top .. today .. index
過去のウエイ

5099.01.23/2005
 わたしたちは日本が食料の自給率が低いことを知っていても、そのためにどこの国のどんな会社の食料を輸入しているかをあまり知りません。学校でもそこまではあまり扱いません。しかし、食料の自給率が低くなってしまった背景に、日本に食料を売り込もうとする会社や国の思惑と戦略が絡んでいることを知ると、知らないだけでは済まされなくなりそうです。
 とうもろこしなどの穀物を扱う会社は世界にたくさんありますが、そのなかで「穀物メジャー」と呼ばれるほど、全世界的な商売をしているのは、たった5社しかありません。そのうち「カーギル」「コンチネンタル・グレイン」「ADM」はアメリカ国籍の会社です。
 武器・軍事だけでなく、世界は「食料」という側面でもアメリカ経済の影響に左右される状態になっているのです。ちなみに、アフリカで独立後、内戦などに苦しむ諸国に食糧援助をしたアメリカ政府の受注を一手に引き受けた「カーギル」社の2001年度の売上は日本円で6兆円でした。

5098.01.21/2005
 横浜市の小学校で、始業前の時間に若い男性が酔っ払って学校に侵入し子どもに暴力を振るう事件がありました。朝っぱらからどうして前後不覚になるほど酔えるのか、さっぱりわけがわかりません。被害にあった子どもたちの苦痛に同情します。
 新聞では教育委員会が各学校に始業前の対応を学校に徹底したと報じていましたが、始業前は教職員の勤務時間ではありません。その時間にも子どもの安全を守るには、専門の警備員を雇わなければ、教職員にサービス残業ならぬ、サービス始業前勤務をしろということなのでしょうか。
 多くの全国の学校では、子どもが登校する時間は教職員の勤務時間よりも前です。登校したときに教職員の学校にいるのは、各人の判断で早めに出勤しているに過ぎず、早くから学校に出勤することが必要なわけではないのです。今回の事件は、学校側の対応の問題だとはわたしには思えません。二度とこのような事件が繰り返されないことを願ってはいますが、万が一に備えて、何らかの対応をするのであれば、行政はもっとお金をかけた善処策を考案すべきだと思います。

5097.01.20/2005
 3年前にウコンの根を知り合いからいただき、生活科の畑で育ててきました。沖縄のようにあたたかい地方で育つウコンですが、最近は家庭菜園で育てるひとが増えているみたいで、こちらでも入手が可能になっています。
 添えられていた説明書や、インターネット情報をもとに、3年間畑で育ててきました。ウコンは毎年春先に発芽し、夏から秋にかけて白い大きな花を咲かせました。そして年が明けるころ、枯れて土に戻ります。それを3年間繰り返して、いよいよ収穫しました。
 わたしたちがウコンと呼んでいるのは、根のような部分です。実際には生姜のように地下茎の部分を食べます。毎年前年までの「実」を新しい「実」に生まれかえさせて、ウコンは大きくなりました。寒い地方で育てるときは、冬の間は掘り出して保存し、春になったら土に戻すようですが、湘南地方は暖かいのでずっと土のなかで育てました。
 枯れた葉といっしょに土から掘り出したウコンは、茶色の薄い皮に覆われています。そこからミミズのような根が生えています。葉と根を取り除き、ウコンだけを水洗いして、スライスしました。

5096.01.19/2005
 子どもが成長して、やがて親元を離れ、生活の基盤を築くようになるのに、いまの日本ではどれぐらいかかるでしょうか。物理的に親と別の生活をするという意味ではなく、同居していても、互いに仕事などの社会活動をして収入を得る生活をするのに、どれぐらいの時間がかかるのでしょうか。
 そこには、学校制度が大きく影響をしています。高校卒業時で18歳なので、いまの子どもはほとんどが18歳までは学生をしています。なかにはそれ以前に就職する者もいるかもしれませんが、全体から見れば少数です。さらに大学進学率がとても高いので、浪人をしないで大学進学をした場合、短期大学で20歳、大学で22歳、3年生の専門学校で21歳になるまで、学生の若者が多いことになります。近年では、大学院に進む若者も少なくありませんが、やはり全体から見ればまだ少数でしょう。
 そう考えると、いまの日本では20歳を過ぎるまでは、多くの子ども・若者が社会活動に参加していないことになります。総合学習・職業体験などで、社会現場での学習も重視されてきましたが、それらはあくまで学習であって、そのことによって社会を豊かにする活動に参画しているわけではありません。
 わたしには、この20年という時間があまりにも長すぎると感じています。もっと早いうちから雇用の機会が重視されるような制度を作り、感覚の鋭敏なうちに社会の荒波を経験したほうがずっとよのなかを知ることができると思うからです。

5095.01.18/2005
 阪神淡路大震災から10年が経ちました。わたしはいまでも朝起きてニュースを見たときの衝撃を覚えています。朝から怪獣映画でもやっているのかと思ったほど、町が崩壊している様子を現実として受け止められませんでした。遠く離れてテレビを見ているわたしでさえ、そのように感じたのですから、現地で被災した人たちは、きのうまでとまったく違う生活を受け入れるのに、とても長い時間がかかったことでしょう。
 新潟でも大きな地震がありました。スマトラ沖の地震では多くの犠牲者が出ました。特別番組を見ると、地震の予知について専門家が登場するケースが多くあります。その人たちが口々に言うのは、たとえ予知できたとしても、それをどのように発信するのかが難しいそうです。もしも、予知が外れたら、大都市の場合、経済的な損失は計り知れません。だからといって、わかっていたのに黙っていたら、隠していたと非難されます。
 日本列島は、いくつもの活断層が走り、大きなプレートの上にあります。地球が生きている限り、地震や火山は発生し続ける可能性があります。科学の発達によって、予知が可能になってきたというのに、今度はわたしたち人間の都合を考えて、予知を生かすことのできない状況が生まれていることを、どのように考えればいいのでしょうか。

5094.01.17/2005
 いつも学期の始まりは、子どもたちひとりひとりの写真を撮影して、カレンダーを作成しています。
 きょうの生活科でも、担任にカメラを渡して、ひとりひとりの写真を撮影してもらいました。その写真をパソコンに取り込んで、カレンダーに貼り付けます。1学期のときは、とても時間のかかった学習ですが、子どもたちは何回かネットワークを使ったデータの扱いをやってきたので、自分の写真にアクセスするのもお手の物です。
 すぐに自分の写真を発見し、2月のカレンダーに貼り付けました。
 1年生の子どもたちが、入学のときにとても小さかったのを思い出します。その子どもたちと、2学期の終わりからわずかに2週間ぐらいを経て再会したら、身長も横幅もとても大きくなっていてびっくり。また、とてもやんちゃだった子どもが、印刷の順番をひとにゆずってじっと待つなど、内面の育ちにも驚きました。
 子どもの成長は、おとなの成長よりも、とても急スピードです。それだけに、おとなの一分と子どもの一分では、なかみの濃さがずいぶん違うんだろうなと感じました。

5093.01.15/2005
 きょうは朝の4時に起きました。
 以前に買ってある中華なべを使って料理が作りたかったからです。中華なべは、鉄製で、油が鉄になじむまでは炒め物や揚げ物程度にしておいて、そばやチャーハンはすぐには作らないほうがいいそうです。その約束を守って、いままで野菜炒めやチャーハンの具を炒めるのに使ってきました。だいぶなべの表面がいい感じに油を吸ってきたので、きょうは思い切ってチャーハンの完成まで中華なべを使いたかったのです。そんなことを昨晩考えながら寝たせいか、とても早起きになってしまったのです。
 まず軽くなべを暖めて揚げ物用の油を入れます。油が温まってきたら、冷凍の鶏のから揚げを入れました。凍ったまま揚げることができるので便利です。油はから揚げが半分浸る程度で十分です。中華なべは取っ手で火傷するほど、すぐ熱くなるので少量の油でから揚げができます。レンジよりも、食べたときの肉のジューシーさが口のなかで甘く広がり、とてもおいしかったです。その後、なべを洗わずにそのままチャーハンを作りました。卵やご飯がなべに焦げ付いたらどうしようと思っていましたが、揚げ物の後だったためか、つるつるのなべの底をチャーハンが自由に踊って、想像通りのできばえになりました。完成したのは6時頃。家族はだれも起きていなかったのですが、できたてほやほやをひとりで頬張ったのはもちろんです。

5092.01.14/2005
 NHKが放送した番組で、外部からの圧力によって内容が変えられたという担当プロデューサーの会見と新聞記事を見聞きしました。強制的に受信料を徴収し、番組制作を行っているNHKは、民放他社以上に、放送内容に関する内部的な審査は必要だと思いますが、外部からの圧力に屈するようなことがあっては放送事業者としての信頼を大きく揺るがしてしまいます。
 今回の場合、現役のプロデューサーが声をあげたので、よほどのリスクを覚悟のはずです。発言の多くは、誇大されたものでも、うそでもないでしょう。そんなことをしたら、告発の意味がなくなるからです。
 しかし、当のNHKはニュースのなかで、外部からの圧力で番組を変更したことはなかったと報じました。原稿を読むアナウンサーの胸中はきっと複雑なものだと察します。まるで、全体主義の国営放送アナウンサーのように、わたしには見えてしまいました。番組を制作した責任者が指摘した問題を、同じ会社のアナウンサーが否定する構図は、とても矛盾と疑惑をうみます。声なき声を否定する巨大組織のような印象を、聴取者に与えてしまいます。
 こういった問題は、物的証拠がない限り、圧力の実態を証明することは困難でしょう。しかし、放送のもつ社会的影響力を考え、番組内容の決定、変更、差し替えなどを協議する会議は、ビデオ記録を原則とするなど、自助努力によって改善していく方法はいくらでもあります。そのような意思が、今後のNHKや、経営陣にあるかどうかを見極めていきたいと思います。

5091.01.13/2005
 昨年の暮れから大雪が関東地方でも降ったので、ことしは冬の訪れが早いのかなと思っていました。年が明けてから、朝の気温がどんどん冷え込んで、きょうは歩いている間はずっと吐く息が白かったです。乗り物に乗っている間は気づかない外気に触れたときの感触は、歩いていないとわからないものだと思いました。
 学校は3学期を迎え、昨年の春ごろにはとっても小さかった子どもたちがいまはたくましく大きくなりました。子どもたちの一年は、身も心もとても成長を感じさせてくれます。あらためて、成長を待つことの重要さを思い知らされます。わたしは生活科という教科を通して、子どもたちに生きているものの育ちを実感してほしいと常々思ってきました。小さな種も、育て方によっては、きれいな花にも、おいしい実にもなるということを、自分の五感を使ってかかわった経験から身につけてほしいのです。書物からの情報では得にくい、多くの実感は、言葉としての知識よりもずっと長くこころに記憶されることを子どもたちから教えられてきたのです。

5090.01.12/2005
 きょうは湘南に新しい公立学校を創り出す会が運営している湘南憧小学校のことし最初の開校日です。
 メンバーの多くは仕事をもっているので、直接湘南憧小学校の開校時間に学校に行くことはできません。でも、有給の支援メンバーが、子どもたちとともに新しい教育スタイルの確立へ向けて、きっと晴れ晴れとした気持ちでのリスタートをしていることでしょう。
 湘南憧小学校は、ことし週に3日の開校をしてきました。月曜・水曜・木曜です。ことしの4月からは開校日を拡大させ月曜から金曜までの週5日間になります。あわせて新年度就学者の募集を始めています。ことしのメンバーに加え、新しいメンバーの入学が待ち遠しいところです。そのための説明会を昨年末に開催しました。今月も22日と29日に開催します。興味のある方はぜひお越しください。また、お知り合いで子どもの学校のことで悩んでいる方がいましたら、ご紹介していただけると助かります。

5089.01.11/2005
 3学期が始まりました。わたしは子どもたちの転校と転入の情報をまとめる係りを担当しています。2学期の終わりの事務整理をしました。
 転校や転入は法律で手続きが細かく規定されているので、書類上の手続き終了は実際の転校や転入よりもかなり時間的に遅くなります。義務教育期間は、子どもがどこの学校で過ごしたかという記録を残さなければなりません。これを学籍といいます。なんだか、戸籍みたいですね。
 転校と転入は、相手先のある話なので、たとえば転校の場合、相手先から「確かに受け入れました」という連絡があるまでは、元の学校の学籍が継続するのです。ふだんの日なら、この事務は問題ないのですが、冬休みなどの長い休みの期間では、いつを学籍の分かれ目にするのかというのが書類上重要になります。だから、わたしはいつも休みが明けてしばらく経ってからこの仕事をすることにしています。受入日の定かでない書類を作っても、いつも未完成状態だからです。
 今回の年末年始で、わたしが担当している教科で教えた子どもたちが何人か転校しました。転居はおとなの都合なので、子どもたちにはどうしようもないことですが、転校の事務手続きをすると、いつもちょっとさびしい気持ちになります。

5088.01.10/2005
 中華街で長年の希望だった中華なべセットを買いました。
 セットといっても、セット売りをしていたのではなく、自分のなかで「これとこれ」と決めていたものをそろえたということです。まずはもちろん中華なべ。チタンのは軽くて、さびないとお店のひとに言われましたが、値段が高くて断念。ふつうの鉄の中華なべを買いました。それでも、中華街ではチタンを使っているところは3割ぐらいだそうです。それから、五徳。中華なべは底が半円なので、家庭用のコンロに乗せると不安定です。丸い金属製の輪に乗せて、安定させます。その輪が五徳です。汚れた鍋を洗うときに使うささらも買いました。細い竹を何本も合わせて、とめてあるものです。そして、お玉。ふつうのお玉はあるのですが、中華料理に使うようなお玉はまだ持っていなかったのです。
 帰ってきて、少しずつ中華なべを使った料理を始めています。いきなり焼きそばなどをしてしまうと、鍋にこげが残るので、最初は油がなじむような使い方をしています。使ったら洗剤を使わずにお湯とささらで洗い、さっと拭いて干しておきます。この繰り返しを何回かしたら、鍋の表面がだいぶ油を吸って、それっぽくなってきました。
 リタイア後の夢の実現へ向けて、調理器具を少しずつそろえています。

5087.01.07/2005
 地域によってはすでに3学期が始まっているところもありますが、わたしの勤務する地域では3学期の始まりは11日です。でも、教職員の勤務は4日からなので、わたしは今週ずっと出勤しました。掃除や3学期の学習準備などをしながら、きょうまで過ごしました。
 昨今の監査で、休業中の教員の研修内容に対して自主的な研修を認めない方向がはっきりしてきています。教育委員会などが企画した研修のみを認め、個人が計画した研修は認めないという傾向です。企画された研修に参加するほうが、ずっと簡単で、報告書の提出が必要な自主研修の方がずっと面倒なのに。
 博物館や美術館、科学館などの鑑賞は、時間的にも物理的にも拘束されている学校業務ではふだんすることができません。でも、教科書とは違う本物に触れる大事な活動だとわたしは思っています。子どもたちがいない休業中こそ、そういう鑑賞活動を自主的に計画するにはいい機会だと思ってきました。しかし、昨今はそれさえも個人の趣味の範囲を出ないとか、一日中博物館にいるとは考えにくいなどの理由から、研修扱いにならなくなってきました。
 かつて、教員を揶揄する言葉として、学校と自宅の往復だけで社会常識がないというのがありました。でも、これだけ自主的な活動を認めない方向に行くのなら、教育行政は「教員は学校に縛り付けていますので、社会常識がないのは当然です」とPRしてほしいと思います。

5086.01.06/2005
 東南アジアで大きな地震がありました。
 地震と津波で10万人を越える人たちが犠牲になり、いまも救援活動と復興活動が続いています。いままで大きな地震のなかった地域なので、防波堤や地震のときの避難に関する指示伝達系統が未整備だったことも、被害を大きくした理由になっています。世界から多くの救援が物心両面で被災地に届けられています。
 そんななか、イラクやアフガニスタンに派遣されていた自衛隊やアメリカ軍も被災地で救援活動に参加しています。伝えられている報道によると、兵士の意気がとても高いそうです。とくにアメリカ軍の兵士にその傾向が強く見られるそうです。
 イラクでの人道救援を名目にした活動では、兵士自身も自分たちの活動が本当にイラク社会のためになっているのか疑問が生じているのでしょう。それに対して、地震の被災地域での救援活動は、自分たちが本当に救援活動をしているという実感がわくのだと思います。兵士は、上官の命令に従うことが絶対の仕事ですが、兵士もひとりの人間だということを上官が忘れてしまってはいけないのだと感じました。

5085.01.05/2005

各国学校事情11

 これからの日本社会がどこに向かっていくべきなのかを、おとなひとりひとりが自分の利益を抜きにして考えることが必要な時代になってきました。まだ社会の発展段階が未熟なときは、ひとりひとりの利益が社会全体の利益につながり、それが経済を活性化させました。しかし、これほどまでに富める者と貧しい者の差が広がってしまっては、各自が同じ条件で仕事や学習をともにするということは、現実として困難です。
 おまけに、高齢化と少子化のダブルパンチで、今後は社会全体の生産力が落ちていくことがはっきりと予測できていては、いままでのような知識詰め込みの教育では、頼りになる若者は育たないことを深く自覚するべきではないでしょうか。困難に直面して、よのなかを少なくともいまよりは悪くしない方向へ舵取りのできる人材が、今後各方面各領域で求められてくるでしょう。多少の見当違いも認めながら、市場の動きや長期的な展望のもてる個人の育成が急務なのです。
 だから、国際学力比較調査の結果に一喜一憂したり、その結果をもとにふたたび子どもたちに詰め込み方の授業時間数を増やすような取り組みは、いつか来た道への逆行にしかなりません。もう、同じ問題を各国で解きあうクイズのような比較は意味がないことを自覚し、もっと点数にしばられない社会貢献の実績を前面に出していく局面に入っているのです。

 特集「各国学校事情」は今回で終わりです。

5084.01.04/2005

各国学校事情10

 何回かに分けていくつかの国と地域の学校事情を紹介してきました。それぞれの地域には、長い時間をかけた文化と伝統があるので、ほかの地域のやり方がどんなに優れていると思えても、すぐに自分たちのところに導入するのが難しいのは仕方がないことです。しかし、文化や伝統を言い訳にして、変化をおそれていては、新しい時代を生きていく子どもたちに対して、おとなの無作為として歴史に刻まれてしまいます。
 これまでに紹介したなかからもわかるように、やらされ型の教育を推進しているところでは、子どもたちの学習意欲が低下し、点数をとても気にする傾向が増加しているのがわかります。自分の生き方に直結し、社会を豊かにしていくために学ぶのではなく、目の前の成績や進学が目標になっているので、目標を達成したり、夢に敗れたりしたとたん、何のために何を学んできたのかがリセットされてしまうのです。
 学習意欲の低下は、受動的なものの考え方を育て、いつも自分を先導してくれる存在なしには生きてゆけない人物を育てます。いつまでも何かに頼った、依存した生き方の若者が増えてしまいます。厳しくても、毎日を自分の力で切り開いてゆこうという考え方は育ちようがないのです。

5083.01.03/2005

各国学校事情9

 国際調査で上位を占めた北欧のフィンランド。1994年の教育改革で、国は総合的な教育方針や基準を示すだけになりました。具体的なカリキュラムや学習計画は自治体や各学校の裁量にゆだねられています。これまで紹介した国や地域では、教育行政が音頭をとって、全国一律に同じ政策を実施していたのとは正反対です。
 フィンランドの教育担当者によると「主体的に学び、ものごとを批判的に考える教育に重点を置いている」そうです。この考え方はとても大切です。いまから10年も前に、このようなコンセンサスで新しい制度を開始した先見性に頭が下がります。10年経って、多くの子どもたちが「自分はなぜいま学ぶのか」という基本的な問いを自らに投げかけながら学校生活を送って社会に出ています。やらされの教育地域では、子どもの学習意欲が低く、点数至上主義がはびこっていました。しかし、フィンランドの義務教育である総合学校(日本の小学校と中学校に該当)では、あえて点数をつけるテストは子どもの成長にマイナスであるという考えから、異なる方法での評価が一般的です。
 こういった自立的な学校を支えているのは教員養成のレベルが高いことと関係があります。教員免許は大学院修士課程を修了しないと取得できません。それまでに教員を志望する学生は、多くの教育実習を経験します。日本のように免許をとるためだけに4週間(中学校では2週間)だけ教育実習をするのとは大違いです。基本的な教え方は、つめこみではなく「あなたはどう考えるの?」という子どもの発想を引き出すことに主眼が置かれているそうです。

5082.01.02/2005

各国学校事情8

 韓国では1971年までに中学の受験がすべて廃止されました。ソウルでは1974年から高校の受験も廃止されています。これは公立学校の質を低下させないことと、学校間格差をなくすことが目的でした。これにより、それまで20%だった高校進学率は99.7%に、25%だった大学進学率は81%に上昇しました。一定の目的は達成されたのですが、反対に入学試験が大学だけになったため、大学受験のための競争が過熱化しています。
 人口が多い地域には、大学進学のための塾が乱立し、地域間での大学進学に関する格差が拡大しています。塾は企業ですから利益のないところには作られません。結果的に、都市部で生活できるひとたちの子どもたちのみが有名大学に進学できるという傾向を導いています。
 今回の調査で、韓国の成績は上位を占めました。この結果に対して、「教育の格差是正政策の結果」と「受験競争が過熱した結果」という正反対の評価が出されていることに、ねじれた教育事情の現実が見えてきます。学習に対する意欲は、興味を感じる割合が29%と低く、「悪い点数をとるか心配だ」と答えた割合は78%と調査平均の42%の二倍近くなっています。
 知識が多く、やる気は少ない。だけど点数はいつも気になる。韓国の話ですが、なんのことはない、いまの日本の子どもたちとそっくりなことがわかります。そういえば、昨秋大学受験で300人以上がカンニングや替え玉受験で摘発されたのは韓国の若者でした。

5081.01.01/2005

各国学校事情7

 シンガポールと教育に関してライバル関係にある香港では、シンガポールに勝るとも劣らない幼児期からの学習がシステム化されています。
 幼稚園は2歳や3歳から入園でき、授業には算数やパソコンがあります。幼稚園の子どもの宿題は、毎日最低でも1時間はかかる分量が出されています。日本と同様に中学校までは義務教育で無料ですが、親の多くは幼稚園で好成績を子どもに求め、名門公立学校や有名私立学校に入学させることを望んでいます。
 大学予科に進学するには、統一試験に合格する必要があります。統一試験は数学が重要視され、学習到達度調査の数学的活用力ではトップの結果を出しました。
 反面、意識調査で理科や数学を好きだと答えた割合は高くなく、運動に費やす時間は世界最低の水準です。学習に対する意欲が低いのは、幼いときから、子どもの成長にあわない早期詰め込み型教育システムの当然の帰結です。ひとは、やらされることよりも、やりたいことのほうが重要で、とくに子どもにはその気持ちが強いからです。

5080.12.31/2004

各国学校事情6

 資源に乏しく、小さな島国のシンガポールは、建国のときから、教育を通じた人材の開発を目指してきました。面積も狭く、人口も少ないシンガポールならではの、「全国」統一的な教育制度が、今回の調査では好成績を導きました。
 子どもたちは小学校5年生になる前に、全国統一試験を受験します。その結果によって、小学校5年生と6年生の2年間、能力別クラスで授業を受けます。まるで、日本国内の進学塾のようです。中等教育では、特別コース・高速コース・正規コースの3つに分かれ、大学か専門技術を習得する学校かが決められます。小学校時代の統一試験と、高等教育への進級試験はとても難しく、簡単に高等教育を受けられない仕組みになっています。きっと、家庭教師や塾がたくさんあるのでしょう。
 ここでも、家庭の経済力の差がそのまま子どもの学力に直結する傾向が想像できます。教育は国家的な事業なのに、その享受者は親の経済力によって選別されています。しかし、公教育じたいが少数のエリート育成のためにここまで徹底して、能力のふるいを用意し、選別していく制度を機能させていることが、他国と比較できる統一調査で実際に成果を発揮したのは評価すべきことだと思います。
 わたしの知り合いにシンガポールのことをよく知るひとがいます。「あまり多く語られないけど、不登校の子どもは割合としてはとても多いんだよ」との教えは、当然です。少数のエリートを育成するには、多数の脱落者が必要なのですから。

5079.12.30/2004

各国学校事情5

 ドイツでは前回2000年の学習到達度調査でも結果が悪く、今回はさらにそのときの結果よりも悪かったので「ドイツの学校は破局的な状況」と政府関係者は頭を抱えています。昔からドイツの学校制度は特色があります。多くの州では、子どもが5年生になったときに、将来の道筋を決定しなければなりません。マイスターの伝統があるので、職人の育成にはとても時間がかかることが教育制度のなかに息づいているのです。
 そのため、5年生になったとき、大学進学を選ぶか、職業訓練を選ぶかが求められ、中学や高校段階で進路を変更することはとても難しいとされています。
 ドイツもアメリカと同じように各州が教育法を制定していて、中央政府の音頭では教育制度を変更できない仕組みになっています。幼いときに将来の方向性を決める伝統的な教育制度は、ひとびとの階級差を固定する悪い側面ももっていて、同時に同年齢の子どもたちの学力差がとても大きい問題点も指摘されています。職業訓練校ではなく、大学進学を選ぶには家庭が経済的に恵まれていなければならず、親の経済力の差が子どもの将来を左右する現実からの脱皮は、まだはかられていません。

5078.12.29/2004

各国学校事情4

 アメリカ合衆国政府の教育関係大臣は、教育長官といいます。今回の結果を受け、教育長官はアメリカの学校教育は警告等が点滅しているとコメントしました。
 日本と違い、アメリカには各州に教育法があります。かつて、内戦(南北戦争)をした国です。州を越えた連邦政府からの指図は受けたくないという基本的な考えが根底にはあるのでしょう。その州の教育は、その州で責任をもつのが当然なのです。ずっと、アメリカの学校教育はそのように続いてきたのですが、現在の大統領になって州に対して、トップダウンの教育政策実施の指示が多くなりました。そのひとつが、2002年1月に成立した「落ちこぼれ防止法」です。また、9才以上の子どもを対象にした全米学力標準テストの導入もしています。ちなみに、このテストの結果は公表され、学校名別のリストが公開されています。そのような競争主義を学校に導入することで、教育全体が切磋琢磨され、全体的に質の高い教育が創造され、維持されると考えているのです。
 この考え方は、学校教育領域における新保守主義の台頭ですが、なんのことはない、日本でも昨今の学区自由化論は、この考え方をそっくり真似ています。
 ワシントンポスト紙は、テストと競争を改革の切り札にしてきた現在の政権を批判しています。今回の調査結果のうち、高校1年の学習到達度調査の結果が前回やほかの国や地域に比べ極端に悪いからです。高校教育は、社会に出て行く一歩手前の重要な機関です。その子どもたちは、小学校や中学校のときに、落ちこぼれ防止法・全米学力標準テストの洗礼を受けてきました。本来なら、いまその成果を発揮しなければならなかったはずです。学習到達度調査で、トップだったフィンランドは、アメリカのような全国的な標準テストの導入には反対し、実施してきていませんでした。さすがですね。

5077.12.27/2004

各国学校事情3

 そもそも学力という実体のない力を定量化しようとする考え方が、実践の場にいる者としては、意味のないものに映ります。なぜ、そのようなことにメディアは字数を割き、電波を使うのでしょうか。教育は未来への投資です。投資である限り、失敗することもあるでしょう。でも、子どもの一生がかかっているので、限りなく失敗しないように配慮された堅実な投資が望ましいとわたしは思っています。
 そのためには、もうこれしかないというたったひとつのやり方では、だれも責任を負えないところまで、日本社会は発展してしまったのです。だから、責任をシェアするためには、選択肢を複数用意し、数ある選択肢のなかから、子どもや親がもっとも望む学校を求めるシステムの構築が急務なのです。
 日本の公教育は法律によって、とても排他的な要素をもっています。学校に通えなくなったとき、通いたくなくなったとき、ほかの学校を選ぶという権利を認めていないからです。私立学校があるじゃないかというひとたちにたくさん会ってきました。そのひとたちは、私立学校のひとたちがどんなに苦労して入学者募集をしているのかを知らないのでしょう。また、私立学校の入学金や授業料を払えない家庭があることを知らないのでしょう。
 目を日本にだけ向けていると、希望が持てないので、これより各国の学校事情を考察していきます。

5076.12.26/2004

各国学校事情2

 今回の調査で、日本の子どもたちの学力が低下したと取りざたされた結果を比較してみます。
 PISAの高校1年読解力調査では日本の平均は14位でした。同様にTIMSSの中学2年数学は5位、小学4年理科は3位でした。この3つの結果を平均すると7.3になります。新聞に上位25の国と地域の結果が出ているので、それぞれの結果を同じように平均することができます。
 すると、上位25位以内にすべて入っているのは日本を含め8つの国と地域しかありません。そのほかは、調査に参加していないか、参加していても26位以下ということになります。TIMSSで1位を独占したシンガポールは、PISAでは25位以内に登場していません。参加していないか、26位以下だったのでしょう。このように、参加した条件が異なる学力調査の結果を同等に比較し、マイナスの結果をことさらに強調して報じることは誤った考え方を広めてしまう危険性があります。
 25位以内に登場していない結果をすべて26位だったと仮定して、3つの調査結果を比較し平均を出してみました。すると、3つの調査結果の上位25位以内には47の国と地域が登場します。
 1位は平均ポイントが5.6の香港です。そして、2位は7.3ポイントの日本です。こういうことをわたしたちは知らされていません。3位は8.6ポイントのオランダです。なんと4位以下からは、25位に入っていない結果の国と地域が並びます。悪い結果がばかりが報じられた日本の分野だけの平均で全体の2位になっているのですから、前回と変わらない結果の分野を含めたら、全体的に子どもたちの学力が低下しているという結論は出せないはずです。

5075.12.25/2004

各国学校事情1

 経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)と国際教育到達度評価学会(IEA)の国際数学・理科教育調査(TIMSS)の調査結果が2004年12月7日と15日に相次いで発表されました。どちらも2003年度に調査した結果が公表されています。
 PISAは15歳を対象に、世界41の国と地域が参加。読解力・科学的活用力・問題解決能力・数学的活用力の4部門があります。今回の結果では、日本はそれぞれ14位・2位・4位・6位でした。新聞やニュースでは、このうち前回の8位から後退した読解力だけが大きく伝えられています。そのため、世界トップレベルのほかの部門の結果はまったく評価されていません。これは、あきらかにメディアがいまの日本の学校批判の材料材料として使っているとしか思えません。総合的な人材の育成を目指してきた、新しい学力観に立つ日本の公教育の肯定的な成果と、どうしてとらえられないのでしょうか。
 TIMSSは、中学2年数学・理科、小学4年算数・理科の4部門があります。中学2年を対象にした調査には世界46の国と地域、小学2年を対象にした調査では世界25の国と地域が参加しました。これについても、前回の調査と同じ結果だった中学2年理科と小学4年算数の結果は評価せず、前回よりも平均ポイントが下がった中学2年数学と小学4年理科のことばかりが報じられました。まるで100点の答案をもって帰らないと家に入れてもらえない点数至上主義家庭のようです。
 どうして、日本のメディアは新聞もテレビも週刊誌もラジオも、よいところを評価するという視点を捨ててしまったのでしょうか。悪いところだけを過剰に報道すれば、読者や視聴者は子どもたちの学力全体が大きく落ち込んでいると勘違いしてしまいます。
 そのなぜを考え、そんなマスコミ人を育てた日本の学校教育を相対化するために、今回の調査で上位に並んだところを考察してみます。

5074.12.24/2004
 きょうは2学期の終業式でした。
 一年間をふたつにわける2期制を導入している自治体では、授業日数を8月の終わりに確保して、きょうは休みにしているところもあるかもしれません。そうすれば23日から冬休みに入ることができるからです。残念ながら、わたしの勤務する学校の自治体には、そういう応用のきく行政サイドの担当者はいないようで、規則どおりの授業日数が確保され、子どもたちは登校していました。
 日本の学校は、会計年度が4月に始まって3月に終わるので、学校もそれにならっていますが、世界を見渡すと必ずしも同じところばかりではありません。とくに欧米では、9月に始まって8月に終わるところが多くあります。それぞれに事情が違うのでしょうが、わたしは日本社会の文化や歴史を思うとき、1月に始まって12月に終わるのが生活に密着しているのではないかと感じます。暦や祭り、伝統行事の多くは、1月から始まり12月に終わるようになっています。なのに、年明けが年末からの続きという学校の期間設定は、なんだか中途半端な二重基準のような気がずっとしています。

5073.12.23/2004
 きょうの毎日新聞に神奈川県教育委員会が発表した教員の処分の記事が載っていました。3人の教員の不祥事は、どれも読むに耐えないひどいものでした。
 教員をしていると、子どもや保護者から頼られることが多くあります。それは、教育という仕事をよのなかから付託されているからこそのことであり、「こんなひどいひとに付託することはできない」と信頼を失ったら成立しなくなります。多くの教員は、日々、子どもたちのために仕事にまい進しているのに、一部の不心得者のためにそういったひとたちが厳しい立場に立たされるのはつらい気になります。
 なぜ、子どもや保護者に対して、処分されるような事態を引き起こすのでしょう。わたしは、教員をしながら絶えず自らのなかに生じがちな権威を否定するようにこころがけています。「先生、先生」と頼られ、呼ばれ続けると、自らのことを「先生」と呼ぶようになり、「自分はこのクラスの最高権威者なんだ」というおごりにつながります。自らが法律であり、自らが法の執行者なんだと感じるようになると、社会的には許されていないことも感覚が麻痺してしまうのです。
 もしも、学校が教える・教えられるという固定した教員と子どもの関係を流動的にする要素をもつことができたら、権威によりかかり、反社会的な行動をとる教員は淘汰されていくのではないかと思っています。

5072.12.22/2004
 関東地方の大きな自治体で、教育委員に、ある特定の教科書を作る運動を行っていた方を任命しました。教育委員会は、教科書の認定に大きな権限と実行力をもっています。だから、政治的にも思想的にも中立的な人材が望ましいのですが、今回の議会による承認はその考え方に逆行するように感じます。
 教科書を作ろうという運動や、議会の承認には問題はありません。議会制民主主義の日本の政治制度では、両方とも認められていることです。わたしが問題を感じたのは、議会に教育委員を承認してもらうために原案を提出した首長の感覚です。議会では圧倒的な保守与党が賛成しました。かつて教育委員は公選制の時代がありました。住民の代表を教育委員に選ぶというのは自然な発想です。教育委員会制度の手本となったアメリカでは、いまでも教育委員を住民が選んでいます。しかし、日本では首長が候補者を選び、議会に名簿を提出して承認を得るという方法に変わりました。
 かつて、ドイツでナチス党のヒトラーが政権を奪取し、第二次世界大戦に突入していったとき、ヒトラーは選挙で政権を握りました。そして法にのっとり、ナチス党を政権党に押し上げ、独裁への道を歩みました。議会制民主主義は、ときにこのような誤ったことも民意として決めてしまう危険性をもっているのです。

5071.12.20/2004
 子どもは、自ら必要性を感じて覚えようとしたものは、時間を忘れて、本人が納得いくまで習得しようとします。
 それが学校で教わるものだと、親は目じりを下げて喜ぶのかもしれませんが、遊びにつながるものだと逆に眉間にしわをよせるでしょう。しかし、子どもにとっては、学校で教わるものでも、遊びにつながるものでも、知りたい・覚えたいという気持ちは同じです。だから、知的好奇心を満たしてあげることは内容の遺憾に限らず必要なことです。
 そうしないと、多くの子どもは親の顔色を見て、これは興味をもってもいいことなのか、興味をもってはいけないことなのかと判断し、本当は興味のあることでも心の奥に封印してしまいがちです。その記憶はやがて、親への反抗心や対抗心になって現れるのですが、少なくとも10歳ぐらいまでは我慢を続けます。でも、たくさん我慢した子どもは、もう親の言うことはきかないと反対に大きく触れてしまいます。また、たくさん我慢しながら、自分で考えることをやめていつでも「次は何をするの」と親に進路を求めるようにもなります。どちらも態度は正反対ですが、内面で進行している自立への阻害は同じ質のものです。
 わたしは、小さなときから、子どもに多くの選択の場面を経験させ、失敗したら次にどうしたらいいかをともに悩み、成功したら本人の成長をともに喜ぶ教育が、これからの家庭にはとても必要だと考えいます。「どうして」「なんで」という興味あることへの問いかけは、子どもがずっと大きくなってから自分を振り返るときに使えばいいのであって、興味あるものに没頭しているときや、これから突入していこうとしているときに第三者が投げかける必要はありません。その一言がかえって、興味を半減させてしまうからです。

5070.12.19/2004
 親がわが子の気持ちを察して、成長を願うことはとてもいいことです。とくに、子どもはボキャブラリーがおとなよりも少ないので、内面の動きを言語化してあげる手助けは必要なことです。
 しかし、それはあくまでも手助けに徹したときの話です。
 子どもの多くは、親の期待を敏感に受け止め、親の願うような答えをしてしまう傾向があります。そして、本心とかけ離れた自分を演じることにやがて疲れてしまいます。
 教育の現場に長くいると、そんな疲れを表情に表す子どもに出会ってきました。しかし、こちらが子どもの本心を代わりに親に伝えても、ほとんどの場合、信じてくれません。自分の前で子どもの見せる表情こそが真実だと信じているので、第三者に見せる姿を懐疑的にとらえてしまうのでしょう。たしかに、そのようなこともあるかもしれません。しかし、もしかしたら親に反発されるかもしれないと思いながら、子どもの本心を伝えようとしている第三者の気持ちは、親とともに子どもの成長を願う貴重なものでもあります。
 いままでと違う本心を子どもが親に見せるようになったとき、多くはもう親の願うような自分を演じることができなくなるほどの限界に達したときです。そうなる前に、子どもの気持ちを軽くしてあげないと手遅れになるケースがたくさんあるのに。

5069.12.18/2004
 きのう太平洋を渡って新しいパソコンが届きました。
 一ヶ月ぐらい前に知人に頼んで置いた鉄道のカレンダーもきのう入手。きのうは、運が向いている日でした。
 パソコンの段ボール箱を開いて、なかの説明書や発泡スチロールの緩衝材を取り出すときの、わくわくとした気持ち。子どもたちがサンタのプレゼントを期待する気持ちって、こんなんだったんだろうなぁと思い出します。さすがに3台目のパソコンなので、箱のふたを開けて「これはなに?」「このCDはどうすればいいの?」「たくさんある書物のどれから目を通せばいいの?」というパニックはなく、「はい、これ宣伝ね」「こんなCD使わないよ」と整理します。
 起動して、画面が登場するまでの間にユーザーアカウント登録をします。ウインドウズ98の頃はこんなことなかったなぁ、いま初めてパソコンを買った人は、まだキーの位置も入力方法も知らない場合、どうやってこの最初の難関を通過するんだろうと同情しました。
 今回のパソコンはインターネットにつながないので、ネット関係のサービスもソフトもまったく必要ありません。そのためか、起動までの時間や終了の時間がとても早く驚きます。常時、動いているネット関係のソフトがいかに見えないところでパソコンを重くしているかがわかります。

5068.12.17/2004
 奈良県では子どもが誘拐され殺される事件から1ヶ月がたち、さらに被害者の家族に罪を重ねるメールが届けられています。埼玉県では量販店が放火され従業員3人が亡くなりました。
 年末を迎え、全国各地ではことしが悲劇の年になったひとたちが数多くいることがわかります。新潟の大地震で被災したひとたちは、まだ余震におびえ、かつての生活を取り戻すのには程遠い生活を余儀なくされています。
 こういうとき、前向きな考え方をもつこととの難しさを痛感します。でも、振り返ってばかりいても時間を元に戻すことはできません。先日のニュースでは1997年に発生した神戸の中学生による小学生殺傷事件の犯人が、来春から社会復帰をすることを伝えていました。ことしの6月には佐世保で学校の課業中に6年生の女児が同級の女児をカッターで殺害するむごい事件もありました。
 猟奇的な事件は、以前からありました。でも、社会の世相を反映した事件がことしはとくに多かった気がします。教育の現場でも、大量消費社会の最前線でも、ひとのやさしさや思いやりを逆手にとるひとのこころの内側でも。

5067.12.16/2004
 きょうは朝から畑で収穫を終え、収穫し切れなかった大根の残りを全部収穫しました。
 子どもたち、150人ぐらいはすでにひとり一本ずつの収穫を終えています。それでも数十本の大根が残ったので、それらを収穫しました。さすがに大きな大根や真っ直ぐな大根は、もう子どもたちが収穫してしまったので、残った大根は型崩れのものばかりです。同じ種から発芽し、同じ畑で育てたのに、大きさもかたちも異なるのは不思議です。
 収穫していると登校してきた子どもたちが「どうして同じじゃないんだろう」と首をかしげます。「どうしてだろうねぇ」と応じると、「だって、僕たちも同じだよ。同じ学年でもみんなひとりひとり違うもん」と教えてくれました。
 ひとりひとり違うことを気づいている子どもがいること、すばらしいなぁと朝から感激。でも、学校や家庭、地域社会は均質均等を子どもに求め、同じ時間に同じ場所で同じことができる能力を高めようとします。そんなことはおかしいと、育ちの違う大根を見ながら理解する子どものほうが、わたしには自然な気持ちだと思いました。

5066.12.15/2004
 1999年の正月に突然、それまで長く使っていたワープロが壊れ、ウエイや事務書類をワープロに頼っていたわたしは目の前が真っ暗になりました。
 それまでも何回かワープロを買い替えていたので、また買い替えるかどうするかを考えました。当時は、パソコンがもうワープロよりも値段が安くなっていたので、これを機会にパソコンにしようと判断して、最初のパソコンを購入しました。
 パソコンを購入したとき、お店に行っても、何を買えばいいのか、たくさんあるけどそれぞれどんな違いがあるのか、まったくわかりませんでした。お店のひとの言うままにデスクトップ型のパソコンを購入しました。以来、我が家にはその後に購入したパソコンを含め2台のパソコンがあります。そして、今回、もう一台のパソコンをインターネットでしか販売していない会社から購入します。
 いままでのパソコンと違い、今回のパソコンは完全にスタンドアローン。つまりインターネットにつながないで使おうと思っています。また、そのパソコンを使ってする仕事もかなり自分なりに限定したものにするつもりです。これまでパソコンを使ってきた経験から、なんでもかんでもパソコンに保存していることの怖さを感じるようになったからです。とても重要なデータはCDやUSBメモリなどにコピーしておくようにしていますが、それさえも常時ではありません。突然の不具合に茫然自失になる前に防御策をと考えたのです。それぐらい、自分の生活が道具としてのパソコンに依存している危機感を覚えながら。

5065.12.14/2004
 いまわたしは担任とともに授業を担当する協力指導と、学年を学級よりももっと細かい単位にわけて担任と同じように指導する少人数指導を担当しています。
 少人数指導は中学年の子どもたちに算数を教えています。もしも、学級単位で指導していたら40人の子どもをひとりの担任が担当するのですが、少人数制にしているので、わたしが担当する子どもたちは30人ぐらいです。ちまたで言われている少人数制指導はもっと少ない人数だと思いますが、それでもこの方法をとったことで、担任だけでは気づかなかったことが見えてきて、個別指導に役立っています。
 そんななか、同じ年齢というだけで、同じことを学ばせる無理を痛感もしています。子どもには異なるスタイルで学ぶ力があるのに、同じ時間で同じことを学び、覚えなければならないのは、とてもつらいことだろうと同情します。そこに明らかになるのは、理解する速度の違いだけです。もっと時間をかければ、もっと興味のあることを提示すれば、個々の子どもにきめ細かいやり方をとれば、学ぶことのおもしろさに開眼する子どもがいるのに、いまの学校制度ではそれができない歯がゆさを感じます。

5064.12.13/2004
 先週、秋から子どもたちと生活科の畑で育ててきた大根をすべて収穫しました。
 ことしの秋は二度の大きな台風と一度の大雨で、畑の大根は被害を受けました。いつも種から育てているので、発芽してから本葉がつくまでの時期は、とてもデリケートな時期です。ことしは、その時期に台風と大雨があったので、せっかく発芽した大根の多くが根元近くから折れてしまったのです。
 それでも、生き残った大根を真っ直ぐに戻し、ふたたび倒れないように土を寄せました。肥料も週に一度ずつ生活の学習の時間に子どもたちとあげながら、蝶が産み落としたたまごからかえった青虫をひとつひとつ取り除きました。
 丹精を込めるという言葉がありますが、ことしの大根はまさにその言葉どおりの育て方をしました。子どもの中には大根が嫌いな子どももいます。でも、60日以上も丹精を込めたせいか、収穫の喜びはだれもが表情に表していました。

5063.12.12/2004
 12月も中旬にさしかかりました。
 年齢を重ねるたびに、一年があっという間に過ぎてしまう気がします。もっと若いときは、時間の経つのが遅くて、早くおとなになりたいなんて思っていました。今から思えば、なんて罰当たりな気持ちだったんだろうと感じます。
 ことしはアテネオリンピックで盛り上がった印象と、北陸の大雨・新潟の地震・秋の台風という自然災害で傷ついた印象の両極端の一年だった気がします。アメリカ大統領選挙で、結果的にイラク派兵に賛成する選択をアメリカ国民がしたこともショックでした。
 歴史は、何年も過ぎてから、そのときの評価が確定するのが常ですが、その時代を生きている自分自身を思うとき、このままでいいはずがないと感じることが年々増えてきています。だから、自分ひとりの力で何ができるのかはもっと難しい課題ですが、結局ひとりでは何もできないんだとあきらめてしまうことだけはしたくないなーと思います。

5062.12.11/2004
 きょうの毎日新聞の一面に2003年度の教員の処分結果を文部科学省が発表した記事が掲載されていました。
 児童や生徒へのセクハラで処分を受けた教員が調査を始めて以来最高になったと報じていますが、それらは対象が児童や生徒なので、同僚どうしや管理職による一般職へのものは外されています。とくに管理職によるパワーハラスメントは年々増加する傾向にありますが、被害で苦しむ人たちが問題を公にする手段と受付窓口がないため数字には表れてきません。また、教育委員会が処分を出す前に、退職した教員も多いと思うので、実態は公表された結果よりも深刻だろうと推測します。
 また、今回の処分でセクハラではない行政処分の多くを東京都の教員が受けていたこともわかりました。全国で東京都だけが突出して悪い教員が多いわけではないので、処分を出す側の強行的な対応が明らかになったと思います。知り合いの多くが東京都で教員をしていますが、みんな意欲をなくしかけています。
 病気を理由にした休暇も過去最高で、そのうち精神疾患が過半数になりました。精神的な苦痛で日常生活を送ることができなくなったひとたちが増加しています。多くの理由があるでしょうが、学校が多くを抱え込み、管理職が責任を教員個人に転嫁する動きのなかで、にっちもさっちもいかなくなるひとが多いのではないかと思います。職員会議などで自由にものが言えない職場では、教員どうしが疑心暗鬼になり、互いの抱えている問題を相談しあえないのでしょう。

5061.12.10/2004
 アメリカンフットボールがレギュラーシーズンの佳境に迫ってきました。
 アメリカのアメリカンフットボールプロリーグは、正式名称の頭文字をとってNFLといいます。2つのカンファレンス(日本のプロ野球のセリーグとパリーグみたいなもの)があり、レギュラーシーズンで各カンファレンスの地区優勝チームを決め、年明けの1月にプレーオフを行います。
 NFLは毎年9月から始まり12月にはレギュラーシーズンを終えます。原則的に一週間に一度しか試合がありません。それだけ選手の体力の消耗が激しい競技だからです。
 あまり興味のない人は「ルールがわからない」「なにをやっているのかわからない」といいます。でも、わたしはルールをわかろうとして楽しんでいるのではありません。とても大きな体のひとたちが、ひとつの楕円形のボールをめぐって体当たりを繰り返す激しさに興奮するんです。だから、どのチームが強いとか、このチームの有力選手はとか、詳しいことは知りません。ただ、興奮しながら見ていると、自然と疑問がわいてきて、本を買ったり、ネットで調べたりして、いくつかの最低限の知識は習得しました。もともと学びとは、そういうものではないでしょうか。
 はじめに興味ありき。そこから始まらない学びは、勉めて強いる、勉強になり、つらく逃げ出したいものになってしまう気がします。

5060.12.09/2004
 きょうは12月らしい天気でした。雲がどんより立ち込め風が肌をさします。そんななか秋口に種を撒いた大根の収穫をしました。種まきから60日を過ぎ、農事暦ではちょうどいい時期でしたが、台風の影響で成育を心配していました。ことしの大根は、耐病総太りという品種でした。青首に近い育てやすさがあり、その名のごとく病気に強い品種です。大根ばかりは、抜いてみないと地面のなかでどれぐらい成育してるかわかりません。葉は大きく繁っていたので、実のつき方は安心していましたが、抜いてみたら人参なみではがっくりです。
 でも収穫してみたら、どれも実のつき方がよく、色もつややかで安心しました。大根を育てた低学年5クラスのうち、きょうは3クラスが収穫しました。残りのクラスはあした収穫する予定です。わたしは、いまの勤務校でもう6年ほど生活科という教科を担当してきました。長い教員生活でおそらく今後はもうこんなことはないだろうと思います。過去6年間にいろいろな野菜を育てました。そのノウハウは、頭にではなく、からだにしみついてます。

5059.12.08/2004
 いつかきた道。
 日本が急速に工業を発展させ、朝鮮半島や中国大陸、東南アジアに覇権を広げた時代。いまから100年ぐらい前の社会で起こっていたことをわたしたちは歴史的事実として学ぶことができます。
 当時を生きていた人たちは高齢になり、いわゆる戦後世代が経済や政治の中心で働くようになりました。時代が変わっても、過去に学び、よりよい未来を創造することは大切です。だれもが安心して暮らせる平和な社会の実現を阻む人はいないと思うのですが、いまの日本社会、とりわけ教育をめぐる領域では、戦前の教育を彷彿とさせるような指示や通達が多くなってきました。
 中国と台湾の国境線未確定問題、朝鮮半島の従軍慰安婦問題や残留孤児問題、さらに拉致問題。戦後の極東アジアでは未解決問題がいまも残っています。それらを話し合いで解決していくことをいまの憲法では高らかに宣言しています。しかし、国際紛争の解決に武力を使わないという憲法の精神はPKO活動やイラクの復興に自衛隊を派遣したことによりゆらいでいます。そんななか、学校ではじゅうぶんな批判精神や自分の考えをもつ能力の育成を子どもたちに指導することができなくなりつつあります。それは、教職員から発言や教育内容の自由を奪い、場合によっては処分するというかたちとなって現れ始めています。

5058.12.07/2004
 6日から毎日新聞の朝刊で「新・教育の森 学校変幻」の特集が始まりました。
 おもに教育改革特区によって実現した実際の学校を取材した内容です。取材先は各地に及び各地の新しい学校作りの実例が紹介されています。きょう7日の特集には、神奈川県藤野町の特区構想が掲載されていました。
 内閣府が推進する特区構想は、現在の法律の枠にとらわれない地域限定の新しい取り組みを実現させるものです。当然、当該の官公庁の認可が必要です。また、申請者は個人でも法人でもいいのですが、実現にあたっては必ず自治体との連携が求められるため、一個人ではなかなか申請しにくいハードルもあります。しかし、自治体によっては特区を使って新しい取り組みに前向きなところも少なくありません。
 特区として実現したもののうち、学校に関するものをとくに「教育改革特区」と呼んでいます。わたしたち湘南に新しい公立学校を創り出す会でも、いままでに何回も内閣府を通して文部科学省に公設民営型学校の特区申請をしていますが、なかなか実現にいたっていません。今回の連載に関し、わたしも直接取材を受けたので、もしかしたらわたしたちの取り組みも何行か掲載されるかもしれません。

5057.12.06/2004
 高齢者の数が増え、子どもの数が減少している現在の日本社会は、世界的には特異な状態になっています。
 医療が発達した日本では、幼少の子どもたちが死亡する割合は少なくなっています。にもかかわらず、子どもの数が減少しているのは、子どもを産まない、あるいは産む人数が減少していることが背景にあります。
 どうして、子どもを産まない、産む人数が減少しているのでしょう。いくつかの理由が考えられますが、金銭的に子どもの成長に費用がかかりすぎることが大きな理由だとわたしは思っています。また、子どもが家庭を離れ、ひとりで生活していくことを望まない親が増えているのも確かです。
 わたしは、自分の子どもが小さいときから「学校を卒業したらひとりで生きていくんだよ」と言い続けてきました。ひとり住まいには苦労もあるでしょう。親としての心配もあります。でも、そういうことこそが、子どもの自立への大事な過程だととらえないと、いつまでも子どもは自分の生家を離れることはありません。ひとりで生きていくことになってから、初めて味わう多くの苦労こそ、社会が教えてくれる、親には教えきれない、自立への学びだと思います。また、生まれてから20年以上を経ないと、多くの場合、就職や結婚では、おとなと認められない社会認識も変化させる必要があるように思います。

5056.12.03/2004
 からだのバランスの悪い子どもは、以前から集団のなかに何割かはいました。でも、昨今はその割合が多くなっている気がします。帰宅後の子どもの生活が、全身を動かさない傾向になっている実感があります。文部科学省の調査でも、週に3日以上からだを動かす子どもの割合が、30年前の調査結果に比べて、激減していることがわかります。
 いま、1年生の体育を担任といっしょに協力指導していますが、短縄や大縄がまったく跳べなかったり、跳び箱で手をつかないで跳躍したりする子どもが増えています。平均台では、普通にまっすぐ歩くことが苦手な子どももいます。
 一定のリズムで跳躍するとか、手を出さないで突っ込んだらけがをするとか、左右のバランスをとるために両手を使うという遊びの経験から学ぶことを、からだが覚えていないのです。わたしが小学生のころ、馬とびという遊びがありました。いまにして振り返ればとても危険な遊びです。危険な遊びは、子どもにとって興味がわきます。いまは、子どもの周囲から危険なにおいのするものをどんどん遠ざけて、安全優先になっています。それが、良いことなのか、悪いことなのかという是非はもっと時間が経たないとわからないことかもしれません。

5055.12.02/2004
 義務教育費の国庫負担分が、地方公共団体の財源に移譲されようとしています。
 公立学校教員の給与は、全国的に半額が国庫で、半額が教員を採用した自治体の負担です。給与を折半して負担してきたのですが、その半額を国庫がすべて地方に渡すという政策です。この政策は、一見教員が受領する給与金額には変化がないように思いますが、実際は違います。
 国庫から地方へ渡される金額を、地方が一般財源化して、教員の給与ではなく、別のことにも使えるからです。累積債務が大きい自治体は、一般財源という自由に使える歳入が増えるので、債務の返済に充当するかもしれません。また、教育や福祉にあまり力を入れていない自治体は、もっと重点的な分野に予算を増やすかもしれません。
 つまり、地方によって、教員の給与表が異なり、それにともなって給与が異なる事態が始まろうとしています。物価は、場所によって異なるので、給与が違っても生活の質が大きく変わることはないと思いますが、それでも気をつけないと人口の多い、産業の活発な自治体が、学校教育を充実させ、逆の自治体は学校教育を充実させたくてもできないようになってしまうでしょう。

5054.12.01/2004
 12月に入りました。
 この時期になると巷では年賀状がコンビにでも売り出されます。
 わたしは、数年前から、年賀状の発送をやめています。年賀状のために多くの紙資源が使われ、原料になるパルプを輸入に頼っている現状を考えると、自分にできることは年賀状を買わないということでした。お世話になった方々に年賀の挨拶を欠くことは、とても失礼なことです。でも、それよりも大事なことだと思っています。
 ことしのように天候がいつもの年と違うと、いよいよ地球規模で気象に変化が現れ始めたかなとも感じます。本来、南方の多くのジャングルが育む酸素が、地球の大気の源なのですが、かんじんの樹木が伐採され、大気の源が減少すればなんらかの変化が生じるのは当然のことです。
 お世話になっている方や、連絡の取りたい方には、そのつど葉書を買ってきて手紙を書くようにしています。そうすれば宛名となかみを印字して投函という年賀状を書く必要はなくなりました。日本社会では、挨拶を欠くことは失礼なことなので、年賀状を出さないことを推奨することはできません。だから、あくまでも個人レベルの小さな動きでいいと思っています。

5053.11.30/2004
 わたしの知り合いの勤務する事業所が来年の2月1日に閉鎖されます。本社から提案があったのが10月になってからでした。聞いたところでは、そういう提案は話し合いの余地のあるものではなく、結果的に一方的な指令なんだそうです。競合他社に2月以降は営業を引き継ぎます。
 その事業所に勤務していたひとたちは、11月中は残務整理をして、12月からは本社の研修センターに集められて、ほかの仕事の研修を受けます。事業所には、若い人から定年を前にしたひとまで年齢の違うひとたちがいました。ずっと、その事業所で16年間も仕事を続けてきた知人も、決して若くはありません。
 それぞれの生活と将来を思ったとき、本社で事業所の閉鎖を決定したひとたちは、そのことで仕事を変わらなければならないひとたちのことをどこまで考慮したのでしょうか。

5052.11.29/2004
 夜行列車がひとつ消えます。
 東京から下関まで電気機関車EF66が牽引する「あさかぜ」が、来年春のダイヤ改正で廃止されることが決まりました。
 「あさかぜ」は車体が青い客車、いわゆるブルートレインです。九州方面へ、東京から旅客や帰省客、仕事の客を乗せて、長い期間、走行してきました。飛行機を使うには値段が高すぎ、各駅停車を乗り継ぐには時間がかかりすぎた時代に、乗り換えの必要なく目的地まで運んでくれる夜行寝台列車は、夢の乗り物だったのです。
 廃止されるのは、利用客の減少が大きな理由です。新幹線の延伸と、飛行機の価格低下によって、あさかぜは時間がかかり、値段も高い乗り物になってしまいました。

5051.11.28/2004
 きのうは、祖母の13回忌で色づくイチョウともみじの円覚寺に行ってきました。我が家のお墓は円覚寺のなかの寿徳庵にあります。円覚寺にはいくつも庵があって、それぞれがお墓をもっています。一般観光客に庵を公開している所もありますが、寿徳庵は檀家のみが使うことができます。長い階段をのぼって、息を切らしたところに寿徳庵はあります。
 きのうは前夜からの大風が嘘のように晴れ渡り、穏やかな天気でした。親戚も集まり、78歳で亡くなった祖母を供養しました。痴呆が進んだ95歳の祖父と病気がちの母は参列できませんでした。つくづく元気にみんなが集まることができたかつてが貴重だったと思います。般若心教を唱和しながら、実体のないものに執着するなという教え「空」について、ずっと思いをめぐらせていました。

5050.11.26/2004
 子どもを殴ってしつける親は、少数ですが確実にいます。
 とくに小学生では、親のほうが体が大きいので、子どもは萎縮し、しつけの効果があったように勘違いしてしまいがちです。でもそれは、殴られる痛みと恐怖を覚え、本能的な防御反応で従順な姿勢を示すだけで、しつけには程遠いものです。だから、子どもが成長し、親の体格と並ぶようになったら、リベンジが始まるのです。たとえ殴らなくても、言葉や目付きなどで威圧し続けた場合も、同じ結果を導きます。
 このようなことをしていても、自分のやっていることを相対化しようとしない親は、近い将来に大きな代償を払います。最近の子どもによる親殺し事件の多くは、親への反抗が最悪のかたちで帰結したものでしょう。
 力づくで、子どもを押さえ込むのは、子どもがいのちに関わるような間違いをおかしたときには必要でしょうが、それ以外の場合は、もっと他の方法を考えるべきです。力という権力で、子どもという弱い存在を押さえつけるのは、権力をもっている親の自己満足に過ぎないことを猛省してほしいと思います。

5049.11.25/2004
 低学年の生活科で新聞を作りました。パソコンを使って作成しました。ジャストシステムの一太郎スマイルに連動する「はっぴょう名人」というソフトを使っています。
 新聞の最後にイラストやマークの挿入をしたら、子どもたちがとても楽しそうにやっていたので、続編は「絵本作り」にしました。きょうは、ためしに自由に絵やマークを貼って一枚の絵を作るようにしました。テンプレートの貼り付け・オブジェクトの大きさや位置を変更する・オブジェクトを回転する練習です。
 子どもたちは、たくさんのテンプレートのなかから、自分の世界を築いていきます。また、パソコンの特徴でやり直しが何度もできるので、作りながら、作品を変化させます。台風の様子だった絵が、一瞬にして快晴の絵に。「どうしたの?」「もう台風は通り過ぎたんだ」という具合に。

5048.11.23/2004
 先日、来年の手帳のなかみを買いました。おととしから、手帳はなかみを入れ替えられるものを使っています。毎年、手帳を購入して、それらを年末に翌年のにバトンタッチして書棚にしまいます。ときどき、過去の手帳を引っ張り出して、自分の思い出を懐かしみます。でも、それを繰り返していたら、書棚が手帳でいっぱいになってきました。そこで、なかみを入れ替える方式に変更したのです。
 やってみれば、便利なことに気づきました。いままで手帳のそとみにはあまり気づきませんでしたが、書棚にしまったとき、手帳の外側がかなり幅をもっていたのです。だから、なかみだけを収納したらとてもはばが小さくて。ページがばらばらにならないように、一年分を園芸用のハナタイでとめています。
 それから、毎年、手帳を買っていたとき、手帳の外観となかみのアンバランスに何を買うか悩んでいたのですが、その悩みは消えました。外観はいつも同じなので、なかみだけを考えればいいからです。そうやって文具コーナーを見ると、手帳のなかみはとても種類が豊富で、選ぶのがとても楽しいことに気づきました。なーんだ、みんな手帳はなかみを入れ替えて使ってるんだって、思ったほどです。
 手帳を開き、今年のページを外します。12月はまだ使うので残しておきます。そして、外したページをハナタイでとめ、書棚に並べます。つぎに、買って来た来年の手帳のなかみをセットします。わたしにとって、手帳更新は年末の風物詩です。

5047.11.22/2004
 奈良県で凶悪残忍な事件が発生しました。小学生が誘拐され、犯人からの要求がないままに殺されました。
 あたかも殺害を目的とした誘拐は、これまで怨恨が背景にあったと思いますが、これまでの報道では、そのようなことも伝えられていません。犯人の意図がわかりません。
 ただ、インターネット上の掲示板では、幼い子どもを誘拐する方法や、誘拐するときに気をつけることを書き込んだものもあるそうです。インターネットの利便性と匿名性を、このようなかたちで流用するのは、道徳心の崩壊につながります。
 自らの内部的な崩壊を、外部に対して攻撃的に示すことは、昔からありました。そのときに社会的な弱者に攻撃の対象が向けられるのも。そういった行為は、とても卑劣で、許されないことだという道徳心を、いまの日本社会は失いつつある気がします。

5046.11.21/2004
 前頭前野が育たなかったり、機能低下したりすると、人は感情の抑制がきかなくなったり、一時的な記憶ができなくなったりします。
 自分の思い通りにいかないとき、不満を抑制できず攻撃的になり、だれかを傷つけても相手の痛みを想像することができません。最近の低年齢の子どもの一部に見られる傾向です。一時的な記憶ができないので、そういう子どもに注意をしても、効き目はありません。脳の7割が完成する6才ぐらいまでにテレビやビデオ、テレビゲームなどの視覚情報をインプットされた脳は、前頭前野が育たないそうです。
 でも、そのことに気付いている親や教師はあまりいません。なぜなら、前頭前野が育たないことは最近になってわかってきたことだからです。いまの親や教師が子どもだった時代には、前頭前野の成長を阻害するものはまだ誕生していなかったのでしょう。
 機能していない前野前野を活性化させるには専門的な治療が必要です。もしかしたら、自分や自分の子どもがゲーム脳かと思ったら、病院で脳波を測定すればすぐわかります。

5045.11.19/2004
 きょうは、日本大学教授の森昭雄さんの講演を聴いてきました。「ゲーム脳の恐怖」の著者です。医学的な立場から、テレビゲームが脳のなかでおでこあたりに位置する前頭連合野に及ぼす影響について、お話してくれました。
 前頭連合野は、感情や情操面を司る部分です。ひととの距離をつかんだ会話をするのにも、前頭連合のもっともおでこに近い前頭前野は関係しています。また、創造性・理性・道徳心や物事の手順や意思決定も担当しています。さらに、作業記憶と呼ばれる一時的な記憶も担当している、ほかの動物とは違う、とても重要な部分です。
 老人性痴呆症になると、脳全体の細胞が死滅していくことと関連し、この前頭連合野も機能を低下させます。脳波を測定すると、前頭連合野のはたらきを示すβ波や、リラックスの程度を表すアルファ波の状態が低下しているのがわかります。ところが、まったく同じ症状がテレビゲームを長時間やり続ける学生や子どもたちにも見られるようになっているのだそうです。(続く)

5044.11.18/2004
 わたしが考える学校における子どもの姿は、お客さんではありません。だからといって、生産者やサービスの提供者とも思っていません。ちょうど演劇でいうところの主人公です。10人の子どもがいれば、10の物語が生まれます。
 江戸時代の寺小屋は、全員に同じことは教えませんでした。習字をする子、そろばんをする子、習字でも漢字を書く子、ひらがなを書く子など、様々でした。同じ時間に同じ場所で個々に自分が必要なことを習っていました。先生は、最低限のことを教える以外は、自分から子どもにはかかわらず、子どもから質問があったときだけ答えました。当時は身分が固定していましたから、それぞれの子どもにとって生きていくために必要な知識や技術がはっきりしています。それを習えばよかったわけです。
 戦後の日本社会は、日本国憲法のもと、身分差別が撤廃されました。しかし、教育行政の支配を受けた教育機関による全国一律の学校制度は変化しませんでした。それは、戦後の日本社会を復興させるために工業の発展が急務だったからです。だから、学校は大量の労働者と、少数のエリートを育てなければなりませんでした。労働者は、どんな仕事に就くかわからないので、文字の読み書きや簡単な計算力を習熟させられます。このふたつがマスターできていれば、どんな仕事に就いても、仕事を理解できるからです。いま、基礎学力という概念化によって、これらの知識がまるでひととして最低限必要不可欠な能力のように語られているのは、とても的外れで、危険なことです。

5043.11.16/2004
 わたしが「学びの主人公を子どもたちに」した学校を作りたいとずっと考えているのには理由があります。
 それは、いまの学校が消費者と生産者、あるいは受給者と提供者という商業社会の論理のなかに組み込まれようとしているからです。商業社会では、利益を上げることが最大の目的で事業活動が展開されているので、利益が上がらないことは不必要になります。また、お客さんである消費者やサービスの受給者は、生産者やサービスの提供者とともに事業を作り上げようとはしません。その必要がないからです。こういった商業的な考えは、学校を今後いっそう機能不全に陥らせると危惧しています。
 戦後の日本の学校は、とくに高度経済成長期以降の日本の学校は、中央集権的な色彩が濃く、学習指導要領の完全実施を全国津々浦々まで浸透させるために、電車の乗り降りからトイレの使い方、友だちの作り方から箸の上げ下ろしまで、何から何まで引き受けて教えるなかみを膨らませてきました。でも、そのために、学校は多くの価値観の規範を子どもを通して社会全般に示さなければならなくなり、逆に子どもにとって窮屈な空間になってしまいました。
 わが子のためなら、ほかの子どものことを思いやる余裕がない親も少なくありません。サービスの受給者として、自分への、そして自分の子どもへの直接的な利益がなによりも優先してしまうのです。

5042.11.15/2004
 平日に開校している湘南憧学校には、少しずつですが見学者が訪れます。先日は県立静岡大学の学生さんが訪れました。
 その学生さんが、終了後のミーティングで質問をし、感想を述べられました。感想の中で「子どもたちが、自分のやりたいことを持っていて、それをどうやって実行しようか、自分たちなりに考えていることに驚いた」というのがありました。わたしは、その感想を聞いて、この学生さんのセンスのよさを直感しました。なぜなら、まさにそのような子どもを育てるために、湘南憧学校を開校しているからです。
 そして、その感想に対して支援スタッフが「きょうの子どもたちも最初は、どうしていいかわからないこともありました。ここに来るまで、スタッフと子どもとの間で、何度も意見のやりとりをしながら、育ったきたんですよ」と応じます。わたしは、スタッフたちの成長も嬉しく思いました。いまという瞬間を切り取った鋭い感想に対して、即座にここまでの積みあげを強調できるのは、確かな実践の自信がないと、なかなか言えるものではありません。
 その湘南憧学校は、来年度から週5日制に開校規模を拡大します。今月27日と来月4日に、その学校説明会を開催します。くわしくは、湘南に新しい公立学校を創り出す会のホームページでご確認ください。

5041.11.14/2004
 きょうは、地元の小学校の校庭で、町内会対抗のソフトボール大会がありました。わたしの住んでいる地区には、山崎・台・市場・末広・富士見町・戸ヶ崎の6つの町内会があります。これに湘南鎌倉病院チームを加えて7チームでのトーナメント戦です。
 わたしは、戸ヶ崎町内会に所属していて、去年と一昨年は連続優勝。ことしも連覇がかかっていました。
 試合は順調に勝ち進み決勝までいきます。しかし、ことしは決勝で台町内会チームに9対8の僅差で負け、準優勝でした。
 町内会のメンバーなので、PTAや子ども会のメンバーよりも年齢が幅広くなります。また、お子さんがいるいない、結婚しているいないに関係なくメンバーがそろうので、いつも校庭には多くのひとたちがたくさん集結します。こんなに、この地域にひとがいたのかと思うほどです。
 予報ではあまりいい天気が望めなかったのですが、なんとか一日中雨に降られることなく終えることができました。スポーツ委員の方々の運営努力に感謝しています。

5040.11.13/2004
 来週、私立小学校の教頭先生たちの研究会にお邪魔してきます。関東地区私立小学校教員研究会があり、午後の部会のなかで、教頭部会の講師を頼まれました。
 新しい学校作り活動を始めてから、各地でノウハウや設立の経緯などをお話させてもらう機会に恵まれてきましたが、さすがに現役の教頭先生ばかりが集まった場所は初めてです。公立・私立を問わず、新しい学校作りの活動には、いままで学校関係からのアプローチはあまりありませんでした。だから、どんなことを話せばいいのか、まだ考えています。
 いちおうの原稿はでき、窓口の先生には送りましたが、直前まできっとどんなことから切り出し、何を一番訴えたいかは迷い続けるのだと思います。相手の顔を見て、判断しないと、参加しているひとたちの求めているものとずれてしまうからです。
 久しぶりにパワーポイントを使って、当日の発表資料ファイルを作りました。

5039.11.12/2004
 東京では学校での奉仕活動が必修科目になりそうです。
 数年前から、東京の学校は教育委員会の権限が強化されています。学校現場の声を汲み取るのではなく、教育委員会や首長の意思がトップダウンで学校に伝えられ、校長や教頭らを通して実現させられています。教員のなかには、そのようなやり方に不満や批判をもつひともいるかもしれませんが、大声でそれを口にすることができなくなっているそうです。職員会議で発言するのは、校長・教頭・教務主任らの管理職ばかり。教員たちは、出された提案に疑問や反対の声をはさめないそうです。
 そんななかでの奉仕活動の必修化は、本当に成果をあげるとは思えません。
 学校教育は、学校現場の教職員がもっとも重要な仕事を担当していて、日々成長とともに変化していく子どもたちに、日々もっとも必要な学習内容を用意することによって、最大の成果が得られるものです。なのに、自分たちの要求や、感じているものと大きく隔たりのある内容を突然にやらなければならないのでは不条理感ばかりが増大するのではないでしょうか。

5038.11.11/2004
 先日、保健関係の研究会で、個人で心療内科の病院を経営している院長先生をお招きして講演会を開きました。
 こちらがお願いしたテーマは「子どもたちのこころの問題」です。来院する子どもたちの様子や症状、その背景について、具体的な内容をわかりやすくお話していただきました。
 そのなかでとくにこころに残ったのは、学習障害やADHDなど、放置していたら、いじめの対象になったり、不登校や引きこもりに発展したりするのに、多くは早期発見が遅れているという指摘でした。とくに、小学校段階で担任はなんとなくわかっていながら、保護者には直接的には伝えず、あいまいなぼかした言い方をして、結局、早期に気づいていながら中学校や高校まで放置されるケースが多いそうです。
 なぜ、早期に気づいているのに対応が遅れるのかといえば、保護者の理解が得られにくいことが原因です。根底には、風邪やインフルエンザのように細菌やウイルスに感染し発症するものを病気ととらえ、学習障害や多動性注意欠陥症候群などは病気ではなく脳の発達が遅れていると考える風潮があります。骨の成長が遅れるのは病気です。適切な治療よって治すことができます。脳の発達の遅れや精神的な障害も、適切な治療によって、改善されたり、完治したりするのです。
 しかし、自分の子どもの精神的な病気や脳の障害を親が受容できない場合は、どんなに周囲のひとたちが気づき、かかわりを持とうとしても、接点が遮断されなす術がありません。また、反対に「うちの子を差別するのか」と逆上する親もいて、問題はなにも改善されないまま放置され続けるのです。

5037.11.10/2004
 好天のなか、平塚市総合運動公園に遠足に行ってきました。ベルマーレ平塚のサッカー場や野球場があるところです。
 落葉樹が色づいて秋真っ只中でした。幼稚園、保育園、ほかの小学校もたくさん来ています。動物園があって、えさをあげることができます。でも、子ども達がなによりも楽しんだのは、小山をそっくり使ったアスレチックでした。そこにアスレチックがあるだけで、ひとりでに子どもの体は動き出します。使い方や約束などの説明は無用です。ローラー滑り台や丸太坂に向かって走り出していく子どもを見ていると、つくづく子ども達から、自然に体を動かしたくなる環境を奪って来たのは、おとな達だなぁと思いました。
 昔を懐かしんでも目の前の現実は変化しません。子ども達が、頭を使う前に体を動かしたくなる機会と環境を、たとえ人工的にでも作っていく必要を感じました。機会と環境さえあれば、多くの子どもは、そこからやり方やコツを自分で作っていくのです。
 自分で作っていくものは、だれかに教えられたものより、ずっと心身に記憶されるのです。

5036.11.9/2004
 先日の健康教育の研究会で、講師の方が「いまの子どもたちの過半数は週に3日以上、体を動かないことが調査からわかった」と教わりました。30年ほど前の同じ全国調査では、週に3日以上体を動かす子どもの割合は反対に8割に近いほどいたそうです。
 つまり、いまの親の世代は子どものときには、体をたくさん動かした記憶が残っていても、自分の子どもたちがその逆の状態になっていることに気づいていません。
 「家に帰って来てもゲームばかり」と嘆く親が多いのがわかります。屋外で体を動かす子どもが少数派になってしまったので、たまに体を動かそうと思っても、いっしょに遊ぶ相手がいないのです。学校から帰って、近所の空き地や田んぼ、裏山や土手で野球や缶けり、爆竹や冒険をして遊んだとき、ものの投げ方や打ち方、けり方や取り方、走り方や転んだときの手の出し方などを、体は自然に覚えました。いまにして思えば大事な経験だったんだなと思えます。

5035.11.8/2004
 子どもが洋服を汚しながら食事をする姿を見た親の状態が自然的状態の不快部分を増大させ、道徳的状態の悪なる部分の手助けを得て「むかつくから、殴る」「ぐったりしても、かわいそうだと感じない」「こんな日常から抜け出したい」と発展させるのかもしれません。  ペスタロッチは「隠者の夕暮れ」という著作のなかで「父の手から食べるパンほど、子どもにとって尊いものはない」と書いています。学生時代のわたしには、この意味がまったくわかりませんでした。ほかの著作を読んだり、教官に尋ねたりもしましたが、的を得た答えが見つかった記憶はありません。
 しかし、いまのわたしには、この言葉の意味がわかったわけでなく、この言葉から感じるものがあります。それは、生物的に自分を産んだ親の象徴を母とするなら、ペスタロッチはあえて育ての親の象徴を父と呼んだのかもしれないということです。あるいは、実際に産んだ親であっても、子どもを産んだだけでは、親とは言い切れず、子どもを育てるなかでひとは親になっていくと訴えたかったのではないかなということです。

5034.11.7/2004
 ペスタロッチの続きです。
 いまの日本で家庭で起こっている事態のひとつに虐待があります。子どもを親が虐げ、ときには殺してしまうこともあります。直接的に暴力を振るうことだけが虐待ではありません。食事を与えなかったり、作らなかったり、声をかけなかったり、風呂に入れなかったりなど、子どもの健康や情緒面に悪影響が出るようなことも、親による虐待の代表的なものです。
 200年以上も昔のヨーロッパ・ドイツでは、親に捨てられる子どもがたくさんいました。人権という考え方が広まっていない時代です。育てられない、育てたくない子どもを捨ててしまうことは、いまよりも一般的だったのかもしれません。そんな子どもたちを集めた孤児院で、子どもの成長に携わったペスタロッチだからこそ、親のなすべきことを見つめ続けることができたのでしょう。
 子どもを虐待する親が、警察に逮捕され、送検され、裁判で動機を問われ「なかなか泣き止まないからむしゃくしゃした」「食事の食べ方が汚いから、しつけのつもりだった」と答えることは少なくありません。泣き止まないのは子どもが不快を示しているからで、自然的状態を親に訴えているのです。不快な状態を快の状態に転化させれば、泣き止みます。子どもといっしょになって、むしゃくしゃしていては、子どもを産み・育てるという責任の大きい仕事をする自覚がないとしか言えません。また、親が子どもにしつけを教えることは悪いことではありません。しかし、食べ方が悪いという理由で、しつけてやろうと殴ったり、蹴ったりするのは、しつけに名を借りた暴力に過ぎません。

5033.11.5/2004
 新潟県中越地震に際して、せめてもの救援をと思い、毎日新聞社に救援金を送りました。お金は、あり過ぎて困るということはないからです。
 ただ、どこに託すかは考えました。これまであまたの募金や義援金が、被災者に届かないニュースを知らされてきたからです。
 新聞社ならば、大丈夫だろうと思って、送りました。そうしたら二日後の朝刊に、わたしの名前が載っていて驚きました。寄託という欄に名前と住所が、送金した金額別に載っています。その日の金額のなかでもっとも多かったのは10万円でした。1万円のわたしはちょっと気が引けましたが、金額ではない、気持ちが大事と自分に言い訳をしました。

5032.11.4/2004
 道徳的状態のひとは、行動の基準が善と悪です。社会のなかで認められた正しいことや正しい行いを行動の基準にします。社会とは、地域によって異なるので、行動の基準になる正しさには違いが生じます。また、時代や文化・宗教によっても正しさは異なってきます。しかし、道徳的状態で、善なる行動を選択するひとは、自然的状態や社会的状態に優先させるので、自分さえよければという行動はしません。不快でも、損になっても、善なる行動をするからです。
 ペスタロッチは、いわゆる学者ではありません。孤児院で多くの子どもたちに囲まれた生涯をすごしたひとです。社会の底辺で、行き場のない子どもたちの成長を促す働きかけを行ったのです。
 いまの日本に象徴される資本主義社会は、利益があるか、効果が得られるかというのが重要な課題です。費用対効果という言葉があります。かけた費用に見合うだけの効果が上がるかどうかを調べるときに使われます。ペスタロッチが生きていたら、社会そのものが社会的状態であり、そのなかではひとは社会的状態をもっとも重要視した生き方をしているととらえるでしょう。

5031.11.3/2004
 いまのように学校制度が完成していない時代ですから、子どもが育つのに家庭が果たす役割が大きいことをペスタロッチは強調したのでしょう。しかし、いまのように学校制度が完成した近代社会でも、同じように家庭が果たす役割に変化はありません。なぜなら、親子の関係は時代や社会を越えて普遍だからです。
 自然的状態のひとは、行動の基準が快と不快です。本能的な部分が強く作用し、心身ともに快く感じるものを求め、不快なものを避けます。これは乳幼児に多く見られる状態です。生まれたての子どもは、本能的な感覚を鋭利にしながら、生きていくことのバランスを保とうとしているのです。おとなになっても、自然的状態は必要です。物事を頭で割り切ったり、感情を押し殺したりばかりしていると、自然的状態は弱くなり、からだの声や体調の変化に気づけなくなります。
 社会的状態のひとは、行動の基準が損と得です。自分に関係ある物事で利益を得られるのか、損をしてしまうのかによって行動の仕方を選択します。何事も社会的状態で行動するひとは、あまり友だちにはなりたくありませんが、ひとの社会で生き抜いていくときには、必要な状態であることには変わりがありません。

5030.11.2/2004
 わたしは大学のときに教育史(西洋)を専攻していました。卒業論文では、ドイツの教育者ペスタロッチの「隠者の夕暮れ」をテーマに親子論を書きました。
 当時は、こういう理論的なことが学校現場ではあまり役立たないだろうと思っていました。でも、実践の場で20年近く過ごすと、大きなことや物事の背景を考えるときに、当時の理論的なことを思い出すことが多くあります。いまごろになって、もっと真剣に研究しておけばよかったと反省しています。
 ペスタロッチは、ひとが3つの状態に分かれると考えます。自然的状態・社会的状態・道徳的状態です。もちろん原語はドイツ語なので、この意訳が適切かどうかはわかりません。
 どの状態も、本来、ひとがもちえる可能性のあるものですが、年齢や置かれた社会的状況、地位などで、どれかの状態が強く、どれかの状態が弱くなると考えます。もちろん、それぞれの状態がバランスよく保たれることが望ましいのですが、なかなかそうはいきません。そのバランスのいい状態にもっていくのに、ペスタロッチは親による子どもへの教育、家庭教育を重視しました。

5029.11.1/2004
 きょうは宣伝です。1997年に仲間と市民が創る公立学校を目指して「湘南に新しい公立学校を創り出す会」を旗揚げして、きょうから8年目に入りました。1997年10月31日に最初の会合をもったのです。
 以来、7年間の歳月は、決して短かったとは思いませんが、なかみのこい日々でした。学習会やシンポジウム、テストスクールを定期的に開催しています。また、各地のイベントや講演会にも参加してきています。衆議院議員会館にも足を運びました。
 まだ国内には市民が学校を創ることを認める法律がありません。学校は、国・地方公共団体か学校法人のどちらかしか設立することができないのです。その現実のなかで、わたしたちはことしの4月から月・水・金の週3日間開校の「学校」をスタートしています。小学校とか中学校と名乗ることも法律では認められていないので「憧学校」と書いて、しょうがっこうと読んでいます。法的には学校ではありませんが、内容的には十分に教育的な営みを実施しています。この湘南憧学校が、来春から授業日数を拡大します。月曜から金曜までの週5日間、年間200日の開校です。詳しいことはホームページをご覧ください。
 その説明会を11月27日と12月4日に鎌倉市と藤沢市で実施します。興味や関心のある方は、ホームページで詳しいことを確認のうえ、ご出席ください。

5028.10.31/2004
 藤沢市内35校の公立小学校と養護学校の音楽会が藤沢市民会館で開催されました。
 わたしは記録係で一日中ビデオカメラのファインダーをのぞきながら、各学校の発表を撮影しました。そのテープは今後編集され、各学校ごとに送られるそうです。だから、とても責任の大きな仕事でした。参加者が多いので次々と発表が続きます。わたしが知らない曲目が多かったので、いつになったら終わるのかというタイミングも知りません。でも、全体を撮影した固定カメラではひとりひとりの表情はわかりません。歌っている表情や演奏している表情をアップで追い、カメラを動かし、それでいて曲の終わりには参加者全体をとらえるという至難の業の連続でした。
 音楽会は、各学校1クラスの参加なので、30人から40人ぐらいの子どもたちが同時にステージにあがります。どの表情もカメラにおさめておきたくて、ゆっくりゆっくりカメラを動かします。でも、いきなり歌や演奏が終わってしまって、あせって全体像に引いてしまったのもありました。

5027.10.28/2004
 久しぶりに青空が続いています。でも、同じ時、日本海側の新潟県では、きのうまでと全く違う生活を余儀なくされているひとたちがいます。
 日本という狭い国土で、本当に同じ国に生きているのだろうかと思ってしまいます。寸断された道路や破壊された鉄道のニュース映像が届きますが、いまの自分にできることの少なさを痛感します。せめてもの思いで、義援金を送るつもりです。わずかな力にしかならないかもしれませんが。
 沖縄で大学の敷地内にアメリカ軍のヘリコプターが墜落したり、イラクで旅行者がテロ組織に誘拐されたり、人災と思えるものも多く発生しています。台風や地震のような天災は、避けることができません。しかし、天災によって避難するひとたちは互いを励まし、協力しあいます。それを知った多くのひとたちも何らかの方法で積極的に支援します。
 なのに、国家間の対立はどうして自然発生的な個人の良心を受け入れないのでしょうか。

5026.10.27/2004
 いま1年生と2年生の生活科では、パソコンを使って新聞を作っています。学年の進度に応じて、内容の軽重はつけていますが、基本的には同じ課題を提示しています。自分たちの身の回りの生活に興味や関心をもってほしいからです。見ているものと見えているものは違います。きちんと意思をもって見つめる作業がないと、目に入るものはただ網膜に映るだけの景色で終わってしまいます。
 きょうの2年生は、最終ページの4ページ目を作りました。「ニュース」ページです。身の回りのことで、覚えている事実を列挙していきます。一つのことを掘り下げることが目的ではないので、複数の記事が並んでもOKです。しかし、多くの子どもはためらわずに「台風」と「地震」のことを書いていました。
 とくに台風は自分の家が水につかった子どももいてかなりリアルな記事になっていました。玄関の先まで水が来ていた家、大雨のなか約束の新聞取りをしたら、ずぶねれになった子どもなど、記憶のなかによみがえってくる被災状況がつづられていました。

5025.10.26/2004
 5024歩で書いた新潟県の地震は、気象庁の命名では「新潟県中越地震」というのが正しい名前でした。
 地震の後も犠牲者が増加しています。とくにお年寄りの心臓発作が続いています。日常生活が激変したショックは、精神面だけでなく、肉体面でも大きな負担をかけているのでしょう。
 いまだからこそ、地元や国政などの行政ができることはたくさんあると思います。危機管理に万全の対策と準備が整っていたかどうかが試されるときです。早急に食料と水、医薬品と寝具や防寒具の供給を行い、計画的に避難所と仮設トイレの新設が必要でしょう。いつまでも、多くのひとがプライベートのない避難施設での生活に耐えられるとは思えません。
 ある商店街では、あえて避難所に行かずに大きな駐車場に集まって共同で自家用車での避難生活をしているそうです。駐車場を使った自動車共同体が自発的に誕生しているのは、自宅や店舗から離れたくないという気持ちと、先の見えない避難所生活への不安、余震が続くなか屋根のある建物での避難への恐怖、いつでも移動が可能な自動車の利便性など、複数の理由が考えられます。そういった生活も決して不便がないわけではないと思います。自主的に判断した生活を、さらに利便性を高めるものにするために、前向きな気持ちで生活の再建をはかっていくたくましさの灯火が消えないように、遠隔地から祈るのみです。

5024.10.25/2004
 23日の新潟県中部地震は、その後も大きな余震が続いています。
 ほぼ同じ震源で何度も大きな地震が続いているので、当地の方々は肉体的にも精神的にもとてもつらい時間を送っていることと思います。この夏の台風の影響で、新潟県は備蓄していた非常食の在庫が尽き、今回の災害に十分な非常食を供給できない状態になっています。
 道路が寸断され、電線が破断し、水道やガスなどのライフラインも途絶えた地域では、避難と復旧を同時に行わなければならない非常事態に直面しています。空からの救援が唯一の方法というのは、二次被害の危険性を予感させます。一刻も早く、地上からの通路を確保し、ライフラインの復旧を最優先しないと、地震の直接の被害は免れた方々のなかからも、二次的な被害者が出てくるかもしれません。
 関東・東海・東南海など、大地震が予想される地域の防災システムだけが充実し、今回のように、あまり注目されていなかった地域の防災対策が遅れていたとしたら、それは行政の無作為を批判されても仕方がないでしょう。ニュース映像からは、壊滅という言葉が脳裏に浮かぶような状況が伝わってきます。政府は担当大臣だけでなく、多くの支援と首相自らの励ましを行うべきです。

5023.10.24/2004
 今年の10月はなんという月でしょう。
 ゴジラが火を噴き、ガメラが宙を舞う……。崩壊する都市、逃げ惑うひとたち。映画のなかで繰り広げられるようなことが、わずかなあいだに立て続けに起こっています。
 10月23日の午後6時前。わたしは土曜日に開校している湘南小学校の帰り、近所の居酒屋「かわばた」でサッカーを見ていました。
 最初、電灯の傘がゆれ、お客さんが「揺れてる」と気づきます。続いて、酔いもあってか、揺れを気持ち悪く感じました。サッカー中継が、災害時の緊急放送に切り替わりました。次々と情報が入ってきます。
 新潟県中央部で、震度6+という大きな地震だったことがわかりました。これから夜になっていく最悪の時間帯での大地震です。その後もわずかな間に余震が立て続けに起こります。
 台風で地盤がゆるみ、地下からの地震で土砂が流出したら、斜面の多い場所ではひとたまりもありません。翌日の24日になって、次第に被害の状況が見えてきました。

5022.10.20/2004
 きょうは朝からものすごい雨でした。前日の打合せで登校時刻を遅らせたり、休校したりするときは午前7時までに連絡がまわるようになっていましたが、その電話はありませんでした。比較的、学校に近いところに住んでいる同僚が多いなかで、わたしはとても遠隔地に住んでいます。きっと、学校のあるところはそんなにひどい雨ではないのだろうと思いました。
 なんとか出勤すると、秋雨前線が台風に刺激され、9時過ぎには強い雨が降り始めました。緊急の職員会議で、安全対策が話し合われ、午後1時に全児童を保護者に引き渡すことになりました。いままでは、このような場合、一斉下校という方法をとっていましたが、児童の安全な帰宅を最優先し、わたしの勤務校では数年前から下校時刻を繰り上げる場合は保護者に学校に来てもらい、児童を直接引き渡す方法に変更しました。
 引渡しの可能性は、前日に学校からのプリントで保護者に伝えてありました。それでも混乱があるかもしれないので、大きな用紙に「土足のままどうぞ」「13時より引渡しをいたします」というポスターを急遽作成して昇降口に張り出しました。担任はクラスの子どもたちのことがあるので、こういうとき遊軍として動くのは職員と担任ではない教員たちです。わたしは校門の外で交通整理をします。合羽を着てマイクをもち、来校した方々の応対に追われました。
 しかし、準備や段取りがよかったことと、ラッキーなことに引渡しの時刻に小康状態になったことで大きな混乱はありませんでした。最後の児童が下校した後から雨脚が強くなり始め、今回の措置は間一髪のところで危険を回避することに成功しました。

5021.10.19/2004
 また台風が近づいています。
 台風23号。前回の台風で被害の多かった地元では、まだ道路が寸断されたところの復旧が完全には終わっていません。なんとか片側だけの通行が可能になったばかりです。たっぷり水分を吸った地肌も、完全に乾燥するまでには晴天がもう少し必要でしょう。
 また、あのときのような風雨や被害が繰り返されるかもしれないと思うと、勘弁してくれーという気持ちになります。毎年、台風の通り道になっている沖縄や九州のひとたちの強さを思います。川の水があふれ、アスファルト道路のマンホールが逆流した水によって、噴水のように浮かび上がる光景が記憶に残っています。
 あしたの夜から、あさっての朝にかけて、関東地方は影響を強く受けるそうです。電車もバスもなくなった駅で途方にくれる経験は、もうしたくないので、前回の教訓を生かして、今回は無事に乗り切りたいと思っています。

5020.10.14/2004
 台風22号の影響はいたるところで出ています。わたしの住んでいる鎌倉では、大小あわせて460箇所以上もの土砂崩れがあったそうです。そんなに広い町ではないので、460箇所も土砂崩れということは、ちょっと歩けば被害現場に遭遇する計算です。実際、多くの場所で土砂が崩れ、木々が倒れ、道路が寸断されています。もうすぐ、台風から一週間になりますが、まだ回復の目途がたっていないところも多いようです。
 9月の後半に種まきをした1年生の植木鉢。パセリの小さな種は台風で流れてしまったかと心配していました。倒れて槌が流出した鉢や、なかの土がかたよってしまったものがあったからです。でも、全体の8割は、あの風雨にもかかわらず、ちゃんと発芽していました。パセリの双葉は3mmぐらいの小さな小さな葉っぱです。その小さな双葉が、水をたっぷり吸い取った土のなかから元気に顔を出しているのを見て安心しました。
 何かのときのために、畑にもパセリの種をまいてあります。それらが発芽していたので、植え替えが必要な鉢に植え替えをしました。予備のパセリでは足りなくなり、実験用に植えてあるサニーレタスの双葉も移植しました。いつごろ、子どもは違いに気づくでしょうか。

5019.10.13/2004
 自分の住んでいるところと、自分との距離を痛感するのは、ひとのつながりが必要になったときです。
 周囲のひとたちと関係を結ばなくても、いまの時代は多くの場合、問題がありません。しかし、病気になったときやけがをしたとき、災害に見舞われたときなど、自分ひとりの力ではどうにもならないとき、周囲のひとたちの助けをとてもありがたく感じます。ふだん、周囲から孤立した生活をしてきて、困ったときだけ助けを得るというのは調子のいい話です。まずは、周囲との関係性を保ちながら、互いの情報を交換しあって、はじめて成立する共同関係だと思います。
 過日の台風では、結局、わたしの住んでいる鎌倉では確認できただけで450箇所以上もの土砂災害が発生しました。そのため、道路が寸断され、いつも通る道が通行止めになりました。そんなとき、どこを通ればいいのか、地元のひとたちは知っていて、的確な情報を教えてくれました。そんなとき、あらためて自分はここにひとりで生きているわけじゃないということを感じます。見ず知らずのひとたちと、横須賀と埼玉で7人ものひとたちが命を絶ちました。関係性を遮断した生き方は、孤立性を増すばかりだと思いました。

5018.10.12/2004
 9日の台風ずぶねれ経験の影響か、ずっと咳が止まらなくなっていました。10日は関節が痛くなり「うわー熱が出るかも」と思い、早く寝て、11日のソフトボール自主リーグ「大船カップの」最終節の準備をしました。
 当日は、準備や試合、懇親会などで動き回っていたせいか、風邪のことはすっかり忘れていました。でも、12日の朝、起きたら全身が痛くて、熱っぽく、グロッキー。仕事は休みました。
 11日は午前8時過ぎに会場に行き、ラインを引いたり、ベースを準備したりしようと思っていました。そうしたら、もう第一試合のチームが練習をしていてびっくり。そんなに強い雨は降っていませんでしたが、小雨のなか「きょうはどうなるのかな」と思っているひとが多い中での「やる気」を教えられました。
 お昼過ぎに全部の試合が終わって、全チームによる懇親会を開きました。いままではそれぞれのチームで懇親会をしていたのですが、せっかく8チームものひとたちが集まるのだから、ゲームだけではないつながりも必要ということで、今回の大船カップから始めた企画です。ふだん、顔は知っていても、深く話したことのないほかのチームのひとたちともいままで以上につながりあえたのではないかと思います。

5017.10.10/2004
 台風一過の晴天と思ったら、きょうの鎌倉は曇り空。ときどき冷たい雨が降っていました。
 新聞やニュースでは、台風の影響を伝えています。鎌倉だけで20箇所も土砂崩れがあったそうです。わたしの家の近所では、悲しいことに土砂崩れで犠牲者が出ました。悲しみと同時に、もしかしたらわが身に降りかかっていたかもしれないと思うと、とても怖くなりました。
 近所に工務店があります。ご主人に聞いたところでは、その工務店だけで3箇所の土砂崩れの復旧工事を頼まれたそうです。「土が水を含んでいて、土砂崩れの復旧はやりにくいんだよなー」と嘆いていました。
 用事があって車で近隣を走りました。大きな木が倒れて道路をふさぎ、通行止めになっているところがありました。幹線道路なので、連休明けに仕事で使う人たちは大変だと思います。おそらく水が出て、床上まで浸水した低地の住宅では、畳を干したり、家の中をホースで洗ったりしていました。とくに、道路沿いのお店の人たちは商品が冠水してしまったみたいで、頭を抱えながら後片付けと掃除をしていました。
 三連休の初日が台風。中日が復旧。初秋の鎌倉はいつもなら、ツアー客でにぎわうのですが、それなりに観光客はいたものの、あちこちに台風の爪あとが大きくて、観光地の姿をしていませんでした。

5016.10.09/2004
 台風22号の影響で交通機関が麻痺をした9日。わたしは湘南に新しい公立学校を創り出す会の会合で藤沢にいました。会合が終わったが5時近く。すでに風雨がとても強くて、傘は役に立っていませんでした。
 東海道線の大船という駅が最寄り駅なので藤沢駅に行ったら、改札で入場制限。上下線とも運転見合わせ。そのうちに、私鉄の小田急線も止まりました。しょうがないから、バス乗り場に行ったらシャワーのような状態。バスが来るまでに上から下までずぶぬれになりました。待ちに待った大船行きがきて、乗り込んだのもつかの間、少し走ったら大渋滞。まったく動かない渋滞です。ひとりふたりと乗客が降りていきます。「この先がどうなっているのか見てきます」とバスを降り、渋滞の先を見に行ったら、道路が冠水して通行止め。バスに戻って運転手さんに状況を話し、ふたたぶ藤沢駅に歩いて戻りました。タクシー乗り場は長蛇の列。駅の放送では復旧の見通しが立たないとのこと。仕方がないので自宅まで歩く決心をします。途中、何箇所か海のようになっている道をじゃばじゃば歩き、あと1メートルぐらいであふれる大きな川のそばを通り、1時間ぐらいかけて帰りました。

5015.10.08/2004
 藤沢駅で上りの東海道線を待っていると、いつも17:40頃、高速貨物輸送のために開発された電気機関車EF65が牽引する夜行列車「富士」が下りホームを通過していきます。大分行きのブルートレイン。きょうはEF65の48号機が牽引していました。鉄道が子どもの頃から大好きでホームにいるとワクワクします。
 とくに国鉄時代からの優等列車が現役で走るのを間近で感じることができるのは、たまらない魅力です。48号機は1974年から1975年にかけて製造された32号機から55号機までのひとつです。全長は18メートル20センチ。それまでの電気機関車の主流だったEF65と、ほぼ同じモータを使いながら、出力は1.5倍の3500kWという力持ちの機関車です。今年は2004年なので、人間の年齢にしたら30歳になります。30年間も、とても重い貨車や客車の先頭に立って、つねに牽引し続けるのは大変なことです。故障したことも、事故に遭遇したこともあったかもしれません。でも、いまもなお廃車にならずに走行しているのは、製造当時の設計思想がしっかりしていたからだと思います。
遠くまで夢を乗せて、人生を乗せて、愛を乗せて走る列車の運転士になるのが夢でした。そんな夢をいつまで持っていて、いつから他のことにも興味をもつようになったのかは、正確には覚えていません。でも、夢をなんらかのかたちでいまもこころのどこかに持ち続けていると、毎日の生活が決して同じ繰り返しに思えないのです。

5014.10.07/2004
 低学年の協力指導のほかに、わたしは4年生の算数を少人数指導しています。少人数指導とは、本来のクラスを分けて学習指導する指導法です。勤務している学校の4年生は1クラスに40人の子どもがいて、2クラスあります。本当だったら、学級担任がそれぞれ算数を教えるのですが、1人で40人を指導すると、どうしてもわかっていない子どもを見落としてしまうことがあります。そこで、算数の時間だけ、学年全体を3つに分けたグループを作り、指導します。
 指導する3人の教員どうしで、使う教材や、学習の進度をよく相談しておかないと、少人数制はばらばらになってしまいます。どんな教材を使うのか、その日の授業でどこまで進めるのかを念入りに相談します。
 3つのグループも、学習能力で分けるのではなく、指導方法で分けるようにしています。だから、どのグループに属するかは、子ども自身が決めます。1学期は、あまりグループ間の人数が均等になりませんでしたが、2学期は子どもたちも様子がつかめたようで、ほぼ均等になっています。わたしが担当する「りんりん」は、何回も似たような問題を繰り返し学習しながら、力をつけていくグループです。ほかには、応用・発展的な内容を扱う「らんらん」、基本的なことを中心に扱う「るんるん」があります。

5013.10.06/2004
 わたしは小学校で高学年の子どもたちが行う委員会活動のうち、放送委員会を担当しています。始業前や給食のときに、放送室から音楽をかけたり、本を読んだり、クイズを出したりする委員会です。毎日の活動なので、クラスごとに班を決めて交替に担当しています。
 毎週、金曜日は教室のテレビに放送室から番組を提供するテレビ放送を行います。遠足や学習の様子など、ビデオ撮影したテープを編集して放送します。
 毎週、番組を用意するというのはとても大変なことです。それでも、教室でテレビ放送を楽しみにしていてくれる子どもたちがいるのが、放送を絶やさない糧になっています。
 先日、運動会と修学旅行の長い元テープを見ながら、必要なところをピックアップして、4回分の番組を作りました。ともに100分を越えるテープでした。それを給食の放送時間である15分以内に編集します。全部を見てから、必要なところを選ぶので、15分程度の番組を作るのに、2時間ぐらいはかかってしまいます。今回は4回分の番組を一気に作ったのでとても時間がかかりました。運動会の片付けの日で、子どもたちが午前で帰ってしまう日を使いました。今週末から放送を開始します。

5012.10.05/2004
 わたしにとってE-mailは、とても便利で安価な通信ツールです。新しい学校つくりの仲間や地元のソフトボール仲間、長いつきあいになるレクの仲間たちと連絡を取り合うとき、かつては電話かファクシミリしかありませんでした。手紙は、そんなに急いで返事をもらわなくても大丈夫なときに書いていました。
 しかし、E-mailを使えば連絡の時間とコストが短縮・削減され、瞬時にして離れた仲間とも情報を共有できます。メーリングリストのように、多くの仲間と瞬時に情報を共有することも可能です。
 そんな関係で、毎日多くの人たちから来るE-mailをチェックするのはとても楽しい時間です。しかし、ほぼ連日、コンピュータウイルスつきのありがたくないE-mailも何通か混ざっています。「だれかが困っているんだなー」と気の毒になります。
 「メールの送信ができなくなった」「メールの受信ができなくなった」「メールの送受信ができなくなった」という声は、わたしの身近でもよく聞きます。そんなときは、まず自分のパソコンがウイルスに感染しているのを疑ったほうがいいでしょう。いままでできていたことが急にできなくなるというのは、故障が原因の場合は、あまりないからです。「だって、自分のアドレスは少数の人しか知らない」と、ウイルス対策ソフトを使っていなかったり、最新版に更新していなかったりする人は言いますが、世の中には勝手にたくさんのアドレスを作ってしまうソフトがいくらでもあり、適当にメールを大量に送信していることを知っておいたほうがいいと思います。何もしていないのに、自分だけは大丈夫というのは、インターネットの世界ではありえないことです。

5011.10.04/2004
 運動会が終わって、疲れを癒すための日曜と月曜の代休が両方とも強い雨になりました。
 とくにやらなければならない用事があったわけではありませんが、こうも雨が続くとずっと家のなかにいて気がめいってきます。
 そんなに働き蜂にしなくてもいいのに……。
 空を見上げながら、天気の神様を呪いたくなってしまいます。
 しょうがないから、書庫の整理をしていたら、20年近く前にわたしが教員になった頃の写真がたくさん出てきました。古いアパートに一人暮らしをしていたときのものです。一人暮らしだから写真を写すことはないのにと思ったら、当時担任していた4年生の子どもたちがいっしょに写っていました。きっと、休みの日に遊びに来たんですね。当時のままに写真の中の子どももわたしも笑っています。
 当時10歳だった子どもたちは、もう26歳とか27歳になっているはずです。まさか幼いときの写真を昔の担任が今頃眺めているとは思わないですよね。

5010.10.03/2004
 きのうは晴天のもと、小学校の運動会がありました。
 今年で教員生活19年目ですが、振り返ったらずっと秋には運動会をやってきました。毎年、同じことをしているのに、飽きがこないのは、子どもたちが練習を積み上げ、本番で輝く姿に惹かれているからです。
 しかし、運動会で輝く子どもばかりとはかぎりません。ふだんからあまり運動が得意ではない子どもや直前にけがをしてしまって見学だけの参加になってしまった子どもは、早く運動会が終わってほしいと思っていたかもしれません。
 運動会のような全校の行事は、教科ではないので、年間の授業の時間数をカウントするときに、行事という扱いで計算します。近年、子どもたちの学習意欲の低下や学力の低下などから、教科の指導時間を増やし、行事の時間を減らす傾向が多くの学校であります。社会の要請に対処するための方法ですが、同じように行事に含まれる遠足や文化的行事(子ども祭りなど)を、子どもたちはとても楽しみにしています。学校がもっとスマートになって、教科指導だけを中心に年間の授業時間数を組んだら、なんだかつまらない学校生活の連続に子どもも教師もため息をつくようになってしまう気がします。

5009.10.01/2004
 いよいよかさなりステーションで有料のダウンロードページを開設しました。
 以前から無料のダウンロードページは開設してきました。どれだけのダウンロードがあるのかを確認するカウンターを設置して調べてきたところ、おかげさまで1500件に迫る勢いで、ダウンロードが実行されているのがわかりました。多くの方々に、かさなりステーションで提供しているファイルやプログラムが役立っていることを思うと、身が引き締まる思いです。
 今回の有料ページの開設は、そんなファイルやプログラムのうち、製作にとても時間と費用、労力のかかるものをリストアップしました。無料だから多くのダウンロードがあったのは覚悟の上でのスタートです。気軽さや利便性に少しのハードルを掲げたのは、自分の作品にいままで以上に責任を自覚する意味があります。
 最初のラインナップは、健康診断の結果を記録する「フィジカルチェック2004」というエクセルファイルと、ユーザーが独自のオリジナルソングアルバムを作ることができるサービスです。どちらも半年以上の時間をかけて製作したものです。よろしかったら、かさなりステーションのトップページから「Yoroz Factory」のアイコンをクリックしてご覧ください。

5008.9.30/2004
 昨夜の湘南地方はものすごい風雨でした。台風21号が通過したためです。
 家の外壁にたたきつける雨の音で目が覚めました。ふだんは一度寝たら朝まで起きないわたしも、さすがに「この家は大丈夫かな」と不安になってしばらく眠れませんでした。
 朝になってニュースを見たら、各地で土砂崩れなどの災害が発生していて亡くなった方と行方不明の方で20名を越える被害があったことを知り、とても驚きました。今年は台風の当たり年で例年以上に多くの台風が上陸しています。いままでの台風は上陸すると、海水の供給が絶たれて山岳地帯で勢力を弱める傾向にありましたが、今年の台風は上陸しても勢力を弱めないので、被害が拡大しているのでしょう。
 天変地異は人の力ではどうにもならないものです。しかし、地球規模で考えたとき、気象現象の変化は人類の工業発展となんらかの関係があって、たとえば言われているように温暖化もひとつの原因かもしれません。地球に暮らしているのは人類ばかりではありません。そんなことだれでもわかることですが、忘れてしまったような出来事がときどき世界の各地で起こるのが気がかりです。

5007.9.29/2004
 先週の土曜日に生活科の畑に種まきをした大根が、もう発芽して本葉をつけ始めています。
 びん底で穴をあけ、子どもたちは4粒の種をまきました。いつも野菜作りは種から始めています。プロならば発芽割合を考慮して苗から始めるのでしょうが、子どもの人数分以上の苗を用意するととても高額になります。種ならば一人当ての集金額は10円にもなりません。
 でも、いままでの経験で種まきから発芽までがとても苦労するのを知っています。本当に発芽してくれるだろうか、大風や大雨で種が流れてしまわないか、猫や犬が畑を荒らさないか、鳥が来て種を食べてしまわないか。気を配ることは山ほどあります。小さなプランタで育てているわけではないので、同じ作業を繰り返すのもとても疲れます。でも、発芽して双葉をつけ、その間からかわいい本葉が育ってくると、これまでの苦労が吹き飛んで、一つ一つの株がいとしくなります。
 先日、4本の苗から1本を間引きして、3本立ちにしました。本葉が4枚から5枚になったら2本立ちにします。だんだん大きくなっている様子を写真に撮影したり、観察記録にまとめたり、子どもたちとの生活科は冬まで続きます。でも、台風が次々とやってくるので、茎が折れてしまわないかとても心配です。農家の方々は、収穫を迎える時期にこのような天候で気が休まる暇がないことでしょう。

5006.9.28/2004
 かつて子どもどうしで、悪いことをした子どもがいたときに「セーンセイにいっちゃお!」という簡単なメロディつきのセンテンスがありました。それを言われると、悪いことをした子どもは「ごめん」「許して」「もうしないから」と罪を認め、周囲に謝罪の姿勢を示したものでした。問題解決を子どもどうしで導くひとつの方法だったのでしょう。それほど、センセイに知られることは、悪いことをした以上に勘弁してほしいことだったのです。
 しかし、いまはそんなことを言われても「いいよ」「言えば」「だからなに?」と反対に開き直られてしまいます。それは、年齢を問わずに蔓延している傾向です。学術的なことはわたしにはわかりませんが、現場で経験する日常のなかに、その傾向を感じます。実際にそういう場面を多く見たり聞いたりもしています。
 逆に、いまの子どもたちにとって悪いことをしたときに「お母さんにいっちゃお!」というのは、とても効き目があります。なぜか「お父さんにいっちゃお!」というのは、あまり効き目がありません。子どもながらに「どうやって、お前がうちのお父さんに言うんだよ」と思うのかもしれません。しかし、母親になら、遊びに行ったときや電話、自分の母親を通して、話が通じることを経験から知っているのでしょう。女性の社会進出が増加しているとはいえ、まだ専業主婦の方は多くいます。働いていたとしても、パートや臨時職としての働き方の人が多く、子どもが母親に接する時間を確保しながら働いているケースが多いのです。
 なぜ、子どもは母親に自分の悪いところや欠点を知られるのを極端に怖がるのでしょうか。その原因を考えることよりも、よのなかの多くの母親が、いま自分の子どもにとってどういう存在なのかを自問し、どう子どもと接していけばいいかを考えることが必要な気がしています。

5005.9.27/2004
 いまの学校には、正規の職員ではない方々が多く勤務します。行政の財政事情が逼迫しているので、時間給の臨時職員を雇用することによって歳出を抑制しているのです。また、文部行政の影響で、カウンセリング関係の職員が各学校を巡回しています。このひとたちも、正規の職員ではありません。情報機器を使った学習の補助役としてインストラクターが配置されているところもあります。このほかにも、子どもたちに絵本を読み聞かせする団体や、外国の学生が研修名目で来校します。
 正規の職員ではない方々でも、最低一年はわたしたちといっしょに仕事をするので、仕事以外のつきあいも当然あります。食事をしたり、酒を飲んだり、旅行に行ったりと、そのスタイルは様々です。そんなとき、わたしは多くの方々から「想像していたものと、実際の学校はずいぶん違うことがわかった」と言われます。もっと学校にはいい意味での権威があって、保護者や地域の信頼によって支えられていると思っているひとが多いようです。
 かつての学校はそうだったのかもしれませんが、いまの学校は、行政サービスの一環になってしまったような気がします。管理職は、そんな行政サービスの学校側窓口として、子どもからもっとも遠いところで苦情に対処したり、親会社(教育委員会)からの指示を職員に徹底したりするのが本務になっています。
 このような学校の姿は、きっと外からは見えにくいのでしょう。また多くのひとたちは、自分の経験した子ども時代と比較するしか方法がないので、何十年も昔のイメージとしての学校像を長く持ち続けるのだと思います。

5004.9.26/2004
 いまから27年前。1977年9月27日。在日アメリカ軍の偵察機が横浜市青葉区荏田町に墜落しました。
 若い人たちは知らない事故だと思いますが、当時中学生だったわたしはその事故のことを鮮明に覚えています。墜落の直前にパイロットは脱出。パラシュートで降下し無傷で、救助に駆けつけたアメリカ軍のヘリコプターに乗って行きました。そのとき、ピースサインをしてヘリコプターに救助される写真が新聞に掲載されていたのです。
 この事故では、墜落した偵察機のジェット燃料が引火し、住宅が焼けました。その炎の中で土志田裕一郎ちゃん(当時3歳)と土志田康弘ちゃん(当時2歳)が全身を焼かれ、大火傷を負い「パパ、ママ、バイバイ」と言い残して、事故の翌日に亡くなりました。母親の土志田和枝さんも、全身の8割に火傷を負い、闘病生活の末、4年後に31歳で亡くなりました。この事故のことを歌にした「ファントムよりもハトを」という歌を、教員になってからクラスで歌った記憶があります。
 今年もアメリカ軍の軍用機が緊急着陸や墜落、弾丸の落下などの事故が続いています。いつも、苦しみの果てに力尽きるのは、物言えぬ弱い立場の人ばかりです。自分さえよければという社会通念が蔓延し、自分に火の粉が降りかかったときに初めて問題の根深さと大きさに気づく繰り返しは、悲劇の繰り返しにつながります。今年の9月27日は月曜日。きっと、その日も湘南の空はアメリカ軍のジェット戦闘機の爆音が響き続けるのでしょう。27年前と変わらぬ空の下、いまの自分にできることを考えてみます。

5003.9.24/2004
 事件の後、学校は子どもたちに交換日記を禁止しました。図工などの学習でカッターを使うことも配慮事項にしました。そのような表面的な対応は、事件の根深さを解決することにはつながらないと思います。遠く佐世保から離れたわたしでさえ、そう思うのですから、当該校に子どもを通わせる保護者の方々は、もっと強く感じているのではないでしょうか。
 まるで、交換日記やカッターがあったから事件は起こった、だからそれらを禁止すれば事件は起こらないと考えているようです。
 しかし、記事のなかで校長は「実際のところ、どうしたらいいのかわからない」とも発言しています。きっと率直な気持ちではないでしょうか。その気持ちを前面に押し出して、教職員と保護者がいっしょに改善策と再発防止策を話し合えばいいのに。校長なのにどうすればいいのかわからないとは何事だと、声を荒げる人がいるかもしれませんが、そんな無責任な言動に振り回される必要はないのです。事件のもたらした大きな波紋を収集し、多くの人々のこころの傷を癒すためには、たくさんの時間をかけて多くの考えを出し合うしか方法はありません。ましてや、かん口令など出したら、保護者の不信感は大きくなるばかりです。

5002.9.23/2004
 9月22日付の毎日新聞の夕刊に、佐世保の小学校で6年生女児による殺害事件の続報が掲載されていました。「学校に責任ないの?」という大きなタイトルです。
 記事を読んで「やはり」と思いました。
 6月1日の事件後、学校側から保護者向けにマスコミの取材に応じないように再三にわたりかん口令のような要請があったそうです。「子どもが傷つくと言われ何も言えずに従った。なのに学校は取材の矢面には立ってくれなかった」「事実を知りたいという声にはほとんど何も答えてくれなかった」という保護者の声を載せています。
 これに対して当該小学校の校長は「教職員には人権や守秘義務の問題があるので取材に応じないように言ったが、保護者にお願いしたことはない。どうしてそんな話になるのか全くわからない」と答えています。校長と保護者の考えが正反対です。
 わたしは、学校で20年近く勤務してきた経験から、このようなことは当初から予想していました。しかし、事件の重大性を考慮したとき、まさかそこまで(かん口)はしないだろうと考えました。「黙っていてほしい」と言われても、自分の子どもがもしかしたら被害者になったかもしれない出来事を、黙ってやり過ごすのは親の良心としてできるものではないと思ったからです。おそらく実際には、担任や学校側の説明会などを通して外部に情報を漏らさないようにという要請はあったと思います。それが印刷物になっていれば校長の発言は嘘になりますが、そこはたくみに証拠に残るようなことはしなかったのでしょう。

5001.9.22/2004
 いまこの「かさなりステーション」に、また新しいコーナーを開設しようと準備しています。それは、有料のファイルやプログラムのダウンロードページです。無料プログラムのダウンロードが今年に入ってからカウントを始めて、すでに1300以上のダウンロードになりました。スケジュール帳やHTMLエディタ、日本語入力トレーニングなど、ありがたいことにほぼ毎日の割合でダウンロードをカウントしています。
 無料だから気軽にダウンロードできるのでしょう。そのことを十分に承知した上での有料コーナーの立ち上げです。もともと自分のパソコンワークに役立てばという気持ちからコーディングを始めましたが、より多くのひとに役立つことがわかってからは、コーディングも汎用性のきく、かつバグの少ないものへと配慮が必要になりました。ひとつのプログラムのリリースまでに私生活や仕事の合間をぬって、半年から一年の時間をかけて作ったプログラムを無料で公開し続けるのはもったいなく感じるようになりました。
 いままでのように無料ダウンロードも続けます。そちらは、実験的な作品を紹介するようにして、実用性のある作品は有料で提供していこうと思います。労力と時間をお金に換算するのは難しいことですが、多少でも次の作品の準備に必要な資料を用意するのに必要な費用ぐらいはまかないたいと考えています。

5000.9.21/2004
 先週の木曜日と金曜日、低学年のクラスの生活科で、畑に大根の種をまきました。
 ひとくちに大根といっても、たくさんの種類があります。今回の大根は「耐病総太り(通称:さい)」といいます。直径10cmぐらいのびんを使って種まきをします。びん底を畑にぐっと押し当てて、深さ1cmぐらいのクレータを作ります。そこに4粒から5粒の大根の種をまきます。成長とともに、間引きをしていき、最後は一本立ちさせます。
「なんで、ひとつの穴に4つもまくの?」
「3粒じゃいけないの?」
「5粒はいいの?」
子どもの質問は、数に注目したものが多くありました。野菜の多くは発芽のために複数の種を同時にまきます。互いに刺激しあう習性があるのでしょうか。成長とともに間引きをしてしまうのですが、最初から1粒しかまかないと、発芽率が低くなるのです。そんなことを子どもにわかる言葉で説明しました。
 金曜日の夕方に畑に水をまいて、週末三連休の天気予報を見たら、すべて好天。これでは土が乾いて、もっとも水分が必要な発芽の時期に種が死んでしまうと思いました。休みの土曜日も日曜日も、自宅から1時間ぐらいかけて、畑に水をあげにいきました。月曜日は朝方、シャワーのような雨が降ったので行きませんでした。
 そのかいあってでしょうか。日曜日の水遣りのとき、いくつもの発芽を確認しました。野菜を育てるのに、いつも種から育てています。収穫までの工程で、もっとも気を使うのが発芽です。こればっかりは種と土の力を信じるしかないからです。