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第128回定例会 2008.6.28(土) 藤沢市市民活動推進センター 参加者:7人

経過と予定

5月24日(土)第127回定例会 9:30から市民活動推進センターで
5月24日(土)市民によるこれからの学校づくりの可能性を考える学習会2nd

6月28日(土)第128回定例会 9:30から市民活動推進センターで・会報117発行

7月12日(土)市民によるこれからの学校づくりの可能性を考える学習会3rd

7月19日(土)第129回定例会 9:30から市民活動推進センターで

8月の定例会はありません。

9月20日(土)第130回定例会 9:30から市民活動推進センターで・会報118発行

10月25日(土)第131回定例会 9:30から市民活動推進センターで

11月22日(土)第132回定例会 9:30から市民活動推進センターで

12月20日(土)第133回定例会 9:30から市民活動推進センターで・会報119発行

2008年度の会報

発行月と担当者は次の通りです。

6月:山崎 9月:小坂 12月:十時・駕籠六 3月:池田・佐々木

2008年度の会員手続きをしています。
6月の会報からは新年度の手続きをした方に会報を送っています。
まだ会員更新の手続きをされていない方は、会費(年間3000円)の納入をお願いします。

新しい湘南憧学校

500本を目標にしてきた映画鑑賞(レンタルビデオ)が、目標を達成しました。
現在は目標を1000本にレベルアップさせています。
季節がよくなってきたので指導者が外に出ようと声を掛けても
「散歩などなるものか!映画を見るのだ」というオーラを発しています。
プロ野球スナックについてくるカード収集に励んでいます。
スナックを食べないのでもったいなくて、指導介助の方がバザー用に引き取ってくれました。
7月24日で1学期が終了します。

新しい湘南憧学校

法人関係

減免申請

鎌倉市から求めのあった法人税の申告について、減免申請が完了し、無事に減免通知書を受け取りました。
法律でNPO法人は法人税が免除されています。
しかし、形式的には毎年減免のための申請と、活動報告や収支報告を提出しなければ、減免は認められません。
こういう煩雑な手続き自体を簡素化しなければ、市民がNPO法人を創りやすくする社会は近づかないでしょう。

活動報告

神奈川県に2007年度の活動報告をしました。
2007年度の事業報告と収支報告、貸借対照表などの必要書類を提出しました。

教育情勢をめぐる現場からの声

第二回市民によるこれからの学校づくり学習会

5月24日に代々木で第二回「市民によるこれからの学校づくりの可能性を考える学習会」がありました。
創る会からは3人が参加しました。
そこで「湘南憧学校レポート」も5冊ほど販売できました。

Yさんの感想
市民運動をしている人たちが自分の考えを出し合っていた。
今後、ばらばらな考え方をまとめていくのが大変だと思った。
在日ブラジル人など、外国のこどもを対象とした学校が全国でできている。そういう人たちとのつながりが大事だと思った。

Mさんの感想
2回とも参加している。
シュタイナー学校関係の人が多くて、発言の一つ一つが重かった。
有機農法を広げる運動とオルタナティブスクールを求める運動をつなげられないだろうかと思った。
シュタイナー学校関係の人たちと、それ以外の人たちとがどう折り合いをつけていくのかがわからなかった。

Tさんの感想
もともと以前に教育改革特区に応募した人たちが集まっているので、シュタイナー学校関係の人が多い。
過去の教育改革運動が、ことごとくうまくいかなかったのはなぜかという分析を中心に議論が進んだ。
結果として「市民の層が薄かった」という認識に達した。
市民の層が薄いというのは、運動の中核を担う人材が限定され、後進が育っていないという意味だ。

考察:アキバ事件

 2008年6月8日。東京の秋葉原で無差別殺人事件が発生した。歩行者天国にトラックで突っ込んだ男が、さらにナイフを振り回して通行人を殺傷した。7人が亡くなり警察官を含めて10人が負傷した。
 たまたま現場に居合わせた医師が救急隊に引き継ぐまで応急的な措置をした。学会で東京に来ていた医師は、飛行機で帰るまで時間を使って秋葉原で楽器を買おうとしていた。そのときに惨事に遭遇する。多くの負傷者を救護しようとするひとたちに指示を出し、トレアージュさながらの措置をした。その医師が、現場での応急措置をしているとき、負傷者をただ興味本位で覗き込むだけの見学者に対して、ぶん殴ってやろうかと思ったと感想を述べている。
 このことは、無差別殺人事件の報道では、あまり報じられていない。わたしは、犯人の男の異常さと同じぐらい、この医師が感じた憤りも、この事件の特徴であろうと感じている。目の前の惨事や傷つくひとたちを傍観し、観客になりきってしまう感覚は、傷ついているひとたちやそれを救護するひとたちの気持ちを想像する力を失っている。何もしないで傍観するなら、きっと惨事の現場では邪魔なだけの存在だ。しかし、自分が邪魔だと思われていることには気づけない。
 相手の気持ちを想像する力が欠如しているか、もともとないか、減退してしまったか、麻痺してしまったか。いずれにせよ、それはひととしての社会的な能力が低いことを意味している。

 青森県出身の25歳の男Kは、青森県内で有数の偏差値の高い高校を卒業し、短大に進学。静岡県で人材派遣会社の仲介で自動車会社で塗装の検査係をしいた。
 この履歴を知って、まず思うことは知的には高いということだ。学校的な課題には、問題なく答えを用意できる記憶力や判断力があったと想像できる。さらに新聞報道では卒業文集が紹介されている。そのなかで、親の意向に従っているからよいこどもに思われるのは当然だという書き込みをしている。思春期を経た男が、自分を紹介するときに、親の産物であることを自慢する傾向そのものが何らかのコンプレックスを背負っていると判断できる。父親は勉強には厳しかったらしく、Kがこどものときは家から父親の怒鳴り声が周囲に聞こえたという。
 知的に高く、親の精神的な支配から脱しきれないまま高校と短大に進学したKは、いいひとを演じてひとをだますことぐらい簡単だと、ネットに書き込みをしている。親との関係を良好に保つために身につけた術だと思うが、自我の形成が必要な時期に、親の顔色をうかがう人格を優先させてしまったのか。
 ひととひととの関係は、支配と従属ではない。しかし、こども時代に親の支配力が強すぎると、こどもは精神的な自立がはかられないまま成長してしまう。いつまでも従属する考え方から抜け切れず、欲求不満を何らかのかたちで解消しようと試みる。なぜか、多くの場合はテレビゲームなどのひとを相手にしない対象に向かう。従属することを受け入れながら、そんな自分がゲーム世界で支配者になろうと試みる。とても悲しい一方通行だ。地面に穴を掘って「王様の耳はロバの耳」と叫んでいたほうが健康的かもしれない。

 Kは警察の取調べに対して、動機につながる供述をしている。
 仕事がうまくいかなかった。自分が馬鹿にされていた。むしゃくしゃしていた。女性にもてなかった。よのなかがいやになった。だから、秋葉原に行ってひとを襲うことを考えた。
 この動機につながる供述は、Kの尋常ではない精神構造を現している。尋常ではないというのは、通常のものの考え方では、そういう結論にはならないだろうということだ。
 つまり、仕事がうまくいかないひとはたくさんいる。馬鹿にされることだってだれにでもある。むしゃくしゃしたくなるときは、わたしだってある。女性にもてない自分を悲観しているひとだってたくさんいるだろう。わたしはしょっちゅうよのなかがいやになる。
 それでも、こういう理由の結論が、無関係のひとを襲うことにはつながらない。そんなことをしても、不満や不平は何一つ解消されないことを知っているからだ。Kは偏差値の高い高校に進学した知的能力を有しているにもかかわらず、こんな単純なことが理解できていない。無関係のひとを襲ったら、新たな悲劇が生まれるだけで、自分を含めて家族や友人も生きてはいけないような地獄の始まりになることを、多くのひとは知っている。だから、そんなことはしない。また、無関係のひとには、家族や友人がいて、そのひとたちからの恨みや憎しみが生じるだけで、やはり何も自分の苦しみを解決することにはつながらないことに気づく。だから、そんなことはしない。
 それなのに、Kは北陸地方までわざわざナイフを買いに行き、事件を起こした前週にも秋葉原を下見している。とても用意周到なのだ。こうと決めたゴールに向かって、揺るがない計画を淡々と実行している。
 ブログやネットの掲示板に、刻々と心境や行動をアップしている。それを「だれかにわかってほしい、救ってほしい気持ちの現れだったのではないか」と指摘した専門家がいた。わたしはそう思わない。わたしは、自分の行動を記録するための手段としてKはネットを使っていたと考える。計画したことを着実に実行しているかを確認するための手段だったのではないかということだ。手帳への書き込みと同じだ。手帳と違って、不特定多数からの反応があるから、多少のつながりを意識したとも思われるが、決して反応と同調する姿勢は見せていない。そのことからも、とても救いを求めていたとは思えない。
 また警察の取調べに対して「ネットに書き込みをすることによってだれかに制止してほしかった」と供述したと新聞では報じていた。この供述にも疑問がある。あれだけの細かい書き込みをして、救いや制止を求めていた。しかし、その手が差し伸べられないから、行動をエスカレートさせた。これが事実なら、かなりの性格異常か、人格の破綻が想像できる。常軌を逸した精神状態で、ナイフを用意したり、車を借りたり、高速道路を使って運転したりできるとは思いにくい。
 警察の取調べは、取調官の質問に対して応じる形が一般的だ。その答えを調書に書く段階で、主語が容疑者になる。
「どうして、ネットにあんな書き込みをしたんだ」
「書き込みをしたんだ」
「おい、それを聴いているんだ」
 ひとを刺した感触や、流れた血の記憶、怒号や罵声、ひとが自分を取り押さえた事態に直面して、極端に精神状態が高揚し、整理できない状況だと予想される。自閉症スペクトラムでは、そういう自分のなかで情報が整理できない、つまり相手が自分に何を聴いているのかを考えられないときには、エコラリアといって、相手の言葉を即座に返す傾向がある。即時のエコラリア(鸚鵡返し)という。
「ああやって、細かく書き込むことで、だれかに制止してほしかったのか」
「制止してほしかったのか」
「やっぱり、そうなんだな」
「そうなんだな」
「よし、じゃぁ調書を作るぞ。わたしはだれかに制止してほしくて、ネットに書き込みをしました。これでいいな」
「これでいいな」
 取調べの現場に、精神医療の専門家がいれば、こういう応答からすぐに自閉症スペクトラムであると判断するだろう。

 文部科学省は、青少年が切れる現象について、脳科学的に研究するチームを発足させると発表した。
 異常行動をとる青少年のものの考え方を、その本人の成育や環境に限定するのではなく、脳の発達の問題としてとらえようとする試みならば意味があるだろう。しかし、統計をとったり、分析したりするだけでは、まったく意味がない。具体的な手立てが実行されない限り、時間が経過すれば予算がカットされチームは消滅するのだろう。
 また、わたしは今回のKの行動は、決して切れた勢いによるものとは考えていない。
 出勤した。仕事着が用意されいなかった。
「くびってことか」
ロッカーを蹴っ飛ばし、大声でわめき、勝手に職場を放棄した。
 ことしの4月に派遣労働者を大量解雇する方針を会社側から伝えられていた。その不安感が増幅して、仕事着がなかったことで爆発したととらえることもできる。しかし、実際には仕事着は用意されていた。Kが見落としただけなのだ。
 学校で100点ばかりを取っているひとたちは、人格的にも、人間的にも優れているという、日本独特の価値観を根底から見直さないと、文部科学省のチームは何の成果も挙げられないだろう。
 職場で仕事着がなければ探せばいい。探しても見当たらなければ同僚に尋ねればいい。
「おかしいなぁ。いつもならここにあるはずなんだけど、俺のつなぎを知らないか」
「週明けだけからリネンから回ってきて、新調されたものが別のところにあるんじゃないのか」
「あーそうだった。ありがとう」
 Kは、こういうコミュニケーションを職場のひとたちととったのだろうか。それでも、仕事着がなくて、駄々っ子のようにわめいたのか。

 わたしはKを知らない。見たこともない。話をしたこともない。
 だから、Kを決め付ける手がかりを持たない。
 だけど、Kのような行動や考えをする多くのひとたちと出会っている。そのひとたちとの日常を通して、Kがどうして今回のような事件を起こしたのかを想像することができる。もちろん、Kの見たてはまったく外れているかもしれない。だから、Kとはこういうひとだったとか、こういうひとだったのかもしれないなどと、考えようとは思っていない。しかし、わたしが日常的に出会っているKのような行動や考えのひとたちが、成長して同じような事件を起こしてはほしくない。
 だから、今回の事件で報道されているKの人物像を、もう少し別の視点からとらえて、よのなかにたくさんいるだろうK予備軍が、社会的に生きやすいようにするにはどうすればいいのかを考えたい。

 四肢に見かけ上の問題がなく、脳の発達に問題があるこどもを発達障害児と呼ぶ。
 発達障害は大きく分けて、脳のどの部分に障害が見られるかで、知的障害と情緒障害に分類される。ひとの脳は複雑なので両者を併発しているケースもある。
 知的障害は、同年齢のひとたちに比べて、知的能が低い。時間をかけて、少しずつできることを増やしていくことが社会的自立へ向けては有効な手立てだ。おもに大脳新皮質に何らかの障害があると考えられている。大脳新皮質は、脳が進化してきた過程で最後に創られた領域だ。人間の脳とも呼ばれる部分だ。ほかの動物に比べて、ヒトは大脳新皮質がとても大きい。読む・書く・話す・計算をする・覚える・見る・聞く・手指を操作するなど、重要な働きをしている。
 情緒障害は、おもに中枢神経に障害が見られると言われている。中枢神経は脳が形成される最初の段階で創られる。呼吸や脈拍などを管理する生命の維持管理装置としての役割を果たす。また、相手との距離感や表情から感情を読み取ること、その場の空気を読むことなど、社会的な存在として必要な能力とも関係している。
 情緒障害は、その特徴によってさまざまな障害名がついているが、そんなことはどうでもいい。すべてを自閉症スペクトラムという範疇でとらえた方が、臨床的な判断ができる。

 自閉症スペクトラムの大きな特徴は3つある。
 とくにきわだつ不得手な三つの発達領域を1996年にローナ・ウイング(児童精神科医・英)が示した。
・社会性の障害(ひとと相互的にかかわって場にふさわしい行動をとる能力の不全)
・コミュニケーションの質的障害(相手との相互的コミュニケーションを楽しみ発展させていく能力の不全)
・イマジネーションの障害(思考と行動の柔軟性の発達不全)
 この3つの特徴は、ひとが社会的に生きていくときには致命傷になりやすい。よほど、周囲が理解しないと、仲間はずれやいじめの対象になる。就職しても長続きしないだろう。だから、幼年期からの専門的な指導や支援が必要になる。
 自閉症スペクトラムの発生率は100人に1人ととても高い。珍しくない障害なのに、成長してから事件を起こすひとが多い。それは、100人に1人の自閉症スペクトラムのうち、6割から7割が知的障害を伴わないからだ。
 つまり自閉症スペクトラムの特徴をもちながら、150人に1人ぐらいは勉強ができ、なかにはとてもできるひともいて、進学校に行くケースもある。就職も結婚もする。しかし、自閉症スペクトラムとしての特徴が成長とともに消えることはないので、成人してから、社会との不適合・不適応に悩むことになる。こどものうちは、勉強さえできれば許される日本固有の学校的価値が自閉症スペクトラムの問題行動を隠していると言える。
 当然のことだが、親にはこどもが自閉症スペクトラムであるという自覚症状はない。
 最近、事件を起こし、裁判で精神鑑定が行われ、アスペルガー症候群と診断されるケースが多い。成人してから、アスペルガー症候群と診断されたということは、かなり顕著な特徴が発現していたのだろう。もっとこどものときに周囲が気づいてあげればよかったのにと、そういう記事を読んで思う。
 アスペルガー症候群は、知的障害を伴わない自閉症スペクトラムのほとんどと考えていいだろう。適切な特別支援教育を受けてこなかったがために、成人して犯罪を犯してしまう悲劇の責任は、だれにあるのだろう。
 判例では、アスペルガー症候群と鑑定されても、正常な判断能力はあると認定され、有罪になるケースが多い。アスペルガー症候群だからといって、決して軽い障害だと誤解してはいけない。適切な支援がない限り、生き方が困難なままおとなになっていくのだ。

 社会性の障害に含まれる特徴のうち、Kについて報じられる内容に関するものとして次のことが挙げられる。
・警戒心や羞恥心の発達にも不全がある
・生命の尊厳や畏怖の念に欠ける
・自分の感情を相手にわかりやすく表現するのが苦手
・他人と感情を共有するのは困難
・ひとと一方的にかかわる(道具的使用)

 犯罪を予告していると思われる多くの行動や、証拠を隠滅していなかったり逃亡計画がなかったりする稚拙な行動から、警戒心や羞恥心は皆無と考えていいだろう。正常な犯罪者には動機があり、犯罪を実行した後はそれを隠す行動を優先する。それがまったく感じられない。
 トラックで無差別にひとを轢き、倒れたひとをさらにナイフで襲う行動には、生命への尊厳は感じられない。
 仕事着がなかったとき、「辞めろってことか」とわめいても周囲は驚くばかりで、Kを理解しようとはしなかっただろう。「どこになるのか、だれか知りませんか」という言葉を使うことができなかった。
 ネットに心境をつづったとき、最初の段階では多くの応答があった。なかには励ますものもあった。そういう相手の気持ちを感じる力がなく、一方的に自分を卑下し、同時に社会全体への憎悪を膨らませていった。また女性にもてるとかもてないとか、記号としての女性像を対象にして、個人としての憧れのひとや片思いの相手を具体的にイメージできていない。恋する相手としての具体的な女性ではなく、記号(道具)としての女性像しかイメージされていない。

 イマジネーションの障害に含まれる特徴のうち、Kについて報じられる内容に関するものとして次のことが挙げられる。
・わくわくする能力に障害があるので、知らないことや見えないものは不安に感じる
・不安を解消するために、勝手に決め付けることが多い
・一度思い込んでしまうと考えを修正するのが苦手
・不測の事態で混乱する
・原理や原則を抽出することが苦手
・自分の経験が他人の経験とすべて一致すると信じ込む
・自分なりの秩序を守りたいという気持ちが大きい
・興味がかたより、狭い範囲の知識が多い

 派遣社員を解雇する計画。いつ自分に降りかかるかわからない見えない不安に対して、極端なほどの恐怖を感じている。この仕事がなくなったら、次の仕事を探そうという前向きな姿勢は見られない。
 勝手な決め付けは、Kのネットへの書き込みに随所に見られる。また、強い思い込みがありすぎて、励ましの書き込みを受け付けられていない。
 唯一の不測の事態は目的を達成した後に、警察につかまったことだろう。警察につかまらない計画を立てていなかったので、ひとを殺すことが計画のゴールだったと考えられる。
 無関係のひとを傷つけたら、自分の親や兄弟がその後、どんな苦しい立場になるのかとか、傷つけたひとやその家族にどんな悲しみを与えるのかという、よのなかの原則を抽出できていない。
 相手の気持ちを想像できないので、どうしても自分の経験を世界の中心にしてしまう。周囲のひとも同じことを考えていると信じる。それに流されない存在は、全面的に否定する。職場の同僚や、漠然とした女性像など、自分の秩序を崩そうとする存在が許せない。
 興味がかたより、狭い範囲の知識が多いことは、決して間違ったことではない。しかし、ひととの関係不全の裏返しとして、ゲームや音楽、ビデオやネットなどにはまり込んでいく、いわゆるオタク系の心理では、世界を広げられない。

 この考察は、決してKを擁護するためのものではない。
 また、自閉症スペクトラムという発達障害があればなにをしても罪に問うべきではないと訴えているわけでもない。判例では、アスペルガー症候群と鑑定されても有罪が確定している現実がある。
 少なくとも高校を卒業する年齢までに、適切な支援が長年にわたり行われれば、自閉症スペクトラムであっても、社会に適応して生きていく可能性がある。知的能が高いがために、テストの成績だけで優秀の人物評価を与えられ、社会性やイマジネーション、コミュニケーションの障害が見落とされてしまう危険性を、多くのひとに考えてほしいのだ。

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NPO法人 湘南に新しい公立学校を創り出す会
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