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過去のウエイ

4999.9.20/2004
 今月の初めに12年前に小学校を卒業したひとたちの同窓会がありました。そのひとたちの5年生と6年生をわたしはクラス担任しました。
 当時のわたしは、毎日、ギターを弾きながら、教室で子どもたちと歌を歌っていました。毎月、歌う歌を変えて。同窓会でも、当時の歌を披露したら、多くのひとたちが譜面をもっていないのにいっしょに歌えたことには驚きました。そして、当時の思い出を教えてくれました。そのなかに
「いまもウエイは発行しているの?」 というのがありました。当時のわたしは紙に印刷して、毎日、全員に学級通信としてのウエイを発行していました。それを学年の終わりにまとめて冊子に綴じました。
「ううん、もうウエイは配っていないんだ」
「えー、楽しみにしていたのに」
「そのかわり、インターネットに載せているんだよ」
「えー、じゃぁ、ウエイは続いているんだね」
 わたしにとってのウエイは文字通り「道・歩み」です。日記のように細かくはありませんし、私生活を記録するものでもありませんが、そのときにもっとも伝えたいことを文字にしてきました。もう、ウエイをインターネット版にしてから5年が過ぎています。でも、紙に印刷していた頃の記憶を抱き続けてくれているひとたちがいたことを、とても懐かしく、とてもありがたく思いました。
 そんなひとたちに支えられて、おかげさまでウエイはきょうで4999号。次号からは5000の大台に突入です。

4998.9.19/2004
 おそらくいま全国の労働組合でもっとも注目を集めている委員長のは、プロ野球選手会の会長でしょう。
 日本プロ野球史上初めてのストライキを18日と19日に敢行しました。会長として労使交渉に臨みながら、翌日には試合でプレーしている姿は、ほかの労働組合の委員長には見られない姿です。多くの事務局スタッフが支えているのかもしれませんが、メディアへの対応を含め、身を粉にして奮闘する姿は、多くのプロ野球ファンを魅了しているのではないでしょうか。
 自分たちの未来と雇用を守るために労働組合がストライキ戦術を捨てて久しくなります。ストライキが全面的に要求を解決する手段とは言い切れませんが、残された方法がストライキしかなかったという流れは、あまりふだんプロ野球を見ないわたしにもよくわかりました。

4997.9.17/2004
 北関東で幼い兄弟が同居していた男性に連行され、殺されました。暴行の挙句、橋から川に投げ落とされました。
 事件の背景はかなり複雑なようです。
 しかし、それ以前に福祉行政は事前に今回の家庭のことを知っていて適切な処置をとることができませんでした。まさか、このような悲劇に結びつくと想像できなかったのでしょう。
 以前の児童相談所を中心とする福祉行政は、母性の福祉と言われていました。母性の福祉とは、保護は最終手段で、適切な支援によって親と子どもが自立していくことを目指します。それは、適切な支援によって自分たちの力で立ち直っていく前提があったからです。しかし、続発する虐待や少年犯罪、引きこもりや家庭内暴力の増加を考えたとき、これからの福祉行政は、何かが起こる前に強い意志をもって介入していく父性の福祉が必要なのではないかと思います。結果として、何も問題が起こらなかったとき「強制的な介入は必要なかったではないか」と批判されても、逆に「強制的な介入があったからなにも起こらなかったんだ」と胸を張るべきではないかと思います。

4996.9.16/2004
 2001年6月に大阪の国立大学の附属小学校で子どもと教師に刃を向けた死刑囚に死刑が執行されました。
 あの事件を契機にして、全国の公立学校では警備に関する対策が検討されました。行政によっては、防犯カメラや警備員を配置したところもあります。わたしの勤務先では、教師と子ども全員に防犯ブザーが配布されました。
 その後も、学校の内外では子どもが犠牲になる事件が続発しています。子どもは社会的に弱い存在です。まだ、ひとりでは生きてはいけない存在です。弱い存在に、悪意が向く社会は、根底に多くの病理があるのではないかと思います。その病理を、個々人の問題と片付けてしまうと、同じような事件は根絶されません。自分さえよければ、自分たちさえよければという考えでは、弱い存在を守ることはできないのです。
 いつ、自分が同じ苦しみを味わうかもしれない現実を生きている想像力がないと、いざというときに対処が遅れることでしょう。学校だけの問題ではありませんが、学校にできることはたくさんあります。個々の学校に、これからの学校を作っていく、いまの学校を作りかえる裁量が与えられていない現実は、そんなたくさんの有効策の芽を摘んでいるような気がしてなりません。

4995.9.15/2004
 握り寿司で難しいのは、手のひらの湿り気です。まったく湿り気がないと、飯粒がくっついてしまって握り寿司になりません。逆に湿り気が多すぎると、水っぽくなって、飯粒どおしがくっつきません。ちょうどいい湿り気にするのは、感覚と経験です。
 子どもに水と酢の入った入れ物に手を入れさせ、手のひらに水気を広げさせました。ためしに、小さな団子を作ります。そのときに、自分が水気が多かったのか少なかったのかがわかります。最初のトライでは、多くが湿り気が少なくて、飯粒が手のひらにくっついてしまいました。でも、経験を積むうちに湘南憧学校の子どもたちは、どんどん売り物に近い握り寿司を作れるようになりました。ネタとご飯の合わせ方と、握り方を教えたら、たちまちいくつもの握り寿司が完成しました。
「置くとこがないよ」
「じゃ、はじから食べちゃえ」
 子どもたちは、作ったはじから、自分の握った寿司を口に運びます。ネタの鮮度がいいので、イカもマグロもカツオも、あっという間に完食。残った酢飯を最後は団子にして食べました。

4994.9.14/2004
 当日は、湘南憧学校に通っているAさんの学区の公立学校の先生がふたり見学に来られました。Aさんは、その公立学校には通っていないのですが、もしも通っていたら学齢は5年生になります。その5年生のクラス担任の方と校長先生が来校されました。クラス担任の方は、以前にも見学に来られ、今回が2度目でした。
 いまの日本社会では、学齢の子どもが法律で定められた学校に通っていないと不登校と呼ばれてしまいます。不登校の子どもは全国で10万人を越えています。ずっと自宅にいる、通信教育を受けている、家庭教師に教わっている、民間の教育機関に通っている、フリースクールに通っている……。どのような過ごし方をしているかは千差万別です。だから、不登校という言い方でくくってしまうのは、実態を把握する妨げになるとわたしは思います。
 公立学校の先生と校長先生が、湘南憧学校でAさんがどのように過ごしているのかに気を配り、週末土曜の休日に、わざわざ湘南憧学校まで足を運んでくださったのは、とてもありがたいことです。名前は在籍しながら、実際にはだれもいない机といすが毎日教室の一画にあるのでしょう。ほかの子どもたちも「ここに座るべき子どもはどんな子どもだろう」と心配しているかもしれません。わたしたちは、不登校の子どもを公立学校に戻す手助けをしているわけではありませんが、だからといって接点を遮断するつもりもありません。今回のように、Aさんを通してつながりあっている同じ「教育関係者」として、ともにひとりの子どもの現在と未来を考え、適切な学習機会の提供を尊重しあっていければと願っているのです。

4993.9.13/2004
 11日の湘南憧学校オプションタイムでわたしはたくさんの包丁を持っていきました。
 ふだん、子どもたちが家庭で目にするのは、おそらく三徳包丁だと思ったからです。包丁には、食材によってたくさんの種類があります。また、魚を調理するにはさらに複数の包丁があります。これは、わたしたちの生活が海の幸とは切っても切り離せない歴史と文化があるからでしょう。先人は、切り分ける部分によって、もっとも使いやすい道具を開発したのです。
 野菜を切る菜切り包丁。魚の背骨やえらをさばく出刃包丁と小出刃包丁。切り身を作る柳刃包丁。果物の皮をむくぺティナイフ。ひとつひとつを子どもの目線に紹介します。きっと、このようなことを公立学校で実演したら、そんな危険なことを子どもに見せてとクレームをつける人がいるでしょうね。でも、そうやって子どもたちから本物を遠ざけたら、子どもは社会との接点をどんどんなくしていってしまうのにと思います。
 イカやカツオ、マグロを削ぎ切りする実演をしました。その後で「やりたいひと?」と聞くと、柳刃包丁の鋭利な刃先におののいたのか、元気そうな子どもも表情がこわばっています。でも、勇気を出して立候補した子がいたので、怪我をしないように配慮しながら、握り飯用の削ぎ切りを教えました。初めて包丁を持つ人がいきなり削ぎ切りをするのは、本当はとても危険なことです。あてがっているもう片方の手を包丁の刃で削いでしまう危険があるからです。わたしは何度も指の皮を削ぎました。

4992.9.12/2004
 11日は、湘南憧学校の土曜開校オプションタイムの日でした。通常は平日に開校しているのですが、一ヶ月に一度だけ土曜日に開校し、子どもの興味を広げるための内容を用意しています。
 11日のオプションリーダーは、事務局長のKさんとわたし。Kさんはカルタや地図で、子どもたちの知的好奇心を高めました。わたしは、ちょうど昼の時間に握り寿司の体験学習をしました。あらかじめカツオ・イカ・マグロを準備しておいて持参しました。また、早朝から起きて子どもと大人用の寿司飯も炊きました。それにまな板と包丁をもって11時ごろ、湘南憧学校に登場。早速、準備をしてレクチャーの始まりです。
 この日は、A君の形式的に在籍している公立学校の担任の方と校長先生も見学に来られました。しばらくA君の様子を見て帰りましたが、休みの日にわざわざ足を向けていただき、ありがたい限りです。
 そのA君。6月のオプションの時には「やけどする」と聞いただけで、ドライアイスから逃げ回っていたのに、きょうはなんと包丁をもって握り寿司用の削ぎ切りに自ら挑戦しました。わずか3ヶ月間で、ここまでトライするこころを育てた本人と教師たちをほほえましく思いました。

4991.9.11/2004
 日本の近代学校教育制度が、もともと強い中央集権的な目的をもって創設された背景には、当時の社会が明治政府を単一の権力中枢と理解していなかった事情がありました。テレビもラジオもない時代です。日本中の人々が権力の交代を知っていたわけではないのは当然のことでした。だから、学校は権力の意志を伝達する装置になれたのです。  1945年以降、学校教育制度は生まれ変わりました。とくに学習内容は、大きく変わりました。しかし、同じことを日本中の子どもたちに教えてしまう制度がもつ機能は変わりませんでした。  地方が主体的に教育内容を決め、それぞれの地方に合致した人材を育てる自由は認められていません。地方の行政官や市民個々人が責任をもって、子どもの未来を築く仕組みが、これからはとても必要だとわたしは考えます。

4990.9.9/2004
 近代学校制度は、国家主義を支える大きな柱です。全国津々浦々で、同じ価値観の教育を行えば、そこに住むひとたちは、似たような考え方になります。地方によって、言葉や生活習慣が違った近世社会とは大違いです。
 しかし、いわゆる明治時代の日本社会では、学校制度はできても、実質的にひとびとが、それにならうまでには時間が必要でした。つまり、すぐには「ムラニフガクノコナク」というわけにはいきませんでした。
 学校の費用が地方財政にゆだねられていたため、教育の内容や学校の施設について、文部省が通達をいくら出しても、無視するところが多かったのです。「金も出さずに口先だけで」という受け取り方だったのでしょう。一軒家を学校にしているところもありました。複数の学校をはしごして教師をしている者もいました。
 これらが、中央集権色の強い全体主義化していくのは20世紀へ向かう頃からです。公教育費用を国家が負担する見返りに、教育内容の統一化と、国家主義の洗脳が開始されます。その時代、1894年日清戦争、1904年日露戦争、1914年第一次世界大戦、1939年第二次世界大戦、1941年太平洋戦争に、大日本帝国は参戦しました。

4989.9.8/2004
 子どもたちが、一定期間、学校に通うようになったのは、日本では1872年(明治5年)の学制頒布からです。当時は、まだすべての子どもが学校に通うことはありませんでした。「邑(むら)に不学の戸なく」で始まる学制は、当時のおとなたちには、受け入れがたい考え方だったのです。
 身分と職業が固定された近世を生きてきたひとたちにとって、わが子の人生に不必要な知識を与える学校に通わせる余裕が時間的にも物理的にもなかったことが考えられます。では、なぜ近代学校制度が創設されたのでしょうか。教科書的にいうと、四民平等社会の実現へ向けて、だれもが公平な教育機会を得ることは必要だったからになります。
 しかし、わたしはその表の側面に隠された背景があったと考えます。なぜなら、1872年は2月に帝国陸軍と帝国海軍が創設されました。3月には近衛兵が設置されています。6月には富岡製糸工場が稼動し、8月には職業選択の自由が認められました。11月には、紀元節が制定されるなか、8月に学制が頒布されたのです。帝国主義に立ち向かい、日本列島を外国の植民地にさせないために軍事力の増強が必要だったのです。つまり、大工の子どもが大工になり、漁師の子どもが漁師になっていては、いつまでも兵隊になる子どもがいません。また、多くのひとたちにとって「クニ」は、それまでの「ハン(藩)」であり、日本中の藩をまとめて国という価値観を持たせるには、家やムラから隔離した教育機関が必要だったわけです。
 そんな1872年、2月には慶應義塾の創設者、福沢諭吉が「学問ノススメ」を発行します。帝国政府は、近世のにおいのするものをよのなかから排除するのに躍起でした。廃藩置県はいい例です。行政単位は変わらないのに、名前だけを変更したわけです。12月には太陰暦を廃止して太陽暦を開始します。
 1872年8月に学制が頒布され、半年後の1873年(明治6年)1月に徴兵令が公布されたことは、日本の近代学校教育制度が強い国家統制のもと、臣民としての国民育成を目指していたのではと考えざるを得ません。だから、そこで子どもたちが学習する内容が、ひとが日常生活を送るために、あるいは将来生きていくために、必要な知識や技術であるという考え方は、わたしにはしっくりこないのです。

4988.9.7/2004
 ロシアで多くの人命が失われる事件がありました。
 新年度の始まりの日。入学や進級を祝う多くのひとたちが集まった始業の祭典に武器や弾薬を積んだ武装勢力が侵入し、治安部隊との交戦の末、350人を越えるひとたちが亡くなったのです。これは、戦争です。
 ロシアでは2年前にも劇場が占拠されたときに、100人を越えるひとたちが犠牲になりました。暴力は暴力を生むという現実から目を背けてはいけません。自分たちの要求をかなえるために、無関係のひとたちを巻き込むやり方は、国際的には賛意を得られないと思いますが、それが実行されてしまう現実を思うとき、政治権力の中枢にいるひとたちは、もっと平和的解決を視野に入れた対応策を用意しておいてほしいと思います。
 そうしないと、日常生活を不安のなかで過ごさなければならなくなり、疑心暗鬼が渦巻く社会になってしまうでしょう。だれもが主義や主張をもつことは大事ですが、それらが衝突したときに、武力によって抑制しようとする現実から脱却しないと、悲劇は繰り返されます。威勢のいい表現や利己的な感情は、自分さえよければいいという考え方を肯定します。スポーツの大原則である「相手がいるから自分はプレーできる」という考えに立ち返り、考え方の違うひとたちがいるから、地球は多様な社会を実現でき、いまの自分たちがあるんだと、多くのひとたちが気づくことを祈るばかりです。

4987.9.6/2004
 日曜日、夕刻から1990年に担任した学年の同窓会がありました。
 わたしの初任は葉山町です。そこに5年間勤務し、藤沢市の小学校に異動しました。異動した小学校で最初に担任した学年の子どもたちです。1990年に5年生、1991年に6年生と連続して担任し、卒業させました。わたしの教員経験で最初の卒業生でもあります。
 卒業以来、初めての同窓会でした。3クラスあったのですが、どのクラスからも出席者があり、合計で60人近くの「子どもたち」と再会しました。幹事の工夫で、受付で各自が写真入の名札をします。教え子たちもそれぞれに中学や高校以来の再会で、顔と名前が一致しない者もいるなかで、この名札はとても役立ちました。立食・バイキング形式のリラックスした同窓会で、わたしはギターを持っていき、当時子どもたちと歌った曲を披露しました。
 集まった教え子たちの年齢は24歳から25歳です。わたしが彼ら彼女らを担任したのは27歳のときでした。そのことを話すと、一様に自分が年を取ったことを感じていたようです。
 銀行に勤めている者、内装をしている者、レンタカー会社の営業をしている者、大学院で研究している者、福祉関係の仕事をしている者、システムエンジニアで活躍している者、歯科衛生士を目指している者、もうすぐ結婚する者、親になった者……。もうみんなりっぱなおとなです。「いまも、新しい学校つくりや曲つくり、コンサート活動なんかに熱くなってて安心したよ」とこちらが励まされました。

4986.9.4/2004
 ロシアで始業式に武装集団が襲い、多くのひとたちを人質にした事件が発生しています。
 日本と学校制度が違うので、驚いたのですが、日本でいえば、小学生から高校生にあたる年齢の子どもたちが通う学校だそうです。そして、始業式には、子どもの親や学校近隣の住民も参列していました。なかなか日本では考えにくいことです。ただ、9月が新年度の始まりなので、新しい年度の始まりを祝う意味があったのかもしれません。
 昨夜のニュースでは、武装勢力と治安部隊との間で銃撃戦が始まったと報じていました。2年前にモスクワの劇場が占拠されたときに、多数の人質が犠牲になった事件を思い出します。「テロリストの要求には応じない」という権力側の姿勢は、同時に「そのためには民間人の犠牲も覚悟する」という悲劇を想定したシナリオがあるのではないかと想像してしまいます。
 今回の事件には、多くの子どもたちがかかわっています。すでに精神的にも肉体的にも限界状態を超えていると思われます。武装勢力のとった方法は許されるものではありません。しかし、その要求の背景にあるものを考えるとき、暴力の連鎖はいつまでも続くのではないかと不安になります。

4985.9.2/2004
 ひとはある程度、やらなければいけないことや、指示がなければ、自分がどうすればいいのかわからない……。もちろん、なにからなにまでやらなければいけないことや指示だらけでは、たまったものではありませんが、ある程度は、日常を乗り越えていくときに必要なのではないかという考えです。
 わたしは、本当にそうなのか、迷います。いつか答えが出るものではないのかもしれませんが、本当に自分がするべきことが示されている日常が、多くのひとの毎日を支えているのでしょうか。たとえ、わたし個人を例にとって、そうではないと思っても、多くのひとにとっては、進路が示されたほうが生きる方向とか、するべきこととかが整理されて、物事を効率よく構築できるというのなら、その事実は大事にしなければいけないとは思います。
 先日、たまたま無料の掲示板サイトを覗きました。そこには、匿名で多くの悪態が羅列され、見るだけで不愉快になる内容が列挙されていました。返信がほとんどついていないので、書き込みをするひとのこころの闇を吐き出させているだけのものです。それだけ、日常に鬱積するものがたくさんあるのはなぜでしょうか。
 創造的な日常は、とても苦しい精神的作業が伴います。その苦しさは、だれかが救いを与えてくれるものではないので、自分を磨かないと脱することができないものです。それを避けるためには「ある程度」の目標が外から与えられたほうがいいということなのでしょうか。

4984.9.1/2004
 小学校は2学期が始まりました。子どもたちは、とても体が大きくなって登校しています。毎日会っていると感じない体の成長。42日ぶりに会うと、その成長ぶりに驚きます。日々、確実に成長していることをあらためて忘れないようにしたいと思いました。
 8月の終わりに、とても涼しい日が続いたので、もうあの暑さはさよならかと安心していたら、また蒸し暑さが復活してきました。タンスの奥にしまった短パンと、タンクトップをもう一度引っ張り出します。
 いま、全国的に一年を前期と後期の二期に分ける試みが小学校や中学校、高校で始まっています。テストや成績事務の回数を減らし、子どもたちに安定して落ち着いた学校生活を送ってもらえるようにという人もいますが、実際は法律で定められている授業時間数の確保が背景にあります。
 学期の始まりと終わりは、慣例として授業が午前になったり、球技大会などの行事が入ったりします。そのため、通常の教科指導がカットされます。子どもは、そうやって少しずつ気分を学校モードから休暇モードへとシフトさせてきました。いま、社会でおとなになっている人たちの多くはそんな子ども時代を過ごしたはずです。しかし、学習指導要領の改訂によって新しい学習領域が加わったり、各教科の授業時間数が変更されたりするなか、年間の合計授業時数は大枠として削減されないために通常の方法で課業していては最終的に不足してしまう可能性があるのです。
 わたしの知っている二期制の公立中学校では8月30日から学校が始まり31日から6時間の授業がありました。みなさんがいまの中学生だったら、憤慨しますか、意欲を喚起しますが。

4983.8.31/2004
 国内で、湘南に新しい公立学校を創り出す会と同じように市民の手による公立学校作りを目指している団体はいくつかあります。そのなかのひとつ「大阪に学校を創る会」が開いたイベントに、湘南憧学校のスタッフが参加し、春からの活動の様子を話してきました。
 子どもたちの未来を、市民の手で開拓していこうとする人たちが、各地で活動しています。その人たちが連携して情報交換することで、それぞれの活動に弾みをつけたり、意欲ややる気を喚起したりすることができます。学校は、様々な専門職の集まりなので、学校とは無縁の人たちが学校を創るのは並大抵のことではありません。悩みも多いでしょうし、苦労も多いでしょう。だから、それぞれの活動内容を交換することはとても貴重になります。
 また、自分たちの活動を人の前で話し、伝えるという経験は、あらためて自分のやっていることを頭のなかで整理することにもなります。今回は、湘南憧学校の若いスタッフがわたしたちを代表して話してきました。どんなことを伝えるのかを確認しあう会議も開きましたが、大阪の人たちの前で実際に話すのは当人たちです。緊張したでしょうが、大阪の人たちから「若い人たちに活動の中心をうまくバトンタッチしていますね」という感想が届いています。

4982.8.29/2004
 全レクでは講習会のことをレク学校と呼んでいます。
 年間を通じて多くのレク学校を開校しています。企画から準備まで、すべて全レクの中心にいる人たちが担当していますが、みんなそれぞれに仕事をもった人たちばかりです。保育や教育の関係者がとても多いのが特徴です。
 夏は、参加者の需要が多いのでレク学校は4つ開校しています。通いスタイルの「サマーレクスクール」が2回、宿泊スタイルが「関西のレク学校」と「太陽のレク学校」です。わたしは、そのうち太陽のレク学校に参加しました。
 わたしが初めて太陽のレク学校に参加した15年ぐらい前は、参加者だけで100人を越えていました。今回は、スタッフも含めて30人程度でした。宿泊スタイルのレク学校への参加者は年々減少傾向にあります。なぜ、参加者が減少してしまったのかを全レクでは検討していますが、正しいことをしていればふたたび多くの需要が集まるはずだとわたしは信じています。
 最初の頃は参加者として参加していたレク学校ですが、数年後からはゲームやソングを指導する講師という立場で参加するようになりました。お金を払って参加する人たちに、教材を指導するわけですから、生半可な気持ちで講師はできません。最初の頃はとても緊張していたのを思い出します。

4981.8.28/2004
 今年の夏もレクリエーションの講習会に参加しました。学校や移動教室などで、子どもたちと歌ったり踊ったり遊んだりする技術やものの考え方を学ぶ講習会です。
 主催しているのは、全日本レクリエーションリーダー会議(全レク)といいます。
 わたしは教員三年目に同僚に誘われて初めて参加したのが縁で、その後も参加者から運営やスタッフとして協力させていただいています。レクリエーションの講習は、ほかにもいくつかあります。でも、全レクの講習は、レクリエーションのとらえやひとを大事にする姿勢がとても明確で、きめ細かい特徴があります。
 初めは「クラスで何か使えるものを」と考えて参加していたつもりが、もっと大事なことをたくさん学べる場なのです。「ひとりひとりが主人公」「罰ゲームをしない」「生きていることは手をつなぐこと」「生きる力を仲間のなかで」など、掲げられたひとつひとつのテーマが自分を深く見つめるきっかけになります。とくに、わたしは子どもとどう向き合っていくのかを、全レクの講習で多く学びました。

4980.8.27/2004 同級生殺人事件
二二

 文部科学省は今回の事件を受けてプロジェクトチームを発足させ、八月下旬に対応策を発表しました。教師・子どもの双方のこころの悩みやインターネットを介在した子どものトラブル解決法についての指針をこれから全国に通達するそうです。
 そのことによって、救われる教師や子どもがいないとは思いません。しかし、問題発生の根本原因にふれていないので、かたちを変えた悲劇が繰り返される危険性が消えたとは言い切れません。公教育が、わたしたちや子どもたちの日常生活の隅々まで、指導と管理の目を行き渡らせている現状はなんにも変わっていないのです。東京都では来春に開校する中学校と高校の一貫校で、社会的に非難の多い内容の歴史教科書を採用すると発表しました。一国の首都で、近隣諸国からクレームの多い歴史教科書を手順にのっとって採用していくのです。
 子どもが子どもを殺してしまうなんて、とても悲しい出来事です。そこまで、子どもたちの内面を追いつめている社会の「学校化」現象に歯止めをかけないと、子どもたちは自分で考えることをやまたままおとなになってしまいます。近代日本は、高度に物があふれ、情報検索が可能な社会に到達しました。その即時性を直視しながら、未来に向かって必要な教育や社会のかたちを考え、創造していかなければならない時期に、懐古主義とも思えるかつての押しつけを堂々とまかり通してしまってはいけないと、わたしは考えます。(完)

4979.8.22/2004 同級生殺人事件
二一

 Aの両親は、四日に長崎少年鑑別所で面会しています。面会に同席した弁護士によると「元気してるか」と問う父母に、Aは視線を合わせずにうなずいたそうです。また「朝晩、手を合わせて被害者が天国に行ってくれるように拝むんだよ」と伝えると、大きくうなずいていたそうです。
 もしも、自分の子どもが同級生を殺してしまったらと思うと、とても辛い気持ちになります。少年鑑別所で面会する両親の内面を思うとき、日本の近代社会が理想としてきた家族像は、本当に理想だったのかと疑いたくなりました。
 近所の人たちは、仲のよい家族と口をそろえます。休日になると家族で買い物に出かけました。Aは遊びに行った先でも、きちんとしつけられた礼儀正しい子に映ります。
 親としてのつとめを十分にこなし、問題なく育っていたと思った子どもがたどりついた先が、少年鑑別所では悲劇としかいいようがありません。
 理想の家族を続けるのは、無理のあることなのでしょうか。Aは四年生の文集で「表と裏があるらしい」と自分を分析し、五年生の詩では「苦汁、絶望、苦しみがわたしを支配する」とつづります。

4978.8.21/2004 同級生殺人事件
二〇

 友人との悪ふざけのなかで傷つき、その是正を求めたけれど相手にされず、立腹し、殺害を決意する……。とても単純な思考ですが、そこには矛盾がありません。わたしは小学校の現場で、殺害までは到らなくても、失明など後遺症の残るようなけがを負わせる事故(と学校は呼ぶ)に何度も遭遇しています。
 子どもは、自分の不安や口惜しさを増大させる存在に対して、おとなが想像する以上に残酷かつ冷淡になります。その残虐性は子どもの多くが自然にもっているもので、心身の成長とともに、解消されていきます。しかし、解消の術やチャンスのないまま成長する子どもが増えているのは事実です。少年の凶悪犯罪や異常な殺害方法による事件が増えていることからも、そのことが分かります。
 それは、テレビゲームやインターネットの普及と関係があると主張する声がありますが、わたしはそんな単純なものではないと思っています。もっとも大きな理由は、閉塞する近代核家族の限界です。仕事と生活を分離し、父母と子どもという少人数による生活の継続は、アメリカの「家族像」を踏襲することで成立してきました。しかし、その家族像は、とても表面的なもので、親族や近所、地域社会が一体となった子育てを放棄した無責任性を隠蔽するものでしかないのです。

4977.8.19/2004 同級生殺人事件
一九

 五月下旬にAは、Mさんら同級生と学校内でおぶさるふざけあいをしていたときに「重たい」と言われます。自分が太っていると思われているのかとMさんに文句を言いましたが、謝罪などの期待した反応はありませんでした。その後、Mさんがホームページの掲示板に「ぶりっこ」と書き込みます。Aは仕返しに、Mさんのホームページを書き換えました。そのとき、ぶりっこと書かれたことに立腹し殺害を決意します。
 わたしは、この思考の流れは警察に事情聴取を受けるなかで、Aがかなり自分のしたことを言語で振り返り始めたものではないかと思いました。小学生の内面は、自己中心的なものに支配されています。特に自分が不利になるような状況では、親友を裏切ってでも自分の正当性を主張します。怒られる存在になることを極端に嫌います。それだけ近代核家族は、子どもの失敗を許さなくなってきています。親もわが子への期待ばかりが大きくて、短所や欠点と真正面から向かい合おうとはしません。
 その状況にあって、親からも友人からも隔離され、これまで経験したことのない空間で、自分のしたことを思い出すのは、もしかしたらもうひとりの自分を感じられるようになってきているのではないかと思いました。

4976.8.14/2004 同級生殺人事件
一八

 Aは授業中に教師から目を背けて頬杖をつき居眠りをしたり、絵を描いたりするようになりました。放課後に気の弱い男子に「ばか」と毒づきました。それまでのAには見られなかった行動に、周辺は内面の変化を感じます。しかし、わたしの知る限り、六年生の女児で、授業中の居眠りや頬杖、絵を描く、男子を毒づくことは一般的です。珍しいことではありません。バスケットボールを親の意向によって退部させられた後から、こうのような行動が見られるようになったそうですが、それはそれまでのAが無理をしていて、やっと十二才の普通の行動が取れるようになったのではないかと思います。クラスメートはAを「怖い」といって遠ざける雰囲気があったそうです。それまでの自分崩しをしていく過程で、失うものがあるのは当然のことです。それまでの自分を捨てていくからこそ、自分が崩せるのです。
 事件のあった六月一日の四時間目は卒業論文のテーマを選んだ理由を作文にしていたそうです。AもMさんも黙々と鉛筆を走らせました。授業が終わって一五分後にAはMさんを殺害します。

4975.8.13/2004 同級生殺人事件
一七

 Mさんは四年生の春に大久保小学校に転校してきました。AとMさんはともに絵がうまく、すぐに友だちになります。五年生の秋に行われた宿泊体験学習の文集には、ふたりで裏表紙にイラストを描きました。自分たちをモデルにしたイラストの中で、ふたりは手を組みピースサインをして笑っていました。
 五年生の冬にAはレギュラーを目前にしたバスケットボール部を退部します。小学生が入部するバスケットボール部とはどういう位置づけのものなのでしょうか。学習活動の一環としてのクラブ活動だとしたら、とりたてて退部しなければならない理由はないように思います。また、いままでのわたしの経験では、特別活動のクラブ活動をやめる子どもには出会ったことがありません。そうではなくて、社会体育の一環としての、いわゆるスポーツ少年団系のバスケットボール部だとしたら、地域によってかなり練習量に違いがあるでしょう。そこでレギュラーになることは、練習のたまものだし、自己肯定感を高める大きな存在だったと思います。やめた理由はわかりませんが、母親の意向によってやめたとメディアは報じています。
 この頃から「やさしくてみんなに好かれていた」Aの様子が変わりました。

4974.8.10/2004 同級生殺人事件
一六

 Aの弁護人は三日、女児との面談の様子を会見で伝えます。「なんでやったのか。よく考えて行動すればこんなことにならなかった。(遺族には)会って謝りたい」と話していたそうです。
 女児は殺害したMさんらと三人で四月から、インターネット上の掲示板でやりとりを始めています。そのなかで不愉快なことが五月頃にあり、一人で悩んでいます。インターネットの掲示板やチャットなどの情報共有空間は、匿名性が高い場合は互いに個人的なことを知らないために、関係を遮断する軽さがあります。しかし、女児たちのように互いのことを知っている場合は内容に関係なく互いの関係を遮断することができません。人間関係を壊すようなやりとりがあった場合、実際の生活のなかでも顔を合わさなければならない重さと背中合わせです。

4973.8.9/2004 同級生殺人事件
一五 事件背景

 子どもどうしのトラブルや少年犯罪の背景には、必ず家庭環境が起因しています。もしも、家庭環境にまったく問題がないとしたら、その子どもは成長の過程に親の影響を受けていないことになり、親と離れ離れの生活をしているとしか考えられません。しかし、こういった親の多くは自己の子育て責任を認めようとはしません。間違った子育てをしていたと認めたら、親としての自分の生き方やいまの生活が根底から覆され、あしたを想像することができなくなってしまいます。その結果、多くは「子ども本人の資質(もって生まれたもの)」や「ほかの影響(学校や地域・交友関係)」に原因をすり替えてしまいます。みんな、自分に責任が降りかかるのを避けようとします。そういった責任を真正面から受け止める親もいます。そういう親の子どもは、トラブルや犯罪を起こしたりはしないのです。
 だから、佐世保のとてもショッキングな事件背景を考えるとき、Aの生育歴や家庭環境を考えないことはできません。しかし、わたしにはこの情報を得る方法も権限もありません。だから、ここではもっとも重要な事件背景には触れないで、そのほかのことについて考察します。

4972.8.6/2004 同級生殺人事件
一四

 ひとを殺してはいけないとか、命の尊さとかを子どもに言って聞かせたところで、子どもの内面には変化はありません。ひとを殺してはいけないのなら、なぜ死刑はあるのでしょうか。だったら、罪のないひとは殺してはいけないというべきです。また、罪のないひとは殺してはいけないというのなら、なぜ罪のないひとたちがたくさん殺されているアフガニスタンやイラクへ自衛隊を派遣するのでしょう。おとな社会が解決できていないことを、子どもたちに押しつけても教育的な価値は生じません。
 ひとを殺したくなったとしても、ぐっとこらえ、自分もひとも大事にする生き方はできないものかを、ともに考えあうことが必要なはずです。考え方や感受性が違う個人がいれば、衝突するのは必然です。その衝突を回避するために、互いを傷つけない範囲で折り合いをつける方法を学びあわなければいけません。暴力や押しつけ、権威を使ったごり押し、指導という名の強制からは、なにも生まれないし、問題を複雑にするだけだということを、教育の専門職はどうして気づかないのでしょう。

4971.8.5/2004 同級生殺人事件
一三

 事件のことを知らされたAの父母は「子どもは問題なく育っていた。成績もよく、頑張り屋だったが、なかなか自己主張できないところがあった」と話しています。事件の後、すぐにAと面談した佐世保児童相談所の所長も「普通の家庭の普通の子ども」という印象をもったそうです。警察の捜査関係者も「かわいらしい、普通の子。本当の動機は仲のよかった二人にしかわからないかもしれない」と。
 事件のあった大久保小学校の校長は二日に会見をしています。「あってはならない問題を起こし、ご家族におわびのしようがない。安全であるべき学校で多くの子どもに心配と迷惑をかけ、おわび申し上げます」「(Aは)毎日、正門に走りこんでくる明るい子。変わったことがあったとは担任から聞いていない」と釈明しました。しかし、事件の核心については「担任から聞いていない」「わかりません」を繰り返し会見は途中で打ち切られました。
 触法行為をする子どもは、普通ではない家庭の普通ではない子どもとは限りません。明るくない子どもとも限りません。成績は悪い子どもとも限りません。親や学校関係者は、ひずみを一心で受け止める弱い立場の子どもに限らず、逆に優位に立っている側の子どもの内面にも、今回のような閉塞感と、ひとを殺してしまおうとする狂気が育っていることを認識しなければなりません。閉塞感と狂気は、言葉によって指導し改善されるものではなく、閉塞感や狂気を生んでいる土壌を変えない限りなくなりません。

4970.8.4/2004 同級生殺人事件
一二

 「うぜークラス つーか私のいるクラスうざってー」「(同級生に対して)下品な愚民や」「喧嘩売ってきて買ったら『ごめん』とか言って謝るヘタレや」「高慢でジコマンなデブスや」。加害女児Aが自分のサイトに載せていた文章です。
 この文章から、Aはネット空間の広さと深さをまだ分かっていないことが見えてきます。小学生から中学生にかけてのサイト運営者の多くに見られることですが、自分のサイトを、消しゴムやペンのいらない日記・ノート代わりにしてしまう傾向があります。世界のどんな人でもアクセスできるインターネットの機能は、おぼろげに分かっていても、そこから引き起こされる危険は想像できないのです。
 だから、文章なのに、話し言葉を使ってしまう、その話し言葉は本当の話し言葉より過激だったり、語彙が豊富だったりして、話し言葉に見せかけた活字になってしまう、その結果、自分の内面を告白してしまいます。
 Aがサイトに書き込んだ言葉をめぐって、ひどい内容だ、言葉遣いが悪いと眉間にしわを寄せるおとなは多いでしょう。しかし、そういった人の身近では、Aと同じ内面の子どもがいると思いますよ。理解のまなざしと、専門性の翼をもってAの書き込みを受け止めると、これらは全部A自身のことのように思えてきます。

4969.8.3/2004 同級生殺人事件
一一

 六月三日、大久保小学校は授業を平常再開します。
 Mさんの机上には白いゆり二本とピンクのバラ二本が生けられた花瓶が置いてあったそうです。加害女児の机は撤去されてしまったのでしょうか。そのことに関する報道はありません。
 加害女児のAは、サイトをもち、ほぼ連日更新していました。サイトにはアクセス者の書き込みの可能で、サイバー空間での交友も行われていたようです。事件後、小学生がネットを使った情報交換をしていることを驚きをもって伝えるメディアがありましたが、サイトまでやらなくても、いまの小学生の多くは携帯電話をもち、メール交換をひんぱんにやっています。サイバー空間での活字のやりとりのなかに子どもたちの特異性を見つけようというのは、ちょっと現実と乖離した報道姿勢のような気がしました。

4968.8.1/2004 同級生殺人事件
一〇

 事件の起こる四日前。五月二八日。AはMさんを殺すつもりでした。しかし、このときはカッターナイフを使う図工の時間がありませんでした。
 六月二日。佐世保児童相談所はAを長崎家庭裁判所に送致します。これを受け、家裁はAの観護措置を決め、身柄を長崎少年鑑別所に移しました。事件の翌日のことです。どのような理由があったにせよ、Aは事件の後に自分の生活がこれほど激変してしまうことを、少しでも想像できたなら、同級生の殺害などしなかったのではと思います。いや、そのようなことを考える気持ちの余裕は五月二八日以降はなくなっていたのでしょうか。
 家裁は、鑑別所でのAの行動を最長四週間観察し、審判を開くかどうかの処分を決めます。
 事件の一〇日前、Aは髪を切ります。そのことをインターネットの掲示板に書き込まれました。Aの供述では、Mさんにも書き込みをやめるよう求めたといいます。この書き込みは何度か続き、結果的にAは殺害を決心しました。

4967.7.31/2004 同級生殺人事件


 事件のあった六月一日。大久保小学校の校長は別の場所で校長会に出席しています。学校からの連絡を受け「教室が血の海のような事故がおきているので、とにかく帰ります」と報告し、校長会を退席しました。学校に戻るまで、心臓が飛び出しそうな衝撃を抱えながらの道中だったことを察します。
 事件があったのはお昼でしたが、この日は事件発生当時の状況や原因について、学校側から保護者への連絡はありませんでした。Mさんが亡くなったことも、事件発生から六時間が経過してから子どもたちに報告されました。子どもと保護者、そして学校の職員も、前代未聞の事態に直面し混乱していたのでしょう。
 長崎県警は、佐世保児童相談所の委託を受け、事件翌日の二日から加害児童Aの事情聴取を開始します。佐世保市教育委員会は当初「AとMはパソコンでメッセージをやりとりするチャット仲間だった」、担任教師は「ふたりは仲がよかった」と発表しました。事情聴取を受けたAは、興奮した様子は見られず、普通の状態だったと伝えられています。カッターナイフで同級生、それも仲がよかったと伝えられている子どもの首を切り、殺してしまった内面を抑えた演技なのでしょうか。それとも、自分のやった記憶が事件の前後で消失してしまったのでしょうか。わたしは以前スキーで首を怪我したことがあります。そのとき、勢いよく吹き出る血液に、自分で貧血を起こしそうになりました。その後も、夢やふとした瞬間にそのときのことはよみがえります。Aは、自分の手で、ほかの人の首を切りつけました。脳裏に焼きついた場面を、気持ちがどのように整理しようとしているのかがわかりません。

4966.7.30/2004 同級生殺人事件


 今回の事件を受け、二日の新聞には首相・官房長官・文部科学大臣の談話が掲載されています。
 首相「悲しいですね。事情をよく調べて再発しないように対応しなきゃいけない」。官房長官「本当に痛ましい事件だ。想像をはるかに超えた事件だが、経緯や背景などは早急に把握して、きちっとした対応を取るべきだ」。文部科学大臣「本当に痛ましい事件で言葉を失っている。ご冥福を祈りたい。学校現場における凶器の取り扱いとか、人を傷つけてはいけないとか、命の教育、心の教育はどうあるべきかをもう一度考えていかなくてはいけない」。
 教育に関する行政の責任者の談話としては、やや具体的な対応が欠けています。おそらく、談話の内容は多くの人々が事件の一報で直感的に感じたことです。しかし、悲嘆にくれていては問題の本質は見えてきません。わたしの知っている教員は、この事件について「個別的なことなのだろうか」と話しています。個別的なこととは、この佐世保の小学校でだけ起こった特別なことという意味です。もしも、そうだとしたら他の地域、他の学校では類似事件は起こりません。自分の身近に同様な事件が起こる可能性があるのかないのかを考えることが重要です。安易に、個別的なことを決めつけたら、それ以上考えるのをやめてしまうでしょう。

4965.7.29/2004 同級生殺人事件


 六月一日。大久保小学校の学習ルームの到着した救急隊員は、右首に深い傷があり、手の甲にも傷のあったMさんを目の当たりにしました。すでにMさんは心臓が停止していたので、救急搬送はされませんでした。絶命していたのです。あまりにも凄惨な場面に、Mさんと同世代の子どものいる救急隊員のなかには、家族と話ができない「惨事ストレス」症状にかかり、専門家のケアを受けることになります。救急隊員は、多くの事故現場を経験していると思われます。そのなかでも、今回の事故現場はとりわけ凄惨だったのでしょう。救急車は、回復の見込みがあるときのみ病人やけが人を医療機関に搬送します。しかし、すでに絶命していた場合は搬送しません。この救急車の所属する消防署には、搬送をしなかったことを批判するメールが複数届きました。専門家のケアを受けることになる退院の症状を、そのメールがさらに悪化させました。
 Mさんの保護者には事件発覚後学校からすぐに連絡が入ります。保護者は新聞会社に勤務されている方で、日ごろ、ご自身が事件の関係者にマイクやカメラを向ける側だったのが逆転し、事件当日の夜には会見を開きます。「娘がけがをした」という連絡を学校から受け、現場にかけつけたときにはすでに娘さんは倒れ、絶命していました。「目に映っているものがうそだろう」という感じがしたそうです。うそであってほしい、これはとてもたちの悪いジョークだと思いたい感情に、押しつぶされそうになったことと思います。わたしの目には、保護者の方はとても憔悴していました。なのに、話の内容やものの話し方は、筋が通っていて、しっかりしていました。嘆き苦しむ人たちに、仕事とはいえ、感想や意見を求める新聞記者という仕事をしていることを踏まえ、自身が被害者遺族になったことを消化し、悲しみや怒りをとても抑制しているように思えました。もっともっと本音をぶちまけ、もっともっと取り乱したほうが、いまの混乱からさらに深みにはまらなくて済むのにと感じました。

4964.7.27/2004 同級生殺人事件
六 事件経過

 その一面はとてもショックでした。
 毎日新聞六月二日の朝刊。黒の背景に白抜きの文字で「小6女児切られ死亡」。隣りの行には「同級生にカッターで」とありました。事件のあった小学校の航空写真と、被害女児の顔写真が載っています。
 神戸で小学生が「さかきばらせいと」を名乗る中学生に殺された事件のとき、これから大変な時代が始まると予感しました。以来、学校を悲劇の舞台とした事件が勃発しました。多くの場合、子どもたちは被害者でした。しかし、今回の事件は、同じクラスの女の子どうしが加害者と被害者になるという最悪の事態でした。
 六月一日。佐世保市立大久保小学校(出崎校長・187人)。給食の配膳の時間でした。午後0時半ごろ、いただきますの挨拶をするときに、六年生の担任がふたりの女児が教室にいないことに気づきます。すでにこのときには殺害は実行され、現場となった学習ルームでは被害者のMさんは大出血をしていました。加害者のAは、自分の手に血をつけたまま教室に戻ってきたところを担任に見つかり、Mさんが学習ルームにいることを告げます。驚いた担任は教頭とともに学習ルームで倒れているMさんを発見。消防に通報します。このとき、学校はとても混乱しました。救急隊員が学校にたどり着いたとき、ことの顛末を説明できる者が玄関にいなかったため、学習ルームがどこか救急隊員にはわからなかったのです。校長は当時市内の校長会に出席し学校にはいませんでした。管理上の責任を代行する教頭が、直面した悲劇に混乱したのはやむを得ないことですが、せめて救急車が到着したときに、現場まで誘導する職員の手配ができなかったことは悔やまれます。救急隊員が現場に到着した午後1時前。すでにMさんは心臓停止状態でした。
 この事件とは無関係ですが、同じ日の早朝午前8時半ごろ、兵庫県内のマンションで一一歳の小学校五年生女児がマンションの一四階から遺書を残して飛び降り自殺をはかり、死亡しています。

4963.7.26/2004 同級生殺人事件


 子どもが使っていた机や椅子、ロッカーは、いままで通りなのに、それらはもう使われることはありません。使われることのない机や椅子、ロッカーを毎日毎日目にする多くの子どもたちは、どんな気持ちになるのでしょうか。
 事件のあった小学校は、とても早い時期に授業を再開しています。日常を変えないことによって、ほかの子どもたちへの動揺を抑制しようというねらいがあるのかもしれませんが、本来ならば動揺していい状況を、教育的配慮によって、無理やり抑制してしまうのは不自然です。その後の報告ではPTSDで苦しむ子どもの発生が報告されました。やっぱり、事件当初は、多くの子どもが内面に爆発しそうな不安や悲しみを抱えていたのです。

4962.7.24/2004 同級生殺人事件
四 学校の危機管理

 担任しているクラスの子どもどうしが殺人事件の当事者だったら、わたしはしばらく子どもたちの前に立つ気持ちにはなれないでしょう。そうはいっても「仕事なんだから」と自分に言い聞かせても、どんどん自分が無表情・無感動になっていってしまう気がします。
 ましてや、事件前に引き続き、教科学習を指導することなど、とても機械的で、また子どもたちにも学力がつくとは思えないのです。
 きのうまで、ともに語り、ともに学びあっていた同級生が、ある日を境にして、殺人の加害者と被害者になったのです。その衝撃的な事実は、時間の経過とともに消失するものではありません。六年生のあるクラスから、卒業まで二人の子どもが確実にいなくなりました。引っ越したわけでも、病気になったわけでもありません。ひとりはいのちの灯火を消され、ひとりは社会から隔離されたのです。

4961.7.23/2004 同級生殺人事件


 クラスでものがなくなったり、靴箱の上履きが隠されたりしただけでも、事実の解明はとても難しく、対応を誤ると、保護者との関係を悪くしてしまいます。
 ましてや、今回のようにひとのいのちにかかわる事件の場合は、当事者の間だけで確認が必要なことが山ほどあると思うのに、一方の言い分を電波や活字を通じて多くのひとたちに伝えてしまうことは、真相究明を遅らせてしまうのではないかと危惧します。
 なかには、ホームページの作り方やカッターナイフの学校への持ち込み状況など、事件の本質とは無関係としか考えられない内容を伝えているものもありました。
 メディアに携わるひとたちは、小学生が課業時間帯に、同級生をカッターナイフで切りつけた事件を、数ある殺人事件のひとつとしてとらえているような気がしました。

4960.7.22/2004 同級生殺人事件
二 事件報道

 事件後、新聞各紙、テレビ局が報じた加害女児の動機と、事件の経緯は、事実を多面的にとらえ、真実を明らかにするジャーナリズムの本質から大きく外れている気がしました。
 被害女児はすでに亡くなっています。報じられた内容の多くは、加害女児の言い分でした。加害女児は小学校六年生です。言い分のどこまでが本当のことで、どこからが虚構のことなのか、話に一貫性があるのかなどの検証をせずに、児童相談所・代理人・警察の公式発表をそのまま報じていては、伝えられる側は、おもしろおかしくドラマや映画を鑑賞する感覚で事件を受け止めてしまいます。また、伝えられる内容がほぼそのメディアも同じだったことから、独自取材の努力を感じることができませんでした。
 子どもどうしの事件は、事実の解明がとても難しいのを学校で働いてきた経験から、わたしは強く感じます。子どもは質問者の誘導にとても乗りやすく、表現力が乏しい傾向にあるので質問に「はい」「いいえ」で応じてしまいやすいのです。

4959.7.20/2004 同級生殺人事件


 七月六日、新潟県で小学校六年生男児が、同じクラスの男児を、自宅から持って来た柳刃包丁で切り付けました。被害男児は、二週間の怪我を負います。
 事件が発生したのは、午後一時の教室。昼休みです。長崎県佐世保市で、小学校六年生女児が、やはり同じクラスの女児をカッターナイフで切りつけた事件から、まだ一ヶ月も経っていない時期の凶行でした。
 新潟の加害男児は「おとなしくて成績のよい子ども」だったと伝えられています。長崎の場合も同じように伝えられています。学校現場は、うるさくて成績の悪い子どもが、触法行為をするのを当然と考え、おとなしくて成績のよい子どもが触法行為をするわけがないと考えています。どちらも触法行為をしていることには変わりはないのに、学校的価値のよしあしによって、子どもの見方を変えているのです。これは教職員だけのことではなく、学校を取りまく地域社会に、強く広く浸透している考えだと思います。

4958.7.17/2004
 この時期、全国的に学校は夏休みを迎えます。子どもは長い休みになりますが、教職員は自宅での研修が認められず、子どものいない学校に出勤しなければならなくなりました。「学校でできることを家でやってはいけない」という指導が教育行政から各学校の校長に行われ、校長たちは従順にこれに従って教職員に限りなく命令に近い指導をしました。
 いつもこの時期のウエイは、子どもたちのことを書き記すことができないので、教育に関する話題をピックアップします。憤懣やるかたない教職員への人事管理について考察をしようとも思いましたが、それでは自分が惨めになるだけなので、資料を集めながらエッセイにまとめようと思っていた、ある事件について連載することにしました。
 ある事件とは、わたしのこころでは、まだ強烈な爆弾として燃え続けているのですが、マスメディアはもうまったく忘れてしまったかのような、長崎のあの事件のことです。
 長崎同級生殺害事件。新聞を中心に事件に関係のある資料を収集しました。まだ事件の真相が明らかになるには時間がかかると思うし、もしかしたら少年法の関係で真相は闇のなかに消えていくかもしれません。せめて、遺族の方々には、事件の背景や真相が伝えられる日が来ればいいと思っています。興味本位や野次馬根性で、この事件に関するコメントを述べようとしているのではありません。あまりにも悲劇的な事件が、ついに起こってしまったことを、いま分析しなければ、学校、とりわけ公立学校は、社会から存在意義や必要性を問われ、消滅してしまうだろうと予想するからです。

4957.7.16/2004
 在日アメリカ軍が極東地域における軍事基地の再編に乗り出しています。すでに、非公式に日本政府に対して、厚木基地の機能をほかの地域に分散する考えを示していたそうです。非公式というのが不可解です。このように重要なことを、なぜ堂々と表立てることができないのでしょうか。
 神奈川県内にはアメリカ軍の基地がたくさんあります。横須賀と厚木にはさまれた湘南地域は、年中、アメリカ空軍のジェット戦闘機の騒音に悩まされています。授業の途中で、話を中断することは珍しくありません。基地の周辺は国の予算で騒音を防止するために窓を二重三重にする工事が行われています。夏も窓を閉めておかなければならないので、エアコンも国の予算で設置されています。しかし、飛行機は突然空港の手前に現れるわけではありません。太平洋上から飛来した戦闘機や軍事ヘリコプターが厚木基地に着陸するまでには、必ず湘南地域上空を通過します。それも空港が近いのでかなり低空での飛行です。その騒音といったら、精神的におかしくなりそうな限度を越えています。今後、厚木基地の機能分散が具体的になったとき、どこが候補地になるかはわかりませんが、日本の空は静かだと信じて疑わない地域の人たちにも具体的なイメージをもってもらえたらと願ってやみません。

4956.7.15/2004
 きょうは更新が早いです。昨晩午後9時過ぎに寝たら、今朝は午前5時前に目覚めました。気分は爽快。早寝早起きは、からだのリズムを作るのに一番いいですね。いままだ午前6時前です。
 朝刊を読んでいたら、マイクロソフト社のウインドウズXPに新しい欠陥が見つかったという記事が載っていました。いまのパソコンはほとんどインターネットにつながっていますね。そのため、オンラインでの情報のやりとりが可能になっています。その利便性を悪用する人たちが世界にはたくさんいます。そんなことを嘆いていても、なにも始まりません。情報時代に対処するには、悪用する人たちの「うえ」をいって、自分のパソコンが被害にあわない工夫をすればいいのです。その工夫は「だれかが」「自動的に」サービスしてくれると思ったら、大間違い。「だれかが」「自動的に」あなたのパソコンを外部から制御すること、そのものが「攻撃」なんです。
 ウインドウズのアップデートで「KB840315」「KB841873」「KB839645」の3つの修正ファイルのうち、ダウンロードしていない修正ファイルをインストールしましょう。わたしは、まめにアップデートをしていますが、今朝のスキャンで、この3つがインストール待ちになっていました。これらの修正ファイルをインストールしないと、パソコンが、外部の者によって勝手にコントロールされてしまいます。コントロールとは、ファイルの削除やプログラムの終了を意味します。プライベートレベルでは、このように問題が発生したときに柔軟に対応できますが、組織になると担当者が忘れただけで大きな被害へと結びつきます。大きな被害が出ると、メディアがこぞって報じます。そうなるずっと前に、問題は発生していたという事実は、あまり伝えられません。

4955.7.14/2004
 これからの時代は、自分の考えを相手に伝える能力が重要になります。それは、伝えるという技術的なものだけでなく、なにを伝えるかという視点の持ち方も重要になります。
 いままでの学校教育は、等しく同じ能力を多くの子どもに求めたので、論理的には何かを伝えるとき、みんな同じことを伝えても不思議ではありませんでした。しかし、みんなが同じことを伝えるのでは、最初の子どもだけが伝えれば、ほかの多くの子どもは復唱に過ぎず、聞いているほうは飽きてしまいます。また、知っていることや伝え方の差異ばかりが目立って、肝心の伝えたい気持ちや、感動するもの・こととのワクワクした出会いを損なってきました。
 結果として、うまく伝えられない・何を調べたらいいかわからない子どもがたくさん育っています。自分の考えや気持ちを相手に伝えられないと、関係性が構築されません。なかみのないことをうまく伝えても、ひとは信用しません。技術は教えることによって補えますが、興味あることへのワクワクした気持ちは、教えて身につくものではないのです。もともと持っている好奇心を、つぶさないようにすることで、興味や関心の翼は大きくなっていきます。

4954.7.12/2004
 きのうは国政選挙・参議院選挙でした。
 わたしは用事があったので早朝に投票してきました。とても天気のいい朝だったので投票率が低いと直感しました。
 今朝のニュースでは、自民党が現有議席を下回る一方、民主党が大きく議席数を伸ばしたと報じています。しかし、自民党と公明党による過半数体制は変わらず、世論は大きな意味でいままでの政府の政策を支持している結果になりました。
 普通選挙の仕組みは、憲法が保障している基本的人権を守り、育てる大事な仕組みです。だから、選挙の結果が自分の思った通りではなかったとしても、それを現実否定へ結びつけるのは危険なことです。ただ、多くの人たち、とくに投票した人たちにとって、年金関連法案の改正、イラク特別措置法による自衛隊の派遣など、近年の政府の政策は必要なことだったとの認識が強かったことがわかり、少なからずわたしはショックを受けています。
 このショックを今後自分のなかで、どう整理していこうか迷うところです。政治は、だれかがやってくれるものではありません。わたしたち、ひとりひとりの声を代弁してくれる人たちが議論し、作っていくものです。その国会に、わたしという個人的な存在の代弁者がいないかもしれないという気持ちは、今後の身の振り方や生き方をとらえなおすきっかけになりそうです。

4953.7.10/2004
 きょうは地元の子ども会の夏祭りがありました。
 わたしの子どもはもう小学生ではないので、我が家は子ども会卒業なのですが、近所の居酒屋に子ども会のスタッフ協力依頼の回覧板が回ってきたとき、マスターがわたしの名前を書いてしまったので、協力することになりました。ずっと、夏祭りでは焼きそばを作ってきたので、今回も焼きそばを担当します。
 毎年、いっしょに焼きそばを作っている親父たちと230人分作りました。1回に9人分しか作れない鉄板なので、26回も交替しながら作りました。作った焼きそばを入れ物に小分けしたり、掃除をしたり、手伝いの人たちに指示を出したりするのは、Eさんの仕事。彼は、以前外食産業で現場のチーフをしていたから、こういうのはプロ。ゴミが出ない工夫や、ものを作ってお客さんに出す流れを教わると、ノウハウにいちいち納得。プロは研究しているなーって感動しました。ちなみにファミレスでは、注文から品出しまで13分以内っていう規定があるそうです。

4952.7.9/2004
 もうすぐ小学校は夏休みを迎えます。
 夏休みの間の教職員の勤務は、教育公務員特例法の定めにより、必ずしも学校を勤務地にしなくてもいいように定められています。所属長(校長)の認めるところにより、勤務地を離れての研修が認めれらています。
 勤務地を離れての研修は大きく2つに分類されます。ひとつは教育委員会など公的機関が企画する研修です。これは、出張の扱いになり、交通費も支給されます。研修に参加すれば、研修内容の報告は強制されていません。もうひとつは、各自が自分で考えて企画し実行する自主研修です。これは、出張にはならないので交通費は出ません。研修先が有料だった場合も全額自己負担です。終了後、参加したことを証明するもの(写真や半券など)を添付した報告書を提出しなければなりません。どちらも同じ研修なのに、扱いが大きく異なるのは、自主研修に名を借りた休暇をとっている者が少数ですがいたからです。
 かつては、自宅での自主研修も認められていました。自宅で教材研究をすることは、日常では時間がないのであまりできません。ゆったりとした時間のなかで、次の学期の準備をすることも研修のうちだったのです。現在は、学校でできることは自宅ではしてはいけないという決まりになりました。そのため、研修目的の教材研究は、出勤扱いの勤務地でしなければならないのです。
 自主研修も、徐々にですが縛りがきつくなってきています。また教員のなかにも、報告書の提出や費用の自己負担をリスクととらえて、公的機関の企画する研修に参加する割合が増えています。わたしは、日ごろ、勤務地を離れることができない教員という職業の特性上、子どもたちが長期休業のときは、積極的に社会に出て、自分の目で見たり、自分の耳で聞いたりする機会を選択しています。そのため、毎年膨大な報告書の作成に追われます。報告書を作るために研修をしているわけではないのに。これからの時代は、自分の頭で考えることができる能力が求められます。与えられた研修機会だけをこなしていては、子どもに「自分の頭で考えよう」と指導できません。また、自分の頭で考えることの苦悩と喜びを肌で感じることはできないでしょう。教育行政の求める教員の未来像は、もっと長期的な視野に立つべきではないかと思います。

4951.7.8/2004
 学校では30人前後の子どもたち(40人近いクラスもあります)が、同じ空間で同じことをしています。
 そのこと自体に無理があることを、わたしは同僚教員らと1998年に前任校で意見し、学級枠を外した学習指導体制を実現しました。しかし、学校、とくに小学校は6学年もあって、特定の学年だけ学級枠を取り外しても、学校全体とのかねあいのなかでは、集団としての行動を要求されました。
 部分的な改善は、子どもの日常に小さな変化はもたらしても、長期的な見通しをもつことを認めませんでした。だとしたら、同じ空間で同じことを強制させられる子どもたちのなかから、悲鳴や苦痛の叫びがあがったとき、それらを救済する手立てを用意しておくべきです。学校現場の教員たちに、それらを考案し実現する権限が与えられていない以上、その用意は教育行政関係者が責任をもってするべきなのです。
 しかし、わたしの知るところでは、「毎年報告する不登校者数を減らすこと」「子どものこころの問題を汲み取ること」みたいな通達しか出てきません。同じ空間で、同じことをするタイプの人間ばかりが高い評価を受け、ひとと違うことを自分のペースでやり遂げたいタイプの人間は排除され続けています。排除され続けた子どもたちは、公的な教育機会から排除され、代替機関を親といっしょに探さなければなりません。でも、その子どもや親たちは、自分の目で確かめ、自分の足で探す経験を通して、学びの選択権を行使し始めています。
 いま、同じ空間で同じことをしている子どもたちのなかに、刃物で同級生を殺傷してしまう子どもが育っていることを、「学級担任と子どもたちとの親密な関係こそ小学校教育」と言ってはばからなかった人たちは、どう思い、どんな手立てで問題を回避しているのか、ぜひ知りたいと思います。

4950.7.6/2004
 毎日新聞の「うちの子・自閉症児とその家族」という短い連載がきょうで終わりました。ご自身が自閉症児の父親である神戸記者を中心とするチームが執筆していました。
 地域社会や学校の無理解によって、自閉症児やその家族が精神的にも肉体的にも、とても追い詰められている現実をていねいに取材しています。とくに、子育てを苦にしての自殺や心中事件のなかに、かなり高い割合で自閉症児とその家族がいるという文章は、わたしのこころに残りました。長年、学校で働くと、とてもたくさんの子どもと出会います。同時に、同じ数だけの親とも接点をもちます。子どものなかには、集団生活に適応できない、集団の秩序を乱す、身辺的自立がはかれない、自己中心的でわがままな子どもが少なからずいました。さしたる研究をしていなかった頃のわたしは、それらの事実を親に伝え、家庭教育の向上をお願いしていました。しかし、いまから10年前に注意欠陥多動性障害(ADHD)の子どもを担任したときに、自らの浅はかさに気づき、それまでの方向性を間違えた子どもや親への投げかけを強く反省しました。以来、独学で専門書や関係雑誌に目を通し、専門家の講演会に足を運び、教師としてよりも、ひとりのおとなとしてなにができるのかを考えるようになりました。
 知的障害は先天的なものです。生まれてから後に外部からの影響で発生するものではありません。どの親もわが子が健康で幸せな成長を遂げて欲しいと願っているでしょう。ここで健康で幸せな成長を遂げるのに、ほかの子どもと変わらないという条件が必要だと感じてしまうと、わが子に先天的障害があったとき、願いが打ち砕かれる気持ちになります。

4949.7.5/2004
 情報機器の技術的進歩は日々目覚しいものがあります。
 子どもたちは、いまそのただなかを本人の意思に関係なく生きています。新しい情報機器が次々と開発・販売される時代に、それを使うか使わないかは、消費者の判断に任されています。いまは、ひとつの機能しかもたない情報機器はあまりありません。どの情報機器も、複数の機能を備えています。多くの情報機器に共通しているのは、インターネットの利用です。
 インターネットを利用すると、いま知りたい情報が瞬時に手元に届きます。その経験をしてしまうと、もう以前の生活には戻れなくなるでしょう。また、自分の伝えたいことを瞬時に第三者に伝えることも可能になります。かつて、ファクシミリが普及したとき、電話は相手が往信しないと情報が遮断されましたが、ファクシミリならば相手が不在でも相手の元に情報が届くという大変革を起こしました。
 いま、情報機器はファクシミリのような紙を使わずに省エネルギーで情報の往復を可能にしています。ひとは、ひとりでは不安になる生き物です。たえずだれかと、なにかとつながっていたい気持ちを持っています。その気持ちを満足させる道具としての情報機器は、今後も進化し、発展していくことでしょう。

4948.7.4/2004
 6時半からNHKでは参議院選挙の政見放送をしています。
 立候補者の公約を確かめたくて、注視しますが、いつも虚しさを感じます。その虚しさは「どうせ選挙に当選するための言質であって、当選したら、政見放送で訴えたことは「困難でした」「努力はしましたが」みたいな言い訳とともに実現されないのだろうと思ってしまうからです。
 議会制民主主義は、人類が長い進化の過程で、やっと入手した平等という概念によって政治体制の根幹を支えています。人類が平等ではなかった時代には選挙など必要なく、実力のある個人や身分の高い人が政治の中枢をかため、多くの人たちは権力者の駒のように生死を決定させられていました。
 だれが自分たちの税金の使い道を決めるのにふさわしいのかを決める権利を、すべての人たちに認める時代は、まだ日本社会では100年も経過していません。にもかかわらずなのか、だからなのか、わかりませんが、選挙に行く人たちの割合はとても低くなっています。投票したって何も変わらないとあきらめている人が多いからでしょうか。もしもそうだとしたら、自分の一票でよのなかが変わると思う気持ちが、とても危険だということを知るべきです。
 議会制民主主義は、だれにも認められた権利によって、特定の個人に権力が集中しないように配慮された仕組みです。それは、投票する側にとっても同じこと。特定の個人の投票によって、あしたからがらっとよのなかが変わるような仕組みは、とても危険なのです。残念ながら、投票したい人や政党がいない人は、その意思を投票しないという態度で表明するのではなく、白票(なにも書かない)を投票するという方法で示すべきでしょう。

4947.7.3/2004
 多くの子どもたちの影で、少数だけど確実に救済を求めている子ども。具体的には、いくつかのパターンがありますが、ちょうどいまは学期末なので、それに関して例を示します。
 この時期の小学校は終業式に子どもに渡す成績を教師たちが作成しています。指導内容に対して、子どもがどれだけ学力をつけたかを数値化し、記録するもので、大きな言い方で評価とも呼びます。しかし、評価を突き詰めると、学校教育は、子どもにどれかひとつでいいから自分の得意なことを伸ばそうという価値観ではなく、ひとはあれもこれもできなきゃいけないんだよという価値観を「よきもの」として与えてしまいます。
 評価の悪いところを示されて「苦手なところを克服しよう」というアドバイス。本当にそれでいいのでしょうか。本人が努力して、精一杯のところにいまいるかもしれないのに「もっともっと」とさらにがけっぷちに追いやるような励ましと記録の提示は、平均的な能力こそ必要なのであって、ずばぬけた能力は必要ないと教えているようなものではないでしょうか。なぜ、教師は教えたことのすべてについて成績を出した後、そのすべてを伝えるのでしょう。そのなかから、伸びや育ちを感じることについて肯定的に伝えるだけで十分だと、わたしは思っています。自分の得意なことに没頭できない子どもは、苦しみ、救済を求めるようになります。

4946.7.2/2004
 わたしが1997年から仲間と始めた新しい公立学校を作る活動は、それまで新しい学校作りは私塾か私立学校と思われてきた社会に衝撃として受け入れられました。公立学校を管理・運営する教育委員会からは、とても危険な思想の持ち主のように思われ、すでに私塾や私立学校を経営していた人たちからは、それでは自分たちのやりたいことはできないと釘を刺されました。
 そのどちらも、活動を始めるときに織り込み済みだったので、そんなにショックはありませんでした。意外だったのは、わたしたちの活動に興味をもち、会合に参加してくれる一般の人たちのなかに「なぜ、いまの公立学校では改革が実現しないのか」と質問する人たちが少なくなかったことです。いまの公立学校だって、毎年、子どもたちの実情にあった教育が行われています。それを大上段に外から変革をもたらすことは、現場に混乱をもたらすだけです。また、いまの公立学校を改革したとしても、それがすべての子どもたちに幸福をもたらす結果になるとは思えません。子どもたちは多様です。たったひとつの方法で、すべての子どもたちが救済される改革などないのです。だいいち、いまの子どもたちのなかに変化を望んでいる割合が、過半数だとは思えません。
 日本の公立学校制度は全国一律の学習内容を指導することを前提にしています。子どもたちの状態や、地域の特性に関係なく、全国どこでも同じ学習内容が展開されることが、多くの子どもたちの幸福につながるという考え方です。このこと自体の是非は、わたしにはわかりません。わたしは、ただ多くの子どもたちの影で、少数だけど確実に救済を求めている子どもと保護者に必要な学校を作りたいと思っているだけなのです。

4945.7.1/2004
 4943歩と4944歩で新保守主義について触れました。
 それは、わたしが仲間たちと1997年から始めた新しい公立学校作り活動と関係しています。
 わたしたちが、新しい公立学校を作ろうと思ったのは、いまの公立学校制度の守備範囲では救われない子どもと親、そして教師たちがいることを実感したからです。誤解をしないでほしいのは、いまの公立学校制度の守備範囲で、十分に能力を発揮している子どもや親、自分の力量を高めている教師たちを否定しているわけでも、批判しているわけでもないのです。そういった人たちのあしたを奪うつもりは毛頭ありません。
 わずかかもしれませんが、いまの公立学校制度で悲鳴を上げ、将来に展望をもてない子どもや親、教師たちが、悲鳴を歓声にかえ、将来に希望の持てる学校作りを目指しているのです。だから、どちらか一方が浮かべば、反対側が沈むという活動をしているわけではありません。
 しかし、この新しい公立学校作りで参考にしたアメリカのチャータースクール制度は、ふたつの側面を持っています。ひとつは従来の公立学校にもよい影響を与え、チャータースクールともども公立学校教育の質の向上につながった例です。もう一つは従来の公立学校やチャータースクールの閉校により、子どもたちが学ぶ場が消えてしまった例です。どちらの側面ももっているのがチャータースクール制度です。

4944.6.30/2004
 きのうに続き、新保守主義について。適者生存、競争・評価主義を標榜する新保守主義は、資本主義社会では「市場原理」という言葉と同意語に使われがちです。
 しかし、社会の発展段階を考えたとき、市場原理と新保守主義は必ずしも同じものではないことがわかります。多くの人たちの生活が不自由だった時代は、生活に役立つ製品を作れば売れました。異なる会社の製品があったとき、どちらが機能的に優れているか、長持ちするか、値段は安いかなど、消費者は自分の生活に直結する要求と向き合いながら品定めをしました。たったひとつの製品しかなければ、消費者はそれを買うしかないでしょうが、同じ機能でも異なる会社の製品があれば選択することができたのです。このようにして、全体的にどこの会社の製品が売れるのかが見えてくるとき、それを市場原理と呼びました。
 いまの日本社会は、かつての生活が不便だった時代を乗り越え、多くの人たちが安定した生活を送れるようになっています。このような社会は世界のなかでとても珍しいのです。そんな社会では、どこの家庭にも生活に必要な製品はほぼそろっています。だから、いまの消費者の要求は製品の機能や値段よりも、そこに付加された価値や、隣近所や知り合いとの差異を強調することになっています。テレビが見られればいいのに、新しいテレビをわざわざ買うのは、なぜでしょうか。古いバージョンでもパソコンとしての機能があれば使えるのに、新しいパソコンを買うのはなぜでしょうか。携帯電話を何台も機種換えするのはなぜでしょうか。わたしたちは、付加価値を求める経済社会に飲み込まれて、自分でも気づかないうちに、他者との差異やなくてもいいのにあったら便利みたいな付加価値を追い求めています。
 このように、製品やサービスとしては、ほんの少しの違いしかないのに、極端な例としてはそんな付加価値はなくてももとの製品の機能はなんら変化はないのに、ものを売る側、サービスを提供する側は生き残りをかけて市場に需要を求めています。どうすれば自社が生き残れるのか、どうすれば競合する他社を排斥できるのか。新保守主義は、この問いを原点に誕生してきたように、わたしには思えます。

4943.6.29/2004
 新保守主義という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
 世界の資本主義の行き詰まりから誕生してきた考え方です。もうヨーロッパやアメリカでは10年近く前から台頭してきています。現在のアメリカ・ブッシュ政権のブレーンたちには、新保守主義の考え方の人たちが多くいます。外国語の頭文字をとって日本では「ネオコン」と呼ばれています。
 新保守主義の基本的な考え方は、市場をコントロールしてはいけない、適者生存、競争・評価主義です。市場は、行政の介入によってコントロールすべきではなく、何もしなくても、よいものは残り、悪いものは淘汰されるというわけです。新保守主義の考え方の象徴は、市場をサービスの提供者と、サービスの受給者に二分してしまうことです。ひとは、このどちらかでしかありえないという前提があるのです。
 この考え方を進めるには、公共という考え方が障壁になってきます。公共は共存が前提になっているので、社会的に弱い立場のひとたちを救うことも重要な役割です。多くのひとたちが使う道路が、もしもすべて個人財産になったら、いたるところで通行料金が徴収されてしまうでしょう。しかし、ネオコンの考え方のひとたちは、公共さえも競争主義・評価主義を導入して適者生存に導こうとしています。鉄道の分割民営・郵便の民営化。具体的な政策は、日本国内でもかたちになってきています。次は、教育の商品化かもしれません。

4942.6.28/2004
 人の思考力を高めるには、問題を作成するのが適しています。
 問題作りは、たえず自分以外の他者を意識した概念形成が必要になります。自分ではわかっているつもりでも、自分以外の人が理解できないと、問題そのものを解くことができません。相手を意識した概念形成は、知識の量とはあまり関係ないので、いままで学校現場では重視されてきませんでした。しかし、自分の頭で考えることができないおとなが増えている昨今、やがておとなになる子どもたちに同じ失敗を経験させないためにも、学校にいるときから、問題作りの経験をたくさんさせることは必要だとわたしは思っています。
 4年生の算数で割り算の学習があり、割り算になるような問題作りをしました。2年生の生活科で学校調べの学習があり、クラスや学校のことを問う問題作りをしました。
 このようなとき、意欲的に取り組める子どもは、必ずしも知識量が豊富であるとは限りません。日常生活への洞察力と、気持ちに余裕がある子どもは、とても観点のいい問題を作ります。つねに見えない現実に興味があるために、頭の中で問題の世界が想像できるのです。小学校でも、塾や習い事で精一杯の子どもは、残念ながら自分で考える経験よりも、指示を的確に解決することに慣れてしまい、目に見えない世界を自分の頭で想像することが苦手になっています。

4941.6.27/2004
 家族や友人、兄弟姉妹や親友、尊敬する人や恋人。
 自分に連なる人と自分との距離を考えたとき、それぞれ自分にとってかけがえのない人たちだから、お互いを大切にしようと思いすぎて、遠慮の壁が立ちはだかることがあります。
 それは、相手のことを考えすぎて立ちはだかる壁です。でも、放っておくと、いつしか距離が遠くなり、かたちばかりの関係になってしまいがち。遠慮なく、こころに土足で踏み込みあえる関係を意識していたいなと思います。
 子どもの事件が多い昨今。渦中の子どもは、周囲の人たちとどんな関係を結び、どんな距離を保っていたのだろうと考えてしまいます。親子だから、何でも言い合えるとは限りません。友人だから、何でも分かりあえるとも限りません。でも、相手はだれであれ、世界中にたったひとりでもいいから、自分のことを丸ごと受け止めてくれる存在がいたら、孤独の果ての暴走は起こらない気がします。
 このことは、子どもだけでなく、おとなにも言えることです。自分のことを丸ごと受け止め、自分も丸ごと引き受ける人の存在。あなたには何人いるでしょうか。<

4940.6.26/2004
 きょうは地元の中学校のグラウンドを借りて、ソフトボールの試合がありました。おととしから始まっているリーグ戦です。
 鎌倉市ではPTA連絡協議会が主催するトーナメントのソフトボール大会があります。毎年、そこに参加していたチームで、懇親と「もっとゲームを」との願いから始まりました。名づけて「大船カップ」。その名の通り、昨年からは優勝チームに優勝カップ「大船カップ」が渡されています。
 現在の参加チームは8チームです。先週から始まり、きょうは第二節10試合がありました。週末の貴重な時間をソフトボールの試合のためだけに、多くのおとなたちが集まります。応援のために子どもたちも参加します。なかには教員がメンバーのチームもあります。それぞれのチームの方法で、ひとのつながりを作り、広げてきているのです。
 わたしの所属するチームはいつもメンバーが足りないので、試合のないほかのチームから応援メンバーに加入してもらっています。だから、試合をするたびに新しいひととの出会いがあります。
 地域再生とか人のつながりとか、トップが音頭をとってすすめることは、参加者をお客さんにしてしまいます。自ら、活動のど真ん中で自立的に動く人を増やすには、大船カップのように、場所と時間と意欲さえあればじゅうぶんだと、いつも教えられます。

4939.6.25/2004
 参議院選挙が公示されました。
 7月11日の投票日に向け、立候補者や政党の活動が活発になると思います。
 民主主義社会で、議員を選挙によって選ぶ方法は、昔から続いているものではありません。日本だけを考えてみても、普通選挙の歴史はまだ100年を経過していません。ひとびとから税金を集め、その税金の使い道を決定する権限をもつ行政府が衆議院と参議院です。両方で意見が別れた場合は衆議院の議決を優先することが憲法に定められています。ならば参議院は不要ではないかという考えもあります。しかし、権限はなるべく分散し、チェック機能をもつことによって、独裁的な政治を阻止する効果があることを考えると、参議院の存在はとても重要です。
 日本の政治制度は、先進諸外国よりも地方の自治権が制限され、中央集権的な性格が強くなっています。都道府県議会や市町村議会が、法律を作ることができないのは、その象徴です。そのため、国会議員には地方に利益を誘導する役目や、特定団体の権益を保障する役目が付加されてしまいます。もしも、国会は日本全体のことに関する法律だけを作れるものとし、地方独自のことは、それぞれの都道府県や市町村議会に法律を作ることができるようになれば、いまの国会議員に付加されている汚職の温床になるような役目は、軽減されるのではないかと思います。

4938.6.24/2004
 東京で母親がパチンコ中に、近くのゲームセンターでひとりで遊んでいた5歳の男児が、女子中学生に連れ出され、アパート3階の踊り場から突き落とされる事件がありました。そのゲームセンターは1回の遊戯が50円なので、日ごろから多くの子どもが利用しているそうです。5歳の男児は、よく1000円分の50円玉を灰皿に入れひとりで遊んでいるところを目撃されています。日常的に、母親はパチンコに行き、男児にお金を渡してひとりで遊ばせていたのでしょうか。
 女子中学生は以前からゲームセンターでの素行が悪く、ほかの利用客とのトラブルもありました。親から、そのゲームセンターへの出入りを禁止されていたのを、男児に言いつけられるのではないかと思い、犯行に及びました。言いつけられるのを阻止するために、暴行を加えることを、口封じと言います。その女子は、明らかに口封じを実行しました「黙ってろ」と脅すだけでも、口封じは成立するので、このように階段の踊り場から突き落としたら、もはややったことは口封じの域を越え、暴行、もしくは傷害、結果によっては殺人に到っていたわけです。
 バブル崩壊以降、経済の失速と建て直しは目に見えるようになっています。しかし、そこから波及した社会の変容は、わたしたちの目になかなかはっきりとした見え方を示しません。学校にいて感じるのは、確実に親の所得や家庭状態が二極分化をしています。高所得者層と低所得者層、子どもへの過干渉と無関心。かつては中間層がもっとも多かったので、社会生活のステータスは中間にありました。しかし、中間層の減少によって、理想的な社会生活が消失してしまったのです。

4937.6.23/2004
 わたしは暴力シーンの多い映画やドラマは好きではありません。子どもによくないとか社会に不安を与えるからという理由で好きではないのではありません。ただ個人的な感覚で、生理的に受け付けないだけです。
 長崎の同級生殺人事件の加害者は「バトル・ロワイヤル」という映画に、強い影響を受けていたことが伝えられています。バトル・ロワイヤルを見たことがないので、映画の内容やあらすじを批判することはできませんが、よのなかに広がりつつある「バトル・ロワイヤルがあったから、殺人事件が発生した」という論理はおかしいと感じます。それはまるで「包丁を売っているから殺人事件が起こる」と言っているようなものです。もしも、この論理が通用するなら「プライベート・ライアンがあったから、戦争がなくならない」という考えも成立します。
 映画はあくまでも映画です。スクリーンやモニターに映し出される光の点の集まりに音がついている芸術に過ぎません。それを、自らの現実と照らし合わせて、虚構と現実の世界の境界が見えなくなってしまうとしたら、それは映画を見ているひとの問題です。そのひとが、どんな生き方をしてきて、どんな精神世界を作り上げ、何が不満で、犯罪を実行したのかを調べないと、苦しみながら亡くなったひとの口惜しさや怒りは鎮められないでしょう。
 きょうも新聞で、予定していた「バトル・ロワイヤル」のテレビ放送を延期したという記事が載っていました。そんなことをしても、似たような事件はなくならないことを、おとなは理解しなければと思います。わたしたちの生きる現実社会には、いいことばかりがあるわけではありません。そのなかで、子どもたちが行き詰っている精神世界をおとなたちが見落とし続けるのは、とても危険な気がします。

4936.6.22/2004
 生活科で2年生はミニトマトを植木鉢で育てています。わたしの勤務している学校は、とても海からの風を強く受けるところなので、ミニトマトは過去に何度も風害を受けたのですが、担任たちの要望で苗から育てました。
 ちょうど、いま結実を迎えています。
 定植(苗を鉢に植え替える)から3ヶ月の間に、何度も強い風の日がありました。そのたびに子どもたちは鉢をもって校舎内に避難させていました。手をかければ野菜は裏切りません。緑色に結実したトマトは、ここ一週間ぐらい最高気温が30度近くになっていることもあり、少しずつ赤く熟し始めています。
 子どもに食べごろを教えているので、休み時間ともなると、子どもたちは自分の鉢に行き、熟れた実を摘み取り「できたよー」と見せに来てくれます。
 今年は、液体肥料を窒素のないものに替えたのが良かったのでしょうか。実のつきや色艶もとてもいいミニトマトが出来上がっています。

4935.6.21/2004
 きょうの毎日新聞に長崎県の教育長が校長たちに「こころの教育」の見直しを訴えた記事が掲載されていました。
「いままでのこころの教育は上っ面だけだったんじゃないか」というスタンスです。昨年、中学生が幼児を誘拐し殺害したのも長崎でした。そして、今回も。
 こころの教育は数年前に、トップダウンで突然「やれ」と言われて実施が強化された内容です。おもに道徳の時間を使って、年間を通して計画的に指導せよという命令でした。
 わたしは、子どもであれ、おとなであれ、こころ=ひとの内面は教育によって変えることができるとは思っていません。また仮に変えることができるとしたら、それはとても恐ろしいことだと考えています。ひとの内面は、個人の育ちと密接に関係していて、多くの子どもに一度に「こう思え」という価値は存在しにくいからです。子どもたちの問題行動が多く発生してくると、必ず学校で全体指導をすれば何とかなるという声が上がります。しかし、それは「教えた」という実績を残すだけで、問題発生の根本を解決したことにはなっていないのです。子どものことを云々という前に、社会はもっとおとなの問題行動を直視し、その背景にある貧富の拡大や失業問題を解決するのが先決です。新聞やニュースで、日々殺人事件が報道される日常を子どもたちがどのように受け止めているのかを考えるべきです。

4934.6.18/2004
 そして、次の大きな問題は、教員の仕事は数値化できるのかということです。きのうのウエイで、もしも目標数値が明確に示されれば、教員の能力給の導入には問題を感じないと書きました。
 矛盾しているようですが、目標数値を設定できない職種として、いままで教職は社会に認知されてきたはずです。なのに、子どもの出席率や成績(これも基準があいまいですが)、上級学校への進学率が目標数値として設定されたら、教員は学習指導を最優先にした業務体制を作らないと、とても自分の成績を高めることは困難になります。
 食事のとり方、掃除の仕方、ケンカの仲裁、保護者からの相談、保健指導など、学習成績には直結しない領域に、教員たちは年間の業務の半分近くを割いています。そうやって、子どもの全人格的な成長を導こうとしているのです。また、遠足や運動会などの行事も必要なくなるでしょう。それらのために年間多くの授業時間が費やされているからです。
 学校が、学習指導のみを行うことを、地域社会や保護者の多くが望むようになれば、学習指導以外の業務を削減することは理解されやすいと思います。しかし、そうなったとき、子どもにとっての学校は、いまのおとなたちが抱いているイメージとはかけ離れた存在になるのではないでしょうか。

4933.6.17/2004
 たとえば学校において教員たちの能力をはかり給与に反映させる試みが自治体によっては始まろうとしています。
 この取り組みには大きな問題があります。ただ、わたしの仕事が教員だから問題を感じているわけではないということを理解してもらうために、能力給を実施する前提条件を考えます。
 能力給を導入している民間企業の多くは、まず目標が数値として明確に示されています。その目標数値への到達度が、能力給に反映されます。もしも、教員の場合も同じ方法が取られるのならば、わたしは問題を感じません。しかし、目標数値が示されないなかで、つまり能力の有無がどのような基準ではかられるのかが示されないなかでの能力給の導入は、意味がないにも等しいのです。にもかかわらず、自治体によってはこれを推進するところが増えています。なぜ増えているのでしょう。見えてくるものは明確です。教員個々人の指導方法や子どもとの関係作りをリセットして、首長や教育長、教育委員会や管理職の意のままになる教員たちを高く評価する体制を作り、独自の教育方法で教育効果を上げる教員たちを閑職に追い込むつもりなのでしょう。
 わたしの勤務する地域では、毎年、とても技術も能力もある教員たちが定年を前に退職していく傾向が近年加速しています。気づいたときには、職員会議で意見を言わない、自分の頭で何も考えない教員ばかりが、子どもたちを指導する事態になり、万が一の時には管理職でさえ責任をとろうとしない体制が出来上がってしまうのではないかと危惧しています。このような体制は、かつて戦争に子どもたちを駆り立てた時代への復活を予感させます。

4932.6.16/2004
 いまの日本社会、とりわけ都市部において、公教育が果たす役割は、予想不可能な近未来に自立して生きていくことができる人材の育成のはずです。
 高度経済成長期までは、5年後から10年後ぐらいまでの社会はある程度の予想ができました。しかし、バブル経済の崩壊以降、なにが正しくて、なにが間違っているのかが、見えにくくなってきています。
 ひとは分かりにくいことを目前にすると、分かりやすいことに流れていく傾向があります。公教育の役割が住民サービスと同系列で語られてしまうのも、そんな傾向の一つだとわたしは思います。税金によって運営されているものは、すべて納税者に還元されなければならないという基本的な考えが、論点を変えて、個別具体的な私人の私的な要求に応じなければ公共サービスではないととらえられ始めています。そこには、それぞれの専門性を尊重した教師世界の伝統は認められず、だれをとっても同じせりふ、同じ態度、同じ服装で、子どもと保護者、近隣住民にへつらう教師像が最優先される新保守主義の考えが見え隠れします。
 公教育はやがて内部から崩壊し、外部からの圧力で破裂するだろうと、わたしはかつて予測しました。いま、どの段階まで来ているかは一概には言えませんが、教育行政の措置の多くは内部崩壊を助長させてばかりいるような気がします。

4931.6.14/2004
 4年生の子どもたちに割り算を指導しています。子どもの数が減少していて、低学年の生活科の協力指導だけでは、年間の規定授業時数をクリアできないので、ほかの学年の協力指導も担当することになりました。
 4年生の割り算は、2位数や3位数÷1位数を扱います。2位数とは10の位までの数、3位数とは100の位までの数です。割り算の計算には、掛け算と引き算の知識が前提になります。だから、このふたつがあいまいなまま4年生になった子どもは割り算をさかいに急激に算数への興味を失います。
 そうならないために、問題のレベルを下げると、学習指導要領で示されている内容まで扱うことができません。必然的に、できる子どもとできない子どもの差を広げてしまうようにできているのです。もっと努力すればとか、家庭学習が足りないという理由で、理解の遅い子どもを追い立てて学力を高めようとする人もいますが、わたしにはそうやって追い立てることで学力が高まるとは思えません。反対に、算数だけでなく学習そのものへの興味を失わせてしまうのではないかとさえ思えてきます。
 元来、ひとには能力差があり、それぞれ自分のよいところを伸ばすことが自立していくには必要なんだという価値観が広がらないと、これからも理解の差を、できる・できない、早い・遅いという尺度でしかはかれないのかと思うと、ため息が出てきます。

4930.6.11/2004
 今朝の毎日新聞に都道府県と政令指定都市の教育委員会が今春の卒業式で児童生徒が君が代のときに起立・斉唱したかどうかの調査を教育委員会が実施していた報告が掲載されていました。
 教育委員会は、地方自治法の規定により、公安委員会・選挙管理委員会とともに首長の権限が及ばないようになっています。それだけ独立性を高めているのは、学校に憲法で禁止している政治権力の介入を認めないためです。
 にもかかわらず、とても政治・宗教色の強い国歌の斉唱を児童生徒が従順に起立斉唱しているかどうかを調査するのはなぜでしょうか。教育委員会の独立性が名目だけになっていて、実際は文部科学省からのトップダウン・ヒエラルキー構造が強い現れではないかとわたしは思います。
 子どもをもつ親の身になったとき、特定の歌を我が子が歌ったかどうかを教師が調べ、教育委員会に報告していることを知ったとき、戦前の翼賛的な教育の再来かと危惧するのは当然です。事実、新聞には今回の調査は行き過ぎではないかという保護者の声が掲載されています。
 教育行政に携わる人たちは、いったいどこを向いているのでしょうか。

4929.6.10/2004
 生活科の畑。
 春先にまいた野菜の種が、どんどん成長して、いよいよ収穫を迎えています。
 先週は、子どもたちにラディッシュを持ち帰ってもらいました。家で食べた感想を聞くと「からかった」「土がなかに入っていた」と、あまり公表ではなかったみたいで残念。
 今週は、インゲンを収穫しています。初物として、ひとり5本ずつはさみで切り取って持ち帰らせています。家庭で、調理してもらい、来週になったら、感想を聞くのが楽しみです。家族の会話をつなぐ小道具として、生活科の野菜たちが役立ったら、こんなに幸せなことはないでしょう。
 1年生と2年生で約150人ぐらいいますが、ひとりが5本ずつ収穫しても、まだ畑には売るほどのインゲンが実っています。来週は大収穫をと考えています。

4928.6.9/2004
 昨夜、光ファイバーに接続成功!
 成功といっても、大したことをしたわけではありません。NTTの方から電話をいただき、わたしが契約しているプロバイダが、ADSLから光ファイバへの切り替えがうまくいっていなかったためと分かったのです。NTT側で、ネットワークサーバーの点検をしてくださり、接続が確実という連絡をもらいました。
 帰ってから、PCにささっているADSLモデムからのLANケーブルを抜きます。光ファイバの終末装置(という名前らしい)からのLANケーブルをさします。「どうかな」と思いながらPCを起動しました。
 起動後、インターネット接続のアイコンをダブルクリック。きのうまでは、ここでエラー表示が出て、先に進むことができませんでした。コマンドラインに、接続を示すメッセージが次々と表示されます。「これは調子、いいかも」と思って待つこと、3秒ぐらい。タスクバーからバルーンがあがり「インターネットに接続しました」のコール。やったぁ、開通と、内心拍手。
 日ごろ、とても思いCGIサイトや動画サイトに、試しにアクセスしてみました。驚くほどのスピードで、それらが表示されます。まるで、マイドキュメント内のフォルダを開いているような感覚です。100メガbpsの世界が広がりました。

4927.6.8/2004
 インターネットの接続をADSLから光ファイバーに変更しようと思っています。
 高速のインターネット接続は、今後多くの家庭で日常化していくだろうと予測します。わたしは、長い期間、周囲がどんなにISDNやADSLに変わっていっても、かたくなに内蔵モデムをギーコギーコ起動させるダイヤルアップを利用していました。しかし、そのためにADSLに変更したとき、工事が2ヶ月以上も待たされた経験があります。自分は、決心して、その気になっているのに2ヶ月も待たされると、がっくりします。
 先月から、やっとわたしの住む町にも光ファイバーサービスが開始されました。最初は顧客確保のねらいがあるのでしょう。工事費が無料のサービス提供です。この話に、前回のことを思い出し、わたしはすかさず飛びつきました。先日工事が終わりましたが、ADSLからの切り替えがうまくいかず、まだ光ファイバーを利用したネット体験までこぎつけていません。
 インターネットの接続にからむ設定の変更は、もう少し素人にもわかりやすくなるといいのですが。

4926.6.4/2004
 畑のラディッシュをきのうときょうで収穫しました。いわゆる「はつか大根」です。
 子どもは「大根」という名前に、もっと大きな野菜を想像していたみたいで口々に「ちいさーい」を連発していました。すでに調理してある野菜しか見ていないんだなーと気づきます。
 ラディッシュは、とても水分を必要とする野菜で、去年は少し灌水をさぼっただけでひび割れの被害に遭いました。今年は気をつけて、他の野菜の倍近くの灌水をしたので七割ぐらいは売り物のようなラディッシュに育ちました。
 スライスしてそのままサラダの具にしてもいいし、降ろしてローストビーフや牛のたたきに添えてもおいしい野菜です。各家庭で、どんな調理をしてもらったのかを来週の生活科のときに聞いてみようと思っています。
 ラディッシュが終わり、いまは次の収穫を迎えるインゲンの育ちを見守っているところです。

4925.6.3/2004
 長崎県の小学校で起きた事件で、小学校6年女児は殺害の動機を「自分のホームページへの書き込みに腹を立てた」と報じられています。インターネット上では、相手が特定されるような意見交換は一般的にはしないのが常識ですが、この子どもたちは日常的にチャットを通じて意見交換をしていたようです。
 そのネットワークが制限のある閉ざされたものならば本人の特定は問題がないかもしれませんが、ふつうのインターネットだったとしたら、とても危険な行為を日常的に行っていたことになります。自分たちだけのチャットルームと思っていても、インターネットはほかのだれもがアクセスできるので、たとえ書き込みがなくても見られ続けているからです。第三者に特定の個人間の通信が伝わってしまえば、犯罪の温床になりかねません。詳報についてはニュースも新聞も報じていないのでわかりません。同じ小学校という学校現場で、情報教育に携わる者として、そのあたりが気がかりです。
 出会い系サイトを温床にした犯罪や、ダイヤルQ2を介した詐欺など、ネットワークや電話回線を使った悪質行為は、かかわりを持たないことで100%被害を受けません。とても危険な内容がネットワークにはあるという認識を、子どもが分かる方法で社会が繰り返し情報提供していく必要を感じます。それを学校の役割にという声もあるでしょうが、少なくとも小学校で、それらを根本から計画的に扱えというのなら、削減していい教科と時間数を前もって決めてもらわないと、うわべだけの指導だけで終わり、同じようなことが繰り返されるだけです。

4924.6.2/2004
 小学生が同じクラスの小学生を給食の時間中にカッターナイフで切りつけ殺してしまう事件がありました。
 6月1日の12:45頃、長崎県佐世保市の公立小学校で6年生女児が、同じクラスの女児を別室に呼び出し、カッターナイフで切りつけました。給食が始まるときに2人がいないことに気づいた担任。そこに血まみれになった女児が教室に戻ってきます。救急隊員がかけつけたときには、切りつけられた女児はすでに死亡していたそうです。死因は失血死。
 わたしは山登りをして、大量の出血には自他を含めて何度か遭遇しました。だから、死に至る出血がどうれぐらいのものか想像がつきます。トラブルのあった教室は、まさに血の海だったことでしょう。「いままでに見たことのない光景だった」救急隊員が話すほどに。
 14歳以下の事件は、真相が公表されません。だから、わずかな情報から想像をふくらませた解釈をしてしまいがちです。わたしのように事件に関係のない者が、真相を知る必要はないと思っていますが、当該学校の子どもや保護者、とくに被害に遭われた遺族の方には、なるべく早い時期に真相を伝えて、再発防止に役立ててほしいと思っています。すでに新聞は被害者家族のことについて触れていて、事件とは関係のない情報が全国的に伝わってしまっています。
 小学生が小学生を殺してしまった、こころの闇を、おとなたちは真正面から見詰めなければなりません。

4923.6.1/2004
 イラクでの占領軍による統治政策は、現代社会を生きるひとたちに、無神経なまでに国家主義をすりこみます。まるで天地創造の昔から地球上には主権国家が存在したかのような誤解を流布しています。
 国民国家という考え方は、ずっとずっと新しい考え方です。その証拠として、あのアメリカの憲法にでさえ国民のことをpeopleと表記しています。国家の民という考え方は、人々が国家という見えない大きな権力構造と、そこに住む居住民による共同体を受け入れなければ成立しない考えです。明治時代に入っても、かつての大名たちは国家という考え方を理解せず、明治政府を長州と薩摩の出先機関ととらえていたことは史実からも明らかです。
 人々は、自分が何者で、どこから来たのかという帰属意識をいつも持ち続けています。どこのだれだかわからないのは不安なのでしょう。だから、話す言葉で自他を区別したり、住んでいる場所で自他に境を引きたがります。この傾向は人類の歴史そのものです。だから、人類は基本的に「自分さえよければいい」という攻防史を繰り返してきたのです。宗教は、そんな区別の象徴です。その宗教を信奉するかによって、いのちを奪い合うほどの差別を肯定してきました。
 国家という考え方よりも、はるかに長い宗教の歴史を思うとき、政治の世界に宗教の影響力を完全に排除するのは困難なのが分かります。アメリカは、大統領選挙が近づくと、多くの人たちが信奉する宗教勢力の動向が大統領選挙結果に反映します。それは、多くの人たちの願いとはかけはなれ、宗教の論理によって肯定されています。イラクの長期占領は、将来、必ず否定されるべき現代史となるでしょう。かつてのベトナム戦争と同じように。

4922.5.28/2004
 わたしが印刷機で印刷する方法の学級通信を発行しなくなってから7年になります。
 その後、学校で印刷室で仕事をしていると、ほかの教職員が印刷したプリントの印刷ミスプリントを見かけます。静電気や、センターぞろえを誤って、どうしても輪転機は何枚かのミスプリントを印刷します。
 紙がもったいないので、印刷ミスの裏を使えるように、それらをためるボックスがあって、そこにときどきほかのクラスの学級通信を発見します。自分のかつて発行していたなーという思いがよみがえります。しかし、インターネットの普及によって、当時に比べ個人情報の扱いはとても慎重になりました。個人が特定される情報発信は、個人が不利益になるおそれがあるので十分に配慮をしなければならなくなりました。印刷ミスの学級通信には、個人名の載った作文や日記が印刷されています。デジタルの世界では、もう決してやってはならないことが、紙媒体では通用しているのは、いつか問題になるのではないかと危惧します。

4921.5.27/2004
 2年生が生活科で育てている植木鉢のミニトマト。
 そろそろ二節目にも花が咲いてきています。園芸の本には5節ぐらいまで大丈夫と書いてありますが、茎の成長がよすぎて5節まで育てていたら、子どもの背丈を越えてしまいそうです。
 時間をかけて育てる花や野菜は、子どもの内面がよくわかる教材です。
 日ごろ、周囲に迷惑ばかりをかけている落ち着きのない子どもでも、自分の植木鉢には丹精を込めたり、逆に日ごろ担任の指示を完全に守る子どもでも、水遣りや草抜きを忘れていたりするのです。
 学校的よい子は、成績向上のためにすべてのエネルギーを使ってしまうので、成績につながらない、かつとても持続的な題材には興味がわかないのかも、いやそれだけの余力が残っていないのかもしれませんね。
 花が終わって結実を始めているミニトマト。これからの灌水で、皮を硬くしてしまうかやわらかくて売り物のようなトマトにするかが決まります。そのことをきょうの生活科では説明しました。
「これからの2週間ぐらい、放っておいたトマトと、世話をしたトマトでは、皮の硬さも味も全然違うものになるからね」
 ミニトマトは、とても土中の水分を吸う野菜です。実の瑞々しさは、たっぷりな水分によるところが大きいのです。土の湿り気がなくなると、トマトは皮を厚くして蒸散を防ぎます。蒸散を防ぐことによって、内部の水分を保つのです。

4920.5.26/2004
 絶対評価は、学習内容を子どもがどれだけ理解したかを評価する方法です。全員が理解すれば、当然、全員がよい評価になります。いままでの相対評価では、どんなに力のある子どもでも、クラス全体の能力が高いとよい評価を得られなかったのですから、子どもの励みに直結する評価になったと言えます。
 絶対評価で難しいのは、学習内容を子どもが理解したと判断する基準です。とくに中学のように、絶対評価が高校へ進学する子どもの入学選抜の資料になってしまっている現状では、少しでも評価基準を下げて、多くの子どもを希望する高校へ入学させたいと思うのは当然のことでしょう。
 たとえば10個の漢字があったとき、8個の漢字を読み書きできれば最上の評価「5」をつける学校と、9個の漢字の読み書きができなければ「5」にならない学校とでは、「5」の割合は違うはずです。学校によって、評価基準が違うことは一見望ましくないように思われますが、厳密に基準を設けると、学校の特色などなくなり、日本中、どこの学校に行っても、どんな教師に出会っても、機械的・均質的な授業しかできなくなります。英語力に力を入れる学校では、限られた授業時間のなかから国語よりも英語の授業時間を多く確保しているかもしれません。その結果として、漢字の評価基準を下げることは、単純に良し悪しが決められないことなのです。
 毎日新聞に掲載された、横浜市の中学校の絶対評価の割合を見ていて、各学校の特色や、そこで学ぶ子どもの姿が消え、機械的な数字の魔力で、均質的な部品製造成績のランク表のように見えてしまったのはわたしだけではないはずです。社会が学校に、一にも二にも学力を求めるのならば、学校はもっとスリムにならなければなりません。遠足、運動会、修学旅行、席替え、掃除、道徳、総合……。もろもろの基礎学力の習熟とは直接結びつかないものを削減する必要があるでしょう。そうなったとき、学校は子どもにとって魅力のない、競争意識だけ植え付ける機関になるのでしょうね。

4919.5.25/2004
 学校は社会から次世代を担う子どもたちの教育を付託されています。そのため、毎年多くの税金が投入されています。最近はどこの自治体も財政難を理由に教育費が削減される傾向がありますが、教育と福祉に重点を置かない近代社会は貧困と戦争に直進してしまうことを忘れてはなりません。
 直近の学習指導要領の改訂で、小学校や中学校には総合的な学習の時間が創設されました。評価方法も、相対評価から絶対評価へとシフトしました。その背景には、いまの子どもたちが担う未来社会では、知識の量や技量の良し悪しを求めなくなるだろうという予測があるからです。自分の知らないことを記憶力に物を言わせて覚えていればいい時代は終わったのです。知識を次々と詰め込む時代から、情報をじょうずに操作する時代に確実に社会は変化しています。
 通信販売の躍進や、インターネットの普及は、ひとびとが自分の判断で情報を取捨選択し、自分の責任で必要な情報を入手する生き方を拡大させます。インターネットを通じて発信される情報量は、ひとの記憶量の限界を超え、何から何まで覚えることに多くの時間を費やすよりも、必要な情報を選択する力を養う必要性を高めます。いままで、新聞やテレビを通じて送られてくる情報を疑うことなく信じていたひとたちは、事実を見誤ることになるでしょう。
 なのに、いま学力低下を嘆くひとたちが少なくなく、それを伝えるメディアの影響でしょうか、専門家だけでなく一般のひとたちも「子どもたちの学力は大丈夫か」と心配しています。自分にとって必要な情報を取捨選択しながら生きていく社会では、まず周囲の情報を鵜呑みにせず、疑うことから始めなければなりません。ものの見方をいままでと逆転させる必要があるのです。
 今朝の毎日新聞の朝刊・湘南版に横浜市の公立中学校の昨年度の内申点の学校別平均が校名を出して掲載されていました。(続く)

4918.5.24/2004
 小学校1年生と2年生の子どもに週に2時間ずつパソコンを使った学習を始めて3週間目になります。2年生は1年生のときにも同じペースでパソコンを学習に使ってきたので、マウスやキーの使い方がだいぶ習熟しています。とくにかな入力は、ふだんローマ字入力のわたしよりも、ずっとはやいスピードでキーを打てるようになっています。
 1年生の子どもたちにパソコンを使ってもらう初期は、いつもマウス操作だけの学習を組み立てています。ジャストシステムの「いちたろうスマイル」という総合ソフトにカレンダーを作成するアプリがあります。それはマウス操作だけでカレンダーが作成できます。しかも、マウスリテラシーの各要素が使え、初期の学習にはとてもよい題材です。子どもが、マウス操作学習をしているという自覚なしに、マウス操作の技量を高められるからです。クリック、ドラッグ、ダブルクリックというマウス操作の基本三要素は、何度も繰り返すことによって巧緻性を高め、画面をカーソルがいきなり動かないようにするコツをつかまなくてはなりません。そうしないといつもカーソルが縦横無尽に画面を行きかい、どこにフォーカスがあるのかがわからなくなってしまうからです。
 それでも、マウス操作は、ある程度操作技術に特化したトレーニングも必要です。そこでエクセルのリンク機能を使ったオリジナル教材を開発し、授業で試行しています。少しでも違うところをクリックすると「はずれー」画面がどんと登場する仕組みです。ウインドウズで動作するアプリのほとんどは、クリックイベントをプログラム実行のきっかけにしています。本人がクリックしたつもりでは、アプリは実行してくれません。わずかなずれを認識してくれないからです。巧緻性が育つ低学年のうちに、指先のちょっとした感覚を磨くのに、トレーニングシートが役立てばいいなーと思います。近いうちに、このサイトにもアップします。今度は無料ではなく有料にする予定ですが。

4917.5.23/2004
 22日の午後、地元の中学校でソフトボール大会がありました。当日は湘南小学校の開校日でしたが、午前中だけ参加して午後からはそちらに合流。今年、キャプテンを任されている関係で、どうしても抜けられなかったのです。去年のシーズン終了の打ち上げで、いつの間にか「来年のキャプテンはよろしく」ということになっていて、つくづく宴席には気をつけなきゃと思います。
 ソフトボール大会は、教職員や保護者などの4チームによるトーナメント戦です。わたしは子どもが中学校に通っているPTAチームに所属しました。4チームなので2回勝てば優勝ですが、日ごろ、運動をしていない人たちの集まりなのでケガのないようにが最優先です。個人的にも、これから秋まで続く長いソフトボールシーズンの開幕でした。最初の打席でラッキーなホームラン、2試合目は右中間をぬく堂々のホームランを打ちました。最初から調子がいいと、あとは下り坂のようで心配ですが、この調子を長いシーズンでキープしたいと思います。

4916.5.20/2004
 台風2号が関東地方に近づいています。
 ちょうど、子どもたちの登校時刻に接近する可能性が高いので、登校時刻を遅らせたり、休校にしたりという判断が、各学校にゆだねられています。
 どのような基準で、登校時刻を遅らせたり、休校にしたりするのかも、各学校任せなのが現状です。
 かつては、近隣校どうしが足並みをそろえるために、立地条件の違う学校が無理に同じ対応をしていた時期もあります。そこには緊密に連絡をとりあう管理職の姿が想像できます。
 現在は、各学校に防災に関する担当部署があり、そのメンバーが各学校の防災安全計画にしたがって対応するようになっていると思います。そのなかで、とても増えてきたのが気象庁の警報を基準にするものです。
 午前○時時点で、警報が発令されていたら登校時刻を遅らせる(あるいは休校にする)というものです。これは、一見、客観性のある基準に思えますが、気象庁の人たち、責任重大だなーと感じます。登校時刻を遅らせてほしいという子どもはとても多いでしょう。臨時休校にしてほしいという子どもはもっと多いでしょう。その子どもたちが、期待を込めて天気予報に注目するのですから。つまり、学校のことのなのに、登校に関する最終的な基準が学校以外にあり、子どもも親もそちらに集中する構図は、学校の自立性を自ら放棄してしまうような気がするのです。

4915.5.19/2004
 ホームページにアクセスしてくれる人が、どのページを見ているのかを教えてくれるサービスがあります。
 わたしはそのサービスに加入しています。なにせ無料なので。
 ホームページのように、だれが目を通しているのかわからない媒体では、表現内容をだれに向けて伝えていけばいいのか迷うことがあります。だから、わたしはページごとに仮想の相手を決めています。その相手が見てくれているとは限りません(おそらくほとんど片思いでしょう)。でも、そうすることによって表現内容や語尾が書きやすくなるのです。
 この「かさなりステーション」サイトで、トップページの次にアクセスが多いのが、このウエイです。毎日コンスタントに多くの方々がアクセスしてくれています。とても励みになり、感謝しています。次に多いのがプログラムの紹介ページです。無料配布をしているので、目的のある人には有効に使ってもらえてありがたい限りです。個人的には、とても力を入れていても、あまりアクセスのないページもあります。でも、こだわりを捨てないで、自分のなかにある多様な側面を表現したいと思っています。
 提供される情報のなかに、検索サイトからアクセスしてきた人たちのキーワードというのがあって、これがとてもおもしろいんです。「無料・予定・ソフト」「時間割・ただ」などはプログラムを欲している人たちでしょう。このサイトにはスポーツのソフトと、プログラムのソフトの両方があるので、目的と違うページにアクセスしていないか心配にもなります。そんなキーワードのなかに、最近ずばりわたしの名前が登場することがあります。同姓同名の別人を探しているのか、わたしのことなのかはわかりませんが、いい意味でも悪い意味でもどきっとしてしまいます。

4914.5.18/2004
 きのうときょう、1年生の生活科で2回目のパソコンを使った学習をしています。
 将来的に、子どもたちが自分で課題をもち、調べ、まとめ、伝える学習をするときに、模造紙や原稿用紙に学習内容をまとめるのと同じ感覚でパソコンを選んでもらえたらいいなぁと思っています。パソコンは学習道具のひとつという位置づけをはっきりしないと、パソコンがなければ学習が成立しないという考えが浸透し、パソコン操作技術の良し悪しが評価と直結してしまうからです。あくまでも、パソコンを始めとする情報機器は、模造紙にも原稿用紙にもできないことができる学習道具のひとつであり、個々人の考えによって学習の記録をまとめていく道具にするかどうかを選べるようになってほしいのです。
 2回目の学習は前回のテンプレートを使ったカレンダー作りから少し発展。自分の写真をネットワーク上から選択して貼りつける操作を加えました。子どもたちのパソコンはLANによって、共通のマスターマシーンにつながっているので、そこから自分の写真をダウンロードして使います。今後の学習で、途中まで作成したファイルを保存したり、学習の始めに前回の続きのファイルを開いたりするときに、ネットワーク操作は不可欠になります。この操作は、自宅にパソコンがある子どもでもほとんど経験していないことなので、みんなが同じスタートラインに立つことができます。
 毎年、この時期に1年生にこの操作学習をしていますが、年々学習の完了が例外なく短時間になっているのを感じます。それだけ、多くの子どもたちにデジタル機器操作が日常的なものになっているのかもしれません。

4913.5.17/2004
 1年生のクラス編成は、入学前の様子がわからないために学校が始まってからクラス間の違いが生じることがあります。そのため、わたしの勤務する小学校では1年生から2年生に進級するときにクラス替えをします。
 そんなに子どもによって違いが生じないのでは?
 ふだん、低年齢の子どもたちにあまり接していないひとは思うかもしれませんが、ひとりふたりならともかく30人ぐらい集まると、6才でもはっきりとした集団の特徴を示すようになります。「ひとの話を聞くことができるか」「言動が粗雑ではないか」「わがままを押さえることができるか」など、個人の特徴が集団全体の特徴まで発展するのです。そして、多くは安きに流れる傾向があり、きちんとしなきゃという気持ちは徐々に消失してしまいます。集団生活をしていると、どうしても個人の思いが通らないことがあります。そこをどうやって乗り越えていくかによって、個人やその個人が所属している集団の質が変化します。

4912.5.16/2004
 新年度から5月の連休あけにかけては、学校周辺で変質者に関する情報がとても多くなります。
 最近では、むりやり子どもたちを車に乗せようとする悪質な犯罪者情報も耳に入ります。
 そのほとんどが男性です。
 性的な犯罪や、病的な性的傾向をもつのは性差があるのでしょうか。また、現代社会は女性よりも男性の精神的自立が遅れる傾向にあるのでしょうか。
 子どものこころはおとなのこころよりも敏感で、一度受けたこころの被害がなかなか消えずに深い傷となって残る場合も少なくありません。その場での問題解決は、子どもの精神的成長まで見据えてはいません。
 犯罪傾向が目立つのは大人の男性で、被害に遭遇するのは子どもの女子という関係が固定しているのが気がかりです。社会全体が弱者をさげすみ、強者にへつらう傾向を維持し続けると、ストレスの発散先が弱い立場の者へ向かってしまうのかもしれません。

4911.5.13/2004
 きょう、湘南憧学校に行きました。
 室内は、すっかり教室っぽくなっていました。教室といっても、鉄筋コンクリートの教室ではなく、昔ながらの寺小屋という感じです。6日に子どもたちの誕生日会をしたそうで、天井から輪飾りがたくさんぶら下がっています。壁には、掲示物が増えています。
 とくに毎日の様子を写真と文で表した模造紙の日記は、まるですごろくのようで読んでいて楽しくなりました。平日の開校なので、通ってくる子どもたちは学区の学校には通っていません。また、週に一度湘南憧学校に通う子どもは、ほかの日は学区の学校に通っています。日本の法律では、義務教育年齢の場合、戸籍のように、学籍というのがあります。日本中の子どもたちひとりひとりが、いまどこの学校に通っていることのなっているかを記録したものです。通っていることになっているかの記録なので、実際に通っていなくてもカウントされてしまいます。たとえ、湘南憧学校に通っている実態があっても法律上は学区の学校の子どもという扱いです。だから、一日も通わなくても、子どもにはクラスがあって、担任もいるのです。
 きょう、湘南憧学校に通っている子どもの法律上の学校の担任が見学に来ました。湘南憧学校や子どもの様子を見て「ここでの様子を見ていたら、きっと学校には(戻っては)来ないでしょうね」と、感想を述べられ、その場で法人の会員になってくださいました。
 この方と、わたしたちとの距離と関係こそが、日本でチャータースクールが実現していく可能性を秘めていると思います。決して、互いが互いを敵に回すのではなく、ひとりの子どもを多角的に冷静にとらえ、もっともふさわしい教育機会を充実させ、尊重すること。政治や利権の道具にならずに、早急にチャータースクールの実現を望みます。

4910.5.12/2004
 あした、湘南憧学校の専従教師たちと正式な雇用契約を結びます。
 湘南憧学校は、湘南に新しい公立学校を創り出す会が運営する平日学校です。学校といっても、学校教育法の認可がないので、いわゆるフリースクールです。1997年の法人発足、199年のフリースクール(夏休みや週末)開校を経て、わたしたちは今春から平日の学校を開校しています。どこからも援助や補助を受けていないので、台所事情は火の車です。
 学びのなかみを子どもが決める教育方法の確立と、学校の設立。長年の夢を、2004年4月からスタートさせています。そこで教師として勤務する3人のひとたちに、法人は給与を支払っています。本来ならば、開校前に就業規則や雇用契約を結ばなければいけないのですが、正式な書式の準備に時間がかかりました。素人の弱さですね。
 でも、雇用の実態が発生してから2ヶ月以内に、なんとか法的にも耐えうる契約書類が整い、本契約の運びになりました。ここまでたどりつくことができたのは、ひとえに湘南憧学校運営委員会で、事務的な仕事を担当してきたMさんのおかげです。

4909.5.11/2004
 最近ものすごい勢いでコンピュータウイルスが出回っていますね。去年の今頃を思い出すと、比較になりません。わたしは仕事から帰ってメールチェックをするのですが、ほぼ毎日かならずウイルスバスターがウイルスを発見してくれます。
 メールを介したウイルスの感染には、ふたつの理由があります。
 ひとつは、一般のユーザーがウイルス感染に無防備だという理由です。ウイルス検索ソフトがあっても、購入しなかったり、最新のものにアップデートをしていなかったりするユーザーが、とても多いと思います。お金がかかることなので、二の足を踏むのかもしれませんが、結果としてパソコンが壊れ、修理に出さなければならないことを考えると、ウイルスチェックにかける費用はネット社会の保険みたいなものだと思うのですが。
 もうひとつは、少しプログラムの知識と技術があればだれにでもウイルスが作成できてしまうという理由です。現在のウイルスは、最初に作られたウイルスの亜種が多く、改良されているのです。ウイルス情報を交換し合うサイトでもあるのでしょう。そこで日々ウイルスプログラムに関する情報が交換され、一般ユーザーにもウイルス作成がようになっているのではないかと思います。
 ウイルスプログラムは、悪意の象徴です。あきらかに作成しようと思ったときから、第三者への迷惑を目的にしているので、たちが悪いのです。少しでも善意がはたらけば、たとえ思っても、実際に作成しようとは思わないでしょう。

4908.5.10/2004
 1年生に初めてのパソコンを使った学習が始まりました。
 6歳の子どもにパソコンは扱えないという批判もありますが、わたしが生活科の学習にパソコンを使った学習を位置づけてからの6年間。6歳の子どもたちは、おとなよりもずっとしなやかに情報機器を使いこなす姿を示してくれています。長時間のVDT作業にならないように配慮をすれば、カレンダー・名刺・メール・クイズ・デジタルカメラ・写真編集・文字入力・プレゼンテーションファイルの作成を、着実に学習します。
 ただ、毎年、最初にパソコンを使うときが、とても重要です。「知っている」「うちにもある」という子どもと、生まれて初めてパソコンに触る子どもが混在しているからです。そして、学習場面では生まれて初めてパソコンに触る子どものほうが操作技術の向上が早いのです。それは、家庭での操作がかなりマニアックだったり、特定のソフト固有の使い方だったりしていることが原因のようです。学校のパソコンは、子どもがハードディスクにアクセスしにくいようになっているので、マイコンピュータやマイドキュメントが見えなくなっています。「知っている」「うちにもある」という子どもは、そこから戸惑い、独自の方法でマウス操作の旅に出てしまうのです。
 きょうは賞味60分ぐらいで、ソフトの起動・カレンダーの作成・カレンダーの印刷・シフトの終了まで、6歳の子どもたち32人が全員到達しました。

4907.5.9/2004
 どうも地元鎌倉に来る自家用車のナンバーを見ていると、よのなかは9日まで連休が続いているように思えます。神奈川県以外のナンバーが多いからです。
 カレンダーどおりの休日しかない公務員の宿命で、こちらは谷間の6日も7日も仕事でした。そんななか、8日から湘南に新しい公立学校を創り出す会の土曜学校「湘南小学校2004」が開校しました。来年の3月まで毎月2回の土曜開校です。多くの顔が昨年度の湘南小学校2003からのリピーターでした。懐かしい顔に、成長のあとが見え、子どもは確実に育っていくのを実感しました。協力してくれているスタッフとも久しぶりに会い、湘南小学校の季節の始まりにわくわくします。
 きょうは、地元のソフトボールの練習が早朝から始まりました。秋から冬のブランクをこえて、これからの季節、ライフワークの学校づくりも、ローカルな人々とのつながりも、本格的な季節を迎えます。

4906.5.6/2004
 イラクで拘束したイラク人に対するアメリカ軍による拷問の実態が明らかになっています。
 戦時下にあって、このような情報が外部に漏れることは稀なのですが、それだけメディアが発達し、個人が事実を告発する意識が高まってきたということでしょうか。
 アメリカ軍は拘束したイラク人の男女を問わずに拷問を加えていました。その事実が写真つきで新聞や週刊誌に報道されています。公式的には、なんと3月の段階でアメリカ国防総省には内部報告されていたそうです。拷問の事実を知っておきながら、報道機関の告発まで沈黙していたとは。
 戦争状態ではひとは狂気に陥ります。善意ややさしさは、命取りになり、裏切りや策謀こそが安全を保障するのです。だからこそ、物事の平和的解決はひとがひとの尊厳を失わない大事な方法です。にもかかわらず、武力で優位に立つことが、力強さの象徴であるという20世紀初頭の考え方がまだ世界の権力者には一般的なのはとても残念なことです。

4905.5.4/2004
 「いいひと」について考えます。
 多くのひとから信頼され、困ったときには相談され、判断が別れたときには多くを納得させる自分の意見をもち、器用に事務的な仕事もこなすひとを、いいひとだとします。こういうひとになるのだと、自分に命令してなれるものではないけれど、ひとのためになることで、自分が役に立てればと意識し続けているひとは、いつの間にか周囲から「あのひとはいいひと」と認められます。
 そんなことに気づかないうちは問題がないけれど、だれかから、どこかから、自分についての評判を知ってしまうと「そんなことはない」と言えなくなってしまいます。「あいつはひどうやつだ」なら「そんなことはない」と口を尖らせてもおかしくはないのですが「いいひと」と言われているのにわざわざ否定したら「なにをご謙遜を」とか「そんなにお高くとまらないで」と勘違いされてしまいそうです。
 果たして、いいひとなんているのでしょうか。だけど、自分はいいひとを目指してきたんじゃないでしょうか。
 わたしは、多くのひとを救おうなんて、思っていません。ひとりのひとを愛し、大切にこころ通わすことの積み重ねしかできません。

4904.5.3/2004
 イラクで、アメリカ軍とイギリス軍によって拘束されたイラク人が拷問されている映像が新聞に掲載されました。日本でもニュースが映像を流し始めました。
 戦時下の捕虜に関する国際的な約束であるジュネーブ条約に違反していることは明らかです。きょう(3日)の毎日新聞によると、拷問の末に死んだ捕虜もいたと報じています。
 わたしたちは、戦争に幻想を抱いていないでしょうか。
 やるかやられるかの極限状況においても、約束や条約、人権や尊敬などが通用しているという幻想です。実際には、ひとはそんなに型どおりにふるまうことができません。自分や自分たちを守るためなら、法律や道徳の限度を越えたことを実行してしまうのです。今回報道された事件の根深さは、拷問には現場の指揮官や兵士だけでなく、もっと上層権力が関与していたのではないかと疑われていることです。戦時下にあって、敵国人には人権の概念をあてはめないのなら、虐殺は正当化されます。ナチスによるユダヤ人虐殺も、同じことが言え、だからユダヤ人国家イスラエルは同じことをパレスチナ人に対して実行していると論理付けられます。
 もしも、サマワに展開している自衛隊が同様のことをしていたら、世界はどんな反応を示したでしょう。かつての帝国軍隊がアジア各地で行った虐殺の歴史を思い出させ、驚愕するでしょうか。

4903.5.2/2004
 湘南憧学校の一ヶ月が終わりました。
 いままでの週末開校から、平日に開校する湘南憧学校を作るという議論を始めたのは、去年の夏のことでした。あれから、一年も経っていません。4月から、実際にしょうが開校できたことは、開校にたずさわった多くのひとたちの並外れた努力と積極性のたまものだと感じています。
 何度も、夕方から集まりました。何度も週末の休日に集まりました。出席したひとたちは、お金にならない集まりに積極的に出席し、意見を述べ、かたちあるものへ熟成させていく当事者でした。
 まだ法的に認可されていない段階での開校は、わたしたちが活動発足当時にかかげた理想の姿とは違います。だから、現在の湘南憧学校が目的で、ここまできたわけではありません。でも、いつまでも法律の整備と、学校としての認可を待っていたら、いつになったら夢が実現するのか分かりません。それに自分たちの夢を、自分たち以外のもっと大きな存在にあずけっぱなしというのでは、無責任なような気もします。
 いずれにせよ、湘南憧学校は開校の一ヶ月を終え、連休明けから二ヶ月目に入ります。

4902.4.28/2004
 2年生の子どもたちに生活科でパソコンを使った学習をしました。
 4月は1年生のときのパソコン操作を思い出してもらうことをねらいにしています。そのため、マウス操作だけでできるカレンダー作りを3つのステップにわけて行いました。
 カレンダーに入る前にひとりひとりの写真をデジタルカメラで撮影し、ハードディスクに保存しておきます。最初のステップは、そのなかから自分の写真を選んで5月のカレンダー作りです。選択の余地が少ないのは、みんなで斉一な操作をすることにより、ミスを最小限に防ぐ意味があります。もちろん斉一な操作はあまりおもしろいものではありません。早めに通過したいステップです。2つ目のステップでは、たくさんある写真からどの写真を選ぶかは子どもに任せます。最初に5月のを作ってあるので、この段階では6月を作りました。最後の段階では月も写真も自分で選びます。選択の余地を徐々に広げていきました。きょうは最終ステップだったので、各自が思い思いのカレンダーを作りました。パソコンの操作は、それまでの学習から子どもには分かっているので、わたしの説明も丁寧なものから大雑把なものへと変化させました。

4901.4.27/2004
 イラクで人質になり、無事解放された人たちや家族に対して、解放にかかった費用を負担させるそうです。
 危険地帯への渡航を個人の判断で行ったための制裁に近い政府の判断は、各国のメディアの批判の対象になっています。人道的な立場から、個人の判断を優先させたとき、国家が身の安全を守らない不思議の国「ニッポン」という扱いです。
 日本国内の世論、とくに政治家の発言のなかにはあきらかに戦前の「非国民」を想像させる発言も少なくありません。国家の意思に反したものは、たとえ人道的な見地の行動でも最後まで個人で責任を負うべきだという考え方は、一見わかりやすい論理ですが、そこにはとても危険な思想がふくまれているように思います。
 それではかつて国家の意思に反して、多くのユダヤ人の国外逃亡を助けた外交官はどうなるのでしょう?

4900.4.26/2004
 いつも湘南地方は4月下旬に一度ぐーんと気温が下がります。
 生活科を通じて花と野菜を教材にしてきたので、発芽時期の気温と天候には人一倍気を使ってきました。その関係で、この地方特有の気温と天候の変化について、農事暦が頭のなかにできあがっています。
 気温が下がると、発芽率は低下します。ひどい年には種まきを連休明けにやり直したこともあります。4月中旬のあたたかい時期に種まきをして、気温が下がる前に発芽させておくことが重要なんです。
 先週、予定していたほとんどの花と野菜の種まきをしました。きょう畑を見たら、見事にインゲンも枝豆もラディッシュも発芽していました。双葉を大きく広げているものもありました。ここまで育っていれば、気温の低下はもう心配ありません。双葉から本葉への移行期に連休が入るので、これからは散水が重要になります。適度に雨が降ってくれることが大事な季節になりました。