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70年代フォークライブ

2003年12月27日 17:00-26:00(2:00)
居酒屋「かわばた」にて

下駄を鳴らしてやつがくるー

「あの頃の歌をやりたいねー」
11月の江ノ島ライブの後に「かわばた」のご主人Aさんと企画。
「お客さんに参加してもらおう」をコンセプトのライブでした。
年末の忙しい中
ソフトボールや炭焼きの仲間が参集。
左から...
リーダーのOさん。
応援団長のIさん。
主砲のKさん。

サッカーコーチのHさん(下右)。
常連のふくちゃん(下中央)。
「北の町ではもうさみしさを
暖炉であたためてるらしい」

あんまり寒いので「それじゃー」と
「襟裳岬」からスタートしたのでした。
高音の伸びがすばらしかったHさん ふるーい歌なら何でもOKのOさん
わたしの家から1分ぐらいのところに
中学時代の後輩Yさん。
いまは同じ藤沢で
学校に勤める同業者です。
こういう近さのあるライブは
ステージを使ったコンサートでは
実現できません。
歌を通して
ひととひとが近づく...
言葉だけじゃなく
本当に近づくライブをやりたかったんです。
近くの居酒屋「おばこ」のお孫さんMさん。
わたしたちの半分の年齢なのに
70年代フォークに
つきあってくれました。
吉田拓郎
かまやつひろし
かぐや姫
NSP
長渕剛
松山千春
SAS
ガロ
ボロ
岡林信康
お店を使わせてくれたAさん。
料理や飲み物を出しながら
自分でもギターをかかえて登場。
歌い終わってから
午前2時過ぎまで
残った人たちと語りました。
朝方に湘南にも雪が降った
12月。
年末のハッピーなひとときでした。



wayに連載した当日の様子です

 きのうは午後5時ごろ、近所の居酒屋「かわばた」に行きました。
 店のご主人と企画した「年忘れ70年代フォークライブ」があるからです。
「こんにちは」引き戸を開けると、ご主人がテレビでサッカーを見ていました。ほかにはだれもいません。「おー70年代は、はるか遠くになりにけり。こんな企画じゃ人は集まんないのかな」とこころに軽いジャブ。それでも「どこに座る?」「机を動かそうか?」と準備を始めました。
 そのうちに、近所の中学校の後輩だったKさんが来ます。Kさんはわたしが中学校の文化祭でコンサートをやっていたときに、お客さんとしてそこにいました。わたしがそのことに気付くのは就職して10年以上が経過し、いまの職場に異動してからです。長いブランクの末に再会したのですが、それからはちょくちょく飲みに行ったり、相談に乗ったり、コンサートに誘ったりしています。今回のライブも当時のことを再現するにはこの人しかいないと思って、真っ先に連絡をとりました。
「まだ、だれもいないの。で、サッカーがいいところ(延長戦になっていた)だから見てるんだ」
言い訳がましい挨拶で出迎えます。

 「こんばんは」続いてソフトボール仲間のIさんが登場。手には約束どおり歌本を持っています。「買うのもなんだから図書館で借りてきた」。ありがたいことです。この日のために図書館に行ってくれたんです。Iさんは11月の江ノ島ライブで最初にエールを送り、最後に万歳をやった方です。大手電機メーカーにお勤めで「月曜まで仕事」と言っていました。
 続いてお店の常連「ふくちゃん」登場。「元旦まで仕事なの」と文句。そんなんじゃ湘南学校作れないぞと、なにが「そんなんじゃ」なのか分からないジャブ。以前、拙著をプレゼントしたことがありました。
 「ちわっす」いつもの豆腐屋のご主人が配達の途中で立ち寄ります。事情があってお酒は禁止されているのですが、ちょっとした休憩のつもりなのでしょう。「きょうはいつもと違うね、先生、本当はそんなことをしていたの?」。うーん、そんなことと言われても。

 ともかくこの日(27日)は早朝に鎌倉でも雪が降る寒さでした。前日は湘南に新しい公立学校を創り出す会の年内最後の会議があり、打ち上げをして帰ってきたので、わが身には寒さが2日連続でしみている感じでした。
「じゃ、寒いといえば北国。北国といえば北海道。最初は襟裳岬からやろうか」
 Yさんにしっかり数冊ある歌本の曲探しやしおり入れのアシスタントをお願いし、襟裳岬をつまびきました。Iさんのよくのびる声が店内に響き、5人のライブが始まったのです。

 年配の福ちゃんと豆腐屋のご主人がいたので、最初は「ここに幸あり」「白鳥の歌」など、70年代よりもふるい歌を流します。うーん、この先、どうなっちゃうのかな。
 わたしが物心ついたときには、すでにグループサウンズは終わっていました。南こうせつになる前の「かぐや姫」、さだまさしになる前の「グレープ」、小田和正になる前の「オフコース」が全盛の頃で、井上陽水や吉田拓郎は少し先輩たちのレパートリーでした。だから、いきなり演歌をリクエストされてもなーとも思いましたが、そこは現場にあわせるライブなので、せっかくの期待にはこたえなくちゃとギターを鳴らします。
 途中で、お店のご主人Aさんが机に料理を並べてくれます。
「じゃ、少し休んで腹ごしらえをしてください」
このままじゃあかんという想いが伝わったみたいで、いいタイミングでの休憩です。料理とお酒を楽しんでいたら、ソフトボール仲間のOさんとHさんが来店。そして、乾杯。Hさんは少年サッカーのコーチをやっていて、翌日に試合があるのに、わざわざ顔を出してくれました。最初の懐メロ路線が変わるかもと、少しの期待がわきます。そのうちに、お店には一般のお客さんがやってきます。それぞれに顔つながりがあるみたいで「この人たちのじゃまになってしまうんじゃ」と、今度は別の心配が。だって、その方々の話題は28日の競馬「有馬記念」のことばかり。そんなところで、悲しい歌や暗い歌はできないよー。

 ひとしきり、飲んで語ったところで、ライブを再開します。
 ソフトボール仲間が増えたので、リクエストもたまるようになります。
「季節のなかへ」高音が伸びる松山千春の曲をHさんが熱唱。きれいな歌声にびっくり。「我が良き友よ」往年のかまやつひろしのナンバーをOさんがしっとりと。
 Iさんが図書館から借りてきた歌本をアシスタント役のYさんが開き、クリップでページをおさえ「このなかからどれでも」と。そこには懐かしい「かぐや姫」の曲の数々。伴奏するだけのはずが「ぼくの胸でおやすみ」をわたしも歌います。「これ、知ってる」Oさんが「うちのお父さん」を。
「こんなご時世だから」と戦地におもむく恋人に思いを寄せる「あの人の手紙」を歌っていたら、お店のご主人Aさんが絶妙のタイミングでコーラスをつけてくれます。
 少し、ほかのお客さんたちも落ち着いたところで、わたしとAさんのふたりでギターを抱えます。Aさんは吉田拓郎の歌本を持参。「旅の宿」「明日に向かって走れ」「落陽」などを連続で披露。こうなると、他のお客さんたちはご主人にオーダーを頼みづらくなり、自分で生ビールを注いでいました。

 ライブの後半、近くの居酒屋のお孫さんMさんが来店。
「きょうか何ですか?」
そういいながらも、いきなりサザンオールスターズの「TSUNAMI」を熱唱。お客さんどうしが、このライブをきっかけにして出会い、またこの町のどこかで会ったとき「やーやー」と声をかけられたら、いいなーと思いました。
 午前様になった頃、多くのお客さんたちは帰っていきます。
 残ったYさん、Mさん、Oさん、そしてご主人のAさんとしみじみと懐かしの曲を合唱。最後にAさんが「結婚式で歌う、乾杯かわばたバージョン」を披露して打ち上げとなりました。
 その後は、Mさんの友だち関係の話に花が咲き、わたしがお店を出たのは午前2時を過ぎていたでしょうか。Yさんを自宅まで送り、帰宅する途中に朝刊を配達するバイクとすれ違いました。

 Aさんとは「こんなライブを季節に1回ぐらいずつやりたいね」と話しています。今回、初めての企画で進行のイメージがわいたので、次回は今回よりも内容を練った企画ができそうです。
 年末のあわただしいなか、来店し、歌を歌ったり、聞いたりしてくれた地元のみなさん、本当にありがとう。ぜひ、次回も足を運んでください。