go to ...かさなりステーション

大船を歩く(2010.3.6)

 ひとと会うことを楽しむと、思いもかけない新しい出会いが訪れる。
 わたしは、もうすぐ50歳だ。
 生まれ育った大船の町でずっと過ごしている。わずかな期間、となりの藤沢市に住んだことがある。しかし、数年の後に実家のある大船に戻った。
 大船は鉄道の駅がある。大船駅だ。東海道線、横須賀線、京浜東北線が乗り入れている。こんなにたくさんの路線が乗り入れているわりには、駅周辺は栄えていない。駅を作ってから町を作ったのではない。もともと町があったところに駅を作ったので、駅周辺を土地開発することは難しいのだろう。
 だから、古くからの町並みが残っている。
 それでも、わたしが子どもの頃、松竹撮影所に向かう映画関係者が駅から撮影所までの道を颯爽と歩いていた風景はもう残っていないが。
 大船は、行政区分では鎌倉市だ。
 しかし、町の東寄りは横浜市になっている。大船駅の下を流れる小さな川が市境だ。だから、大船の商店街で買い物をすると、鎌倉市の店と横浜市の店が隣り合わせているのがわかる。大船は単位面積あたりでは、新宿の歌舞伎町を抜き、日本で一番飲食店の多い町なんだそうだ。南口の仲通商店街には、軒を争うように飲食店が連なる。あまり幅の広くない商店街の道路は、いつもひとであふれている。決して歩行者天国ではないのだが、自動車で通行するにはかなりの勇気が必要だ。一ヶ月の家賃は100万円を下らないという。
 2008年秋の不景気突入以降、飲食店にかわって、パチンコ屋とドラッグストアが目立つようになった。それでも、一本路地に入れば、焼き鳥、たこ焼き、バー、ジンギスカンなど、小さな飲食店があふれている。
 2009年の6月だったか、一つの小さな和食店が開店した。
 旬の魚にこだわる。醤油は特注。禁煙。コンセプトをしっかりもったお店だ。
 わたしは、店長が中学校時代の野球部の後輩だということを知り、励ましのつもりで開店した頃に顔を出した。30年近く鶏肉料理のお店で働き、いよいよ自立したのだ。
 ビルの地下にあるその店は、はじめカウンターが4席ぐらいしかない居ぬきの店だった。夏に改修工事をして、カウンター席を増やした。 秋。藤沢で飲んだ帰りに立ち寄った。
 以前は、どこかで飲むと、とことん食べ、語り、飲んでいた。だから、最終電車に間に合わず、タクシーを使うことも珍しくなかった。しかし、財布のなかにタクシー代が準備できない時代になり、大船以外で飲んだときは、一次会でさっさと帰るようになった。
「あ、先輩。いらっしゃーい」
威勢のいい店長の声がする。もう中学を卒業して何年も経つのに、先輩とは恥ずかしい。
 わたしは、カウンターの端の席に座る。長くいるつもりはないから、軽く飲んで帰るつもりだった。

 席に座り、振り返って店内を見回す。
 どのテーブルにもお客さんがいる。女性だけの客もいる。
「すごいなぁ。にぎわっているね」
「おかげさまです」
シャキシャキ元気な声が返る。
「もう、藤沢でやってきたから、お勧めの一品と一献をお願い」
老眼が進んでメニューの小さな字は、メガネを出さないと見えない。酔った席でメガネを出すと、折りたたみ傘以上に忘れ物になる。だから、メニューという視覚情報に頼らないで、ほしいものを声に出して言う。
 不自由なものの見え方が、逆にコミュニケーションをうながす。
「ありがとうございます。きょうはヒラメのいいのがあります。お酒は、開運でいかがでしょう」
静岡の酒、開運の味を思い出す。すーっと喉を通る開運は、いまの状態にあっている。
「それにします」
 わたしは、ひとりで飲食店に入るのが嫌いではない。とくに苦手でもない。人間観察が好きだから、だれとも喋らなくても飽きないのだ。また、勝手に自分を刑事に仕立て上げ、客のだれかをターゲットにして張り込みをしている気分にもなれる。食べているものや食べ方を観察して、その人物の性格や生い立ちを想像する。
 箸使いが悪い。こどもの頃、親のかかわりが薄かったな。
 一つの皿を片づけないと次の皿に移れない。こだわりの強さがあるなぁ。
 マンガを読みながら、片手間に食事をする。エサじゃないんだよ、食事は。
 だから、そんなわたしを気遣う必要はないのだが、店長は仕事をしながら、声をかける。
「みなさんとは、いまでもお会いするんですか」
みなさんとは、中学校時代の野球部仲間だ。
「いやぁ、いまでもやっているソフトボールの関係だけだね」
 わたしと同期の連中も、この店に来るらしい。懐かしい名前が彼の口からいくつも出た。わたしよりも彼のほうが連中の動向を知っている。
 中学校や高校時代の話を断続的にしながら、ヒラメをつつき、開運をなめる。
 彼は高校は私立の野球が強い高校に入った。
 わたしは、県立の新設高校で野球をした。
 中学や高校の運動部で、1年生と3年生という関係はとても開きがある上下関係だ。まともに1年生が3年生に話をすることはない。それは県立でも私立でも同じだ。
「あのぅ、もしかして、あなたは」
わたしの隣りに座っていた男性が、こちらを向いて、わたしの名前を言った。
「えーっ、なんで知ってんの」

 その男性は、かしこまって、わたしはこういう者ですと、名刺をくれた。しかし、名刺の名前を見ても、わたしの知人リストには入っていない。向こうが覚えていて、こちらが忘れているというのは失礼だ。
 適当に相槌をうとうかと思った。
 しかし、適当な相槌はいつか破綻する。
 50年近く生きていると、関係は単純なほうがいいという悟りに達する。
 知らないものは知らないのだ。店長に助け舟を出してもらおうと思ったら、ほかの客の相手をしている。間が悪い。
「申し訳ない。俺はあなたのことを知らないんだ。どうして、俺のことを知っているんですか」
 彼に向き直って頭を下げた。
「こちらこそ、いきなりお名前を出して申し訳ありませんでした」
見たところ、小柄な彼はわたしと同い年ぐらいだ。運動をしているか、外回りの仕事なのか、肌はつやつやと日焼けしている。
「わたしは、先輩の中学のとなりの中学で野球をしていました」
その中学の名前は覚えている。よくあの頃に練習試合をした。
「学年は一つ下です」
ということは、わたしと店長の間の学年だ。
「練習試合ではなかなか勝てなくて、くやしい思いをしました」
そうなのか。残念ながら、わたしは当時の記憶がほとんどない。老化かいな。
「先輩が卒業して、わたしたちの時代になっても、ここの店長の代が強くて、なかなか勝てなかったんですよ」
しかし、この方は、よく30年以上も昔のことを覚えているな。
「先輩は、たしか高校は」
彼は、わたしが進学した高校の名前をあげる。だんだん気味が悪くなってきた。
「わたしの高校は」
彼が進学した高校は、当時、わたしが進学した高校に校舎を間借りしていた高校だった。形式的には高校を開校し、入学試験を行っていながら、まだ校舎が完成していなかったのだ。だから、既存の高校の校舎を借りていた。神奈川県教育委員会は、そういうことをしてきた。
「ということは、高校でも野球をやったんだね」
わたしは、すっかり年長者言葉になっている。
「はい、だから、先輩とは中学時代も高校時代も敵同士として対戦しているんです。あの当時の方々とはいまもお付き合いがあるんですか」
驚いたことに、彼はわたしのチームメートの名前を5人以上すらすら出した。わたしは、質問に応じるというよりも、彼の記憶力に感服した。

 店長がわたしと彼の会話を料理を作りながら聞いていた。
 手があいたときに、ふたりの前に立つ。わたしと会って、なぜか興奮している彼に言う。
「俺たちは中学や高校の野球の思い出をいまでも忘れていないけど、この先輩はなーんにも覚えていないから、あまり突っ込まないほうがいいよ」
店長と彼は、野球を通じて、その後も長くつきあいがあったらしい。
 彼は、野球をやった者が、社会人になり、もうすぐ中年の後半にさしかかろうとするときに、若いころの野球の記憶を忘れていることが信じられないらしい。目を丸くして、ため息をつき、焼酎のお湯割を飲んだ。少し、慰めないと。
「たしかに、いっしょにやっていた連中は覚えていないけど、試合のことなら覚えているよ」
店長がわたしの言葉を聞いて、こっそり首を振った。やめとけ、と聞こえた。
「そうですよね、そう。ひとの名前は忘れても、試合のことは忘れるわけがないですよね」
彼の首が持ち上がり、内側からエネルギーがみなぎった。
 え、なに、この心配。
「わたしは、当時もいまも試合をするときにスコアをつけ、試合の後は記録を整理しているんです」
 どんなスポーツも記録を残す。野球はスコアブックに、ピッチャーの投げた球、その判定、バッター全員の打ち方と走塁の記録を残す。とても専門的な記号を多用するので、わたしはまったく興味がなかった。それを、彼はずっとつけているという。
「先輩、覚えていますか。あれは先輩が3年になったばかりの春の大会。うちと地区予選で当たったときです」
覚えているわけがないだろう。
 わたしは、ただボールが来たから打つ。ボールを捕ったから投げる。それを繰り返してきたのだ。もちろん勝敗は気にしたが、得点さえもはっきり記憶していなかったことさえある。店長が、少し顔をしかめて、ご愁傷様と言いたげに、ほかの客の注文を受けに行く。
「夏の大会はすごかったですね。あのまま甲子園に行ってしまうかとどきどきしました」
ほかの高校の結果に、どうしてどきどきできるのか。
 わたしは、高校3年生の夏の大会で一生分の運を味方につけ、5回戦進出を果たした。あのとき、運を使い果たしたので、その後、宝くじなどはいっさい当たらないのかもしれない。でも、最近は関所でよっちゃんの酢漬けイカが時々当たる。新しい運が育ってきたか。
 彼は、わたしたちが戦った5試合全部の結果と得点を知っていた。何も見ないで、すらすらプレゼンテーションした。
「うちの高校ときたら、開会式直後の第一試合で負けちゃって、長い夏休みでした」
 まるで、きのうのことのように残念がる姿。
 あなたは、それからいままでを野球以外と過ごさなかったのかな。
 起立。どうやら帰るらしい。自分の言葉で口惜しさがよみがえり、長く苦しい野球漬けの夏休みを思い出し、足取りが重い。
「それじゃ、先輩。お先に失礼します」
こころなしか、目頭が赤くなっていた。
 彼が帰った後に、わたしは店長から彼がきょう来た理由を教えてもらった。暮れの忘年会の予約をしに来たのだという。電話でも済むが、お店の様子を知りたいから、直接来たらしい。
「そうしたら、先輩がたまたまいたから、きっとものすごく彼は盛り上がっていますよ」
「でも、帰る時に高校時代の試合に負けたことを思い出し、へこんでいたみたいだよ」
「いいひとなんです」
 そういうことじゃ、ないって。

 12月。冷たい雨が降っていた。
 店のあるビルの地下へ続く階段を、傘をたたみながら降りた。
 扉を開ける。
「いらっしゃい」
腹から出した威勢のいい声が届く。
「どうも、お久しぶり」
わたしは、カウンターに座る。
 ひととおり注文を出してから、開店時間を過ぎたばかりの店内を見回す。カウンターの後ろのテーブルに、「予約席」と書いた札が置いてあった。もう、忘年会のシーズンだ。
 わたしは、生ビールのジョッキを片手にしていた。
 そのとき、扉が開き、彼が入店した。
「えーっ」
お互いに同時に声をあげた。
「あ、先輩、また会いましたね」
夏に会って以来、4ヶ月以上が経過している。しかし、彼のもつ雰囲気はまったく変わっていない。
「あれ、どうしたの」
そう聞きながら、わたしは前回の記憶をよみがえらせていた。もしかして……。
「そうなんですよ、きょうが忘年会の本番です」
彼は、知り合いを数人連れて入店した。男女が混ざり、年齢も様々なので、どういう仲間なのかはわからない。しかし、みんなカジュアルな服装だったので、仕事関係ではないだろう。
 偶然ってあるもんだ。
 忘年会の予約をしに来たときに、たまたまとなりの席に座っていたわたしが、忘年会当日にまた前回と似た席で飲んでいるのだ。今回は、互いに高校時代の思い出を語る関係ではない。彼は忘年会の幹事なのだろう。店のほかの客と親しくしていたら、集まったメンバーがおもしろくない。
 わたしは、店長がおすすめという「幻のしめ鯖」をつつく。ひとの気配を感じて横を向く。
「先輩、あれからうちの高校との対戦結果を調べたんです。そうしたら、先輩は一試合に三本も二塁打を打っていましたよ」
「よく、そんなことを覚えているね」
「わたしなんか、一年に一本ぐらい二塁打が打てればいいほうなのに」
それは過去の栄光だ。それより、ものすごく久しぶりに、そして偶然会ったのに、よく調べたデータをすらすら言えるものだ。まるで、いつでも忘れないように頭のなかにしまってあるようだ。
 店長に注文を確認しに来たついでに、わたしに声をかけた彼は、すぐに席に戻った。しばらく彼の記憶力の余韻に浸る。
 数分後、背中のテーブルが盛り上がる。何気なく聞き耳を立てる。
「そうしたら、あの高校は出場を辞退しただろ。そのときに対戦するはずだったんだって」
なぜ、彼はわたしのことを、そんなにわたしの知らないひとに伝えたいのだろう。
 大船を歩く。不思議なことが多い。

Copyright©2010 Y.Sasaki All rights reserved