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コルドバの女豹

 作家、逢坂剛(おおさかごう)の作品に「コルドバの女豹」という短編集がある。
 講談社文庫から出版されている。初版は1986年9月15日。2008年4月までに18刷されている。
 収録されている作品は次の通り。

■暗殺者グラナダに死す[オール読物(昭和55年9月)]
■コルドバの女豹[ルパン(昭和56年秋)]
■グラン・ビアの陰謀[小説アクション(昭和56年5月)]
■サント・ドミンゴの怒り[小説推理(昭和56年12月)]
■赤い熱気球[野性時代(昭和57年3月)]

 どれも舞台はスペインだ。
 わたしは、逢坂さんの小説に出会うまで戦前から戦後の近代スペインについて、教科書に出てくるような平板な知識しか持っていなかった。しかし、「カディスの赤い星」や「イベリアの雷鳴」を読んで、近代スペインが歩んだ複雑で悲惨な歴史に強く興味を抱いた。
 なぜバスク地方のひとたちはいまもなお分離独立を叫んでいるのか。
 なぜ地中海に面したジブラルタル海峡は重要なのか。
 なぜ第二次世界大戦前夜に内戦をしていたのか。
 なぜ第二次世界大戦にスペインは参戦しなかったのか。
 現在のスペインは王国なのか、共和国なのか。
 なぜ南米の多くの国で公用語がスペイン語なのか。

 考えてみると、多少なりともスペインに関する疑問が浮かぶ。
 しかし、そういうことにあまり興味がなかったので、疑問すらも忘れてしまっていた。
 それを逢坂さんは、小説というスタイルで、スペインへの興味を引き戻してくれた。第二次世界大戦前夜のスペインは、国民が親兄弟に分かれて血で血を洗う悲惨な内戦状態だったのだ。戦後の朝鮮戦争を思い出す。しかし、根本的に違うのは、スペインの内戦は外国の代理戦争ではなく、スペインのひとたちが互いに異なる考え方を認めない立場で、憎みあい・殺しあったのだ。
 ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニに匹敵する独裁者のフランコ総統は、戦後も長く権力を掌握し続けた。1975年に亡くなるまで、多くの異なる考えのひとたちを処刑した。それはフランコ体制が崩壊しても、その後も長くスペイン社会に暗い影を落とし続けた。
 コルドバの女豹に収録された5つの小説は、そんなフランコ亡き後もすさんだ社会の片隅で裏切りと恐怖が渦巻いていた物語を表現している。

■暗殺者グラナダに死す[オール読物(昭和55年9月)]

 この物語は、逢坂さんのデビュー作だ。
 1980年の第19回「オール読物」推理小説新人賞を受賞している。
 グラナダはスペイン南部、シェラ・ネバダ山脈のふもとの町だ。主人公は、日本人画家の「わたし」。作者は「わたし」に姓名を与えていない。
 グラナダには、過去に行われた芸術祭の調査で訪れる。
 たまたま同じ列車に乗り合わせたグラナダ出身の父子と知り合いになり、「わたし」はグラナダでの生活の世話になる。
 グラナダは、フランコが死んだ後も、保守的な傾向が強く、町には政治警察や暴力的な右翼主義者が暗躍していた。
 そんなとき、「エル・ガローテ」と呼ばれる殺し屋が登場した。彼は、内戦時代に残虐行為をした張本人を探し出し、首を絞めて首筋にナイフでとどめをさすというガローテと似たような殺し方をした。
 ガローテはフランコが考案したとされる処刑道具だ。鉄環絞首器具とも呼ばれ、鉄の環で死刑囚の首を締め上げ、最後に延髄に杭を打ちとどめをさす。フランコ圧政下では、拷問の道具としても使われた。
 やがて、グラナダに「エル・ガローテ」が忍び込んだという情報が駆け巡る。もしかしたら、自分が狙われるのではないかと脅えるひとたち。多くは、フランコ政権下で権力の恩恵を受け、罪もないひとたちのいのちを奪っていたのだ。
 なんだか、懐かしい西部劇のにおいがした。

■コルドバの女豹[ルパン(昭和56年秋)]

 内戦が始まる前にコルドバの至宝を隠したコルドバ銀行の頭取。彼の意思に従って、内戦終了後に至宝を探し出そうとするマリアの物語。
 インディー・ジョーンズばりの宝探し物語だ。
 しかし、そこに登場するのが、治安警察隊、労働総連合、ファシストの青年行動隊、テロ集団のETA(バスク祖国と自由)という敵対組織のオンパレード。
 コルドバもスペイン南部の町だが、グラナダよりも海からは遠い。シェラ・モレナ山脈のふもとの町だ。
 ここにも名前を明かさない探訪記者の「わたし」が登場する。日本人だ。もしかしたら、逢坂さんが自分を重ねているのかもしれない。
「キスしてもいいわよ」
「ぼくには色仕掛けは通用しない」
「キスしてよ」
「その手には乗らないといってるだろう」
「キスしてったら」
 マリアは、とても情熱的な女性なのだ。

■グラン・ビアの陰謀[小説アクション(昭和56年5月)]

 理髪師のカルロス・オルテガは、一人娘のカルメンを誘拐された。左翼のテロリストであるブロンコが誘拐した。
 要求は、カルロスの店で整髪する内務大臣を暗殺することだった。
 カルロスじたいは政治的なことには興味がない。というよりも、政治的なことに首をつっこむと、スペインではいのちがいくつあっても足りないからだ。多くの市民は、自然に政治には近寄らない術を知っていた。
 内務大臣は、その日、たまたま時間がなくてフォトジャーナリストの段邦子とともに来店した。取材の時間が取れないので、整髪しているときに取材に応じることを許可したのだ。
 カルロスにすれば、それは誤算だった。
 内務大臣と二人きりになれるから、ブロンコの命令に従うことができるのに、別の人間がいては暗殺しても逃げ切ることができなくなる。
 物語の舞台は首都のマドリード。グラン・ビアとは「目抜き通り」の意味。マドリードは、ほぼスペインの中央部に位置する。
 フランコ亡き後、軍隊の一部が国会を占拠してクーデターを実行した。結果的には未遂に終わるが、フランコ時代を懐かしむひとたちは自分たちの権力が失われていくことをおもしろく感じていなかったのだ。だから、左翼テロ集団には、まだまだ標的は存在した。

■サント・ドミンゴの怒り[小説推理(昭和56年12月)]

 ギタリストの柏木は、マドリードのアトーチャ駅で治安警備隊の検問を受ける。
 列車のなかに、テロリストが混ざっていたという情報があったからだ。
 そんなとき検問から逃げ出した若者に向けて、治安警備隊員が発砲した。無関係の乗客でにぎわ駅の構内での発砲だ。それだけ治安警備隊には強大な権力が与えられていたのだろう。
 発砲によって負傷したのは、まったく無関係の柏木だった。
 一般市民を巻き添えにしたことを公にしたくない治安警備隊は、柏木に労働許可なしでのギター伴奏を大目に見てもいいと提案する。そのかわり、負傷は発砲によるものではないことにしろと。
 提案を受けた柏木と同じサント・ドミンゴ病院に、コチコチの国粋主義者、治安警備隊のヒメネス大佐が入院していた。国会に乗り込みクーデターを実行した張本人だ。国家の情報局は、ヒメネスがふたたびクーデターを実行しないように極秘裏にロボトミー手術をしようとしていた。
 そこに極右組織「新戦士団」から、ヒメネスを病院から連れ出すように指示を受けた殺し屋のテナサスが忍び込んでいた。

■赤い熱気球[野性時代(昭和57年3月)]

 マドリッドで大学教授をする日本医師。知人の紹介で赤い熱気球に乗船する。しかし、乗船の寸前に知人のこどもが異形肺炎になり入院したという知らせを受ける。驚いて知人とともに病院に行った医師は、彼のこどもが異形肺炎であるという病院の医師の診察に疑問を抱く。
 そもそも異形肺炎という名の病気はないのだ。マドリッドで最近になって流行しだした謎の肺炎だ。最近が原因だと思われているが、感染源が見つかっていないし、病原菌もわかっていない。しかし、事態は深刻で、病院に担ぎ込まれた患者のなかから死亡するケースも出始めていた。
 日本人医師は、肝臓研究の専門家とともに異形肺炎で亡くなったひとの患者の組織を調べる。すると、そこには毒物反応が現れた。異形肺炎は、肺炎ではなく、毒物中毒だったのだ。そのことを知ったひとたちが、次々と謎の殺し屋に消されていく。
 医師は、中毒にかかったひとたちに共通する食べ物を探した。その結果、広場で正体不明の行商人が市価の半値で食用油を販売し、それを買ったひとのなかから中毒症状が現れていることを突き止める。その食用油は、共産圏の国から密輸された工業用油そのものだったのだ。だれが、何の目的で、そんなことをしたのか。
 真相に近づいていく医師に、殺し屋の手が近づく。
 医師と殺し屋が熱気球のかごのなかで戦いあうラストシーンは、読んでいて時間を忘れた。

 逢坂さんは、必ずしも読者に近代スペインの歴史をレクチャーしようとしているのではない。また、スペインの歴史を知らないひとに、わかりやすい物語を創作しているのでもない。おそらく逢坂さんが、たまらなくスペインのことが好きなのだと思う。だから、舞台や人物をスペインに設定しているのだろう。
 しかし、スペインのことをほとんど知らないわたしには、近代スペインの歩んだ悲惨な運命が胸を打った。
 とくに、国粋主義者や軍国主義者、反乱軍がたまたま支配した地域で徴兵されたひとたちは、自分たちの主義主張に関係なく、ファシストたちの軍隊に入れられ、共和国政府軍と戦わなければならなかった不条理。もちろん、その反対も成り立つ。また、せっかく選挙で勝利し共和制を始めた左派連合が、結局は社会主義や共産主義などの考え方の違いで内部分裂、抗争へと突き進み、瓦解していく道筋は、戦後日本の学生運動がそっくりそのまま「真似」をしたようだ。
 同じスペイン人が、考え方が違うからという理由だけで、殺し合う。
 逢坂さんの小説に登場する日本人が質問する。
「どうして、同じ民族が殺し合うんだ」
 それに答えるスペイン人。だれもが同じ答えをする。
「それが、スペイン人だ」
 こういう割り切り方が、いまもなお「熱い」と言われるスペインという地域の魅力なのだろう。

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