の車というものだ。荷台からきょうの作業に必要なものをおろす。それらをもって、邸宅の門をくぐる。なにしろ、門から玄関まで直線で数十メートルはある。玄関にポストがあるから、郵便配達人の苦労がわかる。せめて、門にポストをつけてあげればいいのにと思う。玄関の呼び鈴を押して、挨拶をする。平日の昼間はご主人は不在だが、奥さんがいる。ふたりとももうすぐ還暦に近い。奥さんは玄関の横から庭に続く引き戸を庭の内側から開けた。俺は会釈をして、ゴンの住まいにペンキ缶を並べた。きのうのうちに、汚れをとり、トタンや銅の部分のさびを落としてある。きょうは、金属部分にさび止めを塗る仕事だ。さび止めの上に、塗料を乗せるから、塗りのムラがあってもあまり気にならないが、そこは職人気質が許さない。さび止めだけでいいと言われても大丈夫なように、ムラのないように塗る。だから、塗料を乗せるのはあしたの仕事だ。三種類の大きさの刷毛を用意して、さび止めを缶に流し込む。
 金属部分は、ネジやボルトで固定してあるので、まずそういった細かい部分から細めの刷毛で塗っていく。ペンキ仕事のほとんどは、こういった細かい部分の塗りだ。最近の住宅にはラティスを使って囲いや花壇を作っているところが多い。あのラティスは、ほぼすべてが細かい作業になるので、できれば敬遠したい仕事だ。そんなことを考えながら犬小屋全体の細かい部分にさび止めを塗っていたら、奥さんがお茶菓子を持ってきた。
「そろそろ、休んでください」
「いつもすみません」
そういって、俺は縁側に腰掛け、頭の日本手ぬぐいをとって、額の汗を拭いた。

5540.11/13/2006
小説:メモリーソルジャー (7)

2
 シャッター式の雨戸から薄明かりがのぞく。もうすぐ日の出の時間だ。俺の足元で丸くなっていた黒と白の毛のホックが大きくのびをした。ホックは、飼い猫だけど、朝になると決まって外に出て行き用を足す。だから、朝一番で起きる俺を起こしにかかる。その時刻に狂いはなく、俺にとってはどんな目覚まし時計よりも役に立っている。
 メモリーソルジャーたちは、俺の脳のなかで、仮眠をしていた。ベルが鳴ったわけでもないのに、各自が大きく伸びをして、目を覚ます。どこからか、「起床」という大きな声が聞こえる。係りの者がいるのかもしれない。あるいは、シナプスの修理で疲れているサポが指令の役目を果たしているのかもしれない。
 目を覚ましたメモリーソルジャーたちは、次々とそれぞれのテーブルで忙しそうにキーボードをたたいて、仕事を始める。
「名前入力完了」
「性別入力完了」
キーボードをたたいた後で、各自が声高に叫ぶ。仕事入力完了。年齢入力完了。冷蔵庫のなかみ入力完了。生年月日入力完了。きょうの日付入力完了。きのうの天気予報入力完了。水虫の薬の残り量入力完了。職場までの行き方入力完了。
 どうやら、いったんオフにした俺の記憶のスイッチを、今度は逆にオンにしているらしい。
 きょうのズボン入力完了。職場の人間関係入力完了。夕方の飲み会予定入力完了。デジカメの使い方入力完了。利き手と利き足の入力完了。未完成の仕事入力完了。日本人である意識入力完了。日本語入力完了。ギターの弾き方入力完了。雨が降ったときの傘のさし方入力完了。点鼻薬の場所入力完了。ひげそりクリームの残り量入力完了。ホックにえさをあげること入力完了。
 それにしても、記憶のスイッチはたくさんある。ひとがひととして生きていくということは、こんなにたくさんの情報を背負っていることを、あらためて教えられる。いま必要な情報だけでも、「入力完了」という声を聞くたびになるほどと思う。確かに、どの情報をスイッチがオフのままでは、日常生活に支障をきたす。性別を思い出せなかったら、通勤途中にトイレに行きたくなったとき困ってしまう。急に雨が降ってきたとき、折りたたみ傘を持っていても、使い方が思い出せなかったら、びしょぬれになってしまう。
 イージス艦のコントロールルームのような部屋のディスプレイが次々と明るくなっていく。記憶のスイッチがオンになるたびに、電光パネルが灯される。灯されるパネルは、色分けされていて、青のパネル群、黄色のパネル群、赤のパネル群の三つがあった。青のパネル群には、生年月日や年齢、名前など、俺の基本情報が記されている。黄色のパネル群には、仕事や職場の人間関係、通勤経路や傘のさし方など、社会行動に必要な情報が記されている。そして、赤のパネル群には、飲み会の予定やギターの弾き方などサイドスケジュールが網羅されている。もしかしたら、赤のパネル群は記憶の役目を終えたら消去されるものが多いのかもしれない。
 三つのパネル群の情報に、白いパネル群が見えた。掛け算九九、繰り上がりの足し算、日本語、漢字、カタカナ、五十音などの説明が見える。これらは、日々使う情報として赤青黄の記憶とは別の分類なのかもしれない。
 やがて、すべてのパネル群に電光が灯り、どこからか大きな声がした。
「撤収」
 その声を待っていたかのように、メモリーソルジャーは、我先にと俺の左耳から退去して行った。ひとり、残った俺の意識は、だれもいなくなったコントロールルームで静かに溶けていく。きっと、夢が終わり、俺のからだと意識が合体するときが近いのだろう。目覚めだ。

5539.11/11/2006
小説:メモリーソルジャー (6)

1
 なるほど、記憶というやつは、どうして忘れてしまうものと、覚えているものとに区別されるんだろうと、長く思ってきたけど、毎晩、こうやって記憶の番人たちが整理していたのか。そう思うと、納得できる。きょう覚えて、あしたのテストまで忘れたくない情報でも、朝起きたらきれいさっぱり忘れていて、ずっと幼い頃に歯医者で痛い思いをした記憶をテストをしながら思い出すことができたのは、記憶の番人たちのいたずらなだったのか。
 さっきまで俺のお袋の声を聞いていたイリがヘッドセットを外して、キャップも脱ぐ。長髪がダランと背中に垂れるのを、後ろ手でたばねて、ポニーテールにまとめる。
「そろそろ、この記憶は消してもいいわね。クライアントの母親が生きていた頃は、この記憶は、彼女のキャラクターを特定し、彼女がクライアントの母親であるという基本記憶と関係があったけど、もう彼女が死んでいるんだから、記憶として残し続けると、実態とは離れた想像の産物に変化してしまうわ」
ハルもうなずいた。
「あー。ひとは生きているときは、現実から離れた記憶を嫌いがちだけど、死んでしまうと急に自分の想像と一体化させて、現実離れした存在にしてしまう傾向があるからね。まだクライアントには、母親が生きていた頃の記憶が鮮明で、自分に都合のいいように彼女の情報を使おうという意思は感じないけど、そんなことを考える前に消してしまったほうが幸せかもしれない」
 俺の頭のなかで、こんなにちっぽけな恋人たちが、俺の生き方について真剣に議論しているのを聞いて、浮遊する俺の意識は感動で胸がいっぱいになる。
 イリはキーボードをたたく。
「今季の指令は、サポだったよね。サポに長期記憶消去申請を送るわ」
「サポのやつ、今夜は起きているんだろうな」
「さあね、こないだもシナプスの修理で疲れたとかいって、寝過ごしていたからね。おかげで、もう終わったはずのソフトボール大会の短期記憶が消せなかったんですって」
ハルも笑う。
「聞いたよ。だから、クライアントはもう大会が終わっているのに、翌週の同じ曜日に思わず荷物の準備をしてしまったんだよね」
あー、そんなことがあった。俺も歳をとったな。やだなぁ。もう終わったのに。勘違いしちゃった。そんなことで終わらせていたけど、サポとやらのミスで、記憶違いの行動に出てしまっていたのか。ということは、サポは俺の頭に常駐しているのだろうか。この連中みたいに、夜な夜な耳から潜入してくるわけではないのか。
 ディスプレイに返信が来た。そこには、消去申請許可と書いてある。その下に、消去レベルが選択できるようになっていた。完全・ふとしたとき・ときどき・関連付けがあったときという四つの選択肢がある。イリのディスプレイを覗き込みながらハルが聞く。
「どのレベルにする?この際だから完全消去にするか」
イリは強くかぶりを振ってハルをにらむ。
「だめよ。わたしたちメモリーソルジャーはクライアントの家族や恋人に関する情報を完全に消去してはいけないことになっているのを、あなたも知っているでしょう」
「そうだった。つい忘れていたよ」
記憶の番人が、自分たちのルールを忘れることがあるのか。この不思議な連中は、メモリーソルジャーというグループなんだ。

5538.11/10/2006
小説:メモリーソルジャー (5)

1
 長期記憶班について行くと、そこには広いコントロールルームが広がっていた。壁面一帯に、電子回路が走り回り、いくつものディスプレイが折れ線グラフや棒グラフを表示している。長期記憶班のメンバーは、それぞれの持ち場につくかのように、人数分用意された回転椅子に座る。ヘッドセットをして、テーブルのスイッチやキーボードをたたき始めた。折れ線グラフがどんどん右下に下がっていく。どうやら、このグラフは俺の記憶量を表示しているらしい。産まれてきてから現在までの長期記憶を徐々に消しているようだ。
 グラフを表しているディスプレイばかりかと思ったら、なかには映画のような動画を表示しているものもあった。俺はその近くで作業をしている兵士のそばに行く。よく見ると、その兵士は女性だった。どこかで出逢ったような記憶のある女性だった。でも思い出せない。となりの席には、その女性と同年代と思われる男性兵士が似たようなディスプレイを見ている。ふたりとも若い。18歳か19歳ぐらいか。
「あいかわらず、この記憶は鮮明だな」
男性が女性に話しかける。
「えー、もしもハルが同じ経験をしていたら、やっぱり20年以上も記憶にとどめる?」
語尾上がりで女性がハルという男性兵士に質問をする。なぜか、コーヒーをすすりながら、ハルは考える。俺の脳には、コーヒーの自動販売機が設置されているのか。紙コップにはドトールのロゴが見えた。
「ソビエトの戦闘機が大韓航空機を撃墜した記憶だろ。いくら、お袋に見て来いと言われたからって、海岸まで行って遺留品の収集作業を手伝うかな。もしも、イリといっしょだったら、行くかもしれないけど」
女性はイリというらしい。そして、ハルとイリは恋仲なのか。おいおいちゃんと仕事をしてくれ。
「こないだ、ロッカーを整理していたら、お袋の声が録音された記憶テープが出てきたよ」
「本当?ねぇちょっと聞かせてよ」
「いいよ。いまから送信するよ」
イリは、ヘッドセットに気持ちを集中させた。俺は盗聴できないけど、意識をイリのヘッドセットに向けたら、そこから懐かしいお袋の声が聞こえてきた。
 「だから、これから戦争が始まるのよ。のんきに山登りなんかしていて。ニュースじゃ大変よ。ソビエトの戦闘機が、旅客機を撃墜したのよ。信じられる。そんなことって許されるわけないじゃない。えー、なに、すぐに帰る。なに言ってんの。こんなときに、北海道にいるなんて、なにかのめぐり合わせよ。遺留品が海岸に漂着しているらしいから、ぜひ見てきて。あとで詳しいことを教えなさい」。まぎれもなく、それはお袋の声だった。去年、病気で亡くなったお袋の20年前の若々しい張りのある声だった。俺が、山登りをしていたとき、大雪山を下山して、自宅に電話で無事を報告したときの返事だった。

5537.11/9/2006
小説:メモリーソルジャー (4)

1
 それによると、ひとは寝るときに、自分に関するすべての記憶をリセットするという。
 目や耳から入る情報は、一日に数億にものぼる。その情報をすべて記憶していたら、脳は情報の整理がつかなくなり、日常生活に必要な情報を瞬時に引き出すことができない。だから、ほとんどの情報を、捨ててしまうのだという。車の運転をしていて視野に映った情報、たとえば信号待ちの高齢者、窓を開けたら急に飛び込んできたハエ、久しぶりに見たきれいな夕日など、そのときの情報としては意味があったのかもしれないが、翌日まで必要な情報とは言いがたい。それらを捨てていく。しかし、これは必要な情報、これは不要な情報と区別するのでは、ひとはなかなか寝付けない。だから、一度、すべての記憶を消すのだという。そして、起床直前に今度は逆に覚えておかなければいけない情報のスイッチが入れられる。名前、性別、家族構成、年齢、仕事、通勤経路、いつもの朝食など、忘れてしまうと不便な情報はたくさんある。それらの情報がいつでも読み出し可能な記憶として準備されて、ひとは目を覚ますのだという。
 この考え方は、筋としてはなるほどと思った。しかし、そんなに都合よく、忘れていい情報と、覚えておかなければいけない情報を寝ている間に脳がやっているとは信じがたかった。意識レベルが低下してひとは睡眠状態になるのだから、ひとの意識が記憶の整理をするとは思えなかったのだ。
 まさか、米粒ほどの兵士たちが、その重責を担っていたとは思いもよらなかった。
 おっと、これは夢のはずだ。この兵士たちは、俺の無意識が夢の世界に作り上げた架空の存在だ。記憶のリセットを担当しているのは、だれなのだろうと思いながら寝てしまったから、こんな夢を見てしまったのだ。自分の夢に酔わされて、それが現実のように思ってしまうことはよくあることだ。きっと、この現実は、夢なのだ。
 そう思うと、俺はこの夢を楽しもうと思った。
 短期記憶班が仕事を終えて帰路に着く。いったい、連中はどこへ帰るというのか。いや、どこからそもそも来たのだろう。後姿を見送っていたら、反対に「長期記憶班」というプレートを胸につけた小隊がやってきた。ふたつの小隊はすれ違うときに敬礼をした。任務交替ということか。俺は、長期記憶班の最後部から、いっしょに俺の左耳に潜入した。耳のなかだから暗くて、毛に覆われ、さぞかし歩きにくいだろうと思っていたら、意外にも耳の中はコツンコツンと足音がするようなコンクリート床だった。床と壁の境目にたまっているのが耳垢なのか。天井には蛍光灯が規則正しく並んでいる。

5536.11/8/2006
 政府の教育関係の会議(教育再生会議)が、教育基本法の改正・教員免許法の改正・いじめ問題など、公教育に関する諸問題を検討している。
 学校現場の声がまったく届かないところでの権力者会議は、いまに始まったことではないが、検討内容があしたの学校に影響を与えることを考えると、他人事として無関心ではいられない。
 教育基本法の改正は、政治的中立性を担保した公教育の土台を揺るがしかねない。あまりにも、政治的な臭いがする問題で、学校を使って権力者が、自分たちの考えをこどもたちに教え込む仕組みを作ろうとしている気がする。
 教員免許法の改正は、教員の資質の向上のために必要だというのなら、若い教員が一年も持たずに離職している実数を公表し、その背景を模索するべきだ。とても多くの日数を初任者研修の名の下に教室やこどもから引き離され、あしたの授業準備もままならない状況で、親からのクレームや管理職からの無理難題に押しつぶされていく姿は、見るのも聞くのも耐えがたい。若くて夢のある人材で、こどものために仕事をしたいと思うひとたちは、教員だけが、その夢をかなえると考えないで、ほかの方法も考えたほうがいい。ドラマや想像とは違った現実が、本物の学校にはある。会議や研究会、親との対応で、こどもとの時間や授業準備の時間が確保されず、夜や休日も職員室で仕事に追われる。気づけば、朝起きるとおなかが痛くなったり、頭が痛くなったり、出勤をからだが拒否し始める。こどもの前に立つのが不安でたまらなくなる。職員室の電話が鳴ると、自分へのクレームではないかと怯えるようになる。帰りのホームでもしもこのまま電車に飛び込んだら、いまよりもずっと楽な未来があるかもしれないと思うようになる。そんな現実を背負い込んでいく覚悟が必要な仕事になってしまった。その上で、新しく教員免許が更新制になるかもしれないと思ったら、将来に対する大きな不安を抱えたまま夢のない日々を送ることになるだろう。
 いじめの調査を行政機関が行っているが、あの調査によって、現場の教職員がどれだけ結果の集計に追われ、本務を後回しにしているのかは報じられない。いじめの調査をするのはいいが、外部機関と連携して、教職員には従来の学習指導や生徒指導にかかわる仕事時間を確保が必要だ。いじめの調査を記名方式で行っているところがあるが、そんな方法ではこどもの本音は出てこない。方法も客観性と一般性を考慮したものにしないと意味がない。また、いじめの有無が教員の人事評価の対象になったり、学校評価の基準になったりすれば、実態は隠蔽され、いじめで苦しむこどもの叫びは、いままで以上に闇に葬られてしまう。学校とは無縁の機関が、時期と方法を決めて行うべきだ。
 そして、なによりも、いじめはどの社会にも、どの文化にも、どの年齢にも存在するという前提を認めることだ。ひとは、争い、いがみあい、競い、自分が優位に立つことを本能的に求めている。万人が笑顔で互いを尊重しあう社会など、存在しない。資本主義社会そのものが、序列と競争を前提にしているではないか。そのなかで、出世競争が繰り広げられ、弱い者は追いやられているではないか。その過程で、陰湿ないじめは星の数ほどあるだろう。だから、学校だけを聖域にすることなど不可能なのだ。管理職からパワーハラスメントを受け続け、自殺した教員や、こころの病にかかった教員が、教室で「いじめのないクラスにしよう」と言っても、言葉に真実味がない。自分の苦しみをこどもたちに赤裸々に伝えたほうがよっぽど苦しみを共有しあえると思う。いじめがあったときに、相談できる体制を学校が作るようにと指導や通達がきそうだが、相談を受けたとしても、いじめの根絶にはつながらないことを前提にしておく必要がある。そして、相談を受けたならば、その責任において、いじめを受けにくい状況を紹介する用意はしておかなければならないだろう。(小説:メモリーソルジャーは休載)

5535.11/6/2006
小説:メモリーソルジャー (3)


 リーダーは、どう見ても日本人で、肩に星が3つついた階級を表すバッジをつけている。
「ヘナ少尉。今夜も予定通りにミッションは進行しています」
おー、このリーダーはヘナ少尉というのか。
「よし、マチ軍曹、引き続きミッションを遂行せよ」
敬礼をしながら報告した男は、マチ軍曹か。マチは、振り返ると、数人の部下から情報を収集し、メモをとる。この部隊には通信機というものがないのか。やや近代化が遅れている。俺は、マチの手元に近寄り、メモの内容を盗み見る。
 そこには、きれいな日本語が書かれていた。
 そもそも、この軍隊というか、部隊は、なぜ日本語をしゃべるのだろう。いまの日本には自衛隊はあるけど、階級に戦前のような少尉や軍曹などという名前のついた軍隊はない。そして、不思議なことに武器を持参していない。小火器の使用を含め、この部隊は上官の許可がないと武器を使用したり、携帯したりすることが許されていないのか。先日、テレビで見た「亡国のイージス」のようだ。
 メモは、チェックリストになっていた。端にレ点が書き込めるマス目があり、マチは部下の報告を聞きながら、ひとつひとつにレ点を打つ。よく見ると、レ点を打つマス目は二列になっていて、項目の欄にオフとオンと書いてある。マチは、報告を聞きながらオフの欄にレ点を打つ。どうやら、なにかをオフにしている報告が次々と飛び込んでくるようだ。リストナンバーに沿って内容を見る。
 自分が人間であること。名前がついていること。オス。家族関係。社会的関係。仕事。もっとも親しい友人。もっとも苦手な知人。職場の同僚。ペットの名前。年齢。生年月日。内容は、どれも俺に関する情報だ。膨大な量の情報が記されている。そりゃそうだ、いまの俺の記憶そのものなのだから。マチはチェックリストをめくったり、戻したりしながら、膨大な量のチェックリストから、報告を受けただけで、瞬時にそのチェックをつけるページをめくり、レ点をつけていく。
 「短期記憶班」と書かれたプレートをつけた小隊が左耳から出てきた。パッパと服についたほこりを払う。いや、よく見ると、それはほこりではなく、俺の耳垢だ。
「少尉、短期記憶班、ただいま戻りました」
そういうと、小隊の隊長らしき人物が、ヘナにメモを渡す。この小隊は、マチに情報を報告しないで、直接、ヘナに上申できる権限をもっているらしい。中間職のマチには、気になる存在かもしれない。ヘナはメモを見ながら隊長に質問をする。
「この焼きリンゴのタルトってなんだ?」
「きょうの夕方に食べた菓子の名称です」
「これは処分してもいいだろう」
「いや、最近、クライアントは菓子や食材の名前を忘れないように努力している履歴が残っているので、数日間は残しておいたほうが無難かと思います」
「よし、三度目の日の出まで引き出しを使わせよう。それを過ぎて本棚に情報が集積されていたら、正式にリストにくわえよう」
そういうと、ヘナはマチに新しくリスト登録するように命令した。マチはリストの最後に「焼きリンゴのタルト 但・三度目の日の出」と書いた。
 この連中は、どうやら、俺の記憶のスイッチを消して回っているらしい。昔、読んだ記憶に関する書物の一節がよみがえってきた。

5534.11/4/2006
小説:メモリーソルジャー (2)


 夢を見ようと思って夢を見ることが可能になると、夢のなかの自分を意識し、脈絡なく場面が展開する夢物語を、そこに存在するものとして、自覚できるようになる。
 これは夢だと思えると、夢でしかできないようなことを考え、夢にイニシアチブをとらせないように意識して、自分が主導権を握った物語へと作り変えていける。
 きっと、きょうのこの夢も、こんな意識のかたまりになって、ふわふわと自分の寝姿を天井から見下ろしながら、なにかおもしろいことができるのかもしれない。
 からだの右側を下にして、右手はのばし、左手はまげて、右足はのばし、左足はややまげた姿勢で、俺のからだは安定している。そういえば、日本赤十字の救急法講習会に出たときに、この姿勢がもっとも、からだを安定させる姿勢と教えられたことを思い出す。自分の記憶のなかにあった姿勢を、自分の夢のなかでとりながら寝ている自分のからだを、俺という意識が見下ろしている。なんだか、複雑な構図になってきた。
 ふと、左手が左の耳たぶあたりを仰いだ。蚊でも飛んできて、ブンブンまとわりついているのか。俺は近づいてみることにした。俺の意識は、手足などの実態はないのに、視覚という感覚はあって、しかも近づこうと思ったら、空中を自由に移動できることがわかった。音もなく、俺の耳元に近づいた。
 すると、そこには米粒ほどの小さな生き物がうようよしているではないか。
「ぎょえっ」
思わず声を上げたが、俺の意識には音声はないらしく、大きな声で出したつもりの「ぎょえっ」に小さな生き物たちはまったく反応しなかった。あまりにも小さな生き物なので、ひとつひとつを識別することは難しいと思って、よく見ようと思ったら、なんと視野が拡大されて、俺の視覚にはさっきまで小さな生き物に見えていたものたちが等身大に映り、逆に俺のからだが巨大化していた。夢のなかの俺の意識は、変幻自在だ。
 大きなアリかと思っていた、その小さな生き物は、なんと迷彩服を着た人物たちだった。武器はもっていないが、ヘルメットをかぶっている。ひとりのリーダーを中心にして、とても統率のとれた行動をとっている。まるで、軍隊のようだ。何人いるのかはわからないが、次から次へと俺の目の前を通過していく。通過していく先を追いかけると、俺の左耳から、なんと体内に侵入していることがわかった。
「ひえーっ、やだぁ」
ここでも声を上げたが、連中のだれひとりとして、俺に振り向きもしない。
 よく見ると、その迷彩服を着た人物たちは、互いにひそひそ会話をしている。それを伝言ゲームのように、順次ほかのメンバーに伝え、その情報がひとりのリーダーに届く仕組みになっていた。俺は、連中をかきわけ、リーダーに接近した。

5533.11/2/2006
小説:メモリーソルジャー (1)


 ここから見ていると、俺の寝姿は情けない。
 口を半開きにし、腹と胸が呼吸で上下する。ときどき上下の動きが止まる。五秒、十秒、十五秒。息苦しさに耐えかねて、ぐびーっと喉の奥が吠える。
 真上を向いていた姿勢を横向きにした。いつもの姿勢だ。俺は寝入りばなは、からだの右側を下にして軽く膝を曲げないと落ち着かない。胃袋は入り口がからだの左側にあり出口がからだの右側にあるから、右側を下にすると食ったものが逆流しにくい。だからきっと落ち着くんだろうと勝手に解釈して四十年以上生きている。
 朝夕が寒くなってきたから布団をかけて寝たはずなのに、布団は足元に追いやられていた。寝相は昔から悪い。
 俺は俺が寝ている畳部屋の天井にいる。天井といっても忍者みたいに天井裏にいてのぞき見をしているわけじゃない。かといってやはり忍者みたいに天井に張りついているわけでもない。俺の意識だけがそこにふわふわと浮いている。だから手足も顔もない。こんなこと現実であるわけがなく、確実に俺は夢を見ているのだ。
 ふだんはほとんど夢を見ない。
 布団に入り枕に頭がフィットする。目を閉じる。目を開ける。朝になっている。俺としてはまばたきのわずかな瞬間に五時間も六時間も経過している。だから、たまに夢を見ると、よく覚えている。能天気な性格だから夢は楽しい内容が多い。でも途中で目覚めて朝になることが多く、夢の続きを見ようと意識して寝るトレーニングを昔から重ねた。そうしたら夢の最中に、これは夢だと自覚できるようになってしまった。
 光速新幹線に乗ってノルウエーを旅した夢を見た。そのときは、駅のホームで電車を待っていると、いままで見たこともない黄金色で流線型の新幹線が入線してきた。わたしは、先頭車両に乗り、運転席に座り、客のはずなのに「出発進行」と合図を送る。一日目はそれで朝になってしまった。こんなくやしい思いはないと、翌日以降、就寝前に夢の続きをイメージして寝たら、数日後になって、新幹線を運転している夢を見た。これはあの夢の続きに違いないと思い、夢のなかで喜んだ。その新幹線は、高速ではなく光速新幹線だった。だから、ノルウエーまで、数分で着いてしまう。世界中を旅して、おいしいものを食べたり、なぜか港町でロマンスを経験したり、名所旧跡を観光したり、とても楽しい夢週間だった。
 サッカーワールドカップが開催していたときには、サッカー選手になる夢を見た。地元の電車がとまる駅で、試合前に選手が集合した。よく休日になると遠征に行く運動部の中学生や高校生が駅に集合している。あのノリでジーコ監督率いるサッカー日本代表が、三々五々、駅の改札口に集まってきた。この夢も、途中で朝を迎えることが多く、物語が完結するまでに、二週間ぐらいを要した。実際には、夢を見ない日が多いのだから、物語の完結まで、毎日夢を見続けたわけではない。そのチームの相手は、地元の少年サッカーチームで、けっこうマジになってやってやっと勝ち星をあげた。

5532.11/1/2006
 にらみ合いを続ける兵士たち。韓国兵は相手を「北の傀儡政権」と呼び、北朝鮮兵は相手を「南の傀儡政権」と呼ぶ。北朝鮮兵が持っていた手榴弾の留め金を指輪と勘違いしたヨイル。兵士が疲れてうとうとしたすきに、手榴弾から留め金を引いてしまう。その手榴弾は、衝撃を受ければ、爆発する。兵士は、落とさないように持ち続ける。それでも疲労が限界に達したとき、手榴弾は手から地面にコトンと落ちた。あわてた兵士たちは互いに、地面に伏せ、韓国兵が自爆を覚悟で手榴弾の真上に大の字になって乗り上げた。しかし、その手榴弾は、不発弾で、爆発は起きなかった。なーんだという空気が流れ、韓国兵が手榴弾を拾い上げ、投げ捨てる。その衝撃で本当の爆発が起きた。ちょうど、トンマッコルのひとたちが冬の間の食料を貯蔵している倉庫のなかで。爆発の熱で、とうもろこしがポップコーンになって、トンマッコルに降り注いだ。
 村人たちの食料を台無しにした罪滅ぼしとして、兵士たちは畑仕事を手伝う。そのなかで、互いの誤解が少しずつ解け、大きなイノシシをみんなで退治した事件をきっかけにして、完全に融和し、村人との共同生活を送るようになる。
 ここまでは、ファンタジーとしてとても楽しめるストーリーなのだが、後半は、きびしく悲しい現実が押し寄せる。朝鮮戦争真っ只中で、トンマッコルだけが、戦争から隔離された生活を許されない。遭難した米軍兵士を救出し、北朝鮮兵を追い詰める落下傘部隊が村を急襲し、米軍と韓国軍が、トンマッコルを空から攻撃する計画が、兵士たちに伝わる。このままでは、トンマッコルのひとたちが、空爆の被害に遭ってしまう。
 世話になった恩返しと、村人たちの生活を守るために、兵士たちは爆撃誘導という、捨て身の作戦を実行する。それぞれの所属は、米軍、韓国軍、人民軍なのに、個人の立場として、韓国軍と米軍の共同作戦を阻止するために立ち上がる。作戦を準備していたときに、遭難した米軍兵士スミスは、トンマッコルのことを知らせるために、本部に向かう。おそらく、二度と会うことはないだろう別れの場面は、雪原に陽光が降り注ぐ、明るい世界だった。
 連合軍を迎え撃つ、わずかな人数の兵士たち。同じ朝鮮人でありながら、権力者の都合で、民族を分断され、互いに憎みあう宿命を負わされた兵士たちが、共同で爆撃機の到来を待つ。ひとりの若い人民軍兵士テッキが叫ぶ。
「俺たちが、本当の連合軍だよね」。
 最後の場面は、ぜひ映画を観て味わってほしい。広告や宣伝では、とてもユニークなファンタジー映画のように感じてしまうが、全編をじっくり味わうと、もっと深いメッセージが伝わってくる。とくに、韓国人映画監督が、このような内容の映画を製作したことに、これまでの韓国映画、とりわけ社会派とは一味違ったメッセージを感じることができた。
 戦争とはなんだろう。戦うとはなんだろう。だれのために、なぜ殺し合いをするのだろう。ひとりひとりが背負う国家とは、だれのためのものだろう。
 だれにも迷惑をかけず、完全に自給自足の生活を送り、自立した共同体が維持できるのであれば、そこには領土とか、国家とか、法律など、無用のものになる。ひとは、そこまでひとを信じることができるのだろうか。

5531.10/31/2006
 長編映画初メガホンとなったパク・クァンヒョン監督の2005年韓国大ヒット作「トンマッコルへようこそ」が日本で公開された。
 公開日に予約して観に行ったが、客席はまばらで、日本での興行は大丈夫かなと心配になった。
 1942年1月4日生まれのカン・ヘギョンが演じたヨイル。年齢は違うが誕生日はわたしと近い。天真爛漫な少女は、争いや憎しみを知らないトンマッコルの象徴的な存在だった。とても純朴な少女を演じたが、おどろおどろしい「親切なクムジャさん」も演じている。役どころの広さを感じた。
 純朴な北朝鮮兵を「JSA」で演じて映画スターとしてブレークしたシン・ハギュンは、韓国の脱走兵を演じた。こころの傷を抱えながら、最後は壮絶な戦いをリードしていく難しい役柄だった。
 2003年に「シルミド」で684部隊の血気盛んな第一班長を好演したチョン・ジョヨンは北朝鮮の将校を演じた。村人を守るこころの強さを演じきる。
 時代は1950年。朝鮮戦争が勃発した朝鮮半島の山奥の小さな村が舞台だ。そこは、下界から孤立し、完全に自給自足の生活が成立している。話の読み取りから察するに、おそらく朝鮮半島の中央部に位置しているのではないかと思われる。その村の名前が「トンマッコル」。こどものように純粋なこころをもったひとたちの村という意味だ。いまの日本では、こどもが純粋なこころをもっているのかという疑問も感じるが、韓国ではそうではないのかもしれない。
 トンマッコルのひとたちは、畑で穀物を育てる。肉は食べない。トウモロコシ畑をイノシシが食い荒らすことに腹を立てる。どうやってイノシシをやっつけようかと相談する。右目を三発殴れば「もうトンマッコルは怖くて近寄らないと思うだろう」と考えた。でも「もしもお前がイノシシだったらどうする?」「そりゃ、仕返しにいくよ」の一言で、その考えは立ち消えになる。やられたらやり返すのでは、なにも解決しないことを、ひとびとは道徳として身につけている。周辺では、同じ朝鮮人どうしが殺し合いをしているというのに。
 米軍機が故障で村の近くに不時着した。村人はパイロットのスミスを手厚く看護する。避難民を殺してでも命令を遂行した(映画のなかでは遂行するのがいやになり逃げたように思えたが)韓国の脱走兵たち2人も、村に行き着く。傷ついた部隊を率いて故郷に逃げる北朝鮮の小部隊。けが人は足手まといになるので殺すべきだという進言を無視して、自分のいのちを狙われそうになる将校。そのとき敵の攻撃に遭い、部隊は壊滅する。そんななか生き残った将校ら3人も、やがて村に行き着く。朝鮮戦争で殺しあったアメリカ人、北朝鮮人、韓国人の兵士が、そろいもそろって、トンマッコルで合流する。すわっ殺し合いかと思ったとき、村人が間に入り、兵士たちの緊張をよそに、先述のイノシシ議論を展開する。兵士たちは、互いにトンマッコルのひとたちを盾にしてにらみ合うが、かんじんの村人たちが「トイレに行きたい」「荒れた畑を見てくる」と勝手に抜けていく。銃を突きつけられても、武器を知らないひとたちにとって、それはちっとも怖いことではなかったのだ。そのうちに雨が降り始め、村人はみな軒下に雨宿りをしてしまう。殺しあうほど憎い相手が目の前にいて、殺し合いなど無関係の世界に生きるひとたちに囲まれて、兵士たちは互いににらみ合いながらも、引き金を引くことができないまま夜から朝を迎える。

5530.10/30/2006
 埼玉県新座市で中学3年生の男児が失神ゲームでけがをした。
 失神ゲームとは、加害者のつけたネーミングだろう。やられる方はたまったものではない。ゲームなんかではなく、あきらかに弱い者いじめだ。
 市教委はこれまで、「校長から事件直後の12日に報告を受けたが、いじめの事実はつかめなかった」と説明していた。しかし、少年3人が逮捕された24日、改めて調査した結果、「集団で羽交い締めにしてトイレへ引き込んで失神させるなど、いじめとみるのが適切」と判断した。失神ゲームというのをわたしは見たこともないし、経験したこともないので、よくはわからない。相手の胸を強く圧迫して、一時的に気を失わせる行為と報じられている。しかし、これだけではよくわからない。ドッチボールなどで、強い投球を胸で受けたときに、瞬間的に息が止まり、目の前が真っ白になったことがある。あんな状況なのだろうか。
 傷害容疑で逮捕された同学年の3人のうちの1人は警察の調べに対して「2学期の初めごろから、他の複数の生徒にも失神ゲームをした」と供述している。ターゲットは「先生に申告せず、おとなしい生徒を狙った」そうだ。この3人が逮捕されたきっかけは、12日午前11時45分ごろ、校内の男子トイレで男子生徒に失神ゲームを強要し、約3分間失神させたうえ、目を覚まさせるため頭や顔などを殴り、1週間のけがをさせた疑い。3人のうち2人は「面白いからやった」と供述しているという。当初、学校はこの事実をつかみながらも、警察には通報していなかった。それほど、この中学校ではこの程度の傷害沙汰が日常化していたのだろうか。いちいち通報していたら、ほかにもっとすごい事件まで明るみに出るのを恐れたのだろうか。
 反抗しない相手を殴り、失神させ、その行為自体を楽しむ。これが犯罪でなくして、なにが犯罪なのか。あえて、警察に通報しなかった理由として、加害者の今後を考えた教育的配慮という理由が浮かぶ。しかし、犯罪の黙認が果たして教育的配慮にあたるのだろうか。被害者や被害者の親の気持ちは考えなくていいのだろうか。学校側が、いじめの発覚による社会的信用の失墜や責任追及の矛先をかわしたいがための隠蔽工作と見られても仕方がない。
 それでも、親は学校に集団生活のいろはを期待し、同年齢集団での規律ある行動をこどもに求める。風邪やけがではない「学校に行きたくない」には応じない。不登校になれば、なんとしても学校に戻すことに全エネルギーを使う。そんな現実を、権力者は学校の荒廃と呼び、すべての責任を教職員にかぶせ、これを機会に物言わぬ学校支配体制を狙って教育基本法改正へと一気に動こうとしている。学校で起こっている諸問題は、全国の教職員や児童生徒の数から言えば、わずかな割合に過ぎない。だから、全体の問題ではないのだが、小さな問題を大きな問題かのように錯覚する人が多い。なかには、とんでもない教職員や児童生徒がいるとは思う。しかし、いじめが発生する背景は、公教育体制がもともともっている制度のひずみから生じている。だから、その制度の不備を修復しない限り、教える中身を増やそうが、教員免許を更新制にして主体的な教員を解雇しようが、なくならないだろう。

5529.10/28/2006
 全国の公立高校・私立高校で、3年生の履修単位を偽造していたことが発覚している。
 学習指導要領で定めた卒業に必要な単位を修得させないで、各高校が卒業認定をしていた。記録が残るだけで、少なくとも2002年以降(それ以前もあった)、偽造する高校が増えていたことがわかっている。
 2002年は、総合的な学習の時間が創設され、学校週5日制が導入された年だ。今回の履修偽造に関して、ゆとり教育の弊害と結びつけるひとたちがいる。そのゆとり教育が始まったのが2002年だ。しかし、この結びつけには論理的に飛躍と無理がありすぎる。そもそも、学習指導要領の改訂は、文部科学省が中心となって行ってきていて、全国の学校現場の声などまったく聴こえもしないところで、学校関係者がほとんどいない機関で検討され、決定したものだ。だから、履修偽造という学校現場の問題と、学習指導要領改定という政府の問題を同じまな板に乗せて議論するのは、おかしい。履修偽造は、学習指導要領が改訂されなくても行われていたかもしれないし(実際にそういう高校はあった)、ゆとり教育が問題を多く抱えるとしたら、それを検討し決定した密室に集まった政府関係のひとたちの責任を追及すべきだ。
 今回の履修偽造問題(単位不足事件)は、日本の受験制度が抱える象徴的な事件だ。しかも、管理職や教育委員会が黙認し続けてきた、きわめて悪質な違反である。だれもが知っていながら、口にできなかったことだ。問題の発覚は、地方の高校からだったが、その発覚の仕方もどんなかたちだったのか興味がわく。おそらく、内部告発だろう。それも、義憤を感じても告発ではなく、出世競争に敗れたり、管理職コースから外されたりしたひとたちの恨みが積もった告発だったのではないだろうか。これまで卒業し大学に入学した学生について、大学側は「高校が卒業を認定したものを信じるしかない」という立場をとっている。国の決まりとして十分ではないことを隠して認定されたものでも、形式的に残された卒業認定であればかまわないという。これでは、まっとうな学生たちの学習意欲が高まるはずがない。
 緊急調査によって、単位不足の実態が明らかになってきている。その多くが、いわゆる有名大学への進学率が高い名門高校だ。受験を優先した授業編成によって、受験に関係のない教科指導がおろそか(今回の事件では、教科指導そのものをしない)になってしまったのだ。メディアはあまり報じないが、教育委員会を始めとする教育行政の多くは、教員が出向するかたちで行っている。教員が数年間、教育委員会で指導主事などの立場で働き、その後学校に戻るときには教頭や校長などの管理職ポストが用意されているのだ。だから、高校で意図的に単位不足を行っていた事実は、教育委員会のひとたちが知らなかったはずがない。むしろ積極的に巧妙な手口を相談し検討してきたと思われる。
 ことしに限って、悪さがばれてしまったので、高校生たちはこれから補習によって不足単位を補うという。それを軽減してほしいという嘆願もあるようだが、進学校にはなにをやっても許されるという印象を与えかねない。学生にはなんにも過失はない。その前提は崩れない。すべての責任は学校関係者が負うべきであり、日ごろから教員の服務を監督する立場の管理職が最終的な説明責任と結果責任を負うしかない。

5528.10/26/2006
 学校や家庭、こどもに関する事件が続く。そんななか、政府は教育基本法の改正や、教員免許法の改正に向けて、動いている。
 教員が、自分たちの手ではなにもできないとあきらめの気持ちになったら、学校は停滞し、教育は荒廃する。こどもが犠牲になる。しかし、これまでも、いまも、そしておそらくこれからも、教員をめぐる労働環境は管理的な方向に傾いていくだろう。個々人の考えで教材を作る自由やゆとりを奪われ、信念に基づいた授業プランを立てても、それを実践する教室がなくなる。そんな環境では、校長などの管理職の言うとおりに行動するしか生き延びることができない。すべての責任を管理職に預け、自分の存在を無力化し、透明な存在にすることで、ぎりぎり精神の安定を保つしかなくなるだろう。創造的な授業や、建設的な学校運営など、昔話になってしまう。
 今度は、教諭が中学2年生の女児をいじめていた。
 鹿児島県奄美市の市立中学校で、2年生の女子生徒(14)が、1年生時の担任の男性教諭(30)からいじめを受けたとして、昨年9月末から不登校になり、自殺をほのめかす手紙を学校に送っていたことが分かった。学校側は教諭に不適切な言動があったことを認め、教諭も今年3月に生徒の両親に謝罪したが、女子生徒には会えない状態が続いているという。
 女子生徒は昨年6月、同校から市内の別の中学校に転校したが、3カ月後に再び同校へ転入した。転出時と同じクラスに在籍したが、その後、担任教諭によるいじめが始まったという。
 女子生徒によると、体育大会で使う鉢巻きや学習プリントを渡されなかったり、出席確認で名前を呼ばれなかったり、無視される状態が続いたという。女子生徒はショックで不登校となり、体調を崩したという。今月上旬に学校に「人生を台無しにされた。死んでやる」などと訴える手紙を出していた。
 両親は教諭の言動について詳しい報告を学校側に求めたが、実現しないことに不信感を抱き「学校側は『早く立ち直ってほしい』と言うが何もしてくれない」と語る。女子生徒は「自分は何も悪いことをしていないのに、なぜいじめられるのか意味が分からない。こんなに苦しんでいるのに……」と話している。
 校長は「いじめの行為があったことは認識している。両親だけでなく、本人にも謝罪したいが会えない状態だ」と話している。
 世も末になってきた。

5527.10/25/2006
 京都府長岡京市で3歳の長男を餓死させ、6歳の長女を虐待していた男女は、6歳の長女への食事制限について、3月に長女を保護した児童相談所に対して、虐待を認めていた。警察の取調べには「しつけだった」と供述しているが、実際には虐待の認識があったことが明らかになった。これは、とても珍しい。世に言う虐待をしている親やおとなには、自分が虐待をしている認識がほとんどない。悪いことをしているという罪悪感が少ないので、虐待はエスカレートしていく。
 ことしの3月から4月にかけて、児童相談所が男女に対して行った4回の面談で、長女に食事制限をしていたこととたたいていたことをふたりは認めたという。このときに、児童相談所が、それは虐待だと指摘すると、ふたりともそれを認めた。虐待の事実がありながら、保護したのが長女だけで、そのとき2歳だった長男について、踏み込んだ指導や介入ができなかったものかと悔やまれる。
 そんななか、大阪では5歳男児と6歳女児に対して、虐待で負傷させたとして、父親と祖母らを逮捕した。下校時に寄り道をしたという理由で、ふたりの尻をほうきの柄で繰り返し殴り、ふたりの尻はアザで真っ黒になっていた。
 なぜ、こどもがおとなに一方的に虐待され続けるのか。
 ひとつの見方は、ストレスの解消のために弱い者がターゲットにされているという見方がある。おとなが背負うストレスをこどもへの暴力によって発散させているのだ。
 別の見方として、こどもを育てる苦労に耐えられなくなっているおとなが増えてきたという見方もできる。食事を与えなかったり、衣服を新調しなかったり、子育てを放棄したネグレクトは、あまり報じられていないが虐待のなかでもっとも割合が多い。
 そこまでおとなを追い詰めてしまう精神的な背景はどこにあるのだろうか。だれしも小さなこどもが、自分だけでより多くのことをするとは思っていない。なのに、自分がこどものときもできなかったようなことを、自分の小さなこどもに求めてしまう。それができないと、懲罰を与えるという方法でしか、できるようにさせることができない。ひとを育てることの意味や価値を無視した調教よりも愛情のない残酷なやり方だ。
 かつて、こどもは共同体の宝という発想で、こどもが産まれると親から引き離して、共同体が育てる民族が存在した。未熟な親には育てる資格がないと経験から察していたのかもしれない。強制的にこどもを親元から引き離すのは、いまの時代ではあまり考えにくいことだが、親だからこどもを自由に扱っていいという発想は、どんなに時代や文化が異なっても許されないことだと思う。

5526.10/24/2006
 また虐待事件が発生した。
 最近では、あまりにも虐待による児童殺傷事件が多くなり、本当は事件にならないだけで、日常的な虐待は水面下で、もっとたくさんあるのではないかと思ってしまう。
 京都府長岡京市で3歳の男児が餓死した。飽食の時代に餓死する3歳児童がいる日本社会を世界はどう受け止めるだろう。姉をあまやかして育てたので、弟は3歳の誕生日からしつけを厳しくしたと両親は供述している。しかし、こどもの部屋に内側からは開けられない鍵をつけ、周到に計画された殺害だったとの疑いをぬぐいきれない。姉は、すでに3月28日午前1時頃、パジャマ姿で路上にいるところを発見され、児童相談所に保護されていた。
 今回の事件は決して地域社会が見過ごしていたわけではない。民生委員と自治会が、この家族の異変に気づき、6月以降、3回にわたり5件の虐待情報を児童相談所に連絡している。しかし、相談所は、後に保護責任者遺棄致死容疑で逮捕される父親に電話するだけで、介入の必要はないと判断していた。相談所の所長は、「判断に甘さがあった」と不十分な対応を認めた。自治会関係者からは「助ける機会があったのに」と無念の声が上がっている。
 この事件に限らず、虐待事件が発生すると、担当の児童相談所の対応が非難される。しかし、虐待は家庭という密室での出来事であり、外部の人間が親によるわが子への犯罪を立証するのはとても難しい現実を考えなければいけない。それに、児童相談所の虐待担当者は、ひとりで超人的な家庭を担当していて、身も心もすり減らしながら家庭の立ち直りを手助けしているケースが多い。なのに、厚生労働相は24日の閣議後会見で、京都虐待事件に触れ、近所から虐待情報があったのに防げなかったことについて「(児童相談所など)行政の担当者がそういう情報になぜ反応できなかったのかという思いがある」と批判した。3歳児の姉が保護された経緯があったことからも「きめ細かい配慮ができなかったのか、非常に残念な気持ちが強い」と述べた。厚労省は9月26日付で、全国の児相が警察との連携を強化するよう都道府県と政令市などに通知している。
 児童相談所は、警察組織の一部ではない。犯罪を抑止するためでも、犯罪を防止するためでも、犯罪を罰するためでもない厚生労働省の組織だ。子育てに困っている家庭を支援し、親とともに子育てを支え、家族が円満に生活していけるようにアドバイスする役目を負ってきた。だから、虐待に関して、強制的に調査し、必要に応じて親からこどもを引き離すのは、本来の目的とは違う判断が求められる。もしも、虐待に相当する情報を得て、家庭を捜査し、こどもを傷つけている証拠を押さえたならば、親子を引き離す役割が必要と考えるのならば、それは警察の仕事ではないかと思う。虐待は、しつけでも、子育てのひとつの方法でもなく、明らかに犯罪だ。犯罪者に対して社会的制裁を与える権限は児童相談所にはない。
 そして、このような行政の対応にばかり目を向けていると、なぜ虐待が全国的に数多く発生しているのかという、問題の根本にまったく触れられないまま、同じ事件が繰り返されてしまうだろう。

5525.10/21/2006
 ここで誤解しやすいのが、いじめの場合は、いじめる側にもいじめられる側にも理由があるという考え方だ。
 一方的に片方が悪者ということは、こども世界ではありえないだろうという希望がおとなにはあって、それぞれに衝突する理由のバランスが、なんらかのきっかけで崩れて、いじめへ発展していくと考える。わたしの経験では、このようなケースは、ほとんどない。しかし、そのように考える親も教師もとても多い。そして、いじめられているこどもや親に二次的な被害を与えてしまう。
「ボクはいじめられています。助けてください」「わたしはいじめに苦しんでいます。なんとかしてください」。
いじめを受けたこどもは、そんなアピールはしない。9割以上がだれにも言わずに、人知れずこころを苦しめるのだ。
 ひとから無視されたり、上履きを隠されたり、ノートに「死ね」と書かれたり、無言電話をかけられたり、ネットで中傷されたり、親や教師にバカ呼ばわりされたりすると、こどもはそれらをいじめとはとらえずに、自分が悪い、悪いのは自分だと思い込んでいく。だから、反抗したり、闘ったりする元気はない。いじめられることは、悲しいことの前に、恥ずかしいことであり、それをカミングアウトする勇気はないのだ。
「いじめを受けているあなたに問題があるんじゃないの?」「お前に味方をしたら、こっちも無視されるからやだよ」。
そんなこたえが返ってくるのを予想したら、とてもではないが、ふりしぼる勇気はわかないだろう。
 政府や文部科学省が、いじめについての調査を始めたり、いじめをなくす方法を検討したりすると報道されている。しかし、これらは代議士にとって票にならない、利益にならないことなので、どこまで本腰かは不透明だ。最初に大きな花火をあげるかもしれないが、全国の学校で適用可能な具体策として実現できるまでになるかは未知数だ。
 教育制度の歴史が長いヨーロッパでも、こどもどうしのトラブルはある。しかし、それが自殺に発展することはほとんどない。また、日本のような陰湿ないじめが数年も続くことは考えにくい。それは、親の教育権が確立しているからだ。親の教育権は三本の柱からできている。こどもに教育を受けさせる権利、こどもの教育を選ぶ権利、こどもの教育機会を創造する権利の三つだ。これらは公教育、つまり公立学校において実現されている。日本では、残念ながら、このうちこどもに教育を受けさせる権利しか憲法で保障していない。
「この公立学校に不満があるなら、学費を出して、試験を受けて私立学校へどうぞ」
「自分のこどものために学校を作るなんて、税金の公平性を欠くので不可能です」
もしも、日本の役所でこれらの権利を行使しようと思ったら、窓口でにべもなくこのように言われてしまうだろう。だから、いじめはなくならない。

5524.10/19/2006
 わたしはことし教員歴22年目になる。大学を卒業してすぐに就職したのでほかの仕事を知らない。教員に多い世間知らずの一員だ。
 だからこそ休日や退庁後は地域活動や市民活動に身を置き教員以外のひとたちと接するように努めてきた。外からの視線に触れておかないと常識を忘れそうになる。これは学校という機能や教員という職種の問題ではない。どんな社会集団にも閉鎖牲は存在する。不正を隠蔽しようとするのは学校だけのことではないだろう。
 ある面で学校は社会を写す鏡であり、いま社会で起こっていることがこどもや保護者を通して教室に持ち込まれる。学校と自宅を往復するだけの毎日を送っているタイプの教員は、そうやって教室に持ち込まれる社会現象をうまく処理しにくい。常識が欠けているといわれるゆえんだ。
 授業参観のとき教室の後ろで携帯電話で通話する保護者はめずらしくなくなった。授業に関係なく通話内容に笑ったり怒ったり相づちをうったりしている。
 携帯電話の普及を考えれば、授業参観のときに携帯電話を持参しているひとが多くても不思議ではない。それを否定すると、学校は非常識になる。コンサートや映画が始まる前に、携帯電話の使い方についてアナウンスがある。これまではなかった配慮だが、それも新しい常識として受け入れていかなければいけないだろう。
 これまで地域社会は、協調と連帯を人間関係の基本にしてきた。だから学校でも似たような教育目標を掲げることができた。しかし、実質的に地域社会から協調と連帯が失われたいま、相変わらず学校だけがそれらをこどもに求めている。かつては協調と連帯をしなければ地域社会の維持は困難だった。いまは、近所だからという理由だけで家族ぐるみのつきあいが必要にはならない。無条件で近隣住民を信じたら、最悪の場合、犯罪に巻き込まれてしまうかもしれないのだ。
 いまの学校で、いじめのターゲットになりやすいこどもには、協調と連帯に問題がないこどもが多い。つまり学校側からはよい見られ方をしているこどもたちがターゲットになりやすいのだ。さらに性格がおとなしかったり、小さい体格だったりすると可能性は高まる。そして成績が上位だと決定的になる。このような条件に合致すると必ずいじめのターゲットになると言っているわけではないので誤解しないでほしい。なかには明らかに弱い者いじめもあるし、いじめられていたこどもがリベンジすることもある。
 わたしが注視したいのは、おとなが安心しているこどもにいじめがあるとき、見過ごしてしまうということだ。見過ごされたいじめは悲惨な結末へと向かいやすい。おとなしく、成績上位で、だれとでも仲良くし、行事があれば協力的態度を惜しまないこどもが、まさかいじめを受けているとは思わないだろう。
 なぜ、これらの条件がターゲットになるのだろうか。

5523.10/18/2006
 いじめを原因とする自殺が続き社会問題化している。なぜ、学校はこどもどうし、教師どうし、教師とこどものいじめを見抜くことができないのか。
 各方面からいじめをなくす取り組みの必要性が叫ばれている。しかし、家庭でも、学校でも、地域でも、職場でも、いじめはなくならない。ひとは3人集まれば集団を構成し、いじめや仲間はずれを起こす。ひとのこころは、自分が不利な立場にならないように、本能的な防御反応として、自分より弱い立場の存在を作ろうとしてしまうらしい。
 いじめの発生が本能的なものだとしたら、いじめの発生は止められないが、いじめの継続を阻止したり、いじめによる苦しみから解放したりする方法はある。それは、いじめが発生している集団から弱い立場の存在が、理由を問われずに、自由に抜け出せる仕組みを用意しておくことだ。そして、抜け出した後の受け皿集団が、複数用意されていることも必要になる。
 これは、とても単純なことなのだが、実際には学校や職場では実現できない。いじめを受けているこどもがとなりのクラスに替わることや、近くの学校に転校することが、認められていない。つまり、いまの学校のやり方では、いじめをしている側の変化を求め、それまでやってきたことを今後はやらないように指導して終わりにしてしまうのだ。これでは、問題が水面下に隠れ、教師の目から見えなくなるだけで、実際にはいじめが陰湿に継続する。いじめを受けていた側は、正直に訴えたばっかりに、以前よりもさらに執拗で陰湿な被害を受け、二度と教師に相談しようとは思わなくなる。
 三輪中学校で、去年、自殺した男子にいじめ発言を繰り返していたという教師は、体調を崩し、入院していることが18日、分かった。主任は、男子生徒が1年時、男子生徒に関して母親が相談したことを他の生徒に暴露。さらに、男子生徒を「うそつき」と呼ぶなどの言動を繰り返していたが、その後、体調を崩していた。今回の事件によって、精神的に追い詰められたことが原因と思われるが、全校生徒の前で非を認め、深く謝罪し、針の筵になる日常に耐えながら、同じ過ちを繰り返さない態度を示し続けていくことが、自殺したこどもへの本当の意味での償いだと思う。病院のベッドで、混乱から隔離された状況で、自問自答を繰り返しても、問題の大きさや根深さは見えてこない。
 構造的にいじめが発生する欠陥をもっている集団を基本にしている学校で、連帯や協力を目標に掲げる教師がいる。それこそ、いじめを助長していることにそろそろ誠意ある教師たちは気づかなければいけない。連帯や協力の影で、同じ行動が取れないこどもたちが、教師の蔑む視線と同じ視線を同級生から浴びせられ続けていることに気づかなければいけない。

5522.10/17/2006
 福岡県筑前町立三輪中学校で、いじめを苦にして二年生の男子生徒が自殺した事件のあと、学校や教育委員会に抗議の電話やメールが殺到している。事件のあとの校長の発言には腹立たしい内容がないわけではない。しかし、抗議したところでなにが改善されるというのだろうか。不満や不安を当事者にぶつけるだけでは、かたちを変えた社会的いじめをしているに過ぎない。メディアが高度に発達した日本社会では、瞬時に事件や事故が全国に知れ渡る。そのなかには、喜ばしいものもあるが、多くの場合は悲しいもの、腹立たしいものが際立つ。自分のつかんだ情報は、真実の断片に過ぎないことを、もっと多くのひとたちが学習しないと、これからのインターネット社会では、生き残れない。仮想現実が伝える内容は、ほとんどが真実からは程遠いものなのだ。
 学校は、こどもたちが仲良く楽しく元気に過ごすことを前提として、物理的にも、時間的にも組み立てられている。だから、だれかが一方的に弱い者にされてしまうとき、その加害者を特定しづらい条件が整っているのだ。
 そんななか、きょうの新聞に千葉県で9月に50歳の男性教諭が校長にたびたび叱責されたことを苦にして自殺したニュースが載っていた。この教諭は今春、いまの中学校に赴任してきて、いきなり教務主任を担当していた。前任校でもきっと教務主任だったのだろう。教務主任になると、教務主任どうしで異動するので、新しくなるか交換のどちらかなのだ。その教務主任が校長からたびたび叱責されていたというのだから、わけがわからない。校長は、ほかの教員にもたびたび大声でどやしつけることがあったらしい。恫喝すれば、職員が従うとでも思っていたのだろうか。立場を利用した差別、パワーハラスメントの典型だ。そんな強がりのくせに、自殺以降、体調を崩したという理由で学校を休んでいる校長を、教頭以下、こどもも保護者も、どうやって信頼せよというのか。
 文部科学省は、北海道と九州の自殺事件について、個別に調査に乗り出すという。文部科学省が個別ケースについて調査をするというのは、とても異例のことだ。もう現場や現場の教育委員会を信用できないということか。
 いじめや不登校の実態調査は、いままでもいまも学校から数字を教育委員会に報告している。このやり方をわたしは以前から批判してきた。当事者に不利になるデータを進んで公表する者など、ほとんどいないと考えるのが常識だ。このような学校にとってマイナスイメージの強い調査は、第三者機関が担当するのが望ましい。あるいは、今回の三輪中学校のように、こどもたちから匿名のかたちで声をあげてもらう仕組みが必要だと思う。
 どの社会にもいじめは存在する。学校だけ例外というわけにはいかない。目的性のない集団になればなるほど、いじめは多く発生する。さらに、その集団に生活態度から学習成績まで序列をつければ、悪い評価の者がいじめのターゲットになるのは目に見えている。集団になじめないことが、生きている意味のない無駄な存在という評価にすりかえられてしまう。集団の価値や質の問題が問われることは、いままでも、いまも、そしてこれからもきっとないだろう。そこにメスを入れると、同学年均質均等集団主義といういまの公教育制度の根幹が揺らいでしまうからだ。だから、どんなにいのちの尊さを指導しようとも、いじめの悲惨さを理解させようとも、いじめも、それを苦にした自殺も減ることはありえない。

5521.10/16/2006
 福岡県筑前町立三輪中学校の男子生徒がいじめを苦にして自殺した事件は、こどもたちのいじめの発端が1年生のときにあることが明らかになってきた。
 1年生のときの担任が、男子の母親が相談したことを、クラスのこどもに暴露し、そのことがきっかけになっていじめが誘発されたという。この担任は、生徒らをイチゴやジャムに例えてランク付けするなどの人格無視の発言を繰り返したり、自殺した男子についてはケガをしているのに仮病よばわりやうそつき扱いしたりしていた。現在は2年生の学年主任をしている教諭は「(男子生徒が)からかいやすかったから」と、いじめ発言を繰り返していたことを認めた。この教諭は体調不良を理由に15日から仕事を休んでいる。
 男子の自宅を訪れた校長は、両親に1年のときの担任の言動がいじめを誘発したのではないかと問われて、「そう思います」と答えた。両親との面会の後、教育長は報道陣に対し「校長から今朝、(1年時の担任教諭の)発言内容を聞いた。教師によるいじめがあったと判断している」。学年主任は「一生かけて償います」とうつむきながら謝罪した。しかし、仕事を休んでしまった教諭は、どのように償うというのか。自らのいのちと引き換えになどという選択はしないでほしい。そのようなことをしても、問題はなにも解決せず、同じことが繰り返される歯止めにはならないだろう。
 さらに、両親には教諭の言動がいじめを誘発したと認めた校長は、16日になって「遺族への説明時には冷静さを欠いてしまい、『因果関係がある』と説明してしまった。もう一度考え直すと情報が少なく、より多くの情報を集めて分析してみないと因果関係については分からない」と述べた。冷静さを欠いて本音を出してしまったというのが正直なところだろう。因果関係を認めたら、責任は学校や校長のみならず、教育委員会も負わねばならず、あとになって校長に影からの圧力がかかったのではないかと推測してしまう。北海道の滝川事件を思い出してしまう。
 校長は、いう。「父親は学年主任が長期的に(いじめ発言が)続いたと訴えているが、私は短期間に集中し、例えば1年生の1学期にあったと考えている」と、いじめ発言期間が限定的なものだったと強調。「いじめを否定しないが、誘因と考えている。裏付けられるデータが上がっていない」と語り、自殺の直接の引き金になったとの見方を否定した。その上で処遇に触れ「今は話を聞ける状態ではないので、今後の推移をみて判断したい」と述べた。そもそも教諭の処遇は任命権者ではない校長に決められるはずはなく、なにか勘違いをしているのではないか。まだ、男子が亡くなってから一週間も経っていないのに、遺族の気持ちを逆なでするような発言や態度の変更をすること自体、こどもたちや地域からの信頼を失う理由になる。校長を始めとした学校関係者が、どこを向いているのかが問われている。こどもや保護者から目を背け、教育委員会や教育行政にばかり目を向けるような印象をもってしまう。
 1年生のときは、担任で、2年生のときは学年主任ということは、いじめを誘発する発言をした教諭は、一般的には主任手当てがつくので昇格したことになる。校長の信頼が厚く、生徒指導や学習指導の力量が高いと評価されてのことだろう。しかし、そのような教諭が、いじめを誘発していたとなると、校長の管理能力が問われても仕方がない。学年主任、教務主任などは、一般教諭の給与に手当てがプラスされる。その人事権は校長が一手に握っている。だれがどうして主任になるかは一切説明されず、記録も残されない。

5520.10/14/2006
 10月11日、福岡県筑前町三輪中学校2年生の男子が自宅の物置内で首をつって死んでいたのを祖父が見つけた。
 遺書が三枚あった。学校で配られたプリントの裏やスケッチブックに書かれていた。遺書のおもな内容は次の通り。
 「遺言 お金はすべて学校に寄付します。うざい奴等はとりつきます。さよなら」
 「いじめが原因です。いたって本気です。さようなら」
 「seeyouagein?(註:原文のまま) 人生のフィナーレがきました さようなら さようなら さよ〜なら〜」
 「生まれかわったら ディープインパクトの子供で最強になりたいと思います」
 「お母さん お父さん こんなだめ息子でごめん 今までありがとう。いじめられてもういきていけない」
 自殺した生徒の父親は、「以前も別の生徒がいじめられてけがをしたことがあった。学校は二度と起きないように対応すると約束したのに、またいじめが起こった。息子がなぜこんなことになったのか究明してほしい」と話した。中学校の校長は、「サインが出ていたのかもしれないが、気が付かなかった。教師、生徒、保護者の距離を詰めるよう努力してきたが、できていなかった」と話した。町の教育長は、「13歳という若い命を失ったことは残念。いじめがあったという認識に立ち、自殺の原因を解明したい」と語った。
 この男子は9月からバレーボール部の主将をつとめ、欠席することもなく、明るく元気な成績も悪くないこどもだったという。中学校では、12日に全校集会を開き、自殺を報告した。12日と13日には自殺に関するこころあたりをアンケート形式で調査した。13日から始まる予定だった中間試験は延期した。
 小学校や中学校でこどもがいじめを苦にして自殺するケースが珍しくなくなってきたのは、とても悲しい現実だ。しかし、そのことから目を背けることはできない。なぜ、いじめがなくならず、そのことを苦にして自殺という解決方法しか選択できないのかを解明していかないと、同じことは繰り返される。
 北海道では、明らかに遺書のなかでいじめの存在を訴えながら、学校や教育委員会がいじめの存在や、いじめが自殺の原因であることを認めない異常な事態が長く続いた。
 これらのことから、ふたつのことが見えてくる。
 ひとつは、最近の自殺に見られる遺書の存在だ。おとなの自殺と違って、児童や生徒の自殺は追い詰められながら、理性的に遺書を書くことは考えにくい。言葉にならないもやもやしたもので、自分を追い詰め、逃げ場所を失い、自殺を選択する。しかし、自分の存在や自殺の理由を残しておこうという意思が感じられる遺書の存在は、自殺という選択肢そのものが、自分をいじめたひとたちへの抗議のメッセージになっていることを感じさせる。もしも、抗議のメッセージならば、遺書というかたちでなくても実現できるはずだ。同じ事件を繰り返さないヒントがここに隠れているように思う。
 もうひとつは、いじめを発見しにくい学校体制と、いじめを公表しにくい教育的配慮の壁だ。

5519.10/12/2006
 初戦の相手は、OfPチームだった。OfPは小学校のPTAチームで、メンバーの平均年齢はわたしたちOJチーム(中学校のPTAチーム)よりずっと若い。
 小学校の保護者と中学校の保護者では、年齢に差があるのは仕方がないのだが、スポーツをするとその違いが明確になる。守っているとき、バッターが打ったあとの一歩目の動きが違うのだ。若いひとたちは、ほとんどバッターが打ったのと同時に一歩目を出す。これはヒットになるだろうと思っても、一歩目の動きがすばやいので、グローブが届くところまでからだをもっていくことができる。年齢が重なると、どうしても頭ではわかっていても、からだに命令が伝わるまでに時間がかかり、一歩目の動きが遅くなる。グローブの数センチ先をボールが抜けていく。わずか数センチの差が、アウトとヒットの明暗を分ける。個人的には3打数1安打で攻撃面では満足したが、チームは残念ながら8対5で負けてしまった。
 第二戦の相手は、YPチームだった。ここも小学校のPTAチームだ。わたしは、3年前までこのチームに所属していた。こどもが小学校から中学校に進学したのにあわせ、いまの中学校チームに所属をかえた。だから、かつていっしょにプレーしたひとたちがいっぱいいる兄弟チームなのだ。相手を知っているのは、やりにくい。また、YPチームはとても強豪で、簡単には勝てそうにもない。相手を知らなければ無心にもなれるが、なまじ知っている分だけ、油断や甘えが顔を出す。しかし、リーグの優勝がかかっているYPチームには、先輩チームを思いやるやさしさはなく、初回から11点も奪われた。当然、最終的には17対5で負けてしまった。
 第三戦の相手のOsPチームも小学校、第四戦のTPチームも小学校のPTAチームだった。
 終わってみれば、4試合とも負けた。リーグ戦全体を通して2勝5敗という不本意な成績だったが、それだけほかのチームが力をつけてきたことを頼もしく思った。
 一日中、それも秋の好天のもと、グランドに立ってプレーしていたので、全身に疲労がたまり、グランド整備をするときには、立っているだけで足がつりそうになっていた。帰宅してシャワーを浴び、リーグ戦全体の結果を一覧表にした。夕方からの懇親会で各チームの代表者に、成績を伝えるための資料作りだ。だからシャワーのあとに少し寝ようと思ったけど、その時間的余裕はなく、ふらふらしながら懇親会会場に向かった。
 総勢70人近くが集まり、成績発表やチーム紹介、乾杯と飲食、歓談となった。
 来月の祝日に、今度は地元の町内会対抗のソフトボール大会がある。これまで、敵味方にわかれていたメンバーが、町内会が同じ者どうし、ひとつのチームにまとまる。それが終わると、今シーズンのソフトボールは幕を閉じる。あと、もう少し日曜早朝の練習が残っているのみになった。

5518.10/10/2006
 10月9日、地元の中学校の校庭を借りて、ソフトボール大船カップの最終節が行われた。
 世間では、北朝鮮が核実験を行ったことで大騒ぎになっていたらしいが、一日中、秋の晴天のもと、汗を流していたので、なんにも知らなかった。
 ことしの大船カップは、グランドの確保が難しく、なかなかゲームを消化できなかった。小学校や中学校のグランドは、少年野球や少年サッカーが、年度の始めから年間にわたって予約していて、その隙間に入り込むことが難しかった。公共グランドが少ない鎌倉では、その少ないグランド使用に、多くの申し込みが殺到し、そちらも抽選で外れることばかり。幹事や各チームの代表者が苦心して、なんとか7月上旬からリーグ戦が始まった。
 8チームが一回の総当たりゲームを行う。全部で28試合を消化しなければならない。1チームあたり7試合行う。どこかのチームだけ試合を消化しすぎないように調整しながらの日程だった。本来、10月9日までにはすべての試合を消化し、リーグ戦とは違った大会をしようと話し合っていた。しかし、リーグ戦が消化できずに、10月9日を迎えたので、その日に残りの試合をすべて消化した。朝の8時過ぎから午後の3時ごろまで、グランドを二手に分けて、二試合同時進行で15試合を行った。
 わたしは、自分の所属するOJチームで4試合を行い、ほかのチームの試合を2試合審判した。空は雲がなく、風も気持ちよかった。湿度が低く、汗はそんなにかかない。夏のような炎天下に立っているだけで体力を消耗するようなことはなかった。でも、合計6試合もゲームにかかわると、さすがに強い紫外線と高い気温で最後はやや脱水気味になってしまった。
 グランドに7時過ぎに集まり、ラインカーで線を引きながら、ソフトボールができるようにする。4つのベースを配置して、ダイヤモンドを作る。キャッチボールで肩慣らしをしながら、ゲームへ気持ちを集中させていく。中学校や高校で、野球に明け暮れていた頃を思い出した。
 昨年OJチームは、棚ぼたの優勝をした。ことしも10月9日までは2勝1敗とまずまずの成績をおさめていた。しかし、9日は4試合行って、4試合とも負けてしまった。その結果、シーズン最終成績は2勝5敗になり、全体の6位でシーズンを終えた。それでも、去年はメンバーが試合当日に集まらなくて、ほかのチームから助っ人を頼んでいたことを思うと、ことしは全部の試合を自分たちのメンバーだけで行うことができた。それだけ、ひとが集まったことになる。ゲームだから、もちろん負けるよりも勝ったほうが嬉しいのだが、地元のひとたちのつながりを作っていく主旨を考えると、じゅうぶんに目標は達成できたのではないかと思う。それぞれ仕事をしていたり、少年スポーツのコーチをしていたりするひとたちだから、週末に都合をつけるのは至難の業だ。わたしも仕事の関係で、2試合も出場できなかった。
 10月9日は4試合とも負けてしまったが、個人的には合計で9回の打席がまわってきて、そのうち5回もヒットで出塁したので満足している。9打数5安打といえば、打率は5割以上で、ヒットの達人イチローを上まわったのだ。

5517.10/8/2006
 トスバッティングが終わると、二チームに分かれて練習試合をする。練習試合ができるほどの人数が、日曜の早朝からおとなが集まっていることがすごいことだと思う。よのなかの多くのおとな、とりわけ仕事をしているおとなは、月曜からの激務にそなえて、日曜は睡眠をむさぼっていることだろう。昼頃にぼんやり起きて、パジャマのまま昼食をとり、午後をにんびり過ごすのではないか。しかし、ここにいるひとたちは、たぶん6時までには起きて、6時半からキャッチボールをし、7時には汗をかく日曜を何ヶ月も続けているのだ。なかには、8時に終わる練習の後、地元の少年野球や少年サッカーのコーチや監督として、そのまま一日をフィジカルに過ごすパワフルなひともいる。社会人野球や社会人ソフトのゲームに行くひともいる。それぞれ、決してゴテゴテの体育会系というわけではない。ふつうのひとたちだ。
 7時45分頃練習試合が終わり、監督のノックを受けて、8時にはグランド整備をしてソフトの練習は終わる。翌週の連絡や試合の日程、飲み会の話などをして8時過ぎに解散になる。
 わたしは、練習の後、帰宅して入浴する。かつてはシャワーで済ましていたが、最近は洗うよりも湯船にからだを浸すことにウエイトを置いている。そうしないと、なんだか筋肉や関節の疲労が取れないのだ。メンテナンスは、自分できちんとしておかないと、早朝からの肉体の酷使を長く続けることはできない。
 たいていの日曜は、その後になんらかの用事があるので、荷物をもって家を出る。帰ってくるのは夕方になる。
 翌日が月曜日で、そこから一週間の仕事が始まるのはわかっている。だから、心身ともに休養に徹するか、逆に楽しい、充実したことに時間を費やすかは個人の自由だろう。わたしの場合は昼寝をしたり、読書をしたりして、休養に徹すると、どんどん心身が怠けていってしまう気がする。月曜を決して元気に迎えられそうにないのだ。楽しいことや充実したことに時間を費やし、肉体的には多少の疲れを残しながらも、気持ちが満足した状態で月曜を迎えたほうが、元気でいられるのだ。
 電車で通勤していると、人身事故で電車が遅れたり、運休になったりすることがある。時間で動いている労働者としては、予定通りに電車が動かないのは、とても迷惑なことだ。だから、信号機故障やブレーキトラブルなどの事故については、電車会社に「料金を返せ」と言いたくなる。しかし、人身事故の大半を占める自殺については、複雑な心境になってしまう。ある統計によると、男性労働者は月曜の朝、女性労働者は月曜の夕方に自殺する割合が多いそうだ。男性は、仕事に行く前に死を選び、女性は仕事が終わってから死を選ぶ。どちらも悲しい現実だ。
 月曜の出勤時と帰りの両方に人身事故で電車が遅れた経験がある。それぞれのひとたちがかかえる日常は知らない。しかし、休日に悩みぬいて月曜の朝を迎えていたことを想像すると、とてもつらくなる。どんなかたちであれ、マンデーブルーにならないような、一工夫をそれぞれが考えられるようになればと願う。

5516.10/4/2006
 メンバーは、自営のひともいれば、工場に勤めているひともいる。営業担当のひともいるし、わたしのように公務員もいる。仕事は様々だ。こどもが小学校や中学校を卒業しても、OBとして参加できるので、60歳に近いひともいる。仕事だけではなく、年齢も様々だ。日曜の練習なので、多くのひとは土曜日の休日を経て、日曜の朝を迎える。しかし、なかには土曜の夜にさんざん飲み歩いてから練習にふらつく足元で参加するひともいる。練習の服装は決まっていない。かつて他のチームのようにユニフォームを作ろうという提案もあったが、かたちから決めるのではなく、自由な雰囲気を大事にしようということで、ユニフォームをそろえることはしなかった。そのかわりに4000円ぐらいするオリジナルのキャップをそろえた。
「おはようございます」
敬語で参加するひとは、新人だ。
「おはよう」「おはようっす」「みんな早いなぁ」
フランクな挨拶のひとは、何年も続けているひとたちだ。
 わたしは、息子が小学校1年生のときから、ふたつ年下の妹がことし中学校3年生になるまで、チームにかかわっているので、メンバーのなかでは、とても古株になってしまった。
 野球の経験者は少ない。それどころか、学生時代にスポーツをやっていなかったひともいる。野武士といえば格好がいいが、実際は土素人集団だ。それでも、毎週日曜に練習を積むと、どんどん上達していくのだ。
 だれかれとなく、グローブをつけ、ボールを握り、二人一組でキャッチボールを始める。ソフトボールは、野球のボールよりもはるかに大きい。慣れない人は、ボールをつかむのでさえ一苦労だ。
 キャッチボールを終えると、トスバッティングを始める。だいたい3箇所ぐらいに分かれて、投手が軽く投げるボールをバッターがピッチャーに返すことをこころがけて打つ。バッティングの基本はボールをバットの芯でとらえ、自分から正面の方向に打球を返すことだ。それができるようになると、内角の球を引っ張ったり、外角の球を流したりすることが可能になる。だから、トスバッティングは、かんたんなようで、本当はとても重要なバッティング練習なのだ。しかし、そんなことを教えるひとはいないので、力任せに打つ練習と勘違いして思い切り打つひとが多い。投手はあぶなくて、しょうがない。

5515.10/3/2006
 一連の流れは、もう習慣のようにからだにしみついたことばかりだ。
 だから、次はなにをしようかとか、きょうはどんなことをしようかなどと、考えをめぐらすということはない。休日は一分一秒が大事な時間で、考えをめぐらしているうちに、どんどん時間が経過してしまうのはもったいない。もったいないという言葉に感銘をうけて、世界的な運動にしようとしているひとがいるが、日本語のもったいないは、こんなときにも使うことを知っているだろうか。
 わたしの知人に、金曜日の夜が一番楽しいというひとがいる。それが土曜日になるとややブルーになる。土曜日の夜になると、完全に気持ちはブラックになり「あー、もう休みはあと一日しかないのか」とため息をついてしまうそうだ。だから、日曜日はやがてせまり来る月曜への準備期間としてこころとからだを安定させることに費やし、遠出や運動はあまりしないという。わたしには、日曜をそういう精神統一の時間に使う落ち着きはない。休んでいい時間制限ぎりぎりまで遊び、楽しみ、ある瞬間から仕事モードになっていくのでいいと感じている。そんなに、覚悟を決めて望まなければいけないウイークデーは逆にストレスを高めてしまうのではないかと思ってしまうのだ。
 だから、週明けはいつもちょっとエンジンのかかりが悪い。傍目にはだらだらしていると映っているかもしれない。それでいいと思っている。休日の疲れと思い出をこころとからだに残しながら、一週間の仕事を始め、徐々に自分のペースを高めて、また週末を迎える繰り返しが、わたしの大きな生活のリズムなのだ。
 小学校の校庭に日曜の6時から行くおとなはいない。練習は6時半からだから、メンバーが集まってくるしばしの時間をわたしは柔軟体操とランニングに使う。小学校は、山の中ほどにあり、周囲を濃い緑が覆い、ポツンポツンと家並みが迫る。校門前にマンションが数年前にできたが、そのマンションも景観を意識してか、山肌に吸い付くようなデザインで、あまり無機質感を与えない。
 サンダルを脱いで運動靴に履き替える。ソフトボールのメンバーのなかには、スパイクを用意しているひとが多い。しかし、中学や高校で野球をやっていたときにさんざんスパイクを履いていたので、わたしはバスケットシューズのようなかかとが固定されている運動靴にしている。スパイクは、野球に適した履物だが、地面をグリップする力が強く、それだけ足首への負担が強い。もう若くないことを考えると、履物は少しでも軽くて丈夫なほうがいい。柔軟体操やランニングをしていると、自転車や徒歩、自家用車で少しずつメンバーが集まってくる。

5514.10/2/2006
 群発頭痛は、当時は専門書を読んでもあまり解明されていない頭痛だった。だから、どんな薬が効くかも、どんな原因によるものかもわからなかった。群発頭痛だとわかるまでに、片頭痛や三叉神経痛と診断され、それぞれの薬をもらって試したが効果はなかった。人体実験みたいなもので、医者とはいい加減なものだと思った。
 田無市の総合病院で診断されてから、日常生活、とくに食生活を大きく変えた。なにかが頭痛を誘発しているのではないかという調査段階だったので、どんなものを口に入れたときに起こるかの調査に協力した。わたしの場合は、コーヒー、酸化防止剤入りのワイン、にんにく(食べ過ぎたとき)、チョコレート(これも食べ過ぎたとき)が候補にあがった。以来、コーヒーは飲んでいない。わたしの両親も妹もコーヒーは好きだったので、少なくともコーヒーがわたしの体質にあわない飲み物ではないとは感じたが、なぜかコーヒーを飲むと、頭痛が起こるケースが多かったのだ。
 同じカフェインでも、緑茶や紅茶の場合はなんともない。だから、日常的にポットに緑茶や紅茶などのティーを入れる習慣ができた。最初は、ダージリンもアッサムも違いがわからない男だったが、毎日飲んでいくうちに、微妙だと思っていた違いが実際はかなり味に違いがあることに気づいた。そうなると、いろんなティーを試してみたくなる。セイロン、ウバ、ヌワラエリアなど農園によって違いがあるティーの魅力にはまっていった。またハーブティもおいしいと感じるようになった。そんなとき、イトーエン(伊藤園)の専門店が横浜にあることを知り、何ヶ月かに一度、そこからブレンドティを買うようにした。いまは、そのブランドの「ミントカモミール」と「薫玄米ほうじ茶」のブレンドが、マイポットの定番になっている。
 ラーメンを食べながら、朝刊を読み、そんな時間にやってだれが見るの?と思うNHKの「日本の話芸」という古典落語を見る。だんだんソフトの練習をする時間が近づいてくる。バックにグローブとポット、タオルと帽子を詰め、かかとを補強するサポーターをつける。気持ちは若いつもりでも、確実にからだは40歳を越えてから、衰えを見せていることを自覚している。いつ、プッチンとアキレス腱が切れたり、腿が肉離れをしてもおかしくない。サポーターで補強したり、レッグウォーマーであたためたりすることは重要なメンテナンスだ。
 リビングの壁に取り付けてある時計は5分進んでいる。忙しい朝の時間に遅刻しないように進めてあるのではない。単三電池で動く時計は、なぜか電池が弱くなるとどんどん時間を早くしてしまう。最終的には15分ぐらい進んで、電池の寿命を閉じる。でも、遅れるようになるよりかは助かる。その時計が6時を指した。荷物をもって、鍵をしめ、車のエンジンをかける。
 練習をする小学校の校庭まで、歩いても10分ぐらいなのに、いつの頃からか車を使うようになってしまった。

5513.9/29/2006
 知人にメールを送った後、わたしはお湯を沸かす。前日の夜からポットに入れてあった残りの湯に水を足したやかんがひとつ。鍋にガス湯沸かし器で沸かしたお湯を入れたものがふたつ。全部で三つあるコンロをフル回転して湯を沸かす。朝の5時前からガスレンジの音がリビングに広がる。まだまだ家族は夢のなかだろう。こんな物音で起きてくるのは、長年飼っている二匹の猫だけだ。母と娘にあたる二匹の猫は、尿意を催すのか、起きてくると真っ先に猫穴に向かってニャーニャー鳴く。ここを開けてくれという訴えだ。いまの家を建てたとき、猫が室内と室外を自由に往来できるように、水場に猫穴を設置した。特製の猫穴だったので、それだけで工事費が5万円ぐらいかかった。猫の力で出入り自由なパターンもあったが、それでは野良猫が外部から容易に侵入できるので、出入りの扉はひとが開閉するパターンにした。そのために、猫たちは出入りをしたいときに、ニャーニャー鳴くことを学習した。
「おはよ」
毎朝、わたしが最初に挨拶をするのが、二匹の猫たちだ。
 そもそも、猫を飼うときに、家族のなかでわたしだけが反対した。以前、ハムスターを飼っていたときに、結局、だれも最後は面倒を見なくなった経験があったからだ。
「かわいいだけで、ペットを飼うのは無責任だよ。最後まで面倒を見る気持ちがないと、簡単に動物を飼うなんて決めちゃいけない」
4人の家族会議で主張したのだが、ほかの3人は「絶対に、自分たちで最後まで面倒を見る」と結束し、少数野党の意見は否決された。にもかかわらず、予想通り、与党は数ヶ月で飼育を怠け始め、いまでは猫穴の開閉、餌の補充はわたしがやっている。トイレの掃除は、どんなに臭ってもわたしはやらない。そこまで手をかけたら、与党の無責任体質が確定してしまう。いつも、与党三人のなかで、きょうはだれがトイレ掃除をするのかでもめているのを尻目に、わたしはホラ見たことかとため息を吐く。
 ひとが動物に対して抱くかわいいという感情ほど、いい加減なものはない。少なくとも動物側にはその感情はないのだから。
 猫穴を開閉し、沸いた湯をポットに移す。
 ソフトボールの練習の後に、外出する用事があるときは、決まって象印のお気に入りのポットにもお茶を作って入れる。そのほかに、やがて起きてくる家族用に紅茶を入れておく。たいがいの朝食はラーメンなので、スープ用と麺をゆでるためにも湯をとっておく。残りの湯で、朝食をとりながらのお茶を作る。
 わたしは、30歳を過ぎた頃に、フォークの先で頭をずぶずぶ突き刺したような頭痛に襲われ、それが10年間ぐらい続いた。毎日、痛いのではなく、一年のうち一ヶ月ぐらいそんな苦痛の時期を過ごした。いつと決まった時期に頭痛になるのではなかった。当時は、頭痛にはみなバッファリンが効くと思って、服用したが、ちっとも効かなかった。セデスも試したがだめだった。頭痛の正体を知るまでに、2年以上を費やした。その頭痛は、田無市(当時)の頭痛専門外来のある病院で、群発頭痛と診察された。

5512.9/28/2006
 日曜日の朝になると、いつもよりも早く目覚めてしまう。せっかくの休日を一秒でも一分でも長く過ごしたいという気持ちがみなぎり、前日の夜からわくわくして朝を迎えている。
 いつもは、出勤時刻の関係から目覚まし時計を四時半にかけている。四時半に布団のなかで、目覚ましを聞き、いったん目覚ましを止めて五時前ぐらいにあわてて起きる。洗面所まで階段をふらつきながら下りて、部屋の電灯のスイッチを暗がりの中で探す。
 しかし、日曜の朝はわけが違う。三時半頃から布団のなかで目が覚めていて、起きようと思えばすぐにでも起きることができる状態で待機している。そんなに早く起きてしまったら、夕方になって大きな睡魔が襲ってくる。楽しみな日曜の後半に居眠りをしてしまうのはもったいない。だから、四時ごろまではがまんして布団から出ないようにする。わずかな時間がとても長く感じる。なにしろ、からだも頭もすっきり起きているのに、理性が無理に布団のなかにからだを押しとどめているのだ。
 四時過ぎに布団から出て、いつもはふらふらしながら下りる階段を、すたこらさっさと軽い足取りで下りる。玄関をあけ、空を確かめる。雨が降っていなければ、携帯電話で横浜の知人にメールを送る。早朝、六時半から地元の小学校でPTAのソフトボールチームの練習があるからだ。横浜の知人は、昨年まで地元に住んでいて、横浜に転居した。転居しても、同じチームのメンバーとして練習や試合に参加している。PTAのチームなのに、ほかの学校の保護者が参加できるのはおかしいと思うかもしれない。実際には、PTAのチームを使って、有志が練習やゲームをしているといったほうが正確だ。
 そのようなチームがほかの学校にもあり、8チーム集まって毎年リーグ戦をしている。正式名称もある。大船カップという。もう5年目になる。 「きれいな星空です。気をつけて車を運転してきてください」「雲が多いですが、雨は降っていません」「残念ながら、この雨ではきょうの練習は中止でしょう」。練習が始まるのが午前六時半だから、車で横浜を出る知人にはかなり早い段階でこちらの状況を伝えなければならない。早朝の横浜新道は、車の通りがなくガラガラだというが、だからこそ時間に余裕をもって安全運転をしてきてほしい。万が一、事故でけがをしても、なんの補償もないのだ。横浜が雨で、湘南が降っていないことはよくある。わたしからのメールを見て、半信半疑で出発することもあるという。家族には「あなたも本当にバカね」と言われるそうだ。

5511.9/27/2006
 札幌市で29歳の無職男性が、幼女ふたりの殺人容疑で逮捕された。
 殺されたのは4歳と3歳の女児だ。母親は同居していた24歳の女性だ。この女性が警察に通報して事件が発覚した。
 男性は女性と8月に出会い、すぐに女性の住まいに同居するようになった。このときから、女性のこどもたちに対する暴力が始まっていた。今月に入り、男性は相次いでふたりのこどもを殺害した。「日ごろから女児2人を素手で殴っていた」という男性は、「しつけのつもりで殴っていた」と供述している。この男性は6年前にも傷害容疑で逮捕されている。そのときも女性に対する暴行だった。こどもを殺してからは、女性を軟禁状態におき、自分から逃げられないようにしていた。ふたりでいるときに、すきをついて逃げ出した女性が警察に届けて、事件が発覚した。男性は、殺害したふたりを裸のまま段ボール箱に入れて自宅に保管していた。
 法律上、結婚していたわけではないので、男性とこどもたちは他人の関係だ。法律上ではなくても、実の親子ではない。女性との間に感情の交流があったにせよ、他人のこどもをしつけのために殴っていいという考え方が異常であり、実際に日常的に暴力をふるい続けていた行為は法律で罰せられる以上に人道的に許されるものではない。
 そんな事件があったと思ったら、埼玉県で保育園児の列に車が突っ込み、園児が亡くなった。運転していた男性は、前日に東京で遊興し、車で寝て、自宅に戻る途中だったという。この男性も20代の年齢だ。
 札幌の無職男性も、夜遊びの帰りに交通事故を起こした男性も、ともに若い。法律区分では成人だが、やっていることはとても成人だとは思えない。社会が、成人として扱っているのかどうか疑問がわく。親との関係や社会的地位、地域での役割や自己の将来設計など、とても自立的とは思えない。定職につかず、アルバイトもせず、こどもに向かって、しつけをしようなどと思う考え方そのものが不思議に思える。こどものことの前に、自分のことですべきことが山ほどあるだろう。夜遊びの果てに多くの園児やその家族を傷つける前に、そんなに遊ぶだけのお金はだれが用意したのか知りたくなる。
 若い世代が自立せず、自暴自棄になったり、仕事を通して社会的使命を自覚しようとしなかったりするのは、いま急に始まったことではないだろう。小学校の頃、中学校の頃、思春期や成人式の頃、親や地域社会がこどもの育ちを受け止めてこなかったのではないかと想像する。じゅうぶんな承認なくして、じゅうぶんな自立はない。自分の頭で考えたとき、こどもだからおとなの願うことと違うことを考えることもある。それでもぎりぎりまで、受け止め、認めていくことで、こどもは自分でやっていいことと、やってはいけないことの境界を知っていく。すべからく禁止されたり、逆に放任されたりしては、なにを基準にしていいのかがわからないまま自己の都合で社会生活を乗り切ろうとしてしまうだろう。

5510.9/26/2006
 東京地方裁判所が憲法判断を示した。
 訴えていたのは、東京都の都立高校教職員ら約400人で、訴えられたのは東京都教育委員会だ。
 判決では、「国旗掲揚、国歌斉唱に反対する者も少なからずおり、このような主義主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利。起立や斉唱の義務を課すことは思想・良心の自由を侵害する」と判断した。さらに、「通達や都教委の一連の指導は、教職員に対し、一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育基本法10条1項で定めた『不当な支配』に該当し違法」と指摘した。ひとりあたり3万円の慰謝料を払うようにも命じている。400人もの原告だから、慰謝料は1200万円にものぼる。教育委員会が支払う慰謝料は、当然都民の税金である。それだけ、責任の重い判決であるという自覚を被告は感じるべきであろう。
 都教委は2003年10月23日、都立学校の各校長に「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」という文書を通達。国旗に向かって起立・国歌斉唱・その際のピアノ伴奏・こうした職務命令に従わない場合に服務上の責任を問われることを教職員に周知などの内容で、これに従わず懲戒処分を受けた教職員らが提訴していた。
 わたしが勤務する湘南地域でも、近年、卒業式や入学式のときに、保守系団体の一般人や保護者が式典にビデオカメラを持ち込み、こどもの様子ではなく、君が代斉唱のときの教職員席を撮影し、だれが起立しているか、座ったままか、だれが歌っているか、歌っていないかを撮影し、教育委員会に抗議をしたり、市議会議員を通じて議会で問題化する動きが活発になっている。そして、いまでは君が代斉唱のときに起立しなかったり、歌わなかったりすると、そのメンバーを校長自らが調べ、教育委員会に名簿を提出するようになってしまった。違反した教職員は、後日、教育委員会に呼び出され、事情を聞かれ、強い指導を受けている。こうなると、個人の思想信条を、式典のあいだは捨て置いて、校長の命令に従わないとまずいと思う雰囲気が充満する。このままではいけないと思いながらも、圧力に屈し、自らに嘘をついて、命令に従う。精神的に追い詰められていく教職員が出てくる。
 内情を知らないひとたちは、すでにオリンピックなどで定着している日の丸や君が代を学校で扱わないのはおかしいではないかと考える。その考え方は間違えではない。教職員が問題にしているのは、日の丸は国旗か?君が代は国家か?ということではなく、教育現場に政治的な色彩の強い指導を教育行政が執拗に行うことなのだ。
 おそらく、今回の判決を受けて、面目丸つぶれの東京都教育委員会は、控訴するだろう。そして、最高裁まで争うことになるだろう。入学式は、こどもの入学を祝う、卒業式は、こどもの卒業を祝うという原点にかえった教育的価値のなかに、国家や国旗が必要なのかどうかという式典の意味合いを考えた裁判が行われることを願う。

5509.9/23/2006
 自由民主党の新しい総裁が決まった。すでに票が読まれていたとはいえ、民主的な手続きを経て、新しい代表を選ぶ方法は、政権与党として、やり方そのものは正しいと思った。野党第一党の民主党は、対立候補がないまま前代表が引き続き代表になった。ほかの政党は、どんな手続きを経て代表が選ばれているのかさえ知らない。
 自民党の総裁は、決して総理大臣ではない。なのに、気の早いマスコミは、今回の総裁選挙を総理大臣選出のように扱っていた。総理総裁という呼び方がいまの段階で使われることは正しい報道とはいえない。
 日本の議会制民主主義は、政府の代表者を国民が直接には選べない仕組みになっている。有権者が国会議員を選び、その国会議員が政府の代表を選ぶ権限を与えられる。多数の論理と呼ばれるデメリットをかかえながらも、独裁者の誕生を阻む仕組みとしては有効だ。それとは別に、政党の代表者を選ぶのは、その政党に関係するひとたちが権限をもつ。自民党の場合は、国会議員以外に自民党の会費を払っているひとも投票する権利がある。自民党に関係のないひとが自民党の代表者を選ぶ権利がないのは当然のことなので、そのことはおかしいことではない。しかし、つねに国会で圧倒的な勢力を誇る自民党の代表は、実質的には自民党だけでなく、国会で首相に指名され、国の代表になる可能性が高い。
 新しい総裁は「美しい日本」をキーワードに再チャレンジできる社会の創造を目標に掲げていた。
 いまの日本は、ほとんど就職も進学も一度失敗すると二度とチャレンジする権利も方法も用意されていない一発勝負の社会だ。実際にはその機会は認められているが、年齢制限があったり、入学者や採用者の内訳を調べると圧倒的に現役者が優遇されているのがわかる。すでに企業では年功序列制度が崩れ、能力制度の名の下に、優勝劣敗の人事政策が常態化している。そんなやり方では、勝ち組と負け組の格差が広がり、多数の負け組による社会不安の広がりが目に見えている。福祉予算や教育予算は年々削減され、公共投資に名を借りた大企業優先の経済政策が横行している。その土壌があるのに「再チャレンジできる社会」構想が現実化させるには、よほどの説得力と実行力が必要になる。選挙で勝つための打上花火のようなメッセージだとしたら、日本の政治はいつまでも二流のままだ。国会での開き直り発言が有名だった前任総裁と同じ路線を引き継がないでほしい。
 心配なのは、美しい日本という言い方だ。美しい日本を目指す、あるいは美しかった日本の復活を目指すとしたら、いまの日本は汚くて、どうしようもないのだろうか。少なくとも第二次世界大戦以前のような封建的社会は崩壊し、女性蔑視の社会構造もかなり変化した。山野が工場や宅地になり、自然環境が破壊されていったのは事実であり、その再生を目指すのなら、なにも美しいという論理ではない形容詞を使う必要はないだろう。この言葉のなかに秘められた、精神的で、美学的な意味合いに注意を払わなければならないと感じる。

5508.9/20/2006
 腿に手のひらサイズの火傷を負った娘は、2ヶ月近く入院した。
 その間、仕事帰りに病院による日が続いた。病院からは、虐待の可能性も含めて、けがをしたときの状況をずいぶん詳しく聞かれた。きっと、似たような火傷で虐待のケースがあるのだろう。
 完全に熱湯で溶けてしまった表面の皮が再生するまでは、患部の消毒が繰り返された。しかし、最初の段階で真皮むき出しの時間があったため、そこから細菌が感染し、娘は火傷とはべつの理由で高熱が続く。火傷のショックや入院の疲れで、免疫力が落ちているところに、新しい細菌の感染が重なり、火傷の治療とはべつの治療も必要になった。なんとか、新しい皮膚が盛り上がってきたが、それだけでは傷痕が残るので、皮膚移植の可能性もあると言われた。そのときは、頭皮かお尻の皮をはがして使うことになった。移植用の皮を用意するために手術が必要になるなんて、親としてとても耐えがたかった。結果的には、想像以上に皮膚が再生し、移植手術はしなくて済んだ。おおむね、傷痕を新しい皮膚が覆ってからは、形成外科扱いとなり、傷痕をなくす治療が続いた。退院した後も、定期的に通院し、完全に病院の世話にならなくなるまでに一年はかかったと思う。
 おさない娘のことを考えると、その一年はとてもつらかっただろうと思う。熱湯を使った朝食作りなど、幼児には危険なことなど当たり前なのに、そのことに考えがめぐらなかった。以来、ポットや急須、熱いスープなどを娘が使うときは、「熱いからね」とそのたびに声をかけるのが癖になった。熱いものを近づけないようにするとか、熱いものに触れないようにすれば、心配の種は少なくなるが、これからの長い人生を考えると、そのような生き方は無理だった。
 必ず、火傷の危険と背中合わせになることはある。それを避ける生き方をさせるより、そうならないように、どんなものは熱くて、どうやって扱えばいいかを、経験のなかから教えることをわたしは選んだ。

5507.9/18/2006
 あれはホワイトブルー横浜よりも二年ぐらい前のことだった。
 娘が幼稚園の年長組の冬だった。休日だったので、息子も妻も起きてこない朝の早い時間に、わたしはアメリカンフットボールの中継をこたつに入ってテレビで観戦していたときだ。中継が終わり、こたつでうとうとしていたら、窓の外が明るくなり、朝の訪れを感じる。娘はわりと早起きで、いまもそうだが、当時も朝食は自分で食べたいものを作って食べていた。
 その日の朝も娘が起きてきた音を感じたが、わたしは睡魔のほうが強く、うとうとから意識をさらに低下させていた。台所のレンジの音が聞こえ、娘が湯を沸かしているのを察した。きっと、カップラーメンを食べるのだろうと思った。そんな休日の朝は珍しいことではなかったからだ。そのうちに、わたしは完全に眠ってしまった。
 しばらくして、「ぎゃーっ」という娘の悲鳴で飛び起きた。わたしが寝ていたこたつの向こう側で、娘が泣き叫んでいる。
 何が起こったかわからなかった。わたしは、とっさにこたつから出て、こたつの向こう側に行った。そこには、カップラーメンが逆さになって、娘のパジャマの腿の上に、麺と熱湯がこぼれていた。火傷だ。とっさにわたしは娘を抱きかかえ、悲鳴で起きてきた妻に、病院に応急処置を電話で確認するように頼んだ。わたしは、娘を風呂場に連れて行き、パジャマの上から、シャワーの冷水を浴びせた。そのうちに、電話がつながり、妻と病院の電話のやり取りから、そのまま冷水を浴びせ続けることを知る。やがて、病院から応急処置の準備ができたからすぐに連れてくるようにと電話が入った。
 わたしは駐車場に車を取りに行き、家に戻った。そのとき、ラーメンで汚れ、冷水で濡れたパジャマを妻は脱がしてしまっていた。腿には、手のひら一枚分の火傷が見えた。パジャマを脱がしたときに、いっしょに皮膚が取れてしまい、真皮がむきだしになっていた。かつて、救急法の講習会で、洋服の上から火傷をしたときは、服を脱がさずに医療機関に渡すと教わったことを思い出したが、手遅れだった。滅菌したガーゼをかぶせ、病院に直行した。
 娘は、ずっと火の出る勢いで泣いていた。診察室に入っても、ずっとその声は響いた。
 真皮は、細菌に感染しやすい。それを皮膚が守っているのに、火傷を負ってただれてしまったとはいえ、皮膚がついていたほうが感染の危険は減少するのに、そのことを駐車場に行く前に、妻に指示できなかった自分を悔いた。医者からは、かなり重度の火傷だと教えられた。すぐに入院の手続きをするので、準備をしてきてほしいと言われた。家に戻り、どれぐらい入院するのかわからない不安のなか、着替えや洗面具、娘が好きそうな絵本やスケッチブックを荷物に詰めた。(続く)

5506.9/16/2006
 床に落ちてしまったフライドポテトやスパゲティを拾う息子の背中は見ているだけで悲しさが伝わってきた。
 わたしも、席を立ち、息子の横で落ちた食べ物を拾った。紙ナプキンで汚れた床も拭いた。まわりの客に見られていることを、息子は強く意識していた。プールが楽しくて、はしゃいでいたときには、きっとそんな視野の広がりはなかっただろう。落ちた食べ物と食器を片付けた。
「もう一度、並んでおいで」
そう言ったときには、さっきの瞬間的な怒りは消え、ふつうの声になっていた。
 だれだって、楽しくて仕方がなくてはしゃいでしまうときがある。そんなときに限って、なにかにつまづいてへまをする。そんな惨めな姿を一番感じているのは本人なのだということを、「やっちゃった……」と言ったときの息子の顔から感じた。
 あのとき、どうしてもっと冷静に、息子の気持ちに沿った言葉をかけられなかったのだろう。つらさを増長させるような言葉を使ってしまったのだろう。あれから何年もたつが、そのときのことは無意識に突然思い出すことが多い。きっとわたしのなかで解決していないことなのだろう。
 その後、息子はいわゆる反抗期を過ごし、第二次性徴を乗り越え、いまはすることがなければ昼まで寝ているような典型的ないまどきの高校生になった。それでも、わたしは当時の記憶を十字架にして、あのとき以上に強い態度や言葉を息子にしたことはない。親になりきれていなかった自分があのときの自分だ。そのことを、あの場で気づかせてくれた息子の失敗は、わたしにとって親になっていくいいきっかけだった。
 まだまだフラッシュバックのように当時の記憶がよみがえり、自己嫌悪に陥ることはある。その回数が減ってきたのは、少しずつ「なぜ」の答えが見え始めてきたからなのだと思う。それは、あのときの自分は、形式的・社会的には息子の親だったが、実質的には親になりきれていないおとなだったのではないかということだ。行儀の悪いこどもを前に、自分の尺度や感情でものを考え、行動するしかできなかった。大声を出したのは、行儀の悪い息子を、ほかのだれよりも、わたし自身が嫌っていたのだ。自分が息子の態度に嫌悪し、レストランという社会的な場所で、わが身を守ろうとしてしまった。気持ちのなかで、わたしが息子を切ってしまった。
 その答えに気づくこと、そのものも、とてもつらいことだった。しかし、それ以外に「なぜ」の答えは見当たらない。そんな自分を受け入れ始めたら、不思議なことだが、当時のことは少しずつ思い出さなくなっている。
 同じような、いやもっと思い十字架をわたしはもうひとつ娘に対して背負っている。(続く)

5505.9/15/2006
午前中の遊泳でテンションが上がっていた息子は、レストランでもウキウキしていた。立っているだけで体が動きだしてしまう感じだった。
レストランは大学時代にフェリーで新潟から北海道へ行ったときに初めて経験したビュッフェ形式だった。そのときはフェリーは揺れるからこういうやり方なんだと勝手に理解した。なのに、フェリーとは違う陸の施設、しかも室内プールの真ん中にビュッフェ形式のレストランがあったので違う世界に来た錯覚すら感じた。
でも鼻をつままれっぱなしのわたしとは対照的に息子と娘はほかのひとたちの流れに乗ってトレイをもつ。固定観念に縛られないと、いちいち戸惑わずにすむ姿をうらやみ、やっかみ、ため息こぼす。
メニューも豊富でフライドポテトやフライドチキンなどこどもが好きそうなものが多かった。
異文化との交流になかなか着地できなかったわたしは、トレイいっぱいに料理を乗せ、足取りがどんどんリズムアップしていく息子を見たとき、瞬間的に我にかえった。スパゲティ、カレーライス、ポテト、チキン、ソーダにトーストパン。卑しさに辟易したが、それ以上に、いつか落としてしまうのではないかと、父親の自分に戻ったのだ。
 ひととおりの料理をトレイに乗せ、レジでバンドをリーダーで読み取られ、料金が計算された。それを持って、テーブルに移動する。わたしも妻も娘も先に座っていた。そこに、トレイいっぱいに料理を乗せた息子が、まだ高いテンションのままやってきた。
 息子は、座ろうとしたとき、テーブルの端にトレイを引っかけ、トレイの料理を全部皿ごと床にぶちまけた。
 レストランのテーブル席は、ほぼ満席で、近くのテーブルに座っていた客もみんな振り返った。息子は、それまでの高いてんしょんが嘘のように、しゅんとした顔で立ち尽くす。
「なに、やってんだ!」
とっさにわたしの口から大きな声が出た。なに、やってんのかは百も承知なのに、なぜそんな言葉が出たのかはわからない。親として、とても恥ずかしくなり、思わず怒りを言葉にしたのかもしれない。息子は、いまにも泣き出しそうな表情でポツリと言った。
「やっちゃった……」
そのときの、悲しそうで、つらそうで、哀れな姿がいまも忘れられない。それなのに、わたしの口からは
「やっちゃったじゃないだろ、さっさと拾わなきゃ!」
という大声第二弾が飛び出した。
 息子のつらさに同情していたのに、それを救う言葉ではなく、さらにつらさを増すような言葉を畳みかけてしまった。(続く)

5504.9/13/2006
 昔、鶴見にワイルドブルー横浜という室内プールがあった。室内プールといっても小学校の25mプールの屋根つきとは違う。建物自体が巨大で流れるプールや波のプールなど娯楽的な色彩の強いプールが配置されていた。
 いまでは娯楽的な色彩の強いプールは珍しくなくなった。でもわたしが家族で行った10年ぐらい前にはとても珍しかった。わたし自身のプール概念を根底からひっくり返されたのを覚えている。
 それまでのわたしが知っているプールは泳ぐための施設だったがワイルドブルー横浜は楽しむためのプールだった。プールといえば無料か数百円の入場料と思っていたのに1000円以上もしたこともカルチャーショックだった。
 娯楽的色彩を強く感じたのが施設の中央にあったレストランだった。わたしの固い頭にはプール施設の中央にプールがないのが不思議だった。プールサイドでの飲食を禁止しているプールがあった時代に逆の発想でトライしていたことが新鮮だった。
 料金システムも画期的だった。いまでは当たり前になっているが、腕にひとりひとりが認証できるバンドをつけ、施設内でお金がかかることをするときにそのバンドを店員に見せると、特殊な機械でコードを読み取り、帰るときに、精算されるシステムだった。そんなシステムは利用したことがなかったので、ずいぶん手間のかかることを考えたものだと感心した。たしかに水に入るプールという性格上、財布をもって施設内をうろうろすることはできない。貴重品ロッカーに収納してしまう。わたしは、腕にバンドをつけるのは、銭湯で着替えを入れたロッカーの鍵ぐらいしか経験したことがなかったので、そのやり方で精算される最終的な料金を信用していいものかどうか疑ってしまった。
 わたしは、とても戸惑うことが多かったのだが、当時8才の息子と6歳の娘は、初めてのワイルドブルー横浜だったのに、入館したときからお気に入りになりはしゃいでいた。こどもの視線には、小さな冒険アイランドのように見えたのかもしれない。もともとお調子者の息子のはしゃぎは、午前中の遊泳期間中ずっと続いていた。
 テンションが高いまま、ランチにしたとき、そのはしゃぎすぎが、災いを招いた。(続く)

5503.9/12/2006
 こどもが砂遊びや粘土遊びをしているとき、ちらっちらっと周囲をうかがうこどもがいる。
 遊びに没頭しているこどもとは違い、周囲をうかがうこどもの手元は遊びがぎこちない。
 なぜ、周囲をうかがってしまうのか。多くの場合は、自分のやっていることが認められているのか、許されているのかどうかを確認したいのではないかと思う。
 なぜ、そんな心境になってしまうのか。小さい頃から、自分がなにかをやっているとき、やろうとしたとき、没頭してはまってしまったとき、やろうと思ったときに、制止されたり、制限されたりした経験が多いと、物事は許可が必要だと思ってしまうのからだろう。禁止されたら、これ以上、やりたいことが続けられない。そのために、つねにこれでいいんだろうか、このままの状態はいつまで続くのだろうか、あしたも同じことをやっていいのだろうかなど、周囲の考えを先読みした考え方をするようになるのだろう。
 やりたいことがあって、それがおとなに許された状態、やることが許可された状態は、制限つきの自由に過ぎない。おとなの事情で簡単に終了させられてしまう。いつまでも没頭していたい気持ちよりも、いつまでこのままの状態が続くのかを考えてしまい、やりたいことが手につかない不安な気持ちをふくらませていく。それでは、そのうちにやりたいことが少なくなって、何をしたらいいのかがわからなくなってしまう。
 おとなの目を気にする気持ちは、おとなの期待にこたえようとする気持ちとは微妙に違う。いつもびくびくしていて、チックや自傷などの神経症的な行動になってしまうからだ。おとなの期待にこたえようとする気持ちは、こころの成長のひとつの過程だ。その過程を通して、今度はだれかの指図どおりには動かない反抗期を迎える。だから、自信のないまま不安を増長させたこどもが、おとなに反発するようになるのは、反抗期を迎えたのではなく、おとなへの宣戦布告であり、それ以外に逃げ道がなくなってしまった叫びでもある。そこを履き違えているケースは少なくない。
 反抗期を経たこどもは、自己実現のために、自分と社会との結びつきを考え、社会のなかで、いかに生きていくかに視点が向かう。いわゆるアイデンティティの確立へと向かう。反対に、家庭内暴力などの反社会的な行動を始めたこどもは、自分と社会を結びつけることができず、すべてをおとなの支配からの解放へとエネルギーを使う。親がこどもに傷つけられる事件が後を絶たないのは、反抗期と自己の崩壊を勘違いしているからだと思う。

5502.9/11/2006
 幼児期のこどもは自分を認めてほしくて相手が期待する行動をとろうとする。それは本能的に、自分が社会的に未熟なことを察知していて、最大限防御してくれる存在を理解ではなく、肌で感じているのだろう。人間だけでなく、高度に知能の発達した動物に共通して見られる行動だ。
 同時に、食欲や睡眠欲の基本的な欲求はストレートに出す。おなかが空いたら泣く。眠くなったらぐずる。これらは、生きていくために必要だということを遺伝子レベルでわかっているかのようだ。
 かつて、ドイツの教育学者ペスタロッチは前者を社会的状態、後者を自然的状態と表現した。ひとは、自然的状態で生まれ、やがて社会的状態を取り込み、理想的には物事を損得ではなく善悪の判断で生き抜く道徳的状態を目指すと。
 そう考えると、幼児期から少年期はこどもが社会的状態を学習する時期にあたる。社会的状態の行動基準は損得だ。快と不快が行動基準だった自然的状態から、自分とひととの駆け引き(関係性)を重視する社会的状態は、自分にとって損な状態を排除し得になる状態を維持することが重要になる。損な状態の多くは、自分が否定され、拒まれ、制約を多く受ける状態だ。これに対して、得になる状態の多くは、自分が認められ、受け入れられ、幸福感を多く感じる状態だ。だから、しつけの名の下にこどもの生活を拘束し続けるのは、サーカスの動物を餌でつって調教するのと似ていて、おとなが管理しやすい状態を作っているに過ぎない。こどもが邪魔だったからという理由で、こどもを捨てたり、殺したりするおとなは、まず自分自身が社会的状態への成長が未熟だったことを痛感しなければならない。邪魔なものを排除したい欲求は、自然な防御反応のひとつであり、そのことで身の安全を確保するためには大事な欲求でもある。しかし、自分のこどもがそのターゲットになったとき、こどもの存在が自分の生活にとって損と感じてしまうような気持ちは、おとな自身の未熟さが原因だということを自覚する必要がある。多くの場合、その自覚は自分の力ではできない。よほど、信頼できる存在か、専門的なひとたちの存在が近くにないと、そこまで自分を相対的にとらえることはできないのだ。
 幼児期から少年期に至る過程で、おとなの指示や指導をすんなり受け入れたこどもは、不満や不平をこころのなかに蓋をして閉じ込める。想像を絶する自分責めをして、意識のなかから、欲求を削除していく。周囲からは「言われたことがちゃんとできる」「不平を言わないで偉いお子さん」「素直なおぼっちゃん、おじょうちゃん」などと、プラスの評価を受ける。我慢をすれば、よい評価が得られることを学習すると、無理をしてでも、相手の期待を先読みした行動を重要視するようになる。しかし、無意識の世界に閉じ込めた不満や不平は、行き場を失っただけで、消えてしまったわけではない。だから、睡眠下で夢や寝言となって無意識の世界から放出されることが多い。

5501.9/8/2006
 小学校時代のこどもたちは、肉体的な成長とともに、脳の成長も飛躍的だ。しかし、こころの成長は、おかれた環境に左右されることが多い。
 小学生年齢は、まだ親を頼りにしている時代なので、親が右といえば右を向き、左といえば左を向く。しかし、自我の形成とともに、本当は親の期待と違うことがしたいのに、それを表出できないとき、様々な行動を起こす。むしろ、反発してくれたほうが、自我の成長には望ましいことが多い。しかし、わたしの22年の教員経験から想像すると、年々親に反発する子どもの割合は減少している。従順なこどもが増えているのだ。そして、10歳を過ぎたあたりから、極端に親との意思の疎通を拒むようになり、かたくなに自我を押し通そうとして、場にそぐわない行動をしたり、突然ものを壊したり、ひとを傷つけたりするようになる。
 そんなわが子の行動を理解できなくなると、親は責任の矛先を自分以外に求める。学校が悪い。先生が悪い。クラスメートが悪い。地域が悪い。なんでも悪者を自分以外に用意して、自分なりの理解で満足しようとする。しかし、それらの苦労はその場限りのことが多く、やがて大きなツケとなって自分に問題が降りかかってくるのだ。だから「ふつう」に見えることの向こうに、だれも気づこうとしなかったこどもの気持ち(本音)があることを知らなければならない。
 それだけ、いまの時代はおとなもこどもも生きづらくなってきている。
 なぜか。これだという明確な答えがわたしにはわからない。しかし、首を傾げたくなってしまう要求を学校に向けてくる親子が増えてきたことは確かだ。箸の上げ下ろしから、宿題の量まで、学校側に要求してくる親と接していると、それは家庭の仕事でしょと言いたくなる。なんでもかんでも、だれかが自分のためにお膳立てしてくれるのが当然と思う感覚は、理解しがたい。そんな要求に応じても感謝されることは稀で、逆に「もっと早く対応できたのではないか」とねじ込まれることもある。
 きっと、学校という大きな壁は、親にとってとても高く険しく融通のきかない壁に見えているのだろう。だから、かなり高圧的に迫らないと崩れないと思ってしまうのではないか。実際は、毎年入れ替わるメンバーによって構成されているかなり流動的な組織に過ぎない。一般の教職員が5年から10年近く勤務するのに比べ、多くの管理職は3年ぐらいで異動していく。トップがそんなに短期間に入れ替わる業種も珍しい。だから、想像するほど、保守的な組織ではないのだ。
 こどもの係り活動を決めていくプロセスで、こどもを加害者や被害者にしてしまった学校や、そのクラスの担任は、二学期の始まりを最悪のスタートで開始した。まだ二学期は始まったばかりで、これから大きな行事が目白押しになる。同じ事を繰り返さないための学校と家庭との協力体制が築かれていくことを願っている。

5500.9/6/2006
 岡山県で小学校6年生が同級生をナイフで刺した事件があった。
 2学期早々クラスで新しい係り活動を決めていたときに、同じ係りになった男児同士に意見の違いがあり、片方がかっとなってナイフで刺したという。小学校を舞台にした殺傷事件は、悲しいことにあまり珍しいことではなくなってきたので、今回の事件報道をどれだけのひとたちが驚きをもって受け止めたかはわからない。驚くほど異例なことではないことを多くのひとたちが認識し始めているとしたら、それはいまの学校事情を正しく理解し始めていることだと思う。
「被害者も加害者もふつうのこどもで驚いている」
事件のあった小学校の校長のコメントだ。
 集団生活に適応し、学力もそこそこで、生活態度もまあまあのこどもを「ふつう」と呼ぶとしたら、そういうこどもの内面をどれだけの教育関係者が理解しようとしているのかをメディアはもっと取材しなければいけない。学校的価値の高いこどもたちの内面は、人間的価値も高いとは限らない。
 今回の報道では事件の一端しかわからないので、わたしには背景を想像することしかできない。それでも、いままでの似たような経験から、いくつかの想像は頭をめぐった。
 6年生ということで、加害者は私立受験を目指していて、進学塾に通う毎日によるストレスが高い状態にあったのではないか。今回たまたま加害者になった男児は、日常的に被害者や学級全体のなかで、弱い立場にあったのではないか。そのクラスに存在する係りのなかで、ふたりがなった係りはだれもやりたがらないつまらない仕事内容しかなかったのではないか。もともとふたりはそりがあわず、なにかにつけて対立傾向にあったのではないか。あるいは従属関係にあり、関係が固定していたのではないか。そのクラスでは、いわゆる係り競争のような仕組みがあって、互いの仕事を競わせていたのではないか。
 「ふつう」に見えるこどもが、かっとなって、はさみを投げる。机やいすを倒す。4階の教室の窓から中身の入った牛乳パックを投げる。シャーペンの芯で爪の間を刺す。いすに画鋲を裏返しに置く。ものを隠す。盗む。盗んだものを壊す。こういったことは、あまり珍しいことではない。そして、そういったことが起こったとき、たいていの場合、加害者の親は「学校はなにをやっているんだ」と逆切れをする。被害者の親も「安心して学校にこどもを通わせられない」と責任の矛先を学校に向ける。だから、事件は公表されず、こどもは同じ事を繰り返す。一般社会では、年齢によらず、犯罪として罰せられることが、なぜか学校ではうやむやになることが多いのだ。だから、かしこい「ふつう」のこどもは、学校でなら少々のことは許されると学習してしまう。
 「ふつう」のこどものストレスの高さは、それぞれに抱えるものが違うので原因を特定することはできない。しかし、多くの場合、共通しているのは、自分で物事を決める前に、親が決めてしまう生き方をしてきたケースが多い。