上履きの廃止 1999.7
下駄箱という言い方が学校にはまだ残っている。下駄など履いてくる子どもなどいないのに下駄箱である。
昇降口というとても英訳しにくいネーミングが最近では使われている。
家に帰ったら靴を脱ぐという生活スタイルは欧米からの伝来ではない。高温多湿の気候が日常生活に必然的にもたらした生活スタイルなのかもしれない。しかし、会社やその他日常のさまざまな場所でわたしたちは靴を脱ぐだろうか。さらに靴を脱いでふたたび室内履きとしての上履きに履き替える。そういった空間はきわめて限られた場所でのものではないだろうか。ここに学校を家と考える発想が覗く。
学校で子どもたちの躾にかかわる部分まで背負うようになったと言われて久しい。しかし靴を履き替えさせてあたかも家と同じような感覚にさせている日常はそういう結果になっても仕方ない気もする。
外履きのまま学校内に入ったら泥や汚れで学校が汚くなるという考え方は理解できる。しかし、それならば汚くなった床や廊下をどうすればきれいにできるのかを子どもたちといっしょに考えていけばいいことだ。昔と変わらぬ箒と雑巾という掃除様式はすでに時代とズレているという認識を教員たちに抱かせる効果もあるかもしれない。
子どもの間にいじめやトラブルが発生したとき、現象としてまず物隠しが始まることが多い。そのときに上履きはとてもターゲットになりやすい。朝、登校したら自分の上履きが消えていた。休み時間に校庭で遊んで戻ってきたら上履きが消えていた。無くなった子どもを放っておくわけにはいかないからクラス全員で上履き探しが始まる。せっかく理科室で実験をやろうと計画していても上履きが出てくるまでは授業に至らない。そのうちに数時間も過ぎてしまう。実際は探しているクラスの子どもたちの中に隠した子どもがいる場合が多く、探すことじたいがとても白々しい。隠さないで画鋲を入れられていたり、水が流し込まれていたり、そんな経験をわたしはした。何かの理由で他人を困らせてやろうと考えた子どもにとって昇降口という公共空間にある私物としての上履きはとてもねらいやすい条件を整えているのだ。
さらに小学生はわずかな期間に身体が成長する年齢だ。足のサイズもみるみる大きくなる。上履きはそのたびに買い換えなくてはならない。また上履きの多くに使われているバレーシューズは外反母趾を誘発する可能性はまったくないと言い切れるのだろうか。
制服にしても上履きにしても周囲と同じものを子どもたちに強制的に身につけさせる体質は形から一体感を経験させようとする意味があるのか見知れない。スポーツのゲームで見られるユニフォームは一目瞭然で敵と味方がはっきりと区別できる。しかし学校の場合そうやって子どもたちに共通のものを身につけさせて果たして目前に区別するべき相手がいるのだろうか。教育番組を見ていてがっくりとしてしまうのは今でも体操服に番号が書いてあるときだ。子どもの胸や背中に数桁の番号が油性マジックで書きこまれているのだ。国会で年金受給のための国民総背番号制に賛否両論があるそうだが、そんな大人たちが子どもの体操服の番号制に疑問を抱かないのは矛盾している。多くの子どもたちを一律に管理するという発想を感じてしまう。それはまるで刑務所で看守が効率よく囚人の動向を監視するかのようだ。子どもを番号でしか見ないような教員がカメラの前でマイクを向けられて「個性を大事にしています」といくら言ったところでわたしにはとうてい信用できない。
百歩ゆずって上履きが必要だったとしよう。
ならば3月に新入学児童の保護者を対象に行う説明会で室内履き(本来はこのように呼ぶのが正しい日本語だと思う)について事細かに仕様を説明し統一させようとするのだけはやめてほしい。はだしでどこが悪いのだろうか。スリッパで何がいけないのだろうか。教員の中にはサンダルを履いている者もいるではないか。バレーボールシューズやバスケットボールシューズではどうしていけないのだろうか。こんな小さな個人の好みのようなことまで学校は子どもたちや保護者に対して自由を認めない。多くの学校で似たような上履きが使われている。それこそ独占禁止法に抵触しないのだろうか。
わたしは例のバレーシューズの先に色がついていてその色を学年ごとに区切っていた学校でそれだけはやめようと「先っぽの色」の統一だけは自由にしたことがある。ところが不思議なもので教員にしてみればそのことはどちらになっても大きな問題はないことだったのだが、保護者からの問い合わせが数件あったのだ。自分の子どもだけまわりの子どもと違う色の上履きを履いていたらかわいそうだから同じ色にそろえてほしいとか、そのことでいじめられたら学校は責任をとってとれるのかとか、せめて何色が多いのかおしえてほしいなど。そもそも上履き一つでいじめが発生したらそれ以前にいくつもの誘因がすでに蓄積されていたとどうして考えられないのか残念になった。周囲の子どもと同じようにしていれば良いという発想がここ数十年の学歴社会を影で支え、落ちこぼれを大量に生み出したのではないか。
上履きなど要らないと思ったあなた、このことはわりと簡単に実践できる。まずはあなたから裸足になればいいのだ。そしてときどき土足のまま廊下を歩いてしまえばいいのだ。ここは室内だから外履きはいけないと言われたら「室内」の概念を教えてもらってほしい。
ゴロゴロと横になることができて、幼子ならばペロペロと床をなめても大丈夫な空間を室内とわたしたちは日常的に呼んでいるはずなのだから。
子どもたちの上履きの裏を見てごらん。とても室内履きの靴の裏とはわたしには思えない汚れ方をしている。
Copyright©2005 Y.Sasaki All rights reserved