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第三章 自発的な学びのために

ニ節 支援者のネットワーク


 ここまでは、「教師」という言葉を湘南小学校で子どもたちの学びを支援する人たち全般を指した意味で使ってきました。
 しかし、この節ではあえて、これを狭い意味の教師という言葉として使います。それは、給料を受けとって経済的に支えられている職業人としての教師ではない人たちが、湘南小学校にどのようにかかわるべきかを明確にするためです。


 まず考えられる支援者は次の三様に大別されます。
l 定期的な仕事をしている人。
l フリーで仕事をしている人。
l 仕事をしていない人。


 この分け方の観点は「時間の確保」です。
 定期的な仕事をしている人は、職業上、拘束時間がはっきりしている人たちです。そのため、湘南小学校の教育にかかわるとしたら、平日ならば夕方以降、あるいは休日という関わり方になります。また行事などのある日は現段階では休暇をとっての参加ということになります。将来的にこのようなボランティアのあり方が社会的に認められ、休暇ではなく「教育ボランティア研修」のようなかたちで「仕事を休まずに」参加できるようになればと思っています。 
 フリーで仕事をしている人は、定期的な仕事をしている人よりも時間的には都合がつく場合が多いと思いますが、だからといって全面的に関わることは難しいかと思います。またフリーであるために、湘南小学校にかかわっている間の経済的な保証はどこからも得られないというリスクもあります。もしも、これらの人たちに、たとえ教員免許をもっていなくても「臨時採用」としての資格が認められれば、経済的な支援が得られるわけで、そのような制度上の要求は必要になってきます。
 そして、仕事をしていない人については、かなり日常的な支援が期待できるのではないかと思います。ただしこの場合の「仕事をしていない」というのは内訳として「配偶者が有職である場合」と「学生のように無職である場合」と「失業している場合」になるでしょう。学生の場合は学校に通う時間の合間をぬっての支援というかたちになり、全面的な協力を期待するのは困難になります。また失業している場合はその人の生活を保障できる根拠がないので、実際にはこれも困難だと思います。やはり「配偶者が有職の場合」の人が条件としてはもっともよいのではないかと思います。


 このように大別するのは決して支援しようと思っている人たちを区別する意図があるからではなく、それぞれの立場によって「支援のあり方」が変わらざるを得ないのではないかと思うからです。


 ただ明らかなのは、湘南小学校では学校教育に協力していただく支援者を必ずしも「保護者であるから」「地域住民であるから」という基準にはしません。結果的にそのような人たちが入ってくることもあるでしょうが、この基準が条件ではないということが大事なのです。


 湘南小学校は特別に認可された内容を含む学校であり、さらにその学校を選んできた子どもたちが学習する学校です。だから、学校周辺に住んでいるからという理由だけで、さまざまなお願いをするのは筋違いだと思いますし、子どもが通っているから全面的な支援を保護者に求めるのは過剰な要求だと感じるからです。


 それではそのような支援が本当に特別認可とはいえ、公立学校に対して期待できるのかという疑問がわくでしょう。
 このことについては、わたしは一九九七年から立ち上げた「湘南に新しい公立学校を創り出す会」での学校開設運動を通じて十分な手応えを感じています。
 「創る会」のメンバーは当初は教員が多かったのですが、一年もしないうちに、そのほかの人たちが多く関わるようになりました。そして非営利特別活動法人の認証を得るに当たっては、発案から準備そして認証の取得まで、そのことを提唱した人が担当しました。この人は教員ではありません。法人化以降はふたりの代表のうち、ひとりは民間に勤めていますし、法人の監査役も教員ではありません。活動を続けていく中で、「教員であること」「教員でないこと」はあまり大きな違いではないということに気づかされたのです。
 サマースクールのミーティングで支援のあり方や子どもたちの様子について検討するときも、教員免許をもっている・もっていないには関係のない議論が行われました。このことは、教育は具体的な実践の中で、そのことに関係した人たちによって、建設的に営まれるということの証だったのではないかと思います。


 学校教育は教育関係者の特権事項のように長いこと思われてきました。このことを見つめ直し、新しい教師像を築き上げていくことも湘南小学校の課題なのです。


 湘南小学校で働く教職員と、これを支援する人たちを区別する境界線は、子どもたちの学びという点でとらえればほとんどなくなっていくことでしょう。
 そこでこれらの人たちをまとめて「スタッフ」という呼び方にしたとします。
 スタッフは「湘南小学校のビジョンを理解し、これに賛同している」「はじめから完成した理想像をなぞるのではなく、日々の実践の中から新しい教育のあり方を築いていくという意識をもっている」ことが必要です。この気持ちさえあれば、教職員であろうと支援者であろうと区別はされません。


 それでも、支援者がやりやすい環境をつくっていくことは必要です。
 そこで、すでに国内でも始まっている「循環型の社会形成」として話題の集まっている「エコマネー」などを使うことができたら有効なのではないかと思います。
 エコマネーとは、人々が何らかのボランティア活動を行ったときに、その主催者や恩恵を受けた人たちが、ボランティアをした人たちにに対して「支払う」チケットのことです。このチケットは換金することはできません。
 換金することはできないので、ため込んでもあまり意味はありません。
 その代わり、エコマネーは「別の機会」に使うことができます。
 別の機会は、エコマネーを発行している団体によって異なります。


 ここでは湘南小学校ではという仮定の話を具体例にします。
 一ヶ月に時間にして合計で十時間、支援してくれた人に、湘南小学校が一律に「一単位」のエコマネーを渡したとします。単位はそれぞれで考えればいいのですが、ここではああえふれずに「単位」とだけ表記します。
 二十時間の人は「二単位」のエコマネーを手にします。


 はじめの段階では、このエコマネーは狭い範囲で流通することでしょう。たとえば湘南小学校の学習の成果発表会(プレゼンテーション)の最前列特等席を五単位のエコマネーと交換するなどのように。また子どもの中にソフトクリームを作って販売する子どもがいたとき、一般にはひとつ百円で売っても、エコマネーをもっている人には一割引になるなどです。
 つまり、「無償の奉仕」ととらえられやすいボランティア活動を、より多くの人たちの善意が気軽に集まりやすい状況を作るのがエコマネーの効果です。「何ものも期待せず、何ものも得ないで、だれかのためになる」というのはすばらしいことですが、その理想の高さゆえに後込みをしてしまう人も多いのではないでしょうか。そういった人たちが、「学校の玄関を一週間掃除したら一単位のエコマネーになる」と知ったら、「後込みをせず」それでいて「ちゃんと」活動しようと思うのではないでしょうか。


 このエコマネーをさらに、狭い範囲からより広い範囲でも使えるようにしていくのが「LETS・レッツ」と呼ばれる仕組みです。これは「地域・ローカル」「通貨・エクスチェンジ」「交換・トレーディング」「制度・システム」の略語です。
 湘南小学校で発行したエコマネーで、子どもを一定時間面倒見てくれる保育が実現したり、畑で収穫した大根のうち形が悪いだけで小売りに出せないものが買えたり、学校の枠だけにとどまらない「循環型の社会」が形成されていくのです。
 エコマネーは換金できないこと、そして貯めても利子がつかないことという条件が守られれば、エコマネーは人と人との間に「使われなければ」ただの紙屑でしかありません。だからこそ、人の行いを誘発するために「使われることにより」価値が生まれていくことになります。


 こういった循環型社会の形成は決して広域なものにはなり得ません。
 だからこそ、「小さな社会」があちらこちらにいくつもできていくことが可能なのです。そして将来的に、それら「小さな社会」をつなぐネットワークが形成されれば全体として大きなものになるのではないでしょうか。
 ただしここでいう「広域」とは、必ずしも住環境の「面積」を指しているのではないことをご理解ください。
 考え方の似た人たちが、さまざまな情報手段を使ってコミュニティを形成していくことを指しているのであって、自治会や子ども会のような住環境ときわめて一体化した「社会」に新たに参入しようというものではありません。


 湘南小学校への支援者をこのようにして築いていくことにより、湘南小学校は必然的に「外の声」を内包していくことになります。そのことは、学校内では気づかなかったことを外に向けて発信していくときの大きな手助けなるでしょう。
 たとえば、選択の学校である湘南小学校は秋口に翌年度の新入生募集のための説明会を開きます。それは学校版インフォームドコンセプトになるのですが。
 このとき、説明する側の中でマイクを握る人は必ずしも「教職員」ではないかもしれない可能性を示唆しています。支援者として学校づくりの中心的な役割を担う人がいたならば、当然その人が学校のビジョンを訴えていくのはとても自然な姿だと思います。


 それではいったい「だれが」支援者なのかということをどうやって情報管理するのかということを考えます。
 このことは「その日に」「突然やってきた」人が支援者にはなりにくいと思うからです。
 実際には「登録制度」を設けることになるでしょう。
 またそうやって得られた登録情報は一元的に管理し、情報漏れがないように細心の注意を払う必要が生じます。それでいて、綿密な連絡の交換が必要なことが考えられるので、携帯電話の番号やEメールのアドレスなど、とても個人的な情報まで入手する必要があるかもしれません。