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4899.4.24/2004
 金曜日、4年生の歩き遠足の付き添いで、引地川親水公園に行ってきました。4年生の子どもたちは、1年生のときから生活科を通してよく知っている子どもたちです。1クラスの人数が40人近いため、毎年、担任以外にTTが補助的にかかわっているのです。だから、わたしはTTをやりながら、この学年の子どもたちのこころとからだの育ちにずっとつきあっています。
 学校から親水公園までは、歩いて30分。引地川という大きな川沿いの道を歩きます。途中には公園があったり、畑が広がったりします。車道ではないので、子どもが交通事故にあうことはありません。
 八重桜が咲き誇り、色とりどりのつつじが目を引きます。ハナミズキが可憐な花をつけ、たんぽぽの綿毛が風に揺れていました。

4898.4.21/2004
 昨年度の3学期、わたしはわけあって本来のTTから、6年生のクラス担任をフォローするTTを担当しました。それまで、生活科のTTだったので、畑の収穫を2学期の終わりに前倒しして、3学期に突入しました。
 引き受けたからには中途半端なことはしたくなかったので、1月から3月まで、子どもたちが卒業するまでは、生活科関連のことには触れませんでした。一番の心配は畑の様子でした。用務員さんに頼んで定期的に石灰で中和をしておいてもらったので、新年度耕作したときに、とてもやわらかい土が出来上がっていました。でも、3ヶ月も顔を出さなかったので、近所の猫や犬のトイレになっていました。
 猫や犬は、ふかふかの土を好んで用を足します。ふかふかの畑はかっこうのトイレなんです。人が草取りや散水でひんぱんに足を運んでいれば近づかないのですが、3ヶ月もあけてしまうと、さすがに向こうのものです。今月は毎朝、糞の始末や足跡で荒れた地面をならしています。
 ピンチヒッターとして、6年生の担当をしましたが、そのためにおろそかになったことを自分ひとりの力で克服しています。職員会議を何度もやってみんなで決めたことでも、結局最後は個人にしわよせがくるんだなぁと感じます。

4897.4.20/2004
 少人数制で指導している4年生の算数。きょうもありました。最初なので、どんななかみなのかを経験する意味で、子どもたちは3つのグループを移動しています。
 きょうは40席の机とイスが不足するほど、わたしの担当する「りんりんグループ」は盛況でした。これだけたくさんの子どもがいると指名するのも一苦労です。ずっと座席に座ったままじゃ退屈だろうと、黒板に書いてもらったり、発言してもらったり、学習への参加活動を盛り込みますが、それでもすべての子どもに対応するのは大変です。
 学習に使ったプリントを回収して、○をつけるかわりに、「すばらしー」「手を上げてくれてありがとう」「字がきれいだね」など個々人に応じたメッセージをプレゼントしました。
 数の概念は、個人差がつきやすい領域です。どの子どもにも均等な育ちを導くように努力はしていても、どうしても能力差は存在します。それが個性なのですが。

4896.4.19/2004
 きょうは教員になって久しぶりに4年生の算数を教えました。
 わたしは1985年に教員になったとき、4年生の担任をしました。翌年も連続して4年生を担任しました。それ以来、4年生の指導は経験していません。ほとんど高学年の担任です。久しぶりなはず。18年も前のことでした。
 大きな数という単元で、億や兆が登場します。
 本当は、わたしは担任といっしょに指導する協力指導という立場なのですが、今年度は4年生に限り、少人数制指導を試みているのです。2組まであり、それぞれ40人近い人数なので、わたしと担任2人の3人で、学年を3グループに分けます。わたしは教科書レベルの内容を扱う「りんりんグループ」。各グループへの所属は本人の意思に任せてあるので、人数は平均化されません。ちなみに「りんりんグループ」は、40人以上いたかな?

4895.4.18/2004
 朝、通勤途中の自転車で、最大の友だちはFM横浜。携帯型のラジオ。とても安かったのはよかったんだけど、チューニングするところが壊れてしまって、FM横浜84.7に固定なんです。他のにしようと思っても、チューナーの針が動きませんだから、スイッチを入れれば必ずFM横浜。
 そのラジオから、ポップスやラップなどたくさんの音楽が流れてきます。先日、朝からとってもしっとりとしたメロディに、こころにしみる歌詞の歌が流れてきました。
 曲の最初に紹介があったようで、終わってから曲名や歌手の紹介はないまま。「もう一度聴きたいよ」。その気持ちがつのって、仕事帰りにCDショップに行きました。なにせ、曲名がわからない。たぶん歌手は歌い方や声の感じから、一青窈さんかなって想像していました。CDショップの店員に、歌詞の一節をその場で歌って聞かせました。「あー、わかりました」。
 通勤途中でいいなーと思って一日働き、帰りにそのCDをゲット。まだ八重の大島桜が咲き誇る街道を自転車で横目にしながら、自転車のかごに「ハナミズキ」がゆれていました。わたしがCDショップで歌った歌詞。
 「きみと好きなひとが百年続きますように」

4894.4.16/2004
 小学校で、放送委員会の担当をしています。
 この時期は、新しく放送委員になった子どもたちに、機械の使い方を教えるために、8:20頃と12:20頃の2回の放送のとき、放送室でいっしょにいます。使い方が分かってきたら、少しずつ子どもだけに任せていこうと思っていますが、放送室は密室なのでいままで放送委員どうしでトラブルが少なくありませんでした。表向き、機械の使い方を教えるという名目で、じつは放送室を隠れ名所にしないための目付けみたいな役割をしているのです。
 案の定、去年も経験し、今年6年生でも放送委員になった子どもは「いつもいるの?」と口を尖らせます。5年生のときに、放送室が密室空間になっていたことを知っている子どもたちです。
 いっしょになって話を聞き、いっしょになって考えることが教育の役割であり、子どもだけの空間を与えて無法化していくのは学校の価値を低下させてしまうと考えます。

4893.4.15/2004
 昨日の雨とうってかわって、きょうはいい天気。
 いつでも種まきOKにしてある生活科の畑で、仕事をしていると、保護者の方が近くを通りかかりました。
「また、ここに戻ってきましたね。ここにいないと、なんだか寂しかったですよ」
ありがたい言葉をいただきました。
 校内事情で、昨年度の3学期は高学年の協力指導へシフトしたので、放課後を除く畑仕事は久しぶりでした。子どもの声が響く時間に、畑で蝶や団子虫を相手に野菜作りをする季節がまたやってきました。
 子どもたちと、これから夏までの間、汗を流しながら野菜を育てます。この春の野菜は、インゲン豆、枝豆、ラディッシュです。先日来の雨で、畑の土はいい感じに湿って、野菜の種にとって、ふかふかのベッドになっています。

4892.4.14/2004
 イラクで拘束された方々の家族がつかっている東京にある北海道事務所には、事件以降、多くの激励の手紙やメール、ファクシミリが届いています。しかし、なかには家族や拘束されている人たちを中傷するものや、事務所の利用を疑問視するものなど、家族のこころの痛みを増幅させるものも混ざっているそうです。
 子どもたちに「しつけと道徳心を」と、行政の人たちや政治家が声高に叫びますが、礼儀と余裕が必要なのは大人たちのような気がします。いま、わたしたちがするべきことは、情報の隠蔽と対応の不手際を見逃さない鋭い感覚です。権力によって情報が隠蔽され、内部で起こっていることがチェックされなくなったとき、社会は治安維持を最優先にしたトーンへと急変します。そこには個人という価値は失われ、ただ全体のための個人のみが存在し、ひとがひとでなくなる身体が用意されているのです。

4891.4.13/2004
 イラクで拘束された民間人、それも個人レベルでイラクで苦しむ人たちの人道支援活動に身を捧げていた人たちが生命の危機にさらされています。この現実を前に、日本政府は拘束され生命の危険に直面している人たちよりも、国家という見えない共同体の意思を優先しようとしています。
 すでに情報の隠蔽が「人質の安全を優先するため」という理由で堂々と始まっています。政府が、どのような手段で事件の解決に向かおうとしているのか、その進捗状況はどうなっているのか。こういったことのなかから、具体的なことをぬきにして、伝えられる内容はあるはずです。多くの人たちに伝えられないのなら、せめて残された家族の方々には知りうる限りの情報のうち、安否にかかわるものだけでも伝えてもいいのではないでしょうか。
 本当に安否にかかわる情報を日本政府がつかめていない、あるいは他国にお任せだとしたら、日本の政治権力は国民の代表として責務をまっとうしているとは考えにくくなります。人々から選ばれ、その人々から税を徴収して、生活の安定と平和な社会の構築を付託されているはずの政治権力者たちに、もう一度初心に戻って問題の解決を見つめてほしいです。
 また、拘束された民間人を救うために尽力している人たちは、ときとして国家は国民を犠牲にすることがあるということをいま目の当たりにしている現実感から逃げないようにしましょう。(つづく)

4890.4.12/2004
 国家は、かつての世襲や武力による支配層の確立をくつがえす概念です。
 ひとびとの意思によって、権力の担い手を選び、個人資産を税というかたちで、その担い手に託す考え方です。一般的には18世紀以降、ヨーロッパから広まった考え方です。王族を倒し、選挙によって政治権力の担い手を選んでいく方法が世界に広まったのは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてでしょう。
 一部の支配層と大量の被支配層が固定的な関係を続けていた時代には、個人という考え方が存在する必要はありませんでした。生まれながらにして、ひとの生き方と方向性は決まっていて、身分の低い者が支配層になることは許されていなかったからです。結婚や就職でも、立場の違いは厳格に区別されました。だから、多くの戯曲には立場の異なる男女の恋愛が悲劇的に多く残されているのでしょう。
 国家の構成員は国民です。国家が、特権階級による固定的な支配構造をもたないとはいえ、ほかの勢力との関係は、それまでのものと変化はしていません。たえず人類は、排他的なものの考え方を貫くことで、自分たちを意識し続けているのです。国境によって囲まれた範囲に居住する者どうしが、意識のなかで地理的身体を共有しているのです。(つづく)

4889.4.11/2004
 イラクで復興支援にあたる民間人3人が武装勢力の人質になりました。武装勢力は自衛隊の撤退を求めています。それがかなわなかった場合、人質の暗殺をほのめかしています。
 期限はわずか3日間。たとえ自衛隊を撤退する決定をしたとしても、3日間では撤退は完了できません。今回の要求は、最初から人質を生きて返すつもりがないように感じました。あるいは、とうてい無理な要求を突きつけることによって、わたしたちが知らない最悪の事態を隠そうとしているのかもしれません。
 第二次世界大戦から半世紀以上が経過し、いまの日本社会を動かしているひとたちは、ほぼ戦後生まれになりました。戦後に生まれ、戦争の恐怖のない社会で子ども時代を過ごし、おとなになって社会に貢献しています。だから、最初から国家という目に見えない大きな共同体を、すでにそこにあるものとして受け入れています。ベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」です。
 想像の共同体は、多くのひとたちの頭のなかで作られ、共有されています。海や空のどこを見ても、境界線など引かれていないのに、わたしたちは国境を意識し、認め、受け入れているでしょう。まちのどこを見ても、自分の年齢をぶら下げているひとなどいないのに、社会は青年・中年・高齢者などと年齢区分を勝手にしています。身の回りには、そんな想像によって支えられている共同体がたくさんあります。そのなかで、20世紀になってクローズアップされた想像の共同体が、国家なのです。(つづく)

4888.4.9/2004
 きょうは、今月行われる遠足の下見に担任たちといっしょに行きました。
 学校から歩いて30分ぐらいのところにある「引地川親水公園」というところです。以前までは、大庭遊水地という名前でしたが、アスレチックや小山が整備され、親子連れで楽しめる公園に変身していました。
 春の日差しがポカポカとふりそそぎ、就学前の子どもを連れた親子がたくさん遊びに来ていました。なずなや、桜、れんぎょうが見ごろでしたが、遠足の頃は蓮華が咲き乱れる場所です。わたしは以前にも、社会見学の付き添いで行ったことがありますが、群生する蓮華を初めて見て驚きました。
 こちらは遊びに来たわけではないので、トイレの場所や昼食の方法、子どもの持ち物などを担任と確認しながら、公園内を歩き回りました。藤沢の自然公園は、どれもとても広いので、うらやましくなります。わたしが住んでいる鎌倉には、こんな大きな公園は数えるほどしかありません。

4887.4.6/2004
 きょうは、離任式がありました。
 年度替りで、学校を去った方々と子どもたちとのお別れのセレモニーです。教職員とも公的にはお別れです。公的にはというのは、私的には送別会などがあるので二度と会えなくなるわけではないからです。
 今年は小規模な学校にしては11人もの離任者がいて、規模の大きな離任式となりました。体育館に子どもたちを座らせて行います。お別れをしに、多くの保護者の方々も集まりました。ざっと数えたところでは300人を越えていたでしょうか。
 わたしはいまの学校に異動してきて、ずっと視聴覚という領域でお世話になったYさんとのお別れがつらかったです。Yさんは、わたしよりもちょっと年上の男性教諭で、子どものことをいつも一番に考えているすばらし方です。校長や教頭にも、ずばっと自分の考えを言える人です。あまりお酒が強くなく、飲みに行くと、すぐに熟睡し、みんなが帰る頃になると目が覚めるという効率の悪い酒飲みでした。でも、彼と過ごした5年間、経済のこと、日本の将来のこと、目の前の子どものことなど、共感できるものがいっぱいあったのが忘れられません。「俺が出て行くときはこいつをかけろよ」とのリクエストに応じて、離任式の体育館には「涙そうそう」「サライ」「島唄」を大音響でかけました。

4886.4.5/2004
 きょうは本業の小学校で始業式と入学式がありました。
 小さな一年生がたくさん入学してきました。まだ緊張している顔ばかりでしたが、数日もたてば、学校生活にもなれることでしょう。
 湘南憧学校は開校2日目。Y教師からの連絡では、近くにある運動公園に花見に行ったそうです。とても桜がたくさんあるところで、週末には花見の車で渋滞していました。平日に子どもたちと、教育活動の一環としてのんびり桜を満喫できるYさんたちをうらやましく思います。同時に、その湘南憧学校を下支えしている自分にも、誇りと勇気がわきました。
 環境は違っても、教育のスタイルは違っても、子どもたちを伸ばしていこう、育てていこうという願いは同じです。どちらが優れているかみたいな優劣を競うことは、意味がありません。子ども、それぞれにぴったりの教育機会を創造し、提供していくことが、教育に携わるおとなの醍醐味と、わたしは感じています。

4885.4.4/2004
 4月3日。鎌倉の常盤口というところで、小さな学校が開校しました。鎌倉山のふもと、桜の花びらが舞い落ちるなかでの開校です。
 わたしたち、湘南に新しい公立学校を創り出す会が、長年目指してきた「学びの主人公を子どもにする学校」の開校でした。初日は、関係する人たちが参加しやすいように土曜日でしたが、来週からは平日に開校します。
 常勤と非常勤の教員に給与を払い、継続的な学習計画と指導ビジョンをもった本格的な学校のスタートです。平日の開校なので、いまの学校に通いながら、こちらに来るというのはなかなか難しいのですが、入学者のなかには週に一度だけこちらに出席する子どももいます。
 来週は春の源氏山公園に遠足です。自分自身が当事者になって、子どものなかで活動できたら一番幸せなのですが、いまは信頼できるメンバーに恵まれたことを感謝し、運営側スタッフとして、新しい学校を軌道に乗せることを念頭に置いて活動を続けます。
 新しい学校は「湘南憧学校(しょうなんしょうがっこう)」といいます。

4884.4.2/2004
 学校の子どもたちが使うパソコンの担当をしています。
 わたしが勤務する学校のパソコン室には30台のパソコンがあります。ウインドウズ98が10台、XPが20台です。それぞれがランケーブルで教師が使う親機とサーバーにつながっています。親機のオペレーションシステムはMEです。
 子どもたちがパソコンを使うと、自宅のパソコンを使っていては起こらないようなエラーが続出します。とくにインターネット関係のエラーはほぼ連日発生します。行政が各学校のサーバーを集中管理していて、強力なフィルターをかけているので、そのアクセスログが膨大にたまるのです。もともとサーバーのハードディスク容量はそんなに大きくないため、こまめにアクセスログを削除しないと、サーバーの起動自体に影響が出ることも少なくないのです。
 また、学習関係のファイルは、ネットに侵入しない場所に保管しているので、こちらのハードディスクの管理も重要です。各クラス、教職員個々人にディスクスペースを割り当てているので、保存されない空白領域が無駄に膨らむことも少なくありません。
 年度替りのこの時期は、まだパソコンを使うことはないので、一斉にメンテナンスを施します。きのうときょうの二日間をかけて、40ギガのハードディスクのスキャンとデフラグを実行しました。親機のスペックが低いこともありますが、スキャンもデフラグも、インジケーターが遅々として進まないようなメンテナンスなので、一晩中かかりました。きょう、やっと両方の作業が終わり、連続した空白領域をたくさん確保できました。月曜日からは新学期の始まりです。パソコン室も稼動へ向けて用意が整いました。

4883.4.1/2004
 4月になりました。
 学校や役所は新年度の始まり。人事異動が発令され、お世話になった人たちがほかの学校に異動し、初対面の人たちと出会います。今回、わたしの勤務する学校は、学級数のわりにはとても多い異動があったので、残留するわたしたちも、新しい環境でのスタートという気がします。
 日本の公立学校は、どこに行っても仕事は同じはずという学者もいますが、それは教育を担っているのは「ひと」だという大事なポイントを見逃している気がします。ひとはプログラムと違って、コピーされた存在ではありません。みんな少しずつ違いがあります。その違いがすばらしいわけで、規格どおりにしなければいけないのなら、人事異動なんて不必要になります。
 新しい人たちと協力し、ときにはぶつかり、そして妥協しながら、また春夏秋冬を過ごします。若かったときは勢いだけで突っ走っていましたが、校内の役割とか仕事とかが、大切なものがまわってくる年齢になってしましました。だからといって、前例主義の思考停止に陥らないように、切磋琢磨しなくちゃ。

4882.3.30/2004
 きょうは自主研修で大船植物園に行ってきました。
 議会勢力の力関係で、藤沢は長期休暇中や学年末学年始休暇中に教員の自宅研修が認められなくなって久しくなります。教育公務員特例法では、勤務地を離れての教員の研修を認めているのに、自宅が研修場所として不適格というのは理解しがたいことです。法律の解釈によって、教員から自由とゆとりを奪っていく流れは東京を中心に広がりつつあります。教員にゆとりがなくなったら、子どもによい教育はできないと思うのですが。
 自主研修は、実施前に計画を、実施後に報告書と半券や写真を提出します。その事務作業が面倒なので、有給休暇にしてしまったり、出勤して教材研究をしたりする教員がたくさんいます。わたしは、やがて自主研修までも認められなくなるときまで、意地でも有休や出勤に代替しないで、自主研修を続けるつもりです。
 学校に勤務していると、自宅と学校の往復ばかりになります。教員は、勤務地と勤務時間が厳格に拘束される職種なので、よのなかに触れるチャンスが極端に少なくなります。新聞やニュースで見聞きする知識は豊富でも、風や空気、流行や常識といった外に出て見なければ感じられないものに鈍感になりがちです。子どもたちのいまと向き合う職種だからこそ、いまと未来をしっかりと見つめるためにも、自分にあった方法で教員個々人が見聞を広める努力を続けることが不可欠だと思います。

4881.3.29/2004
 月末が近づきます。
 教員世界の人事異動は、企業と違って、ほぼすべて年度末と年度始めに集中します。
 そのため、この時期、移動の内示を受けている人たちは連日、荷物を整理したり、新天地での準備をしたりと忙しく、休みどころではないのです。わたしが、ひとつの学校に長く勤務するのは、この時期の忙しさに身を置きたくないという理由もあります。ひとつのことを終え、新しいことを始める区切りの時期に、気持ちの整理もつかないまま春を迎えるのは、子どもたちに余裕をもって対面できないのです。
 今回の異動では、わたしの知っている人たちが、現任校だけでなく、他校でも、多く異動します。連日、学校に行って片づけをしていると聞きます。また、定年前の退職者も数多くいます。長年の教員経験を、わたしたちに伝授することなく、職人教師たちが現場を離れていきます。とても、能力のある人たちが教育の世界から離れていき、自分でのものを考えるのを停止し、うえの命ずるがままに身を処す操り人形のような人たちばかりが現場に残ることを、だれがねらい、求めているのでしょうか。

4880.3.28/2004
 きょうは、4月3日からいよいよ開校する湘南憧学校の荷物入れと整理をしてきました。
 子どもが学びの主人公になる学校を創ろうと、仲間と湘南に新しい公立学校を創り出す会を発足したのが1997年。実際に子どもたちを集めたテストスクールを開校したのが1999年。振り返れば、ここまで長い時間がかかりました。公立学校としての開校はまだ実現していません。しかし、平日の昼間に理想の学校を開校するのは、法人を設立した目的の半分が達成されることを意味しています。
 わたし自身は、そこで働くことはできません。逆に専従で働く人たちに給料を支払う立場になりました。でも、いつかは自分もそこで働けるように、春からの開校を一日も早く軌道に乗せたいと思います。
 ひとつひとつのことに、とても多くの人たちがかかわっています。そのひとりひとりのおかげでここまでたどり着くことができました。

4879.3.25/2004
 今月末で、いままでとてもお世話になったHさんが退職します。定年まで数年を残しての退職です。
「職場内禁煙なんて、やってられっか」が公式な退職理由ですが、実際はもっと深いものがあると思います。昨晩、Hさんを含め、仲間と酒を飲んだとき「もう、子どもたちに勉強をしろなんて言えなくなった」とつぶやいていました。
 子どもを塾と試験と評価によって、親も教師も子どもを勉強勉強と追い込んでいく果てに、子どもたちの学校離れ、学習意欲の低下、家庭崩壊が、繰り返されている現実は、学校関係者ならば、だれでも気づいていることです。にもかかわらず、一つでも内申点をあげること、一点でも点数を上げること、少しでも偏差値の高い学校に進学することが、子どもにとって必要なことだというおとなの考えはなくなりません。二言目には「宿題やった?」「勉強しなさい」と追い詰めていく大人の接し方が、子どもに反発心と反抗心を生めばいいのですが、逆にそれさえも抑制されて、精神的に病的な状態に陥る子どもたちを目前にすると、この社会のとても無責任な教育行政権力の中枢にいる人たちの無力にため息をつきたくなります。

4878.3.25/2004
 いま公立小学校では、新採用教員のための研修が強化されています。
 かつては、同僚教員たちの指導と援助が、新採用を育てる唯一無比の方法でした。しかし、教育行政の政策で、すべての新採用に共通の研修が導入されるようになりました。年間を通じて100日ぐらいが研修にあてられています。
 研修内容は複雑で、校内でほかの教員たちの授業を参観したり、自分で発表したりするものから、校外に出張として出かけるものまであります。校外の出張はほぼ毎週決まった曜日に朝から丸一日の出張です。クラスには子どもたちがいるのに。
 すべての研修に事後報告が課せられているようで、わたしの身近の新採用教員は学級事務と研修報告で私生活がない状態になっています。わたしが教員になった頃にはあまり考えられなかった一年目での退職は、いまは珍しくありません。理想と期待をもって教員になったのに、想像とまったく違う激務に耐えられなくなってしまうのです。激務のなかみが、クラスや学習指導に関することならばいいのですが、クラスを離れる研修がらみの仕事に追われるうちに子どもや親との関係がこじれ、自信を失い退職してしまうのです。
 若い有望な人材を失意のもとに離職させる研修制度は、子どもや新採用教員のためになっているのか疑問に思うことがたくさんあります。だれがこのような制度を発案し、だれの権限で実施し続けるのでしょう。責任者の顔が見えてこないのが不思議です。

4877.3.23/2004
 ちょうど息子も娘も小学校と中学校を卒業する学年だったので、ふたりともいまは他の学年より一足早く春休みに入っています。いつもなら起きてこないと学校に間に合わない時間でも、休みだから堂々と寝ています。
 こっちは、仕事なので6時半過ぎには起きて洗面台で顔を洗います。
 子どものときは「早くおとなになって働きたい」と思っていました。でも、いまはつくづく「学生時代はよかったー」と感じます。それぞれにないものねだりだということは分かっています。いまは、自分の自由になる時間を欲します。学生時代は、自分の自由になるお金や束縛からの解放を欲していました。時間もお金も自由になる生活などないのかもしれませんね。
 今朝のニュースで、イスラエル政権がパレスチナ人の宗教的指導者を暗殺したことを報じていました。暴力の連鎖を阻止したいと強く願います。

4876.3.22/2004
 子どもたちが卒業した教室を掃除しました。こないだまでたくさんの子どもたちの声が響いていた教室が、主人公がいないので、静まり返っていました。
 壁の賞状をはがし、テレビのほこりをふき、床のごみをとり、ワックスをかけます。次にこの部屋を使う子どもたちは、いまの5年生です。その子どもたちが休み時間に教室を覗きに来ていました。
 学校で働くようになってもうすぐ20年。毎年、この時期は過ぎた1年がとても早く感じられ「あのとき、ああしていればよかった」「どうして、もう少していねいにできなかったんだろう」と後悔や自己嫌悪に陥ります。春休みが終わって、新年度が始まると、一気にたくさんの仕事が押し寄せてきて、いまのセンチな気分をすっかり忘れてしまうのですが。

4875.3.21/2004
 愛知県新城市に行ってきました。(社)新城市青年会議所が主催する3月の例会「がっこう井戸端会議2004」に講師として協力させていただきました。もうひとり、名古屋でフリースクールを開校している幸伊知郎(ゆき・いちろう)さんも講師として招聘されていました。幸さんとお会いできたことは、今後のわたしの活動に新しい可能性が広がるのではないかという期待をもつことになりました。
 豊橋まで新幹線で行き、そこから車で新城市に入りました。落ち着いたたたずまいの静かな町です。「塾がとても多いんですよ」。今回、わたしを招聘してくださったTさんが教えてくださいます。車を運転してくださったOさんは、市議会議員さんです。
 自分たちの町に、もっともふさわしい教育の姿を、市民の方々が考え、アンケートを作り、すべての学校に実施を依頼し、公民館をまわって地域のひとたちとの交流も増やしながら、今回の例会へとつながっていました。現職の教育関係者が、なかなかこういう場に足を運んでくれないということを残念がっていました。それについては人集めの方法をアドバイスしました。教育の営みは、これまで学校の内側に「お任せ」だった時代が多く、外側の人たちはノータッチでした。しかし、もはや学校の内側だけでは対応できないほど、子どもの生活や親の考え方が多様化しています。「それでもなんとかして」といままでのようにお任せ続けるのが我が子のためにいいのか、「いっしょになんとかしましょう」がいいのか、「わたしたちでやります」がいいのか、市民が自己の責任において選択しなければならなくなってきているのです。
 今回、切符の手配から食事の用意、移動にいたるまで、青年会議所の方々には何から何までとてもお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

4874.3.19/2004
 きょうは娘の「卒業を祝う会」でした。これで小学校とのかかわりはなくなります。保護者ではなくなるので、いままでのように学校行事のたびに顔を出すのには抵抗感が生まれるかもしれません。まあ、多くの知り合いの保護者がいるので、気にしないかも。それに中学校の集まりに出るようにすればいいわけだし。
 5年生が「さあ、6年生の入場です」とさわやかな声で宣言しました。扉が開いて、1組から1人ずつ6年生が入場します。5年生が「世界に一つだけの花」を演奏します。いつも朝登校のときに会う子どもたちが、きょうはとても大人びて見えました。
 つい、こないだ長男の卒業式のとき、「6年間、みんなありがとう」という気持ちで、ほかの子どもたちのことを見渡していたような気がします。あれから3年が過ぎ、下の娘の卒業でも同じように「みんな本当にありがとう」という気持ちになりました。
 学校に勤めていると、その学校独自の卒業式に出会えます。わたしは、自分の子どもたちの卒業式(卒業を祝う会という名前に、先生たちのメッセージが凝縮されていますね)が、とても気に入っています。自分の勤務先でも、同じようにしたいと思う反面、それぞれの学校独自のやり方を変えていく大変さも思ってしまいます。

4873.3.18/2004
 きょう、卒業に一日早く子どもたちとお別れをしました。
 わたしは自分の子どもの小学校の卒業式に参列するため、クラスの子どもたちの卒業には立ち会いません。三学期に臨時にクラスの担当を引き受けるときに、教職員にそのことの了解を得ました。担当になってすぐ子どもと保護者にも、そのことを伝えました。担任がいるので、そのことは心配していません。練習もたくさん積んだので、当日はきっと胸を張って子どもたちは卒業していくだろうと思っています。
 卒業式に参列しないので、きょうクラスだけのお別れをしました。ひとりひとりに「ひとのいいところ」「自分の自慢」のアンケートをとり、最後にそれを集計して、ひとが思う自分について考えさせました。とくに答えのある授業ではありません。途中、国語の時間に作成した「自分への卒業証書」をひとりずつ手渡しました。
 最後に、サプライズで森山直太郎の「さくら」を独唱。クラスでピアノが上手な子どもに数日前にこっそり頼み、音あわせもしていたのでばっちりでした。いつも、おもしろいことを言って、わたしにちょっかいを出す子どもが、歌っている途中に「やめろ、変な歌、やめてくれ」を連呼。でも、わたしにはその子どもが別れを一番意識しているんだなーと分かっています。だから、お別れを受け入れたくなかったのでしょう。
 これから、成長していく子どもたちに三ヶ月というわずかな時間しかいっしょにいられなかったので、どこまでこころに残る指導ができたかわかりません。でも、別れ際にクリアファイルにたくさんの手紙をもらい、胸がぐっと熱くなりました。

4872.3.17/2004
 東京都教育委員会が卒業式で君が代を歌わなかった子どもがいた場合、教員を処分するという方針を発表しました。
 学校にはいろいろな子どもがいるのに、ことさらに卒業式の君が代だけを取り上げて、調査し、指導者としての教員を処分するというやり方は、前時代的な強権を感じます。学校は、教育現場であり、権力の意思を伝達する場ではありません。広く多くの人たちが、子どもたちに伝え、残していく価値があると認めた文化財を教育内容として配置し、指導することを日々の活動としています。
 もちろん、教員個人の思想信条を子どもに一方的に強制するのは間違っていますが、政治的圧力によって、教育現場に強権が振りかざされる現状は、一部の権力者の思うがままに子どもたちをあるひとつの方向に導いてしまう危険性があります。
 多様な考え方が、多様な文化を生み、創意工夫の産業を発展させます。わたしの知り合いの東京の教員は「もう、職員会議ではだれも意見も質問もしない。なにか言ったらブラックリストに載っちゃうから」と嘆いていました。自分の頭で考えることをやめざるを得ない教員たちに同情するとともに、それでは子どもの未来に責任をもてないではないかという疑問ももちます。
 公教育の箍(たが)が、ぐいぐい強くなって、いつか桶そのものが崩壊してしまわないようにと願います。

4871.3.16/2004
 スペインで総選挙がありましたね。
 あまり知っている人が少ないのですが、アメリカとイギリスによるイラク戦争の開始に、スペインは最初から協力していました。兵士も数多く派遣しています。中東地域のテロ集団が、スペインをターゲットにしていたのは周知の事実です。先般、とても悲惨な電車爆発テロがありました。まだ、真相は明らかにされていませんが、報道によるとスペイン内務省は、あらゆる可能性を考慮して事件の首謀者を捜索するとしています。国内に民族独立運動を抱えるスペインでは、長くテロが続いてきました。
 しかし、今回のテロはその民族独立運動だけを犯人検挙の対象にしないということは、そのほかの可能性も視野に入れているということです。そのほかの可能性が具体的に、どこの誰を指すのかは明らかになっていません。
 総選挙の結果、イラク派兵に反対する政党が与党になりました。早速、首相候補が「6月以降、軍隊を撤退する」可能性について明言しています。スペイン国内の世論が、選挙結果に反映されているとしたら、スペイン軍の撤退はほぼ間違いのないことになるでしょう。

4870.3.15/2004
 6年生の子どもたちと過ごす最終週が始まりました。湘南は今週で公立小学校の6年生は卒業しますが、東京は来週と聞いたことがあります。そのかわり、東京は始業が湘南より遅いとか。どっちがいいんでしょうね。
 わたしは、子どものなかに要求や期待とともに相手への心遣いを感じたとき、この仕事を選んでよかったと感じます。要求や期待だけや、心遣いだけでは、そうは思わないんです。ふつう、「あれしたい」「これしたい」という子どもは、学校ではあまり評価されません。子どものやりたいことをたっぷりやらせてあげるだけの時間がないので、まずはやらなければならないことが優先されるからです。それら後回しにして、最終的につじつまを合わせるのは大変なことです。だから、多くの教員は決められたことを学年末までに粛々と終わらせることに、最大のエネルギーを傾けます。また、相手への心遣いがある子どもは学校では評価されます。しかし、わたしは心遣いだけに気持ちを縛られて自分を苦しめる子どもを多く見てきたので、そんな自己犠牲のような心遣いは、子どものうちには求めません。
 自分の目指す方向、やりたいことが、まず気持ちの中心にあって、それを実現させるためにほかの人たちに説明したり、疑問に応じたりという心遣いがあれば十分だと思っているのです。この両方の気持ちはセットにならないと、自己中心的な内面と、他者依存的な内面という極端を育ててしまう危険性をもっています。

4869.3.14/2004
 きのう13日は、湘南小学校2003の最終日でした。
 湘南小学校2003とは、湘南に新しい公立学校を創り出す会が開校している週末だけのフリースクールです。藤沢市内外から40人近い子どもたちが参加しています。去年の5月からスタートし、きのうで終了しました。
 わたしたちはこのようなフリースクールを1999年から開校しています。毎回、開始日と終了日を決めています。湘南小学校2003で6回目のフリースクールになりました。いちいち、終了日を決めて、また新しく参加者の募集から始めている背景には、申し込んでくださる方々が定員を上回っているという事情があります。せっかく申し込んでくださった方々に、入学のチャンスをと考えたとき、参加者全員をある期限をもって解散という方法がベターかと思っているからです。
 毎回、その年度の湘南小学校でおしまいになる子どもと、翌年度も引き続き申し込みをした子どもとのお別れの場面が、最終日です。とくに終了のイベントはしていません。自然に、プレゼントを持ってくる子どもや、お別れを言いに来る保護者がいて、さようならになっていきます。ことさらに別れを子どもに意識付けさせることの意味がないので、自然な最終日なのです。
 湘南小学校2004は5月の連休明けから開校します。

4868.3.12/2004
 きのう息子が中学を卒業しました。
 こないだ小学校の卒業式に参列した記憶があるので、中学校の3年間はとても早かった気がします。子どもにしてみあたら、山あり谷ありの3年間だったかもしれませんが、親としてはあっという間の3年間でした。小学校に通っていた6年間が、とても長く感じたので、その反動があるかもしれません。
 自分の子どもが中学を卒業し、高校に進学する年齢になるとは。自分が年をとったことを痛感します。いちおう、憲法で定められた親としての義務は果たしたわけで、やれやれという感じです。
 卒業式の夜、息子がわたしのところに来て携帯電話の説明書を見せました。「この携帯電話がほしいんだ」。我が家では、いろんなことを自分で責任をもつように言ってきたので、携帯電話も自分で費用が払えるならばどうぞと言ってきました。電話機は、高校への入学祝で購入するようです。毎月の支払いの目途を聞いたら「バイトをする」と言っていました。もう、親があれこれ口を挟む年齢ではなくなりました。しきりにパケットについての質問をするので、わかる範囲で教えました。自分に必要な知識はぐんぐん吸収します。
 来週は娘が、小学校を卒業します。

4867.3.11/2004
 6年生の協力指導をしています。
 卒業式のときに会場になる体育館に掲示する自画像が完成しました。いまはクラス全員の分を教室に掲示しています。卒業式前日の学級指導で、わたしから子どもに渡そうと計画している「自分への卒業証書」も、欠席していた子どものを作成して、全部そろいました。もうひとりの自分から贈る卒業証書。子どもたちは、小学校時代の自分を振り返り、中学での抱負を語っています。パソコンを使って作成したので、ばっちりひとりひとりの顔写真も貼り付いています。
 そしてきょう卒業アルバムが届きました。すべて子どもたちに配りました。
 ひとつひとつが、確実に卒業へ向かって歩みを進めています。連日の卒業式の練習も、トラブルが発生したときの対処の仕方という最終段階の指導になっています。あしたは、毎週発行してきたニュースレター(学級便り)の最終号を発行します。
 振り返れば、いままでの教員経験でしたことのない大きなことが連続で起こった一年でした。崩した体調も、気温が上がるにつれ、少しずつ復調してきています。あとは、いつ一ヶ月間がまんしてきたお酒を再開するかの思案にくれています。

4866.3.10/2004
 一日の最高気温が15度を越えるようになって来ました。
 自転車で40分近くこいで通勤していると、毎日の気温に敏感になります。なぜなら、発汗するからです。体を動かしているときはいいのですが、職場について「ふー」と息を抜くと、急に寒気が襲ってきます。そのままにしていると、ほぼまちがいなく風邪を引くのです。若い頃と違って、一度風邪を引くと長引いてなかなか元気になりません。元気になれないと、酒も飲めないし、本も読めないし、人と会えないし……と、つまらないことばかりになります。
 楽しい日常を送るには、年をとったら元気でいることだーとこのごろ強く思います。
 15度を越えたら、もうオーバーやジャンパーなどの長袖の上着は禁物です。最初の5分だけをがまんすれば、自然と体はポカポカ。だから、いまは半そでのジャケットをトレーナーの上に着ています。トレーナーの下に何を着るかも大切です。もう長袖のTシャツはいりません。半そでかタンクトップで十分。車や歩きの人から見たら、ちょっと寒そうなかっこうですが、実際にはそれぐらいがちょうど汗をかかない服装なんです。
 5月の連休が明けたら、湘南地方ではどんなに薄着をしても自転車に40分も乗ったら汗びっしょり。そうなったら、秋口まで、着替えを持参の日々が始まります。

4865.3.9/2004
 またまた居酒屋「かわばた」でライブをやります。
 昨年の暮れに最初の「70年代フォークライブ」をやりました。「季節ごとにやりたいね」とご主人の荒井さんと話をしてきました。そろそろ春を迎える3月27日の土曜日に2回目のライブをやります。前回は、お客さんに歌本を持ってきてもらいましたが、あまりお手数をかけるのは悪いので、こちらでレパートリーを増やしておこうと思います。
 夕刻から始めます。とくに決まったテーマはありません。来た方とおしゃべりしながら、あれにしよう、これにしようという感じで、選曲し、ギター伴奏をします。荒井さんは「今度は練習をしておきたいね」と言っていたので、いくつかはお客さんに聞かせる曲を用意できるかもしれません。参加は自由です。お金もとりません。飲んだり、食べたりした料金はお店の値段でお支払いください。
 歌を歌うことは、ずっと昔から続けてきています。いままでいろいろな場所で歌ってきました。楽器もギターだけでなく、ほかの楽器も試しました。今回は前回のライブ同様、わたしと荒井さんのフォークギター2本でお届けします。

4864.3.8/2004
 卒業式の練習が始まっています。
 学校を卒業することに、どうして練習が必要なのかという思いと、過去の伝統を引き継がなければいけないという相反する想いがいつも交錯しながら練習を指導しています。とくに、作法的なことは、何度も子どもたちに強要しなくてもいいのではないかという気持ちと、いやいや教えてあげなければ分からないという正反対の気持ちがぶつかっています。
 やらなければいけないことだけれど、子どもの表情を見ていると、あまり意欲を感じないこともすくなくありません。昨今の成人式で大暴れする道徳心の欠如した若者たちだって、小学校や中学校の儀式では教員の指導に従っていたと思います。その頃、自分でものを考えずにただ従っていた経験が、だれも指導してくれない成人式ではめを外す結果につながっているとしたら、小学校や中学校での儀式指導のあり方を見直さなければいけないのではないかと感じます。
 わたしたちの仕事は、子どもの未来につながります。いま扱っていることが子どもの未来にどのようなかたちで反映していくのかを考慮した取り組みをしたいなーと思います。

4863.3.7/2004
 今年になってから急に母の体調が悪くなり、1月に診断に行ったら、即検査入院になりました。結局そのまま1ヶ月近く入院し、いよいよ病気がわかり、治療を前にして10日間ほど退院していました。
 あしたから治療のために入院です。
 医者に治療が始まったら、薬の副作用がきついから、退院している間においしいものをいっぱい食べてきなさいと言われていました。この間、父といっしょに何年ぶりでしょうか旅行に行きました。南伊豆町に妹夫婦が住んでいて、その関係で近くの旅館が予約できました。
 きょうは、伊豆から妹も鎌倉に出てきて、一族でお昼から夕方まで長い食事会をしました。写真もたくさん撮影し、子どもたちはお土産をもらっていました。
 わたしは厨房で、家族がこうやって顔を合わせ、話し、食べ、飲み、笑い、祝いあう時間が、いつまでも続けばいいのにと思いながら料理を作ります。そんなにたくさん作っても、食べきれないのはわかっていても、母の好物をついついたくさんテーブルに出しました。わたし自身も体調が悪いので、たまたまアルコールを飲んでいませんでした。その関係で、夕方、実家に両親と宿泊する妹を車に乗せ送りました。別れ際、わたしの手を強く握った母。「よろしくね」。
 その言葉に目頭が熱くなります。看病をよろしく、回復祈願をよろしく。考えたくない、これ以外のよろしくを頭から振り払いながら、帰途に着きました。

4862.3.5/2004
 きのうは、6年生の奉仕活動がありました。
 卒業を間近に控えたこの時期に学校への恩返しという意味で、6年生が学年全体で行う行事です。今年は、校庭の側溝にたまった土砂を取り除くことにしました。
 校庭は、障害物のない広い空間なので、雨風の影響をとても強く受けます。とくに、周囲の側溝は本来ならば雨水を排水するものですが、雨水といっしょに流れ込んだ土砂によって、役割を果たさなくなってしまいがちです。すんなり排水ができるように、土砂を取りのぞくことは大切なことですが、多くの人手が必要です。だから奉仕活動にはもってこいのなかみでした。
 コンクリートの蓋を外すと、側溝いっぱいいっぱいまで土砂が埋まり、水が流れる隙間なんてありませんでした。水はけの悪い校庭だなーと思っていましたが、排水されていなかったのだから、当然のことでした。子どもたちは、土砂をかき出す役、かき出された土砂を運ぶ役、運んだ土砂を固める役に分かれ、手際よく作業をしていました。「こんな仕事、やだー」と逃げ出す子どもがいるかなーと思いましたが、どの子どもも楽しんで側溝の土砂すくいをやっていました。
 予想以上に作業が進み、予定の範囲を超えて、側溝の土砂を取り除くことができました。

4861.3.4/2004
 頭痛で悩んでいる人たちの掲示板やチャットルームを見ると、自分に起こっている現象がなんなのか分からなくて悩んでいる人が多いことに気づきます。それほど、群発頭痛や片頭痛は風邪などの頭痛とは痛みの質が違うのです。だから、頭痛と思わないで、もっとひどいことが脳で起こっているのではないかと不安になるのです。
 わたしも最初は腫瘍や出血が頭に浮かび医療機関に行くのに二の足を踏みました。できることなら市販の鎮痛剤で治まってくれと願いました。しかし、いまにして思えば、そうやって我慢したことがかえって痛みを助長させたと思っています。
 まず、右耳の上あたりにコリを感じます。手で頭皮を触ると、そこに頭蓋骨にそってうすい筋肉があるのがわかります。その筋肉がかちんこちんに固まるのです。放っておくと、コリが右眉毛の上のほうに広がります。ここまでは少なくとも、頭痛という認識はありません。でも、鎮痛剤を飲むのはこのタイミングです。わたしの経験ではこのタイミングを逃すと、痛みを回避することができません。
 コリが右耳の上、右眉毛の上に広がると、続いて右顔面全体が重く感じるようになります。気づくと、右後頭部から背中にかけてコリが広がっていくのが分かります。そして、右眉毛と、右こめかみ、右目の奥に、心臓の鼓動にあわせたズキンズキンという痛みが発現し始めます。

4860.3.3/2004
 もう少し頭痛の話を続けます。
 怪我のように外から見えない頭痛は、痛さを言葉や表情で示さないと相手に伝わりません。とくに病院に行って医師に症状を伝えるときは、表現力が重要になります。最近の医師の多くは、群発頭痛や片頭痛のことを知っているので、だいたいの話をすれば分かってくれますが、かつては絵の具の筆のようなもので顔をなでられて「感じますか?」みたいな検査をする医師もいました。
 仕事をしている人は、次に職場の同僚や上司に頭痛を伝える必要があります。医師はもともと医学の道を志した人なので、こちらの話を分かろうとしてくれます。しかし、職場の同僚や上司は必ずしもそうとは限りません。とくに、いままで大きな痛みをともなう頭痛を経験したことがない人が上司だった場合は最悪です。どんなに言葉を尽くして説明しても「頭痛ぐらいで大げさな」と軽くあしらわれてしまうことが多いのではないかと思います。少なくともわたしの場合はそうでした。
 なんとなく頭の奥のほうで、小さな雷が時々鳴るような風邪や二日酔いの頭痛と違って、片頭痛や群発頭痛の痛みは、立っているのも困難になるほど全身の痛みが頭に集中します。そのつらさを明日のウエイで発現からの順を追って説明しますね。

4859.3.2/2004
 群発頭痛というキーワードでインタネットの検索をしてみました。
 いままで、インターネットで自分の知りたい情報を入手していたのに、なぜこのことに気づかなかったのか、とても不思議です。調べてみたら、治療法・治療薬・意外な薬など参考になるサイトがたくさんあって驚きました。また、頭痛友の会(ちょっとネーミングがいまいち)とか、頭痛クラブなど、ネット上の交流サイトも発見しました。
 アクセスしてみたら、いままでわたしが苦しんできたことと、まったく同じ症状で苦しんでいる人たちがたくさんいることに気づきました。自分ひとりではないんだという事実は、なぜかそれだけでとても気持ちが楽になるので不思議です。
 わたしが初めて発病した1993年は、医者のなかにも頭痛に関する専門的な知識のある人は少数でした。風邪と整理痛以外の頭痛は、腫瘍や出血の前兆として、とても恐れられていました。だから、自分から安易に頭が痛いことが言えず、それだけでもストレスがたまったものでした。
 風邪のときに痛くなる頭痛は、片頭痛・緊張型頭痛・群発頭痛に比べたら、痛みのうちに入りません。それほど、片頭痛・緊張型頭痛・群発頭痛は痛いのです。わたしは、どの症状にも合致するので、3つの頭痛を交互に発現していると思います。いわゆる「頭痛もち」の頭痛は、片頭痛をさす場合が多いのですが、これら3つの頭痛は痛みが少しずつ違うので、健康な人には痛みや苦しみがなかなか理解してもらえないつらさがあります。かつて、上役にあたる人から「頭痛ぐらいで仕事を休むな」と言われました。こっちだって、仕事を休みたくて頭痛になっているわけじゃなかったので、そのような理解しか得られなかったときは、自分が情けなくなりました。

4858.3.1/2004
 生意気、余計なことを言うから長引いた、新参者は静かに……。
 わたしのとても頼りにしている人が、先日、自分の考えを会議で発言したら、後日、このようなクレームが届いたそうです。それも、本人に届くのではなく、別の人を通して届いたそうです。
 どんなことを会議で発言したのかを聞いたら、とても当たり前の発言でした。そのまま、会議を流していたら、学校現場に新しい混乱を招くことは明白なものでした。だから、その問題性を指摘しただけなのに、別のところで不満の声が上がったのです。
 学校の仕事が忙しいのは、子どもたちが毎日予想不可能な新しいことを連続してくれるから、忙しく感じるのです。あしたもあさってもずっと予想通りの繰り返しだったら、教員は同じことを40年間繰り返していればいいので、少なくとも忙しくはなくなるでしょう。毎日に変化があって、子どもたちの新しい姿に出会えている証拠が「忙しさ」なのだとしたら、そのことを理由にして、大切な会議で重要なポイントを聞き流してはいけないと思います。
 肉体的にも精神的にも、かったるくて、面倒で、ため息ばかりが出てしまい、これ以上新しいことにトライする元気がわかないのなら、少なくとも元気で意欲的な人たちの足を引っ張るのだけは遠慮してもらいたいですね。ものを言わない、ものが言えない職場を作ったら、教育はふたたび子どもたちを無自覚的に戦場に送る装置になるでしょう。

4857.2.29/2004
 わたしはもう6年ぐらい協力指導という立場で小学校の学習指導にあたっています。協力指導は、担任とともに学習指導を行う新しい指導形態のひとつです。開始から10年近くになりますが、最近では協力指導から少人数制指導に形態を変えている学校も増えてきました。
 協力指導が導入された頃、文部科学省も教育委員会も、協力指導要員だけで授業をやってはいけないということを強調していました。担任の空き時間を確保するための制度ではないということを強調したかったのでしょう。しかし、制度の開始当初から、協力指導は大きなつまずきが全国的に報告されました。長年、ひとりの学級担任が子どもの学習から生活までの全般を管理してきた小学校で、おとなが複数いるという環境に教員たちがなじめなかったのです。そのため、協力指導要員を希望する者は激減し、毎年一年で交代という約束で仕方なく担当になるケースが多くなりました。
 学習指導や生活指導の細かいところから大きなところまで、教員間の考えが対立する場合、協力指導は空中分解します。教員の人事を決める管理職は、そういった教員間の人間関係をよくよく見際めないと、年度途中でシステムが役立たずになるのです。
 わたしはいま6年生の協力指導をしています。ペアーを組んでいる人とは幸いとても考え方や子どものとらえ方が似ているので、精神的には落ち着いた学習指導ができています。

4856.2.28/2004
 オウム真理教の教祖と呼ばれた男に地方裁判所の判決が出ました。
 死刑。弁護側は即刻控訴しましたが、弁護団は退任しました。
 猛毒ガスを使って、不特定多数の人たちを殺傷した事件、弁護士一家を殺害した事件など、戦後の日本の国内犯罪のなかでもまれに見る凶悪な事件の首謀者として責任が問われました。いまでも名前を変えた教団には、全国から親元を離れ、入信する者が少なくないと言われています。また、今回の事件で服役したものが、刑期を終え、ふたたび教団に戻るケースもあるといいます。
 宗教の名の下に、今を生きていく不合理を一気に解決させる真理を求めようとする考え方は、あまりにもインスタントすぎるとわたしは思います。仏教の世界では、解脱や出家にはいくつもの修行や精進が必要なはずで、共同生活や教祖に気に入られるかどうかなどは悟りの道とは無縁のものです。それを新興宗教といわれるものの考え方を志向する人たちは、あたかも数日間や数週間の「修行」によって、得られるものと勘違いしています。
 宗教は、絶対的な悟りを求めながら、現世との相対的な関係をたえず意識していくとき、価値が生じます。現世を一方的に否定し、破壊してしまうような考え方は、宗教に名を借りた暴力主義に過ぎないのです。

4855.2.27/2004
 いつかあなたのやっていたことが正しく評価されて、いまの不条理な立場を逆転させられるときがくるはずだから、自分のことを見失わないでください。
 いま、仕事でパートナーを組んでいるひとが、周辺から誤解されて、苦しい立場に立たされています。
 でも、気丈な人なので、誤解などには動じないのですが、それでも「なぜもっとわかってくれないんだろう」という憤りを周囲に強く感じています。わたしも、その憤りには同感しています。
 でも、狭い人間関係の職場では、外から見ればおかしいことでも、内部の常識として通用してしまうことがあるのです。それは、どこのどんな集団や組織でもあることだと思います。だから、多くの人と上手な人間関係を作ることは重要です。ただ、自分の信念や考え方を変えてまで、周囲の人間関係に取り込まれる必要はないでしょう。自らの行いが、周囲から正しく評価されるには時間がかかります。たくさんの時間がかかることを待ちきれなくて、あきらめてしまう人は多いでしょう。しかし、それでは自分のことを誤解していた人たちの思う壺。最後に笑うためには、長期的な視野をいつもこころに準備しておきましょう。

4854.2.26/2004
 卒業式で式場になる体育館に飾る6年生の図工の作品「自画像」を制作指導しています。
 きょうは午前中4時間すべてを図工にしました。
 遅れているからではなく、子どもたちの意欲を受けて、ほかの教科をキャンセルしました。自画像は、水彩絵の具で描くので、準備と片付けだけでもかなりの時間を要します。かんじんの描画に本人の調子がのってきたところで「はい、それじゃ時間だから片づけね」というわけにはいかないと思ったからです。
 中学校のように時間と教科によって教師が変わる教科担任制では、なかなか教師ひとりと子どもたちの関係だけで、教科を入れ替えることは困難です。そういう意味では、小学校のやり方は柔軟に対応できるメリットがあります。
 たっぷりの時間を有効に使って、ひとりひとりが満足のいく自画像が描けたら、子どものなかに絵を描く楽しさやおもしろさ、自分のなかに眠っていた能力に気づく子どもが増えるのではないかと思います。こういうことを書くと、まるですべてのケースに通用する話のように思えますが、教育活動の営みに完全なる汎用性はありえないと、わたしは経験から感じています。それは、子どもの多様性を前提にしているからです。
 ひとりひとりが、満足のいく自画像ができたとき、教育評価の価値がどんどん低下していくのはいいことです。どの子どもも、他者との比較ではない本人らしさが画面に投影されていることを、教師だけでなく、子ども本人や、他の子どもが認めるとき、それ以外の評価は必要性がなくなると思うからです。

4853.2.25/2004
 子どもが子どもの世界を生きていくとき、親のかかわりがわずらわしくなる年齢があります。
 親としては、当然のことを、諭しているのに、子どもにしたら「そんなこと言われなくてもわかってんよ」みたいな態度を示すのです。親は、その態度に対して新しい怒りを覚え、さらに諭すなかみを増幅させます。こうなると、子どもはもう親が何を言っても聞いてる振りをするだけで、早くそこから解放されることだけを願います。
 子どもが9歳ぐらいまでは、親の言葉は子どもにとって絶対のものです。しかし、10歳の壁を越えると、次第に子どもは親の言葉を相対的にとらえていきます。他の家ではどうなのか、他の兄弟姉妹に対してはどうなのかと、比べるようになるのです。
 それだけ、子どもの世界が広がった証拠なのですが、親としてはいつまでも子どもは子どもであって、そう簡単に付き合い方を変える技術をもっていません。だから、子どもがわからなくなった、子どもとの接し方がわからなくなったと不安になるのでしょう。
 こういうことに、明確な答えはありません。それまでの親子のかかわりが、いまの親子関係の前提になっているので、過去を振り返らない限り、いまを克服する答えは出てこないからです。

4852.2.24/2004
 気づけば2月の最終週ですね。
 わたしは3年ぶりの頭痛の発現で、また多くの人たちに迷惑をかけています。明日から土曜日までは仕事上もプライベート上も大事な4日間なので、薬を上手に使って、安静と調整の日々を送りたいと思います。
 わたしが患っている頭痛は、おそらく3種類の頭痛です。今回新薬として入手したイミグランの効能書きに、頭痛シートがついていて、そこで分類してみました。ズキンズキンという痛みは片頭痛の特徴です。孫悟空の頭のわのようにきゅっと締め付けられるような痛みは緊張型頭痛の特徴です。目の奥がえぐられるような痛みは群発頭痛の特徴です。わたしの場合、最初は、緊張型頭痛の痛みから始まります。このときに面倒くさがらずに薬を飲んだり、氷枕を用意したりすれば、多くの場合早い段階で痛みはなくなります。でも、たいがい寝ているときなので、この段階を適当にやり過ごしてしまうのです、そうすると、片頭痛の痛みへと変化します。こうなると、もう寝ていられません。なんとか薬を飲みますが、飲み合わせが悪いと手遅れになります。今回入手したイミグランとカロナールをうまく組み合わせると、うまくいけば30分以内に鎮痛します。発現する頭痛の何回かに一回はこの段階を通り越し、群発頭痛に発展します。こうなると、すべての薬が効きません。ひたすら痛みに耐えながら5時間から6時間を寝て過ごします。頭や顔が割れるほどの痛さなので、横になっても、とても睡眠できません。多くの場合は痛みに耐えるのが疲れてちょっと寝て、また痛みで起きるという繰り返しになります。ここまで進むと、体力の消耗が激しく、その後数日はボーっとなります。

4851.2.23/2004
 きょうは午後から時間単位で取得できる療養休暇制度を使って病院に行きました。このような制度があることを、いままで知らなかった自分が情けなくなりました。体調が悪くて、休むたびに、有給休暇を使っていたことが、とてももったいなく思います。
 かかりつけの病院は、きょうに限って院長ではなく別の科の専門医だったので、薬を出せないといわれました。そこは、いわゆる町医者で、小回りが聞くのでわたしはよく使っているところです。こっちの都合で、院長が仕事のローテーを変えるはずもなく、がっかりして、地元の総合病院に行きました。
 どこも総合病院は同じだと思いますが、きょうはとりわけ大変でした。
 帰宅してから、体調が悪くなり、横になって、回復してから、最初の病院に行ったので、総合病院の受付を過ぎたのは午後五時半ごろでした。それから、自分の名前が呼ばれるまで待つこと二時間。午後七時半を過ぎてやっと診察。診察はわずか三分ぐらいで終了。院内の薬局で薬を出してもらうと、また時間がかかるので院外処方箋を出してもらいました。病院を出たのは午後八時ごろ。当然ですが、院外薬局の薬剤師は、もう帰宅した後で、薬の受け取りは後日ということになりました。
 病院に行くだけで、病気になるという、わたしの昔からのモットーは、残念ながらいまも健在でした。

4850.2.22/2004
 わたしが使わせてもらっているサーバーコンピュータが故障して、湘南に新しい公立学校を創り出す会のサーバーに一次的に間借させてもらってのウエブ更新です。
 ホームページを見ている人には、いつもとなんの変化も感じないかもしれません。でも、よーく見ると、あれあれアドレスがいつもとちょっと違うことに気づきます。間借といっても、実際にやったことは引越しそのものだったので、けっこうやっかいでした。
 だから、メールフォームの不具合やリンク切れなどのエラーがあるかもしれません。そんなときは、遠慮なくお知らせください。今回の引越しにあわせて、かねてからトライしたかったトップページの変更に踏み切りました。少し、いままでよりシンプルになったのがお分かりでしょうか。

4849.2.21/2004
 昨年の9月から、学校に勤務してくれた情報インストラクターのIさんが、きのうが最後の勤務でした。
 学校の年度末まではまだ1ヶ月もあるのですが、行政の都合で、年度末を目前にしたお別れはとてもつらいものがあります。最後の日になった20日は、子どもたちがIさんの控え室を、とっかえひっかえ訪ねてきて、お礼の品を渡していきました。教職員からはバラの花束と商品券を、子どもたちからは山ほどのお礼の手紙を。袋いっぱいの幸せを胸にしたIさんと、情報インストラクターの学校側の担当者であるわたしは、勤務後に近所の飲み屋でお別れ会をしました。
 たくさんの言葉で感謝しきれないほど、Iさんには助けていただきました。
 とくに情報機器を使った授業支援だけでなく、放課後の時間を使った教職員へのPC研修にも力を注いでもらいました。会議のない日には、毎日、研修のプログラムが組まれていました。同じ内容をほぼ一週間ペースで繰り返す方法だったので、出席できないことがあっても、ほかの日に出席すれば内容が遅れることがないので、多くの教職員が研修会に足を運びました。
 授業に直結する研修をコンセプトに、わたしも微力ながら内容面でアドバイスをしました。印刷室に行って、ミスプリントを拾ってきては、学校ではどんなプリントが作られているのだろうと研究していたIさん。その向上心と、熱心さが多くのおとなとこどもをひきつけたのだと思います。春過ぎに、彼から次の夢がかなったよという知らせが届くのが楽しみです。

4848.2.18/2004
 ビジュアルベーシックドットネットというプログラム言語を使って、約一年間、いくつかのプログラムを作成してきました。
 当初からオリジナルプログラムを作りたかったわけではありません。湘南に新しい公立学校を創り出す会の活動を紹介するCD-ROMを作成する必要から、始めたものでした。紹介CDはすでに、湘南に新しい公立学校を創り出す会のホームページにアップし、公開しています。わずか300円ですが、あまり注文がなく「どうしてかな」と思っていました。注文しなくても、ユーザーが自由にダウンロードし、後日指定の口座に料金を振り込んでもらう方法にしています。だから、ダウンロードしても口座に振り込みに行ってもらえないと無料プログラムと同じです。
 そういう人がいるのかなと思って、試しにプログラムをダウンロードした回数をチェックするCGIプログラムで監視させました。そうしたら、かなりの人がダウンロードしているのがわかりました。うーん、無料ではないので、面倒でも郵便局に足を運んでもらいたいと思うのですが、提供の仕方が悪いと考えるべきなのでしょうか。
 おかげで、複数のプログラムコードを覚えることができました。また、それらを悪用すればパソコンや、ネットワークシステムを混乱させることができることもわかりました。「やっていいこと」と「やってはいけないこと」の境界を、こころのなかで簡単に越えてしまう人がたくさん出てくると、いまのようなインターネットサービスは機能不全に陥るでしょう。互いの信用で成り立っている社会を、実社会でもバーチャル社会でも維持していきたいと思います。

4847.2.17/2004
 6年生の国語と社会の合科的な扱いで「人口と平和」というテキストを作成しました。1月からずっと学習を続けています。全部で12時間にわたる長期的な学習です。毎時間、問題があって、子どもは予想を立てます。そして、なぜその予想を選んだのかという理由を考えます。ずばり予想が的中するかしないかは、評価上、まったく基準にしません。ひとりひとりがどうしてその予想を選んだり、考えたりしたのかという科学的な思考が評価の基準になります。
 教育関係の方は知っているかもしれませんが、仮説実験授業という教育方法です。
 子どもたちの予想と、その理由を次の授業までに整理し、理由をすべて並べます。わたしは予想を表にして、さらにグラフ化しています。毎時間やるので、授業が終わるたびに、子どもの予想と理由のすべてに目を通します。そして、そのひとつひとつに評価をつけています。
 人口の移り変わりと戦争のない社会の関係は、産業別人口や年齢別人口、失業者数を調べることによって相関するものがあります。さらに、そこに自然災害や国際貢献という自然と政治の要素が加わることによって、社会がどういう方向へ向かおうとしているのかを傾向としてつかむことができます。
 これから中学や高校を迎える子どもたちに、いまの社会とこれからの社会を想像できる力を養っておくことは、とても重要なことことだと思っています。

4846.2.16/2004
 若い頃、学校で働くというイメージは、子どもを前にして、自分が何かを教えているものでした。
 だから、今回の平日開校の「湘南憧学校」で、学校を経営し、運営するポジションになるとは夢にも思っていませんでした。
 しかし、去年の夏ごろから、自分たちの手で学校を開校し、人を雇い、子どもを集める準備をしてきたなかで、強く感じたのは、教えることと同時に、学校をマネジメントすることもとても能力の必要なことだということです。保険や年金の知識や事務手続きに加え、給与事務や税務計算、さらには限りある財政をいかに有効に使うかという戦略的なものまで、いままでわたしが学校で身につけたものとは、まったく違うジャンルのことばかりでした。
 このような縁の下の準備が整って、初めて自分たちの作りたい学校が開校できるんだなーという実感を新たにしています。教育論や指導論を議論するのは、学校があるという前提に立っています。何もない地平に、まず学校を作るところには、理念的なものよりも、経済学のいろはが必要でした。
 何から何まで、初体験の連続で戸惑うことばかりですが、だれも踏み込んだことのない領域に船出をしていくのは、気持ちがいいものです。いつの日か、いまの苦労が日の目を浴びる時が来ると信じる心を、ピーターパンみたいに持ち続けようと思います。

4845.2.15/2004
 土曜日に、湘南憧学校のガイダンスをしました。
 湘南憧学校は「しょうなんしょうがっこう」と読みます。
 市民の手による公立学校の開校を目指して、1997年から活動を続けてきたわたしたち「湘南に新しい公立学校を創り出す会」が、いよいよ2004年4月から開校する平日の学校の名前です。
 残念ながら、まだ公立学校としての認可は得られていません。1999年から、夏休みや週末を使って開校してきたテストスクール「湘南小学校」が90日をこえる開校日数になりました。それを受け、いよいよ普通の学校が開校している平日の昼間の時間を使ったフリースクールの開校へと踏み出します。
 わたしにはまだ多額のローンがあるので、転職するわけにはいかないのですが、いっしょに湘南小学校を支えてきたメンバーが教師として立候補してくれたので、この人たちに給料を払う運営サイドの人間として、湘南憧学校にたずさわります。

4844.2.13/2004
 ディズニーランドに6年生のお別れ遠足の引率で行ってきました。
 藤沢を朝の7時半過ぎに出発。途中の道路が順調で、予定よりも早く舞浜につきました。9時からの開園でしたが、子どもたちが入園したのは9時15分頃です。ほぼ開園から入園できました。
 一日フリーのパスポートを購入してもらっているので、時間を無駄に使わないように考えていましたが、その意味では往路が順調だったのはうれしい誤算でした。
 同じ藤沢市内の小学校の6年生も、同じようにお別れ遠足できていました。園内は、金曜日でしたが観客はそんなにいなくて、どのアトラクションもあまり並ばなくて大丈夫だったみたいです。他の小学校が午後2時半過ぎから引き上げるのを横目にしながら、わたしの勤務している小学校の6年生は4時半までたっぷりディズニーランドを楽しんでいました。フリーのパスポートは決して安くはないので、できる限り子どもたちに楽しい思いをしてほしかったから、ほかの小学校よりも大幅に長い時間をかけました。
 そのため帰りが遅くなるのを覚悟していましたが、帰りは行きよりも道路が順調で、1時間15分ぐらいで藤沢まで戻ってきました。バスが見慣れた風景になると「まだ帰りたくなーい」とため息をつく声がバスのなかに広がっていました。

4843.2/12/2004
 自分のやっていること、やろうとしていることに対して、目的がない場合、ひとはおとなであれ、子どもであれ、行動が無責任になります。だれかの指示に従っているだけなので、意欲がわかないからです。
 いまの公教育、とりわけ小学校と中学校の子どもたちから、学習への意欲が低下しているのは、なぜ勉強するのか、なぜ学校に通うのか、なぜこのクラスでなければいけないのかという、学校教育制度の根幹にかかわる部分への不満があると確信しています。勉強、学校、クラス。この3つは、すべて法律で決まっているもので、子どもたちはそれに従う身なのです。だから、親や教師が、それぞれに意味づけした説明をしても、子どものこころには届かず、もっと違うことをやらせてくれという態度を示すのでしょう。それは、工夫した教材や、高度な指導技術でカバーできる次元のものではないのです。
 工夫した教材や、高度な指導技術は、それを求める子どもたちに向けられるべきで、すべての子どもに一律に提供することは、教材や指導技術の価値を十分に発揮させないのではないかと思います。

4842.2/11/2004
 きょう、祖父が痴呆性老人対象のグループホームに入所した。
 90歳をこえて、痴呆が進み、老いたわたしの父母が、生活の面倒を見ることに限界を感じたことが背景にあります。わたしの父母も、もうすぐ70歳。決して自分たちが若いわけではないのに、さらに年上の祖父の面倒を見るのは、体力的にも、精神的にも困難になったのです。
 満州からの引き上げで、現在の鎌倉の家に住んで、かれこれ60年になります。祖母が10年以上も前に亡くなって、わたしの父母が祖父の面倒を見てきました。
 わたしが生まれたときから、祖父母は「そこ」にいました。中学に入ってから大学を卒業するまで、わたしは祖父母の家に住みました。
 朝、ベッドを分解しました。祖父はボーっとしてテレビを見ながら、いつもと違う様子をどう感じていたのでしょう。分解したベッドを、叔父が運転してきた車に積み、グループホームに運び、組み立てました。日常生活に必要なものや衣類をタンスに分けて、運びました。いつもより、部屋が広くなったのを、祖父は何も言わずに見ていました。
 「もう、ここに戻ってくるのは考えられないから、みんなで写真を撮ろうよ」
祖父、わたし、叔父、父、妻とで写真を撮影します。玄関の外で、実家を背景に入れて、何枚かの撮影をしました。ファインダーを覗きながら、胸の奥に強い寂しさがわいてくるのを、抑え切れませんでした。

4841.2/7/2004
 毎日、自転車通勤していると、自転車のいたみが激しくなります。それだけ、通勤によって、自転車の各部分への負担が大きいということでしょう。
 もっとも壊れやすいのはタイヤです。ゴムでできているので仕方がないことです。パンクは日常茶飯事です。また、タイヤが磨耗して、ゴム全部を交換しなければならないことも、一年に一回以上はあります。
 次に壊れやすいのが、ペダルと車軸の部分です。何回も回転する部分なので、油を差すだけでは磨耗を防ぐことはできません。なかのベアリングが、つぶれてしまって、ペダルやタイヤがグラグラすると、走るのがとても危なくなります。今回、ついに車軸そのものが「いかれて(と自転車店のご主人に言われた)」しまいました。ハブという呼び方をしていました。ハブが壊れると、ベアリングを交換しても意味がありません。仕方がないので、長期になりますが、自転車を修理に出すことにしました。その間、家族の自転車を使って通勤していました。
 そうしたら、近所の方が「いつものはどうしたの?」と聞いてきました。事情を説明したら「うちにふだん乗らないマウンテンバイクがあるから、貸してあげるよ」とのこと。土曜日に借りて、日曜日にメンテナンス。きょうから使ってみました。いやー、びっくり。いい自転車は、乗り心地も速度もまったく違うことに気づきました。きょうは無風だったので、ふだんなら35分ぐらいかかるのですが、なんと10キロを31分ぐらいで走破してしまいました。

4840.2/6/2004
 最近、夜の9時とか10時ごろになると、吐き気がするのはなぜでしょう?「ウエブの更新をやろう」と思ってマシーンの前に座ると、胸の辺りが気持ち悪くなるんです。おかげで、とっても早寝をしてしまいます。きょうも、午前3時半ごろ起きて、いまwayを書いています。早起きすると、早寝するように、体内時計がセットされるのでしょうか。

 wayを読んだ方から、感想のメールが届きました。ご意見・ご感想をお待ちしていますというメールフォームからの投稿です。ありがとうございます。
 ある情報インストラクターの方に「ウエブからメールなどで、ユーザーの声を集めたいときは、メールアドレスへのリンクではなく、メールフォームを用意しておくのがいいですよ」と教えられ、あの手この手でメールフォームを用意しました。最初は、テストも兼ねて自分で自分に送信していました。確実に届くことが分かると、自分で送るのも寂しいものです。「本当に届くのかな」と待っていたら、「from way」という件名のメールが受信ボックスに。
 インターネットは、双方向のやりとりが可能になったといわれています。しかし、基本的にはテレビやラジオと同じ、発信者側のイニシアティブは揺るぎません。どうやって、双方向性を可能にするかを考えて、掲示板やチャットが広がっているのでしょう。でも、わたしは掲示板やチャットのコミュニケーションに参加する意欲がありません。「いい加減にしろ」と言いたくなる書き込みが多いからです。相手の表情が見えないコミュニケーションでは、よほど「文字」「言葉」の使い方に留意しないと、コミュニケーションそのものが成立せず、なんとなく通じるか通じないかのあいまいさに凌駕されてしまうでしょう。

4839.2/5/2004
 卒業式のときに、会場の壁に卒業生が描いた自画像を展示します。
 自画像は、水彩絵の具で描きます。水彩絵の具は、絵を描く道具としてはとても難しい道具のひとつです。画材が、水性なので、描いている途中で色がにじんでしまうためです。にじみを強調した表現には向いていますが、小学校では色の区切りを明確にした表現が多いために、子どもはとなりの色がにじんでしまって、絵を描くのが嫌いになってしまうのです。
 また、デッサンのなかで、人物ほど難しい対象もありません。美術系の大学や専門学校でさえ、人物のデッサンにたくさんの時間をかけていることでも、そのことが分かります。
 人物を水彩絵の具で描く。ふたつの困難な学習に、子どもが向かうとき、ただ「よく見て」「色を気をつけて」という指導では、どうすればいいのか困っている子どもには、なにも伝わりません。わたしは、絵を描く楽しさとおもしろさを子ども時代にはたくさん経験してほしいと思っているので、写実的表現では、写真とカーボン紙を多用します。写し取ることによって、対象を正確にとらえていく指先の感覚を磨き、やがて絵画に興味をもつときがきたら、オリジナルの表現に自分でシフトしていけばいいと思っているからです。

4838.2/4/2004
 きょうは、子ども祭りがありました。
 きのうのうちに準備しておいた「お化け屋敷」は、朝になっても壊れておらず、お客さんとお化けを待つだけになっていました。子どもたちは、それぞれにドラキュラ、ミイラ男、トイレの花子さんになりきりながら、お化けを演じています。始まってから、大勢のお客さんで入口はごったがえしました。
 わたしは、片付けのことが気になり、使わなかったダンボールをせっせとまとめ、ひもでくくりました。これが、途方にくれるほどたくさんの量で、午後の片付けの時間だけでは無理と判断したことが正しく、午前中の子ども祭りの最中ずっと荷造りのように、ダンボールの整理をしていました。
 不思議なことに、わたしが勤める小学校では、6年生が決まって「お化け屋敷」を希望します。特別教室のように広い教室を利用する優先権が高学年にあるので、かなり本格的な「お化け屋敷」になることが確かなのですが、もう少し興味が広がらないものかなとも思います。でも、子どもたちにしてみたら、いままで楽しむ側だった「お化け屋敷」を自分たちの手でやってみたいという気持ちが強くなるのかもしれません。
 来週は、ディズニーランドへお別れ遠足。ふーっ、いつ学習を進めるのやら。

4837.2/3/2004
 子ども祭りがあしたあります。
 音楽室を使って、お化け屋敷をするので、きょうは3時間目から6時間目まですべてを準備にあてました。中学や高校のように、文化祭の準備のために何日も前から準備を進めることができないのが小学校の難しいところです。
 限られた教室を6学年で使いまわしているので、どこかの教室を物置にしたり、改造したりすると、多くの学年学級の学習に影響が出てしまうからです。そのため、わずかな時間で現場の大仕掛けを完成させなければなりません。
 とくに、お化け屋敷は部屋を暗くする必要があるので、暗幕をつけたり、通路をダンボールで固定したりするのが一苦労。教室は、当然のことですが、明るくするのに適しているので、なかなか暗くはなりません。必ずどこかから光が漏れてくるのです。それでも、作業の途中に部屋を暗くしながら、明かりが漏れているところを確認し、カバーをつけ、ふたたび確認の繰り返しをしているうちに、真っ暗な部屋が出来上がりました。
 こんなに暗くしたら、何にも見えないーという素朴な疑問がわきます。それでも、子どもたちは想像のなかで出来上がっているお化け屋敷をあしたはきっと楽しむことでしょう。

4836.2/2/2004
 学校が閉鎖的になっていく要素は、子どもの未来と将来にかかわっている機能を学校がもっていることも原因にあると思います。
 いま目の前に見える子どもの様子や、教師のかかわりだけを瞬間的にとらえすぎると、前後の脈絡が消し飛んで、その瞬間の言葉や態度だけが一人歩きしてしまうのです。
 子どもと教師のかかわりは、長い時間の経過の上に積み重ねられたものであり、一瞬の思いつきによってころころ変わるものではありません。それは、子どもどうしの世界でも同じことが言えます。
 しかし、保護者の視点に立つと、学校での子どものことがわからない、見えない、伝わってこないという不安は、容易に不満へと変化しがちです。だから、一瞬をとらえて一生懸命に、自分が知らない時間を想像で穴埋めしようとするのでしょう。
 ここで大事なことは、両方とも子どもの未来を案じ、同じ地平に立っていることを見失わないことです。だから、両者の信頼関係を築いていけば、そんなに大きく道が分かれていくことはないのです。
 しかし、残念ながら、「子どもは人質」というため息は保護者から伝わってくることも事実です。また、自分の感情で子どもをコントロールしようとする教師がいないとも言い切れないのは、昨今の新聞記事を読んでいればわかることです。
 どうすれば、学校が閉鎖的にならずに、保護者が分からない部分を想像で埋めずに済むようになるのか。わたしは、それこそ、アカウンタビリティー、説明責任だと湘南に新しい公立学校を創り出す会の創設期、いまから7年前から主張してきています。

4835.2/1/2004
 地元で、炭焼きに参加しました。
 9年前から始まっている行事です。地元の方々が、手作りの釜を使って、木炭を作ります。
 わたしも参加してから7年ぐらいになると思います。
 学校や地域の主催する定例行事ではありません。だから、どなたでも参加できます。また、炭焼きはとても時間がかかるので、いつ参加しても大丈夫です。

 わたしは、炭焼きについてはしろうとなので、おもに集まる人たちの食事を作る厨房を担当しています。最近、あたたかい日が続きましたが、さすがに深夜は焚き火がないと震えました。

 かつて、地元に住んでいて、いまは転居された方も、応援に駆けつけます。「めじな」を釣ってきた方、庭の「山芋」を持ってきた方、裏山の「きくらげ」を採ってきた方、厨房には差し入れがあふれました。

 作った炭は、地元の学校行事で、親子にトン汁をふるまうときの保温材として使います。毎年、その行事の後にトン汁が出ることは、かなり多くの方が認知し、最近はその行事に関係のない地元の方も、お昼時には器を持って並んでいます。

4834.1/31/2004
 衆議院でイラクへの自衛隊派遣を認める法案が、与党によって強行採決されました。
 全会一致というのも怖い気がしますが、じゅうぶんな議論を抜きにした決定は、最初に結論ありきという印象を有権者に与えることでしょう。衆議院の役割、国会の意義、政治の役目を、有権者が再考せざるを得ないのではないかと思いました。
 多数決は、数の論理といわれています。
 それを強行すれば、少数者は発言の意欲も、政治家を続ける意味もなくなってしまう気がします。
 イラクの復興のために、日本政府にできることはもっとほかになかったのかという議論が見えてこないからです。これでは、「国会での承認は国民の承認とイコールだ」と言われても、素直に「その通りです」と納得する人は少ないのではないでしょうか。わたしの知人で、自営業の方は、最近の不景気で将来への不安をしみじみ語ります。世界貢献も大事ですが、足元の生活をもっと見つめて、優先すべき課題に速やかに取り組む必要があると思います。

4833.1/29/2004
 久しぶりに朝目覚めたら、動悸が激しかったので驚きました。
 ひとのからだは、意識では「大丈夫」と思っていても、疲労やストレスがたまると、ちゃんと警告を発するようにできているみたいです。

 いつまでも若いつもりでいても、確実にからだが老化している現実に触れると、それはそれで、またストレスになりそうですが、のんびり休むことが許されないなかで、ぎりぎり自分自身を健康に保つ要領を身につけていかないと、いつかぶっ倒れてしまうと痛感しました。

 わたしは10年ぐらい前に、初めて動悸がおかしいことに気づき、それでも無理をして倒れたことがあります。
 先天性のものだということがわかってからは、通院と薬の服用で、からだをコントロールし続けています。ゆとりのあるときは、通院や薬を忘れることがないのですが、忙しくなるとそれらの優先順位がどうしても下がってしまいがちです。
 今回も、そんな油断が招いた体調不良でした。

4832.1/27/2004
 思い込みほど、怖いものはないと思います。
 情報化社会では、とくに相手を直接知らなくても、メールを使って、連絡が取れるので、活字をもとに相手を想像してしまいがちです。
 しかし、わたしは、こういったことはなにも情報化社会だから起こるとは思っていません。以前から、井戸端会議では、近所の噂話に群がる人たちはたくさんいたのです。職場でも、人間関係や出世関係の情報は、事実よりも根も葉もない噂のほうが圧倒的に多いでしょう。
 きっと、あの人はああいう人だろう。最初はその程度だったものが、断片的に伝わってくる情報によって「あーやっぱり」とか「それぐらいのことはする」というように、想像でつながれ、やがて「やっぱり、あの人はこうだった」と断言するまでに発展するのです。すべてが想像で埋め尽くされていれば、忘れ去るのも早いのですが、何回かに一度、本当のことがはさまれると、いよいよ真実味が増してしまいます。
 一度、思い込んでしまうと、人は間違っていたことに気づいても、そのことを受け入れようとはしなくなります。それまでの、自分の思い込みによる言動を消し去ることができないので、思い込みそのものを自分のなかで真実にしてしまうのです。

4831.1/26/2004
 いま、新しいアプリケーションを開発しています。
 以前リリースした「スケジュール帳」を大幅に改良したものです。自分でよく使うソフトをコンセプトにして開発しているので、多くの人たちのニーズには応じ切れませんが、よく使っているだけに「ここはもう少し改良したほうがいい」という細かいカスタマイズができます。
 「スケジュール帳」は、わたしのパソコンのデスクトップにショートカットを貼り付けて、ほぼ毎日使ってきました。パソコン上のメモ帳みたいなものです。次から次へと、さまざまなことが起こり、予定を整理しないと、約束がバッティングしそうな状況になっているので、とても役立っています。
 それでも、機能として物足りなさを感じる部分が、かなり明確になってきたので、小さな手直しではなく、新しいものを最初から作成しようと思いました。あるものを使いこなすよりも、ないものを作るおもしろさは、子どもの頃の模型作りに共通した充実感があります。

4830.1/25/2004
 全日本レクリェーションリーダー会議・下町会議の「第15回下町レク学校」に行って来ました。
 ゲームとソングのリードを昨年のうちに頼まれていました。
 学校、保育園、幼稚園など、子どもとかかわる仕事をしている人たちが、多く参加しています。病院にお勤めの方もいます。
 それぞれに、講習会を通じて習得した内容を自分の仕事に役立てる目的で参加しているので、個々人の意識レベルがとても高く、リードしながら、参加者に教えられることの多いレク学校でした。
 今回のレク学校で、わたしが参加者にゲームとソングを通じて伝えたかった中心は、リーダーの役目です。
 子どもたちにどんないまを送ってほしいのか、どんな未来を築いてほしいのかというビジョンがないと、トップダウンの流れに巻き込まれてしまいます。やらなければならないことが、目白押しになると「どうして」「何のために」という一番大切なことを考えることを省略してしまいがちです。
 本当は、教材としてのゲームやソングはそんなにたくさん知っている必要はないんです。それよりも、自分が子どもたちとどんな時間を作り、その結果、子どもたちのどんなステップアップした姿を望んでいるのかという、柱さえしっかりしていれば、リードの技術はあとからついてくると思っています。

4829.1/23/2004
 自転車を修理しました。
 わたしにとって自転車は大切な通勤の足なので、故障は大きな痛手です。電車やバスを使えばいいのだけれど、体が自転車に乗る生活に慣れたせいか、一日に一回は乗らないとなんだか調子悪いんです。
 片道10キロの道のりを毎日通勤しています。往復で20キロ。そのことを人に話すと驚くのですが、やってみればたいしたことはありません。もちろん、雨の日も風の日も、自転車のハンドルを握ります。
 12月の始めごろから、後ろのタイヤの車軸がカタカタとぶれていました。車軸がぶれるので、タイヤが車軸とペダルの間を結ぶバーにこすれて、こぐたびに変な音がしていました。先週、時間ができたので近所の自転車店に行きました。
「こりゃーだいぶいかれてんな。部品を交換しなきゃならねえから、預かるよ」
どうして、もっと客相手の言葉が使えないのかなと、いつも思う親父に、自転車を預けました。
 一週間ぐらいかかるということだったので、家族の自転車を借りて通勤しました。ふだん、乗りなれていない自転車が、こんなに乗りにくいとは思いませんでした。この生活が一週間も続くのかと思っていたら、あっという間に連絡があり、直ったというのです。取りに行ったら、親父は「部品がうちにあった」とだけ。じゃあ、そのとき直せたじゃんという言葉を飲み込み、代金を払ってきました。

4828.1/22/2004
 JASがエンジンの点検で、飛行機の運航を停止しています。
 そのために不便な思いをしている人は少なくないと思います。
 でも、わたしはJASのやり方に大賛成です。かつて、御巣高尾根に墜落した日本航空機の悲劇を繰り返さないためには、今回のように問題が発覚した時点で、安全を最優先する企業判断が求められるからです。きっと、トラブルがわかった時点で、JASのトップでは深刻な会議が開かれたと想像できます。利益を優先すれば、運行停止は致命的な損害です。旅客を運ばない限り利益をうまない交通機関にあって、運行を停止して、総点検に踏み切る判断をすることは、並大抵のものではなかったことでしょう。点検が終了しても、以前のような旅客が戻ってくるという保証はありません。しかし、問題がわかってしまった以上、それを放置することの社会的責任を考えたとき、目先の損益よりも、もっと大きな信頼を得るには最善の措置を実行することが重要です。
 山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」は、あの日本航空機の事故と、それを誘引した企業の体質を暴きました。自分たちの社会的使命を脇に置いたとき、多くの無関係の人たちが犠牲になることを教えてくれます。JASのエンジントラブルのように、素人の旅客には知りえない不具合は、専門の人たちの高度な判断を信頼するしかないのです。

4827.1/21/2004
 小学校の図工では、どうして水彩絵の具を使うのかなと思うことがあります。
 わたしの父は、ずっと美術一筋で生きてきたので、わたしが子どもの頃から「水彩絵の具は難しい」ということをたくさん言われてきました。
 画材は他にもたくさんあります。油絵の具、アクリル絵の具、アクアペンシル、サインペン、色鉛筆など。それなのに、小学校の図工では水彩絵の具を使います。水彩絵の具は、にじみを効果的に表現する画材です。しかし、小学校の学習内容ににじみを効果的に表現する学習内容はあまり用意されていません。また、水に溶けてしまうため、基本的に重ね塗りには適していません。異なる色どうしが紙の上で混ざってしまうからです。
 以前、低学年を担任したときに、最初からアクリル絵の具を使ったことがありました。アクリル絵の具は水性ですが、乾くと上塗りしても色が重なるだけで混ざりません。だから、パレットには使う量の絵の具を出すようにしないと、パレット上で乾いた絵の具は使えなくなります。子どもは、にじみによる失敗を経験せず、思い通りに着色できました。しかし、保護者からクレームがきました。「アクリル絵の具は値段が高すぎる」と。確かにアクリル絵の具は、水彩絵の具より値段が高いのですが、子どもの頃から画材店に通っていた記憶から、水彩絵の具のほうが安すぎると思っています。
 安価な道具で、絵が嫌いな、苦手意識を助長するようなことが、実際には行われていることを残念に思います。また、水彩絵の具は何度でも水に溶かせば乾いてしまっても使えるので、原則としてパレットは洗わないのですが、毎回、流しでパレットに残った絵の具を洗っている子どもを見ると、教師はどうして教えないのかなと感じます。

4826.1/20/2004
 社会と国語をあわせた授業書(学習プラン)「人口と平和」を作成しました。
 歴史を情緒的にかたよって学習するのではなく、科学的裏づけから迫ろうと意図して作成しました。はじめ、広島の軍港の話をしたときに「日本で一番大きな戦艦は?」と聞いたら、だれも「大和」のことを知らなくてびっくりしました。もう、そういう世代になっていたんですね。プラモデルに熱中する子が減ってしまったのでしょうか。
 「宇宙戦艦」っていったら、みんな即座に「大和」と答えられました。アニメ「宇宙戦艦大和」を見て育っても、モチーフとなった本物の「大和」のことは知らないんですね。作者も驚くことでしょう。
 日本で最初の近代的な人口統計が始まったのは1920年です。明治になって近代化されたと言われますが、いわゆる明治時代には日本政府は人口統計を行っていません。大正も末期になって、最初の国勢調査が開始されます。子どもたちに考えてもらった最初の問題は、ずばりそのときの人口です。3つの選択肢から選ぶかたちです。具体的な選択という場面になったら、どの子も「うーん」と思考を始めていました。それぞれの予想の根拠を聞きながら、次のステップへと学習を展開させていく予定です。

4825.1/19/2004
 自分の子どもが他人を傷つけ、親としてどうすればいいのか迷うとき、あらためて親子の関係を考えます。
 いままで、わが子の話を聞いてきたのか。こちらの一方的な発言に子どもを従わせてきただけだったのか。親に黙っていて、良心の呵責はなかったのか。自分のしてしまったことがわかっているのか。

 それらは、わが子のやったことを通して、親としてのわが身を相対化することでもあります。自分が、かんじんなところを避け、面倒なことを人任せにしてきたツケが、まわりまわって子どもの行動として現れてしまったような気がするからです。
 どのひとにも、良いところがあって、逆に直したほうがいいところがあると思います。そのことは頭でわかっていても、いつの間にか自分だけは、良いとこだらけのような錯覚に心酔し、苦手なことや意欲のわかないことがめぐってくると、できるだけかかわらないようにしていた事実に愕然とするのです。

 子どもの言い分は大事にしてあげなければいけないと思います。
 そして、同時に、ひとの傷みを親として教えてあげなければいけないとも思います。

4824.1/17/2004
 陸上自衛隊がきのうイラクに向けて出発しました。
 先月、航空自衛隊がすでに派遣されました。
 戦闘状態にある他国に自衛隊を派遣するということは、日本政府が参戦を決定し、戦争に参加したと後世の歴史家は判断するでしょう。憲法の「国際紛争の解決に武力の行使は永久に放棄する」という条文は、完全に有形無実になりました。いま、わたしたちは、第三次世界大戦に発展しかねない戦争に参加した国家の一員になっているという実感を持たなければならないと思います。それが、良いことなのか、悪いことなのかは、事態の推移を見守らなければ判断できないのですが、ポリシーとしての非武装国際貢献は、路線を転換したと受け止めなければいけないでしょう。
 国内の社会経済は、景気の低迷で自分や家族の生活を守り、維持することで手一杯な状況です。過去を振り返ると、戦争に突入していく政権の多くが国内の不満の目をそらす目的で参戦しています。「いまは、ぜいたくを言うときではない。国民が一丸になるときだ」という思想の統制が、現実味と説得性を強化し、戦争への加担を批判し、反対する声を押さえ込んでいくのです。

4823.1/16/2004
 子どもと向き合う仕事をしていてよかったと思えるのは、変化する可能性に出会えたときです。
 伸びていく姿は清清しいですが、それ以上に他人を傷つけてしまったときに、真摯に向き合い、保護者と協力しながら、同じことを繰り返さないような指導をすると、それまでの自分を変えようと努力することがあります。すべての子どもにそのような姿が見られるとは言い切れませんが、わたしも教員の経験を積んできたせいか、そのような子どもへの接し方を多少は学習したようで、最近は多くのケースで立ち直っていく姿に出会うことができます。
 教室に多くの子どもが集まっていれば、タイプの違いやこれまでの経過から、どうしても子どもどうしに埋めがたい溝ができます。じょうずに関係を保てばいいのですが、どうしても仲間を増やそうとして、物を隠したり、仲間はずれをしたりというトラブルに発展します。未然に防ぐことができればいいのですが、こちらにもそんなに目があるわけではないので、行き届かない隙間でトラブルが進行するのです。
 でも、そのことに気づいたら、放置しないで、迅速な対応をこころがけていればそれ以上トラブルが拡大することはめったにありません。その代わり、もしもなにもなければやろうと思っていた教材研究や資料の準備を全部後回しにする必要があります。勤務時間を気にしていたらできないことです。わたしは夕方から、ひとに会うことが多いので、多くの場合、そうやってたまってしまった仕事は、自宅で深夜や休日にやっています。

4822.1/15/2004
 子どものなかには、自分が独りになってしまうことが不安で、だれかといつもつながっていたいと強く思う子どもがいます。12才の女子には一般的に、そういった傾向が見られます。ある面ではだれもが経験する精神的自立の一過程とも言えます。しかし、それがエスカレートすると、仲間はずれ、弱い者いじめへと直結します。
 仲間はずれにされたり、いじめを受けたりする側にも、問題があるという声もありますが、わたしは「それは弱者に対する強者の開き直りだ」と思っています。これまで、多くの子どもたちに出会ってきましたが、いじめを指示していたり、いじめる子たちをコントロールしたりする中心にいる子どもは、ほとんど逆にいじめられる側にまわることはありません。それだけ、生きる知恵や、他人を精神的にコントロールするノウハウに長けているのです。
 だから、弱者はどんどん弱くなり、強者はどんどん強くなるのです。この両方を仲良くさせようと、日々教育現場で多くの教師たちが奮闘していますが、わずかな期間で溝が埋まるほど、子どもの人間関係は単純ではないのが事実です。だれかとつながるためには、相手が喜ぶことを提供しようとします。多くの場合、それらはものやことであるのですが、ときとしてひとがターゲットになることがあります。ものやことは提供するのに時間もお金もかかりますが、弱者をからかったり、誹謗中傷したりするのは、かんたんにできてしまうのです。

4821.1/14/2004
 学校の責任はだれが負うのでしょう。
「そんなの校長に決まっている」
多くの人たちは、そう考えるでしょう。しかし、その校長に責任能力が欠如していた場合はどうなるのでしょう。そもそも、ここでいう責任とは不祥事の責任をとって辞職するという責任ではありません。
 問題が発生したときに、最善の解決策を考え、解決にいたる過程を、教職員、子ども、保護者に説明する責任のことです。問題が発生したら、どこかに原因があるはずですから、それを発生させた責任が追及されることは避けられません。でも、だからといって、問題を放置したり、隠蔽したり、なかみをすり替えたりすることは、説明責任以前にやってはいけないことでしょう。
 説明をするということは、問題から逃げない前提がないと成立しません。そうしないと、嘘の上塗りで次々と問題を大きくしてしまいます。
 学校内部に、そういった自浄能力が育たない素地があるのだとしたら、早き時期に学校は外部評価の対象にさらされることでしょう。そのほうがいいのかもしれないし、また新たな問題が発生するのかもしれません。しかし、いつまでも説明責任を果たさないことは、もう社会的に許されない社会的段階になっていることを、教育関係者は深く自覚するべきだと思っています。

4820.1/13/2004
 アメリカンフットボールプロリーグのNFLが、今月はプレイオフを行っています。毎年、9月から12月までレギュラーシーズンを戦います。リーグ戦で、各地区の上位チームが1月にプレイオフをします。
 NFLはAFCとNFCの2つのカンファレンスがあります。日本のプロ野球のセリーグとパリーグみたいなものです。それぞれのカンファレンスは東西南北の4地区に分かれています。それぞれの地区には4チームが属しています。各チームの上位1チームと、カンファレンス全体でそれに続く勝率をあげた2チームがプレイオフに出場できます。プレイオフは勝ち抜き戦です。先週末は、カンファレンスのチャンピオンを決める前の試合がありました。両カンファレンスともカンファレンスのチャンピオンを決める4チームを決定しました。わたしが見た試合のなかでは、カロライナ・パンサーズの試合と、インディアナポリス・コルツの試合が印象的でした。ともに勝ったのですが、パンサーズは昨年まで成績が低迷していたチームです。今年、そんなに大きな戦力補強をしたわけではありません。毎年、違うチームがプレイオフに出場するのも、わたしがNFLを好きな理由です。戦力が1チームに固まらない選手構成のルールがきちんとできているので、どのチームが優勝するかがわからないのです。レギュラーシーズンでMVPになったQBマニングを擁するコルツは、プレイオフになってから調子をあげ、圧倒的な強さで勝ち上がってきました。
 今週末は両カンファレンスのチャンピオンシップが行われ、いよいよ今月末はカンファレンスチャンピオンどうしによる年間チャンピオンシップ「スーパーボウル」があります。

4819.1/12/2004
 10日の湘南小学校には見学者や体験入学者が多く訪れました。毎年、この時期は新年度をひかえて、見学に来られる方が多いのですが、今年はとくに4月から平日開校を予定しているので、それにターゲットをしぼった方々が来校しています。

 わたしは、それらの方々への説明や質問に応じて、ほぼ一日を過ごしました。平日開校を希望される方々は湘南地域に住んでいない方が多いのですが、実際に入学が決まったら、引っ越して来られるそうです。それだけ、本気ということでしょう。地元の公立学校を選ばないで、湘南小学校を選んでいただけるのですから、とても真剣になります。
 また、今回の見学者のなかには今春就学年齢に達する子どもがいました。まだ湘南憧学校に決めたわけではないのですが、小学校入学時から、レギュラ−スクールではなく、新しいタイプの学校を選択する世代が登場してきた実感を得ることができました。

 地方の方の話では、公教育に従事する人たちの世襲や、権力の集中がかなり深刻で、保護者や子どもの声を聞く体制はほとんど整っていない事例を聞きました。学校や担任のやり方に疑問を感じても、声に出してはいけないそうです。また、「あれをしてください」「これをしてください」という命令や指示ばかりで、家庭はその要求にこたえるのが精一杯とのことでした。

4818.1/9/2004
 今回の新しい教育理論と実践方法の検討では、湘南小学校を具体的に実現していくための考えが多く出ました。
 あくまでも新年会がメインなので、議論は本筋とは違うのですが、目指している方向が同じ人たちだから、場所や集まりの主旨に関係なく、いつも新しい教育についての話題は尽きません。

 文字を書く力を子どもたちにどうやってつけさせるか。
 自分のやりたいことをプログラム用紙に書くときに、文字を知らなかったり、読むことはできても書いた経験がない子どもに、どうやって自分の意思を表現させるのか。
 録音や録画をすればいいというのもありました。しかし、いつまでもこの方法を続けるわけにはいきません。子どもはいつか文字を書く必要が出てくるからです。文字に慣れ親しむための教材は、カルタやトランプなどがありますが、遊びながら文字を書く力がついていくような教材はなかなかありません。

 そんななか、「これからはキーボードを打つことで、文字を表現する時代が来るから、鉛筆やボールペンで文字を書く、いわゆる筆記の能力は重要視されなくなるんじゃないか」という意見がありました。たしかにいまの社会で、紙に文字を書いているのは学校の子どもたちがもっとも多く、おとなになったら多くの人はキーボード(携帯のボタンも含めて)を使っています。キータッチは、文字を書く能力よりも、文字を選ぶ能力が要求されます。そのことを見越して、新しい学校では筆記よりも、キータッチを教えるべきだという考えは、今後の湘南小学校のカリキュラムを作っていくうえで参考になると思いました。

4817.1/8/2004
 3学期が始まりました。
 わけあって、3学期から6年生のあるクラスをもうひとりの教員と担当することになりました。子どもたちのことを知る出会いの日だから印象に残ることをやろう。ふたりで相談し、ひとりひとりの得意なことを教えてもらった後で、「わたしはこれです」と包丁を見せ、握り寿司をふるまうことにしました。
 きのうのうちに、大船にネタのマグロとイカを買いに行きました。もうひとりの方には、米・飯台・酢をお願いしました。
 もうひとりの方が教室で学級指導をしている間に、わたしは家庭科室で仕込みます。写真1(切り分けたマグロ)写真2(イカとマグロ)。昨晩中、冷凍しておいたので、今朝から自然解凍してもなかなか間に合わず、流水を使ってなんとかOK。子どもたちの人数×2+教員分に切り分けるのが大変でした。写真3(3合の酢飯)
 握り始めたのは9時半ごろ。教室から家庭科室に子どもたちが来る予定時刻は10時。30分で80個もの握りに挑戦するのは初めてです。部屋に酢の香りが広がるなか、黙々と握ります。
 写真4(マグロ握りのラインナップ)。遠慮がちにドアが開いて子どもたちが入ってきました。「うわー、本物だー」「うっそー、学校でお寿司なんて」。みんな喜んでくれていて安心。
 「違う種類のマグロを用意したので、ひとり2個ずつ食べていいよ。ハイ、先着順」
 予想していたより、わさびをつけて食べる子どもが多かったのはびっくりしました。我が家の子どもはいまもわさびが苦手だからです。「うめー」「イカもいいの?」「酢飯だけでもいい」。
 静かな子どもたちが多い気がしましたが、食べ物の魅力はそれを上回ります。
 「ごちそうさま」。さようならじゃなくて、そういって帰っていく子どもたちを見送りながら、ちょっといい気分になりました。

4816.1/7/2004
 きのうはともに学校づくりを目指しているメンバーと新年会を兼ねて、新しい教育のなかみについて語りました。
 そのなかで、文字を書く力を子どもにどうやってつけさせるかという議題がありました。従来の学校では、何かの目的のために文字の学習をするのではなく、文字を書く目的のために文字の学習をしています。だから、最近では低学年のうちから家庭で文字を書かされた子どものなかには、学校での学習開始の時点からいくつかの文字が書ける子どもがいます。しかし、そういう子どもの多くは、新しい文字を覚えることや、何度も繰り返して書くことに対して意欲をもっていません。長い時間、やらされてきた記憶が、本人に文字を書くことへの抵抗感を育ててしまっていると考えられます。
 学校に入学してから初めて文字を覚える子どもたちも遅かれ早かれ同じように文字を書くことへの意欲をなくしていきます。それは、本人にとって意味も必要も感じられない文字の反復練習に嫌気がさしてしまうからでしょう。教師はなぜストップをかけられないかというと、それが仕事だからです。子どもの必要に応じた文字を教えるのではなく、あらかじめ教えなければならない文字が決まっているのです。だから、子どもはだれでもいいわけで、相手によって教える文字に違いをつけることはありません。

4815.1/6/2004
 インターネットを使った情報の共有は、汎用性に疑問があるという声があります。
 たしかにだれもが情報機器(パソコン)や携帯型情報端末(モバイル)、携帯電話をもっているとは限りません。また、パソコンや携帯電話を持っていても、インターネットへ接続している人たちばかりとは限りません。
 しかし、わたしはすべての人に可能な情報の共有方法などないと思っています。直接会って話をすることは確実な情報の共有方法ですが、該当する人たちがある日あるときに全員が都合がいいということはめったにありません。また、こまめに顔を会わせられる環境はセットしにくいのが常です。電話のやりとりは個別なものです。人の話を伝えるうちに少しずつ話のなかみが変化していくことはありがちです。
 インターネットを使った情報の共有は、相手がだれかわからない場合は不確実性が高まりますが、相手をよく知っている場合はむしろこまめなやりとりを瞬時にわかりやすく(大元の情報を変化させることなく)共有しあえる有効な方法だと思います。
 わたしたちは、テレビやラジオ、新聞を通じて地球の裏側の情報を入手する時代を生きています。そのことに違和感をもたない社会を構成しています。それらの媒体は、いままで一方通行なものでした。与えられる情報を信用して、自分の思考を組み立てていました。しかし、自分の言葉を発信できる双方向の情報共有が可能になったインターネット世界は、与えられるものに疑いをもつ人たちが船出をした新しい海原です。危険はいつもつきまといます。だからといって、港に吹いてくる風の音をただ信じる生き方は、これからの社会で気付いたときには陸の孤島にひとりぼっちの局面を迎えるのではないかと思っています。

4814.1/5/2004
 仕事が始まりました。
 子どもたちは8日から登校しますが、教職員は仕事の開始です。わたしが教員になった頃は、時代がおおらかだったのでしょう、教員には自宅での研修が認められていて、出勤しなくても自宅で教材の準備や校務をすることができました。
 世の趨勢というべきか、「勤務地にいなければ働いたことにはならない」という通達一本で、子どもがいない学校にとりあえず出勤しなければならなくなりました。わたしは、以前から長期休業中も学校に行って、掃除や教材研究をしていることが多かったので、システムの変更は心理的には打撃は少なかったのですが、子どもといっしょに休むのが当然と思ってきた人たちには不満が多いようです。学校に来てもすることがないらしく、携帯でメールを打っていたり、職員室の座席でため息をついていたり、なにしに来たの?といいたくなる人もいます。
 でも、情報によると、ある地域では校長が強制的に教職員全員が出席しなければならない会議をわざと開催して、内容の質はどうでもよく、ともかく「自分はこんなにたくさんの教職員を出勤させている」ということを自慢したがるところもあると聞きます。ちゃんと、自分ですることを考えている人たちにとっては迷惑な話です。そのような学校でなくて、よかったとつくづく思います。

4813.1/4/2004
 きょうは湘南に新しい公立学校を創り出す会のメンバーと地元の大船カトリック教会に行ってきました。臨済宗円覚寺派の門徒宗がなぜ?それは、今春から開校を予定している湘南小学校の平日版「湘南憧学校(しょうなんしょうがっこう)」の会場探しのためです。
 開校まで4ヶ月なのに場所が決まっていないという課題と直面しながらの年明けです。生まれて初めて教会のなかに入りました。この日は、ミサがあったようでとてもたくさんの信者の方々がいました。聖堂のおごそかさに圧倒されました。
 これからわたしたちの要望を教化委員長という方が教化委員会という会議で検討してくれるそうです。教化委員会は信者さんたちの代表者の集まりとでもいうものでしょうか。部屋を見させていただきました。どの部屋もわたしたちがやりたいことを実現するのに条件としては申し分のないものでした。教化委員会の結果が朗報であることを祈るのみです。

4813.1/3/2004
 今年になってから湘南地方はよい天気が続いています。
 第80回箱根駅伝が行われています。以前、藤沢に住んでいた頃は、戸塚中継所から平塚中継所に向かう3区と8区のランナーを応援しに沿道に行きました。地元に転居してからは、もっぱらテレビやラジオで応援しています。とくに3区のランナーが、藤沢の遊行寺(ゆぎょうじ)坂を走る姿には驚きます。道路の中央に何メートルかの感覚で白線が引かれています。ランナーの一歩は、軽くその白線一本分を越えていきます。走るというよりも、跳躍の繰り返しに見えます。
 朝刊に目をやると、自衛隊の先遣隊がイラクに到着したことを伝えています。
 いつもと同じ正月のような気がしますが、確実にいつもとは違う正月が始まっていることを忘れないようしたいと思います。

4812.1/2/2004
(5)

 ライブの後半、近くの居酒屋のお孫さんMさんが来店。
「きょうか何ですか?」
そういいながらも、いきなりサザンオールスターズの「TSUNAMI」を熱唱。お客さんどうしが、このライブをきっかけにして出会い、またこの町のどこかで会ったとき「やーやー」と声をかけられたら、いいなーと思いました。
 午前様になった頃、多くのお客さんたちは帰っていきます。
 残ったYさん、Mさん、Oさん、そしてご主人のAさんとしみじみと懐かしの曲を合唱。最後にAさんが「結婚式で歌う、乾杯かわばたバージョン」を披露して打ち上げとなりました。
 その後は、Mさんの友だち関係の話に花が咲き、わたしがお店を出たのは午前2時を過ぎていたでしょうか。Yさんを自宅まで送り、帰宅する途中に朝刊を配達するバイクとすれ違いました。

 Aさんとは「こんなライブを季節に1回ぐらいずつやりたいね」と話しています。今回、初めての企画で進行のイメージがわいたので、次回は今回よりも内容を練った企画ができそうです。
 年末のあわただしいなか、来店し、歌を歌ったり、聞いたりしてくれた地元のみなさん、本当にありがとう。ぜひ、次回も足を運んでください。

4811.12/31/2003
(4)

 ひとしきり、飲んで語ったところで、ライブを再開します。
 ソフトボール仲間が増えたので、リクエストもたまるようになります。
「季節のなかへ」高音が伸びる松山千春の曲をHさんが熱唱。きれいな歌声にびっくり。「我が良き友よ」往年のかまやつひろしのナンバーをOさんがしっとりと。
 Iさんが図書館から借りてきた歌本をアシスタント役のYさんが開き、クリップでページをおさえ「このなかからどれでも」と。そこには懐かしい「かぐや姫」の曲の数々。伴奏するだけのはずが「ぼくの胸でおやすみ」をわたしも歌います。「これ、知ってる」Oさんが「うちのお父さん」を。
「こんなご時世だから」と戦地におもむく恋人に思いを寄せる「あの人の手紙」を歌っていたら、お店のご主人Aさんが絶妙のタイミングでコーラスをつけてくれます。
 少し、ほかのお客さんたちも落ち着いたところで、わたしとAさんのふたりでギターを抱えます。Aさんは吉田拓郎の歌本を持参。「旅の宿」「明日に向かって走れ」「落陽」などを連続で披露。こうなると、他のお客さんたちはご主人にオーダーを頼みづらくなり、自分で生ビールを注いでいました。

4810.12/30/2003
(3)

 年配の福ちゃんと豆腐屋のご主人がいたので、最初は「ここに幸あり」「白鳥の歌」など、70年代よりもふるい歌を流します。うーん、この先、どうなっちゃうのかな。
 わたしが物心ついたときには、すでにグループサウンズは終わっていました。南こうせつになる前の「かぐや姫」、さだまさしになる前の「グレープ」、小田和正になる前の「オフコース」が全盛の頃で、井上陽水や吉田拓郎は少し先輩たちのレパートリーでした。だから、いきなり演歌をリクエストされてもなーとも思いましたが、そこは現場にあわせるライブなので、せっかくの期待にはこたえなくちゃとギターを鳴らします。
 途中で、お店のご主人Aさんが机に料理を並べてくれます。
「じゃ、少し休んで腹ごしらえをしてください」
このままじゃあかんという想いが伝わったみたいで、いいタイミングでの休憩です。料理とお酒を楽しんでいたら、ソフトボール仲間のOさんとHさんが来店。そして、乾杯。Hさんは少年サッカーのコーチをやっていて、翌日に試合があるのに、わざわざ顔を出してくれました。最初の懐メロ路線が変わるかもと、少しの期待がわきます。そのうちに、お店には一般のお客さんがやってきます。それぞれに顔つながりがあるみたいで「この人たちのじゃまになってしまうんじゃ」と、今度は別の心配が。だって、その方々の話題は28日の競馬「有馬記念」のことばかり。そんなところで、悲しい歌や暗い歌はできないよー。

4809.12/29/2003
(2)

 「こんばんは」続いてソフトボール仲間のIさんが登場。手には約束どおり歌本を持っています。「買うのもなんだから図書館で借りてきた」。ありがたいことです。この日のために図書館に行ってくれたんです。Iさんは11月の江ノ島ライブで最初にエールを送り、最後に万歳をやった方です。大手電機メーカーにお勤めで「月曜まで仕事」と言っていました。
 続いてお店の常連「ふくちゃん」登場。「元旦まで仕事なの」と文句。そんなんじゃ湘南学校作れないぞと、なにが「そんなんじゃ」なのか分からないジャブ。以前、拙著をプレゼントしたことがありました。
 「ちわっす」いつもの豆腐屋のご主人が配達の途中で立ち寄ります。事情があってお酒は禁止されているのですが、ちょっとした休憩のつもりなのでしょう。「きょうはいつもと違うね、先生、本当はそんなことをしていたの?」。うーん、そんなことと言われても。

 ともかくこの日(27日)は早朝に鎌倉でも雪が降る寒さでした。前日は湘南に新しい公立学校を創り出す会の年内最後の会議があり、打ち上げをして帰ってきたので、わが身には寒さが2日連続でしみている感じでした。
「じゃ、寒いといえば北国。北国といえば北海道。最初は襟裳岬からやろうか」
 Yさんにしっかり数冊ある歌本の曲探しやしおり入れのアシスタントをお願いし、襟裳岬をつまびきました。Iさんのよくのびる声が店内に響き、5人のライブが始まったのです。

4808.12/28/2003
(1)

 きのうは午後5時ごろ、近所の居酒屋「かわばた」に行きました。
 店のご主人と企画した「年忘れ70年代フォークライブ」があるからです。
「こんにちは」引き戸を開けると、ご主人がテレビでサッカーを見ていました。ほかにはだれもいません。「おー70年代は、はるか遠くになりにけり。こんな企画じゃ人は集まんないのかな」とこころに軽いジャブ。それでも「どこに座る?」「机を動かそうか?」と準備を始めました。
 そのうちに、近所の中学校の後輩だったKさんが来ます。Kさんはわたしが中学校の文化祭でコンサートをやっていたときに、お客さんとしてそこにいました。わたしがそのことに気付くのは就職して10年以上が経過し、いまの職場に異動してからです。長いブランクの末に再会したのですが、それからはちょくちょく飲みに行ったり、相談に乗ったり、コンサートに誘ったりしています。今回のライブも当時のことを再現するにはこの人しかいないと思って、真っ先に連絡をとりました。
「まだ、だれもいないの。で、サッカーがいいところ(延長戦になっていた)だから見てるんだ」
言い訳がましい挨拶で出迎えます。

4807.12/27/2003
 イラク特別措置法に基づき、26日、成田空港から航空自衛隊の先遣隊が民間機で、活動拠点となるクウェートとアメリカ軍司令部のあるカタールへ向けて出発しました。
 国内に賛否両論があるなかでの出発です。
 国連の部隊としての派兵ではなく、日本政府が決めた派兵です。
 憲法がうたった「国際社会での確固たる地位」とはこのようなかたちを想像していたとは思えません。

 水道や電気などのライフラインが寸断され、治安が悪い状況のイラクで、わたしたち日本人にできることは武器を携行した人員の派遣ばかりではないはずです。文民の外交官がこれまで体を張って、現地で気付いてきた信頼関係が、今後も持続するのか不安になります。

 東京に大規模なテロが起こり、家族や友人が犠牲になることを想像しましょう。あなたの大切な人がイラクに派遣され、やむなきこととはいえ、銃口をだれかに向け発砲する姿を想像しましょう。そして、まだまだ人生でやりたいことがたくさんあるあなた自身が、テロに巻き込まれ病院のベッドで息を引き取る瞬間を想像しましょう。
 みんな自分とは関係のない話だと、考えることをやめてしまってはいけません。自分のこととして受け入れるということは、被害や災いが自分に降りかかってくることや、自分の身近な人たちに影響が出ることを認めるということです。

4806.12/26/2003
 あしたは地元の居酒屋「かわばた」で「年忘れ70年代フォークライブ」です。
 仕事以外に今年も手帳が真っ黒になった毎日でした。それらの予定が年内はあしたで終了。28日からは家族との時間を過ごす予定です。日本型チャータースクール法の企画検討を12月30日まで仲間とやっていた年もあったので、今年はましなほうでしょうか。

 あしたのライブは、わたしが歌うわけではありません。わたしは歌集を見ながらギター伴奏をして、お客さんの歌が歌います。おもに地元の人たちを対象にしていますが、みなさん年末で予定があるみたいなので、どれぐらい集まるかわかりません。まっそうなったら、飛び込みのお客さんと仲良くなればいいやと楽観しています。湘南に新しい公立学校を創り出す会の山下さんが成城から来ると言っていました。ありがたです。
 居酒屋「かわばた」のご主人とは、子どもが同じ小学校に通っていたつながりです。その小学校でPTAのソフトボールチームがあり、練習や試合をいっしょにするうちに仲間になりました。居酒屋と聞いてからは、メンバーの宴席に使わせてもらうようになりました。11月のライブで異様な盛り上がりをしていた男性集団です。ライブでピアノを担当してくれた井海さんも「かわばた」に連れて行き、メンバーを紹介したこともありました。
 同じ年齢の人たちなので、70年代から80年代の歌謡曲とともに青春時代を過ごしています。生まれ育った場所は違っても、当時の流行歌は同じように聴いていたので、ギターをボロンとやれば口ずさめるかもねということで企画しました。このWAYをご覧になった方で、もしも都合のつく方がいたら遠慮なくどうぞ。席を空けて待っていますよ。

4805.12/24/2003
 冬休みに入りました。
 東京で小学校の教員をしている知人の情報では東京はあしたから冬休みだそうです。
 その教員は公立小学校に勤務しているのですが、なんときのうまで6時間で給食があったそうです。そんなに長く子どもを学校にしばりつけても、精神的にあまりいい効果がないと思うのですが、どうなっているんでしょうね。
 物事には始まりと終わりがあって、何事もゆっくり始まり、しっとり終わるパターンが自然なのに、急に全力疾走で、あるときパタッとゴールインというやり方では、子どものこころに季節感や集中力が育たない気がしてしまうのはわたしだけかな。

 わたしは子どものときから年末年始が特別な時間でした。
 それは正月に誕生日があったからです。
 冬休み中の誕生日は、お年玉と誕生日が重なるので、ほかの友だちのように誕生日だけを祝ってもらうのがずっとうらやましかった記憶があります。
 でも、いつのころからか時間が矢のように過ぎると感じてからは、別の意味で年末年始が特別に感じるようになりました。それは短い時間ですが、知人の多くと連絡をとれない状況になるので、自分の時間をたくさん確保できるからです。
 ふだん「あれをしよう」「これをしたい」と思っていたことに、じっくり取り組めるのです。楽曲を作る、エッセイを書く、模型を作る。今年は、小説「せのび」の第4章を書き始めようと思っています。

4805.12/24/2003
 きのう、千葉県浦安市に行ってきました。
 ディズニーランドに行ったのではありません。夏から依頼のあった「こんな学校にしたい会」のお招きで、学習会のパネラーをしてきたのです。
 いただいたお題は「あるべき子どもの姿」。これをいまの公立学校の限界と湘南小学校の実践を紹介する内容で話してほしいとのことでした。パワーポイントでプレゼンテーションファイルを作成し、ファイルをスクリーンに投影しての話でした。しゃべる内容と投影している内容が同じでは意味がないので、しゃべる原稿と投影する原稿のふたつを作成しました。
 学生や新しい学校作り活動をしている方々、被爆者の方々、現役の教員など多様な参加者がいました。1時間半ほどプレゼンをした後で、参加者の紹介と質疑応答になりました。1時半ごろから4時半ごろまで、たっぷり3時間の学習会でしたが、あっという間に過ぎた時間でした。
 講演内容を湘南に新しい公立学校を創り出す会のサイトで紹介しています。よろしければこちらをクリックしてください。

4804.12/23/2003
 22日から事情があってわたしは6年生のクラスを担当することになりました。
 わたしだけでなく、もうひとり担任ではなかった方(専科)といっしょに卒業までそのクラスを担当します。
 2人の教師でひとつのクラスを担当するのは小学校では異例のことですが、職員会議を何度もやって全教職員で確認しあった上でのことです。朝、教室に入ったらいきなり黒板に「殺人鬼」「貞子」などの恐ろしい言葉が書いてあります。子どもの書体。「ひょー大変なことになりそうだ」と内心、ひやひや。それでも、挨拶を終え、帰りまで過ごします。
 今回の話は急なことだったので、わたしももうひとりの方も担当していた教科の整理がつかないままに担当を引き継ぎました。そのため朝は挨拶だけをして、3時間目から正式に授業を担当しました。3時間目はコンピュータルームです。3時間目が終わり、帰りの連絡のため教室に行くと、まだ「殺人鬼」などの言葉が消えていません。きょう、ずっと書いてあったのです。
 おそるおそる子どもに聞いてみました。「あれ、朝から気になっていたんだけど、どういうこと?」。
すると、にこやかに教えてくれました。
「今度の子ども祭りの役割だよ」。
3学期早々にある校内の行寺で、そのクラスの子どもたちはお化け屋敷をやることになっていました。その役割分担でした。

4803.12/20/2003
 小学校では学級担任が子どもや保護者とかかわる割合が大きいので、学級担任が年度途中で病気などの理由で休んだり、そのまま退職したりすると、子どもや保護者の動揺が増幅されます。
 なぜ、年度の途中でいなくなってしまったのかという理由を知りたくなるのは当然です。残された子どもたちに大きな不安と迷惑をかけるのだから、たとえ受け入れてもらえなくても、理由をまず知ってからでないと、次のことを考えられる気持ちの切り替えは難しいはずです。ただし、わたしは担任の個人的な事情で職場を離れなければならなかった場合は、事細かに理由を伝えるよりも、迷惑をかけることを、ひたすら陳謝するしかないと思っています。逆に、担任が子どもや保護者に迷惑をかけてきて責任をとって職場を離れなければならなかった場合は、憶測を排除して事実はきちんと伝えるべきだと思います。
 どちらにせよ、子どもや保護者には納得できないことでしょうが、それらを一律に扱うことで混乱はかえって大きくなると感じます。

4802.12/19/2003
 結局、今回の答申でも、審議委員に名を連ねた方々は、いまの公教育でもっとも苦しみ、もっとも弱い立場の子どもや保護者に目を向けてはくれませんでした。
 教育改革国民会議で提唱されたコミュニティスクールが「地域運営学校」という名前で実現しそうです。まだ、詳しい中身が分からないのでコメントできません。発案された金子郁容さんの願いが骨抜きにならなければいいなと思います。
 いま、湘南の地でわたしたちにできることは、願いを言葉に終わらせないで、実績をあせらずに積み上げることです。いつかだれかが朗報を運んでくれるとは期待していません。だから、自分たちで政治的なアプローチも必要ですが、からだは一つしかないので何を優先するかをはっきりさせなければなりません。
 来年から開校する平日の湘南憧学校へむけて、場所の決定と、入学者の確定を最優先課題として、年末年始を乗り切っていきましょう。(おわり)

4801.12/18/2003
 公教育の質を担保するという考え方は、現在の公教育には一定の質があって、子どもたちにすべからくその質が保証されていることを前提にしています。しかし、学習指導や友だちとの関係を捨ててまで、学校に行かない子どもたちが増加している現実を受け止めるとき、この前提は成立していないのではないかと疑う必要があります。
 多くの子どもたちには現在の学校が必要なことを否定するつもりはありません。しかし、すでに小学校や中学校で、不登校や学級崩壊が浸透している現実を見過ごしてはいけないと思います。これらは一部の特殊な家庭や学級での出来事ではなく、全国的な規模の問題だからです。
 公教育に質が一定の学力をさしているのだとしたら、その質が保証されていない子どもたちの存在を無視してはいけないはずです。オルタナティブな教育は、総体としての公教育が抱えきれない問題の解決に必要なのです。長い時間の後に、現在の公教育がオルタナティブになってしまうかもしれませんが、現在はそこまで考える必要はありません。

4800.12/17/2003
中央教育審議会の答申を受けて

 きょう(12月17日)の毎日新聞に文部科学省の中央教育審議会の答申が掲載されました。いわゆる教育特区の提案を受けて新しい学校についても、答申になかに盛り込まれています。
 行政が経費を支出し、運営を民間に任せる公設民営学校について、湘南に新しい公立学校を創り出す会も以前特区提案をしました。幼稚園と高校について導入をする答申になっています。しかし、その運営を委託するのは株式会社やNPO法人は除外されています。教育の専門性を維持するためにという理由からです。また、小学校と中学校は公設民営学校を作ることができません。義務教育の質の保証が担保されないという理由からです。
 わたしは、いずれも残念であると同時に、やっぱりなという感想をもちました。義務教育諸学校で増加しているいじめ・暴力・学級崩壊・不登校を、結果的に現場の教職員の責任において解決するという行政の考え方は、解決できる場合と解決できない場合の両方のパターンに分化してしまうことが認識できていないのです。解決できない場合は、教員の力量を批判して、次々と解雇してしまえばいいという極端な考えさえ見え隠れします。(つづく)