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4799.12/16/2003
 学級担任制の欠点は、担任が休んだり、辞めてしまったら、円滑な交替ができないことです。
 学校は法律によって、教員の人数が厳格に決まっているので、年度当初に割り振った教員の役割を1年間持続することを前提としています。だから、どこかのクラスの担任が不在になったとき、代わりに担任を引き受ける役割がいないのです。そのようなときのために、教育委員会は非常勤の教員をつけられるように登録制度を用意しています。しかし、非常勤の方々だって、自分がどうのような状況のクラスで担任の代わりをするのかによっては、登録はしていても、具体的なオファーがあったとき、断ることができます。
 学校には担任と違って特定の教科を複数のクラスに教える専科教員がいます。これも法律によって、何人の専科をつけるのかが決まっています。担任がすべての教科を教えるのではなく、特定の教科を専科が教えることによって、教員の授業時間のバランスが保たれているのです。だから、担任が不在になったとき、簡単に専科の教員に代替させると、その専科が担当していた教科を担任が教えなければならなくなります。

4798.12/15/2003
 わたしが最初に小学校の学級担任制の見直しを提案したのは1997年でした。毎年、小学校では年度末に翌年の学校運営に関する会議を開きます。その席で、学級担任制を見直し、学年全体を複数の教師で担当する学年担当制を提案したのです。
 具体的には、中学校のような教科によって教師が変わる教科担任制を中心にして、ひとりの教師がクラスに長くかかわる方法から、教科指導の専門性を高めるためにひとりの教師が教科の枠組みでこどもにかかわる内容でした。
 この提案の背景には、当時学級崩壊現象がありました。特定の教師のクラスで授業が成立しなくなるものではなく、今後子どもと教師の関係は学習を機軸とした専門性の高いものにするべきだと考えたのです。また、学級担任制は問題が起こったときに代替措置が施しにくい欠点をかかえていたからです。複数の教師で学年全体を担当する方法ならば、特定の教師と子どものとの間に問題が発生しても、対処が早くできるし、問題が拡大する前に予防措置が実行できるからです。
 当時のわたしの提案は「それでも小学校では、担任と子どもとの濃密な関係が必要だ」という多数の意見の前に広がりませんでした。あれから6年が経ち、担任と子どもとの濃密な関係は本当によい結果を導いているのかどうか、わたしには疑問です。たまたま子どもと担任がフィットするクラスもあれば、反対に互いの距離が広がっていくクラスもあるからです。結局、運命論のような前提でいまも学級担任制は機能しています。

4797.12/14/2003
 給食の時間が終わる頃、子どもたちが大根カナッペを盛った皿を入れた大きな給食用のパットを戻しに来ます。
「ごちそうさま」
「どう?みんな食べた?」
「うん、おいしかったよ。すぐになくなっちゃった」
 こどものなかには、わりと野菜嫌いの子どもが多いのですが、自分たちで種をまいた野菜はなんとか努力して食べるケースが見られます。日ごとに成長していく様子を知っているからかもしれません。
 ないものを買うことによって手に入れる都市型の生活は、子どもたちが築いたものではないので、その結果として子どもが食べものの作られる過程を知らなくなるのは仕方がないことです。
 学校教育の一環として、畑仕事を体験することは、子どもの日常とはかけ離れたことかもしれません。生活に役立たないことかもしれません。でも、おいしかったという舌の記憶は、頭に入れた知識よりも忘れないと思います。おいしかった記憶は楽しかった記憶につながり、楽しかった記憶は自分やひとを好きになる気持ちの余裕を生じさせることでしょう。

4796.12/11/2003
 大根を収穫して、給食の時間に各クラスに配りました。
 きょうは3クラスの生活科があったので3クラスに配りました。おおくら大根と理想大根、秋づまり大根の3種類です。よくお店で見かける大根は青首大根のなかまです。青首大根は成長とともに葉の付け根が土から盛り上がるので、収穫がやりやすい特徴があります。農家の多くが青首大根を選ぶ理由のひとつに収穫のしやすさがあります。後継者不足が、大根の市場に出回る種類を限定しているのです。
 去年は、青首大根と三浦大根に挑戦しました。今年は珍しい大根をと思い、先述の3種類の大根にしました。収穫の時期になって「なるほど」と思いました。本当にこれらの大根はぬくのが大変だったんです。とくに理想大根はごぼうのようにひょろっと長く土からは葉っぱだけしか出ていないので、慎重に抜かないと折れてしまいました。またおおくら大根は根元まで同じ太さか、根元の方が太いので、子どもの力では抜けませんでした。
 収穫した大根はよく洗って先端を捨てます。皮はむきません。葉っぱは同僚にプレゼント。身をスライサーでスライスします。1クラスに3本の大根を使いました。さっと水に浸してから、よく水を切り、中ぐらいの紙皿に盛ります。大盛りで3枚の皿を1クラスに使いました。そこに無添加の特性みそをつければできあがり。給食の時間に3クラスに持って行きました。

4795.12/10/2003
 職場でもイラクへの自衛隊派遣が話題になっていました。
 「第四次、第五次の派遣になったら俺たちかな」。50歳代の同僚がつぶやいていました。「それまでの人たちはどうなってんの」「そりゃ、戦地に行くんだから犠牲者も出るだろう」。
 多くの人たちが今回の政府の決定でやっとわが事として自衛隊の派遣を考えるきっかけになったのかもしれません。首相の説明のなかに「憲法前文の理念をいかす」というものがありました。これまで政権与党はなんどとなく憲法を自分たちの政策に合致する解釈で利用してきました。「第九条に書いてあることと矛盾するよ」子どもたちは当然思います。その疑問にどれだけの教員が応じられるでしょうか。首相の代弁をしない場合、自分の言葉で語ることが禁じられてしまうかもしれません。
 仕方がないの一言で、武装した集団を外国に送ることは戦争に参加する以外の何ものでもない……。この当たり前のことを権威ある立場の人たちは肝に銘じる必要があります。

4794.12/09/2003
 イラクに自衛隊を派遣する基本計画が閣議決定する。
 1945年の無条件降伏から60年が経ち、日本政府はふたたび戦場に軍隊を派遣する。国際紛争の解決から武力を放棄すると誓った憲法が、また無視された。
 新聞やテレビの世論調査では、自衛隊の派遣に対して「反対」「いまは時期尚早」という慎重論が過半数を占めている。にもかかわらず、政府が自衛隊を派遣する基本計画を閣議決定したことに疑問を投げかける論調がある。わたしは自衛隊の派遣には反対だ。しかし、政府の方針には筋道があると思っている。
 秋の衆議院選挙で、多くの有権者は自衛隊をイラクに派遣する方針の政党の推薦や公認を受けた候補者に投票した。与党も政府も選挙前から、イラク派兵については態度を明らかにしていた。だから、いまになって有権者の多くが投票した候補者が所属する政党の方針に疑問を投げかけるのはおかしい。
「自分は投票にいかなかった」という人もいるだろう。イラク派兵に反対しながら投票を棄権した人たちは、自分の権利を放棄したので、政府の方針に反対する前に、市民としての責任ある行動をとるべきだった。
 わたしは自衛隊のイラク派兵に反対する候補者と政党に投票した。衆議院では野党だが、最後の瞬間まで派兵を引き延ばす努力を続けて欲しいと切に願っている。

4793.12/08/2003
 ひととひととの関係は、気持ちでつながっているので、言葉をしっかり使わないと簡単に距離が生じます。
 もしも、気持ちの離れ方に平行して、実際に顔を合わせることがなくなるのなら、時間の経過とともに互いを忘れることができるでしょう。でも、同じ地域に住み、同じ職場に働き、同じクラスで机を並べている場合は、簡単に互いを忘れることはできません。
 間に第三者が入れば入るほど、話がこじれ、最初の距離が何倍にも広がり深まってしまうことは少なくありません。相手を思い、自分の考えを伝えるには、ふだんからものが言える関係を作っておくことが大事です。いつも上から見下ろすような態度を取り続けていたら、困ったときにだれも仲裁を買っては出ないのです。
 もっともやっかいなのが、肩書きや立場で相手を従わせようとする考えです。反論できない立場の人に、がまんを押し付けるやり方は、距離の深さとともに不信感を芽生えさせるのです。

 わたしは27日に、近所の居酒屋で年忘れライブをします。来場した人が歌えるようにギターを用意しておきます。カラオケのようにひとりで歌うのではなく、他のお客さんも巻き込んでのライブです。「ちゃんと人数把握をやろっか」とご主人に聞いたら「いいよ、来た人が気楽に歌えるようにしておこうよ」とのこと。日常になにげなくひととひととのつながりを作り上げていく仕掛けを用意しておくことが、誤解や言葉の行き違いを訂正する信頼を生み出すことを信じて。

4792.12/07/2003
 イラクで外務省の方がテロの犠牲になり、先週は多くのメディアで取り上げられました。
 とても痛ましいことで、同じことが繰り返されないように祈るばかりです。
 わたしが、メディアの取り上げ方を見ていて気になったのは、個人の物語に集約しすぎていないかということです。生い立ちや手記、日記やメールまで電波に乗ったり、記事になっていました。一つ一つご遺族の同意があってのことでしょうが、個人の生き方や功績を称えるのならば生前にすべきです。ほかにもたくさんの文民の方々がイラクの民主化のために現在も骨身を削っているのですから、その方々も含め、軍隊ではない方法で活躍している現実をもっと取り上げるべきだと思いました。

 人の死を、礼賛し美化してしまうと、冷静な社会分析や論理的なものの考え方は排除される傾向があります。とくに人の死は、遺志をくむためにと言われてしまうとそれ以上の反論ができなくなります。遺志をくむよりも、これ以上の犠牲を出さないことが大事です。目的のために、人命をいとわないという考え方はあまりにも一元論過ぎて危険なのです。またこのような主張をする人に限って、自分は犠牲の矢面に立とうとしません。

4791.12/06/2003
 きのうは雪が降るかと思うほどの寒さでした。
 きょうも天気は悪かったのですが、気温は逆に生あったかくて、きのうとの温度差に体が調子を狂わせそうです。
 子どもたちも欠席するケースが増えています。登校しても、途中で調子が悪くなり、早退する子どももいます。
 先週の大根の収穫でも、どのクラスにも欠席者がいて、近所の子どもに持って帰ってもらいました。畑の野菜は、ひとの都合で生育してくれないので、時期を逃すと、逆にしおれ始めてしまうからです。
 今年の秋は「おおくら大根」「理想大根」「秋づまり大根」の3種類に挑戦しました。種類が違うので、収穫期になっても大きさが違います。こどもたちは大きさだけで比較していましたが、味が違うということに、きっと家に持って帰ってから気づいたのではないかと思います。

4790.12/05/2003
 第156国会で著作権法が改正されました。
 いままで教育目的でWEB情報をローカルマシーンにサイトの管理者あるいはデータの作成者に許諾を求めなくてもコピーできるのは教師に限られていました。しかし、来年1月からは子どもたちも同等にコピーできるようになります。コピーできるのは教育機関であることという制限があります。学校でインターネット情報をどんどんコピーした子どもが、自宅のマシーンでも同じことをやってしまうことは十分に予想されます。授業を通じて、教師が「なぜ学校ではよくて、それ以外ではいけないのか」ということをきちんと説明することが重要になるでしょう。
 総合的な学習の開始などで、子どもたちが複数の興味ある課題を調べるようになりました。現在は、それぞれ個別にインターネット情報を使っていいかどうかの許諾を、小学校の場合はおもに教師が行っています。その手間が省けることは大きな前進です。
 ただし、わたしが懸念するのは、子どもたちに引用とオリジナルの境界を意識する気持ちが低下してしまうのではないかということです。現在は、いやおうなく許諾を求めるので、なにが外部から得ている情報なのかを子どもは意識しています。今後、ディスプレイを見ながら「いいなー」「これを探していたんだ」という情報に出会ったとたんコピーが可能になるわけで、どこからがコピーで、そこまでがオリジナルかという違いを教師が把握するのは困難になるでしょう。
 それにより、サイト作成者の知的所有権がないがしろにされたら、重要な情報が公開されないようになるかもしれません。他人のものを使うことと、自分で作ることの違いを、年齢が小さいときから区別させ、他人のものを自分のもののように使ったら盗作という罪になることまで教える必要がありそうです。

4789.12/04/2003
 きょう、生活科の畑で9月に種まきをした大根を収穫しました。
 店で売っている大根を買うことが多いので、子どもたちはどろがついた大根にびっくりします。
「洗っちゃだめだよ。洗うのは食べる前にしてね」
 大根は土のなかにできるため、葉の茂り方だけで判断しても、抜いてみると小さいものもあります。また、土が硬いところは、大根が土中に伸びることができずに、曲がったり、二股に分かれたりします。
 とても小さいのを収穫した子どもには、再度引っこ抜くように指導しました。不思議なもので、小さいのを抜く子どもは何度やっても小さいのを選ぶんです。
 そのなかに三度目のチャレンジで、とても立派な大根を抜くことができた子どもがいました。今回、クラスごとに大根の種類を変えました。そのクラスは茎の太さが一定で、首があまり土から出ない「秋づまり」という種類だったのですが、「やったー」と持って来た子どもの大根は明らかにとなりの畑の違う種類のものです。
「これ、となりのでしょ」「違うよ」その子どもは譲りません。
しかし、畑にいたほかの子どもが「ここに穴がある」と、となりの畑を指差しました。ついで別の子どもが「大根どろぼうだ」と叫びます。
 なかなか大きい大根が取れなくて、となりの畑がよく見えてしまったのでしょう。

4788.12/03/2003
 99年に学校に最初に設置されたパソコンが10台あります。これがいまもハードの交換もしないまま使われています。OSはウインドウズ98。その後02年にウインドウズXPがさらに20台設置され、合計で30台になりました。
 わたしの勤務する学校では、ほぼ毎時間どこかのクラスがパソコンを学習道具として使っています。だから、99年に設置した98のパソコンはもう完全に寿命を迎えています。
 今週になってから、一台がネットワークアダプタが破損し、ネットワークに接続できなくなりました。LANを使って子どもたちはファイルを大容量のハードに保存しているので、ネットワーク接続ができないと、学習道具としての価値がありません。
 きょうはついに保存したファイルが紛失していました。これは原因がほかにもあるかもしれませんが、98のパソコンはハードが限界で動いているので、保存命令を出しても、なかなか保存が終了しません。子どもが保存したと思って保存動作中にシャットダウンをしていればファイルは不明になります。その証拠にバックアップ用ファイルのかけらができていましたが、不完全なためアプリケーションで開くことはできませんでした。
 情報機器は、そろえればおしまいというものではありません。使いながらどんどん劣化していく消耗品なので、たえず修理と点検が必要です。さらに3年以上もハードを交換しなければ、今回のような破損が始まってもおかしくはないと思います。

4787.12/02/2003
 1年生がパソコンで作成してきた「がっこうクイズ」。いよいよ、発表を迎える段階になりました。
 ひとりひとりにデジカメを渡して、学校の不思議を写真に撮影してきてもらったのが、ついこないだのようです。
 問題になるような写真と、その答えになる写真の両方を子ども用のプレゼンテーションソフトファイルに貼り付けて、キャプションをつけました。すべての内容に目を通していたわけではないので、発表を見ながら気づかされることもありました。
 明らかに問題の写真にはタイヤが写っていて、ほかの子どもたちも「かんたんだよ、タイヤでしょ」と答えたものが、答えの写真にはまったく違う鉄棒が。キャプションには「こたえはてつぼうです」。「これってインチキだよ」と嘆く子どもたち。
 接写によってわざと対象をぼかし、問題を作成していた子ども。答えもこっていました。「これ知ってる。ドナルドダッグでしょ」。昇降口にキャラクターが掲示してあったのです。でも出題した子どもは「違う」の一点張り。答えは「ドナルドダッグの目」でした。

4786.12/01/2003
 ベトナム戦争や朝鮮戦争があったころ、子どもたちに戦争に反対する授業をやってはいけない指導が管理者から教師にあったと聞きます。そういうことをすると反戦教師の烙印を押されて、出世はおろか、授業をさせない現場外しが断行されたそうです。
 教師といえど、公務員なので政治的な指導をしてはいけないことは理解できます。政府の方針と違うことを公立学校の教師たちが指導してはならないわけです。しかし、かつてその考えによって多くの若者を戦場に送り出した歴史を振り返るとき、多くの人たちは同じことを繰り返してはいけないと思いを新たにしたのではないでしょうか。
 イラクは現在戦場です。そこに自衛隊を派遣する法律が出来上がりました。マスコミはいつ派遣するのかという目先のことばかりを話題にしています。「法律を作ったのは国会です。でも国会議員を選んだのはみなさんでしょ」。今回の派遣任務を負う地域の自衛官の家族が、新聞の取材にそう答えています。
 すでに各自衛官には個人的な思いを公言してはいけないと、上司の命令が出ています。言論統制が始まっているのです。機密を漏らそうとしているのではありません。自分が戦地に赴く、個人的な感情を表現する自由が奪われているのです。戦争に国家が突入していくとき、個人は個人でなくなる前兆を見逃してはいけません。日本のジャーナリズムは、そういう肝心なことを突くのが苦手です。

4785.11/30/2003

 なんだかへんだと思いませんか。
 また地方銀行に税金が投入されます。その銀行は以前にも千億円をこえる税金が投入されていたのにです。今度は兆単位の投入になるそうです。
 イラクでは外国大使館に勤務していた日本人がふたり亡くなりました。外務省には深夜のうちに連絡があったようですが、記者会見があったのは朝になってからでした。
 種子島では情報偵察衛星を搭載した国産ロケットが打ち上げに失敗しました。補助ロケットが分離しなかったそうです。ここでも億単位のお金が使われ、しかも文部科学省は搭載していた人工衛星に保険をかけていなかったそうです。

 こういったニュースのひとつひとつは別々のことです。
 しかし、巨額のお金と政治が絡んでいる共通点があります。わたしたちから多くの税金を徴収している政府が、集めた税金を自由に使い、どちらかというと無駄とも思える使い方に消えていくことを許してはいけないと思います。
 税金はわたしたちが政府と契約している証拠です。税金を払うことによって、社会に役立つ使い方をわたしに代わってしてくださいよと付託しているのです。
 それが不良債権(というけれど要するに借金)の穴埋めに使われたり、はるか遠くの土地で戦争への協力に使われたり、保険もかけないで宇宙空間へ高価な衛星を打ち上げる計画に使われているのです。

 いま日本社会は、福祉と教育の分野にお金が不足しています。毎年予算が削減され続けています。子どもや立場の弱い人たちへのサポートをなおざりにして、そうではないことに重点的に税金を投入している場合ではないでしょう。

4784.11/28/2003

 都市型の生活が浸透するにつれ、社会は人口の変動が大きくなりました。仕事の多くが都市に集中すれば、都市か都市に近いところに居住する人たちが増えるのは当然です。
 そのため若者の多くは生まれ育った町を離れ、都市あるいは都市近辺を終の棲家にするようになります。これらによってもたらされたのは、過疎の始まり・郊外の誕生・核家族の誕生です。現在、日本社会で生産に携わる人たちの多くは、そうやって生まれ育った町を離れた世代か、その次の世代にあたります。
 つまり、人間関係が何百年も前から決まっていた集落では考えなくてもよかった、新しい生活マナーの構築をしなければならなくなったのです。よく「家庭ですべきことまで学校でやらなければいけなくなった」とぼやく教師がいます。それは人々が居住している場所が、そこに居住する人たちの冠婚葬祭から噂話までをひとつの共同体として担っていた時代とは変化したことの証明なのです。このことに気づかないで、子どものしつけや対人関係のマナーなどを家庭の問題と位置づけるのは、責任転嫁です。親が子どもに教えることは、親だけが担っていたわけではありません。子どもが対人関係で学んだことも、親だけが教えていたわけではありません。共同体志向の高かった集落では、衆人環視のもと、共同体全体が子どもを育てていたのです。

4783.11/27/2003

 学級担任制の解体は、現実の学校で教師個々人が対応しきれなくなったから発案したものではありません。
 先進各国の初等教育のあり方を調べ、日本国内の社会の変動を調べた結果、たどりついた結論です。また、政治学や社会学、歴史学の書籍を読んでも、このまま学級担任制を続ける理由を発見することができなかったのです。
 学級担任制の基本的な考え方は、ひとりの教師が子どもの学校生活全般を司ることを前提としています。ひとりの教師の指示が、40人の子どもたちのこころと頭に伝わり、その指示を疑うことのない自明の理として受け止め、すべての子どもたちが同じ方向へ向かうから、学級担任制は機能しています。これは、社会の発展段階が近代前夜のうちは機能します。教師の指示や教えが、子どもの幸福な未来を約束する内容だったからです。
 しかし、日本社会は先進国のなかでほかに例を見ない武力紛争による混乱を50年以上も経験しない貴重な社会発展を遂げてきました。外国からの侵略も、内部紛争も、テロリズムも経験してこなかったのです。この50年間に社会に進行した変化は、人口が集中する都市の誕生です。危機管理的な考え方を前提にすれば、政治と経済の中心的機能を集中することはとても危険なことです。攻撃する側にターゲットを示しているようのものだからです。

4782.11/26/2003

 これからの小学校は、担任の良し悪しによって、子どもや保護者の学校生活が決まってしまうやり方は、必ず破綻し、これを放置すれば学校の社会的信用は低下する……。だから、小学校であろうとも学年という大きな枠組みで子どもを担当する学年担当制や、協力指導を日常化しなければならない。
 学年末の職員会議で、翌年の学校運営について話し合うとき、わたしがこの「学級担任制解体案」を提出したのは、もう10年ぐらい前のことです。当時は、この提案に対して、同僚の教職員も、保護者の多くも、賛成してくれる人はほとんどいませんでした。賛成してくれたわずかな人たちをいまも覚えているぐらいですから、絶対少数だったのです。
 いまも、この考え方は多数にはなっていません。でも、不思議なもので、わずか10年の間に賛成する声は学校内外からとても多く聞かれるようになりました。学級制の解体は、新しい学校作りの基本的な柱です。わずかな力量のある教師の先行する優秀な事例を、ほかの多くの教師たちがそのまま真似できるわけがないのです。教師の仕事は、学校教育法で「教諭は授業を司る」と明記されています。つまり、子どものけんかを仲裁することも、放課後に万引きをした子どもを引き取りに行くことも、いじめや仲間はずれに対処することも、法律的には業務ではないのです。だから、学習指導に全神経を傾けていいはずなのに、現実はそれを許しません。この矛盾が、できる教師とできない教師の分水嶺を作っています。

4781.11/25/2003

 12月の足音が聞こえてきました。畑の大根はもうすぐ収穫です。
 生活科のもうひとつの取り組みである学校調べ。子どもたちにデジタルカメラを渡して「不思議だな」「おもしろそう」と思う場面を写真に撮影して、解説をつける学習も、作品がさ完成に近づいています。1学期は紙にまとめるか、パソコンを使うか子どもに選んでもらいましたが、今回は全員がパソコンのプレゼンテーションソフトを使ってまとめています。
 きょう、トップを切っていよいよ完成したクラスがあったので、写真に枠をつけたり、空白部分に飾りをつけたりする編集段階に入りました。ソフトにたくさんのボタンやイラストが用意されているので、子どもたちは大喜びです。内容と関係ないイラストを山のようにペタペタ貼っている子どももいました。学習の途中で全体の子どもたちに、どんな飾りだといいかを考えさせましたが、そこでは「文が見えないのはよくない」とか「内容と関係あるものがいい」という意見が出るのですが、いざ自分のこととなると、それらは吹っ飛んでいるようでした。

4780.11/24/2003

 養老猛司さんの「バカの壁」(新潮新書)を読んでいます。解剖学者の養老さんから見た現代社会学考察という感じで、わたしにはとても興味深い内容になっています。情報はなにひとつ変わらない。それを受け取る人のほうが日々刻々と変化している。なのに、人はそれを逆だと思っている……。なるほど、そのように考えれば確かにわたしたちの生活は変化し続ける人の営みの集合体だと気づきます。
 きのうと同じ自分ということは医学的にはあり得ないのに、人の脳は均質化を求め「お前はきのうと同じだよ」と自らに言い聞かせているそうです。だから、わたしたちは自分というものを意識し、成長することを夢見ているのでしょう。
 しかし、黙っていても、脳は入ってくる情報を処理しながら学習を繰り返せる構造になっているので、頭がいいとか悪いとか、賢いとか愚かだとかで、人の価値は決まらないと、養老さんは断言しています。人の価値を決めるものは、社会適応性であると。周囲とのかかわりのなかで自分を確かめ、相手の傷みを感じることができるかできないかが重要だとも。本のなかでは、記憶力に優れすぎている人は日常生活が送れないほど、別の能力が落ちているケースが紹介されています。
 いわゆる学校的よいこの象徴は、記憶力に優れた子どもです。この状態が続く限り、養老さんの求めるおとなは誕生しないことでしょう。

4779.11/23/2003

 イラク、アフガニスタン、トルコ。中央アジアの国々で、爆弾やロケットを使ったテロリズムが連日のように発生しています。
 宗教の名を借りて、無差別な殺人を正当化するのは過去の人類の歴史のなかで、何度も繰り返されてきました。そのたびにもっとも傷つくのは、権力者でも指導者でもなく、一般の人たちです。そういった人たちの生活や人生を、一瞬にして奪ってしまう。
 いま、極東の日本はこれらテロリズムと無関係ではなくなりつつあります。自衛隊をイラクに派遣したら、東京を攻撃すると予告されているからです。東京がテロの標的になる。オウム真理教による地下鉄サリン事件の教訓を思い出さなければいけません。
 多くの人たちが集中して働き、集中して居住する東京では、ひとたび都市機能が麻痺したら、その損失は東京のみならず、全国的なものになってしまいます。
 暴力と暴力の連鎖が断ち切れないのはなぜか。国家という人類が近代になって作り上げた共同体の限界を考える段階になったのではないでしょうか。国家が爆弾を使うことは正当化され、それ以外が爆弾を使うとテロリズムと非難される。爆弾を使って弱い立場のひとたちが傷つくことには変わりがないのに。一方にばかり優位に働く国家という共同体の考え方が、国家の枠から締め出されたひとたちを殺人集団に仕立て上げている構図を、ジャーナリズムは放置しています。

4778.11/22/2003

 去年のいまごろわたしは、金沢・大阪・京都ツアーをしていました。
 ちょうど三連休を使ったものでした。
 金沢大学附属小学校の研究発表会にあわせて実施されたシンポジウム「これからの学校像を考える」にパネラーの一人として招聘されたのです。多くの参観者(ほとんどは学校関係者)を前に、湘南に新しい公立学校を創り出す会の歩みや、湘南小学校の教育観について話をさせていただきました。
 翌日は大阪の箕面というところに行き、講演会。大阪に学校を創る会が主催した講演会に講師として招聘されました。わたしたちと同じようにチャータースクールをめざすグループの人たちを対象に、おもに新しい教育観について具体的な事実とともに話をさせていただきました。
 そして最終日。大学時代を京都で過ごした湘南に新しい公立学校を創り出す会のメンバーが立ててくれたローカルプランに従って、紅葉の京都を堪能しました。燃える赤とは、まさにあのこと。行く先々で、見事な紅葉を目にすることができた至福の時間でした。
 あれから一年。今年のわたしは久しぶりにのんびりとした連休を過ごしています。湘南に新しい公立学校を創り出す会のメンバーが、いま韓国に行っているのです。日本と韓国のオルタナティブ教育関係者の交流事業の一環で、東京とソウルの両方でシンポジウムを開催するためです。韓国に行ったメンバーは、向こうのイベントではパネラーになります。わたしがもう出て行かなくても、じゅうぶんな人材が育ってきていることがうれしい秋の空。

4777.11/20/2003

 雨が続くと仕事もせずにキャベツばかりをかじってた。このフレーズを読んでピンときた人は70年代にフォークソングを飽きるほど聞いていた人たちだと思います。かぐや姫の「赤ちょうちん」の冒頭です。
 わたしは生活科を担任といっしょに指導する協力指導担任なので、畑や植木鉢を題材にした時間に雨が降ってしまうと、指導するなかみが限定されてしまいます。雨の中、屋外で体験のともなう学習をしたら、子どもたちに風邪をひかせてしまうでしょう。別のメニューを用意しておけばいいのかもしれないけれど、担任はほかの教科も担当しているので、雨でも無理に教室で生活科を強行してしまうよりも、遅れがちな教科を取り戻したほうがいいときもあります。
 きょうは先週まで公開授業のために各クラスとも時間割を崩した学習をしていたので担任に授業を戻しました。天気がよかったら、植木鉢のチューリップに土を足したり、畑の大根の間引きをしようと考えていました。担任に授業を戻したので、わたしはカッパを来て、雨の畑で予定していた内容を代替しました。子どもがやることを教師がやる必要がないという考えの人もいるかもしれません。しかし、植物や野菜は生き物です。学校的事情を理解してはくれません。成長のプロセスで、必要なことを必要なタイミングで、施すことが不可欠なんです。

4776.11/19/2003

 パソコンで文字入力をはじめたばかりの人へ、以前からやってはいたけれどかな入力を使っていた人へ、ローマ字入力だったけれどキーボードと画面を両方見ながらでないと文字打ちがおぼつかない人へ、日本語のローマ字入力を支援するアプリケーションを開発しました。
 名前を「KIS」(キス)といいます。正式名「a Keyboad training by Ishi and Sasaki」の頭文字です。ぶっちゅのkissではありません。キーボードトレーニング用のアプリケーションは有料のものから無料のものまでたくさんあります。「いまごろなんで?」と思われるかもしれませんが、多くのキーボードトレーニング用のアプリケーションはゲーム性を加味したり、もともとある程度文字打ちができる人を対象にしていました。これに対して、小学校で子どもたちが繰り返す、文字打ちの単純なトレーニングアプリが少ないなーと思ったのがきっかけです。
 KISは、いわゆるAIUEOからの体系的な問題構成になっています。入力したキーの色が変化するので、画面だけを見ながらキーの位置を指が覚えるように工夫しました。
 現段階では、自由にお使いいただくために無料ダウンロードを可能にしています。アプリケーションとしての商品的な価値が認められれば、初の有料アプリにしようかなと考えています。この機会にぜひお試しください。

4775.11/18/2003

 自衛隊がイラクに派遣されようとしています。
 国会でも霞ヶ関でも、先日の衆議院選挙でも、自衛隊をイラクに派遣するか否かだけが争点になり、大事なことが抜け落ちていました。それは、自衛隊がイラクに行って何をするのかといいうことです。そして、それは自衛隊でなければできないことなのかということです。人道支援目的といいますが、あまりにも抽象的すぎて、具体的ななかみが見えません。まるで、本当は自衛隊ではなくても大丈夫な内容なのに、それを隠す意味で抽象的な表現を使っているように感じます。

 わたしは自衛隊の隊員がイラクで武器を持った人たちと戦闘行為をすることを危惧しています。たとえ引き金を引かなければ自分の命が危ない状況だったとしても、結果として武器を使ったら、1945年8月16日から長年にわたって守り続けてきた非戦闘国家としての看板を下げることになるからです。
 ひとを殺す行為に多くの理由はありません。やるかやられるかの状況では、自分の身を守ることは必要でしょう。問題なのは、なぜ自衛隊の隊員が攻撃の対象になるのかを考えずに、大国の要請のままに国連や赤十字機関が撤退する危険な場所に自衛隊の派遣を決めたのかが、まったく問われていないことです。道路の整備、ライフラインの確保、病院の建設などかの地で急務な援助は、本当に自衛隊でなければできないことなのか、わたしには疑問です。

4774.11/17/2003

 反対に、中川さんのいう機能的学力を、わたしは重要にとらえています。
 機能的学力は、思考力、調整力、興味を喚起する力、意欲の継続などが該当します。実体的な学力を有効に使うための学力のように思われがちですが、むしろ逆ではないかと思います。
 ひとの内面からほとばしるエネルギーは、言葉や方程式をたくさん知っているからといってわいてくるものではありません。もしかしたら、いまはそれらを受験のためにいやいや覚えなければいけないものとして、受験が終わったら脳内をリセットし、機能的に使おうとする傾向が少なくなっているのではないかと思うほどです。
 自分の言葉が相手に伝わったとき、相手はどう受け止めるか。目の前で苦しんでいるひとの傷みをどこまで共有できるか。興味ある対象に迫るために、どんな準備が必要か。きのうの自分ときょうのじぶんの違いはなにか。いまこの瞬間を自分が生きている価値はなんなのか。
 かんたんには答えの出ない課題を、たえず問い続けていく脳の鍛え方が、機能的学力を高めていきます。

4773.11/16/2003

 金沢大学の中川一史助教授は、学力のもつふたつの側面を「実体的学力」と「機能的学力」と呼んでいます。

 実体的学力は、知識や技能などを指します。教育工学の世界では、見える学力という言い方をします。つまり、テストをすることによって、知識や技能が子どもに備わっているかどうかを確かめることができるからです。それらの多くは、点数に換算され、偏差値や割合として習得状況や相対的状況を把握するのに役立てます。
 一般に学力低下を危惧する人たちは、この実体的学力が子どもから落ちているのではないかと心配しています。高校受験や、大学受験の多くは、実体的学力を検査する傾向が長く続いています。日本の教育は暗記中心主義と外国から批評される理由です。
 つまり。実体的学力の決め手は暗記力なのです。同じ事を何度も繰り返して、情報の意味を咀嚼せず、脳への入力を過度に行うことによって高いレベルへとステージアップすることができます。

 わたしは、この実体的学力はひとが生きていくときの総合力の大切な要素だとは思いますが、本人が何のための学力習得かを意識していない場合は、忘れてしまうのが早いと考えています。しかし、いまの学校では、子どもたちがテストの瞬間まで覚えていればいいという考え方なので、テストが終わった後のことまで考えてはいません。何のための勉強なのかという問いへの答えが、テストで実体的学力の高さを証明するため以外に見当たりません。
 ここに点数万能主義が誕生し、実体的学力の序列が「できる子」「できない子」を分ける基準になる根本的原因があるのです。 

4772.11/15/2003

 子どもの学力について考えます。
 よく「最近のこどもは学校でゆとりとか、時間数削減とかで、学力がついていない」という声を聞きます。ゆとり教育や時間数削減が学力低下と相関する実証データがないのに、安易にこのような考えをもつことはとても危険です。教育学を専攻する方のなかにもこのような考えの人がいるのは、日本の教育学が科学に成りえていない証拠で、残念に思います。
 わたしは、人が生きていく力はとても総合的なもので、ひとつひとつを分断することはできないと考えます。たとえば、見たいテレビを見るには、新聞のテレビ欄を読む言語力が必要です。いつも欠かさず見る番組がある場合は、何曜日の何時から何チャンネルでその番組があるのかという記憶力も必要です。そして、時間になったらテレビのスイッチを入れるのですが、そのときにはリモコンを操作する力が必要です。リモコンのボタンに書いてある数字を読む力も。やっとテレビをつけてみたのに、目的の番組ではなくスポーツ中継が放映されていたら「なぜだろう」と疑問をもつ力も必要になります。
 これら、一つ一つの力はすべて「見たいテレビ(番組)を見る」という切実な目的のために備えなければならないものです。だから、それぞれの力を分断して「新聞の文字を読む力はA」「リモコンの使い方はB」などと個別に評価しても、その本人にはまったく必然のないものになります。しかし、学校ではこれら一つ一つの力を別々に確かめ、個別に評価することが学力の向上につながると信じている教師が少なくありません。親のなかにも、同様の考えの人が少なからずいます。

4771.11/13/2003

 あしたは勤務地の小学校で、研究発表会があります。
 研究発表会には、市内の学校関係者が大勢来校します。教員たちは、いままでの教育研究の成果を授業を通して公開し、授業後の来校者との協議会で、課題を確認します。毎年、研究発表を行う国立大学の附属校と違い、一般の公立学校は、数年に一度、県や市の研究推進校となり、3年から5年後に研究の成果を公開し、発表会を実施しています。研究推進校ではない学校は、校内で教育研究をしていないのかというとそんなことはありません。しかし、それはとかく個人レベルだったり、学年レベルだったりして、学校全体としての教育研究まで高まることはめったにありません。ほかにすることがたくさんあるし、行事や出張に追われてそれどころではないという現実的な理由もあります。
 研究推進校になると、教育委員会から研究委託費という学校予算とは別のお金が支給されます。多くの自治体では教育予算は全般的に削減される傾向にあり、研究委託費を教材をそろえる資金源として使うために研究推進校になる学校もあるようです。
 わたしは、教師になってから今回で4回目の研究発表を経験します。勤務した学校は3校なので、発表を経験する機会は同年齢の教師に比べて多いほうです。研究推進校ではない学校のほうが多いからです。教育の成果は、発表によって図れるものではないと、わたしは思っています。また、このような発表方式は、どうしても純粋な教育研究の営みから離れたことに教職員の神経を向けさせます。来校する人たちへの配慮から、日常的ではないことが多く見られるようになります。体育学習を公開する教師は連続10時間近く体育ばかりをやったり、廊下の壁に子どもの作品のなかから教師が一方的に抽出したものだけを整然と掲示したり、年間のカリキュラムを大きく変更しながら発表日に向けた学習の展開をしたりするのです。
 平素の教育実践を真摯に公開し、批判や意見を厳粛に受け止めることを確認していても、発表会当日が近づけば個々の行動は非日常へと転換していくのです。だから、来校者が参観した瞬間を日常的な学習形態としてとらえ、研究協議で意見反映しても、その場限りのことになり、あまり建設的な結論が出ないことになります。以前、有名な東京にある国立大学の附属小学校の発表会に行ったとき、講堂のステージに教室を再現し、参観者に客席に座って見てもらうという授業がありました。わたしは「これは芝居だ」とあきれましたが、周囲の参観者はその芝居授業を懸命にメモしていました。

4770.11/12/2003

 来年の春から、湘南に新しい公立学校を創り出す会で、平日開校のテストスクールを実施します。
 いままでは、夏休みに集中的に開校したり、月に何回かずつ土曜日に開校してきました。かかわるスタッフも、無償の人たちでした。来年から始めるテストスクールは、開校日が毎週月・水・金の週3回です。年間で120日もの開校になります。また、勤務する現場スタッフに毎月給料を支払います。
 いままでのテストスクールと、規模も体制も大きく変わります。わたしは現職を続けながら、その学校の運営に携わります。人を雇うということは、こんなに大変なのかと思うほど実務がたくさんあります。とくに保険関係の業務は、働いてくれる人たちの老後に直結することなので、ここで空白期(保険を払わない時期)を作るわけにはいきません。また、給与を支払うので、税金の実務も必要です。
 教師がそのようなことをして兼職禁止規定に抵触するではないかと批判の声があるかもしれません。わたしは、一切のお金をそのテストスクール関係で受け取りません。つまり、生活の基盤となる経済的な部分はいまの仕事でまかない、勤務時間以外の部分でテストスクールにかかわります。

4769.11/11/2003

 がっこうクイズを1年生と、生活科で作っています。自分の考えをまとめて、伝える学習の一環です。小さな子どもたちには、まず経験を通して感じたことや、見たこと、聞いたことを、伝えるのが適しています。いきなり、感想や問題点などの概念的なことについて伝えることを求めても、こどもは何を伝えたらいいのかわからずに学習への意欲を減退させてしまいます。
 デジタルカメラをもって子どもたちが、問題にしたい対象を撮影します。教室表示、靴入れ、友だちの足、鉄棒など。問題にするので、見ただけで分かってしまう写真にしないようにするにはどうしたらいいかを話し合います。「近くでとる」「すみっこ(一部分)をとる」。子どもの頭に撮影のねらいがつたわってから、撮影開始。そうやって撮影してきた写真に、ヒントをつけました。
 「ヒントってなあに」「問題の答えにちかづくものだよ」。
 意図していなかったことですが、ヒントを考えるというのは、対象を多角的にとらえなおすいい方法だと思いました。「この人は、とても背が高い人です」「これは音楽室にあります」「校庭でみんながあそぶ道具です」。ヒントのそれぞれが、じゅうぶんに答えの説明になっていたのです。「これは今後も使えるぞ」教師をしていると、意図的にやっていない場面から子どもがすばらしい展開を創造してくれることがたまにあります。この「ヒントを考える」という学習活動は、そのひとつとなりました。

4768.11/10/2003

 衆議院選挙が終わりました。
 わたしの通勤途中に、JR藤沢駅南口ロータリーがあります。そこは、選挙になると候補者が街宣カーに乗り、大音量で演説を行う場所です。構造的に多くの人たちが集まりやすくなっているのでしょう。
 投票前の一週間。麻生太郎氏、小泉純一郎氏、管直人氏、田中康夫氏が連日訪れました。事前に打ち合わせでもしているかのように、同じ時間になることはありませんでした。政党が違っても、いつ演説をするというのは、誰かが相談して決めているのでしょうか。
 演説会は夕方から始まるので、ちょうど自転車で帰る時にぶつかりました。南口ロータリーは、バスとタクシーのためのロータリーです。そこに、いつもと違う街宣カーと警察官、人だかりができるので、自転車で通り過ぎることができない混雑になっていました。「自転車の方は危険ですから降りてください」。警察官に注意されます。危険な状況を作り出しているのは候補者たちなのに、なぜこちらがいつもと違う日常を強制されなければいけないのか、腹立たしくなりました。最初に、それを経験したので、演説会があることがわかっていた日は、ロータリーを避けて帰りました。遠回りです。

4767.11/7/2003

 11月1日にライブをやりました。
 そのとき音楽CDの注文をとりました。提供する音源の編集を終え、CDのコピーをしました。ライブで演奏したすべてのオリジナル曲を収録しています。曲と曲の間に、ビデオテープから音声だけを抽出して、参加者の声をはさみます。無機質な音楽CDに生の迫力が加わります。ひとつのCDのコピーには10分ぐらいかかります。全部で54分のCDですが、便利な時代になりました。30枚近くのコピーを終え、ひとつひとつのCDフォルダーにジャケットを入れます。タイトルは、井海さんと決めた「江ノ島2003秋」。ドラマの「北の国から」みたいでしょ。

 さらにすべての収録曲の歌詞集を印刷しました。
 その表紙にコメントを記入するスペースを作りました。そこに手書きでわたしのお礼を書き込んでいます。CDを送る相手がわかっているので、お礼はひとりひとり違う内容です。「特等席はいかがでしたか」「久しぶりに聞いた感想は」「遠くからありがとう」。わたしは、ライブや作曲を仕事にしているわけではないので、不特定多数のために歌を歌うよりも、相手がわかっている人たちに歌を歌うことを大切にしていきたいです。多くの仲間との出会いは、ひとりの仲間とのつながりを大切にするところから始まると思うからです。
 ひとりひとりへのコメントの記入は時間がかかります。「注文したのにいつとどくのかな」と心配されるかもしれませんが、忘れているわけでも、さぼっているわけでもないのでご安心を。

4766.11/6/2003

 自分の考えていることを第三者に伝えることはトレーニングを積まないとなかなかできることではありません。また、口に出して伝えるのか、文字にして伝えるのかによって、伝え方も変わってきます。
 高名な方の話を聞いても、何を言おうとしているのか分からないことは少なくありません。それだけ、わたしたちは日常的にも、学校教育でも、自分の考えを分かりやすく相手に伝えるトレーニングを積んでいないのでしょう。とくに聞いてる側を退屈にさせるのが、同じことを何度も繰り返す話です。また、聞き手の反応を無視して手元の原稿を隅から隅まで朗読するようなしゃべりも「いつ終わるのかな」ということばかりが気になって、話のなかみに集中できません。
 なぜ、わたしたちは自分の考えていることを相手に伝えることが苦手なのでしょうか。わたしは理由の一つに「黙って従うことが美徳とされる」文化性があると思っています。この文化性は、120年前まで封建社会が続き、特権階級によるクーデターで現在の社会基盤に移行した日本社会の歴史が大きく影響しています。つまり、法律や制度で基本的な人権をうたっても、多くのひとたちのこころには「だれかがなにかをやってくれるだろう」「そのことに従っていれば大きな間違いはないはずだ」という意識が根付いているのです。しかし、そのだれかは明確ではないし、なにかも具体的ではないのです。
 黙って従うことに慣れると、自分でものを考えることをしなくなります。自分でものを考えるのは、とても大変なことだからです。大変なことを避け、かんたんなことを求めた結果、自分の考えを伝えることが苦手な人たちが増えてしまったのでしょう。また、自分の考えが伝わらないときにかんたんに伝えることをあきらめてしまうようになるのでしょう。多くの人たちが自分でものを考えるのをあきらめたとき、社会がどこへ向かうかを歴史が教えてくれています。一部の権力をもった存在にとって、命令どおりに動く、宣伝を単純に信じる人たちほどありがたいのです。

4765.11/5/2003

 今週末に韓国から、もうひとつの学校の姿を実践している「代案教育センター」のひとたちが来日します。国内で、市民が創る公立学校制度の実現をめざす「日本型チャータースクール推進センター」が主催する日韓の交流事業の一環です。
 交流事業なので、月末には日本からも全国で新しい学校づくりを目指している人たちが韓国にいきます。湘南に新しい公立学校を創り出す会からも、ふたり行きます。
 来日した韓国の人たちは、全国のオルタナティブスクールを見学します。8日の湘南小学校も見学に来られます。言葉や文化の壁を乗り越えて、ともに子どもたちの未来を市民の手で作りあげていこうとするうねりがかたちになってきたことはすばらしいことだと思います。
 代案教育センターは、ソウル市の公共施設です。行政が自ら、新しい学校の創造に税金を使っている現実に、市民へのやさしさを感じます。不登校やドロップアウトは、日本でも韓国でも増加し続ける大きな問題です。それらを、どのようにかいけつすればいいのか。交流事業のなかで、確認しあえることができたらいいなーと思っています。日本型チャータースクール推進センターのメンバーは、この事業のために、忙殺されています。でも、夢をかたちにするための行動なので、燃え尽きることなく余裕で乗り切ってほしいです。

4764.11/4/2003

 まだ、わたしのこころのなかには、1日の江ノ島ライブの余韻があります。参加者から感想のメールが届くと、いっそうその余韻が大きくなります。
 思い出に寄りかかったものの考え方は、あまり好きではありませんが、寄りかかっても自分をだめにしない思い出になった気がします。
 当日、CDを注文してくれた人たちに、いま編集をしています。最初、事前にスタジオで録音した音源ばかりを使う予定でした。でも、当日ビデオを撮影してくれた小池さんからテープをもらい再生したら、たくさんの参加者の言葉が入っていたので、それらを使うことにしました。曲もいくつかはライブのものに変更しています。
 ライブの臨場感をCDに再現するのは難しいですが、いままでなかった純粋に音を楽しむCDにしたいと思っています。歌は、聴いてくれる、受け止めてくれる人がいるからこそ、歌としての価値が生まれます。その感謝の気持ちを、曲と曲の間にちりばめたいのです。
 エールから始まり、万歳で終わる音楽CDって、いい感じですよ。くわえて、すべての曲の歌詞集をセットにして郵送する予定です。もしも、このWAYを読んで、参加しなかったけれど、あるいは参加したけれど注文しなかった人で、そういうのだったらほしいなーと思う方がいたら、いつでもいので連絡をくださいね。

4763.11/2/2003

 きのうは夢のような日でした。
 江ノ島のレストラン「テラス カイ」に、60人をこえる人たちが集まり、コンサートをやりました。わたしが、いま、あるいはいままでお世話になった人たちが、一気に集まったのです。こういう機会って、結婚式やお葬式のときみたいだと感じました。
 昼間の湘南は雨から曇りでした。わたしは昼までに機材のセッティングを終え、その後、リハーサルが始まるまでの2時間ぐらいを防波堤で過ごしました。曲の間の語りを考えて、ノートにメモします。そのとき、雲が切れてきたのです。
 コンサートが始まる午後5時には、きれいな夕焼け空に。
 職場の同僚、かつてのレク仲間、お世話になっている地元の方々、学校作りのメンバー、中学の後輩、そしてピアノを担当した井海さんとの出会いのきっかけとなった全レクの仲間。どの曲も、ていねいにひとりひとりのこころに届くようにと、願いながら歌いました。
 たくさんのメッセージ、花束などのプレゼントを、本当にありがとうございました。サウンドページに、コンサートの様子をアップしています。

4762.10/31/2003

 いよいよあしたは、コンサートです。
 去年の今頃から準備をしてきました。振り返ればとても長かったと思います。
 きょう、チケットの予約があり、これで定員の60人すべてがうまりました。
 2時間を、来てくれた人たちのために充実したものにするために、今夜じっくり進行を練ります。

 わたしの仕事関係のひとたち。全日本レクリエーション関係のひとたち。地元でいっしょにソフトボールをやっているひとたち。客層は、これらのひとたちです。湘南に新しい公立学校を創り出す会のひとたち。わたし個人は、それぞれのひとたちとつながりが深いのですが、それぞれのひとたちには当然のことながらつながりはありません。
 今回のライブを通じて、それらのひとたちが自分たちの力で確かなつながりを気づいてくれたらとてもうれしいと思っています。なぜか、来る前に東急ハンズに集合と言っていた地元でいっしょにソフトボールをやっているひとたちの動向が、少しだけ気がかりですが。

4761.10/31/2003

 なぜ、こんなにも日本の選挙は投票率が低いのでしょうか。
 どこかで投票に行かないようにするキャンペーンがこっそり、かつ確実に進められているのかなと疑ってみたくなるほどです。
 それとも自分の生活と政治がかけ離れていると思っている人が多いのでしょうか。
 投票率が低いと、組織で投票する結果が当選に強く影響することを、知らないわけではないでしょう。わたしたちひとりひとりが自立した市民になるには、自分の生き方に直結することから逃げないことが必要です。どんなに日々の暮らしが、非人間的な扱いのなかにあって、休日をのんびり過ごしたいと思っていたとしても、投票所に行く時間ぐらいは確保できるでしょう。五分もあれば、投票は終わります。
 政治に興味のない生活を送るということは、社会に責任を持たない生活を選択するということです。「政治家は選挙の前ばかりいいことを言う」と嘆く人がいます。当選した後も、いいことを実践する政治家を育てるのは、有権者自身であるということを忘れてはいけません。

4760.10/30/2003

 昨日の雨が嘘のような好天でした。
 気温はおそらく25度を越えたのではないでしょうか。そのためか、畑の大根の葉がしなっっとしてしまい、大丈夫かなーと心配しています。
 わたしたちの身の回りには、自分の力ではどうにもならないことがたくさんあります。特に天気や地震などの自然災害は、被害を最小限に食い止めるのが精一杯です。
 しかし、それ以外のことでも、自分の力ではどうにもならないと決め付けていることが多い気がします。衆議院議員選挙が公示されましたね。各党の党首や、大臣も立候補者に名を連ねます。先日の埼玉の参議院補欠選挙の投票率は20%台でした。
 自分の一票が明日からの生活をがらっと変えることを期待するのは、現実的ではありません。とくに議会制民主主義の日本では、そのようなことは多くの人たちに迷惑をかけることなので、ブレーキがかかります。だから、投票をしないというのは、社会人としての責任を放棄していると、わたしは思います。
 性別も、年齢も、出身も、宗教も、経済力も問われずに、20歳以上の国民すべてに与えられている選挙権。その権利が、当たり前のように多くの人たちに浸透している日本。社会を作るのは、わたしたちひとりひとりなんだという自覚を捨てないようにしましょう。

4759.10/29/2003

 土曜日に江ノ島でコンサートをします。湘南に新しい公立学校を創り出す会を始める前は、一年に一度はコンサートをしていました。活動を始めてから六年。ずいぶん久しぶりのコンサートです。
 今回のコンサートは、レストランを使います。だから、座席を越えたお客さんを収容することはできません。そのためあらかじめチケットを販売しました。代金は1000円。すべて食事の代金として使われます。わたしは、いわゆるギャラはとりません。
 おかげでチケットは、ほとんど売れました。だれが買ったかを記録しているので、コンサートにしては珍しく事前にだれが来るかが分かっているのです。教員になった頃からお世話になっている民間教育団体「全日本レクリエーションリーダー会議」のメンバー。いまわたしが働いている職場の人たち。地元でいっしょにソフトボールをやっている親父たち。いまのわたしに直結する人たちばかりでなく、中学のときにやっていたコンサートに参加してくれていた人。独身の頃、コンサートをやるときにいっしょにバンドを組んでいた人。
 とても多様性のある人たちの集まりになります。わたしがやるのは、歌を歌うことだけ。さまざまな関係の人たちが自分からおとなのかかわりをもってくれたらいいなーと思っています。

4758.10/28/2003

 きょうは、来年から湘南に新しい公立学校を創り出す会が始める平日開校の湘南憧学校で常勤教師を担当する二人がわたしの職場に授業支援者として来てくれました。
 1年生のパソコンを使った授業を手伝ってくれました。給食を職員室でふだんわたしが食べるひとたちといっしょになって食べてもらいました。学校を外側からとらえると、そこにいるひとたちの顔が見えてきません。実際に教育活動に携わると、どんなひとたちがいるのかが、わかります。
 来校してくれたふたりは、公立学校の内側を知りません。それらを知らないまま、湘南憧学校での教師活動を始めます。少しだけ授業を手伝ったからといって、公立学校の内側が分かるわけではありませんが、まったくかかわりがない場合とでは、問題点を語るとき、気持ちのあたたかさが違うと思います。
 自分たちがやっていることを自分たちの頭で距離をとってとらえなおすとき、少しでも記憶の中に他の経験があるのとないのとでは、とらえなおしの姿勢が違うと思います。知らないことだから、知っていることにしてしまったり、逆に考えることを止めてしまったりしないようになってほしいと思っています。

4757.10/26/2003

 金曜日に湘南に新しい公立学校を創り出す会の定例会がありました。1997年10月の発足以来毎月開催してきた会合です。
 だれもが参加でき発言もできます。そこで何かを決定することもあります。今回で75回目でした。
「もうこんなにやってきたんだね」 そんな声が聞こえました。
 定例会を続けているということは、逆説的に言えば、まだ湘南に新しい公立学校を創り出す会が目指す市民が創る公立学校ができていないということです。いつになったらという気持ちもありますが、今回の定例会はとても大きなことを話し合いました。
 それは、いよいよ来年から平日のテストスクールを開校するということです。いまの学校に通っている子どもたち、あるいは通っていない子どもたち。どんな子どもたちが入学を希望してもいいのですが、初年度は通っていない子どもたちが多いでしょう。それでもわたしたちは、1999年からのテストスクールの経験をいかして大きな転機を決断しました。

4756.10/24/2003

 自分に都合の悪いことを隠しておきたいという心境は、子どもにもおとなにもあります。問題になるのは、なぜ隠しておきたいかという理由です。
 子どもに多いのは、怒られたくないからという自己防衛の心境が働くときです。そんなとき、正直になることをおとなは教えます。いつか嘘はばれてしまう、嘘をつき続けることの罪深さから解放されるには、正直になるしかないのです。
 おとなに多いのは、今の自分を守りたいという保身の心境が働くときです。そのためにだれも傷つかないのならべつですが、だれかが傷つき、犠牲なってしまうような現実は肯定してはいけないと思います。そのことを子どもたちが見聞きして、社会への不信感を持ったり、正義を貫く無力感を持ったりしたら、将来に悪い影響を与えるでしょう。

4755.10/22/2003

 いいひとほど、苦しみが迫ってきたときに自分の苦しみの重さに夜も眠れない日々を迎えます。デリカシーのないひとは、苦しんでいるひとの内面に気づくことができません。
 組織のなかで上に立つひとに求められる能力は、弱い立場のひとたちの内面を想像する力だと思います。苦しみに追い討ちをかけるような言葉や態度で接していては、管理能力や責任能力が問われても仕方がないでしょう。
 いつまでも悪しき慣習が幅を利かすような組織は、人間性が欠乏し、機械的な関係が定着し、疑心暗鬼の毎日が支配するようになります。

4754.10/21/2003

 いま、新しいプログラムを制作しています。まだ全体のイメージや仕様を検討している最中です。たまたま同じ職場にいる方が、とてもウエブやプログラムに詳しいので、日々とても参考になる意見をもらっています。
 今度のプログラムは、ローマ字の入力支援が目的です。いわゆるキーボード入力トレーニング。フリーソフトでもゲーム感覚のものがたくさんあるのですが、まったく入力を知らないユーザーには、それらのソフトは少し難解です。単純に基本的な文字うちをドリルするプログラムの開発を目指しています。
 子どもたちが、ちょっとできたひまな時間を使ってかんたんにできるプログラムにしたいと考えています。近いうちに、このサイトでも公開しますので、そのようなプログラムを探していたという方は、ぜひお試しください。

4753.10/19/2003

 アメリカ大リーグのワールドシリーズと、日本シリーズが同時に楽しめる週末。なんとぜいたくな気分だろう。このときばかりは時差がありがたい。昼間はワールドシリーズ。夕方から晩酌しながら日本シリーズ。
 ともに初戦は熱戦だった。最終回まで息詰まる攻防でどちらが勝ってもおかしくないゲームを展開する。選手たちは必死で、一球に神経を集中する。
 野球に限らずスポーツのおもしろいところを、わたしは負けてもあしたがあるところだと思っている。プロの世界ではそんなあまいことは言ってられないとしかられそうだが、一度や二度の失敗を克服するチャンスは残されているだろう。そして、自分が満足するプレーをめざしているのも魅力だ。たとえ、ゲームに勝ったとしても、納得したプレーができなかった選手はこころの底から喜ばない。終わりよければすべてよしではないのだ。
 何事もないことが大前提という公務員世界では、成功の喜びや勝利の美酒を経験することはほとんどない。なにかを達成したと思うことなく、時間ばかりが過ぎていく。もしかしたら、この子どもは自分ではない教員に出会っていても、ちゃんと学力をつけ、こころの成長もするかもしれないと思うと、自分という存在の意義がわからなくなる。

4752.10/18/2003

 きょう、いよいよ二ヶ月かかって作ってきたHTML,CSSエディタ「ハイパーよぅエディタ」のバージョン4をインターネットにアップしました。自分でプログラムを書くようになって、まだ半年も経っていないので、とても値段のつけられるような代物ではありませんが、自分が使うのに便利なプログラム作成というコンセプトはいまも続いています。
 そのため、実際に使ってみてやりにくいところや、エラーなどに気づきます。そのたびに作り直している日々です。今回のHYE4は、いままでのHYEにはなかったCSSエディタを搭載しました。CSSやHTMLを知らない方々には、なんのことかわからないと思いますが、パソコンのことは詳しく知らなくても、多くのひとはインターネットでホームページを見ることはできていると思います。そのホームページを作成するプログラムがHYE4なのです。HTML,CSSとは、そうやってできたファイル形式です。

4751.10/15/2003

 きのうの夜、田町の政策提言塾「一新塾」に行ってきました。湘南に新しい公立学校を創り出す会のいままでの活動を話してほしいと依頼されてのものでした。
 わたしが、なにかのイベントに行くと、決まって雨が降ります。きのうも、午後から雨が降り始め、わたしが一新塾に着いたときには、ズボンのすそが濡れるほどの雨脚になっていました。
 こんななか、参加者が集まるのかどうか心配でしたが、会場に用意された座席はいっぱいのひとです。それぞれ、仕事を終えて、あるいは仕事を休んでの参加だと思うのですが、意欲の高さを痛感します。
 わたしたちが目指すもの、その障壁と解決策、現在の活動などを、パワーポイントを使って説明しました。質問の時間も1時間ぐらい確保されていて、質問が途切れることのない時間が続きます。約束の時間が午後九時半まででした。終わってからも、会場で挨拶や感想、聞きたかったけれど聞けなかった質問などに応対して、田町駅に電車に乗ったのは午後十時半。帰宅したのは日づけが変わる少し前。
 きょうは早朝から一年生の遠足の引率。電車に乗っていくので、精神的にハラハラしながらの引率でしたが、体には前夜の疲れがあったようで、足腰がパンパンにはっています。