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2001.9.28 up

新しい課題

 2001年8月。わたしたちは3度目のサマースクール「夢キャン2001」を開校した。
 いままでのサマースクールは、いつも子どもを支援するスタッフの確保に苦労した。教員にとっては夏休み中だが、一般の人たちにとっては、平日は通常の勤務日だからだ。
 昨年から、不足分を補うかのように、学生の協力が増える。
 時間を自由に使える学生たちの参加は、サマースクールの運営に大きな役割を果たした。
 今回のサマースクールでも、連日スタッフの半数は学生だった。
 子どもの人数と等しいスタッフを連日確保できたことは、学びの計画を子どもが立てるわたしたちの教育方法では、とても理想的な環境を用意したことになる。そして、同時に、これだけ理想的な環境が用意されたことによって、わたしたちは新しい課題に直面した。
 それは、実際の湘南小学校ではこれだけの有給のスタッフは雇えないだろうということ。だから、子どもひとりにスタッフひとりのような環境から、湘南小学校につながるこどもとスタッフの姿が見えてくるのかどうかが疑問になった。
 そして、もう1つは、スタッフの意識レベルの違いから、スタッフどうし、あるいは親や子どもから、特定のスタッフへの不満や失望が生まれたことだ。
 湘南小学校のことが新聞やテレビでも知らされるようになり、新しい学校づくりに興味をもって参加してきてくれたスタッフがいた。いままで、初めて参加するスタッフといえば、これまで参加していた個人が知り合いを誘って呼んできてくれていた。しかし、わたしたちが積極的に声をかけるのではなく、意識のある個人のほうから、こちらにアクセスしてきてくれる人たちが現れるようになった。

広がりと深まり

 なにをやるかは子どもが決める。
 そのサポートをやってほしいという、わたしたちの願いに、これまでは知り合いに直接に話をする方法で、人集めをしていた。そのため、だれがどのように説明するかによって、集まってくれたメンバーの思い入れがずいぶん違うことがあった。こちらとしてはねひとりでも多くのスタッフを確保したかったので、意識の差は、活動を通して伝えることができればいいと思っていた。
 しかし、テレビや雑誌、あるいは書籍を通して、フリースクールのことを知った人は、だれかに誘われるわけではなく、自分の意志で、事務所に電話をしたり、メールを送ったりして応募してくる。このような人たちが登場することを、まったく予想していなかったわたしたちにとって、集まったすべてのスタッフの間に、意識の違いが見え隠れしてしまうことへの対応策は皆無だったのだ。
 子どものなかには、海やプールへ行くという計画を立てるものがいた。
 会場の外へ出て行く。この子どもにつきそうスタッフは、1日を会場の外で過ごさなければならない。湘南の八月上旬。照りつける太陽と、アスファルトでの反射熱。頭からも足元からも、暑さが襲ってくるなかで、外でのサポートは肉体的にきつい。しかし、数日間、いつも外での活動をサポートするスタッフがいた。
 そのスタッフが、会場ではなく、外でサポートするのを選んだ理由は、「湘南小学校のことがあまりよくわかっていないスタッフといっしょにいたくない」ということだった。すべてのスタッフのうち、半数近くは、子どもが会場近くでの活動を計画するため、会場に残る。知り合いに誘われて参加し、よく自分がなにをすればいいのかが、わかっていないスタッフは、どうしても会場に残りがちになる。そういう人たちといっしょにいたくないという理由なのだ。
 このような理由で、外での活動に積極的にサポートにつくスタッフはひとりではなかった。
 これらは、夢キャンの途中でというよりも、後半でわかってきたことだった。スタッフ間の意志の疎通と、考えのぶつけあいを、十分に確保できないまま、夢キャンは終わる。熱心に協力してくれたスタッフが、「なんのためにここに来ているのかわからないような人たちと、いっしょにやるのはもういやだ」という感想を、こっそり教えてくれた。
 意識レベルの違いは、互いに言葉を交えて調整すれば、わかりあえるものだと思う。しかし、それだけの時間を確保する余裕がなかったので、互いにわかりあえないまま、すれ違ってしまったのかもしれない。
 そこで、九月からのフリースクール「湘南小学校2001」では、実際の特別認可公立学校「湘南小学校」ではたらくスタッフの育成も活動のなかに含めることにする。

教えないわけではない

 完全に子どもが自分の発案で、どんなことを学習しようかと考えられるようになるには、時間がかかる。
 内容はどうであれ、「これをやる」と決められる子どもは、かなり自分で考えるという経験を積んでいる場合が多い。だから、湘南小学校のスタッフは、なにも教えないわけではない。とくに、初期段階では、なにをしようか迷っている子どものそばで、もっとも必要な言葉を、もっともよいタイミングで発する機会を狙っていなければならない。
 もっとも必要な言葉とは、子どものこころのなかでイメージはできていても、語彙の少なさや、経験の乏しさから、言語化されないときに、教える言葉のことだ。そして、もっともよいタイミングとは、放っておけばあきらめてしまうかもしれないと判断したときに、自分で考えようとしているという自尊心を傷つけないギリギリの瞬間のことだ。
 どちらも、子どものことをよく知っていなければできないワザだ。
 この二つのワザは、教えることが仕事だと大学の教員養成課程で指導され、自分もその通りだと納得して、教員になった人たちには、体得するのが難しい。
 相手がなにも知らないことを前提として、どうすれば新しいことや、難しいことを、分かりやすく教えることができるのかという視点しか抱いた経験がないと、相手によって、いくつもの言葉や、声かけのタイミングを変化させる発想へと転換しにくくなってしまう。たくさんの子どもたちに、同じことを、決まった時間に、効率よく、効果をあげようと努力することと、まったく異なる土俵が用意されているからだ。

スタッフ育成プログラム

 2001年9月から2002年3月まで開校する「湘南小学校2001」。
 月に一度(第二土曜日)のフリースクールでは、実際に特別認可公立学校としての湘南小学校が開校したときに、そこではたらくことになるスタッフの育成を、ひとつの目的にする。
 いままでのテストスクールでは、どちらかというと、湘南小学校の理論を実践する目的色が強かったが、これにあわせ、求められるスタッフの力量という課題が見えてきたのだ。
 そこで、実際の開校時に、湘南小学校に就職する意志のある人たちを、明確に確保する目的を湘南小学校2001では、具体的に育成していく必要に迫られてきたのだ。思えば、理想の学校像を模索し、実践の場を築き、ここまで到達するのに、とても時間を要した。そして、湘南小学校開校という、これまでの夢が現実味を帯びてきた証として、スタッフの育成が、創り出す会内外から取り沙汰されてきたのは、必然的な道筋だったのかもしれない。
 湘南小学校では、そこではたらくすべての人たちをスタッフと呼ぶ。
 ともに理想の教育を築き上げていくプロセスを共有し、その成果に責任をわかちあうという意味で、固有の代名詞で分けることなく、スタッフと総称する。仕事の内容で、スタッフは次のように分類される。
 おもに、スタッフの待遇や給与面にかかわる仕事を担当するのは、事務スタッフ。おもに、学校運営全体にかかわる仕事を担当するのは、運営スタッフ(これまで、本部スタッフと呼んできた)。そして、子どもの学びを支援する仕事を担当するのが、支援スタッフである。どの仕事も、重要なものであり、内容に違いはあっても、優劣を競うようなものではない。
 湘南小学校2001で育成を目的にするのは、このなかの支援スタッフである。また、本人の希望により、運営スタッフのノウハウを学びたいという人には、最初からそちらの仕事を覚えてもらおうとも考えている。

運営スタッフの育成

 運営スタッフは、全体の企画立案から、実践、総括までを担当し、万が一の事故などが発生したときの全責任を負う。そんなにたくさんの人数は必要ないが、確実にバトンタッチしていけるように、たえず次の運営スタッフを育てる体制が求められる。学校を運営するというのは、マネジメント(経営)の発想になるが、成果の構築が求められるチャータースクールでは、だれかが担当しなければいけないポジションであると思う。
 わたしは、当初、湘南小学校が開校したとき、そこではたらく一支援スタッフでいる自分を想像していた。しかし、実際のテストスクールやフリースクールで、本部を連続して担当するなかで、運営そのものの仕事にも、ノウハウとセンスが求められると感じるようになった。ひとりの子どもに、学びの計画から実行、プレゼンテーションまで、たっぷり寄りそう支援スタッフの仕事には、とても魅力があるのだが、それらをコーディネートしていく担当がいないと、学校じたいが成立しないのだ。
 運営スタッフの仕事は、フリースクールの企画立案から始まる。活動の全体を把握しなければ、運営などできないので、そのためには企画するところから、担当しなければならない。そのため、運営スタッフは、時間も労力も、ほかのスタッフよりも必要になってくる。極端な意味で、開校当日だけの参加でも対応できる支援スタッフとは、そこが大きく違う。
 なおかつ、運営スタッフは、開校日、受け付けと支援チーフとの連絡調整や、突然の来訪者との対応、参加している子どもの親からの質問への応対などで、直接に子どもの支援にまわることはなかなかできない。会場と外部の活動場所とを行ったり来たりしながら、子どもたちや支援スタッフの様子を把握しておくことも必要になる。あまり、子どもたちから顔も名前も覚えてもらえないかもしれない。それだけに、教育=子ども=支援という意識が強い人は、支援スタッフは向いているかもしれないが、運営スタッフとしては、あまりこちらからお願いすることはできない。

事務スタッフの役割

 事務スタッフは、運営スタッフによって企画立案された内容を着実に実行に移す具体的な実務を担当する。
 保険会社へ赴き、イベント保険に加入したり、公共施設を借りるために予約の電話を入れたりする。財務部と綿密な連絡を取り合い、実際に予算を執行する機会がとても多くなる。また、湘南小学校に雇われるかたちのスタッフについて、メンバーの把握を常時担当するのも事務スタッフの仕事だ。突然の来訪者や見学者に対して、臨機応変に対応する必要も出てくる。
 フリースクールでは、慢性的なメンバー不足から、当初は支援スタッフも兼ねていた。少しずつ、支援スタッフの人数が確保できるようになってきてからは、実務にだいぶ専念できるようになったと思う。
 湘南小学校の本開校以降は、行政職としての事務職員が、これらの仕事を担当することになる。その人たちに、円滑に仕事内容をバトンタッチするために、現在の事務スタッフが実務を体験しておくことは価値があるのではないだろうか。

支援スタッフの育成

 支援スタッフとは、子どもにもっとも近いところで、学びをサポートするスタッフのことだ。
 従来の学校では教員がこの役割を果たしている。湘南小学校では、おとなが一方的に教えることはないので、教員という名前はふさわしくないということで、支援スタッフと呼んでいる。
 「なにか協力できることはないだろうか」と、申し出てくれる人の多くは、イメージとして、この支援スタッフを念頭においている。いままで、実務や運営面での協力の申し出は皆無であることが、そのなによりもの証拠である。
 学校は、決して、子どもにもっとも近いところにいる人たちだけで機能しているわけではない。運営スタッフ、事務スタッフの企画と準備がなければなにも始まらない。しかし、やはりもっとも難しく、もっともやりがいがあるのは支援スタッフだと思う。湘南小学校の主人公は子どもである。その主人公を輝かす名脇役が支援スタッフだと思う。
 当初、わたしたちは学習内容を子どもたちが決める湘南小学校で、支援スタッフの位置付けに戸惑ったことがある。最初のサマースクール「テストマッチ」のミーティングでは、個別な子どもたちへの対応に、それぞれの思いが交錯して、支援スタッフのあるべき姿をつかみきれないでいた。
 子どもの意欲を削がないように、支援スタッフがしなければならないことは何だろうかという、素朴な疑問の答えが見つからなかったのだ。
「なにもしないということ」
ある人がこう言えば、べつの人が反論する。
「それでは、いなくても同じだよ」
 いなくても同じ存在ならば、支援とは言いがたい。そばにいるだけで子どもの気持ちが安定する存在と、いくなても同じ存在とは、根本的に異なるのではないかなど、議論は白熱した。
 結果から先に言えば、支援スタッフの役割については、これまでのすべてのフリースクールでいつも答えが見つからない議論に陥っている。それは、対象である子どもがたえず育ち続けているために、かつて有効だったことが、時間の経過とともに無効になってしまったり、反対に、あまり有効とは思えなかったアドバイスが、時間の経過とともに、とても有効に機能したりしているからだ。
 だから、支援スタッフとはこういうものだという、限定的な概念化をはかることは、あまり意味がないと、わたしはいまでは思っている。むしろ、安全面での気配りとか、子どもの基礎に応じて、思いの及ばない部分へのアドバイスをするといった、基本的な部分での共通認識を確認しあっていることのほうが多くなってきた。
 ただ、何をするにせよ、子どもがやっていることのスタートラインは、だれが引いたのかということだけは、忘れないようにしておくことが必要だ。
 いくら自分で計画を決めたとはいえ、子どもはそのことを長い時間やり続けるとは限らない。
 集中力が持続せず、休憩をとったり、もっとほかのことに興味が移ってしまったり、自分の計画自体に飽きてしまったりする。そんなとき、気分転換に付き合うことが支援スタッフとして必要なことなのか、その子どもの計画に気持ちが戻るように仕向けることが必要なのか、2001年のサマースクールではミーティングでだいぶ話題になった。その悩みは、高校生や大学生といった、熱意のある若いスタッフの間から多く出されたと思う。
 スタッフのなかには、そのままべつの活動に誘導する者もいた。それはおかしいと感じる者もいた。その意識のズレを調整することが必要なのか、考え方の違いを尊重することが大事なのかは、湘南小学校の本開校後も議論となるところだろう。
 ただし、子どもは明らかにスタッフによって対応が異なることを感じているだろう。だから、どのようなタイプのスタッフを子どもが望むかという視点を設けておくことも必要だと思う。それは、子どもによって、それぞれに自分のぴったりあうタイプのスタッフがいるからだ。
 これは、機械的に学級担任が配置されているいまの学校では、見落とされている観点だが、子どもと教育者との距離というのは、互いに求めあう引力があればあるほど、その教育的効果が高まることを、わたしたちはフリースクールで、子どもたちから教えられている。
 1999年にフリースクールを始めたころ、わたしたちは人員の少なさから、すべてのメンバーがあらゆるスタッフの仕事を担当していた。それぞれが運営面、事務面、支援面でかかわりをもっていた。少しずつ、わたしたちの活動が多くの人たちに知られるようになり、フリースクールへの協力者が増えるにつれて、少しずつそれぞれの役割が分化してきた。
 だから、最初からのメンバーは、すべての仕事内容を経験しているので、自分のがどのポジションになったとしても、全体像を把握することができている。しかし、役割の分化に伴って、後半から協力を申し出てくれたメンバーは、ほとんどの場合、支援スタッフの仕事だけを担当しているので、なかなか全体像は見えにくくなっていると思う。
 そのことは一長一短があると思うが、いまのわたしはうれしい悲鳴と感じている。専門的にひとつのことにかかわれば、当然、細かい仕事のノウハウが見えてくるはずであり、疑問点や改善点も、より具体的になってくる。そういう意味で、後半から協力を申し出てくれた人たちが、子どもたちの支援を担当するなかで感じたことや、疑問に思ったこと、改善の意見などは、とても意義のあるものが多い。
 「一口に子どもといっても、いろいろな子どもがいて、同じアドバイスをするにしても、この子どもとあの子どもとでは、声のかけ方を変えていかなければならないと感じた。そのためには、それぞれの子どもの個人情報をスタッフ間で共有しておく必要があるのではないか」
2001年のサマースクールでは、ミーティングでこのような意見が出た。
 これは、子どもを知るという意味でとても重要な意見である。機械的なアドバイスは、個別の子どもには届かない。同じ内容を伝えるにも、それぞれの子どもの学びのスタイル(時間・場所・道具)を熟知し、家庭環境や、学校での様子などを、事前情報として知っておくことは、支援する側のレディネス(予備知識)として、必要な情報である。
 そのことを了解した上で、わたしたちは、あえてフリースクール段階での支援スタッフには
「その子どもの過去を問わない。いま目の前にいる子どもからすべての情報を読み取り、そこから物事を考えられる支援をお願いします」
と応じている。
 子どものさまざまな情報は、ときとして、支援するときの先入観として固定し、変わろうとしている子どもの育ちを阻んでしまう危険性がある。以前は、すぐにつめを噛んでいたかもしれないが、いまもそうかというと、わからない。それはともに時間を共有するなかで、当事者であるスタッフが読み取っていくしかできないことだからだ。また、わたしたちを信頼して子どもを参加させてくれている親たちに対して、わりとその日だけの協力が多い支援スタッフに、むやみに子どもの情報を提供してしまうことは信義に反する気もする。
 湘南小学校が本開校したら、当然のこととして、そこで働くオールスタッフは、在籍するすべての子どもの情報を共有することになるだろう。だから、先述の意見は、フリースクール段階の湘南小学校には必ずしも適用しにくいかもしれないが、本開校の湘南小学校では忘れてはならないものである。
 「自分の計画したことを、ほぼ完了してしまった子どもといると、その次の活動をどう示唆していいのか困ってしまった」
若い学生が支援スタッフとして参加してくれたとき、遠方まで行くという計画の子どもについた。その子どもの目的は、お昼頃には達成されてしまった。子どもは、目的を失い「次に、なにをすればいいの」と尋ねてきたという。
 子どもの多くは、自分で計画を立てても、その時間配分まで計算していることは少ない。そのため、一日の終わりになっても目的が達成せず、翌日回しになることもある。反対に、このスタッフからの報告のように、予想以上に早く終わってしまう場合もある。
 そのとき、さらに発展性のあるアドバイスを与えるべきか、もっとべつのことを考えるように仕向けるべきか、あくまでも自分で答えを出すのを待つべきか、迷ってしまったのだと思う。
 結論から先に言えば、このような場面に遭遇しても、ただひとつの明確な答えはない。
 なぜならば、フリースクールの場合は、時間が限られていて、いつまでも湘南小学校の日常が延長されているわけではないので、計画段階で、ゆったりと時間配分や計画の発展性までを考慮したプログラムづくりまで行っていないからだ。
 しかし、本開校の湘南小学校では、約一週間をかけて計画作りを行う。そのため、時間配分や、それぞれの子どもの計画の発展性について、スタッフ間でかなり綿密にミーティングを重ねることになるだろう。それらスタッフとしての事前準備が、目の前の子どもが遭遇するだろう場面を乗り越えていくヒントになるのではないだろうか。
 学びの継続性と発展性は、湘南小学校の大きな課題である。行き当たりばったりの学習内容では、いつか子どもはネタに尽きてしまうだろう。行き当たりばったりに見える内容は、ていねいに区別しながら、本当にその場限りの計画の連続が見られる場合、もしかしたらスタッフ側から、示唆的な計画変更の声かけが行われることになるのかもしれない。
 学びのスタートラインを子どもが引く。「用意、どん」と同時に、歩き出す子どももいれば、走り出す子どももいるだろう。その場に立ち尽くし、しばらく考え込む子どももいるかもしれない。だれが早くゴールにたどりつくかは問題ではない。
 なぜなら、スタートラインは同じでも、ゴールラインはそれぞれによって異なるからだ。
 湘南小学校の支援スタッフは、子どもの歩むコースを伴走し、水を補給したり、ピッチタイムを知らせたり、体調を管理したりするコーチの役割に似ている。どんなに子どもが自分のレースに飽きてしまったと言っても、最後にゴールラインを切るまでは、その間の出来事はすべてプロセスとしてとらえなくてはいけないだろう。
 飽きた子どもに、休憩する子どもに、別メニューの遊びやおしゃべりで応じても、それはやがて子どもが自分の計画したなかみをゴールまでたどりつくための英気を養うプロセスとしての意味をもたなければ、湘南小学校の教育は成立しない。「椅子取りをしよう」「かくれんぼはどう」「トランプがあるよ」という投げかけは、子どもの歩むコースからわき道へと誘う一時の休憩の方法として意図的に行われる必要があると思う。

雇用関係

 やがて、湘南小学校が本開校したとき、そこではたらくスタッフは、だれとどのような雇用関係を結ぶのか。
 この質問は、いまの段階ではとても答えにくい。なぜならば、日本国内の公立学校は、すべて単一の雇用関係が成立していて、そのままの方法で、特別認可公立学校でも雇用関係が適用されるとは考えにくいからだ。そこで、どうしても、いくつかのパターンのなかからという説明になってしまう。
 ひとつは、いまの公立学校の雇用関係とまったく同じ関係が適用されること。二つ目は、いわゆる私立学校のように学校独自の理事会が雇用の権限を所有すること。かりに、前者を「従来型」、後者を「私立型」と呼ぶことにする。
 従来型の場合、日本独自の公立学校教職員の雇用関係がそのまま適用される。教員免許を取得し、都道府県が実施した教員採用試験に合格した人たちは、正採用として配属される。この場合、雇用主は都道府県であり、給与の支払い義務は都道府県になる。日本の場合、独自といったのは、実際には、正採用の給与は、国と都道府県が折半して払っているので、公立学校の正採用教職員は、給与の受け取りという側面から言えば、国家公務員と地方公務員の両方の立場になっている。教育公務員特例法という法律が、これを認めている。
 さらに、公立学校には、市町村の職員も働いている。事務員(一部)、栄養士、技能員、調理員が、これに該当する。この人たちは、市町村と雇用関係が成立しているので、給与は市町村から支払われている。また、教員免許は取得しているが、教員採用試験に合格していない人たちは、非常勤講師とか臨時任用職員として、都道府県の独自措置として働いている。この人たちは、純粋に都道府県に期間を限定して雇われているので、給与の全額を都道府県から得ている。また、市町村の独自措置として、障害をもつ子どもへの介助を職務とする介助員は、市町村に雇われているので、給与は市町村から支払われている。
 このように、従来型の場合、そこで働く人たちは、同じ学校に勤務しながら、市町村、都道府県、都道府県と国という、三種類のべつべつの雇用主に雇われ、給与を得ている。そのため、昇給の給料表は別々であり、年齢や経験年数は同じであっても、雇用主の違いによって、給与が異なっている。さらに、服務規定も異なり、完全週休二日制の地方公務員である、市町村職員と都道府県職員は、土曜日は休務日で賃金は支払われない。これに対して、都道府県と国に雇われている教育公務員は例外措置として、2002年3月までは、土曜日も有給の勤務日になっている。
 従来型の公立学校は、市町村が建てた学校という施設に、三つの雇用主体から出向している人たちによって運営されていると考えるとわかりやすい。にもかかわらず、それぞれの学校には、運営を推進する中心組織も、独自の予算執行権もない。それらはすべて教育委員会からの指導と監督によらなければならない。
 はたして、特別認可公立学校としての湘南小学校が、このような従来型の雇用関係によって勤務する人たちによって、本当に成果をあげるのかは、とても疑問である。雇用主体が違うということは、ある明確な目的をもった学校創造を目指そうという人たちが、それぞれの雇用主体に、同時に存在するという前提に立たなければ成功しない。昨今、文部科学省が話題にするコミュニティスクールは、限りなく従来型の雇用関係を前提にしているように思えるのだが、雇用された人たちに、共有する理念と、新しい教育を創造していくんだという強い意欲が、生まれるのかどうかが、わたしには不透明である。
 ただし、アメリカ・ウイスコンシン州のチャータースクール法では、従来の公立学校からの転換を「従属型」として明記していて、教育の効果があがらなかった場合には、閉校ではなく、従来の公立学校に戻ることができるようになっている。少なくとも、湘南小学校は、いまはまだない学校なので、この従属型になることは不可能だが、すでにある公立学校がチャータースクールになる道筋を認めている法律があるのは確かなことだ。そして、その場合の教職員の給与や服務規定は、従来の場合とまったく変わらない。日本で、従来型の特別認可公立学校が誕生していくとしたら、その実績はとても参考になるだろう。
 これに対して、まったく新しいところから市民による公立学校を設立するのが、私立型である。私立型の場合、開校に先立ち、学校を運営する法人組織を結成しなければならない。アメリカにおける市民が設立したチャータースクールのほぼすべてがこの方法を選択している。法人には、理事会があり、そこが教職員の待遇から給与、採用、解雇まで、一切の権限を有する。予算は、公費が投入されるので、法人組織でありながら、私立学校とは範疇が異なる。
 私立型の場合、すべての年間予算が、法人に支払われる。そのため、理事会は、その予算をどのように使うかという権限をもつ。このことは、同時に、その学校の教職員を雇用し、あるいは解雇する権限を有する意味をもつ。だから、特別認可公立学校を設置するにあたっての法律に抵触しない限り、採用者の条件はそれぞれの学校の理事会が決定することができる。しかし、私立型の場合、教育の成果があがらず特別認可の取り消しが命令された場合、そこに勤務していたすべての人たちが失職するという大きなリスクも負っている。
 アメリカで初めてチャータースクール法を可決したミネソタ州の場合、私立型であっても、公立学校に勤務していた者は、チャータースクールで働く期間、年金や保険の支払いをそれまでと同じようにすることが法律で認められている。さらに、閉校の後は、以前勤務していた公立学校に復職する権利も認めている。わざわざ、教員採用試験を再受験しなくてもすむわけだ。

教育を通して市民社会を

 従来型であれ、私立型であれ、いままでにない特別な内容が実施できる公立学校が開校できたら、そこで働くことは、そんなに大差はないかもしれない。
 従来型の場合、自分は勤務するつもりはなくても、こんな学校があったらいいという市民が多いならば、開校の実現可能性はとても高くなる。また、自分が理想とする学校を創りたいという人たちにとっては、私立学校を創るほどの経済的な負担をしないで、私立型の公立学校を開校できることになる。
 つまり、市民の声が、教育に反映するだけでなく、市民自らが、教育の主人公になるチャンスが誕生するわけだ。教育は、民主主義が徹底していない社会では、国策の道具として使われてきた。しかし、過去の戦争の経験から、二度と再び戦禍をもたらしてはいけないと自覚している国々の人たちにとっての教育は、まさに民主主義を創造し、体現していく、ステージとしての意味をもつ。全国で、失敗や成功の歓声がこだまするなか、わたしたちは湘南という一地方で、細々と、そしてだれよりも熱く、子どもたちのあしたを見つめ、未来を築く教育を実践していきたいと思っている。(完)

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