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この文章はway5218以降の関係する文章からの抜粋です

特学レポート1

 特学の子どもたちに出会って3ヶ月が過ぎようとしています。
 最初は、見えない障害と言われている自閉症や知的障害について、学術的なことをずいぶん調べていました。でも、専門書に記される内容は、わたしが日々接している子どもたちのなぜに迫るものでも、どうやってに迫るものでもなく、ただ特徴を連ねているものが多く、あまり参考になるものではありませんでした。もちろん、全部がそのようなものではなく、とても参考になるものもあったのは確かです。しかし、大事なのは、そのような専門的な知識ではなく、日々の子どもたちとの生活を通して、個別具体的な手立てを作っていくことだと感じました。
 自閉症や自閉的傾向、アスペルガー症候群や注意欠陥多動性障害、高機能自閉症や自閉症スペクトラムなど言葉は数多くあります。それぞれに意味していることは違うのですが、子どもたちは区分された症例に個別にマッチするのではなく、少しずつそれぞれの特徴を持ち合わせているのです。
 だから、同じような子どもたちと接しているひとたちとコミュニケーションを通して、日々のなぜやどうやってを意見交換し合い、互いに成果を共有していくことが重要なのです。考えてみれば、ひとそれぞれ生まれも歩みも違うので当然のことといえば当然のことです。なのに、最初の頃、こんな当然のことに気づかなかったのは、わたしの気持ちのなかに障害に対する誤解や偏見があったからだと思います。そんな誤解や偏見を、目の前の子どもたちが払拭してくれたのが、なによりも嬉しく、心強く思います。

 Aは、自分の行動を自分で抑制してしまう傾向が強くあります。
 自分のやりたいことがあったとき、本当にそれをやってもいいのか、いけないのかの判断を周囲にゆだねるのです。そして、その結果を受けて行動するので、やってはいけないと指示されると、不満がたまり不安定になります。やってもいいことなのか、いけないことなのか迷ったときに、判断を周囲にゆだねることは、日常的にだれもが経験しています。ときには自分の責任を回避するために、判断を他者にさせることもあります。その傾向は子どもに強く見られます。「先生がいいっていった」「お母さんがいいっていった」は、子どもにとって自分の行動を正当化する正義の御旗なのです。
 しかし、多くの場合は、自分のやりたいことのための行動なので、やりたくない判定がくだらないように工夫した物言いをしたり、期待と逆の結果になったら別の作戦を考えたりします。それは、知恵のなせる業です。その工夫ができずに、周囲の結果を必ず受け止めてしまう自分は、とても生きづらいでしょう。さらに、何度か判断をゆだねても、だれも応じてくれないとき、いつまでも同じ質問を繰り返し続けます。声の調子が次第に大きくなり、混乱が強くなり、最後は叫びます。
 椅子から立ったとき「椅子を机にくっつける?」。部屋から廊下に出たとき「ドアをしめる?しめない?」。トイレで用便を足したとき「手を洗う?洗わない?」。欠席している子どもがいたとき「○○は、あした来る?来ない?」。Aの人生を考えたとき、いつもだれかがそばにいて、同じ質問を何度も繰り返す行動様式に付き添ってくれるとは限りません。いずれは、自分だけで生きる場面も予想しておく必要があります。だから、いまわたしは、自分で決めていいという許可権限をAに学んでもらうためのアプローチをこころがけています。言葉とジェスチャーで「困ったときは自分で決める」をキーワードにしています。今後は、これに文字のカードを加えていくつもりです。

 Bは、いつもと違うことに対して抵抗が強くあります。
 番号札が1から順番に8まで貼ってあったら、いつも8まで貼っていないと気がすまないのです。たとえば、学習の流れを順次示していくときに、あるときはステップが6や7で終わることもあります。それでも、8までないと許せないのです。黒板に1から7までの札が貼ってあると、内容はなくても8の札を探して7の下に貼る行動をとります。
 だれにも、日常と違うことへの不安はあります。逆に言えば、きのうと同じきょうはとても安心するのです。しかし、変化への対応も、日常を乗り越えていくには必要な能力です。生きていくとき、いつもとちょっと違うことはたくさんあるからです。わたしは電車で通勤していますが、事故や故障でいつもの電車が来ないことがしばしばあります。そのたびに、ちゃんと定時に職場に着けるかな、いつになったら電車が来るのかな、なんでこんなことで悩まなくちゃいけないんだ……。とても不安になります。多くの場合、そんなこと言っても、なんとかなるさ、遅れて職場に着くのなら、事情を説明すればいいじゃないかと、不安をかき消す材料を考えるようにしています。不安いっぱいの胸中を、自分の力で気分転換しようとします。
 その気分転換が、うまくはかれず、不安な気持ちを払拭できないとき、日常生活はとても生きづらいものになるでしょう。Bの人生を考えたとき、いつもと違うことに柔軟に対応できるようにしていくことは重要なことです。学習場面や日常生活のなかで、少しずつ変化していく課題をあえて本人に示し、新しいものへの不安な気持ちを、克服していく架け橋を作っていくのが、わたしの仕事です。

 個々人の特徴は様々です。おしゃべり、物静か、奔放、慎重、おおらか、のんびり、計画的、協力的、独創的。これらは、成長とともに身につく学習とは違い、学習しなくても、ある程度の傾向が最初からあるような気がします。
 これに対して、甘えん坊、うそつき、暴力的、献身的、あきらめやすい、あきらめにくいなどの特徴は、成長とともに学習した特徴なのではないかと思います。親や友だちなど、どんなひととかかわってきたかによって作られるという意味です。暴力的な環境で育った子どもは、ほぼ確実に暴力性を学習します。スキンシップよりも、幼児期に言語で育った子どもは甘えん坊になる確率が高いと経験上感じます。
 親が子どもをいじろうとすると、多くの場合は子どもの自立が遅れます。親が自分の生き方を充実させながら、ぎりぎりのところで子どもとつながっていると、多くの場合は子どもの自立がスムーズに進展します。わたしの考えは20年間の少ない実証データを根拠にしています。だから、異論があって当然です。しかし、このひとは自分のことで精一杯だなとか、子育てがかったるそうだなとか、自分の思い通りに子どもを育てようとしているなと感じる場合、子どもが思春期に入ってからの親子関係はあまりうまくいっていないことが多くありました。だれしも、自分のことで精一杯です。子育てはとても面倒です。できることなら、自分の思い通りに子どもがいうことを聞いてくれたら楽だと思っています。だから、そのように思ってしまうことは不思議なことではありません。
 なのに、無理に余裕のあるふりを示したり、開き直って子育ては二の次と言い放ったりするのは、針が極端に振れすぎています。悩みながら、疲れながら、子どもとの時間を作っていくのが大事なのです。そんな愚痴をこぼしてくれる親からは、決して子育てがかったるそうでも、面倒でも、自分の思い通りに子どもを育てようとしているとも感じません。同じ悩みを共有しようとする、開かれた感覚がほとばしっているからです。
 子どもとの時間は長い人生を考えたらわずかなものです。おそらく10歳を過ぎたら自我が成長し、思春期に入ったら反抗期を迎え、親から離れていくのですから、子どもと向き合う10年前後を、あーでもないこーでもないと、家族や知人、学校関係者などにこぼしながらくぐりぬけていけばいいのです。ひとりで悶々としたり、限られたひととのみ交流を終始したりでは、不安は増長され、絶対的ななにかを求めがちになってしまうでしょう。

 この絶対的なにかが日本の場合、学校的価値であることがとても多いのは不幸なことです。
 学校的価値とは、年齢によって、備わっていく力に違いがあり、何歳になったらこれができ、あれができという基準が決まっている考え方です。
 そもそも学校で教える内容は、国によって違うので、それがひとの成長にマッチしたものという考え方自体がつきつめれば論理矛盾を起こすのですが、多くのひとはそのことに気づいていません。日本では6歳になったらひらがなを教えます。しかし、それは6歳になればひらがなの読み書きができるようになるという意味ではありません。カタカナしかり、足し算しかり、引き算しかりです。なのに、かつてのわたしも含め、6歳の子どもをもつ親は、1年生の終わりになってもひらがなの読み書きができないわが子に直面すると、あせって無理やり教え込もうとします。
 それは、その時期にマスターしておかないと、その後、ふたたび学習する機会がないからです。7歳になったら、6歳に教わったことが力になっているという前提で、レベルアップした学習内容が登場します。これを系統的学習といいます。系統的学習を全面的に否定するつもりはありません。簡単なことから難しいことへ学習内容を発展させていくことは自然な流れだからです。問題なのは、プレイバックのチャンスが学校にはまったく用意されていないことです。だから、あるときつまずくとそれ以上の学習がわからなくなってしまうのです。
 これは、一部のエリートを養成する考え方が根底にあるとしか思えません。多数に同じことを教え、少しずつ内容をレベルアップして、より理解力のすぐれている者を育てていけばいいという考えです。その過程で多くの子どもは挫折感を味わい、学習への意欲を失い、同時に生きる元気も衰えさせてしまいます。しかし、ひとの能力はさまざまです。定型ではかれない質と量の違いをもっています。よく個性尊重という言い方をしますが、わたしは個性は尊重しません。それよりも個人を尊重する社会の実現が大事だと思っています。6歳でひらがなの読み書きができる子どもも、ひらがなの読み書きを10歳になってできるようになった子どもも、どちらも同じように個人として尊重されるべきです。個性のなかには、反社会的なものも多くあるからです。

 子どもの年齢を聞くときについつい「何年生?」と学齢を聞きます。
 家に帰った子どもにとりあえず「宿題はないの?」と尋ねます。
 授業参観のために、仕事を休みます。
 通知表をもって、いなかに帰り、成績をほめられお小遣いをもらいます。
 日常生活に深く浸透している学校。これをわたしは日常生活の学校化と呼びます。かつて、職員会議で「学校神話」「学力信仰」の蔓延は、いまや宗教以上に強い影響力をもち、近所づきあい・友だち関係・親子関係までもが、学校の価値をもとに再構成されていると批判したことがあります。残念なことに、そのような状況をもっとも理解・把握していないのは学校関係者だと知りながら。それから10年以上になりますが、基本的に学校化には変化はありません。しかし、そんな浸透する学校を退避する子どもたちが増加してきたのは事実です。また、そんな学校化のなかで、「おとなしい・成績上位」のいままで学校化の恩恵をこうむってきたタイプの子どものなかに自我の崩壊ともとれる殺人や傷害事件が多発しているのも事実です。
 6歳でひらがなの読み書きができないこと・7歳で掛け算九九が覚えられないこと・8才で分数の概念が理解できないこと・12歳で日本の歴史を知りたくないこと……。そういう子どもがいても、なにも不思議ではないのに、学校化した家庭や社会はそれを許しません。そして、遅れているという表現でひとくくりにしてしまうのです。
 知的障害といわれる子どもたちは、学校化によって生み出された要素がとても強いとわたしは感じます。時間をかけて、本人のペースで学習にのぞめば、意欲もわき、知識もつくのに、障害と区別してしまうことはひとにやさしいとはいえないと思います。また、特定の学習能力、たとえば漢字が書けない、計算が苦手などの特徴を学習障害と区別してしまうのは、学校化の象徴ともいえるでしょう。150年前の日本社会では、文字の読み書きができるひとのほうが圧倒的に少なかったのです。それは、文字の読み書きが生活に必要なかったからです。そうやって考えると、いまの学校で扱っている内容を、くまなく子どもたちが習得しないと、おとなになって生きてゆくのが困難になるとは思えません。情緒障害には、知的な遅れや学習障害をともなうケースが多いと書いてある専門書がありますが、ものごとに深くかかわる特徴が強い子どもが、次々とメニューの変わる学校の授業に対応しにくいのは当然のことです。なのに、まるで併発症のように分析する考え方を、わたしには理解できません。

 特学の子どもたち。
 その子どもたちは、わたしにこれからの教育のあり方をいつも教えてくれます。だから、子どもたちの様子を個人情報保護ぎりぎりのところでオープンにしていくのは、障害者差別を払拭するためでも、障害者理解を広げるためでもなく、ほかの多くの子どもたちと同様に、わたしがいままで出会ってきた個別具体的な子どもたちと同様に、伸びていく、育っていく姿を、より多くのひとたちに伝えるためなのです。
 「特学の子どもたちはバカばっか」と平気で口にする子どもは、きっと親の受け売りなのでしょう。そんなおとなを増やしてはいけないという気持ちから、実際の様子や変化の姿を伝えていきたいのです。
 学校の学習が、ほかの多くの子どもに比べ理解しづらい子どもを、全体的な遅れ:知的障害として区別しています。また、計算や字を書くことや読むことなどの特定の力がつきにくい子どもを学習障害と呼びます。これは、ほかの多くの子どもが生きている社会では、暮らしづらい・生きにくいことが多いだろうということで、障害と区別しているのだと思いますが、本当にそんなことが言えるのかどうかわたしにはわかりません。
 社会生活を送りにくくしている要因は、本人の問題ではないはずです。なのに、障害者という呼び方をして意識付けをしなければならないのはなぜでしょうか。政治や行政が音頭をとって、多くのひとたちが暮らしやすい社会を作ればいいのにと思うからです。しかし、そんな夢のようなことを叫んでも、いますぐになにも変わらないと思うので、あえてこの社会で、全体的な遅れがある子どもや学習障害がある子どもが、どうすればいまよりも少し生きやすくなるかを考えています。
 遅れとして扱われるなかに、手指(しゅし)の未発達が挙げられます。5本の指をそれぞれ別々に動かすことは大変ですが、親指とそれ以外という使い方から、少しずつそれ以外が分化していくのが定型の発達と言われています。定型という表現も変な表現ですが。5本の指が別々に動くには、手のひらや指の機能的な成長とともに、脳から適切な命令が発せられる必要もあります。もしも、機能的な成長が見られても、指がうまく動かないときは、脳から命令が発せられていないか、命令が伝わる経路にトラブルがあるかを考えます。

 学校では医学的なアプローチはできませんが、手指の未発達が見られる子どもは、わたしが担当している子どもたちのなかに、決して少なくありません。
 その子どもたちに、鉛筆を持たせるのは苦痛を与えることにつながります。鉛筆は、かなり手指が自由に使える・指によって力の入れ方に違いをつけられる・細いものをつかむ感覚を取得していることが必要になります。少しの力で字を書くと、とても薄い字になってしまい、読めなくなってしまいます。
 そんなときは、サインペンやマジックなどが有効です。少しの力で、線や色がはっきり描けるペンを使うのです。最近はボールペンのなかにも、軽いタッチでインクの出がいい製品もあります。文字や絵は、子どもにとって、自分の力で周囲に向けて情報を発信する手段です。言葉のように道具のいらない手段と違って、道具を使うことで、記録され、目に見えるかたちになります。これは、発信した後で、自分が何を描いたかを振り返るのに役立ちます。
 わたしは、ポスカを使っています。ポスカは、ポスターカラーなのでとても発色がはっきりしています。そして、ペン先に力を入れすぎると、自動的にペン先がへこむようになっています。手指がうまくコントロールできないとき、ペン先をギュウギュウ紙面に押しつけて、マジックやサインペンの先端をだめにしてしまうことがありますが、ポスカではどんなに押しつけても、ペン先にインクが供給されるだけなので、先端が壊れることはありません。
 脳の成長過程で、手指機能だけがゆっくりということは考えにくく、手指がうまく使えないときは、短期記憶・字を読む・対応・カテゴリー化・洋服を着る・反対など、ほかの機能でものんびりな成長を示していると考えられます。だから、手指機能の向上は、ペンを使って文字や絵を描くことだけではなく、ほかの部分の回路がつながりやすくなる可能性も秘めています。逆に言えば、手指機能の向上につながりにくい取り組みは、ほかの部分へも悪い影響を与えがちなのです。無理に鉛筆をもたせて、なぞり字を書かせたり、急いでひらがなや数字の読み書きをドリルさせたりすると、うまく書けない劣等感が増幅し、やがて文字や数字、ペンへの拒否反応を示すようになります。

 小学校の6年間は、学習内容が短期間にとても難しくなります。
 これは、多くの子どもが勉強を嫌いになる大きな原因だと思っています。しかし、公教育のなかみを検討するひとたちには、そのことがわかりません。なぜなら、そういうひとたちは、小学校を含めた学校時代に、それらが苦ではなかったからだと思います。自分が苦しくなかった経験から、多くの子どもたちも同様に現在の学習内容で十分であると考えているのです。これは、学校の教師にも言えることです。勉強が苦手で、授業をよくエスケープしていたひとたちが、将来の職業に教師を選ぶことはめったにありません。必然的に、学校時代によい思い出があるひとたちの集まりやすい職業になってしまうのです。
 しかし、たとえ自分が苦しくなかったからといって、実際に苦しんでいる子どもを想像する気持ちがわかないとしたら、教師としてはいいかもしれませんが、教育者としては失格でしょう。勉強が得意で、学校が楽しかったからといって、授業がつまらなくて、よくさぼる子どもの気持ちを考えようとしなかったら、自分と似たようなタイプの子どもばかりを引き立ててしまう再生産の連鎖が起こるでしょう。
 幸い、特学の子どもたちは年齢に関係なく、個別に指導計画が作成されるので、同じ年齢だからといって同じことを機械的に学習するということはありません。ひとりひとりが違うという当たり前のことが、公教育のなかで堂々と保障されています。この子どもたちは、遅れているわけでも、何かが足らないわけでもないのです。自分のペースで学習をすることが認められているということなのです。通常級の子どもたちには、残念ながら各自のペースで学習することは許されていません。クラスや学年という大きな集団全体にターゲットを設定しているので、最初から学習についていけない子どもができてしまうことを前提にしています。そのことに多くのひとたちは気づいていません。

 Cは言葉を発することが苦手です。
 言葉を聞いて、理解することはできますが、自分の気持ちを伝えるときに言葉が使いづらいのです。
 喋るときは、あいうえおの母音が中心になり、トイレは「おいえ」、とれたが「おえあ」になっていまいます。言葉の発することが、ほかの子どもに比べて遅れているというよりも、なにか機能的なトラブルがあって、顎や舌がうまく使いこなせないのだと思います。しかし、わたしは3ヶ月以上、Cとともに学校生活を過ごしていますが、Cの気持ちを理解できないわけではありません。よくわからないこともありますが、いまでは日常生活上のほとんどのことを理解できます。それは、言葉だけでなく、ジェスチャーや絵や文字の書いたカードを意思疎通の媒介手段にしているからです。やがて、文字を覚え、文字を書いたり、ワープロで文字を打てたりするようになったら、いまよりももっとCの気持ちを理解できるようになると考えます。
 Cが何を考え、何を伝えようとしているのかを知るために、保護者とのコミュニケーションがとても役立っています。給食の時間に、突然、泣き出して、すべてのメニューを拒否したことがありました。なぜ、嫌がるのか、どうしたいと思っているのかがわからず、保護者と相談し作戦を立てました。かばんに本人の好きなお菓子を入れて、気持ちを安定させた「おたから作戦」。いつも家で使っている食器持参の「アルマイト排除計画」。ひとつひとつの作戦や計画が効果をあげたのか、あげないのかは、よくわからないのですが、保護者とともに子どものために必要な個別具体的な手立てを実行し続けることが、大切なのだと思っています。結果として、Cが給食をすべて拒否することは少なくなりましたし、嫌なときは泣いたり、怒ったりするのではなく、この給食は食べたくないという気持ちを言葉とジェスチャーで表せるようになりました。
 Cの得意なことは手指を使った作業です。刺繍はものすごい速度で縫い上げます。針に糸を通すのも、ほかのひとがやるのをよく見ていて、模倣しながら、自分でできるようになりました。

 わたしは子どもの頃、教師に「落ち着きがない」としょっちゅう言われて育ちました。
 通知表にも、間違いなく「落ち着きがない」と書かれます。小学校時代は、ずっと同じことを書かれ続け、中学でも似たようなことを書かれ続けました。高校になってからは、なぜかそのように言われることは少なくなりました。高校は、受験して入学するので知的レベルが似たような子どもたちが集まり、落ち着くようになったのかもしれません。いや、小学校時代、そんな理由で落ち着いていなかったわけではないと、われながら思います。
 落ち着きがないという表現は、具体的にどういう状態をさすのか、子どものわたしにはまったくわからず、親に聞いたことが何度もありました。でも、そのたびに「いいんじゃなの?」との返事。だから、落ち着きがない状態は、ネガティブなものではないと思っていた時期もあったほどです。
 いま、学校に勤務するようになって、当時、同級生だった仲間は10人集まれば10人とも確実に「お前が先生なんて、信じられない」と驚きます。落ち着きがない結果、教室の後ろに立たされ、次に廊下に立たされ、しまいには「帰れ」と言われて本当に帰ってしまったこともありました。自分自身の問題として、教師が立腹していることがまったく理解できていなかったのです。
 クラスを担任するようになって、当時のわたしが何人もクラスにいることに気づきました。教師が話をしているとき、子どもがみんなの前で発表をしているとき、つまり集中するポイントが暗黙の了解で決まっているときに、となりの子どもとおしゃべりをしたり、ノートを出してパラパラ漫画を描いたり、あんまり怒られるものだからやがてはこっそりするような知恵はつくのですが、基本的にはみんなが集中しているポイントに同調できない子どもたちがいたのです。わたしは、とても懐かしく、昔の自分を見るようでほほえましく思いました。あらためて、なぜそのような行動に出ていたのだろうと思い出すと、ふたつの大きな理由があることに気づきます。ひとつは、よほど集中するポイントがつまらなくて興味を引かない対象だからです。そんなものに集中を強制されても我慢は長続きしません。もうひとつは、集中しなければならない状態であることに気づいていないからです。「話を聞いていないからいけない」とよく怒られましたが、子どものこころに届かない指示しか出せない教師に親近感をもつ気持ちにはなれません。そうなると悪循環で、どんどん教師の指示がわからなくなり、仕方がないからほかのことをやり始める繰り返しにはまっていたのです。

 このように、注意力が欠けていて、そわそわしたり、動き回ったりする傾向が強い子どもを昨今ではAD/HDと診断するケースが増えてきました。
 AD/HDについては、「理解と支援で障害を個性に」を目指している「えじそんくらぶ」のホームページで詳しく紹介されているので参考にしてください。http://www.e-club.jp/
 日本語で、注意欠陥多動性障害と呼ばれる脳神経学的な疾患は、アメリカで研究がさかんに進められ、さまざまな問題はあるにせよ投薬によってコントロールが利くことがわかってきています。しかし、投薬がすべてではないという臨床レポートもあるので、安易な服用は危険でしょう。
 先述のホームページにとても重要なメッセージが載っています。
……
「AD/HDの特徴を理解し、それによるハンディキャップ(日常生活での支障)を軽減することでAD/HD的症状は、ひとつの個性になることがあります。さらにAD/HDを単なる障害としてとらえず、才能として活用することも可能なのです。つまり見方を変えれば、「ひとつのことに集中できない」ことは「多くのことに興味を持てる、同時にいくつもの仕事をこなせる」ということであり、衝動的とは実行力と行動力があると言えるのです。大切なことは周囲の理解ある言葉かけによる本人の自信喪失の防止です。支援の第一歩は思いやりのある言葉がけ、そのためにはAD/HDの正しい情報が不可欠です」。
……
 このことは、AD/HDにだけいえることではなく、ほかの多くの障害についてもいえることだと思います。
 ものの見方を変えて、本人のよさを伸ばす努力を周囲が考え、環境を整えることができたら、生きるうえでの困難さは減少し、ほかのひととの違いを指摘されることもなくなるのです。かつてのわたしを思い浮かべながら、AD/HDの診断基準をあてはめてみると、わたしは完璧なAD/HDだったといえます。それはもう自信をもてるほど、質問項目にYesが並ぶのです。

 Dはいまの時代だからかもしれませんが、おそらくAD/HDの傾向が強く見られるという言い方があてはまります。
 まるで、ひとりのこころに何人かの人格がいるかのように、だれかをぶってしまう、やさしい声かけをする、仕事を積極的に担当したい、ひとりになるのを怖がる、おとなの会話を細かく覚えている、気づくとどこかに逃げているというつながりのない行動を連続します。ひとつひとつの行動に、それ以前の行動からの引継ぎがないので「どうしてぶったの」「どうして、じっとしていられないの」「どうして」「どうして」という注意の仕方は、本人にまったく効果がありません。おそらく、自分でも言葉でうまく整理がつくほどの理由があって行動を起こしているわけではないのでしょう。
 いっしょに仕事をしている担任は「きっとDには、たくさんのトゲトゲが見えてしまうのかも」と考えます。バラの茎をもって、そこについているトゲをひとつひとつ取り除く作業が、ぶったり、逃げたり、奇声を発したりという行動になっているのかもしれません。もしも、Dが40人の子どものなかにいて、日常的に学校生活を送るとしたら、担任はとても気を使い、周囲の子どもはDのことをやがて避けるようになってしまうでしょう。しかし、特学ではそんな心配は無用です。Dにあった指導計画を立て、Dが過ごしやすい日常を作ることを優先するからです。
 蹴ったり、ぶったりして、ほかの子どもたちがおびえてしまうような行動をとったとき、Dをほかの子どもから離し、胎児の姿勢にして抱きかかえます。全身が硬直して、気持ちがこわばっているのがわかります。やがて、自らを安心させる方法としてDは指しゃぶりを覚えました。わたしは「いま、にせもののDがやってきているよ」と小さな声をかけます。「にせものじゃないもん」と口を尖らせるDに「だって、本当のDはひとをぶったり、蹴ったり、泣かせたりしないことをしっているもん。本当のDに返ってきてもらおうよ。こころのなかで呼んでごらん」とつぶやきます。すると、Dは両手で頭をかかえ、目を閉じ、しばらく無言になります。そして、おだやかな表情で「本当になった」と告げます。そうしたら、また集団のなかに戻します。本当のDは10分ぐらいは持続しますが、またにせものが登場します。そのたびに同じことを繰り返します。

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