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マイロ・カッター女史へ
単独インタビュー記録

シティ・アカデミーを知る 2002年5月4日、国際文化会館にて

 わたしは日本型チャータースクール推進センターが招聘したマイロ・カッターさん(シティ・アカデミー・ハイスクール校長)にインタビューする機会を、鵜浦裕さん(NPOフォーラムしながわ)の仲介により、5月4日に得ることができた。かねてより、全米で初めてチャータースクールを開校したマイロさんには直接にお会いしたいと願っていたこともあり、インタビュアーの話を聞いたとき、即座にお受けした。3日に来日したマイロさんは9日の帰国までとてもハードな日程を送ることになる。4日はそんな彼女にとってウォーミングアップの東京見物をした後で、夕方6時からお話をうかがった。当初、1時間の予定だったが、質問にていねいに答えてくださるうちに2時間ものインタビューになった。

 きょうは、お疲れのところ、インタビューに応じてくださり、ありがとうございます。マイロさんは1992年に全米で初めてチャータースクールを開校した人として、たくさんのすばらしい経験を積み重ねてきたことと思います。日本国内にもマイロさんのように新しい公立学校を作りたいと願っている人たちがいます。わたしも含め、そういった人たちが、シティ・アカデミーから学ぶことはたくさんあると思います。
 そこで、最初の質問です。1991年以前、マイロさんはシティ・アカデミー開校のためにどのような準備をしていたのかを教えてください。

 わたしは1989年からミネソタの契約学校(contract school)制度を使い、公立高校を運営していました。契約学校は学区教育委員会と公立学校がカリキュラムや学校運営に関して、既存の公立学校(regular school)とは異なる内容を実施できるものです。そこで、校長と歴史の教師をしていました。しかし、契約学校は教育委員会からの制約がとても多く、また生徒の個人情報など、成績以外の細かいなかみまで教育委員会に知らせなければならず、かなり自由が束縛されるものでした。
 そこで、1990年頃から、少数の教師と生徒たちと約1年半をかけて、自分たちにとってもっとも必要な高校についての話し合いを継続的に行いました。そこで話し合われたのは、独自のカリキュラム、学習方法、指導方法などです。
 ちょうどその頃、ミネソタでは教師や一般の人たちが公立学校を創ることができるチャータースクールが法的に認められようとしていました。契約学校ではなく、チャータースクールとして開校するために、わたしたちがとくに話し合いで確認したのは、オリジナルカリキュラムを作ることでした。

 日本では学習指導要領という全国統一の内容基準があるのですが、ミネソタではそういうものはないのですか。

 とても基礎的なものはありますが、それをどのように解釈し、どのような教え方(method of teaching)をするかは、それぞれの学校に任されていました。
 わたしのもとに集まった生徒たちは、学校に行かなくなったり、地域で札付きのワルだったりと、教育委員会や既存の学校が手をやく生徒が大半を占めていました。この生徒たちと確認したのは、なにを学ぶかということよりも、どうやって学ぶかという方法を考えていくことでした。その過程で生徒たちが興味のあることや継続的に意欲を持てそうなことを、オリジナルカリキュラムとして築いていったのです。
 アメリカには全国統一の教育内容基準はありません。そんななか、わたしたちは子どもの学び方を重視したオリジナルカリキュラムを1992年までには完成させていたのです。じつはミネソタ州は1996年に公立学校の内容基準となるカリキュラムを作成するのですが、それは学び方ではなく結果ばかりを重視するものでした。わたしたちはミネソタ州のカリキュラム以前に独自のものを作成していたので、その後も現在にいたるまでミネソタ州のカリキュラムに拘束されることはありません。

 2番目の質問です。1992年の開校から現在まで、シティ・アカデミーは特別な認可を何回か更新していると思うのですが、そのことについて教えてください。

 ご存じのようにチャータースクールは何年かおきに特別な認可(charter)を更新しなければなりません。シティ・アカデミーの最初の認可者(sponsor)は学区教育委員会です。最初の更新を終え、2度目の認可者も同じでした。2度目の更新が近づいた頃、教育委員会から何の連絡もないので、わたしたちは焦りました。なぜなら、法律では期限までに更新をしないと、シティ・アカデミーは閉校になってしまうからです。
 心配になって電話をしたところ「忙しくて忘れていた」という返事。それから期限までのわずかな時間で、わたしたちは必要な報告書を作成しなければならなくなりました。

 その「忙しくて忘れていた」という言い訳は本当のことだったのですか。

 おそらく本当でしょう。教育委員会は多くの公立学校に関する仕事もしているので、それらの仕事(regular)が山ほどあったことと思います。しかし、わたしたちも必死です。そのうちに教育委員会は法律違反(illegal things)を要求してきたのです。つまり、授業を見せろとか、子どもたちの家庭的背景・人種・宗教などを教えろということです。

 それらの教育委員会からの要求は、違法なのですか。

 チャータースクールに関するミネソタ州の法律では、特別な認可の継続にそのような権限を認可者に与えていません。こちらから報告するレポートが重要なのです。また、学校を視察する時期は毎年秋と春と決まっています。にもかかわらず、何の調査もしてこなかったからという理由で突然に違法な要求をしてきた教育委員会を、わたしたちは疑いました。とりあえず法的に正当な報告書をすべて提出しました。そして、3度目の認可者を変更したのです。

 つまり、ミネソタのチャータースクールは認可者と審査者は同一なのですね。

 審査者という意味がわかりませんが、評価ということでしたら後で詳しく説明します。
 わたしたちが3度目の認可者として選んだのが、ミネアポリスにある小さな私立大学(private college)でした。以前からシティ・アカデミーの卒業生が入学したり、わたしが学長を知っていたりした関係で、わたしたちからの申し出を喜んで引き受けてくれました。今期はその3年目にあたっています。

 現在の認可者である私立大学とシティ・アカデミーの関係を教えてください。

 一言でいうととても迅速かつ丁寧です。秋と春の定期的な学校訪問のほかにも、毎月来校してくれます。来校したときはカリキュラムが適正かどうか、教師の指導方法は向上しているかを観察し、必要に応じて有効なアドバイスをしてくれます。

 ミネソタ州にいくつかある認可者は、チャータースクールにとってパートナーなのでしょうか、それとも敵対するものなのでしょうか。

 認可者はチャーターの申請を精査して認可をする権限を持っています。だから、とても大きな使命と責任があります。少なくともチャータースクールにとっては敵対するものではありません。ただ、認可者によって、少しだけ傾向は異なります。
 学区教育委員会が認可者の場合は、チャータースクールをコントロールしよう、監視しようという傾向があります。教育委員会にとってチャータースクールは、多くの公立学校のひとつにすぎません。多くの仕事のひとつなので、効率が優先され、きめ細かな関係作りは困難になっています。
 ミネソタには何千人もの学生が通う州立大学があります。ここも認可者ですが、学校が巨大なためか仕事が官僚的で動きが鈍い傾向があります。手紙を出したら返事が来るのに一週間もかかるんですよ。
 現在、シティ・アカデミーの認可者である私立大学はとても規模が小さいのですが、動きはとても迅速です。評価者であると同時にパートナーとして、ともにチャータースクールを築き上げていく傾向があります。私立大学には地元に対して様々な活動で貢献することによって、学生を集めたいというねらいがあるので、認可したチャータースクールに対しても真剣になるのではないかと思います。

 3番目の質問です。シティ・アカデミーに子どもを通わせている親と、マイロさんはどのような関係を築いているのですか。

 シティ・アカデミーには、学校に行かなくなった子どもや、教育委員会から見放された子どもがたくさん通っています。だから、多くの親はまず子どもが学校に行きたがるようになるだけで、とてもハッピーになります。親とスタッフとのコミュニケーションは定期的に行っています。シティ・アカデミーの考え方をなかなか理解してくれない親もいます。それは仕方がないことですが、子どもが変わっていく事実を通して時間の経過とともに理解してくれるようになることを期待しています。
 障害をもつ子どもが通っていますが、その子どもの親とは、わたしたちにできることとできないことを明記した契約を交わしています。

 シティ・アカデミーに入学するとき、子どもの意志と親の意志と、どちらのウエイトが大きいのでしょうか。

 シティ・アカデミーは高校なので、ほぼすべての子どもが自分の意志で入学してきます。だから、子どもは学校のことはよくわかっていても、親がわかっていないことが多いんです。
 そんな親たちにわたしは「他の子どもを見ないで、自分の子どもの育ちを大切にしなさい」と常々言っています。それを繰り返しても、他の子どもと比較する親はなかなか減りませんが。

 4番目の質問です。シティ・アカデミーで働く人について教えてください。

 1992年に開校したとき、全部でスタッフは4人でした。翌年、そのうちの1人が学校を去りました。残った3人はいまも働いています。現在の教員はわたしを含めて12人います。年齢は27才から59才まで。そのうち5年以上勤務している人が5人います。全員、高校教師の免許を持っています。12人の他に3人の非常勤スタッフがいて、この人たちは免許を持っていません。
 すべてのスタッフをシティ・アカデミーが独自に雇っています。先日、1人の教師を雇いました。面接をして、試しに1ヶ月間働いてもらい、その後でスタッフと子どもたちによる投票で採用を決めました。

 教師の力量を維持し続けるために、どんなことをしていますか。

 わたしたちは、そのことについてもっとも厳しく対応しています。
 高校の教師は自分の教える専門教科についての知識はありますが、その他のことにはあまり興味がありません。子どもと関係を作るとか、他の教科の指導法はどうなっているのかとか、学校全体としてどんな子どもになってほしいのかとか、勉強していないんです。1992年に開校したとき、このような高校教師の特性を打破し、どちらかというと小学校の教師のようになろうと決めました。そこで大事にしたことは、人間性(human being)です。教科は違っても、子どもたちの人間性をいかに尊重した授業ができるかを模索しました。
 高校の教師になるためには、そのような勉強はしてこないので、シティ・アカデミーでは働きながら大学でそのようなことを勉強してきてもらっています。
 またこれはとても重要なこと(very important)なのですが、すべての教師は毎年学習効果を高めるための研究プロジェクト(research project)をやっています。この成果は結果として報告する義務はないのですが、シティ・アカデミーの伝統です。授業方法や教材などの研究を年間を通じて行い、その成果を出し合って、全校規模で翌年に生かすことのできるプランをピックアップしています。研究プロジェクトはスコアにしにくいものですが、これを続けていると、確実に教師たちが子どもたちに向ける視線が変わっていきます。

 最後の質問です。シティ・アカデミーの評価について教えてください。

 評価を提出する機関は大きく分けて2つあります。ひとつは認可者で、もうひとつは州の教育局です。州の教育局は予算の全額を支出しているところです。教育局のなかの3つの部署にそれぞれ内容の異なる評価報告書(outcome report)を提出しなければなりません。
 認可者とは特別な認可を得る段階で提出する評価項目を明記しています。学習の効果、教育方法、親の参加など基本的なことの他に、毎年秋にテストの点数、出席率、親への意識調査結果を提出し、春にそれらについての認可者からの調査を受け入れています。このときは大学からチームが来校することになります。

 チャーター期間の最後の年ではなく、毎年やっているのですね。

 そうです。毎年です。
 州の教育局へも毎年の報告書を提出しています。子どもに関する項目はひとりにつき32項目あります。テストの点数、基本的な読み書き能力、出席率などを毎月集積し、年度末に報告します。学校の財政についても報告しなければなりません。また、教師の能力と研修にかかった費用も報告しています。(school reporting,staff reporting,financial reporting)
 認可者への報告は子どもたちの名前はコードネームに変換しますが、州への報告は実名でしなければなりません。

 毎日の教育活動だけでなく、このような結果の集積をしていくことは、とても大変なことのように思うのですが。

 大したことではありません。シティ・アカデミーの教師も子どもたちも、ここに自分がいたいという思いがあるから、これぐらいのことは当然のこととして受け止めています。また、公金を使っている以上、行政当局が求める報告に応じるのは当然のことです。
 日本でも、チャータースクールを開校したいと願う人たちは、ぜひ、自分がなぜそのチャータースクールで働いているのか、作ろうとしているのか、通おうとしているのかという意識を強くする必要があると思います。だれかが何かをやってくれるのがチャータースクールではありません。

 マイロさんは、校長をやりながら教師もやっていますね。日本の公立学校ではあまりないことですが、どうしてべつに校長を雇おうとしないのですか。

 財政上の理由から、新しい校長を雇う余裕がないという理由があります。そして、わたしは校長でもありますが、同時に子どもたちに歴史を教えることが大好きなんです。だから、両方をやっています。一方的に歴史の事実を覚えさせるのではなく、子どもたちが過去をさまざまな角度から批評できるようになってほしいと願っているのです。

 きょうはお疲れのところ、長い時間をありがとうございました。いままで本やテレビでの紹介ではわからなかったことをたくさん知ることができました。


後記

 インタビューノートを振り返ると、もう少し突っ込んで聞いてみたかった部分がたくさんある。表面的な質問でその背景にあるものが見えてこない部分があるからだ。しかし、チャータースクールと認可者の関係や、日々の成果のまとめなど、具体的な事実を知ることができたのは、とても大きな収穫だった。英語を日本語にすると、ニュアンスが変わってしまうことがある。そのため、不安な翻訳にはマイロさんが実際にしゃべった言葉をカッコ書きで付け足しておいた。
 スポンサー(sponsor)を認可者と訳している。日本ではスポンサーと言えば、テレビ番組などの資金面での提供者という意味が強い。しかし、チャータースクールの場合のスポンサーは、特別な認可を与える権限を持っている主体と思った方がいいと感じた。権限をもち、これを行使することは、大きな使命と責任があるということを、本文よりも実際にはもっと強調してマイロさんは言っていた。