go to ...かさなりステーション乗り越えよう!大震災!

忘れない


福島県双葉郡楢葉町、竜田駅構内。
福島県双葉郡楢葉町大字井出 撮影日時:2014年8月10日 13時43分08秒
福島県双葉郡楢葉町、2014年6月1日から営業を再開した竜田駅。上野、水戸方面からの現時点での終点となった。
福島県双葉郡楢葉町大字井出 撮影日時:2014年8月10日 13時35分47秒
再開された竜田駅、乗り降り客も無く、タクシーは暇そうにしていました。
福島県双葉郡楢葉町大字井出 撮影日時:2014年8月12日 8時45分39秒
再開された木戸駅
福島県双葉郡楢葉町大字山田岡 撮影日時:2014年8月12日 8時58分15秒
女川カレープロジェクト
震災から数週間。あの日、女川町の風景を目にしたときから、このプロジェクトはスタートしました。炊き出しから始まった交流を継続的な支援にするために、カレーを通じた復興支援を行っていきます。
・「女川カレー」を商品にして女川町で雇用創成。
・女川の海産物を使ったカレーで、新名物づくり。
・カレーを使ったイベントで女川町の町おこし。
onagawacurry.com
女川カレーは「アナン株式会社(神奈川県鎌倉市極楽寺2-6-14)」が販売する商品です。
佐々木食堂でも作りました。
製造は「ディル・セ・おながわ株式会社(宮城県牡鹿郡女川町字十二神60-3-5-5)」です。
門脇小学校、全体的にフェンスで囲まれていますが、震災遺構として保存するのでしょうか。宮城県石巻市門脇町/撮影日時:2013年11月9日 8時19分44秒
平成24年に門脇中学校生徒がつくった「つながる花壇」。咲かせよう勇気の花とあります。宮城県石巻市門脇町/撮影日時:2013年11月9日 8時20分49秒
門脇小学校前に設置された花壇。宮城県石巻市門脇町/撮影日時:2013年8月18日 10時21分06秒
石巻市立女子高校と石巻市立女子商業高校の校庭に仮設校舎が建設されることに伴い、門脇小学校の校庭が両校のグラウンドとして使用されることとなったため、被災した門脇小学校の校舎がシートで覆われている。宮城県石巻市門脇町/撮影日時:2013年6月16日 10時23分28秒
震災で被災したため解体作業が行われている石巻市の鹿島御児神社の本殿。宮城県石巻市日和が丘/撮影日時:2013年8月25日 10時33分38秒
八街ふれあい夏祭りの一角で開催された東北復興支援物産市。石巻店と福島店及び緑化支援グループ。夕方になり、忙しくなりました。千葉県八街市八街/撮影日時:2013年8月24日 18時24分09秒
ついに解体が始まった東松島市立野蒜小学校の体育館。たとえ目で見て思い出すものが無くなっても、この体育館で起きた数々のことは決して忘れません。宮城県東松島市野蒜/撮影日時:2013年8月24日 15時03分37秒
石巻市の日和山から見た石巻市立病院。何台もの重機が入っている所が、石巻市立病院跡地。建物はすっかり無くなってしまいました。宮城県石巻市南浜町/撮影日時:2013年8月24日 09時12分06秒
石巻市長面地区。海のようになっていますが、この辺りには住宅が建っていました。宮城県石巻市長面/撮影日時:2012年12月16日 14時23分47秒
解体が決まった石巻市立雄勝中学校。宮城県石巻市雄勝町雄勝/撮影日時:2012年12月16日 14時53分19秒
解体が決まった石巻市立雄勝小学校。宮城県石巻市雄勝町雄勝/撮影日時:2012年12月16日 14時54分30秒
南三陸町志津川。決壊した堤防。宮城県本吉郡南三陸町志津川/撮影日時:2012年8月15日 11時4分21秒
石ノ森漫画館の再オープンに合わせて実施された地元商店街のスタンプラリー。宮城県石巻市中瀬/撮影日時:2012年11月18日 10時2分42秒
福島県いわき市平にあるNTT時計です。平中央公園の時計台のようでしたが時計が壊れ、今は跡形もなくありません。福島県いわき市平/撮影日時:2012年11月22日
常磐線原ノ町駅に留置中の「スーパーひたち」です。震災直前に原ノ町駅に到着し、折り返し上野行きとなる矢先に震災に遭いました。仙台方は津波で線路が流され、上野方は警戒区域で立ち入ることができなくなったため、「あの日」以来放置されたままです。福島県南相馬市原町区旭町/撮影日時:2012年8月12日 13時58分51秒
2012年8月12日に撮影した、休止中の常磐線の画像です。(原ノ町〜磐城太田間)福島県南相馬市原町区北原/撮影日時:2012年8月12日 13時31分21秒
芳賀さん家跡地より気仙沼向洋高校。うちの青い軽トラがやっと無くなった。そして二次瓦礫処理場がここに出来るらしい…。震災後初めてここの細い道を通る。田んぼだったところに海の生き物がいるみたいだ。宮城県気仙沼市波路上瀬向/撮影日時:2012年8月5日 12時39分31秒
この写真は、umaさんが2012年4月14日に双葉郡大熊町大字夫沢付近で撮影した放射線測定器です。
震災から1年が経過してやっと認められた一時帰宅。線量計の実測地が9.999毎時マイクロシーベルトを示しています。これは、実際にはこれ以上なのですが器械がこれ以上を計れないことを表しています。「このままでは線量計が壊れてしまう」とumaさんはコメントしています。
大熊町はとなりの双葉町と並んで福島第一原子力発電所がある町です。
去年の大津波によって建物が浸水し、全電源喪失。それにより核燃料が溶け出して、大量の放射性物質が屋外に放出されました。

あれから1年が経過しても、まだ線量計の針を振りきるような状態が続いています。
こういう状態は、専門家さえも想定していなかったというのは信じがたいことです。
日本の科学って、そんな想像力に乏しいレベルだったのでしょうか?こどもたちの「ゆとり教育」を批判する前に、優秀な科学者たちの想像力を鍛えなおすことが先決でしょう。
にもかかわらず、野田総理大臣は大飯原発の再稼動を容認しました。現地でも歓迎する政治勢力がいます。反対派は実力で阻止するしか手段がない状況です。こういう対立構造は、成田空港や原子力空母の母港化や沖縄米軍基地などでいつも繰り返されています。
電力の需要に応じるために、発電所を稼動させる必要はだれでも感じます。しかし、その発電方法が原発でなければいけない必然性がまったく理解できません。野田総理大臣は、まるで原発を稼動させなかったらいまの日本の電力はすべて失われてしまうとでも考えているみたいです。
全発電量に占める原発の割合は、20年ぐらいかけてどんどんシェアを広げてきました。それは、原子力で儲けようとするひとたちと、それを認めて大きな影響力を行使しようとするひとたちによる綿密な作戦が実行されていたからです。
反対派のひとたちには内緒にしてこっそり賛成派のひとたちだけを集めて話し合いをしようとする官僚や専門家が、震災後も原発の維持に懸命になっています。

日々の生活を強制退去という行政命令によって奪われた多くのひとたちにとって、原発のある町で生きたことは間違いだったのでしょうか。1年以上も慣れない土地で生活し、やっと一時的に帰宅したらまだ大量の放射性物質が空気中を漂っていることを知った衝撃を、安全神話を推進した専門家や経済人が「わがこと」として考えてほしいです。
宮城県亘理郡亘理町荒浜:2012年4月15日 9時41分50秒
2012年4月15日に行われた川口神社の春の例祭の様子です。
宮城県亘理郡亘理町荒浜:2012年3月30日 12時17分51秒
吉田のブドウ液 なつかしい!
宮城県亘理郡亘理町荒浜:2012年3月25日 9時11分00秒
亘理町荒浜 かもめマート前。隣接していた建物はなくなっていた。かもめマートの海側の隣でやってた朝市、夕市、よく行った。
岩手県上閉伊郡大槌町大町:2012年3月10日
大槌町中心部を過ぎた所の川の河口に掛かる橋です。橋は通れるのですが、恐らく津波と瓦礫に押しまくられてひしゃげたものと思われます。
宮城県石巻市鋳銭場:2012年1月23日 6時34分19秒
復興支援の為に4度目の石巻。たくさんの高校生たちが元気に通学しており活気を感じました。1年も満たない期間でここまで復興するとは.....日本人の底力を感じます。
福島県相馬市尾浜:2012年4月17日 16時41分53秒
相馬原釜直売センターのレジ袋がありました。お魚美味しかったです。
2012年1月18日8:27:19岩手県上閉伊郡大槌町赤浜
311から10ヶ月。まだ打ち上げられたままの船。
2012年2月17日11:5:11宮城県名取市下増田
仙台空港。早い復興を願い。
2011年12月30日10:4:41福島県相馬市尾浜
2011年末の写真です。3.11大津波で破壊された建物ですが、未だそのままの状態で残っていました。改めて津波の恐ろしさを感じます。絶対に忘れてはいけません。
2012年3月9日9:18:3福島県いわき市平
被災後、タバコの自販機が取り除かれている。
2012年3月3日14:40:26岩手県陸前高田市高田町
陸前高田の市民体育館を海と反対側から見た光景です。ここは津波の引き波により破壊された建物です。海と反対側のこの鉄筋の壁一面を、引き波がすべて突き破り、一瞬で天井間近の高さまで水が押し寄せたとのことです。
2012年3月3日6:35:50宮城県宮城郡利府町赤沼
一夜で積もった新雪。春の訪れも近い。雪は春水となり生命のいぶきをもたらす。
2012年1月31日15:45:59宮城県気仙沼市新浜町
大きなマグロ船が打ち上げられた近くの「新浜町」バス停に、ひとり雪の中で佇む、美しくチャーミングな女性に出会いました。これから、幸せ多かれと祈っております。
2012年1月29日12:15:15岩手県陸前高田市高田町
もう10ヶ月経つというのに、庁舎内に流れ込んだ車は311のまま。
2012年1月28日宮城県宮城郡利府町赤沼
海面と同じ。3.11による、地盤沈下。自然はすごい。
2012年2月5日千葉県香取市扇島
扇島地区は液状化で水道管があちこちで破壊されました。1日も早く水道を復旧させるために水道管は地上に通され、約一ヶ月後に水道が復旧しました。「蛇口をひねれば水が出る」あたりまえの事がすごく幸福な事なのだと実感しました。
2012年2月4日10:45:32福島県西白河郡矢吹町善郷内
善郷仮設住宅に近い小池にハクチョウが来ていました。
2012年2月3日17:56:39宮城県宮城郡松島町高城
仙石線高城町駅の電車の中で。手樽駅から鹿妻駅までは平成27年秋頃(予定)まではバスでの運行になります。
2011年12月24日15:3:36宮城県石巻市雄勝町雄勝
雄勝総合支所前に建てられた仮設商店街「おがつ店こ屋街」
2011年12月10日10:17:00:宮城県石巻市立町
12月9日にオープンした石巻立町復興ふれあい商店街
2011年11月14日岩手県上閉伊郡大槌町大槌
大槌町 大槌高校にて、震災被災者IT支援活動「なっても調べっ隊」を実施。避難所の方々にインターネットをご利用いただけるようになりました。提供:NPO事業サポートセンター
2011年9月24日18:47:19岩手県上閉伊郡大槌町上町
今年は無いと思っていた大槌祭り。小槌神社での夜宮。安渡虎舞盛り上がってます!
2011年12月6日12:32:59福島県南相馬市鹿島区西町
小高町にあった双葉食堂が鹿島町にて再開。とても暖かい味だった。
2011年12月4日12:9:56福島県南相馬市鹿島区南右田
南相馬市鹿島区南右田の川口神社に石造りの仮社殿が設置されました
2011年3月16日15:52:48宮城県石巻市山下町
震災当日から、消防団として不眠不休で救助活動に出ていた友人と無事再会!妊娠中の奥さんも無事でした!・・・良かった
2011年7月23日10:21:28宮城県石巻市水沼
石巻市立湊中学校裏
2011年3月10日6:2:21宮城県牡鹿郡女川町女川浜
震災直前(前日)の朝に泊っていた宿3Fの窓から撮影です。
2011年10月10日宮城県栗原市栗駒沼倉
紅葉の右端にグリ−ンのシ−トで覆われた震災復旧工事中の栗駒レストハウスが見えます。確かに着実に復興してきていました。東日本大震災の復興も着実に進むように! ”がんばろう日本・東北・宮城”
2011年9月18日、東京新聞
川越の山村学園文化祭で「希望の缶詰」が販売された。希望の缶詰は、石巻市の「木の屋石巻水産」のサバの味噌煮・鰯の醤油煮の缶詰。海岸近くにあった同社の工場が津波で破壊した後に、海への流出を逃れた缶詰を洗浄して全国で販売している。
2011年9月15日、毎日新聞
埼玉栄高校写真部が、「頑張ろう」というメッセージを掲げた人物写真を撮影し被災地に送っている。部員たちが週末を使って東京の銀座や有楽町で買い物客らに協力を呼びかけた。
2011年4月28日、時事通信社
福島県提供写真。福島第一原発から20キロ圏内の警戒区域で保護されたペットの犬にエサをあげる福島県職員。南相馬市小高区浦尻。
2011年5月3日、時事通信社
福島県提供写真。放射線スクリーニング検査を受ける伝統行事「相馬野馬追」で走る馬。

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