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 仙田は、立ち飲みスペースで生ビールに手を伸ばす。
「仙さんさぁ、卓ってどうしてあのクラスにいるのさ」
 明男は、すでに昼まっから焼酎を飲んでいるらしく、呂律があやしい。
「卓って、どう見ても健常じゃないか」
 ケンジョウ、仙田はケンジョウという音と健常という文字を頭のなかで結びつける。
「健常そうに見えるけど、異常なやつってよのなかにはいっぱいいるじゃないか」
 仙田は、ビールを一口ふくんだ。
「そういうことじゃなくてさ、こないだ俺、卓の支援をしたじゃん。あんとき、緊張しちゃってさ」
 明男は、仙田の学校で介助員として働いている。
「いつもの佑子とは勝手が違っただろ」
 毎週同じ曜日に介助員をしている明男は、ふだんは佑子という女の子を担当していた。しかし、その日は、佑子が遠足でいなかったので、卓を任されたのだ。
「だって、漢字とか計算とか、問題が難しくて、あっているのか間違っているのか、こっちがあたふたしちゃったよ。そのうちに卓が、センセー、ここはボクが読むところですなんて、やり方まで教えてくれたんだぜ」
 仙田は、小学校入学のときから卓の担当をしている。ことし6年生になった卓は、仙田の教えを小学校入学以来叩き込まれてきたのだ。
「明男さんさぁ、卓だって、いきなりあそこまで成長したわけじゃないぜ」
「そりゃそうだけど、いまの力なら、通常のクラスに入れてもいいんじゃないか」
 ツウジョウ。明男は健常とか通常とか、障がい者と区別する言葉が好きだなぁと仙田は思った。
「だって、あのまま仙さんたちのクラスじゃ、中学校や高校はどうすんのよ。養護学校か」
「まぁそうだろうな」
「そうだろうなって、それじゃ、もっと身につけられることがたくさんあるのに、生き方が狭くなっちゃうだろ」
「その通りだね」
「仙さん、それでいいのか」
 明男の目がすわっている。
「右がいいとか、左がいいとか、二者択一ではないんだ。それに、卓がどこの学校に進学するかは親が決めることだ。俺たちにその権限はない」
「それぐらいの権限が先生たちにあってもいいじゃないか」
「いや、それは危険だよ。教員の主観でこどもの学校を決めたら、とんでもない教員がいたときこどもや親は従わざるを得ない。だから、親が最終的に責任をもついまのやり方でいいんだよ」
「だけどさぁ、それじゃ」
 仙田は、明男がいいたいことがわかっていた。

 明男はすでにこどもが成人している。企業や公務員という組織に就職しないで、演劇やメディア関係の仕事を自営としてきた。いわゆる「フリー」なひとだ。
 それで、高額の公団住宅に賃貸で住んでいるのだから、とても能力と技術が世間に求められているのだろう。
 いつも二言目には「金になんかなりませんよ」とこぼす。
 お金に困っているひとが、時間給900円の学校でのアルバイトには応募しないだろう。
「明男さんはさぁ、支援級には卓みたいなこどもがいちゃ、おかしいと思っているんだろ」
「おかしいっちゅうか、その必要があるのかっていう感じ」
 仙田は、ビールの合間に胡瓜の辛いおしんこを食べる。カプサイシンが喉に広がる。
「たぶん、これは日本のお粗末な福祉行政が悪玉の親分だと思うんだけど、親に生活能力がなかったり、近隣とのトラブルが絶えなかったりしても、社会福祉事務所なんて何にもしないんだ。せいぜい、近隣から警察に通報があって、交番からひとが来る程度」
 明男の瞳が眠そうに仙田の話を追う。
「そういう家にこどもが生まれると、教育行政がかかわってくる。そのときに福祉が何にもしないから、かわりに教育がやらなきゃならなくなる。そうすると、職員が多い支援級や支援学校頼みになっちまう」
「こどもに明らかな障がいがなくてもか」
「その通り」
「それって、ひどくない」
 いまどき女子高生でもやらないような語尾上げで明男は憤慨する。
「それが現実です」
「そういうことに、仙さんはおこんないわけ」
「怒ったところで、どうすんのよ。あんたが親としてきちんと育てないから、こどもはここに来るハメになったと言って、こどもを追い出せってわけ」
「いやぁ、そういうことじゃないけどさ」
「いいかい、卓は親がだれであろうと、学校がどこであろうと、確実におとなになっていく。その結果、どんな人生になろうとうも、それをひとのせいにはできないんだ。だから、小学校が支援級だったメリットを最大限に活かして、ここでできることをたくさんふやしていくしかないんだよ。そして、その力が、18歳を過ぎたとき卓の持ち味になっていなきゃならないんだ。俺の仕事は、その持ち味を確かなものにすることなんだよ」
「出たぁ、仙さんがよく言う、18歳」
 日本の特別支援教育の枠組みは18歳で終了する。それ以上は、学校という機関が障がい児を専門に指導したり支援したりすることはない。だから、18歳までに就労できる力や周囲とコミュニケーションがはかれる力を育てておかなければならないのだ。

 2週間後、坂の下の関所にはクーラーが入っていた。
「こないだ、明男さんが仙田さんに何か相談したいことがあるって言っていたわよ」
 若女将が教えてくれた。
「なんか、いつも担当している女の子の表情がきつかったみたいなことを言っていたけど」
 ふーん。
 立ち飲み可能な酒屋の「関所」では、ひとの噂をすると、光に吸い寄せられる羽虫のようにそのひとが登場するというジンクスがある。
「あら、明男さん、登場」
 ほらね。
「おっ、仙さん、早いなぁ」
 明男は、クーラーから一本100円のサワーを取り出す。仙田は、生ビールを口につける。
 午後6時、まだまだ空は明るい。だいぶ夏が近づいてきた。
「仙さんよぉ、佑子のことなんだけど」
 若女将が明男の肩越しにウインクをする。
「佑子がどうかしたかい」
「なんだか、こないだ行ったとき、やたらと目がつりあがって、俺の指示に対してもいちいち抵抗したんだよなぁ」
「まぁ、そんなもんでしょ」
 仙田は佑子を入学した時からいままで5年間担当している。
「えー、俺が行くときって、いつも佑子ってにこにこしていて、『アーアー』って名前を呼ぼうとしていたんだぜ」
「あのさ、明男さんが佑子を担当してもう1年以上になるじゃない。毎週一回とは言え、もう佑子にとっては明男さんはたまに来る珍しいセンセーではないんだよ。自分のことをよく知っているセンセーのひとりになったんだよ」
「なんだ、その説明、わかんねぁなぁ」
「俺は、ふだんの佑子を知っているから、明男さんが帰った後の佑子の姿と、明男さんがいるときの佑子の姿の違いがわかるじゃん。あいつなりに、これまでは明男さんの前では愛想を振りまいていたってことだよ」
「えー、じゃぁあれはいつもの佑子ではなくて、外向きの佑子だったわけ」
「そりゃそうに決まってるじゃん。たまにしか世話にならないひとに対しては、いつもの数倍の気遣いをして、よい子を演じようとがんばっていたわけだよ」
「そんなことをする必要ないのに」
「それが、ひとという動物の自然な社会性なんだよ。言葉を話せない佑子にも、そういう社会性はきちんと育っていたってことを、高く評価したほうがいいよ」
「じゃぁ、あのつりあがった目と仙さんはふだんは向き合っているわけか」
 そういうことです。
 ひとがひとによく思われたいという気持ちは、脳の成長によって獲得していく。だいたい周囲の認識が始まる10歳前後を境にして急速にその傾向が強くなる。反対に、周囲のひとをまったく意識しない行動を貫いても、気持ちにまったくのぶれも痛みも生じないひとは、脳の成長に何らかの停滞があると考えられている。それを一般的には自閉症と呼ぶひともいる。
 ひとはこころのなかを読み取ることはできない。
 だから、相手が発するさまざまなサインから、こころのなかを想像する。
 瞳の動かし方、小鼻の開き方、口角の上下、表情全体の浮沈、声色の調子、話し言葉の内容変化など。とても総合的な能力が必要になるが、生きていくためには必要な能力なので、生き物が進化の過程で獲得してきた能力とも考えられる。反対に考えると、これらの能力が欠如していた生き物は退化し、絶滅していったのかもしれない。
 自閉症が中枢神経になんらかの特徴があるのではないかと言われている理由だ。
 佑子のように、染色体異常の場合は、あまり中枢神経には問題がない。精子と卵子が結合し細胞分裂をする初期の段階で、分裂が正常に行かなかった障がいなので、中枢神経への問題はあまりないのかもしれない。
「佑子はやっと明男さんをいつものセンセーとして受け入れたんだよ。だから、本当の付き合いはこれから始まると思えばいいんだ」
「あのにこにこは嘘だったのかぁ」
 サワーをごくりと飲んで、明男はため息をつく。
「だって、考えてごらんよ。佑子はもう11歳だぜ。思春期がもうすぐそこまで来ている。そういう女の子がいつまでも、小さいこどもみたいに甘えている方が気持ち悪いだろ」
「そりゃそうだけど、佑子の学力を考えると、そういう社会的な力ももっと低いっていうか、幼いっていうか、そんなふうに考えていたなぁ」
「きっと、多くのひとがそう思っているね。でも実際は違うんだ。こころの成長には障がいなんてない。どんなこどもも年齢相応の社会的な成長をしていく。それを言葉や態度でうまく表すことができるかどうかは、ひとによって違うけどね」
「じゃぁ、仙さんがよく言う自閉のこどもたちも、同じなわけ」
 最近の明男さんは、だいぶ勉強をしている。
「それは諸説あるし、まだ定着した理論はないんだ。でも、俺は医学で行ったらもっとも患者に近い臨床の場にいて、ふだん自閉のこどもたちを見ているじゃん。そうすると、このこどもたちはちゃんと受け止めて考えているんだけど、それをひとに伝えるうまい言葉が見つからないだけじゃないかと感じることが多いんだ。慰めるつもりで逆に傷つけてしまうとか、喜ぶつもりで逆に周囲が引いてしまうほどの切れ方をしてしまうとか。これは、なってみないとわかんないけど、言葉がしゃべれないよりも数倍もつらいと思うよ。いつも『そんなつもりじゃなかった』『なんでだろう』という気持ちがこころを埋め尽くしているんだから」
「ほら、仙さんのクラスにいる富山さん。あの子のふだんの言葉なんか聞いているとむかつくぜ」
 きっと、明男さんの受け取りが、いまの日本社会の福祉に対する世間の感情なのだろう。

 最近、発達障がいという言葉が誤解されている。
 ひどい学者になると、自説のなかで、親の育て方によって「発達障がいは治る」とまで言い切っている者もいる。
 大日本帝国が、アジアで覇権を伸ばし、アジア征服を企んでいた頃、世間は障がい者や病弱者に対して厳しかった。
 兵隊として役に立たない人間は、国にとって不必要だという風潮だ。そういうこどもを産んだ親は、それだけで冷たい視線で見られた。

 強い国、強いひとを政府が目指し、軍隊が育て、教育が洗脳し、家庭が支えたのだ。

 2011年3月11日。東日本大震災で東北地方を中心に、ひとびとの生活は壊滅した。そこから立ち直るのに、一部のひとたちは「力」を強調した。あるいは同じ意味で「強さ」を強調した。

 日本人は、本当はとても強い民族なのだ。
 こんな試練でくじけてしまうほど、弱くはないのだ。

 こういう耳に聞こえのいい表現は、多くのひとのこころに届く。そして、だれもが「そうだ、そうだ」と納得してしまう。

 しかし、ナチスドイツのヒトラーや、ソビエトのスターリンが、全体主義を拡大していく手法とまったく同じということに気づくひとは少ない。

 全体主義社会では、個人の自由はまったく認められない。
 一部の権力者や統治者にすべての権限が集中し、ひとびとは税金を納めるためだけに浪費される。いのちある存在とは考えられないのだ。
 先述のひどい学者は、親学という耳に聞こえのいいオリジナル学問をPRしている。いまのこどもがかつてのこどもと異なるのは、いまの親がかつての親と異なるからだ。どうすれば、かつての親のような子育てができるかを説く。それが親学だという。
 この親学に興味を示した国会議員や、大阪維新の会の議員らが、勉強会のなかで「発達障がいは親の育て方次第」という考えを広めている。
 弱者排除の法則が、ついに権力の中枢からふたたび狼煙を上げ始めた。
 わたしは、こういうひとたちに共通する「脅え」や「狡猾さ」を感じることがある。こういうひとたちは、自分の眼前に問題が生じたとき、その問題に直接は踏み込まない。その問題の関係者や周囲の者に、問題性を叩きつける。直接踏み込んで問題を解決したら、世間にその問題性が伝わらないと考えているのではないか。

 こういう考え方は、眼前の問題性を利用した自説の展開である。
 問題が起こらない限り、自説は公表しない。
 つまり、多くのひとが「そうだよね。それ、おかしいよね」と感じる問題を探り当てて、そのことに対する反論を徹底的に繰り広げる。
 なぜ、問題に踏み込まないのか。
 自分が攻撃されることが怖いのだろう。また、踏み込んで、問題が解決できなかったときの対処が想像できないのだろう。
 関係者にげたを預ければ、いつまでも自分は問題の外にいることができる。関係者を責任という大義名分で追い詰めていけば、自分の無責任は棚に上げられるのだ。

 発達障がいは親の育て方で治る。
 こういう勉強会での指導に対して、なぜ日本医師会や精神医学界は徹底的な糾弾をしないのだろう。発達障がいのこどもをもつ親たちばかりが憤らなければいけないのか。

 障がいとは、そのひとが生きる社会によって決められてしまう。
 走るのが遅いと生きられない社会では、走るのが遅いひとは障がい者になる。
 黙っていないと生きられない社会では、おしゃべりは障がい者になる。
 遠くが見られないと生死にかかわる社会では、遠視は障がいではない。

 いまの日本に発達障がいという、脳の機能障がいが認められてきたのは、脳の成長が日本社会では、ひとが生きていく上で重要な役割を持ちすぎてしまったことを意味する。
 学校では偏差値、会社では学歴、社会人としての資格など、どれも脳の力が左右する。
 100年以上前の日本には、学校そのものがほとんどなく、こどもは親の仕事を見よう見まねで覚え、将来の技術とした。手先の器用さ、経験の有無など、五体のもつ感性やバランスが生きる上で重要だった。
 それが、脳を強調する社会に変化してしまった。
 だから、脳の機能障がいをもっていると生きにくい社会になってしまったのだ。

 とてもうがった見方で、発達障がい誤解論を展開する国会議員の心中を覗く。
 特別支援教育は、普通教育の10倍以上の予算がかかる。少人数のこどもに対して、多くの教職員が必要だ。だから、特別支援教育を縮小しようとする動きが先にあって、それを論理的に構築するための布石なのかもしれないとしたら、なんとも恐ろしい。

 明男は、いつの間にかサワーを飲み終えて、二本目を取り出していた。
「少しは食べながら飲まないと、肝臓が悲鳴をあげちゃうよ」
 仙田が気遣う。
「大丈夫です。とっくに悲鳴を上げています」
 そういう安直なことを言っていると、本当に肝臓が悲鳴を上げた時におろおろしてしまうのに。
「そうそう、今度仕事を増やそうと思ってさ」
 明男が、ため息交じりにこぼす。
「ほら、いまやっている深夜のスーパーのバイトは時間が減らされちゃってさ」
 どこも不景気なのか。
「どんな仕事をしようと思っているの」
 仙田は、空になった生ビールのプラスティック容器に天然水を入れて飲み干す。
「横浜らしいんだけど、小学生から高校生までのこどもを放課後に預かっている施設っていうのかなぁ」
「どういうこどもたちを預かっているの」
「詳しいことはわからないんだけど、たぶん仙さんのクラスに通うようなこどもたちだと思う」

 横浜は財政的に豊かな町だから、社会福祉にも多くの予算が使われているのかもしれない。
 支援が必要なこどもの放課後は、保護者が全面的に面倒を見る。しかし、そうすると保護者は仕事もできないし、夕方の買い物にも行けない。だから、多くの自治体には民間の福祉団体がデイサービスを登録している。社会福祉法人が実施しているケースが多いが、NPOが実施している場合もある。

「それなら、いまの学校での仕事の延長上になるね。でも、明男さんは午後の仕事が多いから、デイサービスの時間と重なるんじゃないの」
「そこはうまく調節するし、週に2,3回なら可能だと思うんだ」
「なんか、どんどんメディアの仕事からこっちの仕事にシフトし始めたね」
「俺たちの仕事で登場するこどもって、みんな作りものじゃん。仙さんたちのこどもを見ていると、みんな本物のこどもって感じがするんだよ。それに触れたら、もうドラマとか映画に出てくるようなこどもは、みんな嘘っぱちな気がしてさ」
「へー、最初のころは、なんだかんだと俺のことを質問攻めにしていたのに」
「きっと、学校の外にいるとわからないことが多すぎるんだろうなぁ。なかに入ると、これまで知っていたこととまったく違うこどもの姿が見えてきたんだよ」

 そんなもんすか。

「あ、こないだ、仙さんが馬鹿にしていた自閉症の、なんつったっけ、サヴァンだっけ、あのドラマの最終回を見ましたよ」
「おー、もう最終回なんだ。途中、打ち切りってやつ」
「違うよ、最終回はものすごい数字を取ったって話だよ」
 ものすごい数字とは視聴率が高かったということだ。

 そのドラマは、アイドルグループのリーダーがサヴァン症候群の青年役だった。その役者の影響でドラマの視聴率が高かったのかどうかはわからない。
 サヴァン症候群は、一般的に自閉症の一つと言われている。特徴は、特殊能力を保持していると言われている。しかし、発現の可能性や、社会との適応能力など、個人差や未解明な部分が多いらしい。また、自閉症の診断を受けたひとが、すべてサヴァン症候群というわけではない。

 風景を一瞬見ただけで、後日、別の場所でスケッチブックに忠実に描写できる。
 2000年後の10月7日の曜日や、460年前の8月7日の曜日が瞬時に答えられる。
 歴代のエジプトの王の名前をすべて唱えることができる。
 音楽を一回聴いただけで、忠実にピアノで再現して演奏できる。

 こういった特殊な能力は、常人が努力しても、なかなか習得できるものではない。だから、おそらく脳のもつ多くの能力のうち、まだ解明できていない部分の能力が開花しているのではないかと推測されている。
 一般に「サヴァン脳」という言い方をすることもある。

 仙田は、ため息を吐く。
「高い視聴率だったってことは、多くのひとが見たということだよね」
 明男はにやにやする。
「そういうことです」
「ってことは、そのドラマを見て、うちのこどもはもしかしたら、サヴァンかもと誤解する親がいるかもしれないということかぁ」
「仙さんは、きっと、そう言うだろうと思ってたよ」
「あのドラマの決定的なすり替えは、事件の捜査という論理的な仕事に、サヴァン症候群の青年が協力して、どちらかというとプロの警察官よりも、有効な手立てを発見する部分なんだよ。サヴァン脳に限らず、自閉症のひとたちは論理を組み立てたり、見えないものを想像したりするのが、とても苦手なのに」
「俺も、仙さんの学校で介助員の仕事をしなかったら、そんなすり替えなんてどうでもいいと思って、ああいうドラマを作っていたなぁ」
 仙田は、ドラマの作り手が、視聴率という数値化された目標に向かって、自閉症という障がいを利用していたように思えて、くやしかった。


この文章はway6777-way6784で紹介しました。

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