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燃える秋

親愛なるkum & kazに捧ぐ

 とても一言では言い表せない。
 11月17日。晴れ。ポカポカ陽気の京都。

 前日、大阪に学校を創る会で話をさせていただく。終わってから会合が開けそうな広い部屋を借り切っての打ち上げ。その後、少数のメンバーと三次会へ。秋鹿など、こっちでは入手できない酒に舌鼓を打つ。
 共済組合の割引がきく大阪ガーデンパレスに着いたのは23:00。チェックインぎりぎりで飛び込む。そのままベッドにバターンQ。

 17日6:00、窓からは明るい日差し。
 創り出す会のkazが立ててくれた京都ブラン実行の日。現地ナビのkumから電話が入ったのは待ち合わせ時刻より早い7:30過ぎ。
「京都までの新快速の時刻が8:04だったので、迎えに行っていると乗れないかもしれないから、駅(新大阪)へ向かって歩いてきてほしい」とのこと。
 あわてて荷物をまとめチェックアウト。早く起きて風呂に入り、朝食バイキングをすませておいてよかったよ。

 新大阪は地上を在来線が走り、高架を新幹線が走る。わたしは新幹線の高架下を駅へ向かって歩く。いつまで歩いてもkumに会えない。
「いま、どこにいます?」携帯が入る。
「高架下を歩いているよ」「わたしも高架下です」
不思議に思いながら歩いているうちに駅に着いてしまった。よく見ると、線路に垂直に交差するように高架道路が走っている。もしやもやし、kumは高架道路を高架線路と勘違いしてわたしから遠のく方向へと歩いていたのだ。

 おはよう、頼もしい現地ナビ。

 新大阪から京都までは新快速ですぐだった。
 ただし、新快速はそんなにひんぱんに走ってはいないみたいで、時刻表で確かめないと各駅停車でのんびり行くか、特急に乗って高い金を払うかになってしまう。

 京都駅は、観光客でごった返していた。
 とくに嵐山方面に向かう33番線はホームから人が落ちそうなほどに。
 JR嵯峨野線は、関東では見かけない車体だった。バスのような行き先別の料金表が天井からぶら下がっている。いったい、あれはどんなときに使うんだろう。

 JR嵐山駅。快晴。
 紅葉シーズン真っ盛りということもあり、ほとんどの客がここで降りる。ローカルな話だが観光地にしては駅のスケールが小さい。北鎌倉駅よりもホームは短いかもしれない。
 新大阪から京都までしか切符を買っていなかったので、精算をする。似たような人たちがたくさんいて、精算所に長蛇の列ができていた。数分待って、駅員と対峙する。京都までの切符をわたしたら、「あと○○円やな」といわれ、支払う。そうしたら再生紙で作った手刷りの清算書を渡された。改札で駅員に渡したとき、くしゃくしゃにしていなかったので、きっとあの清算書は使いまわすのだろう。レシートに機会で印刷した清算書に見慣れていると、なんだかとてもあたたかさが伝わる。

 嵐山駅で目指す大河内山荘の方角に迷う。キオスクのおじさんに聞く。
「わても行ったことがないんやけど、西の方角に進んだらえー。山の上にあるで」


 とてもアバウトな説明にしたがって嵐山駅から西を目指す。
 途中たくさんの観光客が向かう方向と別の方角に行かなければならなくなる。行き先をよく知らない悲しさで、多くの人たちの後ろをついてきたのだが、人々の向かう方角に行ってしまうと西ではなくなる。キオスクのおっちゃんを信じるか、観光客を信じるか。選択に迫られながらも、わたしはキオスクのおっちゃんを信じる。
 現地ナビのkumはすでに東西南北が混乱している。

 静かな竹林に入る。
 多少の人通りはあったが、昼なおくらい竹林の向こうに真っ赤なもみじが色づいていた。トロッコ電車の嵐山駅まで歩くと、大河内山荘の道標があった。
 もうすぐというところで、虚無僧の尺八を聴く。(もしかしたら、ツアーを企画したkazが虚無僧の姿に身を隠してわたしを追跡しているのでは)と疑いながら通り過ぎる。

 入場料は900円。ちょいと高いがセットでお抹茶券がついてきた。
 大河内山荘は山をひとつ使った大庭園だった。山荘なのに、順路があって、その道どおりに歩くと座禅堂や茶室が純和風建築で登場する。カメラをセットした人たちがたくさんいて、光の加減を確認しながらシャッターチャンスをねらう。
「こんなところで好きな女とふたりっきりで暮らせたらなー」
観光客のだれかがぼやく声が聞こえる。

 歩く小道のほとんどに傾斜があって、真っ赤なもみじのトンネルをくぐりぬけながら山荘内をめぐる。嵐山駅からずっと歩いてきたので、抹茶ともなかのような菓子がおいしい。

 うーん、ここを紹介したkaz、なかなかしぶーい。だれと来たんやろ?


 京福電車はワンマンカー。運転手の仕事はとても多い。運転する。室内アナウンスのボタンを押す。駅に停車する。立ち上がって振り返りドアを開ける。降りる客から切符を受け取る。
 事故が多い電車と事前に知らされていたが、こんなにたくさんの仕事をこなさなければならないのでは、集中力が欠けてしまうのも同情できる。
 帷子ノ辻(かたびらのつじ)で乗り換えて竜安寺道(りょうあんじみち)へ。

 山門前の拝観所でチケットを買う。なぜか半券がついたままだったが、わたしは上着のポケットにしまう。境内を歩くと本堂に着く。大河内山荘の見事なもみじの記憶があったので、境内の紅葉にはあまり驚かない。本堂で半券を渡すことを知る。だったら、早めに教えてくれーと、どこにチケットをしまったのか忘れていたわたしはあちこちのポケットをまさぐった。

 1499年に現在のかたちに復元(というのか)した竜安寺。
 有名なのは、なんといっても南側に面した石庭(せきてい)だった。縁側に腰掛けられるようになっていて、多くの観光客が一服の静けさを感じている。わたしも、空いたところに腰をおろし、石庭を拝見。竜安寺の石庭は、京都観光のちらしや関連書に必ずといっていいほど写真が載っているので、初めてのわたしにも身近だった。わりと大粒の白砂利がくまでできれいに波模様にならされ、その海の合間に大小の石が苔むしながら点在する。見る人のこころによって、それぞれの石が亀に見えたり、過去に見えたり。

 きっと多くの観光客がいるのだが、その喧騒を一瞬だけ忘れるほど、庭に対峙しながら瞑想するとこころが落ち着く。


 その後、わたしは京都名物の市バスに乗る。

 竜安寺は京都西部にある。
 これから目指す昼食レストラン「カフェ・リュイソー」は中心からやや東側にある。そこまでの移動はバスを使う。

 京都は南北に大きな通りが走る。そこに垂直に交差するいくつもの筋がある。だから交差点が山ほどあり、信号も多い。それぞれの交差点に名前がついている。観察するとどうやら約束がある。はじめに南北の通りの名前、後半に筋の名前が続く。河原町通りと三条通りが交差するところは、河原町三条。河原町通りが南北、三条通りが東西。

 市内をバスが縦横無尽に走っている。多い通りでは1分も待たないうちに次のバスが来る。しかし、一歩自分の乗る路線を間違えると、バスはあさっての方向に行ってしまう。カフェ・リュイソーに行くにはどの路線なのかを竜安寺のバス停でチェック。市役所前というバス停で降りることになっている。

 やがて京都市バスがやってきた。途中、金閣寺の駐車場わきを通るため、すごい渋滞に巻き込まれた。しかし、運転手は慣れている様子で、反対車線にバスを出すと渋滞の車の列を尻目にアクセルを踏んだ。おー、かなり荒っぽい運転だ。
 大阪でドライバーをやってくれたackyが「京都の人はなにを考えているかわからん」と教えてくれたが、けっこう大胆なところもあるじゃん。

「たしか、何回乗っても500円というお得なカードがあるはず」インターネットで調べてくれたkumが資料を探る。わたしはそのわきでバス内の広告に「市バス専用一日乗車カード」を発見。「あれと違う?」「ほんとや、車内で買えるんなら、こうてくる」とけっこう混みあっているバス内をkumは財布を片手に歩いていく。わたしたちは最後部の遠足席にいたので、一番後ろから一番前まで行ったことになる。わたしは席を確保していた。


 市バスの運転手さんはマイクのスイッチを入れっぱなしにしている。
 乗客からの質問に対してマイクを通じた声が返ってくる。目の前で質問しているのだからマイクはいらないだろうと思うのだが、乗車口にもマイクがついていて、これから乗ろうとしている客からの質問に応じるためには、運転手のマイクが必要ならしい。
 でも、バスのなかでわざわざ運転席の近くまで行って質問する客に対するときは、マイクのスイッチを切ってもいいのではないかと思う。客と運転手のやりとりがバスに乗っているすべての乗客にわかってしまうのだ。

 500円カードを買ってきたkumは、しばらくカードに書いてある説明を読んだ後「いやな予感がしてきた」と京都市内の地図を引っ張り出した。
 カードには山手線のような円が書いてあり、円周にバス停がいくつも書き込まれている。その円のなかだったらどこまで乗っても、何回乗っても500円らしい。しかし、円の外側は必要な値段を払うことになっていた。
「もしかしたら、嵐山はこの範囲の外かも……」
「でも、せっかく京都に来た思い出にこのカードが使えなくても俺はいいよ」
「得にならないカードなんていらん。使えなかったら返してくる」
そういって、再びkumは混んでいたバス内を最後部から運転席へ向かった。

 マイクの入っている運転手。質問する客の声は聞こえないのだが、応じる運転手の答えでだいたいの質問内容がわかる。
 しばらくして「はい」と運転手の声がした。渋滞で停車している隙をみはからってkumが声をかけたのだろう。


 運転手の第一声。
「わからへんやろ」
これには、わたしはプッと吹いてしまった。きっと、500円カードの範囲がどこまでか教えてほしいとkumが質問したことが想像できる。それに対して、わからないでしょという返事だったからだ。
 そんなカードを作るなーと思ってしまった。

 それからしばらく満員のバス内に運転手が懇切丁寧に500円で乗ることができる説明が続いた。おそらくバスに乗っていた人たちみんながカードのことを理解したのではないかとおもうぐらい丁寧な説明だった。
「市バスだけのところはこのカードでOKなんやけど、ほかの会社さんと競合しているところはそうはいかんのや。そういうところは差額をいただきまーす」
なんで競合しているところはだめなのかという理由はなかったが、きっとそこには会社どうしの約束でもあるのだろう。

 しばらくして、kumがはずかしそうな顔をして最後部の座席に戻ってきた。
「ごくろうさん、よくわかったよ」
 

 京都市役所前のバス停で降りて、昼食のレストラン「カフェ・リュイソー」までは歩いてすぐだった。

 高瀬川のほとり、小さいけれど白壁の瀟洒なレストラン。kazに教えられていなかったきっと立ち寄ることはなかっただろう。腹減ったーと大河内山荘周辺の食堂に駆け込んでいただろう。

 朝のうちに予約を入れておいてくれたので、ちゃんと席が用意されていた。
 当然のことだが、周囲のテーブルからは関西弁(京都弁)ばかりが聞こえてくる。観光客はあまりここを知らないらしい。
 なにを食べたかは忘れてしまったが、カキのシチューがいい味を出していた。どうやったら、カキの生臭さをあれだけ消して、うまみだけを残せるのか聞いてみたいほどだった。

 わたしたちよりも先に食事をしていたとなりのテーブルの中年女性ふたりがデザートのケーキのことでボーイとやりとりしている。そんなに大きな声を出さなくてもと思うほど、声がでかい。となりのわたしには筒抜けになる。
「ラップでいい」
「タッパーをお持ちしましょう」
どうやらデザートのケーキを持ち帰ることでやりとりをしているらしい。
「でもお客様……」
「本当にラップでえーの」

 こんなにしゃれたレストランでも、食べられないものはちゃんと持ち帰ろうとしている女性にわたしは共感してしまった。

「ここに来る前にね。そこの京都ホテルでこの人とケーキセットを食べたんや。そしたら、もうおなかいっぱいになってしもうて」
お店の人に気兼ねして、言い訳をしている女性の声がわたしの耳にしっかり届く。決して、味がまずくて残すわけではないということを主張している。わざわざもって帰るというのだから、まずいからではないだろうと思うのだが、きちんと理由を説明している姿が、なんともほほえましい。それなら、デザートの前のコースランチはすっかり全部たいらげていたのはなぜだろう?などとやぼなことは考えないようにしていた。

 数日ぶりに気温が上がり、天気がよかった京都。
 生ビール昼間っから二杯も飲んでしまったら、こちらも話に花が咲く。kazプランよりも、リュイソーにはやや長居してしまう。

 レストランから少し歩いて、今度はだんご屋へ向かう。
「ともかく一度は食べてみてください」
藤沢のサンキュー(390円)ラーメンで京都の打合せをしていたときにkazが推奨しただんご屋だ。
 ナビの資料によると午前中に売り切れてしまうほどの盛況ぶりだとか。

 その名は「ふたば」。


 食べてすぐということもあり、わたしの胃袋にはだんごが入る余地はなかった。しかし、「べつばらべつばら」とナビのkumは地図とにらめっこをしている。

 ふたばのある商店街は古くからの京都の味を出していた。遠くから見てもわかるほど、ふたばには長い列ができていた。それに対して周辺のお店にはほとんど客が立ち寄らない。あまり突出して人気化があるというのも、ふたばにとっては周辺との付き合い上、気がかりなのではと心配してしまうほどだった。

 ショーケースには、もう豆餅しかない。メニューには栗餅もあったが、どう見てもそれらは売り切れている。
 おもしろかったのは、ショーケースの向こう側で複数の店員が客の注文を受けながら餅を透明なタッパーに梱包しているのだが、その首から下しか見えないことだ。天井からチェーンが下がる。その先に、なぜか店の中が見えないように、大きな鏡がぶら下がっている。鏡は店員の首の高さまですっぽりと隠している。並んでいるわたしたちの顔が鏡に映り、鏡の下辺から店員の体と合体する。
 なんでこんな手の込んだことをするのかな。

 わたしとkumは3つの豆餅を買った。1個150円。プランによると、向こうのコンビニで飲み物を買って、次の目的地まで豆餅をつつきながら散策することになっていたが、わたしたちは歩いて50mぐらいの間に3つともたいらげてしまった。それほど、豆餅はおいしかった。あんこは粒餡。丹波の黒豆が皮に散らばる。作りたての餅皮はとてもやわらかかった。


 ツアーコンダクターkazのパンフレットには、ふたばから次の目的地、真如堂(しんにょどう)まではタクシーで行くことになっていた。しかし、500円の一日乗り放題バスカードを買った手前「もとはとらなあかん」という現地ナビのアドバイスでバスで行くことに変更する。

「なんでkazはわざわざタクシーで行くようにって計画を立てたんだろ」
「きっと、今度はタクシードライバーになってこちらの活動を監視するためだったんでは?」

 今出川通りと河原町通りが交差する「河原町今出川」の交差点。すぐわきを鴨川が流れる。わたしが知っている三条あたりの鴨川と違い、北部のこのあたりは川岸がとても広く人々の憩いの場になっていた。
 バスの路線図によると、「真如堂前」というバス停で降りれば目的地はすぐのはずだ。

 太陽は西に傾き始めている。嵐山の方角からの日差しを背中に受ける形で、わたしたちを乗せたバスは目的地へと向かう。 いろいろと話し込んでいるうちにあっという間に「真如堂前」に到着してしまう。あわてて、バスを降りたはいいけれど、付近にそれらしい建物はない。仕方がないので、同じようにバスを降りた観光客の後をついていくことに……。


 しばらく歩いていくと、わたしたちの前を歩いていた人たちが逆戻りを始める。そりゃないよ、こっちはあんたが頼りなんだから。すると、不思議なことに多くの人たちが逆戻りをしてくる。おいおい、みーんなだれかの後ろをついているだけだったのかい。最初に逆戻りを始めたカップルが、地元の人とおぼしき人に「真如堂はどこですか」と尋ねている。あれあれ、みんなあさっての方角に向かっていたんだ。わたしたちは、地元の人の説明をそれとなく聞く。その結果、まったく逆方向に向かっていたことが判明。あわてて、いま来た道をほかの多くの人たちとともに逆戻り。バス停のところまで戻る。

 あとからわかったことだが、バス停から真如堂に向かうと、ちょうど本堂の裏から真如堂境内に入ることになった。それなら、バス停の名前は「真如堂前」ではなく、「真如堂裏」にしてほしかった。

 真如堂本堂裏は、表側が西日にあたっていたため、大きなシルエットとなってわたしの目に飛び込んだ。その向こう側に真っ赤に燃えるもみじを見た。西日を受けたもみじ裏側から見た。それは「燃えている」という表現がぴったりなほどの真紅。

 「JR東海が今年のコマーシャルで真如堂を使ったので、もしかしたら今年の秋は観光客であふれているかもしれない」とプランナーのkazが嘆いていたのを思い出す。本堂をぬけて境内に向かうと、そこは個人・団体あわせて観光客でごったがえしていた。kazの資料には「ほとんど人影がない真如堂が観光客で踏み荒らされるのはとても寂しい。JR東海よ、俺の真如堂を返せ」みたいなことが書いてある。


 真如堂を拝観し、わしたちは平安神宮のわきを通り、鴨川を渡る。
 カップルが均等に並ぶという鴨川べりを歩きながら、三条橋からにぎやかな京都の繁華街に入る。
 夕飯までの時間がややあったので、わたしは地図のなかに発見していた本能寺を一度見てみたくなった。しかし、周辺はどう考えても寺があるような環境ではなく、ビルとお店が軒を並べる。

 歩道わきによけて地図を広げる。現在地と、本能寺の書いてある場所を確認すると、どうしてもこのあたりにあるはずだが、そんなもん視野に飛び込んでこない。
「なにしとる?」
初老の紳士があたりをきょろきょろしているわたしに声をかける。
「このあたりに本能寺があるでしょうか」
「そんならあそこや、あそこの納戸をぬけたらえー。でも5時でおしまいやから、もうだめかもしれへん」
時計は5時15分ぐらい前をさしている。それでも、本当に本能寺があるのならどんなものか見てみたくなる。紳士のあとをついていくと、なんと人がひとりやっと通り抜けられるような納戸があり、その上に「本能寺」と書いた札がある。これではわからないはずだ。
 納戸をくぐると、少しトンネルのようになっていた。そこを抜けたら、周囲をビルとマンションに囲まれた本能寺の境内が広がった。

 周辺の喧騒をかき消すような境内のしずけさ。
 きょう、見てきたところはどこも高台にあったのだが、本能寺はもろ町中にあった。たしか織田信長の骨は発見されていないと教わった気がしたが、なぜか「信長公墓」というのがあった。


 5時の閉門に滑り込んで本能寺を後にする。

 夕食のおばんざいやさん「菜の花」は5時半から。まだ時間があったので、夕方の買い物客と観光客でごったがえす町を歩く。観光客は新京極にあふれ、地元の観光客は錦市場にあふれていた。
 わたしは錦市場を歩きながら、家族への土産に赤と白の千枚漬を買う。切れ端が店頭にあり、つまめるようになっていた。
「これ、あてにいける」
kumのアドバイス。
「あて?」

 あてとは、酒の肴のことだそうだ。前夜、大阪のsatoやackyたちも、あてという言葉を使っていた。生活ににじみこんだ言葉でも、まったく関東と関西では違う。
 ちょっとつまんだ千枚漬のおいしいこと。値段はかなり高かったが、わたしは迷うことなく土産に購入した。

 あたりはすっかり暗くなり、六角通りの「菜の花」に到着。
 家族で経営している小さな食事処だ。kazのプランがなかったら、絶対に立ち寄ることはないほど、ひっそりとした小さな店構え。カウンターが10席ほど、座敷に掘りごたつ形式のテーブルがふたつ。奥には宴会用の座敷がある。

 おばんざいという言葉も関東では聞かない。和風の家庭料理という意味だそうだ。


 煮物やてんぷらを頼んだ記憶があるが、あまり定かではない。
 それよりも、地酒の「自然酔(しぜんすい)」の印象が強烈に舌に残っている。わたしはワインは飲まないが、きっと白ワインってこんな味だろうと思うほど、すーっとのどごしがいい酒だった。調子に乗って三合ぐらい飲んでしまう。

 紅葉が晴れやかな大河内山荘、観光客の喧騒を忘れた石庭の竜安寺、ユニークだった京都市バスのうんちゃん、真っ赤に燃えるもみじの真如堂、駆け込みセーフの本能寺。
 現地ナビをしてくれたkumと手料理を楽しみながら、きょう一日を肴に話が弾む。

 明治大学ラグビー部のポリシーは「前へ」。技術や能力に偏らず、無骨に前進するラグビーを象徴した言葉だ。わたしは、この考え方がとても好きだ。
 いまの自分をとらえるとき、よけいな肩書きや過去の経歴に着飾ることなく、いつもきのうの自分と同じ姿で前進する。そうすれば、必ず新しい道が開け、新しい人との出会いが始まる。そこには予想もしなかった現実を変えていく大きな可能性が手を広げて待っている。

 なぜ、紅葉の京都をわたしが観光することができたのかを考える。そこには、多くの偶然と多くの必然が重なっている。いつも、その場から動かず、思考を停止していたら、このような旅はできなかった。

 話に花が咲き、気づくと京都発の新幹線の時間が近づいていた。


 日曜日の夜、上りの新幹線は自由席でも座れると言われていたが、わたしは念のために指定席を買っていた。それにもっとも早い「のぞみ」は全席指定なので仕方がなかった。

 急いで勘定を済ませ、わたしたちは近くのバス停から市バスに乗り込む。500円の乗り降り自由カードはかなりもとをとった。
 夕暮れ時の京都市中、かなり道が混雑している。
「京都駅についても、荷物を入れたロッカーを探さなきゃね」
朝、わたしは大きな荷物をロッカーに入れておいたのだ。広い京都駅、いったいどこのロッカーだったかなんて覚えちゃいない。
 駅に着いたら、ナビのkumはわたしよりきっちり5mぐらい先を小走りにゆく。まだ新幹線まで20分ぐらいあったのだが、ロッカー探しという責務をナビとして果たそうとしてくれている。わたしはkumを見失わないように、ほろ酔い加減の足元を確かに必死に追いかける。

 「あれー、この辺だと思ったんだけど……」
地理感覚をどこかに忘れてきたkumには驚かない。その代わり、近くの人に遠慮なく尋ねる積極性があるのだから地理感覚なんていらないよ。近くの駅員に尋ね、ロッカーを探し出す。
 そこから荷物を出し、新幹線の改札口へ。

 新幹線の改札口は新幹線の切符か入場券を持っていないと通ることができない。でも、そんな切符を買っていたら時間がなくなる。kumは何やら改札の駅員に交渉している。その後、自動改札の横の通路を走りぬけた。「おいおい、新幹線に乗るのは俺だぜ」。


「ねえねえ、ここに入るには切符が必要なんじゃないの?」
「新幹線まで時間がないからって駅員さんに言ったら、後で買ってくれればいいって……」
なんと強引な交渉をしたのだろう。でも、杓子定規ではない駅員の対応にとてもこころがあたたかい。

 ホームにあがると、まだ新幹線は到着していなかった。
 ドア口に整列している人たちがいたが、指定席なのでわたしはそこから少しはなれたところでkumにきょう一日の礼を告げる。

 いまは日曜日の午後七時過ぎ。
 振り返れば金曜日は金沢にいた。土曜日は大阪にいた。そして、きょうは京都。めまぐるしく移動した3日間だった。国立金沢大学附属小学校の公開シンポジウム、大阪に学校を創る会のシンポジウムと人前で話す機会を設けてくれた方々に感謝している。
 そして、最後の休日を非の打ち所のないプランを立ててくれたkazと、インターネットでさまざまな情報を調べプリントアウトしてナビゲーションをしてくれたkumには、いつかお返しをしなきゃと思うほどありがたい気持ちでいっぱいだ。

 一言では片付けられない京都の一日をつづったwayはこれにておしまい。

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