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仮設校舎の1学期

2010年の1月から3月は、校舎の老朽化に伴う完全改築工事に備えて、校庭に建設された仮設校舎(いわゆるプレハブ)への引越し作業に追われた。


いつもなら、年度末の感慨にひたる3月の終わりは、一番引越し作業が忙しい時期だった。
だから、7月20日に1学期が終わったとき、1月から始まった一連の引越し作業にかかわる仕事に一区切りがついた気持ちになった。


校長や教頭は、ことあるごとに仮設校舎を「新校舎」と呼ぶ。
新校舎とは、旧校舎に対して使われる表現だ。いまわたしたちが生活している建物は、新校舎が完成するまでの仮の住まいのはず。なぜあえて仮設校舎を新校舎と呼ぶのか、さっぱりわからない。
「じゃ、2年後にできる新しい校舎は何て呼ぶの?」聞いてみる気持ちも起こらない。


今回の校舎改築工事は、藤沢市では「最後の本格的な改築工事」とささやかれている。
建設にかかわる当初予算だけで20億円を超えている。今後、それだけの予算をつぎ込んだ校舎改築を実施するほど、税収が見込めないのだ。
老朽化して、耐震基準を満たさない校舎は、今後、窓枠に鋼鉄をななめにはめて見栄えの悪い改修をすることになるのだろう。
なぜ、いまわたしが勤務しているH小学校だけ20億円以上もの予算がつぎ込まれるのか。ちまたでは、いまの市長が卒業した小学校だからという噂がまことしやかに流れている。真相はいかに。


夏休みに入ったので、過ぎた4ヶ月を振り返り、少しずつここに仮設校舎での1学期を記してゆく。
それには、たった一つの意味しかない。
特別支援学級がある小学校の校舎改築工事。おそらくそういうことに何も配慮しないひとたちが計画し、実行しているのだろう。どれだけ、こどもたちが我慢し、工夫し、乗り越えたかを記しておきたいのだ。


プレハブ校舎は、想像以上に震動がや音がうるさかった。
聴覚過敏といって、少しの音にも敏感に反応するこどもが在籍する特学(特別支援学級)では、毎日の震動と騒音に苦しめられた。
放送機器関係の配線が画一的すぎて、特学に関係のない放送が流れ、そのたびにこどもたちは混乱した。教室のボリュームで消音できないおんぼろ設計だったのだ。


4月8日
給食が始まる。今年度から藤沢市全域で、牛乳パックの返却方法が変わった。これまでは空になった紙パックをたたんで出していた。それを今年度からはいちいち開いて水で洗う。一昼夜乾かして翌日返却する。紙パックのなかには微妙に牛乳が残っているので、開いたときに、なかの牛乳が床や服に飛び散ることを、返却方法を一方的に変更した担当者は知らない。よりによって、仮設住まいで給食が自校からセンター方式に変わっててんやわんやというときに、牛乳パックの処理に追われるとは。特学では、こどもが作業するには限界があるので、多くはおとなたち(教員や介助員)がかわりにやらざるを得ない。
前日の夕刻に、特学の教員が交通事故に遭う。足をけがして、療養休暇に入った。1学期が始まってまだ3日。すぐには代替教員が決まらない。動きが取れないなかで、休暇の教員が担当している4人のこどもの支援体制を計画しなければならなくなった。


4月14日
1年Yに関して、市役所とデイサービスから問合せが続く。担当教員はNだが、松沢神奈川県知事の方針で今年度から特学の特別加配(神奈川県独自の教員配置・法律の定数よりも手厚い)が減らされたので、Nは午前中で帰ってしまう。担当以外の者たちで放課後に対応し、翌朝に事情を説明する状態になる。そもそもなぜ1年Yに関して、市役所が関心を抱くのかが不明だった(後に判明する)。


4月15日
わたしが担当している5年Sが、学校から部屋の鍵を大量に持ち帰っていたことが判明した。プレハブはどのドアもサッシドアだ。設置されたときに、業者が鍵を鍵穴の近くにテープで留めていった。本来なら、建物の設置管理者(校長)本人か、その命を受けた者が開校までに、それらを撤去し整理しておかなければいけなかった。5年Sは、休み時間になると「学校探検に行ってきます」と声高らかに出かけていた。そのたびに、ポケットに鍵を詰め込んでいたらしい。


4月19日
特学は1階だ。その真上が図書室になる。早朝、登校したこどもが図書室で鬼ごっこをしていた。図書室を管理する部署が、授業時間以外の図書室を開放状態にしていたのが原因。おかげで、階下の特学では朝からドタバタと震動と騒音に悩まされる。職員の打合せで事情を説明し、図書管理担当者が善処することになった。


4月26日
この週は29日(木)の昭和の日以外は、前日、どこかの学年の遠足が予定されていた。学校行事を計画するのは教頭の仕事。26日:4年。27日:3年。28日:2年。30日:5年。こういう計画をする教頭は、特学の経験がない。特学は交流学年の行事にはなるべく参加させる。そのため、遠足にはおとなが必ず引率する。人数が多いときは、教員を2人つける。問題は、学校に残る方だ。遠足に教員をつけるとき、その補充として、介助員さんに来ていただく。あるいは通常よりも多くの時間の勤務をお願いする。しかし、遠足は水物。雨が降ると延期になる。介助員さんの来ていただいても、雨で遠足が延期になると、通常よりもおとなが多い状態になってしまう。一週間ぶち抜きで遠足が計画されていると、特学は毎日落ち着くことができない。


5月12日
職員の打ち合わせでトイレの報告あり。男子トイレも女子トイレもA棟2階のトイレが水があふれる。理由は不明だが、トイレに水を送る管がずれてしまい、それぞれの便器で少しずつ漏れたのが集まったらしい。排水が流れたのかと思ったが、上水だったので一安心。プレハブは立て付けが悪いので、ネジで固定してあるものは時間とともにずれると思っていた。2階のトイレがあふれたので、その下にある1階のトイレは天井から水がぽたぽたとしたたっているという。立て付けが悪いといえば、特学の教室のドアのいくつかは、1学期の終わりにはほとんど開閉できないほど、上のレールと下のレールがずれてしまった。


5月24日
出勤すると職員室のコピー機がオンになったままだった。決まりでは最後に帰るひとがスイッチを切ることになっている。プレハブだからという理由ではない。最近は、教員が不足しているのか、神奈川県は多くの小学校教員を採用している。藤沢市でも5年間ぐらい連続で、各小学校に2人ずつ配置している。そのため、全部で30人ぐらいしかいない教員のうち半分近くを20歳代の教員が占めるようになった。このひとたちはまだ経験が浅いので、仕事の要領が悪い。5時の退庁時間から仕事を始める者もいる。帰りが午後11時というのもザラみたいだ。そういうひとたちが、コピー機のスイッチを切るのを忘れたのだろう。
同じ日に管理棟のA棟から、特学教室のあるB棟に行くと、廊下の電話が鳴り続けていた。旧校舎の電話機を持ってきて、プレハブにつけた。旧校舎の電話機はどれもものすごい年代物で、しょっちゅう故障していた。プレハブに移しても、電話機の不調は変わらない。修理の仕方を知らないわたしは、電源コードを元から抜いておく。しばらくするとその電話は撤去されていた。


5月28日
プレハブは壁も骨材も鉄なので日光によって熱を持ち、室内が異常なほど高温になる。だから、どの部屋にもサンヨーの業務用エアコンが設置されている。騒音と震動で苦しんでいたが、この業務用エアコンだけはとても便利だ。何しろスイッチをつけたとたんに冷気が部屋に広がるすぐれものなのだ。そのエアコンの室外機が校舎の周囲にずらっと並ぶ。校庭がないので、休み時間になるとこどもたちはからだを動かして遊ぶ場所がない。この日、休み時間に特学の教室から窓外を眺めていた介助員さんが、室外機の上を伝い歩きする低学年のこどもを発見した。


6月8日
旧校舎の解体が本格的になる。重機で鉄筋コンクリートの建物を崩して行く。埃や砂、コンクリートの粉が舞うのを防ぐために、消防用の太いホースで散水する作業員が数箇所に立つ。そのなかで3階の建物に命綱をつけて作業していたひとが、重機に引っかかり落下する事故発生。パトカー、救急車、消防車が集まり、工事現場は騒然となる。特学室内も、当然、騒然となる。


6月18日
3.4校時に水泳実施。特学は、1年生と2年生の水泳枠の時間帯にいっしょに入水している。水泳の目標が「水遊び」なので、ともに同じことを目標にしているからだ。しかし、最近は低学年でも「息継ぎ」や「バタ足」などの泳ぎにつながるなかみを指導することもあるので、同じ時間枠を使っても、コースロープを張って、別々のメニューにしている。この日の抱き合わせは1年生だった。好天で、気持ちいい。なのに1年生は水泳学習中止。なんと水着に着替える練習だとか。きょうじゃなくてもいいだろうに。放課後は、15:00から個別指導計画の検討最終回。1時間でSさん担当の4人分を終わらせた。16:00から、学習支援相談センターのIさんと教育委員会のMさん来校。春に転校してきたAについて情報を提供してくれた。保護者自体がかなりの自閉症の特徴を持ち、カウンセリングも受けているそうだ。緊急性を感じて来校してくれた。一方的に学校や担当への不信感を高め、細部への疑問や要求に徹した相談だった。Sさん個人ではなく、チームで対応することにした。6時過ぎまでかかる。
後に知ることになるが、この日の早朝。東海道線内で鎌倉市の公立小学校に勤務する教員が痴漢で現行犯逮捕された。それまでに何度か痴漢報告があり、鉄道警察隊が不審な男をマークしていたのだという。この教員は約一ヵ月後に懲戒免職になった。この教員の父親は藤沢市の公立小学校の現役校長だった。翌週、激震が走った。


7月5日
出勤したら、校長が早く来ていた。前日の4日に特学教室のドアから泥棒が侵入。こどものものを物色した。いつもと変わっている様子はないかと聞かれた。わたしは前週の金曜日は早く帰っていた。最後の戸締りでドアの鍵を確認しなかったらしい。泥棒は物色しているときに作動したアラームによって警察に現行犯逮捕された。プレハブはドアや窓の立て付けがあまいので、クレセント錠をかけていても、簡単にドアを外すことができる。


7月8日
前日の夕刻に、工事現場から不発弾が見つかる。旧校舎の保健室床下2メートルに埋まっていた。太平洋戦争当時の米軍のものと思われるそうだ。万が一爆発していたらと思うと、校舎の解体はおそろしい。


もともと特学(特別支援学級)というのは、中途半端な位置づけだ。
特別支援学校のように独自の教育課程をもっていない。個別支援は認められているが、遠足・音楽会・運動会などの大きな行事は、通常学級の教育課程にあわせなければいけない。だから、教員どうしの仕事は大きく違うのに、互いにどんな仕事をしているのかを理解しあう機会はまったくない。一年に一度だけ、新採用の教員が義務で授業を見学に来る。たったそれだけだ。
「一日に一回は必ず、顔を出して、こどもたちの様子を観察するのは当然でしょう」
特学のある学校の校長には、そう豪語するひとがいるという。わたしは、そう豪語するひとにも、それを実践するひとにも、残念ながら会ったことがない。


だから、一般の公立小学校のなかで特学は孤立しがちな存在だ。
孤立しないように、交流学級の担任とは綿密な連絡を取り合う。向こうから情報を提供してくれるようなことはまずないので、いつもこちらから声をかけるように配慮する。特学や特別支援学校しか経験していない教員には、それを不満に思うひとがいる。しかし、わたしのように13年間も通常級の担任もやった経験があると、見下しているわけでも、忘れているわけでもなく、自分のクラスの仕事で手一杯なのだ。だから、こちらから働きかける。
校舎が正式なものでも、孤立しがち。
仮設校舎では、もはや孤立というよりも、忘れられているのではないかと思うことも多い。
いかに、大きな集団のよさを特学のこどもたちに伝え、特学のこどもたちのあたたかさを大きな集団のこどもたちに感じさせるかは、永遠の課題だ。それはプレハブだからできないなどと言い切るものではない。確実に時間は経過し、プレハブで卒業して行く学年が2つもあるのだから。

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