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卒業まで一ヶ月(2013.12.27)

 小学校の卒業式まで約1ヶ月になった。

 わたしは小学校の特別支援学級に勤務している。

 特別支援教育では、こどもひとりひとりのニーズにあった教育が求められている。できないことを押しつけるのではなく、できそうなことをより引き延ばす教育が必要なのだ。
 だから、教師と保護者がこどもの状態を話し合い、何がいまできそうなことなのか、それは将来にどうつながっていくのかを検討していく。

 そして、学年制がない。

 通常学級や養護学校では、学齢と呼ばれる学校独特の年齢区切りで学年集団を形成する。
 その年の4月2日生まれから、翌年の4月1日生まれまでが同じ学年になる。会計年度と似ているが1日だけずれている。理由があったはずだが忘れてしまった。

 しかし、特別支援学級には学齢の区切りはない。
 在籍するこどもは6才から12才まで、小学校に在籍する年齢すべてのこどもがいる。
 6才も年齢が異なると集団としてのまとまりよりも、家族や兄弟姉妹と似た集団が育っていく。必然的に年上の者が年下の者を大事にしていくのだ。
 そうはいっても、支援級のこどもはそれぞれに特徴があるので、一概に上級生が世話をして集団を引っ張るとは言い切れない。その年次によって集団の質は異なってくる。

 ことしの卒業生は2人いる。
 わたしはこの2人が入級(支援学級に入ること)したときから担任をしている。同じ時期にもう一人入級したので、このこどもたちの同期は3人だった。
 ひとりは5年生になるときに、支援学級から通常学級へ移動した。正式には「転籍」という。保護者の要請と本人の成長を総合的に判断して、市の就学支援委員会が了承し、転籍が可能になった。
 残った2人はそのまま支援学級で、来月の卒業の日を迎えようとしている。
 2人とも性格はとても穏やかで、とても仲がよい。以前は近所に住んでいたので、放課後にいっしょに遊んだこともあった。
 互いの親どうしも顔つながりがあり、休みの日にはいっしょに出かけることもあった。

 いま教室の廊下には、2人が入級したときからいままでの写真をパソコンでプリントアウトして掲示してある。
 小学校の6年間は、成人を過ぎてからの6年間と異なる。とくにからだの成長は目を見張る。身長は伸びる。体つきがしまっていく。表情が大人びる。
 あらためて写真で変化を比べると、とてもよくわかってくるのだ。

 小学校の特別支援学級を卒業するこどもの進路は3つある。

 中学校の通常学級への転籍。中学校の特別支援学級への進学。養護学校(特別支援学校)中等部への転籍。

 日本の初等教育では、同じカテゴリーの学校間移動は「転校」「進学」と呼ぶ。
 小学校の通常学級から中学校の通常学級へ卒業して入学するのは「進学」になる。
 同じように小学校の特別支援学級から中学校の特別支援学級へ卒業して入学するのも「進学」になる。
 しかし、小学校の特別支援学級から、中学校の通常学級や養護学校の中等部へ卒業して入学するのは、カテゴリーが変わるので「転籍」と呼ぶ。

 転籍するには、保護者の願いだけではかなわない。
 転籍が妥当かどうかを判断する教育委員会内の専門機関(多くは就学支援委員会と呼ぶ)で議論検討し、最終結果を待つ必要がある。
 実際には、小学校の特別支援学級から中学校の通常学級へ転籍するこどもはあまりいない。わたしの教員経験では担当したことはない。

 反対に小学校の特別支援学級から養護学校中等部へ転籍するこどもはいる。こどもの状態や、高校進学を考えたときに、受験が必要な普通高校を目指すよりも、高等部を併設している養護学校への転籍を保護者が望むのだ。
 神奈川県では、養護学校の絶対数が少ないので、養護学校への入学には療育手帳と呼ばれる障がい者手帳のランクが上位の者しか入れない。
 つまり希望はしても、あまり障がいの程度が重くない場合は、養護学校には入れないのだ。
 だから、小学校の特別支援学級を卒業するということは、その後の中学校や高校までも視野に入れないと決められないことなのだ。

 いま神奈川県では県立高校のうち3校が、中学校のときに不登校だったこども・学力が著しく低かったこども・何らかの発達障がいが認められるこどもたちに特化した高校を開校している。もちろん入試があるので定員を超えている場合は、入学できないこともある。
 そのほかには、養護学校が分室という形態で普通科の高校に部屋を設けて、療育手帳の下位のこどもたちを受け入れている。養護学校には入れないが、分室という異なる教育課程での学習を保障しようということだ。これはとても定員が少ないので競争率が高い。
 わずかだが、中学校の特別支援学級へ進学した場合の進路は開かれているが、まだまだ保護者が安心して高校卒業後の就労へつながる道筋はできていない。

 本来は、様々な価値観・タイプ・能力のこどもたちが同じクラスで生活し、学ぶことが望ましい。それを一つの尺度で評価しないで、多くの専門スタッフが常駐し、一人一人にあった教育を展開していくべきだ。国連では10年以上前に世界各国にそういう教育機会(統合教育・インクルージョン)を推奨するサマランカ宣言を発表している。しかし、教育後進国の日本では、その宣言の理想の姿にはまったく近づいていない。

 なぜだろうか。


この文章はway6904.2/24/2013-6905.3/2/2013で紹介しました。

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