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第ニ分科会報告

教育改革国民会議

本文
教育改革国民会議第ニ分科会主査、金子郁容氏による
注釈
よぅによる一方的なもの
金子です。国民会議第二分科会の「まとめ」(正式には、「分科会審議報告」)です。
これは、国民会議全体会に提出されたものです。
昨日、記者発表をしました。全文です。

この報告書の特徴は、
(1)全文を主査=金子が書き、最後に、「文責:金子郁容」とした、
(2)委員のなかで意見の相違が著しかった案件については、
    反対があることで提案しないとか、提案の表現をやわらげるということでなく、
    反対意見をそれを言った委員の名前をつけて明記した、というふたつです。

時間のある方は、以下の報告をお読みになると、
委員が
現在の教育システムはほぼいいシステムだからそれを変える必要はなく、少しづつ改善すればいい」というグループと、
現在の教育システムをなんとか活性化し、しっかりしてもらいたい」というグループに、
はっきり二分されていることが分かります。

従来だと、このような立場の違いがあった場合、報告書は玉虫色のものになりがちでした。今回は、意見の違いを出しました。
まあ、私にいわせれば、
もし、前者の立場にたつのだったら、はじめから、なぜ、「教育改革国民会議」に参加するのだろうという疑問が残ります。

とりあえず、全文を掲載します。これは、マスコミなどに昨日の夜発表されたものです。
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教育改革国民会議第2分科会審議の報告

<<第2分科会の基本方針>>

第2分科会は、
学校教育の改善と改革について

2000年5月19日から7月17日まで、計7回の審議を行った。時間が限られていることもあり、義務教育段階に集中して議論した。議論の進め方やメッセージの出し方については、

(i) 観念論でなく方法論を、
(ii) 提案型に、
(iii) 具体性のある提案、を基本方針とする。

また、必ずしも全会一致したものだけに限らず、一部の委員が賛同しないものも、その旨、記して発表することとする。

<<第2分科会からのメッセージ>>

コミュニティで育つ、コミュニティを育てる学校づくり
─────新しい時代に、新しい学校を─────
 

◇◇全国の学校の改善提案──学校のバージョンアップ

・教員の評価とフィードバックを・・・意欲や熱意や努力が報われ反映される体制を
・教員の適性に合わせた校内役割と転職を含めたキャリアパスを用意する
・学校の情報を積極的に公開する
・学校は、評価を踏まえ、自ら変わる努力を
・学校は、保護者・地域の参加を進め、日常的な意見にすばやく応じる
・学校運営にマネジメントの発想を。校長の裁量権を増やし、若手校長の抜擢を
・学級編成や授業方法については、学校と校長の独自性を生かして柔軟に実施する
・IT教育と英語教育は、「本物・実物」に触れさせながら促進する

◇◇新しいタイプの学校の提案

・私立学校を設置しやすいように基準を明確化し、施設・設備の取得条件を弾力化する
・研究開発学校を拡充して地域単位の新しい試みを促進する
・新しいタイプの公立学校(”コミュニティ・スクール”)の可能性を検討する
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 第二分科会委員 石原 多賀子(金沢市教育長)
       上島 一泰(社団法人日本青年会議所会頭)
       大宅 映子(ジャーナリスト)
       (主査) 金子 郁容(慶應義塾幼稚舎長)
       河合 隼雄(国際日本文化研究センター所長)
       (副主査) 田村 哲夫(学校法人渋谷教育学園理事長)
        藤田 英典(東京大学教育学部長)
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◇◇現状認識

・いじめ、不登校、学級崩壊などに代表される学校の現状やそれに対する親の不安は深刻なものがあり、第2分科会として、できる限り対応をするという視点をもつ。
・ITとグローバル化の進展によって、既存の権威や組織の存在意義が根本から揺らいでいる。学校教育も例外ではない。自宅で教科が学べ、大学ではネット上で単位や学位がとれるようになる。学校とはいったい何か、また、義務教育とは何なのかが問われている。旧態依然とした自己保存と自己防衛だけの学校であってはならない。
・問題解決や改革に取り組んでいる学校はあるが、全体として、現在の学校は国民の期待に応えているとはいえない。教育の在り方が画一的でことなかれ主義になりがちである。親が知りたい学校の情報が提供されないなど問題を隠したがる体質がある。教員にも同様の体質がある。特に公立学校は、努力しなくてもそのままになりがちで、内からの改革がしにくい。比喩的にいえば「お客がくることが決まっているまずいレストラン」となってはならない。
・教育システム全体の活性化には新しい活力の導入が必要である。第2分科会には、新鮮なアイディアに基づいたメッセージを出すことが期待されている。

◇◇全国の学校の改善提案──学校のバージョンアップ

────── 教員

学校教育で最も重要なのは、一人一人の教員である。学校改革には一人一人の意識と行動の自己変革が不可欠である。いわば、教員のバージョンアップが必要である。

○教員の評価とフィードバックを・・・意欲や熱意や努力が報われ反映される体制を

・個々の教員の努力や意欲を認め、よい点を伸ばすという観点からの評価とフィードバックが必要である。教員はただ好きなことをしゃべっていればいいのではない。自分の行動についての評価とフィードバックを得て、その反省にたって授業や学級運営のやり方を改善する努力をすべき。
・一生懸命やっている人や効果を上げている人とそうでない人とを同じには扱わない。たとえば、「メリット特別手当」などの金銭的処遇、準管理職扱いなどの人事上の措置、優秀教員を評価するなどの名誉によって、努力に報いることが必要である。
・教員の資質向上のために、研修参加、ネットワークなどを利用しての専門知識の獲得、企業などでの長期体験研修受講などの機会を充実させる。
・効果的な授業や学級運営ができていないというフィードバックが繰り返しあっても改善されない教員については、それなりの処遇をとることが必要である。(親としては、適性を欠いた教員がそのままでは納得できない。)処遇の例としては、学校内での役割変更、転職、最終的には免職などがある。
・教員評価の仕方によっては、これまでの日本の教育現場の協調性のよさが失われる恐れがあるとの意見があった。また、評価の結果を公表するかどうかついては意見が分かれた

○教員の適性に合わせた校内役割と転職を含めたキャリアパスを用意する

・教員は実践者で、いわば、スポーツ選手。生涯現役がだれにでも適しているとはいえない。本人にとっても、ずっと現役を期待されるのは不幸だというケースもあろう。
。教員に期待されている役割も時代の変化に応じて多様になっている。学校内でも適性によって異なる役割を負い、また学校教育以外の職種を選択する仕組をつくることが必要。早期勧奨退職や一定年齢での昇給停止などの制度も必要に応じて利用すべき。
・非常勤、有期教員、社会人教員など雇用形態の多様化を実施する。
・教員の採用方法の多様化が必要である。教職課程で何単位とったかということだけで教員としての資格があるとすることは不適当。情報など変化の激しい分野では継続的に知識と技術を得ることが必須である。教員になる入り口は多様にし、プロセスを評価すべき。免許更新制も検討に値する。

────── 学校

○学校の情報を積極的に公開する

・教員の問題点がそのまま学校の問題点である。
・保護者は学校の様々な情報を知りたがっている。開かれた学校をつくり、説明責任を果たしていくことが必要。学校の活動の状況をはじめ、学校の情報は積極的に保護者、地域に公開する。

○学校は、評価を踏まえ、自ら変わる努力を

・各々の学校の特徴を出し、よい点を伸ばしていくという観点を中心にした学校の評価制度を導入する。自己評価のほか、外部評価や第三者評価が必要。評価のための基本的基準は国が設定し、実際の評価はローカルに行うという方法もある。学校の評価は全国一律に実施する必要はないだろう。評価の方法は、一つの物差しで序列化されることのないよう十分留意すべきである。
学校の評価結果の公表と、学校選択制については、意見が分かれた
上島委員、大宅委員、金子主査、田村委員は、評価結果は適切な形で積極的に保護者、地域に公開すべきで、また、学校選択制の導入は、評価・情報公開とセットとして必要なものであるという意見であった。
藤田委員からは、評価のやり方は学校評議会のようなものをつくって自己評価することでよい、評価結果を公表することや学校選択と結び付けることは一元的な序列化をもたらすことになるので反対であるとの強い意見があった。
河合委員は、評価結果の公表の仕方については、序列化されることのないよう工夫が必要であり、評価と学校選択が結び付くのは問題であるとの意見であった。
石原委員は、評価を誰がどのような基準で行うか難しい、学校の所在する地域の評価につながる面があり慎重にすべきである、学校選択ではなく通学区域の弾力化を推進すべきとの意見であった。

○学校は、保護者・地域の参加を進め、日常的な意見にすばやく応じる

・日常的な意見や疑問に耳を貸し、すばやく応え、その結果を伝える。
・学校評議員制度などによる学校運営への保護者や地域代表の参加を進める。
・学校は、地域に安易に頼るのではなく、主体性と責任をもつ。漠然と「地域」というのではなく、目的に応じて、地域の誰と何をするのかをはっきりさせて連携する。
・地域、家庭、学校は「三位一体」である。よい学校になるかどうかはコミュニティ次第である。コミュニティが学校をつくり、学校がコミュニティをつくる。企業の役割も重要であり、保護者が学校の活動や子育てに時間をとれるようにするなどの協力を。

○学校運営にマネジメントの発想を。校長の裁量権を増やし、若手校長の抜擢を

・現行体制のまま校長の権限だけ強くしても大きな効果は期待できない。予算、人事、カリキュラム、管理運営の基盤整備が必要である。たとえば、予算使途や人事についての校長の裁量権を拡大する必要あり。学校が達成した成果や情報公開度によって、ある程度、メリットによる予算配分の追加なども考える。教頭複数制など校長を補佐する運営スタッフ体制を充実する。教員の役割分担をはっきりさせ、ムダな会議はやめる。若手校長の積極的任命と校長の任期の長期化を。
・学校改革には学校の全ての教職員の意識と行動の変革が必要である。とりわけ校長には、学校のバージョンアップにふさわしい意欲と気概をもった人を採用する。校長となる人材の養成プログラムを。
・組織マネジメントの発想が必要なのは、学校だけでなく、教育委員会も同様である。行政全体として、情報を開示し、組織マネジメントの発想をもつべきである。
・子どもの現状や親の子育ての不安、教員の悩みに対応し、質の高いスクールカウンセラーの配置を含めて、専門家に相談できる体制を。必要に応じていろいろな専門家に相談できる専門家のオープンネットワークを用意することが急務である。

────── 学級編成や授業方法

○学級編成や授業方法については、学校と校長の独自性を生かして柔軟に実施する

・学級人数や学級編成方法については、全国一律に決めるのではなく、学校ごとの児童生徒数当たりの教員数を改善した上で、校長が特色のあるクラス編成を弾力的にできるようにする。非常勤や社会人教員などを活用するなど、学校の判断で「いろいろある」ようにし、そのことに責任を持つことが重要。その上で、児童や生徒に「学ぶことは楽しい」「考えることは面白い」と思ってもらうよう創意工夫する。
・生活集団と学習集団を区別して柔軟で多重なクラス編成を考えることが有効であろう。生活集団としてはある程度の大きさがないと、いじめやグループ固定化の弊害が出やすい。いろいろな組み合わせで切磋琢磨できるほうがいい。一方、教科や学年によって効果が期待されるものは、小人数にし、習熟度別などのクラス編成を採用する。
・企業をはじめ多くの組織ではいろいろな努力をして構成員の生産性を上げている。学校や教職員も工夫し努力して、効果的な教育をすべきである。

○IT教育と英語教育は「本物・実物」に触れさせながら促進する

・ITの進展に対応し、小学校から情報やネットワークを学ぶ機会をつくることが必要。ただし、実物に触れさせる教育も重要。コンピュータやインターネットは知識伝達やコミュニケーション促進に有効であるが、一方、それで全部できるわけではない。
・英語はコミュニケーションの道具であるという視点をもつ。なるべく早い時期から“本物”に触れ、楽しく学ぶ機会をつくるべき。人に何かを伝え、それが返ってくる喜びを体験する機会をたくさんつくることが大切。
・情報教育も英語教育も、教える人と教え方が重要。教員だけでなく、英語を母語とする外国語指導助手(ALT)や学校の外の専門的能力をもった人を導入することが必要。

◇◇新しいタイプの学校の提案

○私立学校を設置しやすいように基準を明確化し、施設・設備の取得条件を弾力化する

・多様な教育機会を提供する観点から私立の小・中学校を作りやすくする。
・法人設置や学校設置に関しては「準則主義」になるべく近い形で。教育水準の確保に必要かつ十分な要件を国として明確化し、それを満たせば設置認可がされるようにする。
・施設・設備の取得については、教育水準の確保や安定性を前提とした上で、長期リースを認めるなど、条件を弾力化する。
・保護者の教育費負担の軽減と新しいタイプの教育を実現するための私学助成の充実。

○研究開発学校を拡充して地域単位の新しい試みを促進する

・平成12年度から実施され始めた新しい研究開発学校制度は、学校の創意によって研究テーマを選べるようになり、既存制度のなかでの新しい試みを促進する方法として注目されている。この新方式の研究開発学校を増やしてゆくとともに、たとえば、中学校区を単位とし、当該中学校とその校区内にある複数の小学校を対象にするという「地域指定」の研究開発学校を新たに導入する。
・「地域指定」の研究開発学校は、「総合的な学習の時間」「小中一貫英語教育」「情報教育」「いじめや不登校の問題」など、教育課程、教材、教職員配置、施設整備などについて、義務教育9年間のスパンで、地域との連携を図りながらブロックごとに計画的に改善ができる。
・校長の任期をたとえば5年1期とすることにより、新しい研究開発学校のテーマやビジョンの教育実施や実践の責任体制を明確化できる。

新しいタイプの公立学校(”コミュニティ・スクール”)の可能性を検討する

・ここで言っている”コミュニティ・スクール”とは、地域独自のニーズに基づいて市町村が設置し、地域が運営に参画する公立学校の仮の呼び名である。市町村が校長を募集、有志が応募するか、有志による提案を市町村が審査する。市町村はまた、学校ごとの地域学校協議会を設置する。協議会は地元代表を一定以上含むものとし、学校をモニターし評価をする。
・教育水準の確保(学習指導要領の包括的充足)、地域学校協議会の構成、協議会による学校評価の項目や基準など大枠については国が定め、その実施はローカルに行う。
・”コミュニティ・スクール”の特徴は、「いい学校は、結局、人である」という考えから、校長が独自の判断で学校マネジメント・チームを選び、教員をリクルートし採用する権限を持つことにある。学校経営は校長とマネジメント・チームが行い、そのチェックは地域学校協議会が行う。「上を向いた」学校ではなく、地域にアピールすることで成り立つ学校である。”コミュニティ・スクール”は、従来の校長・教員にはない、起業家精神をもった人を学校経営や学校教育に引き込むことになり、日本の教育界を活性化する可能性がある。
・”コミュニティ・スクール”が実際にどんな学校になるかは、地域のニーズやどんな意欲のある人がいるかによる。たとえば、不登校児童・生徒を対象にするフリースクールのうちしっかりしたものを”コミュニティ・スクール”として地域が支えるなど、私立や公立では十分扱えないスペシャルニーズのある児童・生徒を対象にした学校がひとつ想定される。また、統合教育、地域に開かれた学校、英語やIT教育を思いきって取り入れるなど、先端的な特徴をもつ学校を、アイディアと意欲に燃える新しい人材が企業などの支援を受けながら運営するという可能性もあろう。

○オープンな場でさらなる議論を

・「新しいタイプの学校」については、いろいろな意見が提出され、必ずしも委員の間での意見の一致がみられなかった
私立学校の振興については、藤田委員は私立学校が増えることで現在の問題が解決される証拠はないという意見を述べた。しかし、今後、設置をしやすくするということでは一致した。研究開発学校の地域指定の提案に関しては、この提案では、結局、現状の緩やかな改善でしかないという金子主査の意見もあったが、全体としては、賛同意見が多かった。
”コミュニティ・スクール”については意見が分かれた
これは、金子主査が提案したもので、多様な可能性を提供するものとして大宅委員と上島委員はその主旨に賛同した。
田村委員は、新しい可能性を求めるということでの提案として理解したが、本来私立・公立の学校で教育するべきものと考える。
石原委員は、このような新しい学校は私立で行うべきであり、公立学校としての実施は困難であるという反対意見を述べた。
藤田委員は、”コミュニティ・スクール”が目指す新しい試みは現行の公立学校でも十分実施可能であり、また、結果が実証されていないこのような試みを国民会議で提案することは無責任であるという観点から反対意見を述べた。
河合委員は、審議の報告の中で主査が提案することには反対しないという意見であった。
・これらの意見を踏まえて、主査としては、「新しいタイプの学校」については、今後、分科会を超えた広く国民に開かれた場で、その効果と問題点についてさらに議論されるべきであると考える。

文責:金子郁容、2000年7月26日
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Ikuyo Kaneko
Headmaster, Keio Yochisha Elementary School;Prof., Keio Univ.
ikuyo@gsec.keio.ac.jp
主査の金子先生はエディットカフェというサイトでこれまで教育改革国民会議に関する意見を広く呼びかけてきました。そのため、これまで閉ざされがちだった「国の音頭取りによる審議会」の内容と経過が手に取るように分かりました。


従来の教育システムを肯定する人たちは基本的にこのシステムのおかげで成功してきた人たちです。偏差値も高く、学歴も高いと思います。そういう人たちに対象化を望むのは無理なのかもしれません。

ここでいう昨日とは7月25日のことです。



第1分科会と第3分科会の報告には残念ながら、今の子どもたちに対するリアル感が欠け、大人たちの言いたい放題という印象が漂っています。


実効性が命である「教育改革論議」には左記の三点は重要な部分です。


反対者も記名されることによって自分の存在を再確認できますね。


あとで触れられているが、ここでいう「コミュニティ」とは必ずしも、地名で区切られる「住居地域共同体」だけを示しているものではありません。


大量装置として学校を使う改革プランは必ず速度差と温度差が出ます。でも、こういった提言をしないと分科会としての存在が許されないのでしょう。







上島委員と大宅委員はこの分科会の存在意義がよく分かっているようですが、他の委員はどうもたまたまこの分科会に入ってしまった感じがしてなりません。また藤田委員についてはこの分科会を妨害することをねらっていた気さえしてしまいます。


もう一歩進んで人にとって「学びとは何か」という観点に具体的に立つことができたら、よかったのにと思います。そうしないと、教育界のそれぞれの利益代表意見ばかりが寄せ集められてしまう危険性があります。









ということを、当の本人たちがほとんど自覚していないことを、どう考えればよいのでしょうか。



努力に報いる、名誉をプレゼントするという行為はこれまでの役人としての教員世界にはない発想だったのでユニークだと思います。学閥や人脈で出世ルートが確保されている教育行政世界にこの方法で向かっていくのはとてもスリリングなことです。実際にこういうことを始めようとするとき、現場の当事者たちに押し寄せるものすごい抵抗に委員の方々がどこまで責任を痛感して行動するかを注目します。



正採用をとらずに、いつでも体制に有利な人材を確保するために「臨時採用」ばかりをとってきた地方行政が関東地方だけでも複数あることをまずはきちんと総括してからでないと、有能な人材の流出につながってしまいます。



過渡期としてこれまで知られていなかった非常識なことがたくさん現れることをまずはみなさんで覚悟しておいた方がいいでしょう。


つぶれそうな銀行が自分で査定した行内情報をだれが信用するというのでしょう。藤田委員の自己評価制は身内に甘くするだけで、子どもたちの利益になんらつながらないでしょう。
また、教育ほど実質的に区別や序列化が進行している領域はないのにもかかわらず、河合委員のような理想論で片付けようとしていては、第2分科会の議論マナーに反すると思います。



学校評議員制度は予想通り、その前段となる学校地域連携事業の導入(藤沢市)で見る限り、管理職と自治会の役職たちによって人選が行なわれ、これを委員会が承認しています。子どもも親も教員も蚊帳の外におかれています。
日本社会において「地域」の力を頼ろうとすると、必ず長老や権威者たちによって牛耳られ、結果として若者たちの地域離れを加速してきたことを、だれも学習していないようです。


校長がマネジメントを中心にすることは大事です。同時に、そんな校長をも評価していくシステムも必要です。





校長がメンバーをチョイスできるシステムは、これまでの「あきらめ人事」「命令人事」に比べ、教職員一人一人に意欲と自覚を促すことになるでしょう。
同時に、それはメンバーがボスをチョイスするシステムでもあり、そのことによる緊張関係がより効果的な教育を機能させていくことにつながるでしょう。




はっきり言って、今の学習内容の総量に、さらに新しい何かをプラスすることは子どもを学校に縛り付けるだけだと思います。
必要なものがある場合は、自然の摂理に従って不必要なものを削るビジョンを打ちたてなければならないでしょう。











本当にそうだったでしょうか。申請した学校と認可された学校の相関関係を調べたときに、これまでの指定型の研究校が継続しているだけのところが圧倒的に多いのではないでしょうか。
すでに全国的には「指定校」になったときの「余分な予算」をあてにしている学校がいくつもあり、そういうところが万年研究校になっているのです。



コミュニティスクール構想は第2分科会のもっとも刺激的でもっとも建設的な提案だと思います。
はっきり言ってこれがなかったら、これまでの民間のシンクタンクの方がずっと創造的な内容を含んでいたと思います。

賛否両論に分かれるのは当然のことで、こういったアイデアが新聞やニュースになったことが重要なんです。


石原委員は教育長という看板が重すぎたのかもしれません。大海に一滴の公立コミュニティスクールにびびってしまうようでは、教育改革の最先端に立つ資格はないでしょう。
藤田委員は今の学校教育についての「結果保証」をまず説明してから同様の反対論理を展開すべきです。どう考えても東京大学教育学部の根強い「現状肯定論」にプッシュされての反対論としか聞こえてきません。弱き者たちの声を無視する傲慢な態度がちらっと見えてきます。